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心の愛のある皆様、アロハです。愛です。今日は12月12日、一流万売日なのか、今日は。
12月12日ね、うちの亡くなったお兄ちゃんの誕生日ですね。お兄ちゃん、いくつ?えっと、47生きてたら、もう結構おっさん、おっさんですね。おめでとうございます。
ということで、天国のね、お兄ちゃんのお誕生日をお祝いしつつですね、今日もちょっと太郎とのね、読み解きおしゃべりをしたいなというふうに思います。
で、今日はね、何聞いたかというと、私なんか昨日ですね、急になんかね、すごい元気なくなっちゃって。
で、なんかイライラするなとか、なんかこう疲れてるな、異様に眠いなって思ったら、なんか微熱がね、そんな大したことなかったんですけど、なんか熱が出てきちゃって。
ちょっとね、しょんぼりしてたんですよね、体的に。で、なんなのかなって思った時に、なんかちょっととあるね、少し前に、
久しぶりに会ったある方に言われた一言がですね、全然あれなんですよ、なんかこう悪意ではなくて、悪意も善意もさ、本当ね、優しい善意の言葉に見えて、
でも私はそれに対して瞬間的にこう違和感を感じたんですよね。でもまあね、そこで、まあその状況っていうものもあったし、あ、そうですね、ということで一応受け止めたんですけど、やっぱりそこで感じた違和感っていうものを後から紐解いてみると、
なんかこれは一体何が起こっているんだろうって、なんで私はそういうふうに違和感を感じているんだろうって、その違和感を解きほぐしてみると、やっぱり怒りだったりとか、不条理なことに対する悲しみとか怒りだったりしたんですよね。
で、まあね、詳しいことは省きますけど、決して別に敵対している人ではなくて、むしろ本当に私にとってすごくね、大事な人であるし、お世話になった人でもあって、でもやっぱりだからこそ、なんかこうね、なんだろうな、分かってもらいたいっていう期待っていうかね、
でも分からないのであれば、分からないことを前提として尊重してほしかったみたいなね、まあ何のこと言ってるんやっていうね、あいちゃんねっていう、気になる方は直接聞いてください、私にという感じなんですけど、まあとにかくさ、私たちって本当に一生懸命生きてるじゃないですか、一人一人ね、
それはどういうふうに一生懸命生きてるのかって、なんでそれをね、そういう選択をするのかとかって、本当にもうその人にしか分からないってことってあると思うんですよね。だから他の人に対してどういうふうに見えたとしても、すっごいハッピーに見えたとしても、実はものすごいそこに苦しみが見えない苦しみがあったりとか、逆にものすごい痛みに見えたとしても、それがものすごいその学びであり人生のね、恵みだったりとかするわけなんですよね。
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だからそれは本当にそれを体験している一人一人にしかね、分かんなくて、むしろその体験している本人ですらその時はね、分かんなかったりとかするんですよね。説明がつかなかったりするんですよね。
でも私たちって往々にして、なんかちょっとおせっかいっていうかね、でもっておせっかいであり、自分自身の同じような体験っていうのがね、人類共通のさ、人間共通の悲しみとか喜びっていうもののね、フレームみたいなものがあるわけなんですよね。
別れは、彼氏と別れるのは悲しいとかさ、なんかこういうことがあったらおめでたいとかさ、なんとなくそういう共通の認識みたいなのがあって、それでどうしても他人に起きたことに対してその自分のものさしでこう当てはめて、それはどうなんだとか、これはああなんだみたいな感じで、こう
なんていうのかな、良かれと思ってアドバイスしちゃったりとか、ジャッジしちゃったりとか無意識にしちゃってると思うんですよね。私に起きたこともそういうことだったんですけど、すごいそれに対して私はすごい違和感を感じたんですよね。
でもってそれと同時に、やっぱり私自身も本当に誰かに対して、特に大事な人に対して、そういう自分のフレームだけで見て、良かれと思って言ったことっていうのが、その人のなんていうのかな、一生懸命生きていることに対してなんか呪いをかけていたりしないだろうかっていうふうに、自分自身でもすごい振り返ったんですよね。
