1. ボードゲーム哲学(ボ哲)
  2. ボードゲームデザイ..
2025-12-05 14:33

ボードゲームデザイナーの「らしさ」はどこに?:普遍的快感と文化的翻訳、そして「暗闇の中の跳躍」

spotify apple_podcasts

ボ哲コラム「『デザイナーらしさ』って、どこからくる?」⁠をNotebookLMでポッドキャストにしました。

* なお、ホストの2人はユングの言う「元型」を、誤って“もとかた”と終始発音していますが、正しくは“げんけい”です。

お楽しみください😊

サマリー

ボードゲームデザインにおける「らしさ」について、文化や個人の好みを超えた普遍的な快感のパターンとその理解のための翻訳を探求しています。特に、デザイナーがどのように普遍的な構造を特定の文化に合わせて翻訳するかがテーマとなっています。ボードゲームデザイナーの「らしさ」は、プレイヤーを未知の感動へ導く架け橋の設計思想にあると論じられています。この設計思想は、ゲームのルールが非人格的であることに根ざし、デザイナーの個性ではなく、プレイヤー自身のらしさを映し出す役割を果たしています。

ボードゲーム哲学の探求
さて、今回はですね、ボードゲーム哲学というウェブメディアに掲載されていた、ある非常に興味深いコラムを、一緒に読み解いていきたいなと思ってまして、テーマが「デザイナーらしさ」なんですよ。
ああ、これは奥が深いテーマですね。
そうなんですよね。例えば小説を読んでて、ああ、これ村上春樹っぽいなとか、アニメを見て、この感じ宮崎駿監督だよねって、なんとなくわかるじゃないですか。
ええ、わかります。文体とかテーマとか。
ですよね。でもこれってボードゲームにも同じことが言えるのかなって。もしデザイナーの名前を全部隠して遊んだら、僕たちって、ああ、これはあの人の作品だって当てられるんでしょうか。今回はこの素朴だけどすごく深い疑問を探っていきます。
このコラムが非常に巧みなのは、その問いの答えをボードゲームの面白さそのものの構造を分析することで見つけ出そうとしている点なんです。
ほう。
まずはそもそも私たちが「面白い」って感じる、その感情の正体から解き明かしていくんですよ。
なるほど。らしさの前にまず面白さそのものから。OKです。では早速そこから行きましょう。コラムだと文化とか個人の好みを超えた普遍的な面白さのパターンみたいなものがいくつか挙げられてますよね。
例えばバラバラだったパズルのピースがピタッとはまるあの快感。
あーありますね。あれはもう誰がやっても気持ちいい。
ですよね。
頭の中にあった設計図が目の前で形になるあの感覚。
そうそう。あとはだんだんできることが増えていく拡大再生産のワクワク感。最初は麦一つしか生み出せなかったのに気づけば町ができて資源があふれてるみたいな。
ええ。自分の王国が育っていく感じはたまらないものがありますね。
それから個人的にすごく共感するのがバーストのリスクを追ってもう一枚カードを引くときのあの心臓がキュッとなる感じ。
いわゆるプッシュ・ユア・ラック系のメカニクスですね。
そうですそうです。
ブラックジャックがまさにそれですが、あのチキンレースのような緊張感。
もう一枚引けば勝てるかもしれないけど超えたら全部パー。
あの行くか止まるかの瞬間ってもう言葉とか文化とか関係なく人間の本能に訴えかけてくる面白さがあるなって。
コラムではそうした普遍的な快感のパターンを心理学者のユングが提唱した元型(アーキタイプ)という概念になぞらえて説明しています。
元型(アーキタイプ)ですか。たまに聞く言葉ですけど正確にはどういうものなんでしょう。神話とかに出てくるイメージでしたっけ。
その通りです。元型っていうのは人類の集合的無意識の奥底に時代や文化を超えて共通して存在するとされるイメージの原型のことですね。
例えば「賢い老人」とか「偉大なる母」とか、世界中の神話やおとぎ話に繰り返し登場するキャラクター像がまあそれに当たります。
なるほど。
コラムの筆者はボードゲームの面白さの核もこれと同じような一種の元型として捉えられるんじゃないかと考えているわけです。
へー面白い。じゃあさっきの拡大再生産のワクワク感というのは人類が農耕を始めてからずっと無意識化に刻み込まれてきた
豊穣への憧れみたいな元型につながってるとかそういう話ですかね。
まさにそういう解釈ができるでしょうね。そう考えると優れたゲームデザイナーの役割もちょっと違って見えてきませんか。
と言いますと?
彼らは独創的な物語を生み出す作家というよりはむしろ人類共通の心の琴線に触れる普遍的な快感のアルゴリズムを発見する科学者のような存在だと。
なるほど快感のアルゴリズムの発見者か。だからこそデザイナー個人の「らしさ」とか作家性っていうのはその普遍的なアルゴリズムの影に隠れちゃうと。
