テーダー・ザ・トラヒコの紹介
この番組は、中学の同級生の40代男性2人が、文学、社会学、経済等について、本で学んだことを魚に話す雑談番組です。
今週やりたいのは、毎週文学系を読もうぜみたいなやつです。
先週まではサブローがお勧めしてくれたやつでしたけども、今回初めて坂本さんにお勧めというわけではないですけども、
ちょっとテーダー・ザ・トラヒコ読もうぜ!というところで、私も読んだことがなかった作品ではありますが、
テーダー・ザ・トラヒコのどんぐりですね。
テーダー・ザ・トラヒコって、そもそもどういうことだ?というところではありますが、私も正直、学者さんっぽいんですけども、
そもそもどういう人だっけ?というところで、今、せっかくだからAIに聞いてみるかという。専門なんですかね。
一応、逆に言うには、戦前の人で、まさに世代としては、前まで創石とかやってたけども、それより少し後ぐらいの感じかな、の人ですかね。
はい。で、上の物理系の科学者な人とか。はいはいはい。
あと、結構エッセイいろいろ書いてるんですけども、
エッセイで結構文学的な素描もありつつ、
学者さんなんで、いわゆる本当に学者的な視点でいろいろ物事を見るみたいなところもあったりするんで、
結構他の人よりはあんまりないようなタイプのエッセイが多いなというようなイメージですね。
そんな中でですね、比較的エッセイらしいエッセイというかですね、
本当に人生を描いている、人としてのどんぐりという作品ですね。
こちらちょっとあらすじざっといってしまいますとですね、奥さんとの思い出というところがですね、メインかなというふうに思いますね。
はい。で、基本的には奥さんが滑血してですね、ちょっと病に伏せて、
それで下状の人が変わって、面倒を見てくれて、
そこからですね、奥さんと一時的にちょっと体調が良くなったタイミングでどんぐり、
植物園か、近くの植物園に行って散歩するっていうその時の思い出をみたいな話ですね。
サブロ的にはこれ読んでみてどうでしたか?
エッセイの解釈
初テラダトレコという感じですけど。
ですね。
すごくシンプルな日本語で記述されている。
夏目漱石のちょっとしたぐらいの世代っていうことなんだけど、ひねりがないし、
ストーリーがすごく現代でも……。
結構今風なんだよね。韓国は今にだいぶ近いなって感じがしてる。
だから本当に現代の人って言われるのは普通な感じで、
でも一応宣伝の人ですよってところは結構違った感じですね。
あとはね、物理学者っていうこともあってね、
結構日本語だったりストーリー作りがプログラミング的に構成されてるよねっていうところもあるね。
プログラミング的にどういったところが?
結構起承転結とかっていうのが学校で習うと定番のストーリーなんだけど、
そういうところが……。
夏目漱石のほうがわりと変化球でひねりを入れてたりするところがあるのかなっていう気がするんだけど。
これはまあわかりやすいよね。
結構その意味では非常に……。
終盤のところ、本当に散歩に行ってっていうところの思い出のシーンがあって、
最後に実はその奥さんが亡くなってたんだよって話があって、
そこで振り返って、子供が同じような感じで森を拾ってたっていうところのシーンがあるってところで、
まさにパートがすごくわかりやすいということですね。
パートと役割が明確に決めてあるような作品でしたね。
一番そこが顕著に現れてるのが、
生きてる奥さんについて記述してるところと、
お墓の奥さんのところを記述してるとこの切り替えっていう部分があるんだけどさ。
そこがプログラミングでいうところの変数の定義を変えてますぐらい、
すごくはっきり直球で描いてるよね。
そうですね。うちのほうは……。
どんぐりを拾って喜んだ妻は今はない、
お墓の土には苔の花が何遍か咲いたっていうところね。
ここがすごく序章的で文学的でありつつもプログラミング的でもあると思ったところ。
