これなんか、今こうやってあずまさんから直接今の話に伺って、もちろん言論選挙とかも読んで、
頭では言論作ったり、いわゆるこういうコミュニティ、知らずも含めて、一人だけじゃなくて、
志し同じ仲間とっていうのは理解できるんですけど、やっぱりアイコンとしてのというか、
特に10年前以上のあずまさんというと、もう一人でどんどん切り込んでいって、
いい意味でもですけど、やっぱりプレイヤー一人で、いわゆる10年後に、
僕が10年前のあずまさんを、15年前ぐらいですかね、恐縮ですけど、
見たら、いわゆるこういう言論作ってるとか、組織を作ってるってイメージが、僕はですけど、なかったんですけど。
改めていろんなところでそういうこと書いてると思うんですけど、あずまさんの中では、もともと別によくもあんまりその組織作りたくないよ、
俺はこで行くよみたいな、もしくはその逆も、特にあんまり何かこだわりってなかった?
いやだからこで行くよって自分自身は思ってたわけですよね。
ただ結局その無意識のところで、こで作業してても、
これやって何になるんだろうって気持ちはずっとあったわけですよ。
例えばテレビに出ました、評論書きました、本が売れました。で?みたいな。
だからなんなの?みたいな気持ちがずっとあったんで。
だからそういう意味では、無意識の中でずっと、
単に一人で文章を書いたりなんだりしてるだけじゃダメだっていうには、
多分ずっと思ってたんだと思いますね。
僕自身が自覚してなかっただけで。
そして今もターニングポイントで、やっぱり言論って出てきたと思いますが、
ただそれこそQuantum Familiesじゃないですけど、パラレルワールドというか、
そこで言論を作ってなかったらとか、
そういうときも、ひょっとしたら未来もあったかもしれないんですけど、
もしイコールかもしれないですけど、
どこでも戻れるんだったら、ここに戻りたいみたいなとこあります?
実はそれでやり直したいみたいな。
時々考えるんですけどね。
あんまりだからできないんだよ。できへんなんだけど。
だから例えば、子供が生まれる前までジャンプしちゃったら、
もううちの娘生まれないじゃない?
だからもうちょっとそれ難しいなとかって思うし。
パパじゃないですか。それはわかります。
やっぱりうちの娘が存在しなくなるのはまずい感じがするんですよね。
超パパの顔してますよね。
会社も本当にうまいタイミングでいろんな人たちが現れる。
もちろん消えてった人もいるんだけど現れる人もいて、
いろんな人を助けたことの組み合わせで、
結構影響を受けてらっしゃるようにお見受けしたんですけど、
どっかのインタビューかちょっと忘れちゃいましたけど、知識人とか有名人に自分はある意味赤にもなったけど、
40代になって結局祖父と同じ経営者っていう話があったじゃないですか。
その時にちょっと僕が、僕の読み方がどうかわからない。
僕なんかその時に感じたのは、結局、しかもその後、それ言った後に、
安嶋さん今一人経営者から降りてるじゃないですか。
なんかちょっと感じたのは、人は結局ある程度決まった、
今の明日すべてがゼロになったらもうそうですけど、
決まったものを超えられないというか、変えられないんじゃないかな。
つまりその肩書きとか立場とか、いろんな実績も含めて全部、
なんか表層的には変わっても、結局落ち着くところにまた落ち着くんじゃないかなみたいなのをちょっと感じたんですけど。
それはそうだと思いますよ。僕ができることって少ないし、
僕の人間的な性格とかそういうのは変わらないんだとすれば、
やっぱり例えばいきなり僕がスポーツ選手になったら絶対しないわけで、
だからあんまり変わらないと思いますよ。
だからさっきの質問で言えば、ゼロになったとしても、
やっぱり多分ツイッターとかそういうのから始め、
そしてやっぱり何か仲間とか組織とか作ろうとするんだろうし、
だからもう一回同じようなことをやるんじゃないかな。
今の言われて思ったんですけど、その文壇とかそういうこともありましたけど、
何でしょう、安嶋さんがデビューした時と今はまたいろんな状況が違うじゃないですか。
この間、プレボリーですかね、自民党の政権はまだ今後も続くだろうし、
みたいな話も確か対談でされてましたけど、
いわゆる僕なんか学歴全然なくて、もう日大なんですけど、
コンプレックスはものすごいあるわけでもないですけど、
やっぱり東大の人ってもちろんいろんな人いますけど、
ちょっとやっぱりなんか別格な感じがして、
何が言いたいかというとですね、
いわゆる今の時代、仮に安嶋さんが明日全てがゼロになって、
また文壇とかやって同じものを作るだろうみたいにおっしゃいましたけど、
いわゆる学歴っていうとちょっとそれだけでナンセンスですけど、
これからの今に時代っていうのは、
やっぱりそういう文壇的なポジションだったり、
社会的なある程度ポジションも、いわゆるゼロから、
変な話、50歳の無名の安嶋さんで、
東大の学歴も例えば明日起きたらなかったとしても、
それなりのポジションまで上がれますかね。
すみません、20年代。
つまり、今の僕だったら、
今の僕が、
質問としてはつまり、今の僕が、
今の僕が学歴がなくなったとして、
ごめんなさい、ちょっとわかりづらかったですね。
安嶋さんは一回外してもらって大丈夫です。
なるほど、これからの時代ってこと?
