ライト兄弟の経歴
どうもハリーです。 どうもヤマンです。ゴロゴロ起業ラジオは、教育会社を経営しているハリーと、デザイン会社を経営するヤマンがお届けする、起業やスタートアップに関する話を緩く紹介する番組です。
です。
かやまさん。 ほい。
エジソンって知ってますか。 当然じゃないですか。トーマスエジソンでしょ。トーマスエジソンですね。どんな人ですか。
えっとね、なんだっけ。電球だったっけ。電球開発した人ですよね。
まあまあ大体会ってますね。 大体会ってますよね。電球と蓄音器とかそんなのじゃないですか。
ああそうですよね。その辺が有名ですね。
なんか電話の元になるようなね。
はい。発明王ですよ。 知ってますよ。
発明王ですよ。
なんですけど、発明王であり、訴訟王でもあると言われてるんですよ。
あ、そうなの。
訴訟って裁判の訴訟ね。
これはでもね、訴訟王エジソンの標的っていう実話を元にした小説があって、それがまさにこの電球の開発にまつわる裁判をしまくったっていう話。
あ、そうなんだ。
だから電球、まあこれ関係ないですけど、電球一番最初に発明したかと言われるとちょっと違う。
あ、そうなの。
元々電球作った人がいて、ただそれだと光る時間がちょっとしかないから、それをめちゃくちゃ長くしたのがエジソンみたいな。
話なんで、僕の中では結構エジソンって発明家というよりも実業家かなっていう印象なんですけど。
あ、そうなんや。
僕は小学校4年生の時の読書感想文にトーマス・エジソンの本を読んで、読書感想文を書いた記憶しかないわ。
いいじゃないですか。
なんかその時のすごい記憶に残ってるエピソードは、子供の時の友達にガスか何かを飲ませて、友達それ飲んだら浮くと。風船みたいに浮くと。
え、こわ。
友達にガスみたいなのを飲ませて、大問題になったみたいなエピソードがあったよ。その本には。
あ、いいですね。そういう偉人の狂ったエピソード。
そうそう、狂ったエピソードでね、すごい人がいるたもんだという記憶がいまだにある。
ヤーマン少年。
いや、なぜこの話をしたかというとね、前回、サイモン・シネックさんのゴールデンサークル理論の話をしまして、
出た。
この理論の上げ足取りをしようとして失敗したんですけど、
やっぱりYっているわってなったもんね。
そうですね、やっぱりホワイから始めるのはいいよねという話になったんですが、今回ちょっとその延長戦と言いますか、
そのホワイから始めようというね、サイモン・シネックさんの本に出てきたストーリーの中の一つ、ライト兄弟。
今日はね、ライト兄弟、実業家としてのライト兄弟という話をしていきたいんですけど、
なぜこの話をしようと思ったかというと、そのホワイから始めようという本の中にですね、こういう一節が冒頭部分にありまして、
印刷機と自転車事業
ライト兄弟もラングレーも、ラングレーってこのライト兄弟のと同じ時期に飛行機開発してた人ですね。
ライト兄弟もラングレーも意欲は満々だった。どちらも勤勉だった。どちらも科学的に鋭い洞察を重ねた。
どちらも全く同じゴールを目指して進んでいた。
だが、ライト兄弟だけが周囲の人々を感動させ自分たちの活動に巻き込み、世界を変えることになるテクノロジーの開発へとチームを導くことができた。
そしてライト兄弟だけがホワイから始めていたというね、かっこいい一文があるんですけど、
いや本当かと。
また。またか。
関西人のノリなんかわかんないですけど、ほんまかと。
ほんまかいなと。
僕もね、小山さんのエジソンじゃないですけど、ライト兄弟の電気を子供の頃に読んだことがあって、
うっすらその記憶があったんですけど、そんな感じだったかなと。俺の記憶と違うぞという気がしたので。
僕ライト兄弟に関しては全く情報ないですね。
どれくらい知ってます?
