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2024-08-02 23:03

#10‐1 ゲスト:WEリーグ コミュニティオーガナイザー 海堀あゆみさん

今月のゲストは、元サッカー日本女子代表選手であり、

公益社団法人日本女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)

コミュニティオーガナイザー 海堀あゆみさんにお越しいただきました。

 

【今週のテーマ】

・海堀あゆみさんの経歴

・WEリーグコミュニティオーガナイザーについて

【番組内容】

スポーツ×街づくりをテーマに、30年のスポーツ界でのキャリアをもつ常田幸良が、スポーツを通じて街を盛り上げる様々な人にフォーカスを当て、掘り下げていく番組です。

番組の感想は各媒体のコメント欄、または X(旧Twitter)で #ビルドアップローカル でよろしくお願いいたします。

【配信日】

毎週金曜日

【出演】

パーソナリティー: 常田幸良 ▼しぶさわくんFM公式サイト⁠⁠⁠https://shibusawakun.fm/ ▼公式X →@shibusawakunfm⁠⁠⁠

⁠⁠⁠https://twitter.com/shibusawakunfm▼しぶさわくんFM 公式YouTubehttps://www.youtube.com/@sibusawakunfm/featured⁠⁠⁠

▼常田幸良X →@for_VERDISM

⁠⁠⁠⁠https://x.com/for_verdism?s=11&t=QeZdPyid7Oso6Kj⁠

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00:09
BUILD UP LOCAL!番組ナビゲーターの常田幸永です。
この番組は、30年のスポーツ界でのキャリアを経て、現在は地域金融機関に勤務している私が、これまでの経験とゲストの皆様とともに、スポーツを通じて街を豊かにしようという番組です。
さて、今月のマンスリーゲストは、公益社団法人日本女子プロサッカーリーグ WEリーグのコミュニティオーガナイザー、海堀あゆみさんにお越しいただきました。
海堀さん、どうぞよろしくお願いします。
なんかニコニコ笑ってますよ。
よろしくお願いします。
海堀さんなんですが、1986年、京都府のお生まれということで、これまでナデシコジャパンの正ゴールキーパーとしても数多くの試合に出場されて、実績も残されています。
その海堀さんに今週はですね、WEリーグ、女子サッカーについてお聞きしたいと思いますので、改めましてよろしくお願いいたします。
はい、お願いします。
それではですね、まずはじめになんですが、海堀さん、サッカーを始められた時期とかきっかけ、この辺ちょっと教えていただきたいんですけど。
そうですね、本当の本当の一番最初から言うと、幼稚園でサッカーボールを蹴るのが楽しかったぐらいから始まり、小学2年生の時に引っ越しをしたタイミングで少年団に入ったのが一歩目かな。
きっかけで言うと、多分私はあまりサッカーをしたいって自分で言った記憶はないんですけど、両親がお友達を作るためにサッカーをした方がいいんじゃないかみたいなところと、父がサッカーをしていたので、その辺の影響があったのかなって思っています。
なるほど、ずいぶん早い時期から始められたってそういう印象ですね。
そうですね、まあでもこの時少年団に入っていたので、毎日練習があってとかではなくて、平日は自主練の日が何日かあって、土日試合しますみたいな、ゆるっとした感じで始めましたね。
なるほど、京都ご出身なんですけども、京都の中でも大稀のその地域、そこはサッカーが盛んだったってことなんでしょうかね。
そうですね、長岡郷ってところなんですけど、本当に有名どころで言うと、今フロントにいるのが飯永選手だったり、宇佐美選手もか、オースカンバーの宇佐美選手のお兄さんとは同い年で一緒に対戦させてもらったりだったり。
長岡郷自体が、改めて最近帰って思ったところは、地域総合型クラブが各学校にあるみたいなところもあったので、スポーツ全体的にすごい盛んだったのかもしれないですね。
03:05
そうですか、わかりました。ありがとうございます。
中学の時にアンダーの代表とか、そういったところに入ってご活躍されているということも、ご経歴としてお聞きしているんですが、そのあたりはいかがですか。
