何月ぐらいに出版されたんですか?
これがですね、4月かな。
で、わりとファサン世代、友藤さんは。
いや、僕はね、同年代。あ、違いますね。令和6年5月発行ってなってますね。
あ、はい。まあ、大した違い。
大した違いなんですけど、ファサンはたぶん今45、6ぐらいだと思うんですよね。
私、47なので、ほぼ同年代。
ただファサンがブロガーとして名を売っていた時代に、
僕も?ダイアリーとかを書いていたんですが、
ブロガーとして身を立てようとか、そういうことは一切思っていなくて。
なんていうか、その当時、たぶん2000年代なので、
2000年代中頃っていうのは、僕は大学院にいて、研究生活みたいなしてたんですよ。
で、それで研究うまく行き詰まってて、モンモンとしていたみたいな、そういう状況の中で、
すごくファサンとかは、なんだろう、自分とは別次元に生きていて、
で、そのブログっていう当時から、当時としては先端メディアを使って、
すごく上手に生きている人みたいな、
稼げる、なんていうんですかね、その当時のアルファブロガーの中には結構、
本当にバリバリ名を売って、情報発信してる人っていうのもいる一方で、
ファサンみたいにふわふわっていう感じで、
ゆるふわ系とでもいうか、ネット界を漂うみたいな感じの感じで、
でも人を引きつけて、影響力を与えるみたいな、そういうふうな人っていうのがいて、
そういう自分が生きている状況とは別の状況で生きながられている人みたいな、そういうイメージ。
じゃあ割とリアルタイムでファサンのシャワーを浴びては来ていた?
シャワーを浴びるっていうほどちゃんと注目はしてなかったというか、
自分がこう見ているのはもうちょっとメインストリームというか、
当時のブログのメインストリームみたいなのは目に入ってくるんだけど、
その端っこの方でファサンがいるんだなっていうような、
だからハテナブログ、ハテナブログじゃないな、当時のハテナダイヤリーとかを読んでいると、
ファサンの名前っていうのが時々あちこちに出てくる感じ。
そうか、上がってくるもんね、そういうのね、名前がね。
で、ブログのトラックバッグとかでファサンに言及されてたりとかして、
ああ、そういう生き方を教える人がいるんだなみたいな。
でも自分はじゃあ、例えばシェアハウスを運営して、
同じように生きたいかと思うところまでは行かないという感じかな。
で、言うまでもなく僕もその氷河期世代と呼ばれる世代で、ファサンも氷河期世代で、
このパーティーが終わって10年が始まるでもその辺の氷河期世代のことっていうのは触れられているんですが、
我々世代も含めてそういうオルタナティブな生き方を模索するみたいな、
氷河期というかバブル崩壊後の社会のあり方として、
会社に入って、会社で一生こうライフコースを過ごして、
退職、定年退職してみたいな暮らし方っていう、
かつての王道みたいな言い方っていうのは、もうちょっと無理じゃねっていう空気感が、
やっぱ90年代後半から半ばくらいからかな、ずっとあったかな。
そういうオルタナティブな生き方を模索するみたいな、
ムーブメントとまでは行かないかもしれないですけど、っていうのがあったのかなみたいな。
で、その中の一つとして、そういうファサンのようなライフスタイル生き方。
ファサンのライフスタイルってここで象徴的に言うと、
例えばシェアハウスっていうのは、つまり家族を持たない。
それから住む場所を例えば買ったりして、固定したりしない。
車とかもそうだよね、人持たないとか、そういうことだとは思うんだけど、
割と持たない生活の仕事にも定職につかない。
そんな感じの持たない生活だよね。
そうです。ファサンがやってたシェアハウスの場合だと、
運営したシェアハウスの場合だと、その鍵をかけないで、
誰もが自由に出入りできるような状況にしていて、
ファサン自身は定職につかず、そのシェアハウスに自由に出入りできる状況の中で、
シェアハウスにやってきた人と一緒に仕事をしたりだとか、好きなおしゃべりをしたりだとか、
好きなことをやって楽しく。それをファサンはパーティーと呼んでいて、
ところがだんだん歳をとっていくにつれて、
シェアハウスを運営するモチベーションが低くなっていったというかね。
そういう中で今は一人暮らしをしていて。
疲れるとか言ってたっけ?そんなような言い方を。
私、全然本読んでないんですけど、
つんどくらチャンネルでつまみ聞きしたところによると、
もうすでにそういうのはいいやっていう気分になっているファサンの話なんだなって思って聞いてましたよ。
そうですね。
結局年を加齢していくにつれて、やっぱり体力の問題が難しくなってきていると。
ファサンが書いているとちょっと引用すると、
