1. BUILD UP LOCAL!! / ビルドアップローカル
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2024-09-13 30:31

#11‐2 ゲスト:一般社団法人ナチュラルボディバランス協会代表理事 勅使川原郁恵さん

今月のゲストは、元ショートトラックスピードスケート日本代表選手であり、

現在は一般社団法人ナチュラルボディバランス協会・代表理事

勅使川原郁恵さんにお越しいただきました。

 

【今週のテーマ】

・勅使川原郁恵さんの経歴②

【番組内容】

スポーツ×街づくりをテーマに、30年のスポーツ界でのキャリアをもつ常田幸良が、

スポーツを通じて街を盛り上げる様々な人にフォーカスを当て、掘り下げていく番組です。

番組の感想は各媒体のコメント欄、または X(旧Twitter)で #ビルドアップローカル

でよろしくお願いいたします。

【配信日】

 毎週金曜日

【出演】

 パーソナリティー: 常田幸良


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00:09
BUILD UP LOCAL!!
BUILD UP LOCAL!! 番組ナビゲーターの常田幸永です。
この番組は、30年のスポーツ界でのキャリアを経て、現在は地域金融機関に勤務している私が、
これまでの経験とゲストの皆様とともに、スポーツを通じて、街を豊かにしようという番組です。
さて、今週も一般社団法人ナチュラルボディバランス協会代表理事の勅使川原郁恵さんにお越しいただきました。
今週も選手時代のお話を伺いたいと思いますので、勅使川原さんどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
では早速なんですけども、勅使川原さんは、選手時代のキャリアとしてオリンピックに3回出場されているということなんですよね。
この出場した際のエピソード、こんなところをちょっとお聞きしたいと思っているんですけども、
初めてのオリンピックは長野オリンピックということでしたよね。
はい、そうですね。大学1年生の時に長野オリンピックがありまして、無事に出場することができました。
無事に。
無事に。もう目標にしていたので。
ああ、そうですか。
はい。
で、その時の思いって言うんですかね。長野オリンピックに出ることによって、どんな思いで出たのかっていう、そういったことをいかがでしょう。
まずは、日本でオリンピックが行われるのは、なかなかない話じゃないですか。
そうですね。
なので、それが自分が競技生活のピークな時期に、日本で行われるオリンピックに出場できたということが一番嬉しいエピソードなんですけれども、
あとはですね、ショートトラックスピードスケートという競技が、なかなかメジャーではなくて、マイナー競技というふうに私も捉えていましたので、
ショートトラックっていうのは、こういう競技だよっていうのは、やっぱりオリンピックでメダルを取ったり、そういったところで成績を残さないと、なかなか皆さんに知っていただけないんじゃないかなというふうに思っていましたので、
それがオリンピックに出場できるって決まったときに、誰がそういうメダルとか取って、ショートトラックをメジャーにできるかなって考えたときに、これは自分でやるしかないなって、そのとき感じまして、
自分でも背負うじゃないですけど、日本を背負いながら、日本とショートトラックを背負いながら競技を続けてたっていうのがありますね。
なるほどね。初めて出場したオリンピック、しかも日本で開催されたということで、当然いろんな思いもあるんですけども、長野県という場所で開催されたんですけども、
全体的に見て、長野オリンピックとしてどんなようなオリンピックだったんでしょうかね。例えば、選手に対する対応であったりとか。
03:08
すごく良かったですね。やはり世界を見ても、日本ってすごくおもてなしっていうところもそうなんですけども、時間もきっちりで、そしておもてなしっていうところもすごく素晴らしくてっていうのを元々感じていたんですけれども、
よりオリンピックの時にそれを感じられたんですよね。というのは、海外の選手もすごく褒めていたんですけれども、バスの送り迎えであったり、会場から会場までのバスっていうところが時間通りなんですよ。
きっちり時間通りで送れることもなく、本当に来てくれるので、それが皆さん、他の海外の選手から見るとすごい素晴らしいっていうのを伝えてくれていたんですけれども、そういったところもありますし、あとは食事という面も世界の選手が喜んでいただけるように、世界中のお料理を24時間、温かいものを用意してくれていたんですよね。
