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おはようございます。1月12日、木曜日の朝です。 いかがお過ごしでしょうか。
あなたのやりたい、やってみたいを叶える ごきげん応援団長
HIDEです。
今朝はですね、 実はなかなか起きれないということがありました。
はい、いつも5時、次には確実に起き上がっているんですけど、 今日は16時になっちゃいましたね。
それでも早いですかね。どうでしょう。 昨日、結構体を動かしたせいですかね。
昨日、今年初の ジムに行って、筋トレもしてきたんですけれども、
うーって感じでしたね。 そんなに追い込んだ感じでもないので、あれですけれども、
ちょっと多少、張りがある感じなんですが、 ぐっすり寝れたので、頭はめっちゃスッキリしております。
皆さんどうですか、朝は。 スッキリバッて起きるタイプですか。それとも、なかなか
布団から出れないタイプですか。 15分、20分、30分、どのぐらい、なかなか出れない人が多いんだろう。
ふとそんなことも思いましたが、 私も今日20分ぐらい出れなかったかなぁ。
2度目までは行かなかったんですけどね。 ちょっと珍しくそんなこともありましたが、
今日もですね、ご機嫌にお届けしていきたいと思うんですが、 今日はですね、木曜日ということで、
ハッシュタグTVTってやつですね。 スローバックサースデーということで、過去を振り返る。
そんなことをテーマにですね、お届けする木曜日。 たまにね、あんまり過去を振り返ることは多くはないと思うんですけどね。
どっちかというと、先のことを考えることが多いので。 ふとですね、思い返すと、大体、
なんか楽しかったこととか、嬉しかったこととか、 あの頃は大変だった。つらかったってあんまりないな。
大変だった。よくやったな、みたいな。 そういったことを思い出すことが多いですけど、
今回はですね、年齢にですね、 焦点を当てて戻ってみたいと思います。
ちょうどね、50歳になったというのもあるんですが、 成人式もあったじゃないですか。
なので、自分20歳の時どうだったかなーっていうのをね、 ちょっと思い出してお話できたらなぁと思うので、
皆さんのためにはですね、何にもならないという回になる可能性があるなとは思ってるんですが、
私20歳の時、20歳、成人式はあれですね、 僕は中野区に住んでましたんで、
皆さんご存知ですかね、中野サンプラザ、そちらで 成人式行われましたね。
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話ずれますけど、このサンプラザね、今年解体されちゃうみたいで、 ちょっと残念なところがあるんですけども、
まあ老朽化とかそういうことですかね。 長い間ね、本当に街のシンボルとしてあった中野サンプラザ。
家はね、サンプラザすぐそばだったので、ほんとしょっちゃ遊んでましたね。 あの辺でね、あの辺をうろうろしてました。
ボーリング行ったりなんだにもありましたけど、まあ成人式、そちらでありました。 成人式の思い出が、ちょうど雪が降ったんですね。
あのね、女性陣、振袖着てて、ちょっとかわいそうだなぁなんていうふうなことを覚えてますね。 雪降りましたね。
でね、楽しみだったのはやっぱりあれですね、好きだった子に会えるかもしれない。 そういうのがね、嬉しかったですね。
あれですね、初めてお付き合いしたって言っていいんだろうな、よくわかんないな。 映画見に行ったりした女の子いましたけれども。
その子と会って、写真撮りましたね。 どこにあるんだろう、あの写真。
それ超よかったですね。 それしか覚えてないな。
で、夜は仲間でみんなで飲みにね、行って。 倒れましたね、多分ね、僕ね。
倒れたっていうのは、もう潰れましたね。 完全に潰れた。
あれは成人式だったんだろうか。 そんなような記憶もあります。
20歳の頃、どんなことを思ってたのかなって思うと、ちょうど19歳の時に初めてニュージーランドに行って 3週間ホームステイで
大学で行かなきゃいけないっていうことで。 行ってね、めっちゃラッキーだったですね。
もともとニュージーランドに行きたいと思った人間だったのでね。 視察できるっていう感じでね。
そこから帰ってきて、また絶対行くって 心に誓っていた頃ですね。
なので、多分私のことなので、成人式で会った久しぶりの仲間たちにもね、俺はニュージーランド行くからみたいなね、話をすごくしてたんじゃないかななんて記憶します。
