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  2. # 172 差別は何故生まれる..
2021-07-03 10:00

# 172 差別は何故生まれるか〜−112kt対話会レポ〜

愛
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差別は何故生まれるか〜−112kt対話会レポ〜
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親愛なる皆様、アロハです。幸せって何だっけ?研究所愛です。
今朝はですね、私めっちゃ早起きしました。朝の4時に起きてですね、とある対話会に参加してまいりました。
それはですね、子供家具メーカーエテの社長さんである安池中也さん、隊長ですね、私の大好きな隊長、そして泉綾子姉さんこと綾子P、
この2人がですね、ずっとこの2年間、隊長のオンライン講演会を開催されてまして、私も本当に何度も参加したり、自分のハチドリカフェというコミュニティでも開催させていただいたりしたんですけれども、
今回ですね、講演会から対話会っていう形を変えて、そして2人もね、112ktというユニットを組まれてですね、また装い新たにと言いますかね、
その講演会ではなく対話会として、マイノリティに対する理解を深める場っていうのを作られることとなりまして、
今回記念すべき第1回ということでね、私これちょっと絶対参加したいなということで、朝早起きして参加してきました。
これがね、テーマがですね、マイノリティに対する差別を生み出さない社会への挑戦の対話会ということでテーマがあったんですけれども、
最初の30分はですね、あの隊長のね、持っていらっしゃるそのあるマイノリティ生まれてからね、今も続くそのね、体験とか心の葛藤とかね、も含めて本当に毎回ね、命を削るようにしてね、本当にこうなんていうのかな、私たちの気づきの大きなきっかけになり続けてくれる、くれている隊長なんですけども、
そんなね、彼の講演会、基調講演が30分、そして残りの時間は1時間ぐらいですかね、参加した皆さんとの対話ということで、いろんな問いをね、綾子Pが投げかけていただいて、そこでみんなが感じたことをね話して、それを聞いてまた感じたことを言語化してみるっていうそういう場でした。
で、やっぱりね、対話会ってなんだろうな、正解を求めて、その答えに向かってね、みんなが話していくっていうよりは、その問いを持ち続けるっていうことがすごく大事だなっていうふうに、今回改めて感じました。
今回、綾子Pがすごくいい例とかね、問いを出してくれたんですけど、差別がなぜ生まれるかっていう問いの中で、マジョリティであることの特権っていう、なんていうのかな、トピックが出たんですよね。
それで、とある学者さんの記事を出してくれたんですけども、マジョリティで、大多数であることで特権が得られていると。で、それは、その特権っていうのは持ってる人は本当に気づかないぐらい当たり前のことなんですけど、それを持ってない人、マイノリティの人は持ってないんですけど、持ってない人は人生とか命をかけてもいいほど叶えたいことなんですよね。
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結婚もそうですよね。私たちは当たり前に好きな人と結婚できるって思ってるけども、日本ではね、まだLGBTの人たちの結婚っていうのは、まだ当たり前ではないっていう、それを得るために戦っている人たちがたくさんいらっしゃいますよね。そういう特権を私たちは持っていたり持っていなかったりする。
マイノリティを拒絶する人っていうのが今もたくさん、隊長もいろんな学校とかテレビに出たりとか学校で生徒さんや先生の前でお話しされたりとか、ご自身のマイノリティの体験っていうのを一人でも多くの人たちを救うためにということでされてるんですけれども、やっぱりその公の場でお話をすると、ものすごい辛辣なコメントとかが来るらしいんですよね。
その話とかを聞いてですね、私は本当なんか、なんでそんなこと言うという憤りを感じるとともに、何がそうさせてるんだろうって、なぜそれを拒絶するんだろうって、それを拒絶することでそれを傷つけてまでね、それを何を守ろうとしてるんだろうっていうふうに本当に思うんですよね。
やっぱりそのマイノリティを拒絶する人っていうのは、自分の特権をマジョリティとしての特権を揺るがされる恐怖と不安から、それをマイノリティを否定することとか攻撃することでそれを守ろうとしてるんじゃないかなって感じました。
それってもう本当に企業の鋭利みたいなところの大きいところから、男は男らしく生きる、俺はそうしてきたみたいなね、そういう自分はこう生きてきたっていうね、なんかアイデンティティのようなものだったり、いろいろするんじゃないかなって、それが崩されるっていう恐怖、自分が生きてきて守ってきたものを崩される、当たり前のように持っていた特権を奪われるんじゃないかっていう、
