ゴールデン内のお店で。 ミレイ 店番をやったりとか、加工者の店番をやってるとか書いてありますね。そういった実際のお店でのお仕事と編集業と両方やってるような人で、多分これっていう一つのキャリアをガッツリ抱えることにも疑問を感じるタイプの人なんだろうなっていうふうに思うんだけど。
で、久しぶりに読んでみたら、35歳と言いながらもはるか年をとったね。私が読んでも、十分にわかるわかるって思う部分と違う違うってね。やっぱり世代違うと、全然レギュレーションが違う部分が出てくるので。例えば例を挙げると、これなんかすごくわかるなと思って読んだところが、最後の方に21年。だからコロナの終わった直後くらい?いや最中か。
の文章で、雑な言葉に抵抗したいっていう章があるんだけど。ここを中心にちょっと今日紹介しようと思うんだけれども。これはどういうことかっていうと、打球戦の死傷事件について、私もツイッターミンというか、ツイッターは必ず見ないと死んじゃう系の人なので。毎日チェックしてる系の人なので、この時にどういう状態になってたか。
私も自分のタイムラインはかなり作り込んで、広く、少しレンジ広げて撮れるようにしてるんだけども、その状態でも、やっぱり実際これの打球戦死傷事件はショッキングな出来事だっただけに、かなりタイムラインを占めていたのは記憶していて、ここにも引用されてるけど、幸せそうな女性を殺してやりたいと思ったっていうことが記事になって。
その事件の理由。事件って何で起こったかが分からないと気持ち悪いから、みんな理由を探すんだけど、その時に幸せそうな女性を殺してやりたいと思ったっていう言葉が、やっぱりセンセーショナルだったっていうこともあって、かなり話題になったと。
で、その言葉を受けて、これはフェミサイドであるっていう反論が、やっぱりネット上でもすごい盛り上がっていて、フェミサイドだって一触になりかかったんですよね。フェミサイドに同調する人も含めてね。
アンチフェミニズムで、やっぱり女性に対しての遠差、温差を語る人たちもいっぱいいたし、一方でそういう風潮がいかんのだという人たちもいっぱいいたという時期でしたよ。今も繋がることだけど、でもその言葉についてのフェミサイド以外の言葉を受け付けない、
特にフェミニズムに対してシンパシーがあるという風に言ってる女性に対して、それ以外の言葉を受け付けないタイムラインが出来上がっていて、彼女も口をつぐんだよと。本当は言いたいこといっぱいあったけど、つぐりましたっていう。本当にその感じは私も全く共感していて、ちょうど。
私、ほら、コンジュアルだからさ。新聞の見出しを飾るような幸せな女性を殺してやりたいと思ったっていうのは、多分警察書いてるよね。
教授賞賞にどう書いてあるかっていう話で。
あと記者会見で何を喋るか。本人が喋るわけではないのでね。
警察が作りたい物語みたいなことが、みんな例えば落とし物を拾ったとか、ちょっと事件に巻き込まれたとかでもそうだけども、大体は私、自分で書くことないですよねっていう教授賞賞ってやつがあるじゃないですか。
一昔前、二昔前くらいかな。むちゃくちゃしてやったっていうね。
今は反省しているっていう。ミミみたいになってる言語があるんですね。
そのニューバージョンみたいな感じがしますけどね。
誰の言葉だよって思うと、絶対本人この通りには言ってないってことは100%保証できるわけですよ。
いや、もしかしたら幸せそうな人をやったとか、あるいは女性だからやったとか、ちょっとしたフレーズは所々に入ってたかもしれないけど、
少なくても幸せそうな女性を殺してやりたいと思ったという、一番人々の矢印を明確化させる発言だけはしてないはずだと私は確信を持って感じるんだよね。
だからそのまま問題はやってなくて、多分その被疑者というか、もう確定してるんで、犯人というか、喋り方としては、ちょっとあいつは幸せそうに見えたんですよねと言ってたりとか。
むしゃくしゃ訳してやった。
ちょっと俺はああいう幸せそうな女の子を見るのが嫌いでみたいなことを言っている中を再構成すると、そういう一文になっていくという感じですね。
でもその一文が一つのスローガンになるじゃないですか。
なるし、その犯人の動機としてはわかりやすいってことになっていくんで。