そこもすごく他の選手も喜んでいたっていうのが、私は印象に残っていまして、全てがすごく整っていて、本当に皆さんサポートしてくれて、いろんなスタッフであったり、ボランティアの方であったりということも協力的で、本当に素晴らしかったなというふうに思いますね。
食事って大事ですもんね。
それはすごく日本人でよかったなって感じたことですし、あとは選手村でずっと選手って過ごすんですけれども、大体2週間、3週間ぐらい過ごすんですけれども、私はずっと始めから最後まで選手村にいたんですが、すごく思い出もありまして、
長野のオリンピックの時は、日本の伝統文化であったり、そういったところも発信していくっていうこともありましたので、餅つきを選手村の食堂でやってくれたり、あとは力士が選手村に来てくれたりっていう、
日本でしか味わえないようなことを実際に表現してくれて、実際に行動してくれてということで、そこもすごくよかったなというふうに思いますね。
海外からいろんな方、そういう人がいらっしゃって。
そうなんですよ。なかなか見たことない方、海外から見ると、餅つきは何となく知ってるけど、実際に見たことないよっていう選手がほとんどだったんですよ。
06:00
なので、「これは何だ?」っていう感じで、まずはじめに私に質問が来て、日本人なので質問が来て、それをちょっと説明したり、「これは何でこんなに柔らかいんだ?」みたいな感じであったり。
薄々で実際に餅を作るっていうこともなかったんですけど、それを来た選手に挑戦できていたので、そういったこともすごく楽しかったみたいで、それ私も思い出に残ってますね。
他の海外の選手も体験ができるっていうことなんですね。
そうなんですよ。
それは素晴らしいですね。
なので、実際にそういう食堂であったり、選手村はリラックスする場所。
実際に競技場に行くと、みんなスイッチを変えてすごく集中して、実際にみんなメダルを取りに行くっていう感じで緊迫したような空気感なんですけれども、
選手村は本当に逆で、みんなリラックスしてメダルを取って帰った方には褒めたたえて、そしてこれからの選手には頑張れみたいな、俺の分も頑張れみたいな感じで応援して、リレーみたいな感じでやりとりコミュニケーションがあったので、それはすごくいい雰囲気だなと思ってましたね。
なるほどね。
栃枝さん2週間ぐらいもずっといらっしゃったんでしょ?選手村が。
そうです。
3食全て食堂で?
食堂で。
メニューとか覚えちゃいますね。
でもですね、日本の長野オリンピックの時はメニューも変えてくれるんですよ。
毎日違うメニューにして飽きないように工夫をして、栄養バランスが取れるように、いろんな国の選手が来ておいしいものを提供できるようにって本当に工夫して作ってくれていたので、
常に新鮮で、常に皆さんで言うバイキングがいただけるような、選んで自分が好きなものを選んでいくっていうような環境だったんですよ。
とはいえ選手なので、おいしいものを食べていたら太るじゃないですか。
なので、摂るものも考えながら選手は摂っているんですよね。
自分の試合が終わった時は、これが食べたかったみたいな感じで、終わった選手はいろんな甘いものを食べたりしている選手もいたりしたんですけれども、そういったやりとりもすごく面白かったなと思いますね。
そういうところもね、アスリートファーストというのはね、そんな考えもされているんでしょうかね。
なるほど、ありがとうございます。
選手村についてもう一つお聞きしたいんですけれども、どんなお部屋に泊まられていたんですか?
選手村はですね、マンションのようなイメージですね。いろんなマンションがいくつも建っていて、そこに例えば一棟のマンションが日本チームのマンションですよ、次の隣が例えばアメリカのマンションですよ、みたいな感じで、結構国で一つの棟が決められているのが結構一般的な感じで、オリンピック。
国別にやってると。
そうなんです。国別でマンションが一棟が決められているっていうのが結構あるんですけれども、その中で部屋割りっていうのもマンションと同じような作りなので、まず玄関が一つあって、3つぐらい部屋があるんですよ。
09:03
で、振り分けていくんですけど、例えば2人部屋、2人部屋、1人部屋みたいな感じで振り分けていって住むみたいな感じなんですけれども、ショートトラックの選手はチームで行っていたので、女子5人、男子5人で行っていたんですよね。
