酒井宏之さんの転身
ビルドアップローカル、番組ナビゲーターの常田幸永です。
この番組は、30年のスポーツ界でのキャリアを経て、現在は地域金融機関に勤務している私が、スポーツを通じて町を豊かにしようという番組です。
さて、今週も大東文化大学ラグビー部監督で、東京都帰宅ラグビーフットボール協会理事長の酒井宏之さんにお越しいただいております。
酒井さん、どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
また今週も酒井さんにお越しいただいておりますが、高校大学社会人とラグビーを続けられて、2002年の30歳で現役を引退されるということですが、引退後の話をお伺いしたいのですが、聞くところによると、
なんと芸能界入りして俳優業に転身したということをお聞きしているのですが、これ結構レアですよね。
レアだと思いますね。
何があったんですか?
周りにそういう人たちがたまたまいたというのもあって、お前はこのまま会社員やるのは違うぞって言われてて、そういうのをみんな流せばいいんですけど、僕は完全に間に受けてしまいました。
お前は違うぞって、そうだ俺は違うぞって思っちゃってて、これはやっぱり行くしかないのかなと思って。
現役引退されて、離校に席を残してたんですよね?
いや、もう会社ごと辞めました。
引退と同時に、なるほど。そのタイミングでそういったお話があったと。
筋肉番付での経験
そうですね。
その後、テレビ番組の多数ご出演されていると思うんですけども、中でも特に有名なのは筋肉バンズ系で、こちらでご活躍されましたよね。
2回出させてもらって、2回とも3位になったんですけども、一番出て表現しやすいかな、一番分かってもらえるかなと思って、あの番組がいいかなと。
その前にサスケに出たんですよね。サスケは100人ぐらい出るんですよね。
100人?
100人ぐらい出て、最初の第一ステージっていうので。
たぶん僕は元ラガーマンっていう形で出たと思うんですけども、ちょうど第一ステージの丸太を抱えてコロコロっていうのがあるんですけど、そこで気づいたらバチャンって落ちてたんですよね。
だから落ちたのも気づかなかったんですけども、バチャンって水かけられて、え?と思ったら池に落ちてて、あ、俺ダメだったんだと思って。
落ちた瞬間にその丸太が首にポンって落ちてきて、え?と思って起きたら、スタッフの人が20人ぐらい寄ってきて、大丈夫ですか、大丈夫ですか、大丈夫ですか、病院行きましょう、病院行きましょうって言うんですけど、僕全然大丈夫なんで、ラグビー選手首強いんで、大丈夫ですって言っても、病院行きましょう、病院行きましょうなんて言って、行かれてたら結局残念ながらテレビでオンエアされなかったんですよね。
ただその時のプロデューサーでたまたまラグビーをやられてた方がいて、坂井くんごめんなと迷惑かけてと、首は大丈夫かと、全然大丈夫です首はと、なんかもっとアピールしたかったんですけど、またチャンスあったらお願いしますって言ったら、その方から、今度坂井くん飛び箱飛んでみないかって来たんですよ。
飛び箱ってのはイコール筋肉番付なんですよ。なので、大変そうなモンスターボックスです。飛びたいです、飛びまくりたいですと言って返信を送って、そしたら何月何日スタジオ来れるかなって言われて、来たぞというところですよね。
ご縁をいただきました。
筋肉番付って各種いろんなアスリートが集結して競うような番組じゃないですか。その中でラグビー選手として坂井さんが選ばれて、いろんなアスリートいましたよ。
そうなんですけども、あれがお正月に当時やってたんですけど、お正月にやるのは現役のプル選手が集まるので、ちょうど僕が出たのは番組切り替え時の3月9月にやる、これはタレントが出る方で、そっち側で読んでいただいたんです。僕も引退して。
ただラグビー選手で出てたのは当時ラグビーの世界トライ記録を取った大畑大輔選手って今タレントやってるんですけど、彼が出て彼は優勝したんですよね。結構インパクト残ってて、ただ僕の場合は引退して2年で声かけられたんですかね。やったんですけど、やっぱりそれに向けてやってる人がいるわけですよね。
例えば中山錦二君とかですね。あと新体操だった池谷君とかですね。お笑いのペナルティーのワッキーですね。彼僕も同い年だったんですけども。
彼サッカー出身ですもんね。
僕はラグビーの中では時給計のトレーニングは代表で行った時もトップを取ったことがあったんで結構自信があったんですよ。100mトラックを4周して、その都度3人リタイアしていくっていうのを4セットやったんです。
最後の3人に僕と池谷君とワッキーが残って3人でやったわけなんですけど、そこだけは絶対1位取れると思ってて。4周回って、池谷君はすぐ諦めちゃって、僕とワッキーで2人で回ったんですけど、ワッキーが最初から飛ばすわけですよね。
早いなと思って。でもちょっとついていこうと。2周目も上げるんですよ。ずいぶん行くなと。そろそろ落ちるだろうと思ったら3周目でまた上げて、ちょっとついていけなくて負けちゃったんですよね。ワッキーが早くて。
そもそも松倉さんもご存知だと思うんですけど、サッカー選手ってすごいですよね。あのフィットレスの。ワッキーは外練習してたって言ってました。
筋肉バンズ系って何種目もあるじゃないですか。飛び箱もそうだし、走る系とかね。これ実践する前は練習していくんですか?