みんながそれを無意識のうちにやってるなぁと思っていて、そんなことを色々考えてたら微熱出ちゃったみたいなね、寝たら治ったんですけど、ホットチョコレート作って寝たら治ったんですけど、そういうことが起きたので、それに対してこの違和感っていうものは私に何を教えてくれようとしているんですかっていうことを、今日はタロットさんに聞いてみました。
ということで、出たカードはこちらの、ストレングスちゃんでございます。はい、このね、獅子を稲す、はい、この乙女のカード、ちょっとライトが光ってるけど、乙女のカードですよね。このストレングスのカード、私もすごい好きなんですけど、これね、ストレングスっていうふうにこのウェイト版では書いてますが、マルセイユ版の方では、フォース、フォースって言うんですけど、
フォースっていうふうに、パワーとフォースっていう本もありますけど、フォースという、まあ日本語で言えば力ですよね。はい、で、まあ力、そう、力っていうとさ、なんていうか、まあ男性性とかね、マスキュリンな感じで相手を打ちまかすみたいな、そういうイメージね、パッと一瞬あると思うんですけど、タロットちゃんのこの力、フォースは、女性がね、この少女さん、裏脇、若き乙女がですね、このね、あの、でっかい、あの、
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なんかこう、肉食獣をですね、肉食獣の王である、百獣の王であるライオンさんのね、口をこうやってグッと抑えて、まあグッとっていうか、グッと抑える風でもない、見てくださいよ、この子の、瞑想的なこの優しい表情。で、このライオンさんもね、この尻尾、見てこれ、尻尾めっちゃ打たれてるでしょ。
だからこう、なんか抑えつけるっていうよりは、本当にこう、なんていうのかな、手名付けてるっていう感じ、信頼関係の中でこのような状態になっているっていう、そういう感じなんですよね。
で、この力の感動、何かっていうと、まあこれもタロットの章をね、読み解いてみたんですけれども、このまあ、この少女さんとライオンさんで言ったら、まあ、力的に言うと物質的なその力で言うと、圧倒的にあのライオンさんの方がね、身体的にはね、強いわけなんですよね、明らかにね。
なんだけれども、そういうね、物質的には、力の量に関しては、ライオンさんの方が圧倒的に優位なんですけれども、その力の量ではなくて、力の質っていうものは、この少女さんの方がレベルが上なんですよね。レベルっていうか、まあ段階がね、上なんですよね。
だから、飼いならされているっていうね。だから、そのライオンが持つ力っていうものと、この少女が持つ力っていうのは、違うんですよね。違った力なんですよね。ライオンが持つ力っていうのは、まあ獣、獣のね、力っていうのは、まあ本当に相手を打ちまかすとかね、首根こうガブって噛んで、もうバダッとね、もう命をね、あの、なんていうかな、ねじ伏せちゃうみたいな。
で、この少女さんが持つ力っていうのは、そうではなくてっていう話なんですよね。
で、まあここにね、あのインフィニティのマークがあるんですけど、このインフィニティのマークっていうのは、えっと1のね、タルトの1の魔術師さんの頭の上にもこの同じインフィニティのマークがあるんですよね。
で、その魔術師さんのインフィニティっていうのは何を表すかというと、あの、あれはまあ、魔術師さんのエピソードの時も話したんですけど、集中なき集中っていう、まあ集中って呼ぶことがコンセプト、裏コンセプトなんですよね、魔術師さんの。
あれって本当に、もう今からやりますよとか、もう見せてやりますよ、この俺の魔術をっていうね、そういうエゴとかそういう全てを超えて、で、この道具がこうなって、ああなって、どうするんだっけみたいな、ここでこういうふうに驚かせてやれみたいな、そういう思考とかは、あの、なんていうのかな、エゴを介在しない、本当に、あの、瞑想状態の集中、まあ、なんていうのかな、うんと、まあ本当に瞑想状態のフロー、フローの中にね、流れの中にも大いなる流れの中に自分をね、座布団の中にね、