それを簡単に解釈していいのかっていう問題を、さらにネットの上ではその簡単な発言、簡単に解釈されてまとめられたものをさらに簡単に解釈して、フェミサイドを許すなという言葉でまとめていくってことに対する違和感みたいなのってのは、
やっぱりそのネットのそのフェミニズムの盛り上がりであってもね、すごいその例えばほら、ハッシュタグフェミニズムみたいなのってあるじゃないですか。
それもそうだけど、やっぱり簡単に言葉にすること自体がなんかフェミニズムから遠ざかる感じっていうのはさ、日々思わざるを得ない、なんていうのかな。
どうしても伝えたいとか盛り上げたいということの中にね、ハッシュタグを使って、ハッシュタグでもあるし、煽っていく形が一つあるんだけれども、それは本当に物事を雑で簡単にしていって、フェミニズムが望んでいた、フェミニズムを取り扱ってた人たちがあまり望まない手段だろうなっていうふうに本来は思うんですよ。
難しいことですよね。だからその二律背反、盛り上げたいとかその意見を伝えたいとか、こういう側面があることを知ってもらいたいっていうことと、そのハッシュタグみたいにして簡単にして、みんなこれもそういうことの一環である、あれもそういうことの一環である、この人のこういう発言もこれにつながっているとかっていうふうに、同じ箱に入れていくことにどうしてもなるので。
そういうフレーズっていうのは、いろいろ耳にするっていうか。
そうですよね。何でも氷河期のせいにされちゃうんだよね。
そういう大雑把な括り方っていうのは、何の意味もないというか、何の要因も分析してないんですね、最終的には。
なんかまとめて貼ったラベルで、自分は違うということで安心できるっていう、安心材料としての自分と違う人のラベルなんだと思うんですよね。
フェミサイドっていう言葉も、これはもしかすると養護辞典のほうでやったほうがいいのかもしれないですけど。
フェミサイドの事件であることは確かなんだけど、それ以外にも要因はいろいろあって、こういう要因もある、こういう要因もあって。
加害者の心情も理解する部分もあるよねみたいなことを言うと、そうするとお前は加害者に同情するのかみたいな感じの反応になって返ってきちゃう。
っていうのはやっぱり困ったところで、そのXっていうかSNSの一番のやっぱり厄介なところが、言葉の上っ面だけ読んで脊髄反症で劣等してくる、よくわかんないで炎上しちゃうみたいな展開になってしまうのがストレス。
そうした部分はやっぱりジンであったりそのポッドキャストみたいにちょっとタイムラグがおけるメディアのほうがやりやすいんだろうなって思いますけどね。
それではここからクイア養護辞典のコーナーとなります。このコーナーでは我々がクイアだと思う用語について、我々の解釈で説明してみます。
ということで今回取り上げる用語はですね、ジンですね。Z-I-N-E。
横文字になってね、昔は同人誌とかも言ったんですけど、同人誌っていうほうがどっちかっていうと、同じような志を持つ、志の別にどこにも詩が入ってないけど、グループで。
タグってやつですね。
あとは絵が中心みたいなイメージが同人誌ってどうしてもあるけれども、その同人誌の今っぽい言い方。
同人誌の場合はそもそも同人を募るっていうところから始まって、昔の同人誌とかだと同人になりませんかっていうコーナーがついてて、
同人希望の方はどこそこまでお手紙を書いてください、同人誌購入希望の方は何円切ってを。
そう、同封の上、なんとか詩書箱をきっつけでね、ありましたね。
あともともとは多分俳句同人とか単歌同人とか、さすがに俳句とか単歌とか文字数少ないし、一冊のまとまった塊になることもなかったので、
ある程度同じグループを作って読み合ったりとか。
そうですね、そういうのがあったんですが、80年代70年代くらいからファンダムをファンジンとも呼ばれましたが、
西洋的な話だ。
そのいわゆる同人誌、漫画とかの二次創作を発表する場としての同人誌っていうのがだんだん出てきて、それがコミックマーケットに繋がっていくっていうところですね。
で、今その文学フリマの盛り上がりとともに、あるいはノートとかね、そういった自分の考えや自分の意見、考えてること、価値観なんかを綴る場所とともに、やっぱりテキストをまとめて売ろう。
本に一冊にまとめてみんなに届けようっていうのが、ちょっと盛り上がってる感じっていうのが多分あって。
