宇山悟の紹介
BUILD UP LOCAL!!
BUILD UP LOCAL!!番組ナビゲーターの常田幸中です。
この番組は、30年のスポーツ界でのキャリアを経て、現在は地域金融機関に勤務している私が、スポーツを通じて、街を豊かにしようという番組です。
さて、今月のマンスリーゲストは、フェンシング・エペ男子団体金メダリストで、東京都北区スポーツ大使の宇山悟さんにお越しいただきました。
宇山さん、どうぞよろしくお願いいたします。
宇山さん、こんにちは。よろしくお願いいたします。
宇山さん、ゴールドメダリストですよ。
ありがとうございます。
この番組をですね、以前オリンピアンの方、メダリストの方が来ていただいたことがあるんですけども、ゴールドメダル初めてです。
それはもう光栄です。ありがとうございます。
どうぞよろしくお願いします。
宇山さん、身長高いですよね。
ちょうど190センチぐらいありますね。
とてもしなやかな感じなんですけども、
細身ですね。
体型は元気時代とは変わらないような感じですか?
やっぱり筋肉は落ちたな。筋肉量もおそらく測ると落ちてるかなっていうぐらい、体がしもんでいるのは感じます。
そうなんですね。
体重も少し落ちたような感じなんですね。
本当に別の意味で体重が過去最高記録を更新してて、
ちょっと今年は運動量を増やさなきゃなということで、いろいろ計画をしてます。
そうなんですね。
宇山さん、ご出身は香川県?
はい。香川県の高松市になります。
というところですよね。
そこでずっと高校ぐらいまでですか?過ごされたのは。
そうですね。高校卒業までは高松市の方に過ごしまして、大学の方は京都の同社大学というところに進学をさせていただきました。
なるほど。高松市どんなところなんですか?
なんて言いましょう。うどんですね。
うどん。
とにかくうどんです。
確かに。香川県といえば高松。
高松空港と瀬戸大橋がつながってますので、やはり経済というか活発なんですね。
僕は残念ながら高校までで、そこから大学4年間は京都に行ってしまったんですけれども、
引退してからゆっくり香川に帰った時に、いわゆる飲み屋さんですね。
繁華街に行ってみると、こんなにいいお店いっぱいあったんだと。
もっと学生時代にいろいろ散策したかったなというお店が今更ながら巡っているんですけれども。
高校生じゃ散策できないですもんね。
そうですね。お酒飲めないですから。
気候的には良さそうなところなんじゃないですか?
そうですね。気温はどちらかというと暖かめで、雨が時々少なかったりするんですけれども、
水不足というものは香川県が時々困っていて、高知のサメウラダムというところから水をいただいて、香川県に供給していただいていると。
そんな状況なんですけれども、基本的には自然豊かで、瀬戸内海近いですので、お魚も美味しいということで。
フェンシングへの道
確かにね。そうですか。海が近いところっていいですよね。
そうですね。今日は私はスポーツというかセンシングをしていますけれども、海系の競技がかなり強くて。
なるほど。
セーリングとか。
そうか。
あとトライアスロンとかも。
トライアスロン。
すごく大会もありますし、それから選手も活躍しているというのは聞いたことがあります。
そうですか。なるほど。やっぱり海が近いってことは、そういう選手がどんどん伸びてくるってことですね。
やっぱりそういう環境があると。
環境がね。なるほど。子供の頃はどんな遊びをされていたんですか?
どちらかというと、僕はスポーツというよりかは文化系の生活を送ってまして。
そうですか。
お絵かきとか。
お絵かき。意外だな。
あと囲碁とか。
囲碁。意外だな。
あとプロフィールとかで一応出しているんですけど、楽器ですね。3歳頃に気づいたら音楽教室に通っていて。
いわゆるオルガン教室というか、そこからピアノというところにピアノやってみましょうみたいな形で流れて。
その後エレクトーンという、ヤマハさんが作った電子鍵盤楽器ですよね。
そちらの方で中学校入学までは頑張っていたような形なので。
スポーツでいうとあまり競技スポーツを経験したような記憶はあまり残念ながらないんですけれども。
ただ溺れないようにということでスイミングクラブ。
それから本当に一瞬だけテニススクールに通っていたようなことはあります。
小学校の間だけですから。
そうなんですね。囲碁とか。
それから水泳とか。
あとオルガン、ピアノ。
意外ですね。文化芸ですね。
どちらかというとインドア派で。
カードゲームとかいわゆるビデオゲームみたいなのも勤しんでいた時期もかなりあるんですけれども。
その頭脳戦とか駆け引きみたいなところがもしかしたらフェンシング。
出会った時にちょっと面白いかもしれないと思った一つの要素かもしれないですね。
なるほど。そうですか。分かりました。
水泳を中学まで。
はい。小学校卒業まで。
その後フェンシングってことなんですか?
そうですね。小学校卒業して中学校に入学した時に。
兄が県立の中学校なんですけど受験をしないと入れないということで。
先にもちろん入学してたんですけど。
そしたら兄がフェンシング部に入ってるらしいみたいな。
その時に初めてフェンシングっていうのを知って。
いわゆるそれぞれの部活動をPRする場の時にフェンシング部ですって言われた時に。
最初僕は釣り部かなと思ったんですよ。
釣り部?