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座布団の中に自分をね、座布団と飛び込ませて、そこで全てのね、あの命を生み出す魔法が起こるっていうね、集中なき集中というのが魔術師さんの裏テーマ、魔術師さんの頭の上にあるインフィニティ、だからまあ呼吸とかね、瞑想とか、まあ血液の流れとかもそうですよね、私たちの体の中に体を動かしているものってさ、血液がね、右心房と左心房がさ、次、次、俺、次、お前みたいな感じでさ、なんかそうやってやってないじゃないですか、
本当にもう無言のうちにね、あの瞑想、瞑想のようにね、こう吐いて吸うように、本当に無意識にね、あのなんとか呼吸もね、あのなされているし、脈もね、打っているすべての器官がね、もう無限大インフィニティの美しい流れの中でね、なされているわけなんですよね。
で、このえっと、ストレングスさんのカードもそうで、なんかこう努力して、この力、こっちAからBに対する押し出すとか、何か動き、ねじ伏せるみたいな、そういうね、努力して何かをね、こう動かすっていうことではなくて、本当努力、努力なき努力みたいなね、ところ、それこそが力の中の力、フォースの中のフォースっていう、
このカードなんですよね。で、そのフォースの中のフォースっていうものを生み出すのがこの少女さんなんですけど、まあそのこの少女さんの正体、もうまあ後でね、ちょっとお話しするんですけど、この少女さんによって、このね、あの手名付けられているこのライオンさんはですね、何にね、従ってるんでしょうかっていう話なんですよね。
もうあの、さあこの、もう人、熊でも、熊は噛み殺せんのかな、わかんないけど、どんな動物でもね、噛み殺しちゃう、この獰猛な牙を持っているこのライオンさんなんですけど、彼がね、あの従っているのは一体何なんでしょうかと。で、この少女さんはね、ライオンに一体何をしたんでしょうかっていう話なんですよね。
で、まあこのライオンさんは別にこの少女さんにこの睡眠術、催眠術をね、かけられたわけでもないし、なんか無理やりね、ねじ伏せられているわけでもないんですよね。彼は本当に自ら、自らの、自らこの従っている、屈服しているわけなんですよね。
本当彼自身の本性、ネイチャーに従って、自分自身に従って、少女に屈服している。だから獣、獣さんたちが、獣の中の獣ですよね、ライオンってね。この獣が従う、獣が獣の中にあるその神聖、神様、神聖性に従っているっていうことが起こっているのがこのカードなんですよね。
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で、この獣っていうのはまあ何かっていうと、私たちの外にいる何かね、敵みたいなものだとか、相手みたいなものだとか、そういう何か大きな力、教団みたいなものだとか、まあ何かその外側にいる獣っていうことでもあるし、で、と同時に私たちの中にある獣性っていうことでもあると思うんですよね。
それは怒りだったり、恨みだったり、攻撃性だったりとか、いろんな獣が私たちの中に眠っているんですよね。いや、そんなことありません。私は本当にいい人ですみたいな。いやいや、もうこんな瞑想とかいっぱいしてるし、そんな暴力性みたいなものはないんですみたいな。
でも本当にそうですかっていうふうに言いたい、言いたい。言いたいんですよ。なんでかって言ったら、今ね、この食べ物もね、私もさっきご飯食べました、ランチ食べましたけど、食べ物も満たされていて、電気もついてね、お外寒いけど、お家暖かくてね、誰も今のところ私を攻撃しようとしてくる人はいないと。
地震も災害も起こっていないと。でも、いつそれが起こるかっていうのは、本当にわからないわけですよね。この瞬間にでも何かすごい災害が起こるかもしれないし、この瞬間にでも頭のおかしい人が入ってきて、攻撃されるかもしれない。自分が攻撃されるかもしれないし、もしかしたら自分の大事な誰かが攻撃される命を狙われるかもしれない、奪われるかもしれない。
それはもういつでも起こり得ることなんですよね。起こってほしくないけれども、それは本当にわからないんですよね。起こるまでわからない。でもその時に、その時に同じことが言えるかっていう話なんですよね。私は大丈夫です。私は攻撃性なんか何もありません。