なので、一部屋に女子が入って、次の隣の部屋に男子が入っていて、みたいな感じなんですけれども、どういう組み合わせにするかとか、いろいろとそこで先輩は一人部屋だよなとか、いろいろと暗黙の了解で決めていたっていうのがあったりもして。
そうなりますね。
はい、そうなったりしていたんですけれども。でもですね、ショートトラックちょうど長野の時に、嬉しいことに私がエースの立場で、でも実はエースなんですけれども、年齢的には一番下だったんですよ。
エースの立場だったんですけれども、先輩たちがすごく気を使ってくれて、一人部屋でいいよって言ってくれたんですよ。
試合数が多かったので、私は出る種目が多かったので、一人部屋で集中してみたいな感じで、すごく恵まれて、そこで集中できたので、すごく良かったなって思うんですけれども、でも私もすごく気を使うので、先輩には先にお風呂に入ってもらって、みたいな感じで。
お風呂も一つなので、お風呂の順番とかは先輩が第一優先で、私は最後とか、そういったことをいろいろとやりとりしながら生活していました。
なるほど。楽しそうですね。
そうですね。楽しいですし、緊張感もあるし、みたいな感じはありますけれどもね。
2週間滞在されているということなんですけれども、その間のコンディショニング、体のメンテナンスとかも当然あると思うんですけれども、メディカルの対応、その辺はいかがだったんですか?
メディカルはですね、実際に日本チームとして一人、帯同してくれる先生であったり、トレーナーであったりっているんですけれども、やっぱりチームで限られているんですよ。
入れる人数、コーチも、メディカルの方も、小人数で帯同していくので、人数が決まっていて。
なので、日頃から見てくれる先生であったり、チームスタッフであったり、なかなかついていけなかったんですね。
そういった場合は、選手村には入れないので、選手村の近くにホテルを借りていただいて、そこにトレーナーが滞在して、みたいな感じで。
選手が選手村から出て、トレーナーに体を見てもらったりとか、それは自由にできるので、そういった工夫をしている選手も何人かはいたりしましたね。
オフっていうのもあったんですか?
そうですね。あるんですけれども、とはいえオフでもやっぱり体を疲れさせてしまってはいけないので、休ませながらリラックスする方法であったりというのを各選手は考えていて、
自分はこれが一番リラックスできるかなとか考えて、私は結構お風呂入るのが好きだったので、お風呂長めに入ったり、少し街を見てショッピングしたり。
12:08
遊びに行っているわけではないので、そういう時間は極力なくしたんですけれども、ずっと集中していると持たないんですよ、集中力というのは。
オンとオフをしっかりとしなきゃいけないなというふうに思っていたので、ちょっとリラックスするために街を見たりというのを私はしていましたね。
なるほど。選手目線から見た中野オリンピックの話、選手村だとか、本当に貴重なお話を聞いて本当にありがとうございました。
選手村はもう得意なんで、3回オリンピック出たんですけれども、3回ともオリンピックの選手村には初めから最後まで私たちいたんですよ、ショートトラック選手は。
開幕から閉幕まで。
開幕から閉幕までショートトラック選手はいて、例えばモーグルの選手は開幕の時にしか来なくてすぐに帰る。試合が終わってしまうので。
例えばフィギュアの女子の選手は最後に試合が待っているので、始めはいないんですけれども最後に合流して試合に出るみたいな感じだったので、ずっと2週間期間中に滞在しているのは限られた種目の選手だけだったんですね。
それがショートトラック。
私はずっと試合が続いていたので、開会式も閉会式も3回とも私は出て、その経験できる選手って実はすごく少ないんです。
オリンピック出場した選手でも両方開会式も閉会式も出ましたって選手は実はすごく少なくて、そういった中でも経験しているので、選手村のボスであったり、そういう気持ちになったりしましたね。
何でもわかっているから。
私に聞いてって。
本当にそうですね。皆さん初めて来た時にはコインランドリーどことか色々聞いてくるので、ここここみたいな感じで紹介したりしてましたけれども。
楽しいですねそれも。
そうですね。
選手村のことは実際に何でもわかるって。
何でもわかるみたいな感じでしたね。
ありがとうございました。本当に楽しい話だな。
さて一方でですね、今本当にオリンピックの楽しい話を聞いたんですけども、今度はですね、また選手時代の話なんですけども、どういったところで練習されていたのか?その変化があったんですか?
