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2025-09-01 14:56

地獄を見た夏休み!等身大の自分って?

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かみさまBOXと息子

わたしを支え続けてくれた娘

書いて書いて書きまくった夏

サマリー

このエピソードでは、Yuunoさんが夏休みを振り返りながら、等身大の自分について考えています。特に、子供たちとの時間を過ごす中での感情の起伏や、自分の内面との向き合いについて語られています。夏休みの期間中、家族とのコミュニケーションを見直し、自分の等身大の姿を探求することに苦労している様子が述べられています。また、子育てを通じて多くのことを学び直す貴重な経験が描かれています。

夏休みの反省
七転び八起きのママライフ。完璧過ぎから来るイライラしまくりおかん。 私、Yuunoが七転び八起きのママライフの中で考え方をこねくり回し、大会より進化を目指すリアルおかんライフ番組です。
みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。夏休み、やっと終わりましたね。 めっちゃ嬉しいです、正直。
いやもう、今年の夏休み結構もう、んー、なんて言ったらいいんかな。あのー、正直なところ、精神的にかなり応えたんですよ、私。
そう、だから本当にこの、今静かなこの空間とか、
おもちゃがそこらに散らばってない空間とか、暑い中、今日も外出なあかんなとかって思う、自分がいいひんこと、今はね、午後からはまたわからないですけど、それがもう本当に嬉しいって思っちゃうんですけど、みなさんはどうでしょうか。
そう、どうですかね。どんな夏休みでしたでしょうか。
そんなこんなでね、結構この夏休み、いろんなことを本当に、あのー、こねくり回すというか、めちゃくちゃ考えまくったんですよね。
そう、もともと考えるのが好きなんですが、あの非常に考えをこねくり回しすぎて、ちょっともう、あのー、
よく自分がわからないみたいな感じになっちゃった時もあったんですよね。なので、なんか今日はそういったことを、あのー、ちょっと自分のために撮っておこうかなと思って、あの今撮っているんですけれども、今日のテーマは、同身大の自分と夏休みというテーマでお送りしたいと思います。
はい、えーとですね、あのー、まあなんでこのテーマにしたかって言いますと、いやもう私、同身大で折れてるわって思ってたんですよ、ずっと。
なんですが、全然やったことに気づいたんです。
ほんとね、周りはみんな気づいてたと思うんですけど、私一人全く気づかへんっていうような、いやめっちゃ恥ずかしいやん、みたいなことになってたんですよね、そうそう。
でね、あのー、まあ、いろいろね、子供たちといる時間が長くなり、お盆もあったので、家族といる時間が長くなりってする中で、ものすごく感情の起伏が激しかったんですよ、私が。
そして息子が、そう、私と息子が大暴れだったんですよね、この夏。
はい、で、なんかそこでその、なんかそのまんまの息子を見てあげるってできへん、できてないし、できないんだなっていうことに、ちょっとこう、なんかね、そう気づいてしまいまして。
だからなんか、そっからその、私ってなんなんやろう、みたいなのを考え始めて、そう、もうすぐこういう哲学的な沼にはまっていくんですけど、私。
そう、で、私ってなんなんやろう、なんか、すごいこう、本来の自分っていうか、楽やなって思える自分の、あの、あり方っていうんですか、その自分らしさみたいな、よくあるじゃないですか、こういう言葉って。
そういう、自分でいるみたいな、そのまんまの自分でいるみたいなことが、なんかできてへん。
てか、全くしてなくて、それにちょっと疲れ始めてて、っていうところがあるなっていうのを思って、そう、夏休みをね、こう振り返ってみるとね、そういうふうなことを思ったので、ちょっとこう、
等身大ってそもそもなんやねん、みたいなことを思い始めて、ほんまの私ってなんやったっけ、どんな人やったっけ、みたいなことを思って、あの、その等身大の自分っていうものを、ちょっと改めてね、考えたいなと思って、このテーマにしたんですよね。
子供との関係
はい。で、私っていう人間、あの、どんな人なのかっていうところなんですけれども、なんかね、私はね、わりと最近はね、自分で言うのもなんなんですけど、
うーん、自立できてるな、精神的にね、自立できてるなって思ってたんですよ。そう、ほんま恥ずかしいんですけど、思ってたし、最近、その、なんでそういうふうに思ったかって、最近、その、上手に夫に頼れるようにもなってたし、とか、
