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2024-11-06 29:02

にじシバラジオ#021 パーティーが始まる前に「だめ連」があった

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にじシバラジオ第21回

今回はにじシバ座長・ともぞーのお薦めコンテンツ回ということで、pha『パーティーが終わって、中年が始まる』(幻冬舎)と、だめ連編『だめ連宣言!』(作品社)を紹介!氷河期世代が生んだ2つのライフスタイルはどこがどう異なっていたのか!?(今回は収録環境の関係で、小鳥やカラスの鳴き声が聞こえることがあります。)

MC:にじシバ座長・ともぞー、ぶなのもり・小倉

毎週水曜 午前5時配信予定


にじシバラジオ#021 概要

註)素人の乱・松本さんが所属していたのは野宿研究会ではなく、野宿同好会となります。謹んで訂正いたします。

#にじシバ #にじシバラジオ #LGBT #LGBTQ #埼玉県 #川口市 #レインボーさいたまの会 #pha #パーティーが終わって、中年が始まる #だめ連 #素人の乱

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◆にじシバは、川口市芝にあるシェアスペース「スペースとプラン」で開催している、ジェンダーやセクシュアリティ不問のおしゃべり会です。月2回開催。

開催日程の詳細はにじシバ公式HPでご確認ください!

◆また、にじシバはNPO法人レインボーさいたまの会の活動の一環でもあります。活動の詳細についてはレインボーさいたまの会公式HPをご覧ください。

◆にじシバラジオの感想・お便り・お問い合わせはこちらから→ ⁠https://forms.gle/EMNvwJGcmJDFdcb49⁠

◆にじシバラジオMCの一人、小倉さんが経営する出版社・有限会社ぶなのもり

◆にじシバ開催場所、シェアスペース「スペースとプラン」

◆にじシバ発祥の地、ブックカフェ「ココシバ」

OP・ED曲はBGMerさんが配信している楽曲を利用しています。→ BGMer ⁠http://bgmer.net⁠  ※OP曲 [Free Music] Lunar Eclipse - Drunk   ※ED曲 フリーBGM [夕暮れコスモス]

サマリー

今回のにじシバラジオでは、ブロガーのファさんが書いた「パーティーが終わって10年が始まる」というエッセイ集について述べています。この本は、シェアハウスを運営していた著者が中年になったことを振り返り、オルタナティブな生き方や社会的背景について考察しています。このエピソードでは、ダメレンの文化と高円寺の地元コミュニティについて話されています。特に、ダメレンの人々の生活様式や、そこから派生した素人のランの存在が注目され、バブル以降のオルタナティブな生き方が議論されています。また、ダメ連の概念とそれに関連するファッション、昭和と平成の価値観の違いが探求され、ジェンダーやセクシャリティに対するオープンな議論も行われています。