僕なんか初めてなんで全くしてなくて、ぶっつけ本番で。ただ出るって分かってたんで、トレーニングは自分なりにはしてたんですけど、何の競技やるのかは僕はまだ知らされてなかったので。
ワッキーは前の時に同じ種目で自信があったけど負けちゃったらしいんですよね。それが悔しくて相当仕上げてきたって言ってましたね。
そうなんですね。
これも最初は20人ぐらい出るんですけど、最後6人に絞られるんですよ。前泊で行くんですけど、朝8時から収録が始まって、最後の6人に残ると本当終わるの明け方の4時なんですよ。
本当に体がもう全然持たないですね。びっくり。だからちょっと異様な空間で収録スタジオというか、マッサージ台がむき出しで10台ぐらい並んでて、控室も大量のお弁当と大量のドラマをいつでも好きに撮ってくれって言われて。
そうなんです。そういう舞台裏なんですね。いい経験しましたね。
占いとラグビーのつながり
いい経験で。
そうですか。わかりました。あといろんなドラマっていうんでしょうかね。舞台とか、そんなようなご経験もされてたと思うんですけども、またその後、ラグビーの世界に戻られるんでしょう?
そうなんですよね。
またそこでのきっかけってあったんですか?
そうなんですよね。
いろんなことをするにあたって、相談してる占いのおばちゃんみたいな人がいるんですけど、ちょうど一番最初に僕が会ったのは中学3年の時ですかね。高校受験の時にラグビーをやった方がいいよっていうことを言われたことがあって。
そうなんですか。
ラグビーをやるといろいろ変わってきて、必ず日本一になるって言われたんですよね。本当かな。
表現通りじゃないですか。
そうなんです。あとは代表に入って世界を回る人になると思うよ。だからラグビーをやった方がいいと思うよと。当時もちょっと芸能の方に行きたいなって思ってたので、どっちをやったらと思ってたので、そしたらラグビーをやった方がいろんなことが叶うよって言われたのでラグビーをやって。
ずっと30歳になった時に母親の知り合いだったので、あの人って今どうしてるかなってちょっと相談したいんだよねって言って会った時に、実はラグビーで先生おっしゃる通りほぼ叶いました。
今後なんですけど会社の方で生きていくよりは、ちょっと僕以前話した芸能の方にと。これ誰に話しても反対されてたわけですよね。家族もいるし絶対やめた方がいいよって言われたんですけど、その先生だけは絶対行った方がいいよと。多分すぐ結果出ちゃうと思う。
だけど34後の2年間だけは大変だから。これ乗り越えればまたちょっと新たな道が出てくるから。だから行っても大丈夫だと思うよって言われて、心置きなく行ったわけですね。筋肉バーンつけて入れたり。
すぐ結果がいい感じになって。次は池袋に芸術劇場ってあるんですけれども、そこの舞台が決まってたんですよね。だいぶいいなと思って。順調に来てるじゃないですか。
癌闘病とラグビー再出発
それが33の年でしたね。33でもうすぐ4になる時に、たまたま僕のラグビーの後輩が癌で亡くなったんですね。抗がんの癌なんですけども、その情報がメールとかネットで流れてきて。
そしたらちょっと僕の抗がんも軽く腫れてて、ちょっと怖くなって。病院に行ったら、坂井さんこれちょっと悪性の腫瘍なんで、これは取ったほうがいいですよと言われて。そうですかと。ただちょっと舞台が決まってるので、これが終わってからでもいいですかと。
行ったら、じゃあそうしましょうと言われて。そしたらまた病院から連絡がかかってきて、来週もう一回来てくださいと。家族連れてきてくださいと。行ったらCTで調べたら、他の部分に転移はしてなかったんだけども、ちょっと影が見えるから、医者としては抗がん剤治療を勧めますと。