あの、手も抜いてるしって思ってたけど、全然そんなことなくって、工夫に工夫を重ねて、なんかものすごい改善していくみたいなのを、自分に強いてて、で、それを家族にもちょっと押し付けてたんですよね、夏休み。
特に子供の宿題とか、子供のお片づけとか、なんか生活パターンみたいなんとかも、なんか夏休みになったら、ちょっとこうゆるまうじゃないですか、普通の小学校とか、あの幼稚園通ってる時の生活スタイルよりも、起きなくても、行かなくてもいいっていうところで、なんかだんだん夜のほうが長くなってきて、朝起きれないみたいなんで、
で、それがね、夏休みのいいところやんか、長期休みの。で、あの、自分がね、子供の時とか学生の時は思ってたんですよ、いつまでも寝れる、最高みたいな。だけど、子供にはそれ絶対させなかったんですよね、自分の。
あの、それやったらもうたぶんずっとずるずるしてしまうから、やめときみたいなことを言って、叩き起こすみたいなをしてたんですよ。もうやめたれと思うんですけど。でね、なんかその時に、全然頼れてもなければ周りにね、信頼もしてなければ、子供のこと、で、自分で決めたらいいよって言うんだけれども、ものすごい冷たい、自分で勝手にしたらみたいなニュアンスの決めたらいいよやから、
なんか、子供たちもなんか、えーってなって、うん、そう、固くなに頑張って起きてたみたいな。で、夜もやっぱり、うん、起きとかすっていうのがすごく嫌で、テレビばっかり見てるんでね、もういつも通り寝よ、みたいな感じで、9時ぐらいにもう寝かしつけるみたいなんで、あの、バイバイって言ってドア閉めて終わり、みたいな感じだったんですよね。
いやー、もうなんか、パッと見たらね、その生活リズムが崩れへんし、いや、崩れていくってあんま良くない、確かにそうなんですけど、キチキチしすぎてしんどいなって、ちょっと思ってたんですよ、自分でも。
うん、なんか生活スタイルもやし、そのお片付けとかもね、いや、しんどいなー、みたいな思ってたけど、いや、しんどいって言って、一個やめたら、なんか全部崩れていきそうと思って、ちゃんとせなあかんよな、やっぱり、みたいなのが、ものすごい強行たるものっていうか、強くなっていってたんですよね、夏休み中。
そう、だから私って、なんか結構、その、うーん、もっと自立してるなって、その時は思ってたし、子供の教えない関係を築けているお母さんだなって、めっちゃ恥ずかしいんですけど、ほんまに思ってたんですよね、そう、だけど、そうじゃなくて、なんか自分のちゃんとしなきゃね、とか、こうした方がいいでしょ、とか、押し付けたりとかしてて、なんかこう、子供に自由もなければ、
なんかこう、自立というよりかは、それって何のためにやってんの?ってなったら、いやもう、認められるためやん、ちゃんとお母さんやってんでって、あの、アピールやん、夫とか、周りとか、とか、いう風になっちゃって、もうそれに気づいた瞬間、もう、もう、自分にめっちゃ嫌悪、わかります?この感じ、ああ、もう、気持ち悪、みたいな、になったんですよ、もう、ほんまに、
いや、もう、自分それ、ようやったな、っていうぐらい、ああ、もう、自分っていう人間、めっちゃ嫌い、みたいな、いったい、なったんですよね、夏休み、そう、そう、だから、なんか、私っていう人間って、その、なんやろ、ええ、かっこしいなんやなって、そう、けっこう、その、うーん、なんて言ったらいいんやろ、誰からの評価とか、人の目とか、めっちゃ気にすんねんや、うん、っていうね、もともとそうやったけど、
緩まってきたな、と思ってたけど、いや、全然、緩まってへん、ってことに気づいて、私っていう人間は、すっごい、こう、うーん、なんかね、こう、ちゃんとすべき、みたいなのに、ものすごく、うーん、固められた人間なんだな、っていうのに気づいた、っていう、あれなんですよね、うーん、でも、なんか、でも、なんで、こう、気づいても、それをやめれないのか、
やめないんだろう、っていうところだったんですけれども、で、等身大ってなんなんやろうって、考えさせてもらえるきっかけが、何だったかっていうと、息子やったんですよね、そう、私が、あの、5歳の息子がいるんですけれど、いや、もう、息子が、ちょっと、その、なんか、こう、発達のことを言われてから、私がすっごい気にするようになっちゃって、そこ、うん、そんで、ちゃんとさせな、ちゃんとさせなって、もともと持ってる人じゃないですか、私っていう人間は、だから、息子も、ちゃんと育ててないと、
等身大への探求
ないってことになるやん、みたいなことを、多分、思ったんですよね、必死で、言葉で伝えられるように、めっちゃ、あの、言葉にしなさいって言ったりとか、領域探してきて、何個も一緒に見学行って、なんか、こう、ちゃんと、私、お母さんやってますよ、みたいな、もう、そんなアピールいらんって、って言いまえたら思うんですけど、うーん、