フィッシング。
なるほど。
フィッシング部の間違いなのかなっていうことで最初フェンシングと出会ったのはそこです。
そうなんですね。
後々話を聞くと今ほどフェンシングというワードが皆さん聞いた時にそういうスポーツがしっかりあるよねとか。
ざっくりですけど日本が最近ちょっと強くなってきたよねみたいな認識が全然全くない頃だったので。
全然新しいスポーツ。
しかも兄が入っててその周りの先輩方が熱心に誘ってくださったんで。
じゃあちょっと始めてみようかなみたいな感じで体験入部からスタートしたという流れです。
始めた頃はどうだったんですか?やっぱり楽しかったんですか?
本当に訳もわからずですよね。
剣をまず人ではなくて壁について慣れていくんですよ。
金属の剣って結構どっしりしてて大体重さは800gから900gぐらいあるんですけど。
それを壁にグッと伸ばした時にこれどうやったらいいのかわかんないし伸ばし方も肘を曲げたところでいいのか。
そしたら先輩からもっとちゃんと伸ばせって肘を伸ばせってガーンってつけみたいな。
すごい新しい世界だなっていうのはよく覚えてます。
そうなんですね。最初は壁に向かって練習を始めるんですね。
そこから肩を少しずつ覚えていって。
そしたらもうあれですよね。いわゆる兄弟喧嘩をフェンシングのルールの中でやるみたいな。
そういったところから僕の競技ですね。技を競うっていうところが多分初めていったのかなと思います。
なるほど。
宮本さんね。フェンシングっていくつかいろいろな種類があるってお聞きしてるんですけども。
エペを始めた理由っていうんでしょうかね。
いきなりもうエペから入るぞっていう感じの入り方だったんですか。
それとも選んだんですか。
ありがとうございます。今言っていただいた通りフェンシングというスポーツには3つ種目がございます。
エペ、それからフルーレ、そして最後にサーブルと3つありまして。
それぞれ狙うところが違ったりとか。
剣の形もちょっと違ったりするんですけども。
一番簡単に言うとエペというものは全身どこでも相手より先に剣先をタッチさせると得点になるので。
やっぱり身長が高かったりとか腕が長いっていう選手が昔から有利なんじゃないかということが言われていて。
僕が中学校1,2年ぐらいにビヨビヨーともやしみたいに急成長しまして。
成長痛ですごく膝周りが毎日痛かったんですけど。
それで中2ぐらいにはもう多分70後半とか80センチいくかなぐらいのところだったので。
やっぱり後々は上山をエペやっていくしかないなみたいな感じで周りに勧められたっていうのはありますね。
そうなんですね。
じゃあ周りから勧められて身長の高さを生かしてエペはいいんじゃないかというような選択だったんですね。
もう勧められたままにエペというものを。
日本の強化というかその育成モデルはフルーレという種目ですね。
これを日本としては強くするということをずっと長きにわたって強化をしてたんですね。
それの最終形態として2008年の北京オリンピックでIOCで国際オリンピック連盟の方でアスリート委員やられている太田裕樹さんが個人で銀メダルを獲得されたんですけれども。
それを機にフルーレでメダルが取れたので今度はエペとサードレダーという形で強化を進んでいったんですけども。
僕が幼少の頃というか中学校高校というものはまだまだフルーレを全員やりなさいと。
やっぱり日本はフルーレ、お家芸みたいなところは残ってます。
なるほど。太田裕樹さんの影響が大きいんですかね。
そうですね。僕が高校2年生の時に2008年でちょうど太田さんがまさに第一号としてメダルを獲得されて。
ちょうど僕がその2週間前にインターハイで個人優勝したんですよ。
それも初めてインターハイというものに出場して優勝したので全然よくわからなかったんですけど。
2週間くらい後にオリンピックで太田さんがメダルを取られて。
やっぱり香川県の人たちはこの前香川県の高校生が日本一になってたからこいつが今度大人になったら日本代表選手になってオリンピックでメダルを取るんじゃないかみたいなことを
すごく周りから期待というか応援の声をいただいて。
だから僕はインターハイというものの優勝のすごさというか実感が全然まだなかった時だったんで。
オリンピックへの道
何言ってるのこの人たちみたいな。オリンピックは違うよと。
オリンピックはテレビの中で本当にいるかどうかわからない神様みたいな人たちがやってるところだよっていうイメージだったんですけど。
だから周りの人たちがオリンピックに君は出るんだって言われた時にいや出れないよみたいな。
そういう率直なコメントを返したような記憶はあるんですけど。
それからまたすぐご縁でその年の2008年の10月ぐらいにたまたま太田さんとお会いさせていただく機会があって。
本当に横に並んで写真も撮らせていただいてという時だったんですけども。
その時になんて言うんでしょう。もちろん体は鍛え上げられているしメダルももちろん金メダルをかけられててすごく凛々しいというかオーラは感じたんですけれども。
横で一緒にお写真撮らせていただいた時に意外とというか普通のやっぱり人間なんだなっていうところをその距離感が縮まったのはその経験がありまして。