そうですね、中学生のタイミングで女子のクラブに、当時の高槻、スペラントFC高槻っていうところに入ったんですけど、その時はゴールキーパーじゃなくて、ディフェンスの方だったので活躍させていただきました。
ゴールキーパーじゃなくて、ディフェンスだったんですね、最初は。
そうですね、ディフェンスからサイドからトップまで行って、ぐるっとして一度サッカー辞めて、帰ってきたらゴールキーパーだったという、地球一周したような感じですかね。
ちょっと遠回りしながら、しばらくサッカー辞めてた時期もあった?
実ははい、ありましたね。
そうなんですね、意外ですね。
よく言われます。ずっとキーパーやってたって言われるんですけど。
そういう印象がね、強い人たくさんいると思いますよ。
そうですか、わかりました。
中学の時に、全国大会にもやられて、優勝もされてるってことですよね。
中1、中2は優勝したんですけど、中3の時に、ニッテレメニーナという、
メニーナにやられました。
決勝まで行く前に当たって、まあまあ負けました。
その時の印象覚えてます?強かったですか?
いやー、強かったですね。
実際、その選手も、やっぱりなじみの選手もいらっしゃるんでしょ?
そうなんですよ。蓋を開けてみれば、そうですね。
岩清水選手だったりとか、宇都木選手だったりとか、長里選手だったりとか。
あそこは姉妹でいたのかな。
ああ、そうですか。
相当あるメンバーですね。
そうですね。蓋を開けたら、すごいメンバーいましたよね。
なるほど。で、高槻の方は?
高槻の方は?
こちらは、坂口代表で、坂口。
坂口瑞穂選手。
がいましたね。
あと、上辻選手も一緒にやってたので。
すごいですね。その選手たちみんな、2011年のワールドカップ優勝してますよ。
そうですね。今考えると、結構ここで基盤ができたというか。
そうですよね。すごいですよね、このメンバーも。
分かりました。
中学時代、全国大会2連覇されて、高校に入られて。
その時はまだフィールドだったんですよね。フィールドプレーヤー。
高校に入られて。
一度、公式テニスの方を部活で始めました。
なんと、貝掘さんが、公式テニス。
はい、そうです。やってましたよ、ボール。
そうですか。上手だったんですか?
まあまあ、そこそこ。身体重量が高かったので、京都府の予選は突破できるぐらいまでは。
そうですね、やっぱり。
中選の苦渋が、私、とてもとても強くて。
大体、2回戦ぐらいで、4本の指の選手たちをベスト4に入るような選手たちを引くっていう自分で。
06:04
大体そういうあれでしたね。
なるほど。そうですか。テニスやられて、その後またサッカーに戻られると。
そうですね、はい。
その時にゴールキーパーに転向なんですか?
これは話し出すと、たぶんこの時間全てを使ってしまうんじゃないかってぐらいの。
簡単に言うと、この中学生で一緒にやってた友達が2人いて、1人は高校も一緒だったので、テニスを始めたきっかけがその子が一緒にテニスをやろうということで。
その友達2人が私がいないところで、いろいろお話をして、私をサッカーに戻してくれたというのがオチ。
その時になぜかゴールキーパーだったというのがまたオチです。
なるほど。そうですか。そういうような状況にあったんですね。
そうですね、はい。
わかりました。ゴールキーパーに転向されるということで。
そしてゴールキーパーのポジションでスペランサーの時に、これはナデシコリーグ時代ですよね。
なんとここで広角を経験されると。
そうなんですよ。初めてすぐぐらいですね、これ多分。
ちょうど2008年の前だったので、ゴールキーパーを始めて。
一番最初に始めた時は外国人の選手がいて、私は試合に出てなかったんですけど、彼女が帰ってサメを晴らしてもらい。
もともと強くないチームだったのであれなんですけど、その年のレギュレーションも変わり、上位リーグ、下部リーグみたいな。
下部に入った瞬間も真っ暗といいますか、みんな毎試合行きた心地がしないような日々を過ごし。
この時入れ替え戦が始まって、ホームアンダーウェイじゃなくて中立地で一発勝負ということで。
どこでやったかも全然覚えてないんですけど、大雨の中本当に水溜まりでサッカーでもならないようなところで見事に負け、攻殻したという思いです。
相手はどこだったんでしょうか。
大原学園でしたね。
大原学園にナデシコリーグ戦の入れ替え戦で負けて攻殻をしたと。
辛かったですよね。
なかなか始まったばかりで私には心にグサッといいますが、思わせられない景色ですね。
なるほど、そうですか。
そしてその後に藍名神戸に移籍されるんですけども、いろいろオファーあったんですかね。
