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2023-11-27 23:13

#78 性別における社会的なデザインが与える影響

社会が「雑な男性、雑さを同性に強要する空気」を構成する要因を作っていると仮定するなら、社会が一男性と一女性の個別のトラブルの要因の一つにも繋がってしまうのでは、という仮説で、誰にとっても快適な社会を目指すために、雑なマッチョイズムを他者に強要する設計はやめようよ、という話です。

サマリー

社会的なデザインの影響について考えます。男性トイレのデザインや男性清掃員による女性トイレの清掃についての意見が分かれています。あることに慣れるともうあれがない環境ってとても怖いですし、大谷翔平の活躍について話し、野球のマーケティング戦略について理解を深めます。

男性トイレのデザイン
こんにちは、シロクロの伊藤です。Podcast 78回目、今回は性別における社会的なデザインの話です。
今日、2023年11月27日、月曜日になります。よろしくお願いします。
はい、Podcast、久しぶりに録音しています。
ちょっと1ヶ月ぐらい席が止まらなかったので、全然Podcastできなかったんですけど、
そろそろできそうかなということで再開します。よろしくお願いします。
先日、産経支援部に載ってあった記事が非常に関心がありまして、
ちょっとそれに触れていきたいと思います。
大妻女子大臣教授の田中先生という方の話で、
記事のタイトルとして、男性トイレ小は吸い立てがあれば十分なのか、雑に扱われる男の性というテーマという記事があります。
これは今も見れる記事なので、見てもらうとわかりやすいんですけど、
要はトイレ、男性用の消電機で言えば、
要は隣の人が見えてしまう状態だったり、
男性であれば、胸のところを露出しても全然社会問題に何もならないっていうのは、それでいいのかどうかっていう指摘になっていると。
全然強要な話ではなくて、それでいいのかっていう話になっております。
それに対する反応として、結構いろいろありまして、一部ちょっと引用していくと、
僕は同じ意見だと思ったのが、嫌だなと思いながら無理やり順応していくことで雑な人間になっていきがち。
雑な方が効率がいいからという意見と、もう一つ関連して、
自分を雑に扱うことに順応することで、雑さを当然と認識し、他者への配慮を知らず知らずに失っていくという話。
これも僕もすごいこのコメントを読んだ時になるほどと思って。
確かに、自分がいいからというのは、そこまでだけであれば別にいいと思うんですけど、
自分がいいから周りもそうだよねっていう、ちょっと同調圧力に近い感覚っていうのは非常に気持ちが悪い。
要は、トイレの話でいくと、各個人が嫌だなと思っていても、
男性の社会的な雰囲気でいくと、それを嫌がる風潮っていうのはあんまりないので、
自分ちょっと小便器では用を出せないですね。
でも男性に話すと、否定されがちというか、ダサいねみたいな言われがち。
小中学生とかだったら余計に。
っていう社会になっていってるんじゃないかっていうところですね。
もちろんというかネガティブな意見もかなりありまして、それもいくつかピックアップすると、
嫌なら台に入ればいいだけ、何が問題なのかわからない。
もう一つ同じように、個室があるんだから対応性の配慮は十分でしょ。
小便器の排除の方が問題あるよっていう話。
全然そういう話をしてないんだけど、個人個人の話を全然していなくて、
あなたがそうだから否定するっていうのは全然別の話で、
個人が許容するが故に、結局他者の許容を強調してしまっているっていう点だと思うんですよね。
誰も小便器の排除とかそんな話はこの記事にも上がってないんですけどね。
ついつい反応しちゃうっていう。
俺は別に問題ないけどねっていう。
それは自分の胸の内にしまっといてほしいですけどね。
台があれば対応性配慮してるでしょっていう、そういう話でもない。
結局小便器しかないところも多いわけで。
小便器の排除の話もしていないので。
男性清掃員と女性トイレの清掃
だから全体の話ですね。
近い話で僕も嫌じゃないけど、すごい違和感があったのが、
公共のトイレで、駅とか多いですかね。
男性用トイレで女性の方が清掃しているっていうのも、
昔からなんでかなっていう気持ち悪さがずっと残っていて。
もちろんいろんな効率面とか、駅で言えばね。
女性トイレと男性トイレがあって、
清掃する人が1人の方が効率いいっちゃいいですよね。
そこに女性スタッフと男性スタッフを当てがって、
トータルの時間で言えばもちろん、
仮に1時間で済むのなら1人が2つやって2時間なのと、
男性女性スタッフが1個ずつやって1時間1時間で2時間っていう、
人件費だけの話で言うならあまり変わらない気がするけど、
2人アサインするより1人準備した方が楽ではあるので、
そういう面もあって、おそらく女性の清掃員が1人で行っていると。
逆は100%ないですよね。
男性の清掃員が男性用トイレと女性トイレで清掃しているっていうのは、
100%はない。
