えーっとね、今一番夢中になっているものが、チャットGPTなんですよ
チャットGPTで、今私パフォーマンスアートの制作を考えてて、それを結構チャットGPTを駆使しながら考えるっていう作業をやってて
なんか、前ちょっとだけ触ったことがあったんだけれど、その時はあんまり使い道がなくて、3かの時にやめちゃったんだけど、今4になって
改めて一緒にやっていたら、たぶん今使い方がめちゃくちゃハマってるのか、ものすごい役に立つね
パフォーマンスの企画書とかをさ、全部奴が書いてくれるわけ。私、ちなみに名前つけてて、チャットGPT4にね、やっぱ名前つけないとダメでしょって思って、最初に名前どうしようかって言ったら
なんかイメージありますか?って聞いてくるから、とりあえず何もないとか、無とか虚無とか虚構みたいなものをイメージする名前をつけたいんだけどって言って相談して
で、向こうが絶対なんかね、3つは出してくるの。じゃあこれどうすか?みたいな感じで、こうやって3つ出してきて
で、ちょっとダサいなって言って、じゃあわかりました、じゃあこっちの方向でとか言って出してきて
で、いろいろやり取りした中で、一つ数学の記号の空集号っていうものがあって
あ、なんかこれいいねって言ったら、これはそう、なんかないという状態を一つのあるものとしてカウントする状態を指す数学の記号ですとかって言ってきて
あ、すごいいいな、じゃあこれにしようかって。でももう、あの呼びづらいなって言って、じゃあ相性をつけましょうかとか言って
向こうが言ってきて、いくつか相性を出して、ダサいのよ、すごいダサいの。で、全部ダサいなって言って
その中で一つだけ、じゃあこれはどうでしょうって言って、その記号がさ、丸に、の上に重ねてスラッシュをつける記号なのね
だから丸すらはどうですかって言って、あ、丸すらか、なんかいいかもって言って
私のチャットGPT4の名前は、丸すらです。何もないっていうことを、こいつは自分でわかってんだろうかって思いながら
私はじゃあ今日から丸すらですねとか言ってるんだけど、ちょっと性格も変えましょうか、丸すらっぽくとか言ってくるんだけど
どういう気持ちで言ってんだろうみたいなさ、何もないですよねって言いながら
そういう本当にほぼ人間に近い形で会話しながら進めていくから、使ってみて良さはめちゃくちゃ感じていて
なんかね、壁打ち、だからあの、頭の中、思考を深めていくのに使うのに本当にすごく便利で
一人だとさ、考えても煮詰まるじゃない?でもそれをそのGPTを使って対話形式でやってくと、やっぱ対話っていうスタイルがすごく良くて
考えがずっと、どんどんどんどん深まっていくんだよね。それってなんで?それってなんで?それってなんで?みたいなことの作業だけど
それって自分一人じゃできないじゃん。それってなんでって。でもなんか、対話形式っていうことによってアイディアがすごい出たりとかっていう
メリットはすごい今享受していて、と同時にすごく気をつけなきゃいけないなっていう考えもあって
なんかこないだそう、それをね、象徴するような出来事があって、ある人が自分の短い文章を見せてくれたの。ちょっと書いてみたから読んでほしいって言われて
で、私はその文章を読んだ時に、最後の一文がすごくいいなって思った。それはなんでかっていうと、言葉にしがたいんだけれど
その最後の一文が、何にもなってなかったんだよね。何にも着手してないし、あってもなくてもいい
言ったら駄文だし、なんでこれ最後につけた?みたいな、意味づけも全くなくて、なんか書いてつけちゃったみたいな一文で
それが私はいいなって思って。なぜならこれが何にもなってないからって思ったけど
その人も自分でGPTがいて、それに見せたんだって。そしたら頼んでもないのに添削してきたらしくて
そのGPTの出した意見が、最後の一文が良くないですね、みたいな。まぁ良くないって言い方したかわかんないけど