だから舞台も勧盤して、オッペをして。オッペ自体はすぐ終わったんですけども、終わった後に抗がん剤治療をしてですね。僕の中ではまた筋肉盤付け出るかもしれないから、この期間に病院で鍛え上げようと。
だから砂缶とか、病院食疾走なんで砂缶とかいっぱい持って行ったんですけど、ちょうど抗がん剤治療を始めた2日目の朝の食事を食べようとした時に、うってなって、そっからもう食事が取れなくなるんですね。
気づいたら髪も抜けてきて、もう頭も剃ってですね。これはちょっとまずいなと思う。先ほどの占い師の言ってたように、いよいよつらい2年間が始まるのかというところでしたね。それで舞台も勧盤して、その2年間は本当にいろいろあって、よく乗り越えた2年間だったと思います。
そうだったんですね。その2年間を乗り越えて、次またラグビーの世界に行ったんですか?
そうですね。これも面白いもので、芸能のこともやりながら、大東のOBであり理工のOBの方が大東大の監督をやってて、坂井ちょっと手伝ってくれよって言われて。
嬉しいんですけど、僕8年もラグビー離れちゃってるので、ちょっと今のラグビーわかんないかなと。いいんだよ、ラグビーはこっちでいるから教えるのかと。とにかく盛り上げてくれと。盛りが欲しいんだ。
キャラクターってことですね。
だったらやれますと。そっちであればやれますと言ってやらせていただいたんですけどもね。
一度自分の情熱を捧げたラグビーで来られて、またそこに戻れるっていうのは、何か感じるものがあったんじゃないでしょうかね。
やっぱり本当に熱が大事で、半年だけの契約だったんですけど、今まで勝ててないところに勝てたりして、これは僕は向いてるかもしれないな、転職かもしれないかというのを思った瞬間ですね。
なるほど。指導者としては初めてのご経験だったんですね。
そこできっかけになって、中央大学のラグビー部のコーチにご就任されたりとか、高校の大コーチにもご就任されたということのキャリアもあると思うんですけども、そして今は大学の方のラグビー部の監督ということですよね。
チームの成果と今後の展望
今チーム状況はどうですか。
昨年度、僕らが所属する関東大学リーグ戦で優勝できたんですね。7年ぶりにできたんですよね。
これはとても嬉しくて、期待されての今年の開幕戦のまさかの敗退スタートというところで、今は非常に苦しい状態ではあるんですけど。
今監督ご就任されて、今何シーズン?
3年目になります。
周りの期待も非常に大きいと思うんですけども、今後も優勝を全国を目指して、あと選手の育成ということも非常に大事なミッションだと思うんですけども、
ぜひこれからも頑張っていただきたいなと思いますので、今日はありがとうございました。
今週は大都文化大学ラグビー部監督で、北区ラグビーフットボール協会理事長の坂井博之さんにお越しいただきました。
次週も引き続き、ラグビーの話を中心に伺いたいと思っております。
坂井さん、今日もありがとうございました。
ありがとうございました。
常田幸永がお送りしているビルダップローカル、本日はここまでとなります。
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そして、いつも番組をお聞きくださっているリスナー様に素敵なお知らせです。
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皆様のご応募、どしどしお待ちしております。
お相手は、ビルダップローカル、番組ナビゲーターの常田幸永でした。
それではまた。