はい。日本でもちろんスケートリングあるので、生活できたりトレーニングできるんですけれども、私はより強くなりたかったので、単独でですね、日本代表選手としてはなくて、てしがらゆき個人として海外の選手と武者修行をしたくて、合宿を組んだりしてましたね。
それ海外に行くってこと?
海外に行くんですよ。日本を飛び出て海外の世界中を見たときに、今一番強いチーム、世界の中で一番強いチームのところに出向いて、トレーニングを一緒にさせてもらうっていうのをやっていたんですよ。
私がちょうど選手時代のときは、韓国の国がすごく強くて、選手が揃っていたので、実際にどんなトレーニングをしてどうして強くなっているのかがすごく知りたかったんですよ。
15:08
なので、武者修行のように一番トップのコーチのところに実際にお電話をして、練習をしに行きたいんですけど、いいですかと。何回かお話をしたときに、一人で来るのかって言われて、行きますみたいな感じで出向いて。
ナショナルチームじゃないんですよね。
そうなんですよ。誰も見てくれないので、実際に飛行機の手続きであったり、泊まる場所であったり、そういったものを全部自分でして、トレーニングは韓国なので、韓国語っていうのを少し覚えて、全部は難しかったので、使う単語をしっかり覚えて、実際に出向いて行っていたので、全て自分で用意しなければいけないっていう感じでしたね。
マネージャーの仕事も同人されてたって、全部一人でやるんでしょ。
全部一人でやるんですよ。
エアーの気配、ホテル。
ホテル、トレーニングの行き帰り、食事、全部泊まる、全部ですね。
頼れる人ってほとんど誰もいないわけでしょ。
誰もいないので、実際に現地の韓国の選手であったり、コーチに聞いたりして、面倒見てもらうじゃないですけど、分からないんだけどって伝えて、食事の時もコーチに、初めての時は食事場所に連れて行ってもらって、いいレストランを紹介してもらって、実際にメニューが、例えば韓国だと、韓国語なので、分からないんですよ。
英語だと分かったりするんですけど、韓国語なので全く分からなくて、その時に、少しこう、これはこういうもので、こういう、例えば、のり巻だよとか、キムチだよとか、いろいろ教えてもらって、覚えて、コーチがいなくても、自分一人でも行けるようにして、そこを常連のレストランで使わせてもらったりとか、そういう工夫をしながら、どうにか生きてましたね。
1回のその、なんていうんですか、遠征というか、その、合宿、それ、だいたい期間はどれくらい行かれるんですか?
だいたい短くて2週間くらい。
短くてね。
そうですね。1ヶ月ぐらいが、まあ、だいたいかなというふうな感じなんですけど。
そうなんですね。
なので、もう送り迎えもしてくれないじゃないですか。ないわけなので。
なるほど。
実際に現地に行って、私、特に韓国に行ったときに、どうしようかなって考えたときに、歩いては遠いし、バスとか使うのも、なんか時間もいい時間がないしって考えて、だったらもう自転車を買おうと思って。
現地で自転車を買ってですね。
自転車を買った。
そうです。で、止めるところもないじゃないですか。
なので、実際に泊まっていたホテルに交渉をして、ホテルのロビーに、本当に受付の前ですよ。
18:00
受付の前に止めさせてもらえないかっていう。
なので、その動揺、ちょっと、え?みたいな、そんな人いないんですけど、みたいな感じだったんですけど、止めるとこないんですみたいな感じで、フロントの目の前で止めさせてもらって、実際に行き来してましたね、それで。
すごいですね。
それもね、そういう努力がないと、強くなれないってことなんですね。
遠慮してたら、もう強くなれないと思ってたので、できることはちょっと自分でやりながら、言えることは言おうっていうところで、いろいろ考えながらやってましたね、いろいろ。
トレーニング時間そのものは、だいたいどれくらいの?
少なくても、午前中3時間、午後3時間はやってましたね。
午前中3時間、午後3時間。
本当に普通にやってましたね。
それに例えば、体のメンテナンスとか入れるともっとですけれども、トレーニング時間としてはそれくらい追い込んで。
6時間ずつ表情にいらしてたの?
いや、もう陸上トレーニングをして、表情トレーニングをして、両方ですね。
合わせてね。
なので、それこそ走り込みであったり、ウェイトトレーニングであったり、坂ダッシュであったり、腹筋拝筋であったり、もう半端ないんですよ。
例えば腹筋の角度、もうほぼまっすぐ、ほぼ足つり上げられてる感じです、角度が。
ほぼ下に頭がもう90度。
そう、90度。ほぼ90度なんですよ。
ほぼ90度の腹筋が来た時にびっくりしました。
90度って何ですか?みたいな。
