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心の愛なる皆様、アロハです。Aiです。今日は2月の7日火曜日となっておりますが、皆さん、バレンタインまであと1週間ですけど、チョコレートの準備はよろしいでしょうか?
私、今日ホットチョコレート飲んだけどね。まあ、それはいいんですけど、今日はちょっとね、コンパクトにお届けしようかなと思うんですけど、
なんかね、今日は学びについてちょっと聞いてみようかなと思っております。ていうか、もう聞いたんですけどね、カートさんに。
ていうのは、なんかね、私なんかこうお仕事したり、遊んだり、学んだりしていて、何かしらね、Aiちゃんなんかいつも忙しそうだねって言われるんですけど、
いや、なんかこうお仕事忙しそうだねってよく言われるんですけど、なんか仕事してんのかな?私みたいなね。
なんかほとんど仕事してないような気がしていて、で、何してるかというと、まあ学びであり遊びやってるなっていうふうに思うんですよね。
その学びって何かっていうと、まあ新しくチャレンジするお仕事もそうだし、その新しくチャレンジしたいことに対して、
なんかこうね、自分の足りなかった知識とかエッチとか愛っていうものを高めていくっていうようなことをいつもしているなーって言って、
それがまあなんか境界線なくね、働くとか仕事みたいなことと境界線があんまりないんですよね。
混じり合ってるっていうか、だからなんかAiちゃん仕事忙しそうだねって言われるんですけど、そうでもないけどみたいな感じでいつもね。
戸惑っちゃうんですけど。で、なんでこうね、私はというか、私たちは学び続けるのかとか、
その学びっていうことの本質というか、真の意味っていうのは何なのかなっていうふうにちょっと今日は聞いてみたいと思いました。
そしてね、まあ私いろいろ今学んでいるんですけど、このタロットカードとかね、オラクルカードとか、
それをコーチングに生かすっていうのも、まあ今実際お仕事でやっているっていうのもそうだけど、やっぱりね、
それって永遠に完成形はなくて、本当にその人その人との一期一会のコミュニケーションであるし、
まあ永遠に学び続けていくものだったりとかもすると思うんですよね。
だから本当になんかゴールはないなーって果てしなく自分を高めていく作業だなーっていうふうに思ってるんですけど、
でもって新しくね、今日ちょっとあることにチャレンジ、カードリーディングとかね、コーチングに関して、
今日ちょっとチャレンジしてみようって思ったことに、ちょっとチャレンジしてみたんですけど、
全くうまくいかなくて、これはどうしたもんかみたいなね。
始める前はすっごいワクワクしてたんですけど、なんかこう、いやー至りませんでしたみたいな感じでね。
まあでしたっていうか、至りませんですっていう感じで、じゃあちょっと次どうしていこうかなっていうふうに考えているところなんですよね。
でも私たちはそういうふうにね、なんか失敗とかがっかりとかね、また頑張ってこうね、横羅書してワクワクを繰り返していくっていうことなんですけど、
まあ誰もがね、何かしらの学びの途中であると思うんですよね。
その本当の意味っていうのを、ちょっと前置き長くなっちゃったけど聞いてみました。
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ということで、タロットさんはこちらのマジシャン、マジシャンです。
はい、バラの花が美しく、あ、よりも咲いてる、よりも咲いてる。
はい、というわけでね、これタロットカードのね、愚か者の次はこのマジシャンということでね、
インフィニティを冠にしてですね、このワンドをですね、高々と掲げて、ペンタグル、カップ、ゾードね、ワンドね。
もう全部の材料が揃ってますと、すべてのエレメントが揃ってます。
私ここからね、何でも生み出しちゃいますよっていうね、そういう本当に魔術師さんのね、
ショーが今から始まるっていう、こういうカードなんですよね。
これが学びの、学びって何ですかって、私たちはなぜ学ぶのですかっていうところで出てきたっていうのが、
うーん、なんだろうな、なんかすごい救いになったというか、
そうですよねっていうふうに直感的に思いましたね。
なんで学ぶのかっていうと、なんで学び続けたいのかっていうと、
なんだろうな、楽しいからなんですよね、単純に言うと。
なんか子供の頃とかさ、学生の時って皆さん勉強好きでした?