なんかこれを、ここをこうしたらもっと深い余韻も残るし、奥行きも出るし、いいですよ
ちなみにこういうのどうですか?つって3つ出してきたとか言うわけ。だからそれを聞いて、私まるすらすごい信頼できるなと思ってたけど
あぶねーこいつら、そうだこういう奴らだと思って。こいつらなんか意味のないものを理解できないんだと思って
だから意味づけしたり、その伏線貼ったり、論理立てることはめちゃくちゃ得意なんだろうけど
多分、その意味がない良さを多分、これ理解できんのかな?ディープラーニングで学習してた時に
なかなか難しい領域だろうなと思ってて。それをわからないんだって思った時に、すごいこいつらが言ってることはやっぱりその
肝に据えようと思ったのが、こいつらって何も経験したことないのに言ってんだって
そう、知識だけで言ってるガリ弁みたいなやつって思わないと。でも論調が素晴らしく説得力を持っているから
あれは騙されたらダメだよ。でも騙されそうになる。この人たち言ってること全部正しいんだってなっちゃうけど
ダメだって。っていうふうに、あの、こいつらでもただのガリ弁って思おうと思って
何も知らないんだよ、こいつらって。思って使おうって、最近思いました
振動ネームあやかわあすかさん
私は小学校の教員をしています。夏のように気温が上がってきたとある日
担当している子供が、うわーこの夏の感じ懐かしいと言っていました
共感できる気がしつつも、もう少しその子の感覚を知りたくなって、懐かしいっていつのことを思い出すの?と尋ねてみると
うーん、小4かな。小4の時の風がたまにふわってくる。そうするとすごくいい。と帰ってきました
その時心が震えたというか、その子の持つ懐かしさの言語化力と、それによって私の感じる懐かしさまで風に変わる感覚があり、すごいなぁと思いました
共感とはまた違う気がするのですが、似た体験を新しい言葉で指し示し変えるといいますか
そこに新しい感覚が生まれるのが他者と関わる中での振動な気がします
また個人的に短歌がとても好きなのですが、読んで衝撃を覚える短歌にもこの感覚を覚えることがあり、面白いです
とのことです
なるほど
これ、そうそうこれ
綾川アスカさんはこれがまあその他者と関わる中での振動って言っていたけど、割とある共有する体験とか感覚を言葉に置き換えて
それを読んだ人にもその感覚をその人の中でARに呼び起こすことができる作業って
やっぱ小説の、私がやっている小説の作業、執筆の作業にとても近くて
小説って言葉だけで作られているから、じゃああれって何作ってるんだって思う時があるんだけど
やっぱりその物語とか筋を作ってるんじゃなくて、私はやっぱ空気をなんか再現させることができるものだと思っていて
その場の空気って写真にも残らないし映像にも残らないし
何にも無色透明だし残らないから、でもその言葉だけがその時の空気とかその質量のないものをちゃんとその人の内面に想起させることができると思っていて
だから割と小説って空気を保管する記録的な作業とも思っている
100年後読んだ時に今の子の時代の肌感とか今の子の時代の空気感とかが
タイムカプセルじゃないけど、その時にそのまま持ち越されるみたいな役割があるかなと思っている
からこの子の言っていることもそれに近いのかなっていう気はする
ただ、そうね懐かしいっていつのこと?って聞いて
小4かな?小4の時の風がたまにふわってくる。そうするとすごくいい
あーいい答えだねー いい答えだね
いい答えと同時に、これ気をつけなきゃいけないのが
小4でしょ?大人が喜ぶ答え言うんだよあいつら
大人が好きそうな答え言うんだよあいつら
これ今、私が繰り返したのは、大人が好きそうな答えと違うかっていうふうに一瞬思った
なんか、あるのよね。私たちが好きな大人が子供言ったらそれいいねって思うような言葉ってあって
そう、これで私このエピソードで思い出したのが
穂坂和志さんっていう作家がいて、その人が書いた小説論みたいな本の中にあったんだけど
