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2026-01-28 29:22

にじシバラジオ#080 ✦「雑な言葉」に抵抗するための手段としてのZINE ✦ゆるクィア用語辞典 第16回「ZINE」

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碇雪恵『35歳からの反抗期入門』/ 「雑な言葉に抵抗したい」、小田急線刺傷事件をめぐる世間の反応 / 容疑者の供述を単純に解釈してしまってよいのか / 物事を雑な言葉で括ってしまうことに対する抵抗 / ZINEやポッドキャストだから伝えられること / 最近、エッセイが見直されはじめている? / エッセイの面白さ・良さとは / 脊髄反射を避けるにはタイムラグがあったほうがよい / ゆるクィア用語辞典 第16回「ZINE」 / 同人誌とZINE、ミニコミの違い / amazonよりも印刷屋さん / ポッドキャストに費やしているコスト /

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サマリー

このエピソードでは、ZINE「35歳からの反抗期入門」を通じて、自分の声や思いを長く語ることの重要性や、雑な言葉への抵抗について議論しています。また、フェミニズムの観点から、社会現象としてのZINEの可能性や、短い言葉やスローガンの限界について考察しています。ポッドキャストでは、エッセイやジンの重要性が語られ、特に言葉での表現がどのように個人の感情や思考を伝えるかが強調されています。同人誌やミニコミという形態が現代の表現手段として果たす役割についても説明されています。また、エピソードでは、ZINEの制作を通じて「雑な言葉」に抵抗する方法や、ポッドキャストとジンの関係性について探求されています。加えて、二次芝ラジオの開催や、ジェンダー、セクシュアリティに関する話題についても触れられています。