一人で何かをするのが楽しくなってしまったみたいなことを書いている。
じゃあ一人を選ぶ。
つまりシェアハウス的な、あるいは人が出たり入ったり的なことから、
じゃあ固定した家族とかを志向するではなくて、
一人になりたいってことになっている。
なるほどなるほど。
ファサンがブログ記事を書いて、
ブログ記事の書き方というかね、そういうところっていうのが、
ファサンはひらめきアディクションって書いていますけれども、
自分の中でパッとひらめくものがあると。
そのひらめきが脳内物質が出るような感じで、
ファサンにとっては快感であって、
そのひらめきの勢いに任せてクワーッと書いて、
それをアップして、で読んでこないみたいな。
そういうシピスタイルを長らく続けていたんだけれども、
そういう風に書くスタイルっていうのが、
なかなか難しくなってきた。
書くっていう大前提、書いて生きるっていうさ、
だからフワッとしているようで、彼は絶対書くという部分を譲らないわけで、
その中ではそこにふさわしい自分のコンディションをどう作るかの話が変わってきたということだよね。
だから他の人が書く仕事をしていない人が、
あるいは書く時のスタイルがそうでない人にとってはまた違う形かもしれないよね。
ファサンの今回のこの本を取り上げた理由っていうのは、
今までしゃべってきた通り、
あまりこう自分にとってはそういうファサンのような生き方っていうのは、
エンドオイルものだった。
で、一方で自分にとって何がきっかかったかっていうと、
パーティーだったかだよね。
ダメ伝制というものがありまして、
これ作品社というところから1999年に出ている本でして、
これがダメ伝っていうのは昔やった?今でもあるのかな?
いやもうないでしょ、ダメ伝自体は。だって神永さんとか亡くなってない?
いや、神永さんは生きてる。ペペハセガーさんが亡くなった。
ペペハセガーさんが亡くなった。神永さん殺しちゃったけど。
元はアセガーで学生運動的なところに関わっていた方たちが、
学生運動を脱却して、
社会人になってから作った、社会人生活がちょっと辛くなったりとか、
ちょっとダメな人生を自分たち送ってるなっていう風なところで、
そのダメ性っていうものを自覚しつつ、
それを肯定をしていくというような、
一種の社会運動としてダメ伝っていうのがありまして、
そのダメ伝のマニフェストとして出版されたのが、
ダメ伝宣言っていう本がある。
同じ思想の裏と表みたいな。
そうなんです。
だからそのバブル以降のオルタナティブな生き方として、
一つはダメ伝から始まる、あるいはそれから素人のランみたいなものに引き継がれていく生き方みたいなものがある一方で、
ブログ全盛時代みたいなところから生まれた。
ファサンのような生き方というかオルタナティブ性っていうのがもう一方ではあって、
それが高円寺っていう場所に隣接しているにも関わらず重なってないっていう。
なんか嫌だから書かなかったとか。
なんかちょっとチラチラ見えるんだけど私ああいうの嫌いよねみたいな感じだったわけではなくてね。
なんかね一切言及ないんですよね。
なんかそれこそやっぱり松本さんはどっちかというとほぼファサンなんかと同世代。
どっちかというと松本さんと同世代だと思うんですけど、
どっちかというとちょっと左翼趣味じゃないですか。
同じような展開を繰り返しているのに味付けがちょっと遅れてきた左翼趣味者。
いや遅れてないか。だからこそ左翼趣味者なのかなっていう感じのテイストがあるから、
それが避けて歩こうって思わせた理由なのかな。
どうなんですかね。もしかすると本には書いてないけど、
接触は実際のところあるのかもしれない。
そうですね。大喧嘩して別れたかもしれない。そしたら触れないじゃない。その話題って逆にね。
全然出てこないのは大喧嘩の結果かもしれない。
まあそれも推測の意見は出ないですね。
ということでその2つの生き方が自分の中では整理すると、
小倉さんが今言ったような左翼趣味的な感じの土壌から派生したダメレンとか素人とかの方向性がある一方で、
キラキラしたアルファブロガー的な世界から派生したファサン的なオルトラリブルな生き方。
両方見ていく中でやっぱファサンの方が逆に言うと失速っていう言い方は非常に言葉悪いんですけれども、
転換点を迎えているというか。
かといって素人の乱的なことは。
転換点も何も。逆に定着はしたねと思うけど、本領になることはありえないじゃないですか。
ペペさん、ペペ長谷川さん、ダメレン創始者の一人であるペペ長谷川さんが亡くなった時に、
高円寺で追悼飲み会みたいなのがあって、それに顔出したことがあって。
高円寺の中に、それこそカシノミヤみたいな感じの日々テンションが変わって。