ファさんの紹介と本の内容
こんにちは。にじシバラジオ第21回です。
にじシバは、川口市・芝で定期的に開催しているおしゃべり会です。
にじシバラジオは、にじシバで話題になったことやならなかったことについて、
にじシバガチャをともぞーとぶなのもりの小倉さんとで語り合う番組です。
毎週水曜日配信です。
ということで、今回は、私・ともぞーのおすすめコンテンツ回ということになりまして、
おすすめっていうか、ちょっと気になったというか、
同世代的に非常に共感を得る部分もあったなっていうところのもので、
最近ちょっと話題になった本でですね、ファさんという…
どこで聞くの?ファっていう人の名前。
PHA。
PHAと書いてファと読むんですが、ファさんですね。
ファさんが書いた、パーティーが終わって10年が始まるという、
源頭者から出ている本もちょっと取り上げたいなと思っております。
で、これは何か、そもそもファさんっていう人はどういう人なのかというと、
ブロガーで。
ブロガーですね。
2000年代の半ばくらいから活動しているブロガーの方で、
ブログを書きながらシェアハウスをやっていたりとかして、
運営をしたりとかしていて、
そのシェアハウスでの生活であったりとかっていうのをブログのネタとかにして、
読者を稼いでいたアルファブロガー的な感じだったのかな、昔は。
ただ最近はあまり目立っていなかったような印象がありました。
最近はあまり名前を聞く機会も減っていましたね。
で、その中でそのパーティーが終わって10年が始まるという本も書かれたと。
で、これはどういう本なのかっていうことは結構いろいろと。
エッセイ集だよね。
あ、そうです。エッセイ集です。
今日はダイオネ喋りになってる。エッセイ集ですよね。
エッセイ集で、シェアハウスの運営をかつてしていたりとかっていう、
そういうところがあったんだけれども、
気がつくと自分が中年になっていたっていう気づきを得て、
で、その中年になるとはどういうことかみたいなところを掘り下げて書いているエッセイ集っていうような。
簡単に説明するとそういう感じになるのかな。
ファさんのライフスタイル
何月ぐらいに出版されたんですか?
これがですね、4月かな。
で、わりとファサン世代、友藤さんは。
いや、僕はね、同年代。あ、違いますね。令和6年5月発行ってなってますね。
あ、はい。まあ、大した違い。
大した違いなんですけど、ファサンはたぶん今45、6ぐらいだと思うんですよね。
私、47なので、ほぼ同年代。
ただファサンがブロガーとして名を売っていた時代に、
僕も?ダイアリーとかを書いていたんですが、
ブロガーとして身を立てようとか、そういうことは一切思っていなくて。
なんていうか、その当時、たぶん2000年代なので、
2000年代中頃っていうのは、僕は大学院にいて、研究生活みたいなしてたんですよ。
で、それで研究うまく行き詰まってて、モンモンとしていたみたいな、そういう状況の中で、
すごくファサンとかは、なんだろう、自分とは別次元に生きていて、
で、そのブログっていう当時から、当時としては先端メディアを使って、
すごく上手に生きている人みたいな、
稼げる、なんていうんですかね、その当時のアルファブロガーの中には結構、
本当にバリバリ名を売って、情報発信してる人っていうのもいる一方で、
ファサンみたいにふわふわっていう感じで、
ゆるふわ系とでもいうか、ネット界を漂うみたいな感じの感じで、
でも人を引きつけて、影響力を与えるみたいな、そういうふうな人っていうのがいて、
そういう自分が生きている状況とは別の状況で生きながられている人みたいな、そういうイメージ。
じゃあ割とリアルタイムでファサンのシャワーを浴びては来ていた?
シャワーを浴びるっていうほどちゃんと注目はしてなかったというか、
自分がこう見ているのはもうちょっとメインストリームというか、
当時のブログのメインストリームみたいなのは目に入ってくるんだけど、
その端っこの方でファサンがいるんだなっていうような、
だからハテナブログ、ハテナブログじゃないな、当時のハテナダイヤリーとかを読んでいると、
ファサンの名前っていうのが時々あちこちに出てくる感じ。
そうか、上がってくるもんね、そういうのね、名前がね。
で、ブログのトラックバッグとかでファサンに言及されてたりとかして、
ああ、そういう生き方を教える人がいるんだなみたいな。
でも自分はじゃあ、例えばシェアハウスを運営して、
同じように生きたいかと思うところまでは行かないという感じかな。
で、言うまでもなく僕もその氷河期世代と呼ばれる世代で、ファサンも氷河期世代で、