ZINEの紹介と作者
こんにちは、にじシバラジオ第80回です。MCのともぞーです。 小倉です。
にじシバラジオは、LGBTQ系サブカル・社会ネタを主に取り上げるポッドキャストです。
ということで、今回は、ちょっと小倉さんのネタをご紹介。
これ、35歳からの反抗期入門というZINEなんですけど、書いてるのは、作ってるのは、
イカリユキエさんという。もともと私がココシバを始める前に、トランスビューで知り合った若い、その時は少なくても間違いなく35からさらに低くこと何歳の人なんで、若い女性だったんだけど、
ココシバを始めるときに、ココシバじゃないね、その前のシバシバ社を始めるときに、本棚を並べるのを手伝ってくれて、ちょうどの失業中で。
それ以来1回も会ってないんですけど、これは文振りかな。川越のホールさんだったかな。
イカリさん知ってる。知り合いしてると思って買ったんですけど、この度、1月の31日に、そいつは本当に敵なのかという本を早起ブックスさんから出版なさるってことで、
で、なんか彼女を呼んでるイベントやりたいなと思って、そういえば前買った本ちゃんと読んでなかったぞと思って、今読み返してたんですね。
で、実際に1人の遅れてきた反抗期じゃないけど、本人もそう言ってるので遅れてきた反抗期、それをエッセイ形式で綴ったものになっていて、
タイトルは別に自由じゃない、リクナビペアズ、マイナビティンダー、幸せな村人だった時のこと、優しさもセックスも両方あっていい、ストップ侵略か、この世のすべての人のためには泣けない、東京の価値観とかって感じのエッセイ種で日々の感じたことなんかを、
やっぱりフェミニズムの思想とかを受けながら、自分で考えたしたことを文字に綴っているんですね。今なんか編集の仕事をしながら、ミセコをやってるっていうのがある。
雑な言葉への抵抗
ゴールデン内のお店で。 ミレイ 店番をやったりとか、加工者の店番をやってるとか書いてありますね。そういった実際のお店でのお仕事と編集業と両方やってるような人で、多分これっていう一つのキャリアをガッツリ抱えることにも疑問を感じるタイプの人なんだろうなっていうふうに思うんだけど。
で、久しぶりに読んでみたら、35歳と言いながらもはるか年をとったね。私が読んでも、十分にわかるわかるって思う部分と違う違うってね。やっぱり世代違うと、全然レギュレーションが違う部分が出てくるので。例えば例を挙げると、これなんかすごくわかるなと思って読んだところが、最後の方に21年。だからコロナの終わった直後くらい?いや最中か。
の文章で、雑な言葉に抵抗したいっていう章があるんだけど。ここを中心にちょっと今日紹介しようと思うんだけれども。これはどういうことかっていうと、打球戦の死傷事件について、私もツイッターミンというか、ツイッターは必ず見ないと死んじゃう系の人なので。毎日チェックしてる系の人なので、この時にどういう状態になってたか。
私も自分のタイムラインはかなり作り込んで、広く、少しレンジ広げて撮れるようにしてるんだけども、その状態でも、やっぱり実際これの打球戦死傷事件はショッキングな出来事だっただけに、かなりタイムラインを占めていたのは記憶していて、ここにも引用されてるけど、幸せそうな女性を殺してやりたいと思ったっていうことが記事になって。
その事件の理由。事件って何で起こったかが分からないと気持ち悪いから、みんな理由を探すんだけど、その時に幸せそうな女性を殺してやりたいと思ったっていう言葉が、やっぱりセンセーショナルだったっていうこともあって、かなり話題になったと。
で、その言葉を受けて、これはフェミサイドであるっていう反論が、やっぱりネット上でもすごい盛り上がっていて、フェミサイドだって一触になりかかったんですよね。フェミサイドに同調する人も含めてね。
アンチフェミニズムで、やっぱり女性に対しての遠差、温差を語る人たちもいっぱいいたし、一方でそういう風潮がいかんのだという人たちもいっぱいいたという時期でしたよ。今も繋がることだけど、でもその言葉についてのフェミサイド以外の言葉を受け付けない、
特にフェミニズムに対してシンパシーがあるという風に言ってる女性に対して、それ以外の言葉を受け付けないタイムラインが出来上がっていて、彼女も口をつぐんだよと。本当は言いたいこといっぱいあったけど、つぐりましたっていう。本当にその感じは私も全く共感していて、ちょうど。
私、ほら、コンジュアルだからさ。新聞の見出しを飾るような幸せな女性を殺してやりたいと思ったっていうのは、多分警察書いてるよね。
教授賞賞にどう書いてあるかっていう話で。
あと記者会見で何を喋るか。本人が喋るわけではないのでね。
警察が作りたい物語みたいなことが、みんな例えば落とし物を拾ったとか、ちょっと事件に巻き込まれたとかでもそうだけども、大体は私、自分で書くことないですよねっていう教授賞賞ってやつがあるじゃないですか。
一昔前、二昔前くらいかな。むちゃくちゃしてやったっていうね。
今は反省しているっていう。ミミみたいになってる言語があるんですね。
そのニューバージョンみたいな感じがしますけどね。
誰の言葉だよって思うと、絶対本人この通りには言ってないってことは100%保証できるわけですよ。
いや、もしかしたら幸せそうな人をやったとか、あるいは女性だからやったとか、ちょっとしたフレーズは所々に入ってたかもしれないけど、
少なくても幸せそうな女性を殺してやりたいと思ったという、一番人々の矢印を明確化させる発言だけはしてないはずだと私は確信を持って感じるんだよね。
だからそのまま問題はやってなくて、多分その被疑者というか、もう確定してるんで、犯人というか、喋り方としては、ちょっとあいつは幸せそうに見えたんですよねと言ってたりとか。
むしゃくしゃ訳してやった。
