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真の愛なる皆様、アロハです。愛です。カナダは1月の31日、2022年最初の月の最後の日となりました。
1ヶ月早かったっていうか、なんか怒涛でしたね。皆さんはどんな1月だったでしょうか。
日本の皆さんはね、今日2月の1日ということで、ハッピールナニューイヤーですよね。
結構カナダでもね、ルナニューイヤーのほうね、お祝いする人たちもたくさんいるんですけどね。
どんな気持ちでお過ごしでしょうか。
今日はね、とってもとっても太陽がね、出ててあったかい。朝10時43分になっております。
でね、今日はね、1月最後の月ってことで、
私、いつもね、手帳に椎茸占いというね、皆さんご存知、皆さん大好き、椎茸占いの
毎月のね、テーマがあるんですよね。乙女座さんの1月のテーマはこれ、みたいな。
それをね、手帳に書いてるんですよね。今月のテーマを。
この絶大な信頼を託している、この椎茸兄さんのね、1月のお告げをもとに、
ちょっとね、今月を振り返ってみようかなっていうふうに思っております。
はい。でね、その前に、何回もしつこいくらい言ってるんですけど、
私のね、2022年のテーマはTTK、徹底的に歓喜するっていうことをね、看板に掲げてね、
2022年を始めたんですけども、まあこれは、まあね、誰かをね、幸せにするとか、
誰かの役に立つとかいうよりも、もうなんか茶舞台ひっくり返して、
まあ茶舞台よくひっくり返してるんですけど、
とにかく自分の喜びにフォーカスしてやるみたいな、そういう決意表明だったんですよね。
で、私別にあの、何ていうのかな、誰かを幸せにすることもね、誰かの役に立つことすることも大好きだし、
そういうお仕事もね、してるし、それは本当に仕事と遊びの境目がないぐらいに自分の喜びでもあるんですけども、
でもほっとくとですね、やっぱ自分自身のなんかピュアなね、あの喜びみたいな、
誰も見てないけど、誰の役にも立ってないけど、本当は本当はこれがやりたいんだみたいなところを、
ついね、置いてけぼりにしちゃうっていうようなね、あの癖があったりするので、
まあとにかくね、TTKでやっていくぞって、自分の喜び、私は私の魂が喜ぶことをやりますよっていうね、宣言でした。
でもって、それがまあ巡り巡ってね、結局は周りの人とかね、地球とか宇宙とか、
お幸せにしていくと、宇宙は多分、私が何もしなくても幸せだと思うんですけど、
まあとにかくね、周りの人も幸せにしていくっていうね、そういう宣言でございました。
そんな2022年の最初の月、1月のね、椎茸兄さんのね、
お次がですね、私は乙女座なんですけど、周りの環境が大きく動き出す。
思い立ったら吉日。吉日?吉日?ちょっとわかんない。ごめんなさい。
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バカですいません。はい、ねえ、そう思い立ったらね、その時やっちゃえみたいな、
まあそういうね、周りの環境がね、大きく動き出すっていうのが椎茸兄さんのね、1月の予言でした。
で、これ周りの環境っていうよりは、まあ自分の、私の中ではですね、なんか自分の内面みたいなものがですね、
どんぶらこーって変化して、あれ?なんか1週間前どんな私だったっけ?みたいな。
あれ?あの時なんで泣いてたんやったっけ?みたいな。
なんか本当にちょっと前の自分を思い出せないぐらい、なんかすごく大きな変化があったなっていうふうに思うんですよね。
そう、でなんか、そう、もっともっとこれからちょっと変化していくような予感がしてるんですけど、
なんかそれはね、なんか思うんですけど、そのTTKというものに従って、新しいことをね、
TTKをね、遂行するために、実行するために新しいことをね、始めたからなんじゃないかなっていうふうに思ってるんですよね。
そう、で、それは3つありまして、はい、3つあります。
まあ新しいことっていうか、再開したこととも言えるんですけど、まあとにかくね、始めたこと、1月からやり始めたことが3つあります。
