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真の愛なる皆様、アロハです、愛です。 カナダもね、11月になりました。昨日は10月31日ハロウィンということでですね、
ゆたろうとパートナーと3人でですね、夜、あの夜繰り出してですね、ちょっとトリック・オア・トリートに行ってきました。 人生初のトリック・オア・トリートでどうやってやるのかなとか思いながらですね、
あの夜ね、暗くなった、あの住宅街を歩いてたんですけど、これがね、めちゃくちゃ楽しくってですね、本当に。 まあこっちの人ってホントハロウィン文化ね、もう何十年もね、
あのー、やっぱ長いもんで、楽しみ方をわかってますよね。もうお家を本当にね、面白く可愛く怖く飾り付けしたり、ライトアップしたり、なんか大きなね、カボチャのね、
バルーンがね、ふわふわ浮いてたり、庭に骸骨がね、いっぱい埋まってたり、ゾンビがね、ドアの外で待ってたりということで、
うちのゆたろうもね、ニモの着ぐるみ、コスチューム着てですね、カボチャのバケツ持って、いろんなお家をね、トントンとノックして、おやつをね、もらったりしてきて、
なかなか楽しんでたんじゃないかなと思いますね。こっちの子はもう慣れてますよね。ちっちゃい子はね、結構チュイクワ・トゥイートとか言ってね、可愛いんですけど、結構小学生、小学生とか中学生になるとね、すごいね、
もうおやつ集めのためにね、のね、どさ回りみたいな感じでね、はいはいはい、チュイクワ・トゥイート、バーって、お菓子持ってバーって、帰るみたいな、はい次、みたいな感じでね。
まあものすごい数のね、シュガー、シュガーたちがね、子供たちの手に渡った一夜だったんじゃないかなーなんて思っております。
でもすごいね、あの普段、歓声なね、住宅街がそういうふうに、一度お化け屋敷みたいになってですね、すごく不思議な空間で、
異世界に迷い込んだような気分で、あの夜の散策を楽しみました。はい、そんな私の初めてのね、
チュイクワ・トゥイートの体験でございました。はい、まあね、あのそんな前半のエピソードとまた打って変わってね、今日はちょっと真面目なお話をしようかなと思ってます。
で、あの先月行われたeプロジェクトをですね、ここであの対話創出プロジェクト、112ノットの対話会に参加してきたんですよね、ってこの話を今日はしてみたいと思います。
で、この112ノットというのは、子供家具メーカーエテのね、隊長ごと、安池忠也兄さん、そして対話創出プロデューサー、
綾子Pのね、走り、このコンビが112ノットなんですけど、まあ彼らがね、マイノリティに対する差別を生み出さない社会への挑戦ということで、毎回対話会を開催してらっしゃるんですよね。
私はこれ対話会になる前の隊長のね、あの講演会から、この対話会、112ノットとしての対話会も何度もね、参加しているんですけど、本当に毎回ね、様々な気づきがあります。
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気づきっていうか、新しい問いが生まれるっていう感じですね。問い続けていくっていう、
共に問い続けていく、そういう場になってるんですよね。まあこれ前半は、あの隊長のね、自らのマイノリティに関する基調講演っていうのがあって、
その後ね、綾子Pの走りの下で、いろいろな毎回違うね、テーマとか議題が投げられて、それについて一人一人と対話していくっていう場になってます。
で、今回はですね、あの、相模原事件、相模原殺傷事件について語っているNPO法人の方牧というNPO法人、ホームレスさんとかね、いろんな方たちをサポートしているNPO法人の理事長であり牧師である奥田さんっていう方が、その殺傷事件について語っている動画が一つね、
議題というかテーマとして投げられました。この動画がですね、本当にね、さっきも私もう一度見てたんですけど、もう問いかけられることが、突き刺さることが多すぎてですね、私は本当に今でも、
今でもちょっと今、今この瞬間に自分に問うている最中なので、ちょっとここでうまく話せるかなという感じなんですけど、まあここで動画を見て、そしてその対話会に参加したときに私が気づいたことっていうのを、ちょっともしかしてうまくしゃべれないかもしれないけど、お話ししてみたいなというふうに思ってます。
