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真の愛のある皆様、アロハです。愛です。今日は2月1日、水曜日ですけど、あっという間に2月ですね。皆様いかがお過ごしでしょうか?
なんか2023年ね、今年の目標は?とか言ってたら、あっという間に1月、1ヶ月経ってしまいましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
暖かくしてくださいね。なんか全国寒いみたいで。
はい、というわけで、これタロットね、久しぶりに喋っとるなぁという感じなんですけど、カードね、引いてたんですけど、ずっとね、こうなんだろうな、あの壁にね飾ったままになっていて、っていうのもずっとこれがテーマだったんですね、私のね、1月のね。
で、それ何がテーマだったかというと、自分を徹底的に自分を信じる
T.T.J.S。まあそんなんどうでもいいんですけど、T.T.J.Sね。徹底的に自分を信じるっていうのがね、ちょっと1月の私のかくれいテーマだったんですよね。
で、自分を信じるってね、いろんなね、人生いろんなことがあって、いろんな側面でね、自分を信じるっていうね、キーワードというかね、そういうのって出てくると思うんですよね。
何かこう大変なことがあった時とか、なんかこう試験とかね、面接に向かう時とか、何かチャレンジする時とかね、何だろう、くじけそうになった時とかね、いろいろ自分を信じろ、自分を信じよう、そういうふうにね、分けあがってくることとかあると思うんですけど、
まあ私もまあこう何があったというわけでもなく、自分を信じる、絶対的に自分を信じるっていうことが、まだまだね、こう足りていないというか、まだ手放すことあったか、まだあったかみたいな感じでね、まあひとかわひとかわね、抜けていってるっていうかこう軽くなっているような気はするんですけど、
まだありましたかみたいなのがあってね、まだ信じられてない、自分を信じられてないところがあったかみたいなね、ところがあって、っていうのもやっぱりね、こう人間ってこう変化していくもので、チャレンジしていくもので、変容していくもので、それはまあ自ら望んだ変化でもあったりもするし、
自ら望まないけれども、変化せざるを得ないっていうね、そういうことが起きたりとかして、そういった時にこうね、がらがら崩れ落ちてしまうのではなくて、しっかりとね、自分の地に足つけて、地に足つけるだけじゃなくて、こうね、深く根を下ろしてね、自分がね、揺らがないようにする。
枝とかチョキチョキされてね、うわーとかなっても、また葉っぱを伸ばせるようにしておく。もしくは幹をずまんと切られたとしても、またその霧株からね、根っこから栄養を出しとけば、霧株からまた新しいね、若い枝がね、生えてくる、また再生できるっていう、そういうふうにね、小さな死と再生っていうものをね、繰り返していくのが私たちの、なんだろうな、性質というかさ、宇宙の法則というかさ、人生というか、
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まあそういうものだと思うんですよね。で、その時に、なんだろうな、その時にやっぱりこう、枝切られたから、もう人生終わったーって思う人もいるし、いや枝は大丈夫だけど、幹切られたらさすがにもう人生終わったーって思う人もいるし、まあ人それぞれだと思うんですよね。
でもそれはやっぱりどれだけ自分をこうね、信じられているかっていうね、まだ根っこがあるから大丈夫、まだこれだけね、葉っぱがあるから大丈夫、根っこさえなくなったとしてもその自分の命は土にね、溶けているから、それは別の形として、またね、この地上にね、花を咲かせるだろうってね、そういうふうに信じている。
まあいろんなレイヤーで自分を信じるっていうことがね、それぞれあると思うんですよね。で、まあそれぞれだと思うんですけど、やっぱりそのテーマがね、浮き上がってくるっていうことがね、まあね、皆さん、私の人生にも皆さんの人生にもそれぞれあるんじゃないかなと思っていて。
で、自分を信じるっていうことはどういうことなんですかというふうに、タルトさんに聞いてみたところですね。こちらの、こちらのカードでした。
ストレングス。ストレングスは、このウェイト版ではストレングスというふうになっているんですけど、マルセイユ版の方ではフォースっていうね、パワーかフォースかとかね、ありますよね。ストレングスではなくてフォースっていうふうに書かれています。