ポッドキャストフェスみたいなのもあるじゃない。あれの文章版です。
まあそうですね、さらに言うとミニコミとかっていう言葉がね、昔もありました。
ミニコミの場合だとどちらかっていうと、マスコミに対するミニコミっていう言い方。
そうですね、アンチがあるからね。
で、マスコミがそういう世間的に字幕を集める、大きいニュースを取り上げるのに対して、ミニコミはそういう活動、市民活動界隈の。
小さな世界の中のね、出来事を。
取り上げたりとか、そういうのの評論を載せたりとか。
そうですね。社会運動界隈よくミニコミって言いましたよね。
っていうのもあって、ジーンというジャンルが高まるにつれて、何らかの意見の発露、構成の発露した人たちが増えているっていうことでもあることを意味してると思うんだけど。
往々にして、編集者が不在っていうところに特徴があり、それがよくもあしくもだよね。
ADP、Amazon Direct Publishingも、自分で書いたものをAmazonの上にアップして、そこからプリントっていうお金を払うと、一冊に出力してまとまった本の形で発送されて、手元に届くっていう。
そういうサービスがあるんですね。
それはそれで、まだ日本ではそんなに盛り上がってないような気がするんだけど、どうなんだろうと。
私としては、ADPよりは自分なりに小印刷、小さな印刷会社みたいなところでみんな発注して、出てきて10冊とか20冊とか作って売るっていう感じのね。
昔から同人会話があったから、印刷所界隈もあって、どういう意図がその制作者にあろうが、それとは無関係に、最後の言論の砦みたいになってるなっていうのは、やっぱりADPよりはAmazonにね、いろいろ握られてるよりはあるなって感じがしますけどね。
なんとなく安心感がある。いろんなちっちゃな印刷屋が、そういう同人誌印刷の会社ね。
だからそのポッドキャストとジンの、ある意味似てる部分があるって話をさっきしたんですけど、自分がジンというよりはポッドキャストをやっているのは、文字よりも聞くのに時間がかかるんだけれども、肉性っていうのは情報が乗っかりやすい部分が多いので、もうちょっと情報を届けたいなっていう部分があるかなと。
とはいえ、一方ではノートをつけてやってるって。
それもね、一応ジンにしますって言いながら全然作んない私がいて。夏の分振りには間に合わせずに絶対やるから。
友蔵さんのね、二次芝ラジオノート。
保管ノートをですね、つけていますので、ぜひ、二次芝聞くついでにつけていただければ、保管できていいんじゃないかなと思いますね。
たまにすごく保管情報のほうがいい時とかもありますよね。
本当に保管情報だなっていうやっつけの時もありますけど。
でも、それとセットで、Bに入りCに入りじゃないけど、何重にも訴えかけたい内容なんだなっていう時がありますね。
まあね、ポッドキャスト編集するのにだいたい2,3時間かかるんですよ。
まず、どういう作業をしているのかって、あまり時間ないんで話せないんですけど、まず音声データをクリアにするところから始めるんですよね。
ノイズとか乗っかってるんで。クリアにした上で、編集ソフトに突っ込んで、
通しで聞きながら、不要なところをカットしていったりとかしていって、編集していくんですけど、それだいたい2,3時間くらいかかる。
それがだいたい土日にやってるんですけど。
休みないね。
で、それでそれをまずSpotifyに登録するんです。
その登録するときに概要欄を書くっていう作業を作成して、それをだいたい月曜日の夜とかにやってるんです。
それが1時間くらいかかる。
で、その後火曜日の夜にノート書いてる。
タイムスケジュールができてる。すごい。
でも、ノートに書く時間は、だいたい1時間以内には終えたいなと思ってるんで。
そうすると、補完情報的なもので済ませられるとかも補完情報だけが出て。
そうですね。
でね、それにプラスアルファーするとして、でも1時間以上は時間をつけたくないんで、
なるべく1時間以内で完結するような感じにしてるんですけど。
だから、やっつけの時もある。プラスアルファーでちょっと思いを乗せる時もあるということですね。
ぜひそっちも見ていただいてね。時々本当に膝を打つような時もあります。
そんなわけで、二次芝ラジオの陣もですね、いずれ。
必ず出るのでよろしくお願いします。
ということで、以上でございます。