この佐賀美原殺傷事件っていうのは、皆さんもね、記憶に新しいというか知っていらっしゃる方も多いんじゃないかなと思うんですけど、障害者施設でね、その45人を殺傷したっていうそういう罪に問われて、死刑判決を受けた上松被告、その奥田さんはね、上松君っていうふうに呼んでるんですけど、まあそれも理由があるんですけどね、上松君ですね。
彼が死刑判決が出たんですけど、まあそれで弁護人が拘束していたんですが、もういいです、私は死刑を受けますということで、それを取り下げて、拘束を取り下げて、死刑が確定したということに対して、そのNPO法人の奥田さんがそれについてお話しされていたんですよね。
実際にね、この動画も皆さんそれぞれ見て欲しいんですけども、その奥田さんのね、あの言っていることっていうのは、まあ一つ一つとして、その上松君、まあ上松君ってその奥田さんが呼んでいるんですが、上松君が言ってるのは、役に立たない人間っていうのは生きている価値がない、だから僕は殺したんだっていう、それをね、上松君が言っていると。
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そう、で、でもそれは彼が自分自身に向けた言葉じゃなかったのかっていうふうに言ってるんですよね。
で、もう重たい障害のある人っていうのは、生きている意味がない、だから殺したんだ。
で、その言葉っていうのは、もう自分っていう人間には全くこの社会に役立ってない、だから生きている価値はない、だから死刑なんだと。
そういうね、あの、自らやったことっていうのが自らにね、向けられているんじゃないか。ちょっとうまく言えない、うまく言えないんですけどね。そうなんですよね。
そう、で、思うのはですね、まあ障害者、障害のある施設で、まあその上松氏は働いてたんですよね。
で、その本当にもう排斥もね、自分でできない、歩けない意識もね、ほとんどないみたいな、そういう人たちとともに働いて、そういう人たちの世話をしてたと。
で、でも障害者とか高齢者とかそういうことに関わらず、まあ存在の不安っていうのは誰もが持っているものだと思うんですよね。
私自身もね、時々ありますし、誰もが持っていると思います。自分っていうのは本当に生きている価値ってあるのかなとか、役に立っているのかな、社会のためにっていう、誰もが持っている。
で、そう、でそれに対して、上松氏っていうのは、本気で社会に通ったんだっていうことを小田さんは言ってらっしゃったんですよね。
何を通ったかって言うと、あなたたちは本当にその生産性の高い人たちを受け入れる、受け入れて生きていくのか、で役に立たないっていう人たちとともに生きていくのかって、その覚悟はあるのかっていうことを、お社会に通ったんだっていうふうに小田さんがおっしゃられてたんですよね。
で、まあもちろんね、殺すっていう彼の行動はもう本当に選択肢の誤りでしかない、間違っている、それは間違いないんですけれども、そう、でも彼が殺人を犯すということで社会に通った疑問っていうのは、私たち自身の中にも渦巻いているわけなんですよね。
そういう意味では私たちも同犯なんですよね。
そう、それに気づかないふりをしてね、ただもう殺しは悪だ、悪い奴は殺せっていうね、その終わりのない循環の中にね、あのいるわけなんですよね。
まあ実際彼は死刑になってしまったわけなんですけれども、でその循環っていうのを断ち切るのがこういう問いであり、対話でしかないって思うんですよね。
それに答えない、私たち自身が答えない限りこれは解決しないっていうね、んー、じゃないかなって感じました。
でその奥田さんがね、その上松被告のことをね、上松君っていうのは、私が彼とは違うっていうことが私には言い切れないっていう、まさにそういう意味、さっきね、そういう意味では私たちの中にも彼がいるって言いましたけども、
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その奥田さんも、ゆえに上松被告ではなくて上松君っていうふうに、同じ命としてその君というふうにつけている、
君と呼んでいる、上松君と呼んでいるっていうふうに言ってたのもすごく印象的でした。
なんかね、全然うまくしゃべれないんですけど、まあこのね、奥田さんの語るその相模原殺傷事件っていう
ことに対してみんなね、何を感じたかっていうことも対話したりしました。本当に私はこれをね、えぐられるような気持ちでね、さっきももう一度見てましたけど。