で、その頃からやっぱりそういう強い思いを語ってましたね。 多分迷惑だったかもしれないですけどね、周りからずっとね。
今思うと、結構そういうとこありますね。 なんかこれやるって決めたらなんか言っちゃうね。
で、周りからは本気で捉えてくれてた人がいるかいないかわからないですけども、言っちゃってましたね。
あと事後報告結構多いですね。あとね、プラスね、これやってきたよーとかね。 親とかはほとんど事後報告でしたね。
仲営会話学校とか勝手に入会してきて、もちろんね、自分でアルバイトして話したわけですけれども。 ニュージーランド行くのもね、行くからみたいな感じでやってましたけれども。
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もうだから、 根っからやろうと思ったことはやれると思って
突き進んでたんだなぁって思いますね。 あとそうだ、今思い出した。大学でね、僕ね、バスケ部作ったんですよ。
体育会の、はい、いわゆる大会とか出るようなね。 私ね、江戸川大学っていう大学に行ったんですけど、私3期生で新しい大学だったんですね。
で、バスケ部があるようなないような感じだったので、サークルとね、一応部という形になっている部と両方入ったんですよね。
バスケ好きだったんでね。 まあ
それで両方入ってみたら なんか
まあそれなりにやっていたので、それなりに活躍ができてですね。 で、僕よりももちろん上手な人もいたりなんだりする中で
やっぱりちょっと大会とか出たいよねみたいな話になって、それぞれからですね。 サークルからも部からもなって
じゃあちゃんとしたの作ろうよっていうことになって で作ったんですよ。で、どうせならね、ちゃんと学連とかも加盟してね
そういうの そういう団体がちゃんと一つバシッとあった方がいいよねっていうことで
なのでサークルからもその部と呼ばれていた団体、2つ確かバスケの団体があったんで、それ 両方から
本気でやりたい人だけ集めて、で体育館がね なんか
ちっちゃくて、ちっちゃくてっていうか一つしかなくて、そこを他の部とかサークルとかとこう なんか
交代交代に使うみたいな感じになったんですよね。なので 一つね、そういったしっかりとした大学を代表となる、大学の代表となる
部を作って、でそこがまあそういった体育館とかをね、優先的に利用できるという形にして しっかり
やっていこうというので、なんか自分でやろうって言ったのかな?周りからおられたのかな? 忘れちゃいましたけど、とにかくやることになってやるからには
しっかりやろうよ、みたいな形でやったんですよね。ただみんなにはね、もう作る時から言ったんですけど 俺ニュージーランド行っちゃうよっていうことだね
言ってて その前までにしっかりとしたものを作ろうということである
で、結構ちゃんとやったんですよ。いや、ちゃんとやったっていうか、練習やったとかいうことじゃなくて、団体を作ることをちゃんとやって
で、将来的には学年でも上位になってね、代々木の体育館とかで 活躍できるような部になったらいいねーなんてね
夢物語的にお酒飲みながらいろんな仲間とね 話ししながらやってました。その頃は監督とかはね、呼ぶこともできないし自分たちで
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計画を立てて練習計画立てたりとか、練習試合もね、いろいろ申し込んだりとかしてね 僕、あの仲間、同級生、中学の同級生とか高校の仲間とかも大学でバスケやったのが結構いたので
それで練習試合したりとかもしてましたね。懐かしいですね
それでね、学年もね、ちゃんと加盟できたんですよ 大変でした。加盟するのに
なんかいろいろ手続きがあったり
来たりしながらやりましたね。で、加盟が決まって めっちゃ喜びましたね。これでできたって。で、そこから大学
でも補助金って言うんですかね 支援金って言うんですかね。そういうのが出るのでそういうのを申請したりね
いろいろやりましたね で本当、まあ、バスケがいくら上手になったからと言って、バスケでね
就職するわけじゃないし、できるわけじゃないから、とにかく縦の繋がり 横の繋がり、それを大事にしようよということを
まああの ポリシーとしてですね
やりました。なので今でもね、仲良くしてますよ みんな、後輩もね