なるほどね。
確かに。
ここの文章の部分ね、1、2ってことは。
この2つが確かに同じような表現で終わるもんね。
山に読む。そうですね。
確かにね。
文章の量だとか、話の進め方とかですね、そういうところは確かに面白いですね。
確かに型にはめてる感はちょっとありますよね。
いわゆる読んで自然に読めるというかですね、そういったところは確かにあります。
そうだね。
で、個人的にはどうなんだろうね。
個人的には普通に読んでて中見知らなくて読んだから、
ストーリーとしてはすごく面白く読めたっていうところがあって、
あとね、こういうところありつつ、
やんわりやっぱり周りの人への、
いわゆる創世記のときもやんわりやったけど、
メジャーに対する当たりが強いとかいろいろあったじゃないですか。
そこら辺結構性格が多少は出るというか、
同じ時代、ちょっと時代が下ってから多少は違ったのかもしれないんだけども、
基本的には、やっぱりそこまできつめな人じゃないなというのはありつつもですね、
例えば下女に対しても感謝を、いまだに感謝をみたいなところもあったりするし、
ただ奥さんに対する当たりがやんわりやっぱり強めだなっていうところはあったりするんですね。
出かけようとしてて、もたもたしてるところに結構強めに当たるなってところはありつつもですね。
ただ、そこら辺もね、そういうものが押し当てるところはありつつ。
ただね、これ結局、これたぶん死んで6年ぐらい経ってから描いてるよなっていうところ。
結局これって今、子供が6歳のときにもう一回やりましたって感じで、
逆に言えば6年前のところで、ここら辺の待ってる間の一個一個の動きとか、
最初は実際のあれとは違うんだろうけども、
結構ここまでディティールがあって、よく覚えてるなっていうか、
そこは記憶力なのかなんか知らないけど、
なかなかなんか、それ普通にすげえなと思ったね。
特になんだっけな、下草が待ってるときに庭の風景を結構描いてて、
病気が少し良くなったよと。
で、奥さんが靴使ってやってると。
その間に、ちらほらやりつつみたいな感じで、
ここら辺のディティールのところは、よく覚えてるなって。
逆にこれがある意味最後のお出かけになったから、そういう意味で覚えてるってこともあるかもしれない。
そういったところでは、ある意味リアリティじゃないけど、
雰囲気があって読むかなって感じがしました。
エステとして読むか小説として読むかで、
ここは解釈の分かれるところであるけど、
ちょっとそのご指摘の部分のところ、
待ってるとかのところって、
結構日本の文化って、奥さんのとこいじるからなーっていうところが、
ちょっと垣間見える部分なのかなっていうところね。
待たされちゃったみたいなところ。
基本的には、
結構普通にイライラしてる感じがだいぶしてる。
そんな気性悪い人じゃないと思うんだけど、
宇野恒寛の庭の話
表現がだいぶ優しいイメージの人なんだけど、
当たりたいなって感じでしたよね。
これがそういうものなのかしらっていう。
大体奥さんに対してはっていうのが一般的に。
小説というよりやっぱりエッセイかなって感じがするよね。
基本的にはこの人が。
やっぱり他の作品でも見てても、
思い出した風景描写みたいなところを、
結構リアリティーあてる。
やっぱり実際体験したやつをリアリティーあって
切り取るみたいなところが結構個人的には好きで、
そこらへんは描写だね。
だから言葉でどういう風に描くかっていうよりは、
それを見ててどういう風な情景が浮かぶかって感じだよね。
その浮かぶ情景が個人的にはすんげえリアルに感じ取れるなって感じがする。
このテラトリアフトラッシュのテンポにいるところとしては。
そういう意味では文章自体は結構シンプルというか、
スタンダードな書き方って感じかな。
味わい深い、短い中でも平易な文章とシンプルな構成の中に
非常に読みごたえがあるっていうのが全体的な感想です。
