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おはようございます。4月13日、木曜日の朝です。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
あなたのごきげん応援団長、アドベンチャーマジックHIDEです。
今はですね、今朝は神奈川県西部の方に来ております。
今日は、とある高校のですね、クラス作りのお手伝いに、
これからね、高校まで行く感じなんですけども、
朝の散歩をしております。
ここはね、富士山が遠くに見えたり見えなかったりするような場所なんですが、
小さなね、川が流れていて、結構心地よい、
なんか気持ちの良いですね、朝ですね。
今日はですね、木曜日ということなので、
ハッシュタグTBT、スローバックサースデーということで、
昔のことを振り返る、そんな回です。
何度もお話ししてますけども、ここのところはですね、
クラス作りとかチーム作りのお手伝いをさせていただく仕事ですね。
する機会が多いんですけれども。
こないだね、バスケットボール部行ってましたが、
ふとね、自分がね、バスケットを真剣にやっていた頃、
思い出しまして、それは少しお話しますかね。
私はね、中学、高校、大学と、ずっとね、バスケットボールをやっていたんですけれども、
中学はね、そこそこ強かったんですよ。
ベスト32とか16とかね、行ったことがあったような気がします。
区でね、優勝したりとかして。
本当にね、楽しかったですね。
毎日朝練習行ったりなんだりして、楽しく過ごしていました。
すごく優秀な指導者、コーチ、監督だったかというと、そうじゃなくてですね。
自由でした。
自分たちで考えてね、やるスタイルで。
とてもね、上手で体の大きい子が何人もいて、
そのおかげで強かったというところはあるんですけれども、
そういった子たちと一緒にね、やったことによって、
バスケットの楽しさも知って、勝つ喜びも知って、
負けた悔しさも知って、そんな感じでしたね。
で、高校に行って、僕ね、実はね、サッカー好きだったんですよ。
小学校の時。
で、中学行ってサッカー部入ろうと思ったら、サッカー部なくて。
で、高校行ったらね、絶対サッカー部行こうと思って、
サッカー結構強い学校に行ったんですけどね。
でもね、結局サッカー部入らず、バスケ部入りました。
で、中学の時ね、そこそこ強かったというのもあって、
高校1年の時からね、試合出れる感じで、楽しくバスケ。
でもね、全然強くなかったです、高校はね。
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強くなかった。でも楽しく、仲間とも楽しくやっておりました。
で、大学入って、まあそこそこな、そんなすごい感じじゃないですけど、
そこそこな実力もあったのもあったんですけども。
で、大学入ったら、僕が行った大学はね、まだ新しい大学で、
ちゃんとした体育会系のバスケ部がなかったんですね。
で、僕自身も楽しくやれればいいと思ったので、
バスケに関するサークルが、一応部という形の名前になっていたバスケットの団体と、
あとサークルと2つあったんで、両方とも入ってね、やってたんですね。
そしたら、その中でね、何人か本気でやりたい子がいたりして、
で、そういった人とか先輩とかもね、いたんですけども、
先輩も何人か本気でやりたいとかっていう気持ちにもなってたみたいで。
あとはね、本気で新しい大学だったということもあって、
本気でやれるそういう団体、やっぱり勝ちを目指す、
そういった団体がね、絶対必要だよねと、今後のこの大学のためにもね、
必要だよねっていう話をね、みんなでしてて。
じゃあやりますかと。やりますかと。
はい、いうことになったんですね。
僕、浪人して大学に入ったこともあって、僕三期生なんですけど、
あの、あまり年上の先輩がいっぱいいたわけじゃなかったので、
あとちょっと偉そうだったっていうのもあるんですけど、
はい。で、あの、じゃあヒデ、やろうと。
やってくださいと。俺やるのかと。
やるのはいいけど、僕ニュージーランド途中で行っちゃうよみたいなね。
はい、そんなノリでしたけど。で、あの、作ったんです。
大変でしたよ、いろいろ。やっぱりね、ちゃんとしたものを作るって大変ね。
