その前に、まずお二人のことについて、ちょっとお伺いをしたいんですが、
まず沼田さんのほうなんですけれども、水戸ホーリーホックの
元代表取締役社長をしていたということなんですが、沼田さんももともと
水戸市のご出身ということでよろしいんですよね。
本業がお父様の代から続くカバンの問屋さんということで、
今もその仕事を中心にやられていると。
はい、カラオジでやっています。
水戸ホーリーホックの社長をやられたときも、その本業もありつつ、
二足のわらじということで。
うわあ、それ大変ですよね。
やる方がいらっしゃらなかったものですから、作家の火を消しちゃいかんと。
なるほど。やっぱり地元のやつというか、ずっと水戸という地域で生まれ育って、
その地域のやつというのが熱いんですよね。
そうですね。
当時、振り返られてどうでしたか、社長時代の思い出というのは。
思い出はたくさんありますけども、ありすぎて話せば話すほどなくなってしまうので。
ただ本当にホーリーホックというか、ジェーリングというかスポーツクラブというか、
プロスポーツに対しての理解がないという、まだまだ2008年当時は。
そうですね。
なので本当に水戸ホーリーホックとか、スポーツクラブにお金を出すとか、
一緒にやるという部分もなかなか難しかった時代なのかなと。
特にホーリーホックはほとんどの方が、これだけジェーリングでやっていても知らない方が非常に多かったというのが、
この水戸でもあったので、それが驚きましたよね。
なるほど。コロナの時は代表をやられていったんですよね。
コロナの時にちょうど退任してですね。
そうですか。
いろいろと衝撃的なクラブ運営ですとか、リーグそのものの対応とか、
存続だとか、スポーツ界も本当に揺るがせるような出来事でしたけれども、
非常に皆さん対応が素早かったと思うんですよね、あの時の。
その辺を振り返られてどうですか。
コロナの件で言いますと、当時村井千山がやっぱりサッカーの部分で最後の1年だったんですよね、彼の任期が。
最後にサッカーのことでジェーリングを立て直したいというところだったんですけれども、
ところがコロナの対応で1年間終わってしまったということですけれども、
本当に村井さんがプロ野球機構と一緒にやっていただいて、
ものすごく迅速に対応していただいたおかげで、やっぱり我々も非常に助かりましたし、
決断も早かったですし、対応も早かったということで非常に助かりました。
なるほどね。
我々は観客のところでですね、無観客の試合であったり、いろんなところがありましたけれども、
でもそうは言ってもですね、いろんな方々がやっぱりご支援いただいていましたし、
そこは我々の営業力というよりも地域の皆様方の支えがあってできたのかなというふうに思っています。
そうですか。今野松さんの方から村井元チェアマンの話も出ましたけれども、
本当に意思決定の早さというか、Jリーグの素早い対応によって、今60クラブあるじゃないですか。
特にJ3のクラブというのは本当に運営規模が小さいので、
全部助けられたということの話もよく聞きましたし、本当にすごかったです。
本当に村井さんじゃなければできなかったんじゃないかなと僕は思っていますし、
いろんな先生方のアドバイス、医療機関の先生方ですね、アドバイスもいただいていましたけれども、
本当にJリーグの対応が素早いので、本当にそこも参考になって、
我々のいろんなシミュレーションもやらせていただいていたので、
そこは非常に全国的にJリーグの対応が参考になったという、
それがあったのではないかなというふうに思います。
先ほどから新型コロナのお話になってしまっていますけれども、
それ以外で例えばクラブ経営に関してチームも当然いれば、
運営費、強化費もあればお金の使い方だとか、
そういったところも結構いろんな苦労があったんじゃないかなと思うんですけれども、
その辺はいかがですか?
クラブにとって一番お金なんですよね。
ですから僕らは目指していたのが、
集客と集金ということをずっと言い続けてやらせていただきました。
特に未到法力の場合を先ほども言いましたけれども、
知らない方が多かったので、
そういった中でもどれだけ価値を上げるかというところで対応していましたので、
そこに対するお金を未到法力に協賛するかという方が非常に少なかったということもあって、
当時3億ちょっとぐらいでプチエリーグを運営していたというところですから、
3億ですか?