自分が本当に極地に置かれた時に、そういう誰かが攻撃してきたっていうことだけじゃなくて、極限の状態に置かれた時に、食べ物も水もないとかね、電気がないとかね、3日間子供がお腹空かせて泣いてるって言った時に、もしかしたら私は人を殺してこの子を守る、守りたいっていうふうに思う。
そういう獣性みたいなものが、愛ゆえに火がついちゃうかもしれない。良き人だからその獣性がないっていうことじゃなくて、良き人だからこそその良きものを守るためにそれが発火するかもしれないっていうことをちゃんと自分でわかっておかないと、
その獣性、自分の獣性が自分自身をガブッと噛んじゃったりとか、誰かをガブッと噛んじゃったりとかするわけなんですよ。死に至らしめてしまうっていうことが起こり得るわけなんですよね。
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だから本当に何かに立ち向かうために、このライオンさんを野放しにするのではなくて、野放しにしてガブガブ、誰から噛まわず噛み殺しちゃうっていうことではなくて、もしくはこんなライオンさんなんていませんって言って、いるのにさ、いませんって言って、そういうふうに野放しになっちゃうっていうことほど恐ろしいことはないわけなんですよね。
日頃からちゃんとそれが自分の中にもある、そして誰かの中にも必ずそれはある、だからこそそれをこの獣ちゃん、ライオンちゃんをしっかりと手名付けておいて、適度にそれをね、何かあったらそれに立ち向かうっていうことは、誰か大事なものを守るっていうのはやっぱりやらなくちゃいけない側面っていうか、その局面っていうものが必ずあるわけなんですよね。
だからそのためにしっかりその自分の中のライオンちゃんを認める。ライオンちゃんいるよねって認める。で、それをどういうふうにね、その力をコントロールしていくかっていうことをしっかり自分の中でね、手綱を引いておかないといけないんですよね。
です。手綱を引くのがマッチョな男性ではなくて、なんで裏若き乙女、少女なのかということなんですけど、なんで少女なんでしょうねっていう話なんですよね。
で、その中でフォースには、フォースっていうものには2つ原則があるんですよっていうことをタロットちゃんのね、章は教えてくれております。で、フォースの一つ目っていうのは蛇の原則。で、もう一つ目はバージンですよね。
で、もう一つ目はバージンですよね。
そう、そこから調和の中から力が融合されて、力が生み出されるっていうね、異なるものが調和すること、融合することによってそこから力が生み出されるっていう。
その蛇の原則と少女の原則っていうものが、2つのフォースがあるっていうことなんですよね。で、この世の中ですね、いろいろ見てみると、個々人もそうだし、いろんな社会的な対立みたいなこととか、今まで歴史で起きていることとか、もう全部その蛇の法則と少女の法則でね、いろんなことが進化したり起こったり、もしくは戦争になっちゃったりとかしているわけなんですよね。
で、まあ意見の衝突っていうかね、ディスカッションとかいうものもすごく大事なんですけれども、その蛇の法則、その摩擦の中から生まれる力っていうのは、やっぱりあの、なんていうのかな、すごく闘争的っていうか、そこから力が生まれるかもしれないんだけれども、それは真実には、真実を明らかにすることはできない。
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だから、その摩擦、違ったものをぶつけ合うことによって、確かにね、その知的エネルギーっていうのはこう生み出されるんですけれども、それによって本当の真実っていうのを明らかにするっていうことは滅多にないんですよっていうことを、このタロットさんはね、教えてくれているんですよね。
じゃあ何がね、真実を明らかにするかっていうと、やっぱりその、処女の法則、処女の力なんですよね。調和すること、融合させていくことによって力を生み出していく、湧き出させていくっていうね、真実が自ら湧き出していくっていうことなんですよね。
だからねじ伏せるのではなくて、調和することによって、その本当の力とか本当の真実っていうのを生み出していくっていうのが、この2つの力が教えてくれることなんですよね。