安嶋さん的な、ある意味、
わかってない。
そもそも哲学って最前線って思うのもあんまないし、
だから難しい言葉を駆使して、
それっぽいことをしゃべるってことは若いうちにできるんだけど、
それでもあんまり意味ないんですよ、結論から言うと。
だから僕が今50歳になって思うのは、
むしろ哲学ってのはやっぱり40、50とかになって初めてできるもので、
若いうちの勉強っていうのはある意味で、
そういう意味では壮大な無駄みたいなところがあって。
でもその無駄があるせいで、
さっきコンプレックスみたいな単語が出てきたけど、
だから若い頃に勉強したことの唯一いいのは、
僕はあんまり難しい哲学書類が強いのに対してコンプレックスはないから、
ああいうのは俺は読めないんだよな、どうしてもなんていうのはあんま思わないわけですよ。
昔そういうのをいっぱい読んだっていう記憶があるから。
だからそのコンプレックスがないっていうのはいいのかもしれないんだけど、
でも年取ってるからむしろわかるものなんですよね、哲学は。
小島さんご自身の中で、やっぱり早くして世に出られた方なので、
そこを見るとやっぱりそれこそ、
そうじく型っていうイメージがあるんですけど、
ご自身でご自身どう見てます?
全然僕そうじく型じゃないと思う。
これは今だから思ってるんじゃなくて、実は若い頃から思ってて、
たとえば一番最初の僕、ジャック・デリダっていうすごい難しい哲学の本を書いて、
次にオタクについての本を書いてるんですよね。
この二つは僕の頭の中では繋がってたんだけど、
これが繋がってるっていうのがすごい大変だってことが自分でわかってたわけですよ、当時から。
できないと。今の自分にはできない。でも繋がってるんだと。
今の僕から振り返ると、たとえばQuantum Familyって小説とか、
言論戦記みたいな本とか、リーダーみたいな難しい話だとか、
オタクとかネットとかの話とかも、
なんか一個繋がってるように、今の僕から見ると見えるんだけど、
そのときはすごいバラバラなんですよね。
それを繋げて、星座みたいにしていくのにすごい時間かかってて。
だから僕は、さっき居場所がなかったとも言ったけど、
ずっと自分わかってもらえないと思ってたわけ。
動物化するポストモダンの読者とは、オタクとかポストモダンの話はできるけど、
本当は自分がしゃべりたいことはもっと別のところにあって、
ただその別のところっていうのは今はしゃべれないし、
だからそれは今なかったことにして、
若者文化とかネットとかの話をするっていう感じだったわけですよ。
でもかといって、じゃあこれでオタク評論家として一生やっていくかって言ったら、
いやそれ俺がやりたいことじゃないなとか、
そういう違和感がいっぱいあったんですよね。
そういう意味では、自分はあんまり草食だって感じたことがなくて、
自分はすごい断片ばっかりで仕事をしていると。
それがもう少し組み合って、大きな絵になることができないと、
ちゃんと自分の仕事って全うできないなっていうのはずっと思ってたんです。
これはさっきの、鉄学っていうのは40代50代になってからっておっしゃってましたけど、
そういうのが自分で逆に40代50代になってきたからうまく、鉄学じゃないですけど、
繋げるようになってきたっていう言い方はできないんですかね。
それもあるんだけど、そこで言論を作ったってことも結構大きくて、
これ難しいんだけど、本だけ書いてたんで、たぶん繋がんなかったような気がするんだよね、僕の仕事は。
結局僕の仕事って、本書いてるってだけじゃなくて、
本書いてて、あと言論家みたいに喋るっていうのがあって、今も喋ってるわけだけど、
それプラス、アービスの組織作りというか、3つやってるんですよ。
その3つがお互いに組み合わさって、初めて僕の鉄学になってるって感じがするんで、
