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親愛なる皆様、アロハです。幸せって何だっけ?研究所、愛です。
私、これからですね、世界が変わる学校のファシリテーター、あと15分後なんですけども、やります。
世界が変わる学校って何かというと、365日無料でですね、世界が変わるための研究をですね、毎日ね、仲間とともに進めております。
で、先週私がファシリテーターした時に出たテーマが、どこまでも自由になろうっていうテーマでした。
で、何をね、そこでテキストがあってこのページやりますとか、そういうものが全くなくて、その場にいる人たちの中で問いを立てて、研究を進めていくんですけれども、
吉田杉所長のですね、アドバイスもありまして、じゃあ今日は、自由っていうのはね、各国の憲法の中に権利としてね、必ず与えられている。
でも国民はね、それを気づいてないんだよね。権利はあるだけで、それを使えてない。じゃあどうしたらそれを使えるようになるかということを、じゃあこの時間内で研究してみようということで、そういうテーマで研究が進みました。
で、私もですね、日本とかカナダの憲法をね、ちょっと調べてみたりとか、いろいろしたんですけれども、
そうするとやっぱり人間は生まれながらにして自由で平等な存在であるということとか、どういうね、人種とか宗教とか信じるものとかね、いろんな違いによって差別されるべきではない。
そして他人の権利、他人の自由ですね、他人の権利を奪う権利は誰にもないっていうようなことが書かれてるんですよね、ちゃんと国民の権利として。
なんだけど、やっぱり私たち、私自身もそうですけど、私たちは自分自身のことをやっぱり不自由だなって感じたり、世界って不平等だなっていうふうに感じたりしてるんですよね。
なぜなのかっていうところで、自由ってじゃあそもそもどういう意味だっけということで、ちょっと調べてみると、日本語の自由っていうのは福沢諭吉先生がですね、リバティ、フリーダムという説もあると書いてますけども、
リバティという英語を自ら思ってよしとなすと訳したのが始まりですというふうに書かれてました。
なので自由っていうのは、自らの意思や考えをもって行動の理由とすることを意味すると、自分の意思で行動するっていうことが自由であるっていう、それがね、自由の意味らしいんですよね。
どうですか皆さん、自らの意思で毎日行動してますか。
私結構この数年で自分でどんどん自由になってきてるなっていうふうに思うんですけど、まだまだやっぱりですね、何かを選択するときとか行動するしないを決めるときにですね、
いやーこれちょっとどう思われるかなとか、これやったらちょっとパートナー怒るかなとか、社会のため世間体がどうかなとかね、
なんかどこかにね、誰かの自分の意思ではなくて誰かの意思をねそこに挟んじゃったりとか、それでもって自分をねちょっと殺しちゃったりとかしてるなっていうふうに感じてます。
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完全に自由ではないなっていうふうに感じてます。
なのでどういうふうにね、そこでどういうふうに自由になっていけるかなっていう研究もそれぞれのね対話の中であったんですけど、
まあ日本ってもともとね、結構面白かったのが、日本はもともと自由って概念が本当になかったんだよ、福沢諭吉先生もですね、結構最近の人ですよね、そう思ったら。
その自由っていう概念が入ってくるまでは、日本人は調和という概念で生きていたらしいんですよね。
そう、調和と自由の違いっていうのもね、なかなか面白いですよね。
なんかこと全体っていう感じもするし、そこにもうちょっとね深めていきたいなというふうに思ったんですけど、あとはですね、ジェノサイドっていうキーワードも出てきました。
ジェノサイドっていうのは、国家とか民族とか人種集団を計画的にね、破壊させてしまうことっていう意味なんですけど、
なぜこのキーワードが出たかというと、カナダの最近ニュースにすごくなっているのが、ファーストネーションの人たちが、もともと白人さんが移民してくる前に住んでた人たちが、
もう一つのところに強制的に追いやられて、子供が親から引き離されて、そういう学校みたいなところに入られて、文化とか言葉をね、
奪われたり、それを奪われるだけじゃなくて、本当に虐待とか、命をね、命まで奪われたりって、そういう事件がね、もうここのところで結構明るみになってきてるんですよね。
カナダもそうだし、アルワンダの虐殺とかマナチスのこととかもそうですよね。
なので、歴史的に人類っていうのはこういうジェノサイドっていうものを、誰かの自由を徹底的に奪ってしまうということをね、起きているんですけれども、