そうなんですよね。だからまあね、宗教が発達したりとか、それにね、科学が上塗りされたりとか、いろんなね、力とか勢力っていうかね、常識とか価値観みたいなものがね、私たちこの20世紀、21世紀、今まで何千年の過去において、いろんな力が結構しながら今の私たちが生まれているわけなんですけど、
本当の本当の本当の真実っていうのを明らかにするのは、調和と融合、対話の力なんですよっていうね、その意見、まあ異なる意見があってよろしいと、この処女のようなね、存在がいたりとか神聖な存在がいたり、この獣のようなね、存在もいる。
それはもう世界の、世界中にいるし、で、AさんとBさんという中にもいるし、Aさんである私の中にも処女と獣がいるっていうフラクタル構造なんですよね。愛はフラクタルというようにフラクタル構造。
だから自分の中のその処女と獣っていうものの対話であるとか、私が処女であり、誰か獣のような何か存在がいて、そのAとBとの対話でもあり、もしくは別の局面からしたら、私が獣で誰かがね処女であるかもしれない、それはね。
だから常にそれは、喉元ね、かぶっとやっちゃって、噛み殺すのではなくて、噛み殺したら死んじゃったら何も生まれないじゃないですか。息してなかったらさ、もちろん魂になって、魂と対話ってあるけれども、やっぱり生きてね、肉体ね、骨と肉とね、筋肉ね、せっかくこの肉体があって、地球上にいる私たちであるから、やっぱり生きて、生きた者同士として一緒に話す、対話する。
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そこにこのインフィニティのね、命が流れ出していくっていう、それが本当のね、その力、フォース、真実を明らかにするフォースっていうことなんですよね。
だから故に、このフォース、力のカードっていうのは、女性が描かれている。これは女が男がっていう話じゃなくて、まあね、女性性ですよね。男性の中にも女性性はあるし、女性の中にも男性性はあるし、だから自分の中の処女っていうものが力を収めていく。
この処女っていうのは何の象徴かというと、まだ怪我されていない自然というかね、怪我されていない状態の自然、本当に純粋な命の状態なんですよね。
この処女っていうものは何かというと、一言で言えば三味一体らしいんですよね。その3つの原理の調和。精神と身体と心と魂が調和している状態。怪我されずにね、その3つが調和している状態がその処女の状態。
三味一体って何かというと、天と地と母なる大地と、その間にいる私っていうことでもあるし、あとはヘブンとアースと地獄っていう3つの世界の統合の原理でもある。
地球から見ると、体っていうのは完全に精神に服従している。私たちの精神が私の体を動かすっていうふうに、地球から見ると物質的な世界から見るとそういうふうに見える。
その煉獄、地獄から見ると精神っていうのは完全に純潔っていうものに、この処女にね、服従している。その純潔って何かっていうと、天国から見ると魂っていうものは絶対的に神様に属している。
だって魂だからね、神様そのものそのものですよね。神様っていうのはイエスキリストでもあるし、何か日本的なアミニズム的な、仏教的な何かそういう大いなる存在でもあるし、魂っていうものは神様そのものであるし、それに属するものでもあることとしては。
なので、この処女性っていうものはその天にあるものっていうものと、地にあるの、地上のもの、それを天にある魂を受けた肉体っていうもの、それが怪我されることなく、後から植え付けられた価値観に怪我されることなく、純潔とともにしっかりと三味一体を調和しているっていう状態。
それが処女。それが処女であり、その処女が行う力っていうものが最も力強い力、パワーの中のパワーであり、フォースの中のフォースであるっていうね、精神と体と魂を一体にする。
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そしてその一体感、神の神様そのものの神性でもって、この自分の獣性っていうものを手懐ける、コントロールしていく、撫で撫でしていくっていうね。それがこの力なんですよね。
すごいな処女。もともとはね、怪我されない処女性っていうものを私たちは持っていて、どんなにどんなにどんなことがあってもやっぱりこれはね、自分の中に存在するわけなんですよね。それを本当に思い出していくことを教えてくれております。