細かいところはちゃんとしてるということですね。
実際のことベースだからね。
やっぱり奥さんは最後に出かけるときに
基本的に誰も見終わってんだってのが見て取れて、
植物園に入って一旦外出ますって言って、
だいぶ外のほうで休んでるみたいなところの描写とかも含めて、
やっぱりせっかく出たから出かけたいけど
やっぱり体のほうが落ち着いてないみたいな、そういったところが出てて、
その上でどんぐり広ぐっていうところでちょっと、
ここの心情がなかなかわかんないけどもですね。
夢中になって広ぐっていうところがね。
子供の頃のやつを思い出したのか。
ここら辺どういう心情を拾ってたんだろうなってところをちょっと思って、
なんかね、いろいろあったの。
ゾンネーモチーフになってるところで、
どんぐりっていうのは、いろんな生き物の、
生きるっていう過程の中ではすごくポイントになっている植物の形態なので、
そこの対比っていうところも楽しむポイントなのかな。
多分奥さんも楽しそうに拾ってるってところが、
ここら辺想像だけども、やっぱり子供の頃そういうふうに拾ってたのかなっていうのを何とか想像して、
そういったところの昔に重ねてみたいなところがあるのかなと思うと、
せつねい感じがね。
まさにそれこそね、娘が同じように楽しそうに拾ってるってところがね。
基本的にはせつねい話というのがあってるんじゃね。
こんな感じかな。
一旦このところで終わりましょうかね。
はい、というわけで今日は代わり本というところで、
寺田届彦でしたというところですね。
それ以外のところで何か読んでる本とかどうですかね。
こないだ言ったカフェイロのところで読み進めたら難しくてやっぱりわからなかった。
あれ多分ね、結構分厚めというかガッツリ系の本っぽいかもね。
普通の文庫本のサイズでは一応あるんだけれども、読めるとこだけしか読んでないっていうのは現状ね。
分かりです。
どちらかと言うと飛ばし飛ばしじゃないけども、何とか掘っていこうみたいな感じかな。
文章自体はそんなにひねってないからね、そこに対する癖は感じはしないんだけども。
いわゆるもう本当に専門の経済学者の人だから、普通にいやいや重たいですよね、電話の内容ではあれです。
ここら辺ももう一度掘ってみたらいいですかね。
すごい。
私の方は普通にいろいろ雑多に読んでて、最近読んだやつ何だろうな。
あんまり読み終わったやつはあるんだけど、あんまり話してる気がする。
全然読んでないというか、昨日ちょうどこれ上がってんだと思って読み始めたやつで。
宇野恒寛さんですね。テレビとかでよく出てるのかな。私テレビ見ないんであんまり読むことはないけども。
いわゆるゼロ年代批評系から出てきた人で、まさに東寛博記とかがやったところから出てきて、今はそんなに絡んではないけどぐらいの感じの人ですね。
宇野さんが出した、ここ数年の中で出した本で、メインの本である庭の話ってやつですね。
これはまだ本当に序盤ちょっと読み始めたばっかで、あんまではありますけども。
庭って言ってるのが何かっていうと、結局宇野さんはゼロ年代批評ベースの人なので、ざっくり言うとでかいこと語りたい人なんですよ。
世の中をトータル語りたい。やっぱりそこら辺の願望があるというかですね。
いわゆる批評家の人は社会語りたいというところが欲望としてはあるというようなところですね。
これ庭の話っていうような感じで、非常に否定の話に見えるんだけれども、実はそうじゃなくて、本の最初の方の話も普通にグライナー進行からの、
さらにトランプが来てて、さらにここ最近SNSで陰謀論がいろいろ出ててみたいなそういったところの話から、でかい話からだいぶ入ってきてるんですよと。
ざっくり言うと何かっていうとですね、いわゆる昔であれば大きな物語っていうものがありましたよというところで、
いわゆる戦争であればプロポガンダで国が描く物語に従うとかですね、そういったところが非常にわかりやすいかと思いますし、