なぜそれが起きるのかなっていうのは、やっぱり侵略しないと侵略されるっていう恐怖だったりとか、
あとこっちの宗教の方が偉いとか、こっちの人種の方が偉いとかいうね、そういう幻の差別からね、生まれてるんだろうなっていう風に考えたりしました。
これって歴史的なね、大きな悲劇の中だけではなくて、自分自身の中にも、自分自身も日々小さな、そういった虐殺を繰り返しているようなっていう風に、
帰り見る機会にもなりました。なので、本当に自分の中の自由と平和を自分の中で実現する。
そして誰かの平和を、誰かの自由を決して侵さないっていうことだなっていう風な、そんな研究の時間でした。
で、ここからがですね、私も本当になんか胸を打ち抜かれたっていうかね、もうすごくね、唸ったっていうことがあったんですけど、
それはですね、そのクラスが終わってから、そのフェイスブックのグループでね、ルワンダに住んでるユーコ姉さんからね、コメントがあったんですよね。
で、ルワンダっていうとやっぱりルワンダのね、本当にもう虐殺のお話がありますよね。
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で、あの虐殺記念館っていうのがあるらしいんですよね。そこで発見したお話を、ストーリーをちょっとシェアしてくれたんですけども、
その土族と民族の違いで虐殺し合ってたんですけれども、その土族の人たちがすごく虐殺のターゲットになってたと。
で、ある地域でね、とある農村で暮らしていた魔女の女性がいたらしいんですね。
魔女っていうのはその伝統医療、自然療法とかをされてた魔女の方が、魔女と呼ばれてた方がいらっしゃったと。
で、その魔女の方が自分のね、牛小屋に30人ぐらいのね、土族の人々を数ヶ月もね、囲まっていたよっていう、そういうストーリーが紹介されてたんですよ。
で、魔女っていうのは本当にね、公認となってるらしいんですけれども、やっぱりね、ちょっと怖いよねとか、いろいろね、ちょっと距離を置かれたりとか、影口叩かれてたりとかね、その村の中でもしてたらしいんですよね。
なんですけど、そんな中でも、魔女として助けを求める人の治療に当たったり、ヒーリングしたりしながら、それでもってそのね、土族の人々、家族でもなんでもないというかね、本当に見つかったら自分でもう殺されるっていう状況で、その人がたくさんの命を救ったんだよっていうストーリーがね、そこの虐殺記念館に紹介されてたらしいんですよね。
で、ゆうこ姉さんがね、言ってた一言が本当に私は印象的で、それはこういうね、普通の村の人々が、中にあの究極の状況で、どこまでも究極の状況ですよね、本当にそういう民族が違うだけで自分のね、奥さん殺しちゃったりとか、家族をね、殺しちゃったりとか、本当にもう恐ろしい状況だったわけなんですけども、
そういう状況の中で、こうやってね、私はこの人たちをね、救うっていう、本当にもうそれは自らの意思で行動するっていうことですよね、命をかけて、そういう状況の中でもどこまでも自由だった、そういうね、魔女の人が、普通の人がね、どこまでも自由だったっていうことにすごく感動しますっていうふうにコメントをしてくれていました。
逆殺っていうのは本当に恐ろしいことなんだけども、その中でもそういうね、わずかな救いはあったんだよねってそれを伝えておきたいですというコメントをくださいました。私はこのコメントにですね、もうなんか本当になんかね、打ち抜かれたというか、なんか自由って、なんか自分の好きなことをやるんだとか、大好きを仕事にするとか、好きな場所にいつでも行けるみたいな、なんかまあ私もね、そういうことをサポートしたり活動したりしてるんですけども、
そういうなんていうか、個人の願望とか欲望を超えたところにある本当に大いなる意思のようなものを自分の中心にね、どっしり据えて、でもって命をかけてね、人を守る、愛する人だけじゃなくて、もう人類全てですよね、その30人の人たちがその魔女のね、おばさんの家族だったわけじゃない。命がけでそういう人たちをね、困っている人たちを守ると、誰に何を言われようとね、使命を全うするっていう、そういうね、
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本当に自由というものの奥深さとですね、なんていうかな、力強さっていうか、それをこのゆこさんのコメントから感じました。なので、まあ今日もね、今からあと5分後に研究所始まるんですけれどもね、どこまでも自由になるために、今日今ここから何ができるかなっていうことをまたね、考えていきたいなっていうふうに思います。
では皆さん、引き続き良い一日を過ごしください。バイバイ。