これはもうやるしかないよねっていう感じですよね。
やらないと血が昇るし、やめられないんですよ。
っていうくらいハードで、笑っちゃうくらいハードで。
だから腹筋は笑うと痛いんですよ、もう。
もうそこまで追い込んでやっていたので、それが逆におかしくて、もう本当にすごかったですね。
なるほどね。
でもこれだけやらないと強くならないんだなっていうのが分かったので、それを持ち帰って日本で日本の選手に伝えたりして、やろうよ、これをやろうよって。
なるほど、韓国すごいですね、だけどね。
そこまでね、やっぱり体を自分で追い込んで、自転車で帰ると。
疲れてても栄養は取らなきゃいけないので、ちゃんと良質なものを取って、栄養補給をして、ちゃんとメンテナンスして寝るっていうこともやってましたね。
海外にそういうトレーニングに行って戻ってくると、自分が変わってるなっていう感覚はあるんですか?
そうですね、メンタル面もそうですし、体がすごく強くなってるなっていうのと、世界中の一番トップの選手と練習ができるわけなので、
自分の今置かれている立場っていうのが分かった上で、何が足らないかっていうのを感じて帰ってこれたので、よりトレーニングを頑張れるようになりましたね。
なるほどね。海外は韓国以外にもいろいろと行かれた?
21:02
行きました。イタリアにも行ったんですけれども、それはなぜかというと、例えば私長野オリンピック、ソルトレイクオリンピック、鳥のオリンピックと行ったんですけれども、鳥のっていうところがイタリアなんですよ。
鳥のオリンピックの前にイタリアに行っていたんですけれども、やっぱりイタリアで行われるので、イタリアの選手って相当強化をしてきたんですよね。
そこに入りたいっていうふうに思って、またその時にもイタリア語わからないんですけれども、電話をして、ナセロチームのところに直接電話をして、面倒を見てくださいと。
一番ライバルじゃないですか。
そうですよね。
メダル取りに行くので、母国イタリアで行われる大会があるしって、なかなか面倒普通に見てくれないと思ったんですけれども、心よく一人だったらどうぞみたいな感じで見てくれていて、その時も本当に必死でしたね。
生活環境全然違うんですよ。
確かに。
アジア系の方たちと、やっぱりヨーロッパ系であったらイタリアの選手の生活リズムが全然違って、
例えばイタリアの選手って、イタリアの国って、実はですね、昼ご飯食べた後に休むっていう習慣が実はあるんですよ。
シースターみたいな。
そうなんですよ。で、お昼ご飯はすごく賑やかに皆会話をしながらご飯を食べて、その後ピタッと休むっていう時間があって、夕方から活動するんですよね。
なので、お昼ご飯食べた後からはお店も開いてないんですよ。
お店はみんな休むので。
国自体がみんなお休みだよっていう感じにするので、買い物行きたくても開いてないんですよ。
そのリズムをまず整えるっていうので、国によって違うので、そういったこともすごく勉強しながらやってましたね。
日本の感覚で生活しようと思うと、お店も開いてるし。
そこをまず把握して、国をまず理解する。国を理解して、人柄、全然違うので、イタリア人っていうのはこういう人間性だよっていうのも感じて、
あとはやっぱりしゃべらないとコミュニケーションがすごく必要になってくるので、置いてかれないようにしてましたね。
ちなみに自転車買ったんですか?
その時は借りました。レンタル。イタリアはレンタルがあったんですよ。
やっぱり自転車借りましたね。買ってはいないんですけど。
世界中に何か自転車持ってんのかと思って。
なかったですけど、ちょうどたまたまレンタルっていう便利なものがあったので。
よかったですね。
イタリアはずいぶん面白い話もね。
トレーニングの成果で3回オリンピック出場されて、いろんな思い出はあるとは思うんですけども、
その後、当然アスリートですから、引退というね、そういう時期も迎えなければいけないということだと思うんですけども、
何歳ぐらいから意識をして、何歳でご引退されたんですか?
24:00
これはアスリートは皆さん、引退の時期ってすごくシビアな問題だと思うんですけれども、
私はですね、中学時代に引退を視野に入れながら実は活動していたんですよ。
中学から?
なぜかというと、引退をした後どういうふうに生きていこうかなっていうのを考えていたんですよ。
そこで出会ったのが、中学2年生の時に日本一になって、いろんなメディアの方たちがインタビューをしてくれていたりしていたので、
その経験があったんですよね。
そのメディアの方たちがすごくキラキラと、皆さんすごく綺麗に私は見えてですね、