高度経済成長であれば会社の立っている物語、それは今でも会社がミッションビジョンパーティーみたいな感じで立ってて、
それに頑張って従っていこうみたいなことを言う人が結構いるかと思いますけれども、いわゆるでかめの物語に従うというところで、
物語の変化と現代社会
逆に物語っていうところがですね、昔はよく言われてて、それがなくなったからですね、いわゆる様々的な今の状態ってところでどういうふうに生きるかってところ、
そこら辺はみんないろいろ語ってるってところがありますよと。そういうふうに物語なくなってきたんだけども、じゃあ今のシチュエーションってどういうふうになってるのって話したんですか、
そういう物語じゃなくてですね、どっちかというとゲーム化してるよみたいなところを語っていくというような感じですね。
ざっくり言うとどういうことかというと、例えば異謀論的なものがあったときにですね、構想としては要は味方と敵を決めて、
味方に指示すること、あと敵に対して良くない、敵を下げることっていうシンプルなゲームですね。こういうのはずっとやってるよねみたいなところですね。
それこそ異謀論的なところもあれば、別に右翼だろうが左翼だろうがですね、あらゆるところがSNS上ではそういうのが言われてるんじゃないのみたいなところを語っているというような感じですね。
それが不毛だよっていうところの話になってくるわけですね。そこら辺からどういうふうに出してくるかっていうところで、庭の話っていうところになってくるというところです。
まず床なんだけども、ざっくり庭っていうのは何のメタファーなのかというと、要は普通にそういうふうに敵と味方を分けるって結局人間の中でずっと話してるよねみたいなところで言って、
そういうふうに人間同士で敵味方を分けると絶対にそこで交わらないんでですね、一つにならないということですね。結局落としどころが見つからなくてですね、ずっと歪んでると。
歪み合ってるよねみたいな感じになってるというところで、そうじゃない人じゃない何かが存在する場所として庭っていうのは何かできるんじゃないのみたいなところがこの庭の話って感じでしたね。
庭っていうのはまさにですね、いわゆる人が何かやってるところを家っていうふうにご承知ですね。確かに家っていうのは人が全部作ったものであり、いわゆる人間のスペースですけども、
庭っていうのは結局何か動物も入り込んでくる、鳥も入り込んでくれば虫も入り込んでくるし植物も入るし、いわゆる人間じゃないものも半分ぐらい侵食してくるという領域で、
そういった人じゃないものを取り込むというかですね、そういったところを落としどころを見つけるみたいな、そういったコミュニティを作るみたいな話をやろうとしてるらしい。
今のこそそういう庭の話が出てきたところぐらいまでしか読んでないってことですね。結構これ長いですよね、確かに。トータル多分300分超えぐらいの感じかな。
ちょっとここら辺も読んでみたら面白いかなと思います。ちなみにこのUNOさんのやつね、この庭をね、なんか実はですね、庭を作ってますよっていう話でして、
ある意味庭っていうスペースも話してたけど、それに相当する場所を作りますよみたいな感じですね。UNOさんなんか書店作ったらしいんですよ。
このUNO書店っていうところで、いわゆる本当に、ここが下々バフになってるんで、地上靴脱いで上がって、ここでですね、座ってですね、この本を読んだりするっていうところですね。
こういうものを作ってて、まさにここら辺の本で書いた庭的な場所をですね、こういうのを実践しようとしてんだなというところで、ちょっとこういう活動も含めてなんかちょっと面白そうなんで、この本ちょっと読んでみたいなというふうに思います。
書店の役割
福島県の小高っていうところで、ユーミリさん、漢字を音読みすると山木美里さんって書いてユーミリさんなんだけど、