自分もしかしたらいろいろたくさん大変なこともあるかもしれないけれども頑張ったらこの人みたいになれるんじゃないかということはやっぱり感じました。
そうなんですねなるほど。わかりました。地元からね相当高い期待が寄せられたんですね。
とんでもないです。
エペを始められて本当にその有効面が前進ということで今お話しだったわけなんですけども一発で勝負が決するような一瞬って言うんでしょうかね。
有効面が広いってことはそういうことなんですよねきっと。
どちらが先に出るかわからない。そういう間合いだったりとか駆け引きっていうものがすごく連続的に行っているので基本的には気を抜けないんですよね。
本当に突きに行くときはこの呼吸をちょっと無呼吸にしてスッと入らないとやっぱり動きがバレてしまったり遅くなってしまうのでその一瞬の駆け引きっていうところのためにいろいろその準備をしてこの剣を叩いたりとか
剣制したりっていうものをやってるんですけれどもちょっとなかなかですね皆さんがフェンシングの映像とかまた記事とかもし試合に来ていただいたとしても早すぎて
おそらくこの2人が何をしようとしてて結果どうなったみたいなところがまだまだ伝わっていないのでちょっとそこは私はちょっと引退した身としてどうにかしたいなというのはやっぱり課題として感じています。
早いですよね。すごく早いんです。剣が細いのでやっぱりちょっと動かしてもすごく早く見えるんですよ。
剣の動かし方とか奇跡っていうところがどうしても見づらいっていうのはあります。
ご自身は勝負されている時はどの一点を見てるんですか?剣先とかですか?
僕はぼんやりですね。やっぱりその全体的な距離感というか相手の手首の部分ですね。相手が剣を持ってますと。
剣の手首のところには唾があるんですけどこの唾は有効面ではなくていわゆるディフェンスに使えるものなんですけどこの唾を超えるとすぐ手首が有効面なので
そこを大体一番近いところの間合いとして設定しながら見るんですけれどもそこって結構動くんですよね。
剣を避けたりあるいは突こうとしてきたりとかって動くので全体的なこの胴体だったりとか足を見ながら今の間合いってどうなんだとか
じゃあここから自分がこの突きを届かせるためにはこうやらなきゃいけないなっていうものは常に考えながらコントロールしてやってました。
なるほど手首その周辺ってことですかね。
マスク被ってますよね。視界は良好なんですか?
あれはよく聞かれるんですけども意外と良好でメッシュみたいな感じなんですよね。
意外ともちろん細かいんですけれどもしっかり見えるように。
外側黒く塗ってあるんですけど鉄って基本的に銀色というかメタルじゃないですか。
それを外側も黒く塗ってるんですけども内側もしっかり黒く塗っているのでいわゆるあまり違和感なく遠くを見るということができるので
おそらく1ヶ月ぐらい練習していただけるとそれほど違和感なく相手を見ることができるようになるのかなと思います。
なるほど分かりました。
山下さん当時のフェンサーとしての目標なんですけども先ほど太田裕樹さんのお話も出ましたけども
やっぱり当時からオリンピックっていう目標が大きく掲げられていたんですか?
最初は本当に訳もわからずですね。
例えば部活で兄をまず倒したいという目標から兄は倒せるようになったから次は学校で一番になりたいなとか
学校で一番になったら香川県って四国ブロックなので四国で一番になりたいみたいな形で
すごく自分のいるステージでの一番を狙ってきたんですけど
そこからいきなりそのインターハイっていうところに出た時に全国区になった時にいきなり優勝しちゃったものですから
ちょっと実感が飛んでたところではあるんですね。
そこでマインドが入れ替わったというか。
で太田さんという方と出会ってオリンピックっていう世界があると。
周りの期待があったことから指導者の方も世界で勝てるエペというものを
上山これから頑張ろうみたいな形で活動をより活発にしていったみたいな感じはありますね。
なるほど。
インターハイでいきなり優勝されてそして太田裕樹さんとの出会いがあってオリンピックにつながるということなんですね。
わかりました。ありがとうございます。
本週はフェンシングエペ男子団体金メダリストで東京都北区スポーツ大使の上山悟さんにお越しいただきました。
競技の魅力
来週はフェンシング競技についてお聞きしたいと思います。上山さん今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
常田幸永がお送りしているビルダップローカル本日はここまでとなります。
番組の感想は各媒体のコメント欄かXでハッシュタグビルダップローカルをカタカナでよろしくお願いいたします。
そしていつも番組をお聞きくださっているリスナー様に素敵なお知らせ今月のゲスト上山悟さんからプレゼントをいただきました。
上山悟さんのサイン式紙を抽選で計3名様にプレゼントいたします。
詳しくは渋沢くんFM公式Xをご覧ください。皆様のご応募ドシドシお待ちしております。
お相手はビルダップローカル番組ナビゲーターの常田幸永でした。
それではまた。