はい、そしてその1個目がですね、プールに通い始めましたっていうことなんですね。
まあうちのコンドミニアムですね、1階にジムとプールがあって、プールね、使えるんですよね。
そうそう、で、まあこれ、このプールの話はね、あのマナミンとね、私のバンクーバーの妹マナミンのね、一緒にやってる音声配信、チャブ台でクロワッサンの方で、茶袋でもね語ったんですけども、
これプールに通い始めたきっかけは、あのオラクルカードでね、カードを引いてるんですけども、毎日。
で、ある日ね、あのクジラさんとイルカさんだったかオルカさんだったか、まあとにかくね、すごく綺麗にね、スイスイとね、水の中を遊ぶね、
美しい生き物たちのカードが出たんですよね。
そう、で、まあそのメッセージとしては、そのあなたにしか奏でられないユニークなね、歌を奏でなさいっていうようなことだったんですけども、
なんかその絵がすごく美しくて、ああ、なんかイルカさんとかクジラさんとかと一緒に泳げたらいいなっていうような、そういう憧れとね、
憧れと、でもなんか私、25メートル泳ぐだけで結構ゼイゼイしてるし、
あの背のね、背より、自分の背より高い、高いか深いところで行っちゃうと、もうパニックになってね、
ふくふく沈んじゃうしみたいなね、もうなんか水の、水の中でね、美しくね、遊ぶのはもう来世なのかしらっていうふうにね、
思ってた、諦めてたんですよね、憧れと諦めの狭間だったんですけど、
でも、でも、でも、でも、待てよ、待てよって、私120歳まで生きるつもりでいるんですけど、
120歳まで生きるんやったら、あと80年ぐらいあるやんって思って、
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そうそう、で、とりあえずまあね、イルカさんにね、クジラさんに1%でも近づこうっていうことで、その第一歩としてですね、クルーに通い始めたんですね、
そうそう、で、そうするとですね、めっちゃ楽しいっていうかね、ほぼ毎日ね、通い始めてます。
はい、で、結構ザブザブね、クロールとかね、平泳ぎとかで泳いでるかって言ったら全然そんなことなくて、
もうほとんど9割ね、9割は背泳ぎしてます、背泳ぎっていうか、背浮きっていうか、泳いでないっていうか、
ただね、ぷかーっと浮かんで、あのバタバタしたらね、ちょっと進みますよね、
で、ちょっと腕を動かして、クリオネちゃんのようにですね、ぷかぷかね、浮いたり進んだりしてるっていう、
クリオネだったらいいんですけど、大王イカ状態ですね、大王イカ状態でプールをずっとね、延々と往復してる、
まあたまにね、クロールも上手になりたいからクロールもやってるんですけど、
そうそう、でもこれがね、めちゃくちゃ私にとってすごい気持ちよくて、なんか、あ、人間って浮くんだっていうね、発見だったんですよね、
そう、すごい発見だったんです。
で、これってね、やっぱりなんか溺れるかもしれないっていうね、恐怖とか、なんか岸につかないかもしれないとかね、そういう不安とか、
なんかそういうものがね、筋肉をね、固くして沈ませているんだなーっていう風にね、気づいたんですよね。
まあ気づくこととできることってまたね、あの、違うんですけど、まあ気づいたんですね。
そう、で、あの、だからね、水に体をね浮かべるように、宇宙にね、心を委ねたら、
もしかして人間は大いなるね、命の一部としてね、
ぷかーっと浮くようにね、生きることができるんじゃないかなーみたいな、
なんかそういうね、ギブネス、ギブネスがもしかしてそんな風にね、ここにヒントがあるんじゃないかみたいなね、
なんかそういうね、ことを考えながらね、大王イカのようにね、ぷかぷか浮いたり進んだりしてます。
はい、これがめっちゃ楽しくて、
まあとにかく、まあ何よりですね、泳げるようになりたいとかよりは、
まあとにかく水の中にね、漂ってるのがすごく気持ちいいなーって思うんですよね。
なんかシャワー浴びてね、ぬるい水にね、入っていくときに、
あーなんか帰ってきてよかったーみたいな、そんな感じがするんですよね。
そう、まあヨガなんかだとね、よくヨガマットにね、帰ってくるんだよーみたいな言い方をするんですけども、