え、だからあのお笑い芸人のダウンタウンってあるじゃないですか。
あのダウンタウンの昔の名前がライト兄弟だったよねぐらいしかないよね。
あったねそれ。
あったでしょ。
だからもう本当に飛行機を開発した人っていうぐらいしか情報がない。
そうですよね。
多分普通はそれぐらいだと思うんですよ。
ということで結構ね、お子さんとかいる人もね、いずれライト兄弟に出会う時があると思うんで、
その時にお父さんお母さんがね、ライト兄弟についてこんな人だったよというのをね、言えるといいんじゃないかということもありつつ、
実業家としての実力もね、ちょっと企業の参考になればということで。
学んでいきましょう。
やっていきたいと思います。
行こう。
ということでライト兄弟どんな人たちかというと、兄と弟2人いるんですけども、1867年生まれですねお兄さんが。
で弟がその4つ下で1871年生まれ。
でこれ関係ないですけど、エジソンが1847年生まれなんで、完全に同じ時代の人なんですよね。
はいはいはい。
お兄さんの20個上がエジソンみたいなぐらいの差ですね。
だからまあ発明とかものづくりみたいなのが輝いてた時期ですね。
活発ですね。
はい。でこの時代にアメリカの北東部にあるのかなデイトンという場所でこのライト兄弟は育ちます。
父親は牧師というか説教師というかなんかそのありがたい言葉を言って全国つつ裏裏回る人。
はいはい。昔のアメリカにいたよねそういう人。
なんかいましたよね。
で母親は専業主婦ですね。
でお母さんがすごいものづくりが得意で2人にいろんな工作を教えてくれたみたいなんですよ。
でもうソリを作ったりとかタコを作ったりしてすごい完成度高い工作をするので周りの人からもすげえすげえと言われていたという少年時代ですね。
でこの兄弟がですねもうめちゃくちゃ仲が良くて何をするにも一緒にしていたんですけど、
特にお兄さんの方ですねが結構カリスマ性があるというか成績優秀運動抜群という分布両道で結構地元でも有名な大学に行くと思われていたんですけども、
ある日ですねそのお兄さんがホッケーをしているときに相手が振りましたホッケーのスティックが顎に直撃して
いた。
そうで前歯すべてと顎の骨が砕け。
マジ?やばいな。
で長期入院することになってしまってもう学校にも行けなくなって進学の道諦めたっていう。
えー。
これ余談なんですけどこの時お兄さんの顎を砕いた人。
これ自己説と故意に行った説っていうのがありまして。
この顎を砕いた人後に殺人などの罪で死刑になってるんですよ。
えー。
ちょっとなんかやばい奴やった可能性あるよねそれ。
そうですね結構地元でも噂になるような危険な人だったらしいということでね。
えー怖い怖い。
そうこの人がこのお兄さんの人生を大きく変えてしまったんですけれども。
なるほど。
でまあまあそれでもものづくり好きな兄弟がですねなぜ飛行機の道に行くかというと。
まずはですね弟オービルがですね高校生の時に父親にあるものが欲しいとおねだりをします。
うん。
まあもうね高校生が欲しがるものといえばね決まってますよね。
今ならスマホとかでしょうけど。
もう当時はあれでしょうスケボーでしょうスケボー。
なんなんすかスケボーって。
スケートボードです。
ちょっとなんかねえ変なこと言うかと思ったら。
えーとね印刷機ですね。
あー。
はい。
なるほどね。
そんな感じか。
そんな感じです。
えーはい。
まあなぜか印刷機に興味を持った弟オービルが父親に印刷機を買ってくれということで。
で印刷機を手に入れたオービルはですねそれを使って学校の掲示物とかの印刷するんですけど。
だんだん近所のお店の印刷とかも頼まれるようになってきて。
さらに自分たちで新聞を発行したりするようになってだんだんと規模が大きくなってきまして。
でまあ高校出てそのオービルは友達とその兄のウィルバーさんを誘って印刷会社を始めます。
で印刷会社が結構ですねにぎわっていて2人はすごい忙しくしてるんですけど。