聞いたことないから断言はできないけど、
女性トイレの中を男性の清掃員が掃除しているっていうケースは、
多分ないですよね。聞いたこともないけど。
逆ならいいのかっていう話。
これはちょっと、やらせている組織としては多分何も疑問には思ってないんだろうけど、
やっている女性の清掃員は、
多分もちろん中には嫌な人もいるだろうし、
っていうか嫌な人の方が多いと思うけど、
そこにいる男性も嫌だし、
嫌っていうかすごい違和感があるので、
それを全然俺は気にならないしっていう個人の話を持ち出されると、
また別の話になるので、そこは逆化したいんですけど。
男性も女性も同じように扱わなきゃいけないとも思ってないんですけど、
同調圧力によっておかしい、嫌だなって思って、
少数派、少数派かどうかわからないけどね、
っていう意見がかき消されているのも非常に嫌だなっていうのと、
あと最初の反応として取り上げていた、
社会的な意識の変化
無理矢理順応していくことで雑な人間になっていきがち、
雑な方が効率がいいからっていうのは非常に刺さってしまって、
これも大きな修行を使いたくないけど、
それで男性がどんどん雑になっていくっていうことが、
もし本当というかそれが要因になっているのであれば、
社会的な仕組み、デザインが性別の人格を作っていっているっていうことにもなりかねない。
これ海外どうなんだろう。
しまった。
喋る前に、よその国の話を調べておきたかったけど、やってなかったので、
国内の話しかできないけれども、
個人的には本当にそういったところを、
どんどんどんどんより良い形にしていった方が良いんじゃないかと思っていて、
実際問題をかなり深んでみると、
多様性だったり、やっぱりこういうことはいけないよねっていう、
すごく当たり前の感覚っていうのが、
どんどんどんどん良くなってきている気はしていて、
例えばこう、昔のバラエティテレビ番組とかだと、
昔というかもう本当数年前までそうだけど、
女性お笑い芸人の容姿に対するいじり笑いだったりっていうのが、
だいぶ今緩和されているというか、
ちょっと前に見たバラエティで、
男性が、それは男性に対してだったかな、
何かしら容姿いじりをした時に、
誰かツッコミの人がルッキズブっていうツッコミをしていて、
それで成立してたんですね。
それをだいぶ進歩しているというか、
それをいうことをやってはいけないよっていうのも、
ちょっと笑いにしているというかので、
だいぶ進んだ感はあるなと。
なんか名前忘れた。
その話をするならちゃんと名前メモっとけって話ですけど、
そういうのが嫌で、
バラエティとかに出たくない女性芸人の方とか、
かなり前、十数年くらい前かもしれないけど、
でもそういう人たちがちゃんと声を上げ続けたおかげで、
どんどんどんどん世の中変わっていってると思うし、
つい先日誰でしたっけ。
これも思い出した。
笑い芸人の宮下草薙の草薙さんかな、たぶんが、
テレビに出ていて、バラエティの中で、
なんか相撲を撮る企画だったんですけど、
ちくびを露出したくないっていうことで、
手とかなんかあって隠してたんですけど、
それもなんか相方は気持ち悪いみたいな、
その方が嫌じゃんみたいな言ってたけど、
でもそれはね、本人がすごいそれは嫌だっていうのを
きちんと主張できていて、周りもそれ以上、
昔だったらね、ディレクターとかテレビ側の人が
そんなのするな、みたいなこと言ってそうだけど、
ちゃんとそれが成立、許容され始めている。
それ以上大したつくみもないし、
それを言うなら上半身裸はいいのかって話もあるけど、
なんかちょっとずつ変わってきてはいるし、
あまり表だって言えなかったけど、
いや、僕も嫌だった、私も嫌だった、苦手だったっていう感覚が
どんどんどんどん表になって変わっていくっていう様子を見てきているので、
こういった話、トイレの話とかもこういう記事が上がったり、
僕がこれに対して喋ったりとかすることで、
ほんのちょっとずつ良くなっていくといいんじゃないのかなという、
トイレの話でいけばね、
また別の話で、ああいう設計になっているからこそ回転が早くて、
男性の方は並ばなくて済む、だから尿対策がどうのこうのみたいな話もあって、
それは別の話で、全部個室にする必要もないし、
ついたてがあれば十分なのかって最初に記事のタイトルだったんですけど、
でもないよりある方が全然いいし、
それぐらいだったらそこまでコストをかけずに調整することは可能だし、
これから作るトイレはそういう風に設計していけばいいし、
別に0か1かじゃないんでちょっとずつやっていけばいいだけだしね、
JR電車の墜落防止の壁みたいなやつ、
あれもやっぱりいろんな意見はあったけど、
性別における社会的なデザインが与える影響
あることに慣れるともうあれがない環境ってめちゃくちゃ怖いしね、
八王子とか帰るとめちゃくちゃ怖いし、こんなん落ちるやんって思うけど、
もともとというか今もそうだけど、
あれがない人たちにとってはあれがない社会が当たり前なので、
でもあることが前提だともう慣れちゃうと、
あれがない世界には戻りたくもないしね、
