イジメの普遍性
はい、こんにちは。今回なんですけれども、世の中からイジメがなくならない本当の理由というテーマで、僕の意見をお話しさせていただこうと思うのですが、
というのは、皆さん今まで生きてきて絶えず、ある組織、集団の中に必ずイジメってあるじゃないですか。
たまたまイジメがない組織っていうのもね、あることもあると思うんだけど、やっぱり
何かしらのイジメってあるんですよね。例えば幼少期、幼稚園に入れば力の強いものが弱いものをね、
いじめたりとかね、物を奪ったりとか泣かしたりとかありますよね。小学校入っても、やっぱりクラスの中で
強いものが弱いものをいじめたりとか、女の子のグループでもありますよね。男の子のグループでもあるけど、誰かを仲間外れにしたりとか、そして
中学校、高校に行っても、スクールカーストみたいなものができて、女子の中でも男子の中でもカースト上位の人間が下の人間に対して威圧したりとか暴力振るったりとか、
あと女の子のグループの中でも自分より下のカーストの人たちを見下して、ちょっと無別的なことを発言したりとか、仲間外れにしたりとか、
あるいは上級生が下級生に対して力でいじめたりとか、部活動の中でもやっぱり
権力を持っている人、あるいは成績がいい人、例えば柔道部でも強い人が弱い子をいじめたりとかするわけですよ。
まあみんながみんなするわけじゃないんだけど、そういうことが起こり得ますよと。で、大学行っても同じようなことがあるし、そして社会人になって
会社の中とか組織の中でもやっぱり上下関係ができて、上の人間が下の人間をいじめたりとかあるわけですよ。
例えば僕は大学病院で働いていろんな病院行っても、やっぱりその医局の中でもいじめってあるわけで、教授が気に入らない医局員をいじめたりとか、
あとは看護師さんの世界でも、必ず女性ばかりの集団の中でもモンスターベテラン女性従業員みたいな人が誕生して、そして
自分のルール、暗黙のルールを作って、そしてその暗黙のルールを破る人間を排除するようにターゲットにして、ひたすら集中攻撃して、それに対してみんなも
見て見ぬふりしたりとか、あるいは一部の人間は一緒になっていじめるとか、ママ友の集まりとかでも同じようなことがあるし、
あとは家庭の中とか親戚の集まりでも特定の人間を集中攻撃していじめたりとか、どこの世界に行っても大抵いじめってあるんですよ。いじめがない
世界、組織、集団の方がむしろ珍しいぐらい。でそのいじめもね、ものすごい強烈ないじめもあれば、ちっちゃいいじめもあるわけであって、いじめってね
本能としてのイジメ
なくならないんですよ。じゃあなんで世の中からいじめがなくならないのか
それはね、僕はね、人間の本能だと思うんですよ。
本当にこの人間がね、他の人間をいじめるっていうこの本能、世の中に必要がなければ
人間のね、進化の過程、長い歴史の中で淘汰されるはずじゃないですか。いじめが存在することによって人類の繁栄にとってマイナスだったら
いじめを行う人間の方が淘汰されて、結果的にいじめを行わない人間ばっかりで
子供を作って子孫が繁栄して、みんながみんないじめを行わない人間になるはずなのに、なんでこの現代の世の中でもいじめというものがあって
多くの人間たちがそのいじめに加担するのか。いやいやいや、俺はいじめなんかしたことないよ。私なんかいじめなんかしたことないですよ。いじめは良くないですねっていう人でも
無意識のうちにいじめに加担しているわけですよね。例えば芸能人とか有名人が不倫とかその他の不祥事をしたと
不倫は良くないことですよ。家庭の中の事情でいろいろあると思うんですけど、道徳的に良くないですよと。そうするとその不倫をした人に対して
部外者なのにFNSとかで一斉叩き、公開処刑、マスコミもバイトショーでそれ取り上げて、そうすると視聴率が伸びるんですよね
誰か一人の人間をターゲットにして正義を盾に吊るし上げて公開処刑する。そうすると人間みんなドーパミンがブワーと分泌されて、こいつは良くない、こいつを処刑しろーってね。
太古の昔から行われてるんですよ。現代だとSNSの集団叩き、昔だと例えば江戸時代だったら
悪いことをした人間をね、街中を歩かせてね、そして貼り付けにして、さらし首にしてとかね、火炙りにしてとか
それはもう大衆の中でエンターテイメント化してるんですよね。
フランス革命とかでも王族の人間を広場でキロチンかけて、ワーってみんな拍手を喝采で
中東とかイスラム圏でも悪いことした人間を石で投げてね、見せしめにして公開処刑。それをすることによって犯罪の抑止力になるっていうのもあるんだけど
それをするとやっぱり大衆がね、ものすごいドーパミンが出て盛り上がって快楽を感じて、それが息抜きになって