本の中だけで組み合わせようと思ってもできなかったっていう感じがしますね。
そういう意味では今、バランスっていうのも変ですけど、
その若い時より広がってるというか深みも出てるっていうところがありそうですよね。
そうですね。断片的じゃなくて、全体で見えるっていうことがまずあるし、
あと、言論を作ることによって、僕の読者っていうのがすごい変わったんですよね。
その前は、一言で言うと意識の高い若者みたいな人たちがすごく多かったわけですが、
今はやっぱりすごい職業も結構バラバラだし、男女比とか年齢層もかなりバラバラになっていて、
この本にもすごい綺麗に分かれてましたよね。
だから今の僕の、読者とか言論に関心を持ってくれてる人ってすごく多様になってるので、
そういう意味でそういう人たちと接する中で、僕自身の言葉っていうのもだんだん変わってきて、
昔より深いというよりも広がりを持つようになりましたね。
今、言論とか知らせの話も出てきましたけど、
何でしょうね、やっぱりその中でも書かれてたと思いますけど、
やっぱり、東広木、有木じゃなくても、知らせも徐々に何人かの方に開放されてると思いますけど、
とはいえ、とはいえというか、これも僕の完全な試験ですけど、
やっぱりあそこに有木がプレイヤーとしても名を連ねてないと、
やっぱり全然違うんだろうなとは思うんですけど、
いつかは自分がいなくなっても続くみたいなものに言論も知らせもしていきたいみたいな感じなんですか?
いやいや、それはやっぱりそうですよ。
だって10年間会社やったわけだから、やっぱりあと10年間続けたいですよね。
あと10年経ったら僕はもう60歳。
60歳でもそれはもちろん登壇はできるけど、
今みたいに酒飲んで夜中まで喋るってわけではなかなかいかないと思うんですよ。
実際僕も、体力の劣りは日々感じててですね。
本当ですよ、50なんだもん。
だから全然2日酔いの残り方とか違うし、
若者たちはやっぱり若いですよ。
深夜3時、4時まで飲んだって翌日、昼間にはツイートしてるわけですよ、彼らは。
そのときは僕はもう完全に人事不詳ですからね。
深夜3時とか4時まで飲んだら全く使えないから翌日。
全然体力も衰えてるし、そういう意味では今みたいにはいかないくなるわけですよね。
会社を続けていくためには、
あずまだけがプレイヤーだっていう状況は変えなきゃいけないし、
だからこその言論壁だり、だからこその知らせなんで、
あとは僕の後継者を育てるとか、僕の弟子を育てるっていうのは全く違ってて、
つまりこの場所っていうもので自分を表現してくれる人をどれだけ増やすかですよね。
その人たちは僕の本なんか読んでなくてもいいし、
僕の発言を面白いと思ってなくていいわけですよ。
ファンじゃなくてもいいし、面白いファンじゃないほうがいいぐらい。
ここ全然違ってて。
さっき文章を書くってことと、喋ることと組織を作ることっていうのが全然別で、
それで組み合わさって初めて哲学になるんだって言ったんだけど、
それはたぶんすごい大事なことで、
今まで哲学っていうのを本だけで考えると、主張だけで考えると、
それの後継者っていうのは同じ主張を学ぶ人になるわけですよね。
あずま思想を伝えるみたいなことになるわけですよ。
でもたぶん後継者とか、未来に伝えるってそういうふうな形じゃなくてよくて、
そういう形だとむしろどんどん先細ってくる、劣化コピーになっていくだけで、
むしろその人が作った場所みたいなものを、またちょっと別の形で引き受けて発展させるみたいな。
だから別の考え方を持ってる人の方がいいわけですよ。
ただ、この場所にも愛着を持ってくんないといけないわけですよね。
そうですね。
場所、組織に。
そういう人たちをどうやって増やしていくかっていうことだと思うんですよね。
でもそういう意味で、先週ですけど、今お話がかかって思ったのは、
僕も会社もそうですし、クリエイティブもやってて、