で印刷ばっかしてると最近全然ものづくりしてないなということを思うようになり。
そんな折にですねリリエンタールという人がグライダーで初飛行をしたという記事を見ます。
グライダーってまあでっかい翼みたいなやつですね。
はいはいはいありますね。
山の上からこう走ってピューンって飛ぶやつでしょ。
はいそれで初めて飛んだっていう記事を見てすごいなと。
もうこの今もどこかでそういう空を飛ぶ夢を実現させようとしてるんだなと。
いうことを考えてまたねものづくりに対する情熱が2人の中で湧き上がってきますと。
ただいきなりね飛行機作り始めるわけではなく。
最初はですねその印刷の仕事をしている傍ら自転車屋さんを始めます。
自転車の修理屋さんですね。
当時自転車がめちゃくちゃ高価で多分今でいう軽自動車とかそれぐらいの値段感だったんですよ。
高っ。
給料数ヶ月分みたいな。
はいはい高いね。
高いんですけどそれが流行り始めていたんでその修理を2人はね手先器用なんでするようになって。
その修理をしながらオリジナルの自転車も作ろうということで自転車作ったらこれが結構売れると。
でその自転車屋さんも印刷屋さんも商売は結構いい感じだったんですけど。
そんな時にですねそのさっきグライダーで空を飛んだリリエンタールさんが飛行中に墜落して死亡するという記事を見ます。
まあねその命をかけて取り組んで実際にね命を落としてしまって。
危険は承知でやっていただろうし実際にね空を飛ぶこともできたと。
でそのなんていうんですかね生涯をかけて取り組むようなことを自分たちもやりたいなと。
いうふうに考えて空いた時間で今度は飛行機を作り始めるようになります。
飛行機開発のスタート
それがきっかけなのか。
すごいですね印刷の仕事をして空いた時間で自転車屋を始めさらにその空いた時間で飛行機を作ろうと。
すごいねしかもお兄ちゃんは顎が砕いた経験を持ってると。
それはそんなに今後全く絡んでこないですけど。
なるほど。
でまあまあそこからね飛行機頑張って作って世界初飛行するっていうようなねざっと。
俺たちはそんな感じですね。
なるほど。
でその最初に言ったライト兄弟のライバルというか一緒に飛行機同じ時期に飛行機作っていた。
ラングレーさんね。
ラングレーさんは結構その補助金っていうんですかね今でいう。
公の金を使ってその研究開発をしていて。
7万ドルかけて結局成功できなかったんですけど。
ライト兄弟は1000ドル未満だろうと言われている費用で飛行機を実現できたと。
いうことでそれがねすごいサイモンシネクさんの本の中でもいい話として。
取り出されてるわけですね。
取り上げられているんですけれども本の中にあった。
ライト兄弟だけが周囲の人々を感動させ自分たちの活動に巻き込み世界を変えることになるテクノロジーの開発へとチームを導くことができた。
かというと多分そんなことはない。
というのはライト兄弟が世界で初めて空を飛んだというのが1903年。
1903年に約12秒間飛行して30メートル空を飛んだと。
この時ライト兄弟以外にそれを目撃した人の数何人ぐらいだと思いますか。
まあでもチームでやってるだろうからチームのメンバーは見てますよね絶対に。
ライト兄弟の飛行機開発
何人ぐらいでやってたんだろう。
20人ぐらい。
正解は5人ですね。
5人か。
5人ですね。
5人も近所の人がちょっと手伝いできてくれたぐらいですね。
はいはいはい。
なのでこの自分たちの活動に巻き込みっていうのは結構持ってんじゃないかなっていうね。
だいぶ持ってるね5人しか巻き込んでねえじゃんっていうね。
むしろ巻き込まれてくれるなと2人は思ってたんじゃないかなっていう。
なるほど。
結構ねその詳しい電機とかを読んでると鉄田オーカーみたいな人は結構現れるんですけど。
いや大丈夫です。
ああ言ってるのライト兄弟は。
邪魔してくれるなと。
はい。
わからんでもないよねでもね。
なんか自分の大切なさこだわり抜いたものをさ作ってるの時ってさ手伝われると邪魔じゃない?