まあそして、その隊長のお話ですよね。まあ隊長自身もですね、最初の基調講演でいつもお話ししてくださるんですけども、ご自身のマイノリティっていうのを抱えて、
幼少の頃からね、今まで生きていらっしゃると。で、そのマイノリティっていうことを、やっぱりその差別のない世界を、社会を作りたいっていうことで、そういうことでね、同じマイノリティを持つ子どもたちに苦しい思いをしてほしくないっていうことで、
2004年頃にですね、やっぱりメディアに、新聞とかね、テレビでそのご自身の体験を話されたりとかしていらっしゃったわけなんですよね。
で、そうするとやっぱりものすごい差別とか暴力っていうのを受けたらしいんですよね、その当時。そしてまあ一度耐えきれなくなってすべて、メディアね、アーカイブ出てるのとか取り消してもらったんだよっていうお話。
それからまあ、隊長のご自身の中での変化とか変容もあり、そして社会自体もね、法律が変わったりとか、声を上げる人が増えてきて、で、受け入れる人が増えてきて、そして社会自体の変化もされてきた。
で、2019年にまた隊長もね、綾子Pとともに講演会を再開されたということらしいんですよね。でも、それでもやっぱり毎日ね、本当にもう見てられないような暴言のようなメールが来たりとか、まあいきなりね、暴力振るわれるようなことがあったり、体を触られるようなことがあったりって、本当に信じられないお話聞いてたらね、もう
信じられないっていう、なんでそんなことするのって本当にね、いうようなことがまだ今でもあるらしいんですよね。で、そういうことをする人たちって本当に普通の人たちは普通の人なんですって、なんかすごいこう、やからみたいな怖いことするっていうような見た目ではなくて、本当に普通のスーツ着てたり、ちゃんとしてるように見える人たちなんですって。
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そういう人たちが本当にびっくりするようなね、暴力とか暴言を向けてくるっていうね。その話を聞くたびにね、その人の行為っていうのが全く理解できない。なんでそんなことするんだっていうね、怒りと意気通りが本当に溢れてくるわけなんですよね。
本当にもう、オラーってこう殴り返したくなる。殴り返したくなるような、こう捌きたくなるような、お前はなんてことするんだ、悪いやつって、こう捌きたくなるような気持ちになるわけなんです、反応として。でもさっきのね、その奥田さんのお話と同じように、その人のその病理、その人のその歪んだ病っていうのは、その人一人のものじゃないわけなんですよね。
それを行為にするしないっていうのは別として、その人のその暴力を振るう、隊長にね、暴力を振るうって、そういう人のその人自身の背後に本当に何千人何万人ってね、同じ病をね、抱えている、同じ病理を持っている、心の中に持っているっていう人たちがたくさんいるわけなんですよね、何十人何千人何万人。
それは出すか出さないかっていうだけ、言葉にするかしないか、行動するかしないかっていうだけで、いっぱいいるわけなんです、その背後に。もうあの、そうなんです、いっぱいいるわけなんです、背後例のように。そして忘れてはいけないのが、その中の一人に私がいるっていうことなんですよね。
その拳を挙げた、拳を挙げた人はね、私自身なんだっていうことなんですよね。それを絶対に忘れちゃいけないなって思います。
そう、その人は私自身であるっていうこと。だから体調を攻撃する人も、その相模原事件の上松氏も、実は私の中に住んでいる私自身の弱さであり、私自身の不安であり、恐怖であるっていうことを、それをまず知ることしかないなっていうふうに思うんですよね。
そしてその奥田さんもね、語ってらっしゃったんですけども、それでもなおどんな命にでも価値はあるんだって、45人を殺傷したその人に、その上松氏にも、体調にね、もう本当にひどいこと、ひどい言葉、ひどい行為をね浴びせかけているその人にも、それでもなおあなたに価値があるんだっていうことを断言できる世界であることを、
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もうなんか問い続ける、信じ続けるっていうことだなっていうふうに思うんですよね。そう、例えば道端でね、日本のホームレスさんってよく殴られるとかね、殴られてしまうっていうような話があると思うんですよね。