何だっけ、あれも素人の乱系の。
そうですね、素人の乱系の場なんですけど。
そこで追悼飲み会。
追悼飲み会に立ち寄った時に、自分が高円寺に通ってから20年以上前の話なんですけど、
その頃にいた人たちと全然変わらない姿格好した人たちがいると思って。
同じ顔ぶれで新しく若返っているのもせず、みんなが同じように一層年を取っていく感じ。
顔ぶれは違っているんですけど。
違っているのか。
もちろん松本さんとかいるんですけど。
松本さんとかいて、顔なじみのライターの方とかもいて。
それが同じなんですけど。
ただそれはごく僅かで、自分が知らない人がほとんど9割くらいなんですけど、
自分が知らない9割の人たちの姿格好が20年前からファッションが変わっている。
その空気感が20年前から凍りついたように変わってない感じ。
目に浮かびました。イメージつきます。
ラスターな人がいたりとか。
いまだに良い年でもジーンズっていう大前輩があって。
それがこんなに変わらない世界があるのかっていう一瞬の衝撃を受けた。
それが非常にある意味ショックだったのかな。
ダメージっていうか。
高円寺の駅前がすごい変わったんですよ。
昔の20年前の駅前とは全く。
純情商店街とは別のものね。別の場だよね。
純情商店街はまだあるんですけど。
駅前のロータリー近辺がすごい変わっちゃって、きれいになったんですね。
ただそこから北側に伸びる、左側に行く道が商店街の方か。
そっち一歩商店街に入るとあまり変わってないんですけど、
その店の中に入るとますます変わってない。
こんなに変わらなくていいのかな、逆に。
私全然、まずもとさんとしたら面白いなと思うと、
変わらなくていいんだろうなって。
なんでこんなに逆に変わっちゃうんだろうってことだったりもするのかなって。
私いい歳まで生きてきて思うけど、
ここ10年の急激な変化って、
多分人間に意図されてなかったろうなって思うぐらいの勢いだと思うんだよね。
変わることを別に拒否してるわけでもないし、
それはそれで面白いと思うけど、
多分そんなに変わらなくてもいいんだろうなっていうふうには逆に思うな。
だから昭和みたいな風景が公園地の、
ちょうど高田の場あたりにいたとき、
ダメ年系の人に会ったときって、体操の例の後、
まだダメ年なのってなかったぐらいの感じのときのことだから、
ファッションのまま人が移植された公園地みたいな感じで勝手にイメージしてるんだけど、
でも実際、素人のあの辺に行ったこともあるけど、
昭和だよね。えらく昭和。
昭和。
平成の頭だけどね。
だからある意味では、平成の新しい生き方みたいな。
お金がなくてもみんな幸せに、
お金がなくても幸せにっていうのはちょっと語弊があるんだけれども、
そもそもダメ年系の生き方っていうのは反資本主義な部分があるから、
別にお金を欲しいけどでもないから、
痩せ我慢して貧乏生活を幸せに楽しむっていうニュアンスでは全くなくて、
そちらの方がっていう。
そうなんです。
身体を壊したりとかメンタル病んだりとか、
パワハラにあったりとか、
差別をしたりとか、
そういうパワハラをするされる、
差別をするされる、
そういう過酷な状況の中でお金を貸せる、
要するにそういうのが資本主義を成り立たせるんだと。
そういうのは生活はやめようじゃないか。
誰かを搾取しないといけないようなところに組みするわけにはいかないくらいのプライドがあるんだけど、
もう片方でダメっていう言葉をもっと肯定的に捉えて、
自分たちで引き受けてみようみたいな価値をダメ年というタイトルには感じるんだけど、
多分そこから数年経つと、
もうある程度ネットで自分たちをダメと揶揄しなくても、
そこまでガツガツ働かなくていいよねとか、
会社に所属することにそんなに重きを置く必要ないよね。
男だからって言って会社員にならなくちゃいけない、結婚しなくちゃいけない、
家買って車買ってしなくちゃいけないじゃない家族作ったりじゃないところの生活もあるよねって言ったときに、
あえてダメっていう言葉を引き受けない感じのファサンのパーティーだったわけだよね。
だからファサンの方がそこの思想性がある意味ないってことがあって、
それが軽さ、身軽さに繋がっている部分があるのかなっていう感じはあります。
でも十分にそれが思想なんだと思ってたね。
私はちょっとブログでは読んでますけど、
肌が合わないだろうなと思ってたのでそんなにハマらなかったし、
ダメ年は絶対受けないだろうなと思ったけど、
当時の工学歴男性がダメを引き受けるのは大変なことだったわけじゃない?
だからその着替えは評価するよって感じじゃない?
でも絶対幸せになれないぜみたいな感じはあるけどね。
そうですね。