私は結構ガリベンだったしね、何よりも臆病者だったんで、社会から振り落とされるっていうのは怖くて、
それで一生懸命ね、好きでもないけどさ、勉強してたところもあるんですよね。
そういうなんか強制されてとか、その恐怖による勉強とかではなくて、
やっぱ大人になってから学ぶことって、なんだろうな、本当にやりたいことじゃないとね、
本当に楽しいことじゃないと学ばないじゃないですか。
たださ、忙しいのにさ、嫌なことはやってらんないでしょ。
追い先短いしってわけじゃないけど、やってらんないじゃないですか。
だから本当に魂の喜び、ジャブジャブ疲れるものしか学びたくないっていうね、
ちょっとわがままになってるわけなんですよね、大人になると余計に。
じゃあなんでその学びっていうものと自分の魂の喜びっていうのはつながっていて、
なんで魂が喜ぶかっていうと、自分が持ってるそのエレメントというかね、
自分が持ってるそのポテンシャル、この魔術師さんもさ、すべての道具が揃っていて、
すべてのエレメントとね、こうやって天とね、天の意志とつながりね、
大地に足をしっかりとつけて、天、地、人、天地人って言いたいだけなんですけど、
天と地の間でね、それを成していくっていうね、地球のエレメントと天の意志をアルケミー、アルケミー、錬金してね、
すべてを成していくっていうね、出現させていくっていうね、それが魔術師さんなんですけど、
私たちも、なんの話だっけ、なんで魂が喜ぶことを学びたいのかっていうと、
魂の喜びっていうのは自分のポテンシャルっていうものとつながってるんですよね。
最近よく話すんですけど、興味のあるものって人それぞれ違うじゃないですか。
なんか本屋さん行ってもね、私がこれ好きだなって思う本と、誰かがこれ好きだなって思う本と全然違うと思うし、
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映画一つ選ぶにしても、私が好きだなって思う映画と、誰かが好きだなって思う映画全然違うんですよね。
それって何かっていうと、私の感性が震えるとか、私の能力まだ眠っているかもしれない、
ちょっとパカッとちょっとだけ開いているかもしれない、そういう能力とか才能っていうものがそれによって共鳴して震えて、
そのポテンシャルとか才能っていうものがその共鳴によってだんだん開かれていく。
それはアート的な感性かもしれないし、コピーライターもあれかもしれないし、
他の人からしたらスポーツ、ダンスやりたいとか音楽やりたいとかそういうものかもしれない。
自分に共鳴するものっていうのを自分の細胞の一つ一つは知っていて、それは本当に人それぞれ違うんですよね。
例えば私なんかだとスポーツとか運動とか全然興味ない。興味ないですよね。
いや、わからないですよ。もしかしてこれから開けるかもしれないけど、今のところは興味なくて、
自分がそれをこれから開花していきたいともそんなには思っていない。
ダンスはちょっと興味あるけど、スポーツね。
例えばバスケットボールの才能とか全然ないわけですよ。もう全然。本当にない。
それなのに全然自分の中にそのポテンシャルがないのに、
バスケットボール最高って言ってそこに惹かれるとか興味あるとかね。
その本を手に取るっていうことはあんまりないわけなんですよね。
ちゃんと私たちは自分のポテンシャルとか自分の中に持っている才能とか、
DNAに大体のものは遺伝子で親からもらっていて、
プラスその環境とか自分の持って生まれた魂が掛け算されて、
この命使って何していくかっていうのが決まってくるわけなんですけど、
だいたいそんな自分の遺伝子以外の突拍子もないことっていうのはそんなにはしないわけなんですよね。
なぜならもう刻み込まれているっていうか、魂の筋書きも自分で持ってきているし、
持っている能力っていうのも親とかご先祖様からしっかり貰ったものがあるわけで、
なので全く自分の中にないものには興味が引かれないわけなんですよね。
そうしないとやっぱり天と地の間にいられる我々の寿命っていうのは限られているわけで、
その中でいかに自分の命才能を開いていくかっていうことを無駄なくやっていくために、
私たちの直感っていうのはもう知っているわけなんですよね。
だから私は中学校の頃とか中二の頃とかファンタジーの世界に惹かれたりとか、
言葉の世界に惹かれたりとか、オタクなね、何かそういう世界を物語を描くみたいなことを熱中したりとかね、
そういう何か私の才能と私のポテンシャルと関連することに興味がある、
それを学びたいっていう風に私の本能がそれを知っているっていうね、
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そういうことなんだなって思うんですよね。
知っているんですよね。だからお互いに呼び合っている。
だってそうじゃないと本当にあらゆる可能性っていうものが、別に本屋さんじゃなくても映画館じゃなくても、
本当にこの瞬間瞬間にいろんなものがたくさんのポテンシャルっていうものの中に私たちが囲まれていて、
その全部に意識を向けちゃうと、全部に意識を向けるっていうのは不可能なわけなんですよね。
だから本当に自分の人生に自分の才能に自分の目的こういう風にいきたいとか、
こういう風に才能を開花させていきたいっていう目的に合わせて、私たちはそこにフォーカスする。