上の権力者に対して、そっちの方に力が行かないようにするとか、まあ
いろいろな要因はあると思うんですけど、それもいじめの一種ではあるわけですよ。
必要以上に正義を盾にして叩きまくるっていうことが、やっぱり人間は無意識のうちにやってしまう。
それは本能だからなんですよ。いやいや、俺はそんなの興味ないからとか言いつつ、ワイドショーを見て、これは良くねえよねってね
言ったりとか、やっぱり何かしら加担したりとか、あるいはクラスの中でスクールカーストができて
上の人間が下の人間をいじめてたりとかしても、それを見て
自分がターゲットにならなくてよかったって
何も行動しない、いじめを止めないと。それもやっぱりいじめに加担しているわけであって、やっぱり人間は
いじめを行う、いじめに加担する本能を持っているわけであって
残念ながらこの本能がずっと続いてきているっていうことは、そのいじめを行う本能っていうものが人類の反映に
必要だったと思うんです。これ言うとね、すごく
反感買うかもわかんないです。炎上しちゃうかもわかんないんだけど
この本能がずっとね、残ってきている。
そして淘汰されなかったっていうことは、そのいじめの本能があることによって人類が反映してきて今に至っていると思います。
多様性と排除の本能
もちろんいじめは良くないですよ。いじめは撲滅すべきだと思います。
だけど残念ながらこれ本能として人類の反映に必要だから残ってきたと思うんです。
だけどいじめを肯定しているわけではなくて、いじめっていうのはシステム的にこういうものだっていうことを頭の中に入れて
その上でいじめをいかになくすかっていうことをみんなで考えた方がいいのではないかと。
こういう本能が人間の頭の中にもともと入っている、備わっているっていう前提で、じゃあいかにいじめをなくすかっていうことを考えないと
本当にいじめって減らないと思うんですよね。
極めて現実的なお話をさせていただこうと思うんですけれど、いじめっていろんなものがあるんですけれど
やっぱり集落の中、集団の中で力の強いものとか権力を持っている人間が自分より弱い人間に対して
マウンティングをとる行為、これがまず一つのいじめですよね。
スクールカーストの中で自分よりカーストが低い人間が偉そうにしてたりとかしてたら
お前生意気だぞって言って、しばき上げたりとか締めたりとか、これやっぱりマウンティング行為で、これって別に人間だけじゃなくて
犬とか猿とかいろんな動物見てても同じ行動をとるんですよ。
うちの犬でもね、2匹飼ってるんだけど、やっぱり常に強い方が弱いものに対してマウンティングしてね、
餌を取り上げようとしたりとか、なんか僕に懐いてると、お前どけーとか言って俺が懐くんだみたいな感じになったりとかするわけですよ。
僕昔から犬をたくさん、2匹同時とか3匹とか4匹とか飼ってたことあるんだけど、
やっぱり悲しいながら犬って必ず上下関係を作ろうとするんですよ。
猿山とか見てても同じ行動をするわけであって、それと同じ行動を人間の集団も行うわけですよ。
上下関係を築こうとするんですよ。
悲しいながら、現代の人間社会っていうのはまたちょっと違うかもわかんないんだけど、
やっぱり動物の世界とかあるいは昔の人間の世界でも、上下関係を作ることによってある程度その集団、群れがまとまるっていうことが起こると思うんですよね。
そうすると、例えば犬がたくさんいる集団見てもやっぱりボス犬みたいな、圧倒的力が強くて、
力で他の犬を制圧して、そうすると誰も逆らわなくなるんですよ、他の犬が。
それである程度の秩序が保たれると、例えば下っ端の犬同士が喧嘩してたら一番強いやつが制圧しに来て、
余計なことすんなってやると、やっぱり喧嘩しなくなるわけですよね。集団の中で無益な争いが起こらなくなると。
そうすると群れがある程度まとまる秩序が保たれる。
人間の世界でそれが良いって言ってるわけじゃないんだけど、やっぱりそういう本能が残ってきてるっていうのがあると思うんですよ。
犬の世界でもそういう力関係、上下関係がないと、下の犬が喧嘩ばっかりでめちゃくちゃになってしまうわけなんで。
で、あとは人間社会でも犬の社会とかでも、集団の中で秩序を乱すものがいると、
それに対して集団でその人を排除しようとする本能。例えば、原始時代、石器時代とかで集団で集落で人間たちが暮らしている場合でも
物を盗む人間がいたりとか、嫌がらせする人間とか、食べ物を独り占めするとか、
そういう秩序を乱す人間がいたらこいつは良くないって。で、集団でその人間を排除するわけですよ。
群れから排除して、その人間は子孫が残せなくなると。
なので、秩序を乱す人間に対して正義を盾に吊るし上げて集団で排除するというこの本能。
これは人類が繁栄していく、子孫が繁栄していくためには必要な本能です。