手伝われると邪魔というのはありますね。
ありますよね。ちょっともうわかったからもう気持ちだけ受け取って向こう行っといてって時あるよね。
ああそういうね。
気持ちだけ。
気持ちだけもらうんで後もう任せてください向こう行っといてくださいみたいな。
それですね。
そういう状況やったねライト兄弟って。
でその方が決断が早く外部に秘密が漏れる危険もなく、
隅から隅まで自分たちで作っているからその飛行機の仕組みを完全に理解しているしもちろんテスト飛行も自分たちで行うと。
これは本当に子供向けの電機とかで語られる大空を夢見てというよりも、
ちゃんと事業にしようという目論みがあったと見る方が正しいのではないかなっていう。
いやそうでしょうだって印刷でビジネスやってたような2人でしょ。
はい。
空飛行機も事業にしようとしてるわな。
うんうんうんそうですよね。
うん。
なのでまぁちょっと排他的な感じだったのかなっていう印象を僕は持っているので、
あんまり巻き込んではいないかなという。
なるほど。
シネックさんもっとるな。
ね。
うん。
なんでこれを出したのかはちょっとシネックさんに会う機会があれば聞いてみたいんですけどゲストに来てくれないですかね。
ね。
うん。
はい。
で、まぁここからねちょっとビジネス的な話になってくるんですけれども。
うん。
その最初にテスト飛行成功したのが1903年。
で、まぁ結構ねよく言われるのはこの時全然話題にも昇らず報道もされなくっていうのがね。
うんうんうん。
あってましてただそこからだんだんとこう話題になってきて。
うん。
なんか本当にどうやら飛べるらしいぞっていう。
はいはいはい。
ことでだんだんと話題になってきて2人も研究開発を続けて2年後1905年にはですね。
うん。
対空時間30分以上。
すげー。
で飛行距離も約40キロに達したと。
すげーじゃないすか。
すげーんすよ。
急激に技術が進化していて。
はいはい。
40キロか。
まぁ大阪からだと京都ぐらいまで行けるよね。
おー行けるんですかね。
うん。
多分ね。
大阪市内の。
うんうん。
だったら。
うん。
ここまでできた段階でこれ以降数年間飛行実験をしていないんですよ。
なぜ。
なぜかというとそこからもうここまでできたので。
うん。
実用機の開発に移ろうと。
はいはいはいはい。
その実用機はもう販売する目的で。
うん。
飛行機を作っていこうというモデルにするための開発に着手すると。
めっちゃビジネスマンやんライト兄弟。
そうだと思います僕も。
ねえなんかただ夢を追いかけて空飛びたいから開発したとかじゃないやん。
じゃないですけど僕はこっちの方が好きですね。
めっちゃ事業でビジネスにしようとして。
はい。
ちゃんとしてるやん。
ちゃんとしてるんですよ。
ねえ。
なんですけどここで新たなライバルが現れます。
カーチスとの競争
うん。
これがねカーチスっていう。
カーチスさん。
カーチス。
はい。
カーチスさん。
はいはい。
これちょっと裏撮ってないんですけど。
うん。
紅の豚にカーチスって出てきますよね。
出てきたっけ。
あの最後に2人で殴り合うシーンあるじゃないですか。
あー。
あいつカーチスですね。
あそうなんすか。
はい。
なんかかけてるんでしょうね。
宮崎駿さんのことだから。
多分関係あると思うんですよね。
子孫なのかちょっと時代がいつなのか。
僕も紅の豚の時代感がわかんないですけど。
うん。
でもちょうどでもそれぐらいっぽいもんね。
1900年代というか。
1900。
うん。
そうですね。
日本だと空日清戦争とかやってるときっすよ。
そうです。
たぶん第一次大戦の後とか。
もうそのときにはあれやね。
空飛んでたんや。
ヨーロッパは。
ヨーロッパちゃうか。
アメリカか。
アメリカですね。
アメリカですね。
カーチスさんがですね。
カーチスさんはもともとバイクとかを作っていた人なんですけど。
飛行機を俺も作るぞということで。
飛行機作り始めたらめちゃくちゃいいのができてしまって。
うん。
もうライト兄弟の飛行機よりいいんじゃないかと。
そのバイクの方が?