同じようになんか、いつでもここに帰ってこれるんだなーっていう安心感を育てているっていう、そういう感じです。
うん、なんでその安心感っていうのがね、もっとね、もっともっとすくすく育ってくると、
まあプールからね、出た後もヨガマットをね、畳んだ後も、
いつでもそこで、そこにいられるっていうか、そこでね、感じる。
ここで感じる私そのものでいられるっていうね、ことになるんじゃないかなーっていう風に思ったりしてます。
なのでね、このね、あのプールで、プールでね浮かぶことで、
まだまだちょっとね、いろんなことを発見できそうな予感がしております。
はい、で2つ目はね、ジャズフラクタルのレッスン、愛のねフラクタル、愛のフラクタル、愛はどっちだっけ、
そう、フラクタルの研究所、愛のフラクタル研究所っていうね、秘密のグループをオープンして、
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そこでね、謎にジャズのね、レッスンを一人でやってるっていうコーナーがあるんですけども、
これ前のエピソードでもね、アップしたんですけど、
これもまあね、同じなんですよね、諦めて今世は無理かなって諦めてたけど、
いやいや人生あと80年あるぞ、みたいな感じで、
まあちょっととりあえず始めてみようっていうチャレンジとね、一つだったんですよね。
まあこれめちゃくちゃ実は勇気がいったんですけど、
でもね、あの、やっぱ裸んぼさんでですね、喜びをこう開放してみたら、
やっぱり受け取ってくれる人がね、自分で思ったよりもすごいたくさんいて、
ああ、これでええんやみたいな、これめっちゃ楽しいやんみたいな、
うん、なんかね、調子に乗ってどんどん歌っちゃいそうなそんな予感がしてます。
そうそう、なんかね、ジャズね、そんなめちゃくちゃ専門的、専門知識あるわけじゃないけど、
ただね、ただ私がジャズが好きなんだ、ジャズのね、こういうとこが好きなんだってね、
グッと来るんだってね、そういうことを叫んでいいんだなとか、
うん、なんか心地よくね、歌の中でね、揺れているっていうことを、
この世界でね、自由に表現していいんだっていうことに気づかされました。
そしてそれでもってね、それを聞いたり見たりしてくれる誰かが元気になったりとか、
笑顔になってくれるんだなっていうことの、大きな大きな発見でした。
うーん、次は何を歌おうかなって思ってるんですけど、
はい、これもね、私自身への、そしてね、宇宙へのね、ラブレターとして、
どんどんね、発信していきたいなというふうに思ってます。
そして3つ目、これはまあ新しくっていうか、ずっとやってたんですけど、
フラダンスの練習ですね。
これまあやっぱりね、子供が生まれてからね、ずいぶんね、
サボりがち、クラスにもね、もう行けないし、お休みしてるし、
お家で時々踊ってはいるんですけども、なかなかね、ゆっくりね、そういう時間が取れないっていう、
まあずいぶんサボってたんですけども、
まあこれもね、TTKの名のもとに毎日ね、踊るようになったんですよね。
まあ3曲ぐらいのね、一番お気に入りの曲があるんですけど、
それをね、お風呂の前とか、プールの後とかね、
鏡の前でね、ポンポンで踊ってたりするんですけど。
このフラダンスはね、私はバンクーバーで出会ったんですよね。
10年以上、ちょうど10年前ぐらいかな。
バンクーバーに引っ越してきて、そしてカワワイ島に行って、
そしてカワワイの女神の洗礼を受けて、
でもってバンクーバーに帰ってきてですね、
もうハワイとずっとつながっていたいということで見つけたグループがあってですね、
これ日本人のグループなんですけども、
ここでね、グループに参加して練習に励んだりとか、
ショーに出たりとか、そんなね、フラ生活を何年も送ってました。
でこのね、先生がね、素晴らしいんですよね。
先生が。
でこの、うちのね、ワイレレワイワイっていうグループなんですけども、
吉さんっていうね、和歌山出身の芸人のおじさんなんですよね。
で、先生っていうか、吉さんはよく言ってるのは、
私は組む師匠じゃなくて、私は組むじゃないから、