この本能がなければ、集落の中で悪い奴が悪いことをし放題になってしまって、そうすると
結局、組織が衰退していって子孫が残らないっていうことになるので、集団で正義を盾に秩序を乱す人間を排除するというこの本能。
これが現代においていじめに繋がる。不倫をした人間、不祥事を起こした人間、有名人に対してみんなで一斉にSNSで叩いたりとか
ワイドショーで取り上げてボロクソに行って社会復帰できないぐらいまでに追い込む。
これが本当に犯罪行為をして悪い人間は排除するってことが必要なんだけど
いやこれぐらいは別にいいだろうぐらいのことでも、最近は特にそういう過激な行動に走りがちっていうのはありますよね。
なので、人類の繁栄にはこの本能が必要だったと思うんですよね。
だから今でも残っているということ。あとは国とか民族、人種、宗教、それぞれ生活の様式が違ったり考え方が違ったりとか
食べ物とかお葬式の仕方とかね、いろんなやり方があるわけですよ。
何は何は食べてもいいとか、男女の関係はこういうルールにすべきかとかね、それぞれが正義なわけですよ。
だけど考え方が違ったりとかすると、今世の中で多様性多様性って言われてますけれど
違う民族、人種、宗教の人たちが入り混じると、やっぱりそれぞれに正義があって自分たちと違うやり方の人、そのやり方をすることによって他の人たち、他のグループが迷惑をこむるとかになると
必ず対立して自分たちと違うグループを抑圧したりとか、排除するっていう行動を取ると。
これもやっぱり人類の長い歴史において同じようなことがあったと思うんですよね。
それは多様性っていうのは、ある程度の多様性っていうのは必要なんだけれど、あまりにも多様性がですね
多様すぎるとお互いに集団同士で対立して抑圧したりとか差別したりとかいじめっていうことが起こる。
やっぱりこれも本能として人類の繁栄に必要だったと思うんですよ。
もしもこの本能がなかったら、いろんな人たちが入り混じってみんながみんな好き勝手するわけですよ。
そうすると一定の秩序がなくなってしまって、逆に人類は繁栄しなくなって、そして衰退して滅んでしまうっていうことなんですよ。
やっぱり人類が繁栄するためには、ある程度の秩序、一定のルールのもとに繁栄していくわけですよね。
だから自分たちと違う考え方、自分たちと違う秩序、ルールの人間に対して抑圧したり差別したりとか
排除しようという、この本能も人類が繁栄していくためには必要だから、今の人間たちの本能としてやっぱり残り続けているわけですよね。
もちろん多様性って大事なんだけど、やっぱり多様性を高めすぎてしまうと必ず対立、抑圧差別、排除運動が起きてしまうと。
これは人類の長い歴史において、こういう本能が残っているのはある意味しょうがないと僕は思いますよね。
という感じでして、なのでやっぱり看護師さんのグループの中でも、モンスターベテラン女性従業員が誕生して
いじめのメカニズム
暗黙のルールを作って、気に入らない人間がいるとターゲットを絞って、いじめ倒して、自ら辞めるように圧力を加え続けて、
そうすると辞めますと言って辞めて、そうするとまた次のターゲットを見つけて、これ絶対良くないですよ。
本当辞めてほしいですよ。本当経営者としてこういうのは困るわけなんですけれど、
これ起きてしまうんですよね。必ず起きるわけじゃないんですけど、そういう現象は起こらなくなったら本当に素晴らしいわけですよ。
それは素晴らしい人がリーダーになった時、ベテラン女性従業員になった時に初めて本当の秩序が保たれるわけなんだけれど、
残念ながらこの人間の本能、自分の力の弱い人間に対してマウンティングして、気に入らない人間を排除する、そしてその行為を周りの下の人間が見て、
それに加担するとか何も言えないとか、そういう状況、これも全て本能だと思います。
これ決して僕は肯定しているわけじゃなくて絶対良くないことなんですけど、そうならないように経営者っていうのは
本当に悪質なモンスターベテラン女性従業員が誕生した時は、もうその人をきっちりと教育して
構成するように言い続けるとか、場合によっては違う部署に行ってもらうとか、上の人間は努力し続けないといけないんですけれど、
本当に素晴らしい人がリーダーになった時に、その素晴らしい秩序が保たれる。そしてそれがずっと保たれるわけでは、保たれたら理想なんだけれどっていう感じはなかなか難しくて、
そのモンスターベテラン女性従業員を何とか排除されて、次の新しい人が上に立って、その人がまた新たなモンスターベテラン女性従業員になって、また振り出しに戻って、
繰り返したりとかっていう現象を、昔働いていた高須邦彦じゃない病院でよく見てましたね、という感じで。