今日一緒にいる取締役の鈴木と、ほとんど二人三脚で経営を、
当時は6名でやっていましたから、
なので資金繰りを彼女に全部任せてやっていたというのが、
ですから一緒に汗かきながらやっていただいたメンバーの一人ですので。
その状況の中で、例えばチームが勝った時とか、やっぱりこれ嬉しいですよね。
嬉しいですよね。
なかなか勝てない時期があって、僕は社長してから1ヶ月、2ヶ月ぐらい勝てなかったんですよね。
でもやっぱり勝った時は嬉しくてスタンドに行って、
わずかな50人ぐらいのサポーターなんですけども、一緒に万歳三勝をやったのを覚えています。
そうですか。やっぱりその瞬間を味わえるか味わえないかということの、
それがあるからこそ頑張れるというのが当然ありますよね。
そうですね。
わかりました。ありがとうございます。
現在は一般社団法人ホーリーホッグ、茨城クラブの代表理事ということなんですけども、
さらに水戸市サッカー協会の副会長も兼務されているということですね。
またここも二足のわらじというか。
そうですね。もともと水戸市サッカー協会は、僕がまだ20歳の頃から運営を立てさせていただいて、
サッカーというのは非常にマイナーで、水戸市の場合ですけども、野球と陸上の街、
その次はラクビーなんですね。
そうですか。
そういった街でサッカーというのは本当になかったんです。
そこで協会自体がわずか3人でやっていたようなところもあったので、
そこでたまたまですけど、カバン屋のメーカーの息子がいるんで、
コピー機あるかと。ちょうど今から40年前ですからね。
ですからコピー機が珍しくて、コピー機あれば事務局できるだろうと言われてですね、
そこから携わってきているので。
なのでそういった長いからこそ、いろんなことがサッカーで引っ掛けられたということがあってですね、
自分でリーグ戦を作ったりですね、シニアリーグとかですね、
そういったものを自分の年齢とともに作っていって、
本当にいろんな方がご協力いただいて、もうかなり長くなっていますけども、
そういったので長いだけであって。
なるほど。本当に水戸市のサッカーの礎を築けられたということでしょうね。
結果そうなったというだけで、自分が好きでやっているだけなので、
それで自分がやりたくてやって、皆さんについてきていただいたという形だったので。
でも40年ね。やられてきたということですね。
あと茨城クラブ、こちらの方の取り組みというのは今どんな取り組みをされていますか。
もともとですね、我々とするとアカデミーを中心にスクール生とかですね、
そういった育成という部分をやっぱり大事にしていきたいということで、そこを分けてさせていただきました。
今後につきましては、やっぱり総合型スポーツクラブを目指していきたいなというふうな形で思っておりますし、
さらには今部活支援とかですね、それからあと今家庭の中で貧困家庭が非常に多いので、
そういったところとか、それからあと障害者のサッカーとかですね、
いろんな部分で社会の小回り事も含めてですね、
この地域に目指した活動をさらにできないかということで活動させていただければなと思っています。
さらには2019年に私の方でスタジアム構想というものを立ち上げたんですね。
非常にコロナがあったものですから、なかなかそのうまくいかなかった、進まなかった部分もあるんですが、
ぜひこれをね、スポーツという部分でこのスタジアムに関するものをぜひ作っていきたいなという夢をですね、
大きく掲げていければなというふうに思いますので、
これは茨城県全体を巻き込むような形を今後取れればなというふうに思っています。
そうですか、夢がありますね。
ありがとうございます。
やることもやっぱり盛りだくさんですね。
夢を大きく掲げていってですね、皆さんが船に乗っていただけるように進められればなと思います。
すみません、ありがとうございます。
いえいえ、ありがとうございます。
さあ、そして一方ですね、鈴木さんなんですけども、
今ミトホーリーホッグの取締役ということで今お仕事をされているということなんですが、
鈴木さんもともと金融機関のご出身ということでお会いしたんですけども、
どんな経緯でミトホーリーホッグ、今の立場までされたんですか?