バイクを作っていたカーチスさんが作った飛行機が。
そっちの飛行機の方が?
うん。
ただライト兄弟の方がいろいろと先に作っていたというのもあって。
特許などを2人はちゃんと取ってるわけですね。
カーチスの飛行機は特許侵害しているんじゃないかという裁判がずっとここから始まってきまして。
一部裁判勝ったり負けたりはあったんですけれども。
最終的には結構ライト兄弟裁判で勝って。
勝ったんですけれども、勝ったからにはこの特許の使用料払ってねというのが言えるようになるわけなんですよね。
その特許の使用料がまあ高くて。
だいたい1台作るのに5000ドルぐらいかかるらしいんですけど。
特許代1000ドルぐらい払えよっていうやつで。
高いと。
その高いの払えんよっていう話になってしまって。
これから飛行機どんどん盛り上げていくぞという時にちょっとライト兄弟邪魔だなということで。
だんだんとですね印象があまり良くないと。
ということになってきて。
技術的にもカーチスの方がいいものを作っているみたいな。
旋回する時の距離が短いとか。
あとは特許に触れない新しい飛行機を作るとかで。
だんだんとですねカーチスの方がいいよねという話になってきて。
もうライト兄弟が結構劣勢になってくるんですよね。
へーそんなエピソードがあったんですね。
だからまあこの時ねやっぱり軍で飛行機使いたいっていうのがあって。
でまあどれを使うんだみたいな話になっている時に。
まあやっぱカーチスさんの方がいいですかねみたいな話になってきて。
ずっと裁判裁判裁判裁判っていうのをやっていた時に。
その時にお兄さんのウィルバーさんがチフスっていう病気で亡くなってしまうと。
でそのお兄さんが亡くなってしまったことによってもう二人は一心同体だったんで。
その二人のうちの一人が欠けてしまったということで。
弟はそこからなんか急にやる気をなくして。
もうマリオブラザーズ状態じゃないですか。
そうなの?
ルイージもマリオのこと超好きだからね。
そうなの?
そうそうそう。
そのエピソード知らないわ。
本当映画とか見てくださいマリオの。
あーさっきやってるやつですか。
そうそうそうルイージ超お兄ちゃんのこと好きで兄弟超仲良しだからあれ。
そうなんだ。
マリオブラザーズを彷彿させるよねライト兄弟は。
でも確かにねマリオっぽいかも。
ね。
そうですねお兄さんね結構ね背も高くてシュッとしていい感じだったらしいんですけど唯一の欠点がめちゃくちゃハゲてるっていう言葉が書かれていて。
はいはいはい。憎めないわ。
なんかね今回これやるんやって学習漫画読んだんですけどだいたいずっと帽子かぶってるんですよ。
あーもうマリオやん。
そう。やっぱね。
うーん。
まあいいや。帽子かぶってる人がいいセリフ言う方がちょっといいなっていう感じはしちゃいました。すみません。
なるほどなるほど。
ビジネスの苦境と終わり方
えーそう。ということでね。まあそこからもうそのなんか裁判もだんだんもう飛行機はいいかなっていう感じになってきてしまって最終的にそのカーチス社に合併する形でその飛行機会社も手放してしまうっていうのがこの2人ライト兄弟の。
なんかちょっと悲しい終わり方ですね。
そうなんですよ。
ちょっと悲しい終わり方だし結構ライト兄弟にスポットライト浴びてるけどカーチスさんって今日初めて聞きましたね。
まあでも2人はちょっと夢半ばというところで。
終わったんだ。
終わってしまってまあ弟さんはその後それなりに長生きするんですけどもうひっそりと暮らしていたというような。