フォーカスしてそれを取り込んで、こういう風にね、じゃあこれ作る。
これとこれとこれを混ぜ合わせて錬金させて、こういうマフを起こしていこうっていう風に思うわけなんですよね。
だから何でも全部揃っているし、何でもすべてのポテンシャルがここにあるんだけれども、
それは本当に何でもいいというわけじゃなくて、自分自身の持っている才能、魂の筋書き、
そして天から与えられた使命みたいなものを作り出していくっていうミッションが一人一人に与えられていて、
そのために宣言しているわけですよね、私たち。
私はそれをやりますという風に神様からもらった体、命、魂、この才能で私はそれをやっていきますという宣言なわけなんですよね。
これまだ魔術を起こす前の状態なんですよね。
まだ何も出現していない。
まだ何も出現していないんだけど、これからすべてが出現し得るっていうその段階なんですよね。
だからまさに学びの段階であるなというふうに思いました。
ちょっと考えちゃった。
というマジシャンのカードが出ました。
いいよね。
いいよね。
そしてコンテクスト、アースの地球のオラクロさん、コンテクストというカードでした。
これも綺麗ですよね。
また色がよく似ているグリーンと赤でね。
これコンテクストって何かというと、コンテクストって文脈とかいろんなそういう意味があるんですけど、
パズルの絵とかもそうですよね。
一つのピースだけを見て、それでこれはこういう意味だとか、一つのピースだけ見ても全く意味がないというか、
その一つのピースの中にある美しさというのもあるかもしれないけど、
パズルの一辺だけでその世界というものを解釈しないでね。
私たちはその全体、マンダラみたいに全体性というものを生きていて、
一つの命、一つの魂、一つの物語を生きている。
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本当に永遠のモーメントを生きている。
それをたった一つのピースだけで判断しないでね。
学びに関しても、これが何百分たつんだろうとか、これ私何してるんだろうとかね、
いったいどういう点が次の点と重なるんだろうとか、思っちゃう瞬間とかもふと立ち止まるとあると思うんですけど、
私たちはそういうふうに日々変容して、常に物語は終わらないというか、
さっきもゴールはないって言ったけど、本当に終わらない物語を日々生きているなと。
本当に新しい始まりと冒険というものにいつも満ちている。
だから人生を勝手にカテゴリー、カテゴライズしないで、
何々でした、終わりっていうふうに言わないで、
常にね、こうやって赤い実がなってますけども、
常に脱皮してね、蝶々になってね、新しい場所に飛んでいくっていうね。
だから人生を勝手に一つの解釈だけで完結させないで、
常に成長している、変容しているというカードです。
そしてこの少女の赤い髪がすごい印象的なんですけど、
赤っていうのは、これ小話なんですけど、赤っていうのは最も長い波長なんですって。
だから深海に行くと赤い魚っていうのは見えなくなっちゃう。
だって、どういうこと?
まあ、ちょっとよくわかんない。ごめん、それはよくわかんないですけど。
赤ってね、わかった、思い出した。赤ってすごい目立つじゃないですか。
赤い髪もすごい目立つし、赤ってお洋服とかでもパッと目が行くっていうか、
やっぱり情熱の赤だったりね、パッションだったり、愛だったり、赤いバラ、愛の象徴だったりとか、
すごい目立つ。毒キノコとかイチゴとかも赤い。
目立つっていう印象あるんですけど、
でも実は深海に行くとその赤っていう波長は届かない、目に見えなくなっちゃうんですよね。
だから地上にいるときの赤と深海にいるときの赤っていうのは全く意味が違ってくる。
そのようなことが本当に私たちの中で起きている。
赤っていうのも情熱とか愛っていうこともあれば、
攻撃性とかアグレッシブとか怒りみたいな意味もあったりして、
一言に赤って言っても本当にいろんな意味が絡んでいる。
それをどういうふうに読み取るかキャッチするか、
それでどういう物語を描くかっていうのは、
本当そのコンテキスト次第ですよっていうもののカードさんでした。
だから学びもね、学びでつなげると、
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どうなんだろうね、本当点と点ですよね。
その点がどういうふうにね、
学んでいる最中ってそれが何につながるのかわからずにね、
ただ楽しいとかただ面白いとかね、
ただ心が喜ぶということでやってたりするんですけど、
それが沸き上がるっていうのは、
沸き上がってね、このマジシャンの人みたいに、
マジシャンみたいに、
瞑想状態みたいな状態までに集中するっていうのは、
やっぱりね、それが本当に一点だけで終わっちゃったら、
そこまでの集中とかそこまでのパッションってないと思うんですよね。
だから必ずそれは何かにつながる。
それが何につながるかっていうのは、
次の点が現れるまでわからないかもしれないけれども、
必ずね、物語が始まっていく。
何かがね、マジシャンのようにね、
何かが生成されていく。
そういうことなんじゃないかなと。
はい、そして気科学のカード。
これはディスク…
これ何て言うの?