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ただあなたたちのね、ブラザー、お兄ちゃん、お兄ちゃんというか兄弟なんだよっていうことをよく言ってらっしゃいます。
まあとにかくね、愛の人、本当に本当にね、愛の人なんですよね。
下ネタ大好きなんですけど、下ネタ大好きなんですけど、
でも彼がね、踊るフラを見てると本当にね、こう涙があふれてくるっていうのを、
私大好きな吉さんに教えていただいてました。
吉さんがね、よく言ってることが、
なんかね、踊るときにね、まあもちろんこのタイミングでこの足を出すとかね、
腰の位置はこれぐらいとかね、手の角度これぐらいとか、
まあいろいろね、大事なことももちろんあるんですけど、
一番一番大事なことは、なんかまあ吉さん曰く、
一番大好きっていう人のことをね、思い出して踊るのよ、とか、
なんかもうたまんないっていうぐらい、なんかこう気持ちいいことをね、妄想して踊るのよ、とかね。
なんかね、そういうことよく言うんですよね。
みたいな、そういう瞬間をね、思い出してみなさいよ、あんたたち、みたいな感じで。
それがですね、私すごくね、私も超右脳派直感で生きているので、
めちゃめちゃグッとくるっていうか、ああなるほどっていう感じで、
よくわかるんですよね、吉さんのね、言ってることが。
で、まあ吉さんのね、フラの歌詞の解釈とかね、
これもいちいちね、エロかったりするんですけど、
でもそれがすごくね、感覚としてすごくよくわかるんですよね。
フラってね、自然愛する人に捧げる歌だとか、
自然、火山とかね、泉とか、お花とか、滝とか、
全ての自然、全てのね、神様に捧げる曲。
全部ラブソングなんですよね。
いろんなレイヤーにおいてのラブソングなんですよね。
でもって、男性性と女性性みたいなところもやっぱり出てきて、
例えば火山は、火山っていうのは男性性の象徴であり、
泉っていうのは女性性の象徴でありとかね、
花のおしべとか芽しべとかね、
全部ね、命を生み出して循環させるための
使命と機能を持って生まれてきているわけなんですよね。
私たち人間もそうだし、自然とか動物も全てそうですよね。
そう、なので、そういう、なんていうのかな、
歌詞から来る、歌詞の吉さんのエロい解釈から来る
男性性と女性性の学びなんかも結構あったりしました。
で、フラはね、またちょっとこれ別で語ろうかなと思ってるんですけど、
フラは私がですね、数年前ですね、とってもとっても苦しかった時があったんですよね。
その時にフラダンスっていうのがすごい自分を助けてくれたんですよね。
そう、で、その苦しかったっていうのは、自分の中のですね、
女性性っていうのがめっちゃ絶望して泣いていた時期がね、
あったんですね、数年前の数年間ね。
そうそう、泣いていたんですよね、私の中の女性性が、女神が泣いていたんです。
でも、フラを踊っている時だけは女性でいられたっていうね、
女でいられたっていう、女神でいられた。
フラを踊っている時だけは喜びの中でいられたっていうね、
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そういうふうに私をとてもとても助けてくれました。
で、ハワイってね、皆さんも行ったことある方、みんな同じこと思うんですけど、
本当に思うと思うんですけど、
ハワイのね、あの甘い匂いのする風とかね、
ハワイアン音楽のね、愛を歌う音楽のね、
愛を歌う音の中でのね、その一時のね、
高骨、そう、まあ音楽、フラの音楽聴いている時もそうだし、
踊っている時はなおさらですね、本当に魂の喜びの真ん中にね、
いられるわけなんですよね。
で、そこってね、時間が存在しない感覚なんですよね。
私そんなにゾーンに入るほど上手ではないんですけど、全然ね、
ただ好きっていうだけでね、踊ってて全然プロフェッショナル、
上手な、上手ではないんですけども、
でもその気持ちいいっていうね、いうふうに、
踊っている時とか、まあ歌でもそうですけど、
なんか時間が止まるっていうよりは、なんか全ての時間がね、
その瞬間の中に存在するっていうね、そういう感覚なんですよね。