スポーツ選手を引退したらスポーツキャスターになりたいなというのが、目標が明確にありまして、
特に私が現役中の時にすごく綺麗だなって初めて憧れるキャスターがいたんですけど、
アメミヤトーコさんというキャスターがいらっしゃいまして、
覚えてますよ。
覚えてます。
もうその方がですね、すごく綺麗なスーツを着て、白のスーツを着てインタビューをしてくれたんですよ。
それがすごく私の中で、中学生だったんですけれども、
わあ、こういう仕事いいなって憧れたんですよね。
なのでスケート選手を引退をしたらスポーツキャスターという夢に向かって私は進みたいというふうに思っていたので、
その頃から引退をしたらキャスターになりたいんだよっていうのを伝えていて、
なのでこう自分で考えてましたね。
いつ頃引退をしてキャスターになってっていうのをずっと考えていて、
トリノが終わった後に3大会オリンピックに出場できたので、
トリノ五輪が終わった後にすごくやり切ったなと思ったんですよ。
自分のやれることは全てやり切って、悔いがないなっていうふうに感じたので、
その時にも引退を決意して、
オリンピックの最後の舞台に立ったんですけれども、
その舞台に立った時には次の夢に向かってほぼ進んでいた感じですね。
すごいな。
何も考えない時期がなかった感じですかね。
中学1年生の時から憧れてたスポーツキャスターという仕事?
夢としてありまして、
そのためにはどうしたらいいかなっていうのを選手時代から結構考えて行動していましたね。
すぐスポーツキャスターに転身できたんですか?
そうですね。ありがたいことに引退をして、
キャスターではないんですけれども、歩くイベントの旅人になることができまして、
実際にテレビに出演することができたんですね。
なのでそれは夢に一歩近づいたなというふうに思いまして、
それからキャスターということもしました。
なので実際に引退して1年後にはキャスターにも挑戦をすることができて、
夢を叶えることができて。
27:01
旅番組からスタートしたっていう。
そうですね。初めての旅番組。
自分の足で歩くという。
中鮮道を歩くという日本の5回道があるんですけれども、
その一つの中鮮道を歩くという旅番組の旅人になりまして、
2ヶ月半かけて中鮮道を自分の足で歩いたんです。
そういうのもすごくいい経験になりましたけれども、
それが初めての仕事ですね。
またオリンピックの機会がいろいろと4年に1回行われますけれども、
スポーツキャスターということにおいては、
やはりそういった大会ごとに何か関わって、
そういった仕事もしたいという、そういう思いもあるんでしょう?
そうですね。これまで冬のオリンピックであったり、
夏のオリンピックもそうですけれども、
開設という立場でお仕事をいただいたりもしていたので、
それを継続できたらいいなということも感じているので、
オリンピックがずっと続いていきますから、
夏冬関係なく選手を応援する立場として、
いろいろ発信できたらいいなというふうに思っています。
なるほど。また今年はパリオリンピックも開催されますからね。
日本の選手にはぜひ頑張ってほしいですよね。
そうですね。選手の気持ちもすごくわかるので、
そういったところでも選手の立場としてのお話も
伝えることができたらいいなというふうに思っていますね。
わかりました。ありがとうございます。
ありがとうございます。
今週は一般社団法人ナチュラルボディーバランス協会代表理事の
手塚原育恵さんにお話を伺いました。
来週はナチュラルボディーバランス協会の取り組みについて
お伺いしたいと思います。
手塚原さん、今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
常田幸永がお送りしているビルドアップローカル、
本日はここまでとなります。
番組の感想は各媒体のコメント欄か、
Xでハッシュタグビルドアップローカルを
カタカナでよろしくお願いいたします。
そしていつも番組をお聞きくださっているリスナー様に
素敵なお知らせです。
星野スポーツクラブオリジナルTシャツを1名様、
また一般社団法人ナチュラルボディーバランス協会の
ロゴ入りマスを2名様、抽選で計3名様に
手塚原育恵さんのサイン式紙を付けてプレゼントいたします。
詳しくは渋沢くんFM公式Xをご覧ください。
皆様のご応募、どしどしお待ちしております。
お相手はビルドアップローカル、番組ナビゲーターの
常田幸永でした。
それではまた。
30:31

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