この場合はまあストレングス。日本語に訳せばその強さっていうことなんですけど、まあ私たちってこう強い弱いって言うと、なんか強いって言うとさ、こうなんかマッチョな、なんかね、全部打ちのめしてね、あの相手をねじ伏せるみたいな、そういうねイメージ、なんかスーパーヒーローみたいなね、マーベルのねスーパーヒーローみたいな、そういうイメージあるかもしれないんですけど、このタルトの強さ、ストレングス、フォースっていうのは力っていうのは、この乙女なんですよね。
乙女、この純白の衣を着た乙女が、この百獣の王であるライオンのね、顎をね、しっかりね、しっかりって言うか、まあこれね、よく見ると軽々とね、抑えてしまっている。
でもライオンさんもさ、尻尾垂れちゃって、下もベロンと出して、もう完璧にね、乙女にね、服従しているっていう、こういう状態なんですよね。これが力である、フォースであるっていう、とっても意味深な、このタルト。これが自分を信じるとはどういうことですか?っていうところで出てきてくれました。
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力か。そう、力とか強さって言うとね、なんかいろんなイメージあると思うんですけど、このタルトが言うところの力、フォース、強さっていうのは何かと言うとですね、っていうところで、まあちょっとね、タルトの章をね、紐解いてみたんですけど、これがまたね、深すぎて、どう読み解けばいいのか全くわからないまま喋っているんですけど。
すごくね、このタルトの章の中で印象に残ったことをね、ちょっと皆さんにシェアしたいなというふうに思ってます。
で、そこに書かれていたのがですね、世界っていうのは暗黙の宗教っていうものに満ちているっていうところがすごいね、今回印象に残ったんですよね。
世界中には、まあ別に聖人とかね、詩人っていうふうに名乗らなくても、そういう看板出して肩書き出していなくても、そのような人たちがね、たくさん生息していて、そういう人たちは鳥が歌ったりね、木々がね、カサカサと風にね、揺れて、
音を立てた時に、そういう鳥が歌ったり、何か視線が音を立てた時に、これは神様への賛美であるっていうふうに言うわけなんですよね、そういう聖人、詩人たちはね。
それを、いやいや、鳥がね、生殖するために、求愛するために呼んでるだけでしょ、とかね、葉っぱが重なってね、こういう仕組みで、こういう音が出るだけでしょっていうふうに、科学的に見れば、そのような物理的な面だけ見れば、そのようなことかもしれないだけれども、
その神を賛美するっていうことは、決してね、詩人がね、それは神への、鳥への祭ずるは神への賛美だっていうふうなことは、決して間違いではないんだよっていう。
で、それはなぜなら、その鳥さんたちっていうのはね、小さな生命そのものですよね。鳥でもネズミでもね、私たち一人一人、何でもそう、何でもみんな小さな生命、命の命ですよね。
で、その生命が声を出してね、音を出して、ささやきかけて、この世界にその歌声っていうものを表している。
で、それは生命そのものであり、同時にその偉大な生命、周りの生命たちと響き合って偉大なそのね、大いなる生命っていうものを響かせている。そういう意味で、神様を賛美するっていうふうな表現をするのは決して間違いではないっていうね。
これってね、まあ詩的な表現に思えるんですけど、なんていうのかな、私もよく言われるんですよ、なんかアイちゃん詩人だねとか言ってよく言われるんですけど、なんかそういうふうに放置、放置っていうかね、理解しえないものを詩人だねっていうふうに、
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言って片付ける、それは詩だよねっていう、ファンタジーだよねっていうふうに言って片付けると、まあそれだけのね、その人はそれだけの世界になっちゃうんですけど、そうじゃなくて、その詩が生まれたところに何があるんだろうっていうふうに考えてみると、
実際に最新の科学ではね、私たちの原子、原子光子、量子だっけ、まあなんかわかんないけど、とにかく小さいつぶつぶが振動していて、その振動の中で私たちの命はね、生きているっていう、それがどんどん証明されてきていてね、
その一番小さなつぶつぶの中に、実は全てのね、命の記憶とか可能性っていうものが、そのビッグバンする前の宇宙のね、無の中にたった一つ、たった一つなのかそれカウントどういうふうにされるのかわかんないけど、もう全てが凝縮されていて、ビッグバンした瞬間にバーンって全ての銀河が生まれて、その系譜が私たちなわけなんですよね。
その全部の最初の一つみたいなものが、私たちの命の一番最小単位であるっていう、わかります?これ。自分でも喋ってて。でもね、それが証明されようとしてるんですよね。