なんか、すごい一生懸命、いろんな領域とかも、あの、探したりとか、発達についても、すっごい勉強したんですよね、本読んで、で、なんか、すごい家でできる改善ってないかな、とか、あの、息子にとっていい環境って何やろうとか、を、本から摂取したものを、なんか、こう、学んだことを実行する、それは決して悪いわけじゃないんだけれども、その目的が、息子にとって、
私たち家族にとって、あの、今よりもいいコミュニケーションが生まれるとか、お互いが楽な関係性になれるとか、やったらまたちゃんをやろうけど、いや、もう、私がちゃんとしてますよっていうことを、証明したいためだけにやってるっていう目的が、ちょっとどうなんって思っちゃったんですよ、自分で、そういうふうに、あの、息子の発達を通して、
うーん、なんか、領域の先生とかもね、お話しする機会もあって、そういうので、あー、なんか、自分らしくないかも、なんか、すっごい等身大って言われてる、ありのまま、みたいな、よく言われるけど、あれじゃない、なんか、もう、とって、あの、ひっつけたっていうか、なんていうの、取り繕った、うん、なんか、こう、ほんま、なんか、偽物やん、みたいな、なんか、すごい思ったんですよ、自分に。
で、それが気づいてから、もう、めっちゃごめんって思ったんですよね、息子にもやし、娘にもやし、うーん、まあ、夫にもやし、家族にね、本当にごめんねって、思ったんです、そう、そうなんですよ、そっからですよ、もう、等身大をもう、必死で探して、あの、考えまくって、書いて書いて書きまくったんです、日記がもともと好きなんですけど、そう、それで書いて、自分の考えとか、いや、まあ、自分がほんまどうしたいんだろうっていうのは、改めてね、なんか、
こう、向き合うっていう夏休みになったんですよね、うん、そう、なんか、そういうこともあって、結構、息子のその、発達とか、まあ、発達に関わらず、その、娘、息子と一緒に暮らしていく、で、関わることで、まあ、子育てって言われてるものを通して、なんか、すごい、いろんなことを改めて、うん、なんか、教えてもらったな、みたいな、教えてるつもりでいてたんですよ、めっちゃ偉そうでしょ、でも、ほんまにそうやったんです、私、
だから、ほんま、ほんま、もう、いやーってなったけど、うん、けど、なんか、こっから、じゃあ、結局、私っていう人間は何なのかっていうのがわかって、ちゃんとしなきゃで固めてたなーって、それに気づいたなーってなったら、じゃあ、自分はどんな自分だったら等身大って言えるんだろうっていうところなんですけど、うん、僕はもうほんとね、これ見つけました、これこんなんですよ、みたいなのは言えないんですけど、まだ、うん、
でも、自分が、いえーなーとか、ちょっとでも違和感感じたら、しないこと、うん、で、少しずつですけど、その、まあいっかって言えることって大事やなと思ったんですよ、完璧にとか、全部、全方位きっちりとっていうよりは、どっかこうね、ふっと肩の力が抜いた子育てをして、まあいっかって言えるんが、うん、
多分、自分にとって心身ともに健康なんじゃないかしらと思うんですよね、私は、うん、そう、それが今、私が思う、その等身大、すごく抽象的なんですけど、思っているんですよね、うん、そんなね、もう本当にね、なんて言ったんやろう、地獄を見た夏休みでした、めっちゃ自分イエーし、子供にもイライラするし、で、夫とも、なんか一瞬不中になるし、みたいなんで、すんごい嫌なお盆を過ごしたんですよね、うん、そう、
で、夏休み中、結構後半はね、イライラしてたから、うん、もう、地獄を見た夏でした、はい、そうなんです、で、そういうこともあってね、なんか等身大の自分でいたい、見えんのも、カッコつけんのも、あの、こんなんしたらあかんでって自分に禁止することも、なんか、極端な禁止ね、そういうの無くしていきたいなと思って、
なんかちょっとね、番組のね、方向性も変えたいなと思って、ちょっと冒頭も今回変えてみました、以前のものとは、はい、もうカッコつけんのやめます、っていう宣言ですよね、そう、うん、そういうふうに言っとっても、またね、うん、カッコつけてね、どんどん頭でっかちになって、なんかこう、独りよがりな番組になっていくかもしれないんですけど、
できるだけその、自分の七転び八起きって言われるようなそのママライフの中で、どういうふうに模索しているのかっていう、リアルなところのおかんライフがね、あの、ここでお話ししながら自分も成長していけたらなって思ったので、今日はこんな感じで撮ってみました、はい、ではまた次回の放送でお会いしましょう、ではまた
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