私は途中でニュージーランド行ったりとかおっしゃいましたけれども、みんなね その中でも、まあ逆に僕がいなくなったことで
みんながさらにまとまって作り上げていったんじゃないかなと思うところも含めてですね いや本当良かったですね。で
なんとですね、その頃ね、お酒飲みながら まあ若い飲み方なんで、もうほんと潰れそうになりながら潰れてたかな
もうこの大ジョッキに腕を乗たれてって言うんですか でも熱く語ってた
絶対ここは部がね、代々木に出ることが いいよ、なったらいいよね、みたいな話結構してたんですけど
なんとですね
うちの江戸川大学のバスケットボール部 1部に昇格したんですよ
去年の秋、昇格を決めたんです。だから今年から1部でやるんですよ すごいですよこれは
1部ですよ ずっとね2部だったんですよ。実はね私が
作ってから何年前かな 今から10何年か前ぐらいに部がねまた大きく変革して
本当にすごい監督をね、招聘してですね、元全日本の女子の監督とかやってた方とかがですね、大学に来てですね
NBAの解説とかもしてるような方が来てくれて まあ大学としてもねバスケ部どんどん盛り上げていこうということで
バスケットボール部専用のコートなんかも今出来上がっちゃったりとかしてですね すごいことになってるんですよ
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一度ねお会いして本当にあなたのおかげでね あの作ることが今ねこうやってやることができてますっていう本当に感謝されたの
ね 今でも覚えてますけどねいやほんと作っておいてよかったなーって思いますねそれが
なんと1部昇格ですよ やばいですよもう
でオリンピックもねあの3 by 3 ね3人制のバスケットボール部ボールのね
競技にはこううちのね大学の後輩って言っておこがましいですけど はいからね出てましたしね
今 b リーグにもね活躍している選手もいますよ いやーほんとね世の中どういう風になるかわからないですけれども
ねまあおこがましいですけど もちろんそのきっかけ作れたのかなぁとか
なんかやばいですよね面白いなぁってだから一歩踏み出して何かやって ルトー思いもつかない方にこうすいい方にねもちろん
突き抜けていくなぁっていう
思いますあの今ですねあの はないだねその仲間たちともあって話したらなんですけど
そういったところでねまああえて猫をまたずかずか出てってで ob だからどうの頃とかそういう ことはしなくてもいいかなと思ってるんですけど
かげながらですね応援して生きていたらねいいなーってそういった楽しみをね作って くれている今のね
大学の目部の人たちにも頑張ってほしいなーって本当に思います まあラッキーなことに私はのそこの大学で新入生のオリエンテーションの研修とかをさせてもらったり
もしてて あの先生とかねつながりも持ってて
またねこの分の面白さ なご縁のすごさもあるんですよ実はその部の部長さんね
部長さんって何だろうヘッドコーチの一つ上にあるような方かな まあ
監督みたいな感じからはあの僕のね中学高校大学と一緒にバスケ屋さん仲間がやってたり とかもうねご縁がつながりまくってておかしな感じになっちゃってるんですよ
何を話したのかわからないですけどまあとにかくそうですね二十歳頃から なんか熱い思いを持ってやりたいやっていっ
やってみたいを叶えようと思って動いてたなーって馬鹿みたいに馬鹿みたいにそうですね 今思えばはい
うんやってた なんかさあそういった
昔のもいい思い出とかなんか頑張った思い出とか
今の自分を応援してくれるなーって思うんですよ 伝わるかな
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辛くなった時とか頑張ろうって思った時に昔の自分が応援してくれてる感じないですか あの時俺やれたから
大丈夫 過去の自分が
今の自分を応援してくれてるみたい なんか言っときそうなことすごく思った時期ありましたね
今ふと思い出しましたあーでもたまにはいいですねそうやってねこうふと思い出して あの時の気持ちにをこう蘇らせる
蘇ってくる そんなのもいいんじゃないかなと思います
はいえーなんかうだうだと話ししている間にいつもよりなんか長くなってしまいました けれども
はいえー本日もですね皆さんご機嫌笑顔でワクワク する1日を過ごしていただけたら嬉しいなって
思いますはいえー今日も最後までお聞きいただきましてありがとうございます では
いってらっしゃい またねー
ばいばーい