そうなんですよ。もう何もないんですよ。通勤中になんか面白いことがあるとかもなく、もう本当に家と会社しかないみたいな。
で、家も会社もじゃあ埼玉県だったってことですか?
東京ですね。豊洲だったんですけど。
家が豊洲にあったんですね。
そうなんですよ。だから一人暮らしだったんで家族もいないし。いやもうこれじゃダメだなと。
本当にこのままね、定年までいったらすごい不幸になりそうだなと思って、もう何もない人生になりそうだなみたいな思って。
ちょっとこれは一生ね、もう人生変えたいなみたいな感じで、こう奮い立ったみたいな時が25歳くらいだったんですよ。
なんとなく流れで就職とかシステムエンジニアになってしまったけれども、もっと自分がやりたいこととか望んでることとかこういうことを明確にしてゴールを決めて、そこに毎日向かっていく。
こうすることによって望みの人生を引き寄せようみたいなことを急に思い出したというか思い立ったんですよね。これがきっかけ。
そっからね、10年くらい30代半ばくらいまではずっとそれが価値観の第一位、もう一丁目一番地位みたいな感じで生きてて。
最初の5年でしたかね、これ多分人によりますね。最初の5年くらいはまあ良かったんですよ。
もうそれまでそういうことを一切やってなかったっていうのもあって、理想を描いてゴールを決めてなんかこうやっていくと、
それまでやらなかったようなことをやってみるとか、それによってちょっと結果が出るとか、そうなってくると結構面白いじゃんみたいな感じで、
割と順調にいってる時っていうのもあったんですけど、やっぱ5年くらい経つとですね、徐々にねグラフで言うと折れ線グラフが右肩下がりになっていくみたいな。
今だいたい何となく振り返ってみると5年5年みたいな感じで、最初の5年上り坂、後半の5年でめっちゃ下るみたいな感じだったなと。
未来思考ってやっぱね、こうならざるを得ないかなって思ってて、なぜかっていうと未来、望みのゴール、理想みたいなものってどんどんエスカレートしてっちゃうんですよね。
最初それこそ佐々木さんと会った時が25歳くらいだったと思うんですけど。
そんなに若かったんですね。
そうなんですよ。あの時とかって僕ブログもなかったじゃないですか。
ブログを立ち上げました。これだけでめっちゃハッピーなんですよ。
ブログを解説なんて誰でもできるじゃないですか。多分知ってる人だったら本当に2時間くらいあればパパッと作って解説とか全然できると思うんですよね。
今だったらね、そういうマイクロブログとかもあるんでね、それこそすぐできると思うんですけど。
でもそれだけでもめっちゃもう嬉しいわけです。よっしゃーみたいな、自分の情報発信基地できたぜついにみたいな感じで嬉しい。
その後ブログを投稿してみて、ブログを一生懸命書く。これだけはめっちゃ嬉しいわけですよね。
でも次はもう一生懸命書いても同じ喜びっていうのは得られないんですよ。
1記事目の喜びと2記事目の喜びって全然違うじゃないですか。
でも10記事目とかになってくると、もう投稿するのが当たり前というか、
もう投稿はもうできます。それは当たり前で、じゃあ何人くらい読んでもらえたかなみたいな感じになってくるんですよね。
でも10記事くらいだったら10人読んでくれた。よっしゃ嬉しいみたいな感じなんですけど、
半年、1年やってくると、もうそんなんじゃ全然満足できないみたいな感じで、ブログみたいな情報発信。
今だったらYouTubeとかかもしれないんですけど、それ一つ取ってももうどんどんエスカレートしてっちゃう。
これを人生全部に適用しちゃったらどうなっちゃうのっていう話なんですよね。
だから最初はもうブログとかもそうだし、僕の場合は音楽もやってたんでね。
最初は久々に音楽活動再開できて嬉しいみたいな感じだったんですけど、それもまたどんどんエスカレートしてっちゃうし。
仕事とかも、最初はなんとなく副業で2000円入ってきました。よっしゃめっちゃ嬉しいみたいな感じなんだけど、
それも会社辞めて独立しないととか、どんどんハードルが上がってっちゃうんですよ。
このハードルを超えられてるときはいいんですけど、超えられなくなったときにどんどんいろんなものが崩れてっちゃうんですよね。