負けた時に何チームからオファーいただいてて、そのタイミングで移籍するってこともあったんですけど。
私の中でゴールキーパーとして守れなかったというか、残すことができないという中でちょっと移籍するという気持ちにはなれなくて。
1年で上げようという気持ちで頑張ってたんですけど、上げることができなくて。
どうしようかなって悩んでる時にその次の年が北京オリンピックのタイミングだったので、一度落ちてる時に選ばれたんですよ、メンバーに。
09:06
ちょうどそれがワールドカップの予選。
なるほど。
メキシコに行かせてもらってコーチトレーニングみたいなのがすごいえげつない。
しんどかった。それもしんどかったというか。
なるほど。
そういう経験をさせてもらって、自分の力のなさだったりとかそういうところも感じる中で次オリンピックという大舞台があるという中で、
すごい恩師が一人いて、その方にお前ならできるというか、そういうところで移籍するべきだというところで。
上に行くなら移籍するべきだというところで、悩みの中で移籍する決断をしたんですけど。
当時私は完全移籍という言葉で言うと、レンタル移籍みたいなイメージで行きますということを言ったので、あまり深く考えてなかったのか。
完全移籍というと私が拒むことを多分恩師たちもみんな分かってたと思うので、うまく言葉で私が行けるようにというのはうまくしてくれたのかなと思うので。
本当に周りに恵まれたと言いますか、感謝しかないですね。
そうだったんですね。移籍されてですね。
ワールドカップを経験されるわけですよね。
同一開催だったと思いますけども、初出場で同時に初優勝を経験されたと。
そうなんですよね。
これはね、僕覚えてますよ。
決勝アメリカでしょ?
そうですね。
最後のPK戦。
あれは本当に痺れた。
ありがとうございます。
その時の話聞かせてください。
いいですよ。
そうですね。その時は本当に一生懸命だったので、キーパーで言っても私初出場ですし、経験ある二人が上に行って、とりあえず目の前のことに一生懸命だったので、あまりその優勝という実感は持てなかったというか。
とりあえず目の前の強い人たちに負けれないと。
私は最後一番をするので、責任もあるし、結果を残すしかないという日々でしたね。
本当ですよね。日本中が本当に注目してましたよ。
はい。
あれPK何本止めたんですか?
2本止めましたね。
決勝でしょ?
はい。1本外してくれて。
そうですね。その裏話というと、もうあれなんですけど。
1個前の試合でアメリカPK戦になってたので、一応データはあったんですよ。
キーパーコーチと一緒に合図を決めて、こっち右手で持ってたらどうだこうだみたいな感じだったんですけど、私はそういうのをいざなるとちょっと頭に入ると迷っちゃうので、一回も見なかったんですよね。
結果的に後から知った話、同じ方に蹴ってたらしくて。
そうなんですか。
なので、もしそれで私が止めれてなかったら、ちょっと責任重大だったと思って。
なるほど。そういう裏バランスもあるんですね。
本当に優勝というのは日本全体が盛り上がりましたし、しかも女子のスポーツ、それが本当に世界の頂点に立ったということで、
女性のスポーツをやられているプレイヤーも本当にみんな喜びましたよね。
12:02
日本人としても全員が喜びましたね。本当に素晴らしかった。
行くときは本当になんですかね、みなさんナルシコジャパンって言葉も知らないというか、認知度も多分なくて、本当数名の方がお見送りをしてくれてたところで、
現地に行って結果を出すたびに、日本すごいことになってるよみたいなことを聞いていたんですけど、またそのとき当時ガラ系ですし、
そんな今みたいな情報が流れるようなところでもなかったので、まさかなというか、とはいえと思ったんですけど、
やっぱり帰ったときに空港にたくさんの方がおめでとうと言ってくれたりとか、テレビだったりとかそういう方にいろいろ取り上げてもらって、
うわーすごいなーってところは実感しましたし、その後の生活でも普通に歩いてても何気なく過ごせた日常が、
かよるさんですよね、とか応援してましたって言ってもらったり、今でもイベントに行かせてもらったら、そういう風に今崎みんなに感動しました、あのときはって言ってもらえるので、
本当に大きなことをしたなーってところだったりとか、すごいことをしたんだなって噛み締める半面というか、それ以上にこれからもそういう女子サッカー界を作っていきたいですし、
そこで終わらせるわけにはいかないというか、次の世代にみんなで新しい歴史に繋いでいかないといけないと思うので、というところではすごく今感じてますね。