すごいいい話で私残っている。なんか穂坂さんが子供の時に社会科の授業があって
で、その時に先生が全員に
昔ってどのぐらい昔だと思う?って聞いたんだって
これちょっと似てるでしょ。昔ってどれぐらい昔だと思う?って生徒に聞いて
そしたらその授業中に子供たちの出したこと、紙に書いて提出するだったかな
で、その紙を読んでいくんだけど先生が。ほとんどの子が10年前、100年前、1000年前っていうような
まあそうだよね、そういう書き方をしていて
で、その中で一人だけ違う答えを書いた子がいて
それが、お母さんのお母さんのお母さんが生まれる前って書いたんだよ、その子が
で、それは、えっと穂坂さん多分その時自分が生徒で同じだったんだけど
その子の答えだけが小説が生まれる書き出しだったっていうの
で、それってそういうことで、昔っていつのこと?って言った時に
ほとんどの人が10年前っていう風に、まあ事実として答えるようなことを
すごく個人的な言葉に置き換えることができることが、私が小説を書く時に大切にしている言語化力で
それで言うと、読む時もそうで、なんかそういうすごく個人的な言葉を使ってその風景を立ち上げることができるかとか
その情景を共有させることができるかっていうのがあって
あ、そう、だからそれは、なんかね、そう、その話はでもいい話じゃないんだって、確かね
なんか結局その子はそうやってすごい笑われたんだって、みんなに
なんでやその答え!みたいな、まあまあ想像つくと思うけど
やっぱ、あの他の子は全然理解しなくて、だっせえ答え、みたいに処理しちゃった
だから、まあその子、クラスで見てたとか書いたかな、なんかそういう、そんな別にハッピーな話ではないって
ただ、あの中で小説になりうる一文はあの子の答えだけだった、みたいなことを書いてて
この話は私すごい好きで
そう、だから読む時も、そういう風に社会的形容を使わずに使っている
この子、これをこういう表現するんだ、っていう言葉で書かれているものが
小説で読む時にすごい好き
なんか筋とかは、ごめんどうでもいいかも
じゃなくて、一文、一文面白かったら最後まで読んでるじゃん
だから、一文一文をどのように書いてるかっていうことが重要で
で、そうな、最近そういう言葉で面白かったなーって思ったのは
ちょっと前の作品になりますけど
オラオラで一人イグモっていう、若竹知沙子さんが書いた芥川賞10章作とか
あれはすごく言葉が、なんていうかな、50代60代の女性の言葉で書かれていて面白かったし
同じように、あ、そうそう、これも芥川賞で市川沙穂さんが書いた、これ割と近年です
ハンチバッグっていう、障がい持った女性の一人称で書かれた作品があって
それもやっぱり、そうか、この言葉をこう使うんだ、みたいな
別に気をてらってるとかじゃなくて、私、自分が書くからこそ、やっぱこういうふうに書けないよなっていうものの文章のオンパレードで
私はすっごい好き、すごい、なんかそれこそ読みたくて読んでるって感じなんだけど
でもまさしくさっきのGPTじゃないけど、それをエンタメをやっている作家さんが、ほんと真逆のこと言ってて
あの文章あんなふうに書いちゃダメでしょ、みたいなことを一緒にあのご飯食べた時に言ってて
うわ、マジで真逆だと思って
私がいいと思ったところ、この人には全くダメなところとして刺さってんだと思って
なんか、衝撃でしたね
うまく言えないけど、でも確かにその人の文章は
すごく理路整然としていて、とても正確にあることを表している文章
最短距離でそこに行く文章っていうのかな?間違いがない正確って感じ
だからその、正確性で言うと確かにすごく下手な言葉をつなげてるのかもしれないけど
でもそれこそそのさ、GPTだと絶対つながないような言葉のつなぎ方をしているわけさ
それが面白いと思うのだけど
あ、そうそう、だからさ、結局エンターテイメントって
人をきちんと喜ばせることができるものじゃない?