もう行くとこまで行っちゃったみたいな。これが未来思考の僕は一番の罠かなって思いますね。
見ていて途中まで大変順調だったんで、5年もっと順調な人もいるかもしれないけれども、
Jさんの場合は相当順調だったんで、よくそれにしても行き詰まったとはいえ、やめる気になったなっていうのは見ててびっくりしたんですけど。
常識的に、いや常識分かんないけど、あの感じから行くとやっぱり何らかのやり方で、ちょっと変形した未来思考で乗り切ろうとするのが事前じゃないかなって思ったんです。
分かります。そうですよね。2つ大きいターニングポイントあったなと思って。
1つはね、その本当に俺戦グラフで言うと、結構順調に登ってて、下り始めるくらいの時に、自分の音楽活動もやろうみたいな感じで、自分でバンドも組んで、
新宿かどこかでワンマンライブもやったんですよ、2回くらい。
ワンマンライブをやるっていうのは、僕の中ではずっとやりたかったことというか、もう昔ながらの夢みたいな感じだったんですよね。
もうそれこそ中学生、高校生くらいの頃から、自分のバンドを持ってワンマンライブできるようになりたいなみたいなのはずっとあったんで、こういう昔からの夢を叶えようみたいな。
どういう意味でも格好思考と未来思考と一緒だと僕は思うんですけど、そうなって、それを実現できたみたいな時があったんですよ。
たぶんね、このね、ジェイマン・サイク、ポッドキャスト、リスナーの中にも未来志向の人っていると思うんですよ。
未来志向って普通ポジティブに語られるんで、疑いようがないんですよね。やりたいことを見つけましょう、自分の価値観に従いましょう、自由にいきましょう、自分らしくいきましょうって言われたら、
いやそんなことやったら不幸になりますって普通言わないじゃないですか、言えないじゃないですか。
でも実態としてはめっちゃ疲れてるとか、いやこれねずっと続いてたら本当燃え尽きちゃうなとかってなんかうすうす勘づいてる人とかいると思うんですよね。
なるほどね。
そういうね人のちょっと背中を押すというか、いやその先は不幸かもしれないよっていうね。ちょっとでも疑ってくれるだけでもまた違うと思う。
未来志向というのはもう一つよく、なんでこれがよく語られるかというと、問題というものにぶつかった時に未来志向の方がなんか建設的な感じが、
これはねどんな場合でも多少あると思うんですよね。なんかこう原因を究明するとか犯人探しをするよりも、なんかこうね何かがうまくいかなかった時に何がいけなかったんだろうって考えるよりも、
この問題をどう解決すればいいんだろうと考える方がやっぱり建設的でしょうっていうそういう言葉として未来志向って時々言われるじゃないですか。
はいはいはい。
だからあの反論しにくいっていう部分もあるんだろうと思うんですよね。
確かに確かに。
だからなんだかっていうわけじゃないんですけど。
未来志向でもいいんですけど、もしやるんだったら限定的にねやった方がいいですね。それこそなんかトラブルが起きました。
このトラブルを解決するために未来志向的に進めていきましょうとか、このプロジェクトは未来志向でいきましょうみたいな。
だったらまだいいんですよ。これを範囲を超えて人生を未来志向で生きていきましょうは絶対やめた方がいいと思います僕は。
だから本当にねもう鬱になりかけるというか、僕はその35ぐらいの時にもう本当に鬱になりかけて、
ああもうこれじゃダメだな、でももう日本に帰る気力もないみたいな感じで。
そこがね結構わけわかんなかったんだけど。
これはねもう辛いですよ。
なるほどね。
すごいね。
なんで帰ってこないんだろうみたいなノリがありましたね。
ああいう時ってもうね、飛行機のチケット予約するのとかもう嫌なんですよ。
そうなんですよね。でもそういう話聞くんでね。それも普通に健常な感覚からはわかりにくくなってくるんですよね。
そうなんですよね。例えばチケット取得サイト開こうと思っただけでも、自分は負け犬なんじゃないか、今帰ってしまったらみたいなことをこう思ってしまったりとかして、
手つかなかったりとか。もう目が滑ってあんまり価格がね、よくわかんないみたいなね。
すごいな。
もう選べないみたいな感じになっちゃったりして。
またね、なぜ鬱になりかけて言ってるかっていうと、病院にも行けないんですよ、そういう時って。