もう一つ、2011年に言うとやっぱり震災ってところは、やっぱり切っても切り離せなくて、
日本人にとってはね。
はい、なのでそういう意味でもすごく意味のあった年ではあったと思いますし、やっぱり目に見えない力と言いますか、それもあって多分日本って一つになってもらえたところもあったと思うので、
そういう思いだったり、今までこの時代までというか、日本の女子サッカーが日の目を浴びないところでも続けてきてくださった上の方たちがいて、ようやくここで多分一つの花が咲いただけというか、
結果としては優勝という形で一つ花が咲いたのがこのタイミングだったということで、いろんな要素がやっぱり結果を残すためには、私たちだけじゃ絶対ここは残せなかったですし、
本当に皆さん何気なく応援してくれたかもしれないですけど、朝起きでテレビつけたら応援してくれたって方も多分たくさんいて、
そういう一人一人のちっちゃな応援が多分大きなものを動かしてくれたと思うので、そういう見えない力って大きく動いているものがあって、
かつこういうのを動かせるというか、それがスポーツの持っている力というか、そういうのはこのワールドカップで経験させてもらった。
言葉ではこう、今何か咀嚼しては言ってますけど、何かその言葉にできないものが本当にたくさんあったなと思います。
なるほど。当時の思い出がね、気持ちとして今本当にね、お自身の言葉で言うところが伝わりますよ。
ありがとうございます。
ちょっと話が変わるんですけども、ゴールキーパーってポジションの中でも怪我があって非常に多いんじゃないかなとちょっと思ってるんですけど、
過去ね、大きな怪我をした経験ってあるんですか?
そう、キーパーに怪我があって月も止まるんですけど、私が大きな怪我をしたのは指の脱臼と肘の脱臼で、
15:03
しかも、年産をしたことあるんですけど、全部右ですね。
すべて右?
右。
何かあるんでしょうかね?
分かんないですけど、右利きなので、結構左の方が良かったなって思うことがたくさんありました。
右の肘?
肘の脱臼ですね。
肘ってこう、落ちた時ですか?
えっとね、それはね、ちょうどキーパーに始め直したのが交差の夏ぐらいだったんですけど、
多分その後、デビュー戦っていうのが、たまたまその海外の選手、さっき言った選手が来なかった日があって、
もし私出られると思って出て、最後5分ぐらいに地面に手をついて、前に出ようと思った時にちょっと手をついちゃって、
そのままポキッと、脱臼したことなかったんですけど、あ、外れたって分かりました。
しかもデビュー戦で?
デビュー戦で、しかもラスト何分かで、そんな大したことでもなかったんですけど、
まあ多分疲れてたのかな、デビューで毎日やってたのか。
で、ポキッと行って、でも幸いにもドクターがいて、チーム、その会場に。
で、すぐ入れてもらえて、かつ本年にも人体にも影響なかったので、不幸中の幸いというか。
なるほど。
先輩が肘脱臼した時は、すぐ入れてもらえなかったので、もう一回固まっちゃうと、入れるのすっごい痛いらしくて、
もう抑えられて、わーって言ったのを聞いて、よかったなって思いました。
ありがとうございます。
もう一つなんですけどね、最初はサッカー始められた頃フィールドプレイでやられて、ゴールキーパーに転向されて、
それぞれのメンタリティーって、ちょっと違うんじゃないかなって僕は思うんですけども、
その辺っていかがでしょうか?
そうですね、私の話になるかもですけど、ゴールキーパーになって、
本当に仲間の大切さというか、サッカーってチームスポーツだなって感じたのは、ゴールキーパーになってからより深く感じるようになりました。
そうなんですね。
フィールドの時も、みんなでやってるっていう気持ちはあったんですけど、
でもなんだかんだ言って後ろにはキーパーいてくれるし、いっぱい多分カバーしてくれてたので、
なんかそういうとこってあんま感じなかったのかなっていうのはあるんですけど、
キーパーになって、やっぱり背もそこまで高くなくて、やっぱり取れない場所っていうのは絶対にあって、
そういうところをね、ディフェンスの人と話しながら取れる可能性を上げたりとか、
あの時あのプレーできてよかったねみたいな、練習したんでたねとかいうのも、
やっぱりキーパーになってからすごい密に取り出したコミュニケーションであったり。
そうなんですね。
みんなに助けてもらわないと守れないので、
っていう意味では11人いる意味だったりとか、キーパーって一人しか出れないポジションでもあるので、