特に子どもがいたりすると。
ということで、どんどんどんどんちょっとずつ良くしていく必要があるんじゃないか。
特にこれに関しては、そういうめちゃくちゃ大げさに言うと、
社会が性別の処分を作っていっている可能性って考えると、
各個人、雑なマチュイズムを他者に共有するような人っていうのも、
その人本来がやってるんじゃなくて、
社会の仕組みがそういう処分を生み出しているっていうふうに考えられるのであれば、
これは僕が言うと僕の言い訳に聞こえるけれども、
社会の設計が作り出した雑さが積み重なって、
男性の雑さを生み出して、
それが最終的に各家庭で夫婦の価値観、親子の価値観の違いだったり、
要は喧嘩の原因になっているって考えると、
最後にそこでケツを拭くっていう非常に馬鹿らしい仕組みになってるんじゃないかっていう気がしているので、
それであれば本当の枠、社会の設計仕組みをより良い形にしていった方がいけばね、
まあそもそも…
まあいいや、これは別の話にしよう。
だからまあそれも全然裏付けのない単なる僕の感想というか意見なので、
全然説得力はないんだけれども、
でもまあより健全な社会になっていくべきだし、
そう考えると今何年?2023年?
なんかまだまだヤバいんだよな、近代っていう。
例えば明治時代、100年くらい前とかだと、
女性に選挙権がない時代とか今考えると、
もう冗談だろっていうような感覚だけど当時はそれが当たり前だったし、
バリバリの男尊女卑が成立していって、
もちろんそれが嫌って当然思っていた人はたくさんいたんだろうけど、
それを問題視できなかったっていう時代があって、
だから…あれ?どこまで話していいんだっけ?
男性が…男性優位にしたい社会を男性がずっと作ってきたわけじゃないですか。
それの大元って何だろうって最近ちょっと思っていて、
なんでじゃあ男性がそういうふうに考えるようになったかっていうと、
でも究極的には肉体的な強さに起因している気がしなくもないんだけど、
ちょっと裏取りもないんで、ちょっとこれをまた別テーマでいきましょう。
なのでそういうトイレがどうのこうのではないけれども、
それは各個人の話っていうのは一旦置いといて、
それが社会に性別にどう影響を与えるかっていうのを考えた上で、
雑な方が楽っていうのはもう本当に強い話ですよね。
男性同士でいると楽っていうのは結局そこに起因しちゃってる気がするんですよね。
友達同士とかだったり、小学生でも大人でもそうだけど、
女性がいると気を使うっていうのは、それは異性だからっていうんじゃなくて、
雑さの共有が違うっていうところがめちゃくちゃ大きい気がするし、
そこに慣れているときちんとした生活っていう方が大変なので、
抜け出しにくいんですよね。雑な方が楽なので。
だからみんなそれで喧嘩してるんでしょ、夫婦は。
それは僕が言うと大変な話なんだけど。
でもね、そこは個人の言い訳じゃないけど、でもそれを全体としてよくしておかないと、
やっぱり先々、例えば自分の子供たちが将来、
当然より良い社会であってほしいわけじゃん。その方が生きやすいからね。
であれば、今そこそこ声を上げられる人たちは、
たくさん自分の意見をきちんと表明しておかないと、
っていう話をしていかなければいけないんじゃないかなと個人的には思うのです。
なので、トイレうんのんではないけれども、
なんか嫌だなっていう思いっていうのはきちんと表明していくべきだし、
それ自体をまた強要してしまうっていうとまたちょっとややこしい話になるので、
こういう意見がある、こういう感覚がある、私はそれが苦手である、嫌であるっていう。
きちんと理由と解決案もっていうところ。
雑さを強要しないように
基本的にトイレの話でいくと、解決することを前提に動けば全然いくらでもいいわけで、
その駅の清掃員もみんな嫌だよね。
じゃあちゃんとトイレは男性の清掃員が掃除することにしますって駅が決めて、
その分コストかかるからちょっとうんちん10円あげるねっていう話をすればいいじゃん、理想論だけど。
だから変えること前提に、細かい理由を先に持ってくるとどんどんどんどんできないできないになってくるけど、
まず改善するっていう前提で細かい理由つぶしていけばいいだけな気がするけど、
実際問題としてはいろんな弊害があるから簡単ではないっていう話はもちろん理解はしているけれども、
雑さを強要する社会っていうのはやっぱり最終的に問題になるから、
雑じゃない。丁寧を強調するとそれはそれでおかしいんだけど、
とにかく雑さを強要しないようにっていう前提でいった方がいろいろトラブル起きない。
それが大事。コミュニケーションにおいて。
っていう話な気がするんですけどどうでしょう。合ってる?合ってる気がするけどどうだろう。
よしよし。ちょうど喉も悪くない気がするのでこの辺で終わろう。
今後はもう一度ペースを戻して週に1回ぐらい出していければなと思います。
そんな感じで終わりましょう。
今日はありがとうございました。また次回。さよなら。
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