で、これバンクーバーのホームレスさんは、あんまりそういう話聞かないんですよね。道端のホームレスさんが、なんか通行人のね、お兄ちゃんに殴られるとかね。聞かないんですよ。ていうか、うちの、ていうかバンクーバーのホームレスさんってめちゃくちゃ堂々とね、してるんですよね。
まあヘロヘロ、こうドラッグでヘロヘロなって不思議な動きになってたり、わーって、わーって、なんかFワード連発したりもするんですけど、なんかそう、暴力に遭うっていう事件、ほんと聞いたことがないんですよね。でも、なぜか日本のホームレスさんっていうのは殴られてしまう。
で、それって殴る方も、こいつは殴られてもいい奴なんだっていうふうに思って殴る。それは、自分は殴られてもいいって思って殴られているっていう、ホームレスさん自身のね、心の内がある。
で、これはなんか、いじめられる奴にも問題があるんだ、みたいなこと。私はその理屈が本当に大嫌いなんですけど、でもどこかで自分には価値がないっていうことを感じている者同士が引き合って、そういう事件がね、暴力としてこう発露してしまうってことはあるんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
そこで、本当にそれをどう食い止めるかっていうね、誰もがそういう弱さっていうものをね、持ってる。それをじゃあどうやってね、食い止めるのかって言ったら、やっぱりさっきもね、言ったように声を上げること、そしてなんか自分には生きてあるだけで絶対的な価値があるんだっていうことを自分自身が信じ抜く力なんだろうなって思うんですよね。
自分にそれを本当に信じ抜く、それを自分以外のすべての人に対して信じ抜いているっていう、信じ抜いているっていうか、本当にただそのようにあるっていう、思っているっていうことだと思うんですけど、そう、どんな命でも絶対的な価値があるんだっていうことを自分にも誰かにも思える、そういう強さって、強さとか優しさってどこから来るのかなって思うんですよね。
で、その愛された記憶、両親でもいいし両親じゃなくてもいいと思うんですよね。誰か本当に人生の中で一人、たった一人でもいいから、愛された記憶で抱きしめられた温もりとか、なんか命がけでね、向き合ってもらった体験っていうのがもう一瞬でも一つでもあったならば人間は狂わないっていうふうにね、思うんですよね。
なんだけど、本当にそういうね、大事なことを語るっていう体験を私たちは、本当にしない、しなくなった、しないままに育ったなって思うんですよね。今こうやって対話会とかね、普通に私の人生の中にありますけど、むしろそういう機会がない人たちの方が多いんじゃないかなって思うんですよね。だからこそ、その
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自分には絶対的な価値があるっていう体験っていうのを見失わないようにするっていうことがすごく大事だなって思ったりします。
なので、長々とお話ししてしまいましたが、私としては今回の結論としては、本当にただただ自分が無知であるっていうことを知ると同時に知ろうとするっていうことを決してやめないっていうこと。
あの人は私なんだっていうことを常に心に留めておく想像力ですよね。そう。で、持って目の前の人に命がけで向き合う。まあそれがね、どんな風に生きてる人でも、どんな形であっても、その存在の真ん中にね、輝く尊さっていうのを見失わないでいることだなっていうふうに思いました。
はい。本当にね、もうこれ本当に深いテーマなんですよね。なんかしみじみと、しみじみと長々と語ってしまいましたが、全然うまくお話しできなかったけど、でもこれは私がずっとね、問い続けていきたいなっていうテーマでもあるので、ぜひまたね、皆さんとも112ノットの対話会で、もしくはね、様々なね、たきび会でお話しできたらなっていうふうに思っております。
一緒にね、その全ての命に価値がある。もう価値があるんだから、だって。じゃないですか。マジで。本当にそれに尽きるんですけどね。それを一人一人が思い出そうよと。で、私自身がね、まず、まず私自身なんですよね。何にしたって。それが本音でございます。
なので、本当に112ノットのお二人、そしてね、いつもね、対話を深めてくださる仲間の皆様にね、感謝でございます。これからも一緒に差別のね、存在しない、差別を乱さない社会っていうものにね、挑戦していきたいなというふうに思います。はい、というわけで皆さん今日も引き続き良い一日をお過ごしください。バイバイ。