なんかその試合に出る意味だったりとか、出てない人の気持ちだったりとか、
そういうのはなんかすごい考えさせられたのがゴールキーパーになってからかもです。
なるほど。ゴールキーパーの時により感じたと。
ですね。かつ出展しても後ろですごいサポーターが応援してくれたり。
なるほど。
フィールドでも感じてると思うんですけど、パワーをいただく機会も多かったので。
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なるほど。フィールドよりはゴールキーパーの立ち位置の方がスタンドからの声援とか受けるかもしれないですね。
はい。やっぱ責任も重大と言いますか。
一番最初にキーパーを始めた時に、みんなのミスをミスにしないキーパーになりたいなと思って。
なので私が止めればみんなのミスもチャラになるし、
ってところはキーパーになって初めて思った感情だったかもしれない。
かっこいいですね。
偉そうなことは言ってほしいけどね。
ありがとうございます。
それはでもずっと思ってたことですね。
ありがとうございます。
現役を引退されて、今はウィーリーグのコミュニティーオーガナイザーという役職でお仕事されてるんですが、
この役職というのは主にどんなことをされているのか教えてもらえませんか。
そうですね。簡潔に言うと女子サッカーに興味を持ってもらうか、一緒に何かやりたいという仲間を増やしたいので増やせるような活動を頑張っています。
なるほど。本当にご自身の経験と現役時代のそういったご経験、両方持たれているので、
いろんな目線で仲間を囲い込んだりとか、そんなことができそうですね。
そうですね。本当にサッカーと言っても、スルー・ミルー支えるじゃないですけど、たくさんの視点があると思うので、
いかにいろんな角度からいろんな仲間が増えていったりするといいなって今すごい思っています。
なるほど。現役の選手もいろいろ知り合いが多分相当多いと思うんですけども、
例えば現役の選手とそういったお話とかってやっぱりする時あるんですか。
そうですね。選手とはザックバラなんですけど、どう?とか話を聞いたりとか、
選手のサッカーの話になったりとか、お聞きな話もしますし、コアな話もしたりとか、
お聞く何かというか雑談ということはよくしたりはしますね。
なるほどね。当然試合会場にも足を運ばれているんですよね。
そうですね。試合見に行ったらファンの方だったりサポーターの方だったりとかもっとコミュニケーションしたいなって思います。
あれながらもなかなかできないところもあるので、来シーズンについてはそういういろんな方に話をしたり、
どんな風に思っているかだったりとか、女子サッカーの魅力ってのをやっぱり教えてもらうことも本当にたくさんあるので、
会場にいる方にはそういうお話を聞きながら、逆に本当にまだまだ女子サッカーのことを知らないというか、
どこが魅力なのとかそういう質問は多分率直にあると思うので、
そういういろんな方にお話を聞きながら女子サッカーを再認識というか、
こういうところが良かったねってところだったりとか、
こういうところまだまだもうちょっと伸びしろと言いますか、
っていうのを皆さんと本当に見つけていって、魅力あるリーグにしていけると嬉しいかなと思います。
それは本当にファンだったりクラブも含めてですね。
ありがとうございました。
今週はですね、公益遮断法人日本女子プロサッカーリーグ、
Wiiリーグのかいほりあゆみさんにご自身のことについてお聞きいたしました。
21:03
来週はWiiリーグについてお話を伺いたいと思います。
かいほりさん本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
常田幸永がお送りしているビルドアップローカル。
本日はここまでとなります。
番組の感想は各媒体のコメント欄か、
Xでハッシュタグビルドアップローカルをカタカナでよろしくお願いいたします。
いつも番組をお聞きいただいているリスナー様に素敵なお知らせです。
Wiiリーグのマスコット、Wiiナのクリアファイルとステッカー、
そしてゲストのかいほりあゆみさんのサイン式紙をセットで3名様にプレゼントいたします。
詳しくはしぶさーくんFM公式Xをご覧ください。
皆様のご応募、どしどしお待ちしています。
お相手はビルドアップローカル、番組ナビゲーターの常田幸永でした。
それではまた。
23:03

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