なので本当にね、フラダンスでもね、どんなダンスでも音楽でも、
水泳でもね、あとスポーツでもアートでもね、
あとは好きな人とね、抱き合っている時とか、
なんか本当に魂がね、喜びを感じている、喜びの中にいる時に、
なんか私たちって本当に時間を超えたところに存在するんだな、
っていう感覚が今あります。
で、もう15分も喋ってるけど、あとちょっとだけ喋らせて、
そうそう、でね、その時間を超えた感覚っていうところでね、
私もう一つ気づきがあったんですけど、
吉本バナナの小説が、バナナさんの小説が大好きでですね、
その中でもね、一番よく読んでいるのがアムリタっていう小説なんですけど、
アムリタっていうのは、神様が奪い合うほどのね、命のね、
神様が飲む水っていう風にね、言われてるんですよね。
カンロとかも甘い水なんですよね。
で、なんでそんなにね、喧嘩してまでね、
神様が喧嘩してまで奪い合う水って何なんだって思ってたんですけど、
それはきっとこういうね、世界のすべてのね、
すべてのこういうね、甘いね、喜びの瞬間がね、
詰まってるんだなっていう風に納得したんですよね。
で、それってこの星にですね、この地球にですね、
体と心をね、魂だけじゃなくて、
この体と心をままならない、
体と心をね、持った、生まれた、そう、持って生まれた命、
だからこそ紡げるね、甘い水なんですよね。
だからこそね、そりゃ美味しいよなって、
そりゃ神様はね、俺が飲むんやってね、喧嘩するわなっていうね、
いう風にね、納得したわけです。
なので、まあね、それもね、さっきのプールとヨガの話じゃないですけども、
まあ境目なくですね、フラを踊っていてもいなくても、
その甘いね、風の中で生きる、
そのジャズの心地よいグルーヴとかね、
そういうものを心の中で感じながら生きる。
そして手放してね、無重力で宇宙の波に浮かびながら、
毎瞬間のね、当たり前の日常にね、
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このアムリタをしていきたいなっていう風に思ってます。
でね、そんなTTKの1ヶ月だったんですけど、
なんか、そう、TTKしてたらですね、
喜びにね、身を委ねてたらですね、
なんか自分がずっとフタをしてきていたね、
大きな矛盾にね、私ちょっとフタを開けてしまったんですね、
気づいてしまったんですね。
でもこれはね、自分でもびっくりしたっていうか、
実はずっと気づいてたんですけど、
なんか気づかないふりをして、
いや、だってそういうもんやしーとか、
みんなだってきっとそうやんみたいな感じで、
なんか思考でね、頭で納得させて、
一生ね、大人の風呂敷みたいなものに包んでね、
守っていこうと思ってたのに、
なんかね、魂が喜びを浴び始めるとですね、
すごく自分に嘘をつけなくなってしまったっていうことも起きています。
なので、まあ2022年はね、
喜びを浴びるっていうことの対として、
またそのね、自分の中にあるね、
闇とかね、ドロドロしたものとかね、
矛盾みたいなもの、矛盾ですね、
矛盾みたいなものってね、
受け合うことになりそうだなーっていうふうに思っております。
まあね、そうやってね、生きてたらね、
いろいろあります。あります。あります。
何回言ったけど、そうなんです。
まあ雨の日もね、あるし、
嵐の日もあるし、
でもまあ虹も出るし、こうやって今日みたいにね、
愛される1日もあるし、
でもまあそれでもですね、何があってもね、
愛というものをね、
意図として、そして愛をね、
怒り、アンカーの怒りですけど、
怒りにね、していったら、
ちゃんとね、自分の命は喜びのね、
そのアムリタというものの中に
帰っていけるんじゃないかなと、
いうふうに思っております。
はい、それをね、
知り続けていたいなと、
胸に抱き続けておりたいなという
ふうな今日1日、
今日1日じゃないわ、1月でございました。
はい、皆さんもね、
2022年1月どんな
月だったのかな、
また教えてください。
はーい、というわけでいっぱい
しゃべっちゃったけど、今日も引き続き
良い1日をお過ごしください。バイバイ。