それだけの命のつぶつぶを、そんだけの凝縮された命のつぶつぶで私たちはできていて、それが振動し合って重なり合ったりね、ゆらゆらし合ったりして、それが奏でているのがこの全てのね、世界なんだ。鳥の歌声だろうが、私の歌声だろうが、このタロットのつぶやきだろうがね、このコップだろうが、何でも全部そうなんですよね。
それが、神への賛美以外の何ものをたり得るかっていうね、それに気づいた瞬間に、神様っていうのはすべてにこうね、大きいものから小さいものね、すべてにね、存在してるんだって、その存在の満ち満ちたジャブジャブの中に私たちはいるんだっていうふうに気づいた瞬間に、
気づいた瞬間に、この世界が単なる物質世界じゃなくなるっていうかね、宗教って言うとさ、みんなこうなんだろうな、ちょっと特に日本人っていうのかな、日本人は、人はこう悪いイメージっていうかね、宗教によって戦争が起こるんだとかさ、宗教によって人は洗脳されるんだとかね、喧嘩するんだと、そういう悪いイメージあるかもしれないんですけど、
本来の宗教っていうのは、なんだろうな、そういうことではないと思うんですよね。それはまあ人間が誤ってね、使ってしまってそういうことが起こるっていうのはあるんですけど、本来の宗教っていうのは、そういう命の本質に対するこの絶対的なね、希望、それをしっかりとこう信じている、すべての生き物、自分を含めて、マウスとか、実際のネズミとか、
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ボールペンとか、鳥さんとか、すべての命がもうこの瞬間、この瞬間に発しているその命への絶対的なイエスっていう、それを絶対的にイエスって言えることが信仰、本当の自然、自然信仰というかね、もう自然信仰します。
信仰します、私は誓いますとかね、私は誓いませんとかじゃなくて、もうでもその信仰をね、その信仰とその希望の中にね、私たちはもうジャブと使ってるわけなんですよね。そうなんですよ。それに気づくか気づかないかっていうね、話なんですよね。
だってその命に対する絶対的なイエスがなかったらさ、ここまで来てないっしょ、私たち。とっくに死んでるでしょ、その命に。NOって言ってたらさ。ねえ、私たちは生きたいって思うから、反映したいってね、これを広げていきたい、進化していきたいって思うから、ここまでね、進化してきたわけで、そう、どうしたらね、反映できるか、どうしたらこの命をね、死をね、存続して反映していけるかっていうことで、もうね、どんどんどんどんね、ここまで来たわけですよね。
それがその最先端が今私たちで、私たちの命は、私この個人がね、イエスって言おうがいまいが、もうイエス的存在なんですよね。イエス的存在なんですよ、本当に。もう言やおうがなくそうなんですよね。
そう、それに気づけよっていう、気づいたらどうなるかっていう話なんですよね。そう、だから本当に、そうなんですよね。私たちがどこから来て、どこへ向かおうとしているのか、この瞬間にも、何が起こっているのかっていうことに気づくこと。
自然へのね、命への信仰っていうもの。そしてその自然への信仰、だから私たちがこうね、生きて、心臓がね、鼓動して、呼吸して、血液がね、循環している限り、私たちはその祈りと信仰の中に、希望の中に、その希望、その信仰に参加していると。
で、私、人間だけじゃなくて、本当にそのね、蝶1匹ね、スズメ1匹、ミミズさん1匹、全てのね、命たちがそこのね、偉大な宇宙の儀式っていうものに参加しているっていう、そういうメッセージがまずありますと。
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うーん、まあそうですよね。そう思ったらね。そう思ったら、でもそれは指摘表現とかね、アイちゃんは詩人だねっていう話じゃなくて、もう漏れなくそうなんですよね。本当に、本当に。
そう、そしてその聖なるね、信仰、その命のね、信仰、命への絶対的なイエスっていうものの中に、このね、処女、聖母ですよね。イエスキリスト、マリアさんはね、処女でね、イエスを見こもったという、処女であること。
で、その処女であるっていう、この処女っていうのは、まあその自然、自然そのもの、堕落していない自然の象徴であると。だから、その自然への信仰、命への信仰の象徴であるものが、この処女なんですよね。バージン、乙女なんですよね。
で、この乙女、そうなんですよね。だからやっぱり私たちってこう生きていくとね、生きているとさ、いろんなことがあったりさ、いろんな情報、いろんな他人の声があったりとかして、で、その命の本質とかいうものとか、その命を信じる、信じたいっていうね、思う心とかをだんだんこう忘れたり失っていったりするんですけど、