はい、ストレングスね。そして聖なる地球のロブちゃんはこれ。モデレーション。このハチドリの綺麗なお姉さんでございます。ハチドリが2匹ね。3匹か。3匹いらっしゃいますね。このモデレーションは節制とか中央とかっていうね、意味なんですけど。
バランスという、バランス取ろうよっていうことでもあるんですけど、このカードが送ってくれているメッセージは、何がバランスかっていう話でもあると思うんですよね。さっきもね言ったんですけど、肌から見て苦しみと見えているものが、もしかしたら史上の喜び、魂の学びかもしれないし、肌から見てめちゃくちゃハッピーでキラキラしているように見えて、
中にもね、誰にも分からない、誰にも分かってもらえない苦しみっていうものがあるかもしれない。だから何がバランス、何が中央、何が適度なのかっていう、何が正しい、この社会において正しいのかっていうのは、その原理っていうのはね、絶対的な原理っていうのは私はあると思ってるんですけど、絶対とか言うとさ、またいや、そんなものはないっていうね。
自分自身とか、まあ誰かが言ったりするんですけど、人類共通の真善美というものは私はあると思うんですけど、まあその、でも表面的に現れているその行いとか現象というものがバランスとれているのかいないのかっていうのは、もう本当にその人それぞれでね、違うと思うんですよね。
じゃあ何をね、真ん中にしてね、このお姉さんのようにハチドリとね、戯れる、平和に戯れることができるのかっていうと、やっぱり愛、愛、愛の話をね、知ってるんですよね。で、私たちがこの世界に生まれてくる時に持ってきている唯一のものは愛なんだよ。で、肉体が滅びて天に帰る時に持っていける唯一のものは愛なんだよっていうふうにこのお姉さんはね、おっしゃられているんですよね。
だからどんなにいっぱいお金稼いでも、どんなにいっぱい綺麗なね、きらびやかなお洋服着ても、それはね、もう骨になっちゃったらね、土に帰っちゃったらそれ持っていけない。でも愛だけは天にね、持っていける。
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天に持って帰れるっていうか、それも自分のものにするんじゃなくて、全ての世界に帰るっていうね、印象なんですけど。そのことをね、真ん中に置いた時に世界っていうもののバランスがどういうふうに見えるのかっていうことを想像してご覧なさいっていうふうに言ってらっしゃるような気がします。
まあ愛とか言うとさ、いろいろね、ありますけど、愛っていうものは遠く離れたね、このお姉さんの冊子がいいんだわまた、愛というのは遠く離れた彼の岸ではなくね、自らの内にね、ある光の海であるっていう、なんちゅういい歌を読むこのお姉さんっていうね。
何がバランスなのかっていう、何がね、中庸、何が適度なのかっていうのは、表に現れているものっていうものは、いろいろ、本当その人いろいろ。でも、絶対全人類共通で持っている美しいもの、真なるもの、善なるものっていうのは、本当その愛という一つの海、光る自分の中にある。
そして全てを包んでいる光る海、光る愛の海というものがある。そこを指針にして世界を見ていくというお話でございます。
ほいでさ、ほいでさ、ほいでほいで。
ほいでほいで。ほんで、この気化学カードを引いたら、このコスミックフラワーっていうすごい綺麗なね、ちょっと今日天使ちゃんが大きいから、天使を分け入って、コスミックフラワーさんなんですよね。これすごい綺麗なんですけど、お花ですよね。
このお花、何かっていうと、ハチドリさんがアースオラクロちゃんで出てきて、気化学さんもコスミックフラワーで出てきたんですけど、この1行目にさ、この1行目にこの気化学さん、何言ってるかというと、
このお花っていうのは、ハチドリを誘う蜜のように私たちを招き入れる、宇宙的なコスミックなコアというものがありますみたいな。さっきハチドリ出たと思った。こっちでもハチドリの話が出たと思って。
ちょっと勝手にね、シンクロルとね、なんか嬉しいなという感じなんですけど、まさにそのハチドリを誘うお花の蜜のように私たちを招き入れる美しいね、宇宙的なコスミックフラワーっていうものがあるんですよね。そのコスミックフラワー、コスミックな核っていうものは、コアっていうものは何かっていうと、自分自身のその源なんですよね。