はーだからダウンタウンライト兄弟から名前変えたんだろうねきっと。
わかんないけど。
相方が死んで夢半ばで終わっちゃうって悲しいやんそんなコンビ名。
まあそうですね。
そこまで考えてたのかな。
いや絶対考えるよ。
ちょっといい話ですね。
いやそうだと思いますよ。
ということでね結構ね事業家だったんじゃないかなというところとやっぱりその技術競争とかそういうところにねなかなか苦戦して飛行機ビジネスはうまくいったとは言い難いかなっていうところですね。
なるほどなるほど。
まあもちろんその全盛期はうまくいって注目も浴びてまあある意味成功者っていうふうに取り上げられてたと思うんですけど。
確かにその終わり方を聞くと悲しい気持ちになるよねお兄ちゃんが。
そうですね。
お兄ちゃん散々じゃないですか。
若い頃に顎砕かれて最後病気で死ぬんでしょ頭剥げて。
失礼だな。
いやそういう悪意はないですすいません。
ああそういうことなんですね。
そうだからねやっぱそのライト兄弟のエピソードってこの世界初の飛行機を飛ばしてそこから最初は誰にも相手にされなかったけれども世界から注目されるようになったっていうところまでで終わりかなと思うんですけどその後があるっていうのはね人生ですね。
その後があるっていうのが人生だよね。
いいとこだけ切り取ってね取り上げられるから。
知識はやっぱり武器ですよ我々にとっても。
なんかさこのライト兄弟の話に出たときちょっとこれで言えるもんね。
どの辺が顎を割られた事件。
それは絶対言うよね。
顎が割られたこととお兄ちゃんが背が高くて剥げてたっていうことは絶対言うよね。
ライト兄弟の終わり方の悲しさとダウンタウンの名前変更
そのいいところだけ切り取ってその引用されてても実はライト兄弟の終わり方って実はちょっと悲しくって夢中ばばで終わってるんだよっていうのがさ。
そうですね。
言えるじゃないですか。
言えますね。
いやでも今日の話で一番スッキリしたのはそのダウンタウンに名前変えた理由がはっきり分かった。
はっきり分かった。
まっちゃんとはまちゃんはライト兄弟みたいになりたくなかったんだよね多分。
なりたくなかったんですか。
だからコンビニ名つけたときは有名になって世界初のみたいなところを考えたけど。
やっぱ空飛ぶって夢あるし初めて人類を空飛ばせたって新しい世界連れて行くみたいなところにフォーカスしてそういう名前つけたんだろうけどなんか終わり方悲しいやんみたいなって変えたんだろうと思うよ。
よくよく調べていくとハッピーエンドではないなっていう。
ハッピーエンドじゃないし相方死ぬやんみたいな。
なるほどね。
分かんないよこれは俺の推測ですけど今日の話聞いてきっとそれで変えたんじゃないんだろうかなという気がしてます。
なるほど。
ダウンタウンの2人がゲストに来た際には。
再生回数すごいことなるでしょ。
僕が緊張して何も喋れないよね多分ね。
そうっすよね。
でもやっぱそういう時にねいかにこういい質問できるかっていうのはね。
質問力ね。
質問力。
ハリーさん任せましたよその時は。
ライト兄弟の話でいいんすか。
したがらないんじゃない多分。
でも今だったらしてくれんのかな。
どうなんだろう。
ハマちゃんだったら答えてくれそうっすけど。
まあでも一回喋ってみたいですよね人生でいい。
ダウンタウンのお二人と。
あのお二人と。
まあそうっすかね。
絶対面白いよ。
面白いかなあ。
あんまりこう盛り上がれる気がしないっすね。
同じく。
同じく。
同じく。