この乙女たるものはね、やっぱりさ、神様のね、イエスキリスト神様を受胎する、処女でありながら受胎するっていうね、そういうね、お役目というかね、そのシンボルであるので、そういうね、何かにね、怪我されることなく、
堕落することなく、その自然への絶対的な命への絶対的なイエスっていうものを信じる、信じるっていうか、信じる信じないなく、もうそのものなんですよね。それがこのね、乙女、乙女さんなんです。
そして、その乙女が、このライオンをね、顎を抑えてる力、フォース、フォースでもってね、ライオンに勝利しているっていうのは、じゃあ一体どういうことなのかっていうと、
これ本当に、前もこれで、このカード出たときに話したんですけど、まあこう、ラクラクとね、力で対峙したら、力で向き合ったら絶対ライオンの方が強いわけなんですよね。量とか数字とか、本当にその力、何だろうな、力技みたいなもので、向き合うとライオンの方が強い。
でもこの乙女はそうじゃなくて、そういう強さではなくて、質、質、クオリティ、クオリティとね、クオリティとクォンティティっていう単語が出てたんですけど、だから全く違う次元のレベルで、全く違うレベルじゃなくて、力、抑えつけるものではなくて、抑えつけたりねじ伏せたりするという力ではなくて、
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本当に努力なしで、自然のね、流れに任せて、ライオンをね、勝利している。その勝利が何かっていうと、何だろう、全くその、努力するとか、何とかしてやろうとか、そういうものじゃないんですよね。
努力なしのね、力、その完璧にこの神羅万象と和している、完璧にその神羅万象、後ろに自然が描かれてますけど、このライオンが孤児する、百獣の王、ライオンが百獣の王であると言われるのはやっぱり強いからですよね。
全部ね、どんな動物でもガブッとね、ガッと追っかけて、ガブッとね、首根を噛んでね、ねじ伏せてしまう、餌食にしてしまうっていう、そういう強さがある。でもこの乙女の強さは、その強さではなくて、より高い次元の力によって、このライオンをね、征服する。
それが何なのかって言うと、やっぱりその自然、命への絶対的なイエスなんですよね。
で、その力の正体が何かって言うと、自然と調和するっていうことでもあるし、この乙女がこのライオンに何か命令しているとかね、脅しているとかね、ねじ伏せているとか、そういうことではなくて、
この乙女がライオンに生じた時に、このライオンの中の諸女性がね、目覚めるんですよね。ライオンの中の諸女性が目覚める。
で、ライオンの中の諸女性が目覚めるっていうのは、ライオンの中の命への絶対的なイエスっていうものが、自然への信仰っていうものが目覚めるっていうことらしいんですよね。
そうらしいんですよね。ライオンの中の諸女性が目覚める。
なので、ライオンは牙を剥けば乙女を噛み殺すこともできるんだけれども、そうではなくて、自らね、この乙女にね、この牙と顎、舌を預けて、もう屈服しているっていうことなんですよね。
で、この乙女は、そのすべての命のね、誕生、生産、出産のね、この象徴なので、そういう自然に対する宗教の力、堕落していない自然への屈服、そこに身を任せるっていうね、それが自分の一部であるっていう風に、
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そう、だから牙を剥く必要がないっていうことなんですよね。それを目覚めさせるっていうのが乙女の力、フォースなんですよね。
そうなのね、それが自分を信じるっていうことなのかと、まあいろいろ独り言を自分と対話しながら喋ってるんですけど、そして聖なるね、地球のオラクルがこのプロダクティビティ、生産性とかね、生殖とかそういう意味もありますけど、まさに命を生み出していく、生産していくっていうカードですよね。
これまあすごい綺麗でね、お母さんとね、子供さんですかね、親子がね、親子の生命の輪廻というか、これがまたフラワーオブライフじゃないけど、マンダラのようにね、卵子のようにも見えるし、卵のようにも見えるし、植物が生い茂っていて、ずっと命の連鎖を表しているこのプロダクティビティのカードでございます。
これ何を言ってるかと言いますと、プロダクティビティ、初めて出たね、このプロダクティビティ、生産性。
これも同じことを言っているんですよね。聖なるね、聖なる母、聖なる母っていうのは、全ての命、全てのハート、全てのハートの中に宿っていると。
それが私たち一人一人であろうと、山であろうと、川であろうと、海であろうと、木々であろうと、葉っぱであろうと、ミミズであろうと、ネズミであろうと、鳥さんであろうと、全ての命の中にこの聖なる母っていうものが存在している。