あとママ友の世界でも、権力のある、たいてい旦那さんが大きな会社の社長とか、大富豪とかそういう人を、やっぱり旦那さんの権威で
ママ友が、権力が上がるっていうのがあって、あの人は何々のよとか見下したりとかね、そういうのはありますし。
学校の中のスクールカーストもそういう感じで、そうするといじめとかがあっても周りの人も加担したりとか見て見ぬふりしたりとか、
っていうわけで、なので本能だから、世の中からいじめが完全になくなるってことは絶対にないと思います。肯定してるわけではないんですけどね。
いじめを減らす努力
例えば学校の中でいじめはダメだって、暴力振るってやつがいると、もう暴力禁止だっていうルールにしても、暴力によるいじめはしなくなっても、今度は言葉による
いじめをするようになると。そうすると言葉によるいじめもダメだってなると、
言葉によるいじめだってわからないように言葉で巧妙にいじめるとか、仲間外れにするとか、LINEグループ外すとか、
似た似たして見て、えーとかね、僕いじめられてるんですよって、いや僕見てるだけでいじめなんかしないですよ、何も暴力も振るってないし、
バカとかアホとかも言ってないし、とかっていう、旗から見ていじめだってわからないようないじめにどんどんどんどん
因出化していくっていう流れになります。これは職場でもそうですね。
学校でもそうです。なので僕が大事なのは、いじめをなくす努力をするというのは大事なんですよ。
いじめは絶対になくならない。人間の本能なんだけど、かといって諦めるんじゃなくて、やっぱり人間
である以上いじめをなくす努力をすべき。その努力をし続けないと、どんどんどんどんいじめが増えて、いじめのやり方もね
悪質になったりエスカレートするわけです。なのであくまでいじめは良くないっていう風潮を作っていじめをなくす努力を
し続けてて、し続けて、それと同時に
自分がいじめられないように自己防衛する、努力をする、これも大事だと思うんですよ。
これを言うと批判する人もいるかもわからないです。 それはいじめられる人間に原因があるっていうことかよって
そういう考えは良くないっていう人いると思いますけど、そういうわけじゃなくていじめっていうのは絶対なくならないので
まずは自分がいじめられないように自己防衛する。 弱々しくしちゃダメ。いろんなことを
頑張って穴がないようにするとかね。
そういう自己防衛して、そして自分がいじめられないポジションになったら
自分はいじめないようにする。そして いじめがあってもそれに加担しないようにする。
むしろ自分より下のポジションの人間がいじめをしていたらそれを止める、注意をする。
そして自分が組織の中のトップに立ったら絶対に自分はいじめをしないと。
それでも上の人間がいじめしなくても必ず自分より下の人間がさらに下の人間をいじめる
ことになります。なのでその下の人間に対していじめないように注意していじめは良くないっていう風潮を作るっていう
みんながみんなこういう努力をすればいじめが最小限、どんどんどんどんね
小さくなっていくわけですよね。 ただそれでいじめがない世の中にしようとしてもやっぱり目に見えない形の
隠室ないじめになっていくわけですよ。 例えば
組織の中だったら 上司が部下に対してバカとかアホとか何でもできないんだなぁとかね
殴ったりとか それダメだって注意すると
巧妙になっていってね。 例えばよくあるのは
指導するのと同時に隠室ないじめをする。 あなたはこれできないか。これちゃんとやらないとダメでしょ。本当ダメねダメねって
気に入らない人間をそれで集中攻撃したりとかして、いじめられる人間をね
いじめられてるんですって誰かに告発してね。で上の人間がいじめてるって言ってたよって言ったら
私いじめてませんから。私は指導してただけです。 私がそんなこと言われてるんですかとかね。酷いです。私が被害者なんですとかね。
被害者アピールして
自分は指導をしてただけです。 だけど隠室にその人ばっかり集中攻撃してやっぱりこれいじめだよねって
だけど その人がいじめだっていう風に注意すると上司がパワハラになるような
空気を作ってそれも指導させないような、どんどんどんどんいじめが巧妙化して
周りから見てもわからないようになっていくわけなので、やっぱりいじめってなくならないんですよね。
っていうのが僕の考え方なんですけれど、まあ いじめは良くないです。なるべくいじめ
しないようにしましょう。 っていうことをね皆さんが認識して自分が上のポジションになるべく行って
そして自分は絶対にいじめはしないんだって。 みんな考えることによっていじめがどんどんなくなっていくと僕は思います。
というのが僕の考えです。ご視聴ありがとうございました。