もともとは金融機関ゆえにですね、土日がお休みというところもありまして、
プラス働いていた金融機関が地元に根付いた金融機関だったので、地域に貢献したいという思いがすごく強くて、
その中でたまたまミトホーリーホッグがチェアリーディングチームを立ち上げるというニュースを拝見させていただいて、
何か自分ができることがないかな、しかも銀行がお休みの土日でって思ったときに、
そこにチャレンジできたらなと思ってオーディションを受けさせていただいたのがスタートです。
なるほど。オーディションを受けられて、その結果これ合格してチームに加わったということですよね。
そうですね。
なるほど。すごくプロセスというのが突拍子もないというか、金融からチェアリーディングのチームの方に入られたと。
そのオーディションって結構何チームが集まったんですか?
ほとんどがご経験がある方がいらっしゃっていて、実際私チアやりたいと思っていながら、特に経験がなくてですね。
本当に思いだけでオーディションを受けたというのがありまして。
本当ですか。
もう本当に地元を盛り上げるためには何かできないかという思いをお伝えしたところ、それが多分伝わって受かったというだけなので。
そこからの練習がめちゃくちゃ大変でした。
今取締役という役員の立場なんですけども、主にどんなような担当をされているんですか?
もともとチームの方にお誘いいただいたのも、金融機関に働いているというところで、財務面のところを見てほしいというところからお誘いいただいて入ってきたので、
財務だったりとか総務だったりとか管理系のお仕事をずっと任せていただいてやってきたんですけれども、
今現在というと管理系のお仕事は引き続きやらせていただくのと、プラス営業だったりとかサッカークラブのホームタウンのお仕事だったりとか、今はすごく幅広くやらせていただいています。
これは大変ですよ。
でもずっと私たち2人でやってきましたもんね。
人がいない分、いろんなことをやらせていただいて力をつけたという形ですかね。
すべて分かっているので、いろんなアクシデントが起きてもすべて鈴木がやればということが。
分かりました。ありがとうございます。
そういうまたさん鈴木さんということなんですが、この後ちょっとチームのことを少しお聞きしたいんですけれども、
ミトホーリーホーク、現在J2リーグということで所属されていまして、チームカラーはブルーなんですよね。
エンブレムに葵のマークが入っていますよね。
あそこはもちろん徳川家の家紋でございます。
家紋ですよね。
Jリーグ60クラブましてはチームでも家紋をつけているエンブレムというのはないです。
そこってすごく誇れるところじゃないですか。
そうですね。
でもこの家紋も最初からお墨付きをもらっていたわけではなくて。
そうなんですか。
そうなんです。
今のミト徳川家というものがありまして、第15代党首の徳川成政様にちゃんとご許しをいただいて使わせていただいております。
そうなんですね。
ミトのために戦うということをご説明させていただいて、ご許しをいただいたということでございます。
思いは一緒っていうことでよろしいですね。
やっぱりミトがどことかに負けたらっていうのがやっぱり悔しいじゃないですか。
しっかり戦えればなと。
分かりました。ありがとうございます。
今週はJリーグミトホーリーホッグの元代表取締役社長の沼田邦夫さんと取締役の鈴木育恵さんにお越しいただきました。
来週はいよいよ中学校を廃校利用したあつまわれについてお話を伺いたいと思っております。
沼田さん、鈴木さん今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
常田幸永がお送りしているビルダップローカル。本日はここまでとなります。
番組の感想は各媒体のコメント欄か、Xでハッシュタグビルダップローカルをカタカナでよろしくお願いいたします。
そして、いつも番組をお聞きくださっているリスナー様に素敵なお知らせです。
ミトホーリーホッグ様よりプレゼントをいただきました。
今回ミトホーリーホッグオリジナルメモ帳を抽選で、計5名様にプレゼントをいたします。
詳しくは渋沢君FM公式Xをご覧ください。
皆様のご応募、どしどしお待ちしております。
お相手はビルダップローカル番組ナビゲーターの常田幸永でした。
それではまた。