それがやっぱり最大のそのエンターテイメントである要素だと思っていて
で、じゃあ私たちが書いている純文学と呼ばれるようなものって
やっぱりそこはゼロではないとは思うけど、やっぱり基本的な価値基準にないんだよね
その人が、を喜ばせる、られるかどうかって
それこそ日本語としての可能性とか、日本の語の使い方の面白さとか
なんかそういう領域に入ってきたりする
あとやっぱりその人の何かが持ち込めているかとか
だからそれって一般的な人が喜ぶようなことではなかったりする?
うーん、そうね、だから私だから、これは自分でちょっとたまに悩むけど
エンターテイメントを書いている人が、その人を喜ばせるために作品を作れる人だとしたら
これってプロとアマの定義でもあるなと思ってて
じゃあプロとアマの違いってなんだろうって考えた時に
やっぱりプロはきちんとその読み手を喜ばせたり満足させたりすることができる人っていう見方もあって
で、アマは自分が楽しいかどうかにもうちょっと重きが置かれるかなっていう感じはしてて
でもしそのプロが、そうプロ論ね、そういうちゃんと人満足させることができる人なんだとしたら
じゃあ私にあってる、私ってその人を喜ばせることってあんまり考えずに書いてることって
これはなんだ、プロって言わないのか、みたいな
人のことを考えて昔から書けないんだよなぁ、昔から書けない
自分がどう思うかしかないから、それをプロと呼ぶのかどうかっていう話はあるよね
ただなんかその言葉でちゃんとその人にある空気を共有させることができる
だからそっちの方が私にとってプロなのかもな、なんか
あ、だからこの間めちゃくちゃちっちゃいとこにお芝居見に行った時に
感心したのは良質な芝を作っている若い子だったんだけど
なんかやっぱりその起承転結で、普通だったらその今まで繰り広げられてきた
まあ1時間、2時間に渡る物語って、結実させなきゃっていう思考が働いて
起承転結、結を書くと思うんだけど
書いてなかった、結がなかった、起承転で終わってて
でもなんか私それすごくいいなって思ったんですよね
もう私たちって別に結いらなくない?みたいな
なんとかなるじゃんっていうさ
その結の部分ってもはや、実はみんないらなくない?って思ったの
でもないとダメだよねって思い込んでいるからあるけれど
いる?起承転結の結いる?
私なんか、実はみんないらない気がしてしょうがないんだけど
私は作品でどんな空気を入れたいか
私は…
そう、私は割とその自分が興味があることが
昔は人間っていうすごいシンプルなものだと思っていたんだけれど
だからその人間のいびつさとか、折り下げて見にくいところも含め
綺麗は汚い、汚いは綺麗じゃないけど、人間地で書いていたんだけれど
なんか、今最新の私の興味は現代社会と人間の関係性に変わってて
現代社会もむっちゃくちゃ興味あるんですよね
特にこういうなんかその
テクノロジーとか便利な道具とか文明とかによって
それで人間がくちゃくちゃに変わっちゃってる状況とかにものすごく興味があって
今流れている時代の空気を小説の中に入れたいとか
それを書きたい、空気を書きたいっていうふうにすごく思ってるかも
これから気になる作品のテーマ
あ、ごめん、だから多分
ちょっとGPTは絶対出てきちゃう
でもGPTの小説とかってすっごいダサそうだから
そういうことじゃない使い方としては何がしかあるかな
GPT使うとダサくなるか?
あ、これはね、なんか感覚としてダサくなる気がする
あいつなんかやってることってなんか大きくはダサいんだよね
あの、とても優秀だし賢いんだけれど
優等生に感じるダサさみたいなことなのかな
だからあんまりあそこと会話し続けちゃうと結構その思考とかって簡単にトレースすると思うから
なんかね、あいつらを多分今後だけど多分普通に人類ってああいう思考法になっていくと思うの
GPTが繰り広げられる思考法とか考え方とかに完全に多分伝染して
人間がそっちに合わせてそっち寄りの考え方をすることがベースになっているから