自分自身の源っていうものは何かっていうと、宝物なんですよね。魂の宝物。私たちは肉体を持って、いろんなことがどんぶらこどんぶらこと人生ありますけれども、でもやっぱり自分自身がこの自分自身という存在を通して、めっちゃ素晴らしいものをこの世界に表現しに来たんだということを思い出すために私たちは、
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ちょっと天使さんすいません。私たちはこのコスミックフラワーね、宇宙的な核、宇宙的なお花のね、という名の宝物にね、時々ね、この源宝物に帰る必要があるというね。そこで、あ、そうだったそうだったって何があったとしてもね、こうやってね、なんか誰かのね、一言にザワザワしてね、怒ってね、熱だしたりすることもあるけれども、それも全部含めて私たちはこの宇宙的なね、
コアの蜜をね、吸いながらその美しさをこの体でもって、心でもって表現するためにここに来たんだっていう、それをね、私という存在は本当にちっちゃなハチドリみたいにね、本当にちっちゃい存在なんですけれども、でもこのね、それをその小さい存在がその力とね、
技でもってね、この世界に美しさをね、表現できるって、それはね、どんなにかね、この宇宙にとってね、嬉しいことであるかっていうね、それをこのコスミックフラワー、宇宙のコアに戻って思い出す、思い出してまた力をね、再びね、自分の自らの中に溢れさせていくことだよということで、はい。
綺麗ね。お花ね。そうなんですよね。これ忘れちゃうと、本当に力が変な方向に行ったりとか、力が枯れていったりとかしちゃうわけなんですよね。だからお家に帰ろうっていうね、時々里帰りしようっていう、魂の里帰りしようというお話でございました。
で、カラーのカードはね、ホワイトでした。ライトンアップっていうことで、光で照らしなさいっていう。これ本当さ、白いカード出たんですけど、白ですよね。これハチドリ出たらまたね、ハチドリの話出てきて、本当になんか繋がってるなって思うんですけど、ライトンアップですよね。
本当だから、どこに光を当てるかだし、光を当てたらまた影も出てくる。だからその自分の中の神性と諸女性と獣性っていうのは、必ずね、距離一体というか共存しているんですよね。もう諸女ばっかりだったらさ、この世界何も生まれていないわけで。
やっぱりね、獣性、獣性っていうものがあってからこそ、この全てのね、この彩り豊かなね、闇もあり光もありのこの世界っていうものを私たちは体現しているわけで。
だがしかし、その中でもその獣性っていうものをしっかりとコントロールして、向き合って、対話して、融合して、撫で撫でして、自分の中にしっかりと納めていく。納めていくっていうことが必要。だからまあ本当はね、その獣性、牙みたいなものをむき出さずに一生住めばもちろんいいんですけど、でも本当に大事なものがあるのならば、
本当に生きたい人生っていうものがあるのならば、やっぱりそれをね、その自分の中の獣性っていうものを稼働させていく、正しく稼働させていく局面っていうものが出てくるわけで、だからこそ、この獣を獣として消し掛けるというかね、稼働させるのではなくて、
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この処女のね、三味一体、神聖な処女、神聖な存在としての愛としての意思で、この獣性っていうものをしっかりコントロールしていくっていうことがやっぱり必要。
なんだわ、なんだわ、なんだわ、はい、というわけでね、まあ熱出しちゃったのは何なんだろうということでね、まあ私の中の獣がね、ギャーギャー、ギャーギャーワイワイね、言ってたので、ダルト引いてみたらやっぱりね、こちらのカードでございました。
はーい、いやー、やっぱダルト面白いですね、自分自身とのコミュニケーションツールでもあるし、皆さんとね、何かね、皆さんの中のね、処女、そして皆さんの中の獣さんとね、何か対話するきっかけにね、この動画がなればいいなと思って、はい、今日もね、おしゃべりしてみました。
はい、というわけで今日も引き続き良い1日をお過ごしください。はい、ハチドリさんとともに、最近買った、買ってしまった、ハチドリさん、はい、ではでは、今日も引き続き良い1日をお過ごしください。
ばいばーい、ちゅんちゅんちゅん。