このパーティーが終わって10年が始まるでもその辺の氷河期世代のことっていうのは触れられているんですが、
我々世代も含めてそういうオルタナティブな生き方を模索するみたいな、
氷河期というかバブル崩壊後の社会のあり方として、
会社に入って、会社で一生こうライフコースを過ごして、
退職、定年退職してみたいな暮らし方っていう、
かつての王道みたいな言い方っていうのは、もうちょっと無理じゃねっていう空気感が、
やっぱ90年代後半から半ばくらいからかな、ずっとあったかな。
そういうオルタナティブな生き方を模索するみたいな、
ムーブメントとまでは行かないかもしれないですけど、っていうのがあったのかなみたいな。
で、その中の一つとして、そういうファサンのようなライフスタイル生き方。
ファサンのライフスタイルってここで象徴的に言うと、
例えばシェアハウスっていうのは、つまり家族を持たない。
それから住む場所を例えば買ったりして、固定したりしない。
車とかもそうだよね、人持たないとか、そういうことだとは思うんだけど、
割と持たない生活の仕事にも定職につかない。
そんな感じの持たない生活だよね。
そうです。ファサンがやってたシェアハウスの場合だと、
運営したシェアハウスの場合だと、その鍵をかけないで、
誰もが自由に出入りできるような状況にしていて、
ファサン自身は定職につかず、そのシェアハウスに自由に出入りできる状況の中で、
シェアハウスにやってきた人と一緒に仕事をしたりだとか、好きなおしゃべりをしたりだとか、
好きなことをやって楽しく。それをファサンはパーティーと呼んでいて、
ところがだんだん歳をとっていくにつれて、
シェアハウスを運営するモチベーションが低くなっていったというかね。
そういう中で今は一人暮らしをしていて。
ダメ伝と社会的背景
疲れるとか言ってたっけ?そんなような言い方を。
私、全然本読んでないんですけど、
つんどくらチャンネルでつまみ聞きしたところによると、
もうすでにそういうのはいいやっていう気分になっているファサンの話なんだなって思って聞いてましたよ。
そうですね。
結局年を加齢していくにつれて、やっぱり体力の問題が難しくなってきていると。
ファサンが書いているとちょっと引用すると、
一人で何かをするのが楽しくなってしまったみたいなことを書いている。
じゃあ一人を選ぶ。
つまりシェアハウス的な、あるいは人が出たり入ったり的なことから、
じゃあ固定した家族とかを志向するではなくて、
一人になりたいってことになっている。
なるほどなるほど。
ファサンがブログ記事を書いて、
ブログ記事の書き方というかね、そういうところっていうのが、
ファサンはひらめきアディクションって書いていますけれども、
自分の中でパッとひらめくものがあると。
そのひらめきが脳内物質が出るような感じで、
ファサンにとっては快感であって、
そのひらめきの勢いに任せてクワーッと書いて、
それをアップして、で読んでこないみたいな。
そういうシピスタイルを長らく続けていたんだけれども、
そういう風に書くスタイルっていうのが、
なかなか難しくなってきた。
書くっていう大前提、書いて生きるっていうさ、
だからフワッとしているようで、彼は絶対書くという部分を譲らないわけで、
その中ではそこにふさわしい自分のコンディションをどう作るかの話が変わってきたということだよね。
だから他の人が書く仕事をしていない人が、
あるいは書く時のスタイルがそうでない人にとってはまた違う形かもしれないよね。
ファサンの今回のこの本を取り上げた理由っていうのは、
今までしゃべってきた通り、
あまりこう自分にとってはそういうファサンのような生き方っていうのは、
エンドオイルものだった。
で、一方で自分にとって何がきっかかったかっていうと、
パーティーだったかだよね。
ダメ伝制というものがありまして、
これ作品社というところから1999年に出ている本でして、
これがダメ伝っていうのは昔やった?今でもあるのかな?
いやもうないでしょ、ダメ伝自体は。だって神永さんとか亡くなってない?
いや、神永さんは生きてる。ペペハセガーさんが亡くなった。
ペペハセガーさんが亡くなった。神永さん殺しちゃったけど。
元はアセガーで学生運動的なところに関わっていた方たちが、
学生運動を脱却して、
社会人になってから作った、社会人生活がちょっと辛くなったりとか、
ちょっとダメな人生を自分たち送ってるなっていう風なところで、
そのダメ性っていうものを自覚しつつ、
それを肯定をしていくというような、
一種の社会運動としてダメ伝っていうのがありまして、
そのダメ伝のマニフェストとして出版されたのが、
ダメ伝宣言っていう本がある。