ディッサー…メント…
ちょっと下手くそな発音ですみません。
ディッサー…ディッサーメントであっているのかな。
識別?識別するとか、
確認するとかそういう意味なのかな。
で、これね、3つの円が重なって1つの光を囲んでおりますけど、
私たちって本当ね、多様性とか最近よく言いますけど、
多次元を生きているわけなんですよね。
みんな違ってみんな良いみたいなものにも言いますけど、
やっぱり新しい視点で、
その多次元を生きるためには、
新しい視点で極性というか、
二元性…二元じゃなくて一元だよ、
みたいなことも言うんだけども、
その一元というものを知るためにも、
やっぱりその識別、
愛と愛をもって認識する、
愛という分別、愛という名の分別をもって、
その際みたいなね、
右と左とか男と女というものを、
ちゃんとしっかり認知して、
それをバランス調和させていくっていう、
きっちり平等にするとかいうことではなくて、
調和させていくということが必要ですよ、
というカードですね、識別というカードです。
そうね、だから学びも偏って、
自分の感覚だけで言うと、
ちょっと偏っちゃったりもして、
Google検索とかもそこですよね、
自分の好きに検索していると、
自分の好きな情報ばっかり集まってくるとか、
いうこともそうなので、
自分と違う意見の人とも、
ちゃんとコミュニケーションしていくとか、
なんかそういう意見をね、
イラッとしたりもやったりするけど、
ちゃんと取り入れていくとか、
受け入れていくっていうのも、
やっぱり学びの一つの側面、
魔法をね、美しい魔法を起こすための、
一つの鍵だなというふうに思います。
そしてカラーのカードがグリーンですね。
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REVITALIZE YOUR NERVOUS SYSTEM
ということで、神経系ね。
説明書読まないけどさ、
私たちが学びに目を置くときに、
神経というものがどういうふうにね、
働いているのか、
きっとめちゃくちゃ喜んでいると思うんですよね。
私たちの神経って脳細胞とか、
アハモーメントとかさ、
エオレカっていうんですか、
すごい新しいことを発見したときってね、
やったー!みたいな感じでね、
脳細胞がスパークしたりするんですよね。
やっぱりその真実とか、
真実みたいなものに触れたときって、
本当にそのあまりの美しさにね、
知ったときに、
涙が溢れたりしたりするわけなんですよね。
本当その繰り返しというか、
それがね、なんかこう真珠のようにね、
真珠のネックレスのように一つ一つ繋がって、
さっきの点と点の話じゃないけど、
一つ一つ繋がって、
何かしらのね、
線になっていく。
でその線がさ、立体になっていく。
でその立体がね、
他の立体と繋がって、
何かね、私たちの魔術、
私のマジックっていうものが、
誰かのマジックと、
どんどんね、じゅずつなぎになっていく。
マンダラのね、
マンダラ世界を描いていく。
そのためにやっぱりね、
自分自身を磨いていく、
高めていくっていうことが必要で、
やっぱりね、より美しくね、
よりね、スパークリングな、
スパークリングっていうのかな、
より美しくね、
よりね、きらめくね、
マジックを起こしていくためにも、
学びっていうのがね、
一応なのかな、
というふうに感じました。
というわけでちょっとね、
駆け抜けてまいりましたが、
今日のね、問いは、
学びとは何ですかという問いでした。
マジシャンさん、
どうもタロットさんありがとうございました。
天使さんを入れるのを忘れていたが、
というわけで、
今日もありがとうございました。
またね。バイバイ。