その恐怖から何か拒絶したりとか攻撃したりっていうところに至っているのかなっていうふうに思いました。
で、対話の中でね、差別したことされたことってありますかみたいな、そういう問いも出たんですけど、私思い返してみたら、なんだろうな、中学校の頃ね、めっちゃオタクだったんですよ、私。
ゲームの話とか漫画の話ばっかりしててですね、オタクグループで。そしたらもうクラスの男子女子にですね、あいつらはなんだよ、またゲームの話とか漫画の話ばっかりしててめっちゃキモいなみたいな感じで、よく言われてたんですよね。
で、ケッとか思ってたんですけど、可愛くない。中学生だったんで私も。でもなんでその人たちはそうなのかなって今考えてみると、マジョリティのね、さっきの話で言うと、キモいオタクだぜあいつらはっていう、そういうね、キモいオタク階層っていうものを作っておくと、自動的に自分が優位な階層、俺らは生きてるしみたいな、そういう階層に立てるってわけなんですよね。
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何だろう、得た否認制度みたいな。何もしなくても、それがあることで自動的に自分がね、上に立てる、立ってるような気になれるっていう。
なんかそれって自分が優位に立っていたいっていうのは、動物的な本能なのかなーなんていうふうにも思いましたけど。
なんかそれはどういうふうにね、それを塗り替えていくのかなっていうのはまた新しい問いだなっていうふうに思いました。
そして自分の中にも、差別を受けるじゃなくて差別をしてしまう側、マジョリティとして気づかずにそういうふうにね、見下したりなんだろうな、境界線を引いたりっていうことも多分してるんだろうなっていうふうに、改めて自分の中にもね、見つめていきたいなっていうふうに思いました。
あとですね、もう一つ感じたのは、バンクーバーってね、本当に多種多様な人種の方々が普通に一緒に暮らしてるんですけども、うちの子供、息子はですね、最近もうすぐ3歳、11月で3歳なんですけど、
なんか言葉が喋れるようになってですね、なんかあの幼稚園のお友達をね、こうさして、あの茶色いお兄ちゃんとか言って言ったりするんですよ、アフリカ系のね、お兄ちゃんとか見ると茶色いお兄ちゃんとか言うんですよね。
で、なんか私一瞬それを聞いてドキッてするんですよ、そんなこと言っちゃダメみたいな感じでね、思ったんだけど、え、でもちょっとふと立ち止まってみるとなんでドキッとするんだろう、なんでそれ言っちゃダメなんだろうっていうふうに思ったんですよね。
っていうのは、なんかまあゆたろうはね、ただ茶色い肌のお兄ちゃんっていう、その肌の色の違いっていうのは事実としてね、そこにあるだけで、その違いっていうものに優劣をつけて差別っていうものにしてしまうのは私たち大人なんだよなっていうふうに思いました。
その大人がまた子供にね、いやあのね茶色いとか言っちゃダメだよとか、なんかそういうのって差別だからね、またそれをすり子供にね、純粋無垢な子供にすり込むのもまた大人なんだなって。
その優劣っていうのはやっぱり歴史的な背景があったりとか、またそれもね、利害関係が絡んでいったり、本当にね深いものがあるなっていうふうにまたね、それも感じたりしました。
なんかね、本当にいろいろ取り留めなく問いがね、私の頭の中で回ってるんですけど、でも本当にその誰もがマジョリティでありマイノリティであるっていうことに改めて気づきました。
そして最後、対話の最後にね、じゃあその世界を変えていくために、みんなが差別のない世界にシフトしていくためにワンアクション、みんなで宣言しましょうっていうのがあったんですけども、私は一つ宣言したものは、その向こうを想像するっていうことを宣言しました。
その向こうっていうのは、さっきも言ったように、隊長に対してね、自分の名前も名乗らずにね、ひどい言葉を投げかける奴らにですね、おいお前なんやねんって胸ぐらつかむとですね、またそこから新しい差別とか争いが生まれちゃうんですよね。
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なので、なんでこの人はそういうふうにね、攻撃してるんだろう、何を恐れてるんだろうっていう、ナウシカのね、あのシーンありましたよね、なんかキーって動物がさ、肩に乗せてるあのリスがさ、キーって噛まれるんだけど、怖くない怖くないって言って、ごめんちょっと話が逸れちゃったけど、なんでそれをね、してるんだろうっていうね、その恐怖は何を恐れてるのっていうふうにその人のストーリーを想像する。
マイジョリティーvsマイノリティーではなくて、やっぱり誰もがそのどちらなんだな、誰もがそのどちらも持ってるっていうことを認識する。そういうね、ほんの小さな気づきから変わっていくんじゃないかなって思っておりますので、ほんとね、自分の対話、仲間との対話、対話会って本当に面白いなと思います。
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