それで見えにくくなるんじゃないかと、これがコラムの最初の仮説というわけですね。
ハビトゥスの影響
そういうことです。個人の創造性を超えたもっと大きな構造の話になってくるわけですから。
でもちょっと待ってください。もし面白さが完全に普遍的なら世界中のボードゲームの売り上げランキングってもっと似かよってくるはずじゃないですか。
実際は国によって人気のゲームって結構違いますよね。そこはどう説明できるんでしょう。
鋭い指摘ですね。そこがまさにこの議論が次の段階へ進むポイントなんです。
コラムでもメンサ会員が好む論理パズルと、飲み会で好まれるパーティーゲームは明らかに傾向が違うという例が挙げられています。
それはもう全然違いますよね。後者はもう誰かが恥をかくのを見て楽しむみたいな、ちょっと意地悪な面白さですもんね。
それからボードゲーム好きの間でよく言われるじゃないですか。ドイツゲームは直接攻撃が少なくてじっくり自分の畑を耕す感じで、アメリカのゲームは派手な殴り合いが多いみたいな。
ああ言われますね。
これも文化的な好みの現れだと思うんですよ。
その好みの偏りを説明するためにコラムはフランスの社会学者ピエール・ブルデューのハビトゥスという概念を導入します。これが非常に強力な分析ツールになるんです。
ハビトゥス?これはまた難しい言葉が出てきましたね。それはいわゆる育ちとかお国柄みたいなものをもっと小難しく言ってるだけっていうわけではないんですか?
いい質問ですね。似ているんですがハビトゥスはもっと根深い概念なんです。単なる個人の性格や癖ではなくて、特定の社会集団、例えば家族とか学校所属するコミュニティの中で生活するうちに、本人も意識しないまま身体に深く刻み込まれる思考とか行動、そして好みのパターンのことなんです。
身体に刻み込まれるですか?
そうです。例えば歩き方や話し方、食べ物の味の好み、さらには何を可笑しいと感じるかっていうその笑いのツボまでハビトゥスが影響を及ぼすと言われています。
笑いのツボまで、それは考えたことなかったな。
生まれつきのセンスだと思っていたものが、実は育った環境によって構造化されているということですね。
ということは僕が面白いと思うゲームは僕個人の純粋な好みっていうより、僕が属している日本のゲームコミュニティのハビトゥスに、知らず知らずのうちに影響されている可能性があるってことですか?
まさにその通りです。そうなるとデザイナーの仕事は、さっき話した普遍的な元型的な快感をただ提示するだけじゃ不十分だ、ということになります。
はい。
その快感の核をターゲットとする特定のコミュニティが持つハビトゥスに心地よく響くような特殊な文化的形式へと翻訳してあげる必要があるというわけです。
なるほど。ここで話が繋がった感じがします。
普遍的な面白さの元型と、文化的に偏った好みのハビトゥス。デザイナーは、その2つの間に立って翻訳をする仕事なんだと。これは今回の話の確信ですね。
翻訳のプロセス
そしてコラムは、その翻訳の作業にこそデザイナーのらしさが宿るんじゃないかと指摘するんです。
その翻訳には2つの方向性があるんですよね。1つ目が確信的な体験から具体的なルールへの翻訳。これはどういうことでしょう?
これはですね、デザイナーがまず「人間はこういう構造にまだ言葉になっていない根源的な快感を覚えるはずだ」っていう、ほとんど直感に近いような抽象的な確信を持つところから始まるんです。
データとかじゃなくて確信から入るんですね。
そうです。そしてその抽象的な確信をボードゲームに慣れ親しんだゲーマーたちが、「ああ、これ面白そうだな」って感じてくれるような具体的なルールとかコンポーネント。
つまりゲームメカニクスに落とし込んでいく。この抽象から具体への翻訳作業が1つ目の方向です。
なるほど。じゃあもう1つの、市場の流行から根源的な面白さへの翻訳っていうのはその逆のベクトルですね。
はい。例えば最近のボードゲーム市場でレガシーシステム。1度しか遊べないけれど遊ぶたびにコンポーネントが変化していく仕組み。あれが流行っているとします。
あーありますね。
多くのデザイナーがその流行に乗ってゲームを作りますが、優れたデザイナーはただ流行の形式を使うだけじゃない。
と言いますと?
そのレガシーという形式を通じてプレイヤーを、まったく新しい今まで味わったことのないような、より根源的な面白さの体験へと、どう導けるかという探求をするわけです。
流行という具体的な形式を入り口にしながらその奥にある普遍的な面白さの元型へと繋ぎ直す。
この具体から抽象への翻訳が2つ目の方向性ですね。
面白いなぁ。どちらの方向の翻訳も単なる論理的な作業じゃなさそうですね。正解が一つに決まっているわけじゃない。
まさに。だからコラムではこの翻訳作業のことを暗闇の中での跳躍、リープインザダークと非常に詩的に表現しているんです。