ダメレンの文化と社会
英語で言うとダメ伝マニフェストって書いてある。
そういう本があるんですね。
ここではいろんな方が、仕事であったりとか、性愛であったりとか、
結婚家族といった、あと心問題とかですね、
そういったテーマを取り上げて、
真っ当な社会人生活を送るのは無理。
人にとって難しい。
要するにいろんな無理をしないと、
バブル期までに言われていた、
真っ当な社会人生活みたいなものっていうのは、
相当な無理をしないと人間やってられるんだと。
だから無理をしないで生きようとすると、
ダメな楽園を押されてしまうんだけど、
逆にダメな楽園を押されてしまう自然体の生活っていう方が、
人間にとってはよりなじみやすく、
自然な生き方なんじゃないかみたいな。
裏と表みたいな、そういう意味で言ったら、
お母さんとかがすごく綺麗な形で受け入れられて、
これからの生き方だみたいな、
割と表の絵として出てきたのに対して、
それより遡ること10年前はより規範が厳しかったから、
脱落も難しかった。
どちらが望まれてるかというと、
いまだにやっぱりジャパニーズ・ビジネスマンみたいなやつが、
求められてたからかもしれないけど、
やっぱり合わせ立ての2人が、
自分たちはダメなんだっていうダメを引き受けてからしか、
オルタナティブの提示ができなかったっていう時代性もあるのだろうな、
っていうふうには思うんですよね。
ダメ男性に描かれた1999年というのは、
まだネットもそんなに普及してない時代でして、
大体日本のネット環境が整ってきたのが、
97年くらいからの印象があるんですけど、
当時、和光大学で大学祭とかをやったときに、
その友達が…
大学祭まで言っちゃったぞ。
大学祭っていうか、学校名まで言っちゃったぞ。
いいのかな。
別にこれは自分の紹介会でもいいですけど。
それが97年の大学祭だった記憶があるんです。
カフェを大学でやりたいみたいな。
それで空き教室を借りて、パソコンを数台置いて、
カフェをやったみたいな。
ネットカフェっていうのは当時でも、
そもそも市場として成立してない時代だった中でやってたので、
本当に99年だと、もちろんブログなんてないんですよ。
ブログサービスとかもない時代の中で、
ネットで稼ぐみたいな。
あるいはネットの言論界隈で生きていくっていう、
そういうビジョン的なものもない中でやっていく。
だからバブル語のオルタナティブな生き方を模索する
第一世代なのかもしれないです。
ダメレンの人たちっていうのは。
高円寺のコミュニティ
今年齢のことを見ようと思ってるんですけど、
私と同世代なんだよね。
どっちかっていうと、ほぼ同い年。
ちょうどファさんとトムゾーさんの年の差ぐらいですよ。
まさにこの時代で。
私、だから卒業した後ぐらいに、
やっぱり高田の馬鹿とかで集まってる人たちの中の人に、
ダメレン系のグループとかいたもんね。
大学自体、和光大学っていうのは基本的に左なかった。
左翼思想の強い大学なので、
必然的にダメレンの界隈の人たちと知り合う機会ができていたんですね。
このダメレン宣言が出るちょっと前に、
青銅線が出してる雑誌の現代思想っていう雑誌のところで、
ストリートカルチャー特集っていうのがありまして、
そこでダメレンの人たちが取り上げられていたのかな。
そこは直接的にはそっちのストリートカルチャー特集を読んで、
ダメレンの人たちのことを知って、
そこから繋がっていったような記憶があります。
じゃあ直接集まりとかにも見に行ったりとかしたり。
行きましたね。
それは結構ディープな。
そうなんです。結構ディープで。
ファサンの本というか、パーティーが終わって10年が始まるを読んでいる中で、
興味深かったのは高円寺の話が出てくるんです。
で、ファサンも高円寺でバイトかなんかをしていて、
高円寺の本屋さんなのかなとか、そこでお金を稼いでるみたいなんですけど、
高円寺って今でもわい雑な感じっていうか。
いや、それこそ素人の、それこそダメレン系のあれが残っていて、
残ってるって言い方じゃないな、割とそれなりに。
根付いている。
そうですね。その辺りの感じですね。
僕がその大学でダメレン系の人たちを知り合って、
高円寺に大学院自体がしばらく通っていた時期があったから、
それは高円寺に住んでいる思想家みたいな人がいて、
その人が勉強会をしていて、
その勉強会に顔を出していたっていうことがありまして。
名前はあえてヒスなの?そんな感じだね。
そんな感じなんですけど。
で、その後素人のラン、松本さんが素人のランを始めたっていう感じかなと。
で、素人ランの松本さんも僕は学生の頃から知っていて、