その英知っていうのは、私たちを導いてくれる命の英知であるっていうことなんですよね。そういう生産性、生産し続けている私たち全ての命は。
このプロダクティビティが語る小話がですね、太陽の光について語っているんですよね。
このお花が太陽にも見えるんですけど、お花もだから太陽の光を受けて光合成して、花開いて生きていきますよね。私たちもそうだし、太陽の光。
太陽の光っていうのは命の源であると。その太陽の光っていうのは、30万種類以上の植物っていうのがその太陽の光を成長、自らの成長っていうものに変換していると。
その太陽の光っていうのは目に見えないしね、捕まえられないけれども、それをしっかりと私たち地上の生き物は受け取って、それを形にして、お花がわかりやすいけど、
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それを光を形にして、形に変えて命を開花させていくっていう、それ自体が祝福、その辺を光を命に変えて形に変えて開花していくっていう、その過程自体が神様の祝福、光の祝福そのものであると。
で、その太陽っていうのはその聖なる子の母、聖なる母そのもの、その人であって、それはすべての命の中にあるっていうね。
で、その光で照らしていけば、どんな出来事も、人生にどんな出来事があったとしても、生産、それは生産になる、命の糧になるっていうふうに言っています。
だからね、お花咲いたっていうね、喜ぶっていうね、そういうフェーズもあれば、なんかね、ちょっと上手くいかなかった、上手くこっちに枝、こっちに行きたかったのに、なんかちょっとこっちに行っちゃったよみたいなね。私たちの人生でもそういうのありますよね。虫に食べられちゃったよとかね。
でも、その太陽の光で照らしていけば、それはこっちに行ったのはだからだったのかみたいなね。こっちに行ったからこそ、なんかね、綺麗な蝶々さんに会えたよとかね。なんかね、いろいろあると思うんですよね。照らしてみれば。
だからその太陽の光で照らしてみれば、同じ出来事も、その生産につながっているっていうのがね、わかってくるというカードでした。
同じこと言ってるね。はい、というわけで、気化学のカードが、これもトランジションですね。ちょっと意味深なカードですよね。トランジションっていうのは、変容とかね、移行。ある地点からA地点からB地点への移行っていうことなんですけど。
すべて変化していくっていうのがね、自然の法則。私たちの命っていうのは、一瞬たりとも固定されてなくて、すべて変化していく。それはもう宇宙の法則で、抗えないものなんですよね。どんなにここにいたいって言っても、ここにいたいって叫んだ瞬間瞬間、どんどん変容していっている。
例えば、老いるっていうことは嫌だなって思うかもしれないけれども、それも全部命の自然な流れなんですよね。誰もそれに逆らうことはできないし、だからこそ手放してサレンダーを屈服する。身を委ねるプロセスにね、命の大きな流れに身を任せるっていうことを、私たちはその過程で学んでいく。
だからやっぱりね、その移行変化するっていうのは、例えば職場変わるとかね、人間関係変わるとか、何か出来事があってそのライフスタイルが変わるっていうことも、ものすごくね、古い秩序から新しい秩序に行くっていうのは、すごいチャレンジングでもあるし、ドキドキするし、大丈夫かなとか不安もあるし、快適なことではないし、簡単なことではないと思うんですよね。
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でも、そしてその最たる移行変容っていうのが、死ですよね。私たちは誰一人取り残さず死に向かっているわけですけども、やっぱりそれってね、自分ではね、なかなか練習もできないし、体験できないこと、最大限に未知なこと、生きている間に死は体験できないので、死ぬ時にしか死ねないから。
だから、最もね、大きなね、そして最も恐ろしいトランジションっていうのが、死であると。誰にでも平等に訪れる。そこに向かっているわけなんですよね。でもそれすらも大きな命の宇宙の流れなんですよね。
だからこのトランジションのこのね、これもまあタコの足のようにも見えますけど、これヘビさんなんですよね。ヘビの象徴。ヘビのシンボルっていう、ヘビっていうのは死と再生のシンボル、脱皮して新しく生まれ変わるということで、死と再生のシンボルとしていろんな宗教とかね、カルチャーで信じられていますけれども。
で、そのように私たちもまあこの人生の中でいろいろね、死と再生変化をね、繰り返しているし、そしてこの人生が終わったっていうね、大きな大きなね、脱皮をした時もまたそこで終わりではなくて、その大いなる命の流れに身を任せると、そこで終わりでは決してなくて、やっぱり次の命にね、変換していくっていうね、中にね、いるわけなんですよね。