そういうすごい人にインタビューできるとしてもあんまり差がありすぎて。
いい質問できそうな気がしないっすよね。
それめちゃくちゃわかりますよ。
僕もあのビジネス情報士の仕事を編集の仕事をしてるんで結構あの年末の特集とかで有名な社長とか昔とかだったら市長さんに大阪市長さんに取材とかしたことありますけど。
めっちゃ気遣いますもんね。
まあそうですよね。
ちょっと話脱線するかもしれないんですけど今一番話聞きたい人誰なんすか。
いやあ別にいないかな。
将棋のプロ、鈴木大輔さんについて
いないんかい。
どうなのえ逆にいますかなんかそういう人。
僕ねあれプロの将棋士の人に話聞いてみたいです。
あープロ棋士の人ね。
プロ棋士さん。
はいはいはい。
どんな毎日送ってんだろうっていうね個人的な興味がありますね。
あーはいはいはい。
将棋の世界も常に進化してるんで僕将棋好きなんすよ。
よく言ってますよね。
はい将棋がかなり好きでニュースとかもね将棋のニュースは見てるんですけど。
うん。
そのプロ棋士さんってどういう毎日送ってんだどういう研究とかどのぐらい将棋と向き合ってんだ人によってもちろん違うと思うんですけど。
うん。
なんかその奨励会のこととか教えてほしいですよね。
あーはいはいはい。
うーん。
なんか具体的にこの人とかいるんですか。
そうですね鈴木大輔さん。
全然知らないね。
知らないですよね多分ね。
はい。
プロ将棋士ですね。
へー鈴木大輔さん。
でプロ将棋士でありながらプロの麻雀士でもあるんですよ。
おーはいはいはい。
で最近youtube始めててその人のyoutube最近よく見てるんですけど非常に面白い。
うーん。
将棋も超強いまあ当然ですけど。
うん。
で話も面白いからなんか結構見てますね。
へー。
いいっすねじゃあゲストに。
来てくれるのか。
すごくない?将棋のプロでありながら麻雀のプロなんですよ。
でもなんか近しい気は?
テーブルゲームって。
近しいんかなー。
麻雀は僕はやらないんであんまり詳しくないんですけど。
うん。
麻雀は結構運的要素も強いんじゃないかなって。
まあプロとかになってくると違うかもしれないですけど。
うん。
将棋はほとんど運なんて関係ないもんね。
あのあれですね完全情報ゲームっていうお互いの状態が全て見えるか見えないかっていう。
そうそうそう。
ゲームの種類で。
そういう状態の手なんで。
うん。
なんかその辺のなんかどういう変遷を経てそんな風になったのかっていうのを聞いてみたいですね。
おーいいですね。
ぜひねこれを聞いていたら。
ぜひもう発狂するほど嬉しくなる。
嬉しいですね僕の場合そのその返事レスポンスが何かしらあると。
うんうん。
いいですねなんかねそういうのねできるように。
そうですね。
声がけできるように頑張っていきたいなと。
はい。
そうですね。
思いますのでですねぜひ皆様のワンクリックがその一歩となりますので。
この番組を聞いて面白いなと思ってください。
この番組を聞いて面白いなと少しでも思った方はですね。
コメント、チャンネル登録、スポティファイのフォローなどしていただけると嬉しいです。
嬉しいです。
はいということで今回はこの辺りで終わりにしようと思います。
はい。
はい今週も聞いていただいてありがとうございましたまた来週。
ありがとうございました。
お会いしましょう。
それでは。
さよなら。
兄弟番組のゴロゴロトーキングではヤーマンがビジネス情報をゆるーくお伝えしています。
概要欄にリンクを貼っていますのでこちらもよろしくお願いします。