その方が小説家なんだけど、その方が書店を福島の浜鳥小高に開いていたりするので、そのエピソードを思い出しましたね。
まあまあ、居場所を作る意味でのね、書店をここに入れてる中でこういうふうに居場所を作ってくれてるって感じですね。
街の本屋がさ、ちっちゃいのがさ、だんだん減ってるよねっていうことに対する問題意識があって、書店を開くっていうことをユーミリさんはされたんですね。
それがなぜかというと、基本儲かんないからですね。
その儲かんない理由っていうのがさ、雑誌はコンビニで買うよねっていうことが一つと、もうそもそもその雑誌っていうのも電車の待ち時間でスマホとにらめっこするよねっていうことで重要がないし、
しかもさ、雑誌好きな人もさ、サブックでスマホで雑誌グラビア以外は見れるよねっていうところがあるよね。
電子小説家は多くなってきてるってこともあるしね、いろいろな要素だよね。
わざわざ本読もうってのはなかなかね、今時は本好きの人しか読まないし、本好きの人も平均年齢上がってくれば老眼になってきてはそもそも本読めないよってなる可能性も高いしね。
そうなると紙の本ってのはなかなか不可悪ですよね。
なんでね、俺の住んでる郡とかでも、本当に街の本屋さんレベルの小規模な本屋さんっていうのはね、本当に数えるほどしか知らないですね。
厳しいな。昔は雑誌が売れてたからなんとかなったってこともあるけどね。雑誌が完全に死にたいだからね。厳しいっすね。
コンビニだってどんどん雑誌コーナーで溜まってる人ってだんだん見なくなって、だんだん雑誌コーナーも指標されてるよね。
今、本を売ってない人がコンビニで出した本って。
そうそうそう、そういう規制も出てきたりとかね。
そうそうそうそう、規制もあるし、そのスペース使って別の本を売りゃいいじゃんっていうか、みたいな感じで。
いわゆるアパレルじゃないけど、衣類的なものを売り出したりだとか、結局そういう風にスペースをもうちょっと有効活用しようみたいな感じで、より売れるものを最近は売り出してる感じなんで。
ただね、あんまりそれが動いてるかっていうとどうかなっていう気も一応はするけど。
まあ、そこはいろいろ試行錯誤しつつ、当たったやつがあればみたいな感じじゃないかな。
最近そういう意味では非常に過渡期じゃないけども、いろいろコンビニも細かいところがいろいろ変わってるイメージだよね。
そう、キロにあるね、フォアの筐体もね。
本屋は必要なんだけどね、社会的には結構ね。
結局気軽にアクセスする感じじゃなくて、すっごく思い立てて、よし本買うぞっていうんで大きな本屋に行くっていう、そういう二極文化があるね。
本当だったら大きめの本屋を散歩ガデラでいろいろ歩いて、
もともと興味ないけど歩いてたら面白そうな本見つけてみたいな流れがあったんだけど、
最近そういうふうにはならない。
みんなの平均年収だったり中央値だったりとかね、生活水準だったりのところがだんだん厳しくなってきて、
消費税も10%に上がったりとかしていくと、まさにそういったところがちょっと削られていくのかなっていう気もね。
まあ必需品じゃないですかね。
最近あとはあれだもんね。本自体も結構高いからね。
インフレで、新書も昔だったら3桁で変えたものを4桁で出さないと変えないみたいなことは結構あるね。
今はもう1000円超えるもんね、普通にね。
需要減プラスインフレっていうダブルパンチね。
そうなりますね。
じゃあ今週はこんなところですかね。
あとありますかね。
とりあえず今週はあれがいいか。文学系は一旦あれにしますか。
だいぶ続いたからね。
一旦ちょっとオフって、次回適当に話すぐらいの感じでもいいし。
テーマ決めて話すとかでもいいかもね、本でもいいし。
もしくはトピック決めたりする。
そんな感じで軽くやっていきましょう。
じゃあ今日はこんなところですかね。お疲れさまです。
ありがとうございました。
失礼します。
失礼します。