彼らは法政大学の学生で、もともと野宿研究会っていうのをやってたんですけど。
ありましたね。
法政大の野宿研っていうのがあって、その頃から知り合いで、
いつの間にか高円寺でリサイクルショップを開いて、
さらにそのリサイクルショップを拠点に同じような生き方を模索する人たちが集まって、
素人のランの第2店舗とか第3店舗とか色々店舗が増えていったみたいな感じ。
で、僕がファサンのパーティーが終わって10年を始まるを読んで教習がかかったのは、
ファサンの各高円寺の話の中には素人のランの話って出てこないんですよ。
そうなんだ。
オルタナティブな生き方
同じ思想の裏と表みたいな。
そうなんです。
だからそのバブル以降のオルタナティブな生き方として、
一つはダメ伝から始まる、あるいはそれから素人のランみたいなものに引き継がれていく生き方みたいなものがある一方で、
ブログ全盛時代みたいなところから生まれた。
ファサンのような生き方というかオルタナティブ性っていうのがもう一方ではあって、
それが高円寺っていう場所に隣接しているにも関わらず重なってないっていう。
なんか嫌だから書かなかったとか。
なんかちょっとチラチラ見えるんだけど私ああいうの嫌いよねみたいな感じだったわけではなくてね。
なんかね一切言及ないんですよね。
なんかそれこそやっぱり松本さんはどっちかというとほぼファサンなんかと同世代。
どっちかというと松本さんと同世代だと思うんですけど、
どっちかというとちょっと左翼趣味じゃないですか。
同じような展開を繰り返しているのに味付けがちょっと遅れてきた左翼趣味者。
いや遅れてないか。だからこそ左翼趣味者なのかなっていう感じのテイストがあるから、
それが避けて歩こうって思わせた理由なのかな。
どうなんですかね。もしかすると本には書いてないけど、
接触は実際のところあるのかもしれない。
そうですね。大喧嘩して別れたかもしれない。そしたら触れないじゃない。その話題って逆にね。
全然出てこないのは大喧嘩の結果かもしれない。
まあそれも推測の意見は出ないですね。
ということでその2つの生き方が自分の中では整理すると、
小倉さんが今言ったような左翼趣味的な感じの土壌から派生したダメレンとか素人とかの方向性がある一方で、
キラキラしたアルファブロガー的な世界から派生したファサン的なオルトラリブルな生き方。
両方見ていく中でやっぱファサンの方が逆に言うと失速っていう言い方は非常に言葉悪いんですけれども、
転換点を迎えているというか。
かといって素人の乱的なことは。
転換点も何も。逆に定着はしたねと思うけど、本領になることはありえないじゃないですか。
ペペさん、ペペ長谷川さん、ダメレン創始者の一人であるペペ長谷川さんが亡くなった時に、
高円寺で追悼飲み会みたいなのがあって、それに顔出したことがあって。
高円寺の中に、それこそカシノミヤみたいな感じの日々テンションが変わって。
何だっけ、あれも素人の乱系の。
そうですね、素人の乱系の場なんですけど。
そこで追悼飲み会。
追悼飲み会に立ち寄った時に、自分が高円寺に通ってから20年以上前の話なんですけど、
その頃にいた人たちと全然変わらない姿格好した人たちがいると思って。
同じ顔ぶれで新しく若返っているのもせず、みんなが同じように一層年を取っていく感じ。
顔ぶれは違っているんですけど。
違っているのか。
もちろん松本さんとかいるんですけど。
松本さんとかいて、顔なじみのライターの方とかもいて。
それが同じなんですけど。
ただそれはごく僅かで、自分が知らない人がほとんど9割くらいなんですけど、
自分が知らない9割の人たちの姿格好が20年前からファッションが変わっている。
その空気感が20年前から凍りついたように変わってない感じ。
目に浮かびました。イメージつきます。
ラスターな人がいたりとか。
いまだに良い年でもジーンズっていう大前輩があって。
それがこんなに変わらない世界があるのかっていう一瞬の衝撃を受けた。
それが非常にある意味ショックだったのかな。
ダメージっていうか。
高円寺の駅前がすごい変わったんですよ。
昔の20年前の駅前とは全く。
純情商店街とは別のものね。別の場だよね。
純情商店街はまだあるんですけど。
駅前のロータリー近辺がすごい変わっちゃって、きれいになったんですね。
ダメ連の背景と価値観
ただそこから北側に伸びる、左側に行く道が商店街の方か。
そっち一歩商店街に入るとあまり変わってないんですけど、
その店の中に入るとますます変わってない。
こんなに変わらなくていいのかな、逆に。
私全然、まずもとさんとしたら面白いなと思うと、
変わらなくていいんだろうなって。