それをまあ信じられるか信じられないかということで、もう死んだら終わりっていう世界の中に生きるのか、それとも大きな命の流れに私たちは参加している、生産し続けているんだ、生き続けているんだっていうことを信じるか、どっちの世界で生きるのかっていうのは私たちのね、選択ですよね。
好きに選んだらいいんやけどさ、でもやっぱりね、本当のところはね、そうじゃないですか、本当のところはそうだし、本当のところを信じた方がやっぱりね、楽にね、生きられるんじゃないかなというふうに思うんですよね。
そしてカラー、カードはパール。綺麗ね、これね。これさ、私いつも卵みたい、たまごちゃんみたいって思うんですけど、まあこのね、たまごちゃんつぶつぶね。
で、これはコネクティ、コネクト、コネクトチューディバインということで、まあディバインマザー、すべての命の中にね、ディバインマザーがね、聖なる母ちゃんがね、生きてるっていう言葉も出てきましたけど、だから本当にその聖なる存在とつながる、大いなる命の流れとつながるっていうことがこのパールで言われています。
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そうなのよ。
そう、だからそことつながっていたら、そことつながっていたら一番大きなね、変容変化、そしてね、変容変化である一番大きな、一番怖い変化の意向であるその死っていうものさえも、もう命のね、大きな流れに参加しているんだっていうことがね、ディバインにね、つながっていればそれがわかるし、
それがわかれば、何だろうな、恐ろしくなくなるっていうかね、それがわかればこのね、獣とね、戦わなくて済むっていう、これはまあ自分の中に内なるね、自分のね、獣性であったりもするんですよね。
獣性って大事なんやけどね、やっぱ大事なものをね、守るとか立ち向かうべき時っていうのはね、必ず人生の中ではあるので、でもそれをなんか自分に、自分に対して牙を向かないっていうかね、それと戦おうとしないっていうか、やっぱりこの少女、その聖なる母、聖なる母、自分の中の聖なる母のね、声が何をね、
伝えようとしてくれているか、この少女のさ、少女さんの頭の上にこのインフィニティのね、マークが輝いてますけれども、これは本当にだからその永遠のね、永遠につすがなく流れ続けていくね、この命の流れですよね。
私たちの命もそうだし、全ての命はね、そのようにね、大きなね、一つのね、命の流れとなっていると、そこに身を任せるっていうこと、それを信じるっていうことですよね。
まあ、そうだな、とは言ってもってね、なるんですけど、でもそれしかないっていうね、それを、それを信じ続けていくしかない、なんかつぶやきになっちゃったけど、はい、そんなね、自分を信じるっていうことでした。
うーん、そうね、だからさ、信じたいとかね、信じたいとかね、信じられないとか、どうやったら信じたらいいのっていうね、まあそういう心の叫びってね、人間だからあると思うんですけど、まあ私が信じようが信じまいが、私の体とか私の細胞はもう知っていて、ああ、また言ってるわみたいなね、そういう感じなんだろうなって思いました。
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信じたいとか、なんで信じられないのとか、どうなるの、これからみたいなね、どうなのっていう、いろいろね、まあ人間だから叫ぶ、そのね、叫べる、叫べるっていうのはまあね、なんだろうな、まあ人間のね、醍醐味だと思うし、それがまた味わい深いし、愛しいし、面白い、面白かわいいなあってね、思える自分がね、いればそれでね、大丈夫なんじゃないかなと。
答えになっているのかわかんないけど、そう、信じようが信じ、自分が信じようが、ちっちゃい自分が信じようが信じまいが、もうね、私たちの存在自体が命へのね、絶対的なイエスそのもの、イエスのね、その絶対的なイエスの継承され続けてきた、宇宙の最初から継承され続けてきた、イエス、イエス、イエス、イエスって継承され続けてきた、
その最先端でね、こうやって蠢いて地球上に蠢いている私がね、そのイエスそのものなので、まあ信じようが信じまいが、そうなんだよっていうね、ことなのかなあと思いました。
はい、伝わったかしら、はい、というわけで、何かしらのね、皆さんのね、お助けになればいいなあというふうに思います。
はい、というわけでね、今日のカードこれ、ストレングスフォースでした。皆さん、あなたもイエス、イエスです。あなたも命の絶対的なイエスです。
というわけでね、2月も始まりましたけど、今日も今月もね、素敵な1ヶ月をお過ごしください。じゃあね、バイバイ。