いろんな人にね、話に行ったり、学練というものがあったり、
そういったものに加盟するのにどうしたらいいのかとかね。
で、作ろうと言ったらね、仲間たちと一緒になって調べたり、
足を運んで。その頃はね、まだインターネットとかそういうのないですからね。
はい、電話したりね。そういった経験もあってですね。
で、大学生ですから、夜はね、みんなで将来こういう風になったらいいよねとかね。
いつかね、代々木の体育館にうちの大学が行くようになったらいいよねなんてね。
話をね、酔っぱらいながらしたりとかね。
淡い懐かしい記憶がどんどんよみがえってきますけれども。
そんなこんなで、作ったんですよ。
でもね、そういった自分で調べて、仲間たちと一緒に調べて作る。
その経験は、めちゃくちゃ今にね、ずっと生きてるなって思うんですよね。
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その後、僕は大学を出たんですけど、
もちろんね、今でもその仲間たちと一緒に会ったりして、
変な懐かしい話をしたりしますが、
僕が何歳だ、実際には20歳ぐらいに作ったのかな。
19、20歳ぐらいに作ったのかな。
で、僕、それから20歳ぐらいに作ったんですけど、
作るときにも、そんなね、めちゃくちゃいきなり強いチームが作れるわけではないので、
縦のつながり、横のつながり、こういったつながりを大事にしようということでですね、
作ったんですね。
それもね、やっぱり今の仕事にも生きてるかなって思います。
人のつながり大事にしようというのが、僕の仕事だったんですね。
で、実際にね、いつかは、なんて言ってたら、いやー、すごいですよ。
それから何年ですか、20年。
おっとだ、30年近く。
30年は経ってないけど、30年近く経って、
うちの大学、僕が大学に入り始めたときに、
大学に入り始めたときに、
僕が大学に入り始めたときに、
僕が大学に入り始めたときに、
30年近く。
30年は経ってないけど、30年近く経って、
うちの大学、僕が行った大学、めちゃくちゃ今バスケ強くなっててですね。
関東大学リーグ一部。
一部ですよ。一番強いリーグ。
今年から参戦ということで、
去年2部で優勝してですね、今年から一部。
すごいですね。
僕らが卒業してから数年後にね、
大学の方がバスケ部を強くしていこうという方針になってね。
それからすごく有名な監督が来たりとか、
優秀なコーチが来たりとかしてですね、
また高校でバスケ活躍した選手たちが入ってくるようになったりとかして、
今じゃめちゃくちゃ強いチームになっております。
僕がやってた頃はめちゃくちゃ強い学校から、
もう厳しい練習は嫌だって言ってね、
バスケ楽しくやりたいって言ってね、来てくれた子が多かったんですよ。
だからすごい上手でした。
だからベンチ入りはしてるけど試合中々出れないとかね、
そういった子たちが生き生きと、むしろ生き生きと楽しくバスケやってる姿を見て、
僕はすごく嬉しかったですね。
そういった子たちがいっぱい練習メニューを考えてくれたりとかしてね、
やってたんですけども、今じゃすごいことになります。
そんなようなことを思い出しまして、
すごい監督が来た時にも一度お会いしてですね、
本当にあなたのおかげでって言ってくれた時は嬉しかったですね。
あなたのおかげでこういった部活を作ることができて、
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今やってることができてるよって。ありがとうって。
すごいバスケ界のレジェンドみたいなような方に言われてですね、
僕もね、びっくりでしたけれども。
いやでもね、いつそういう風になるのかわからない世の中。
だからやっぱりその時その時、自分で本気で、心から本気でやりたいと思っていることをやっていると、
どこからどう繋がるかわからないというのも含めてですね、あるなって。
身をもってですね、実感します。
はい、ということで、今日はね、この辺までにさせていただきたいと思いますけれども、
皆さんもですね、ぜひ今日もね、なんか一つ本気になって楽しくんでみてはいかがでしょうか。
はい、では、本日もご機嫌、笑顔で、わくわくでいきましょう。
あなたの笑顔が、皆さんを幸せにします。
では、またね。バイバイ。