暗闇の中での跳躍。それはつまり成功が保証されていないデザイナーの信念に基づいたジャンプってことですよね。
そうです。
めちゃくちゃクリエイティブな行為じゃないですか。
ボードゲームデザイナーの設計思想
その通りなんです。デザイナーは「プレイヤーがきっとこんな感じだろう」って期待している見慣れた地平から、
彼らにとってはまだ言葉にすらなっていないまったく新しい感動の地平へと渡るための架け橋を設計している。
架け橋を。
そしてコラムはここで一つの結論にいたります。
ボードゲームデザイナーの「らしさ」とは小説家の文体のような表面的なスタイルではなく、
まさにこのプレイヤーを未知の感動へと導くための架け橋の設計思想そのものに最も色濃く現れるのだと。
架け橋の設計思想か。作家性が見える場所はそこだったんですね。ようやく霧が晴れてきた感じがします。
でもここで最後の疑問が浮かびます。
その設計思想がなぜ小説家や映画監督の「らしさ」と比べて、僕たちにはこんなにも見えにくいんでしょう。
その理由についてコラムは、ゲームのルールが持つ本質的な性質に原因があるんじゃないかと指摘します。
それはルールが本質的に非人格的だからだと。
非人格的? 人が作ったものなのに人格がないと?
例えば村上春樹の文章は彼の身体とか経験と分かちがたく結びついていますよね。
他の誰かがまったく同じ文章を書くことはできません。
まあそうですね。
でもゲームのルールは一度デザイナーによって設計されて世に出されると、
デザイナー自身の手を離れてルール自体が自律的に機能し始めます。
あなたがプレイしても私がプレイしても、ルールはルールとして客観的にそこにただ存在する。
確かに一度作られたレシピは、もうシェフ個人のものではなくなるみたいな感じですかね。
非常に良い例えですね。
誰でもそのレシピに従えばある程度同じものが作れてしまう。
そうです。ルールはデザイナーの意図を離れてプレイヤーと相互作用を始める。
そこにデザイナー個人の人格が見えにくくなる原因があるのではないかと。
プレイヤーのらしさを映す鏡
そしてここからがこのコラムの最も美しくそして革新的な洞察へとつながっていきます。
まあ何でしょうドキドキしますね。
もしかしたら本当に優れたデザイナーの作家性、その「らしさ」っていうのは、作品に自らの個性を強く刻印することではないのではないのかと筆者は言うんです。
個性を刻印することじゃない? じゃあ一体何なんだろう。
むしろ逆です。自らの個性とかエゴを一旦括弧に入れて、つまり、そっと脇に置いてですね。
遊び手の心の中にある面白さの元型と、ゲームが持つ冷徹なルールの構造とを、最も純粋な形で出会わせる。
その出会いの場を、最高の精度で設計することにこそ、彼らの真の作家性が現れるのではないかと。
それは考えたこともなかった視点だ。
デザイナーの個性を消すことが最高の作家性になるっていうのは逆説的ですごく面白いですね。
でもそれってデザイナーにとっては少し寂しいことじゃないですかね。
自分の名前が残らないというか黒子に徹するみたいな。
そうかもしれません。しかしその結果として何が起きるか。
私たちがゲームを遊んで「うわーなんだこれ、最高に面白い!」と心から感動するとき、それはデザイナーのらしさを直接感じているというよりも、
彼らが設計したその完璧な出会いの場の上で、私たち自身のらしさが盤上にくっきりと映し出されている瞬間なのかもしれないのです。
デザイナーが作った鏡に自分のらしさが映し出される。だから面白いのか。
なるほど僕がカタンで毎回交渉で資源を独り占めしようとして結局みんなから嫌われて失敗するのは
僕自身の強欲な性格があの六角形のタイルでできた鏡に映し出されているってことか。
そういうことになりますね。デザイナーは、プレイヤー自身を映し出す精巧な鏡を作っている職人だと言えるのかもしれません。
鏡の職人。
その鏡の磨き方、角度、フレームの形、そこにこそ彼らの設計思想、つまり「らしさ」が込められているんです。
いやーすごい話でしたね。そう考えるとゲーム体験がまったく違って聞こえてきます。
あるゲームがあなたにとって最高に面白いと感じられるのは、そのゲームという鏡が、あなたの中にある思考のパターンとか快感を感じるポイント、
つまり、あなたの「らしさ」と見事なまでに共鳴している証拠なのかもしれないですね。
そこで最後に一つあなたに考えてみてほしい問いがあります。
このコラムは、デザイナーはプレイヤーを映す鏡を設計すると示唆していました。
ではあなたが繰り返し遊んでしまう大好きなゲームあるいはどうしても好きになれないゲームについて少し考えてみてください。
それらのゲームはあなた自身のどんな「らしさ」を、あるいはどんなハビトゥスを映し出しているのだと思いますか。
14:33

コメント

スクロール