なんでこんなに逆に変わっちゃうんだろうってことだったりもするのかなって。
私いい歳まで生きてきて思うけど、
ここ10年の急激な変化って、
多分人間に意図されてなかったろうなって思うぐらいの勢いだと思うんだよね。
変わることを別に拒否してるわけでもないし、
それはそれで面白いと思うけど、
多分そんなに変わらなくてもいいんだろうなっていうふうには逆に思うな。
だから昭和みたいな風景が公園地の、
ちょうど高田の場あたりにいたとき、
ダメ年系の人に会ったときって、体操の例の後、
まだダメ年なのってなかったぐらいの感じのときのことだから、
ファッションのまま人が移植された公園地みたいな感じで勝手にイメージしてるんだけど、
でも実際、素人のあの辺に行ったこともあるけど、
昭和だよね。えらく昭和。
昭和。
平成の頭だけどね。
だからある意味では、平成の新しい生き方みたいな。
お金がなくてもみんな幸せに、
お金がなくても幸せにっていうのはちょっと語弊があるんだけれども、
そもそもダメ年系の生き方っていうのは反資本主義な部分があるから、
別にお金を欲しいけどでもないから、
痩せ我慢して貧乏生活を幸せに楽しむっていうニュアンスでは全くなくて、
そちらの方がっていう。
そうなんです。
身体を壊したりとかメンタル病んだりとか、
パワハラにあったりとか、
差別をしたりとか、
そういうパワハラをするされる、
差別をするされる、
そういう過酷な状況の中でお金を貸せる、
要するにそういうのが資本主義を成り立たせるんだと。
そういうのは生活はやめようじゃないか。
誰かを搾取しないといけないようなところに組みするわけにはいかないくらいのプライドがあるんだけど、
もう片方でダメっていう言葉をもっと肯定的に捉えて、
自分たちで引き受けてみようみたいな価値をダメ年というタイトルには感じるんだけど、
多分そこから数年経つと、
もうある程度ネットで自分たちをダメと揶揄しなくても、
そこまでガツガツ働かなくていいよねとか、
会社に所属することにそんなに重きを置く必要ないよね。
男だからって言って会社員にならなくちゃいけない、結婚しなくちゃいけない、
家買って車買ってしなくちゃいけないじゃない家族作ったりじゃないところの生活もあるよねって言ったときに、
あえてダメっていう言葉を引き受けない感じのファサンのパーティーだったわけだよね。
だからファサンの方がそこの思想性がある意味ないってことがあって、
それが軽さ、身軽さに繋がっている部分があるのかなっていう感じはあります。
でも十分にそれが思想なんだと思ってたね。
私はちょっとブログでは読んでますけど、
肌が合わないだろうなと思ってたのでそんなにハマらなかったし、
ダメ年は絶対受けないだろうなと思ったけど、
当時の工学歴男性がダメを引き受けるのは大変なことだったわけじゃない?
だからその着替えは評価するよって感じじゃない?
でも絶対幸せになれないぜみたいな感じはあるけどね。
そうですね。
多様性を受け入れる場
なんだかんだ言ってダメでもどちらかっていうと、
ダメを自覚してそのダメを生きるっていうのはやっぱり男性の問題だったりもする。
メンチチップの一種だと私は認知してたよ。
なんで今日はこんなに意識してましたよ。
今更そこは編集できない。
だからそんなイメージだったので、
当時まだ自分たちのことを考えて、
自分たちがどう生きるべきかを考えるってのって、
フェミニズムの領域みたいな感じだったから、
それを男性が始めたんだなみたいな受け入れられ方を
当時の空気としてもしたような気がします。
ということでですね、ちょっと長くなってきたんですが。
でもなんか全然ファサンの方に行かないよ。大丈夫?
ダメレンで終わってるよ。
少なくても私は一言言ったよ。
少なくても全然読んでないので。
もうちょっと頑張ってみたらいいんじゃないかなと思うんですけど。
後半、もしあれだったら続けますか。
続けて、2回に分けて。
すんぞくチャンネル経由の、じゃあこれでね。
言っても喋ってもいいですよ。
一旦切りますかね。
長くなったので。
二次芝は川口芝のシェアスペース、スペーストップランで、
月2回開催しています。
ジェンダーやセクシャリティに関わらず、誰でも参加できるおしゃべり会で、
LGBTQに関する様々な話題などについておしゃべりしています。
詳しい開催日程などは概要欄のホームページをご覧ください。
またよろしければチャンネル登録やフォローをお願いします。
それではまた来週お会いしましょう。さよなら。
さよなら。
29:02

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