ちょっと俺はああいう幸せそうな女の子を見るのが嫌いでみたいなことを言っている中を再構成すると、そういう一文になっていくという感じですね。
でもその一文が一つのスローガンになるじゃないですか。
なるし、その犯人の動機としてはわかりやすいってことになっていくんで。
それを簡単に解釈していいのかっていう問題を、さらにネットの上ではその簡単な発言、簡単に解釈されてまとめられたものをさらに簡単に解釈して、フェミサイドを許すなという言葉でまとめていくってことに対する違和感みたいなのってのは、
やっぱりそのネットのそのフェミニズムの盛り上がりであってもね、すごいその例えばほら、ハッシュタグフェミニズムみたいなのってあるじゃないですか。
それもそうだけど、やっぱり簡単に言葉にすること自体がなんかフェミニズムから遠ざかる感じっていうのはさ、日々思わざるを得ない、なんていうのかな。
どうしても伝えたいとか盛り上げたいということの中にね、ハッシュタグを使って、ハッシュタグでもあるし、煽っていく形が一つあるんだけれども、それは本当に物事を雑で簡単にしていって、フェミニズムが望んでいた、フェミニズムを取り扱ってた人たちがあまり望まない手段だろうなっていうふうに本来は思うんですよ。
難しいことですよね。だからその二律背反、盛り上げたいとかその意見を伝えたいとか、こういう側面があることを知ってもらいたいっていうことと、そのハッシュタグみたいにして簡単にして、みんなこれもそういうことの一環である、あれもそういうことの一環である、この人のこういう発言もこれにつながっているとかっていうふうに、同じ箱に入れていくことにどうしてもなるので。
エッセイとZINEの価値
だから、この35歳からの反抗期によるので、4000部も売れた。すごいですよね、ジンとしてね。いやもう本当頭が下がりますし、やはり彼女の言葉が多くの人に響いた結果としてだと思うんだけども、やっぱりジンを作ることが一方で非常に盛り上がっているじゃないですか、文不倫の、それこそ入場者無料だったところを入場にお金を取ったり、
書店料もすごく上がっていて、それでも書店する人が後を絶たない。これが一つ社会現象みたいにして言われている中で、やっぱりそれはスローガンとかに何か思いを閉じ込めない、長い言葉で語りたい。それはポッドキャストとかもそうだよね、自分の生声で伝えたいし、その温度を込めて伝えたいっていうのを、
もう一方のね、そのハッシュタグではない、スローガンではない、ワンフレーズではない、その伝わりづらいかもしれないけども、長く喋りたい。その方が伝わることがある、その肌触りとか手触りとか、耳触りとかね、っていうのをの結果としての4線分だと思うんですよ。
おそらくそうですよね。
そんなことをね、この本を読みながらいろんな部分で、彼女がもちろんその例えばTinderをやってみて感じた違和感とかね、マイナビとかヒクナビとかのね、就職のやつに登録して感じたことと。
なんかね、だからもともとエッセイってそういうものじゃないですかって、今思っていて、今ノートとか見てても、アプリの方のノート、アプリっていうかウェブサイトのノートを見てても、なんかお金の稼ぎ方とか、なんていうんですかね、あるいはこういわゆるライフワーク系の記事があるとか、
実用的な情報を集約するみたいな感じの記事がすごいいっぱいあるなーっていう印象を自分は受けていて、いわゆるエッセイとか随筆っていうものが、昔持ってたポジションがどんどんこう営利的なものであったり、商売的なものであったり、そういうものでどんどんどんどんやっぱ浸食されちゃってる感じがあって、
逆に、昔のエッセイとか随筆っていうものがすごい貴重なもの、そうした語りとかそういう書き物っていうのは、すごく今逆に求められてるんじゃないのかなっていう印象はあります。
それってお金になんないし、なんないんだけどでも、僕結構エッセイ好きで、小説家、昔の小説家って小説書きながら、ついやふたがとかもそうなんですけど、エッセイっていうものを出しててめちゃめちゃ面白いんですね。
エッセイとジンの重要性
実筆をしている時の心情だったりとか、日々の日記であったりとか、そうしたものもすごい作家ならではの世界観みたいなもので書かれているから、やっぱ面白いっていうか、そうした書き物分野っていうのは、的な創作家、そうじゃないライフワーク系かみたいな感じが、世界に今なっちゃってる感じはあるかなっていう印象として。
エッセイなんて誰でも書けるじゃん、どこにでも転がってるじゃん、いつでも見れるじゃんっていうような、だからこそ逆に忙しい時は見落としがちだったものが、ちょっと待てと、もしかしてこの辺、大事な、落としてはならない大事な部分、必勢要素だったんじゃないの?みたいなのってのが、多分再発見されてるのかもしれないですよね。
百万年書房の北尾さんと話し、社長の北尾さんと話した時に、今年、去年だか一昨年だか、一昨年くらいか、今年はエッセイ頑張ろうと思ってるっていう風に、エッセイ本をいっぱい出しているんですよ、まとめてね、新しい若い人たちのエッセイ本をいっぱい出していて、こういう人たちって、さすがにね、売れてる本を出している出版社さんって、もう目の付けどころというか、
多分、感覚が、私はなんで今更エッセイって、その言われた時に思ったの。まず、若い人を探すってのは私も割と気にしてることだから、そうだよねって言った時に次に出てきたのがエッセイだったことで、私は本当に、そうなの?なんで?って思ったんだけど、もしかしたらそうかもって、もう2年か、2週遅れくらいで気がついた。
言われてみたら、でも今はそういうことね、そのスローガンとか、本当にワンフレーズから、あるいはすごいわかりやすい物語、あるいはファンタジー、そしたらライフハック、みたいなことから、もう一歩、どっちかって言うと手触りとか読み心地とかを重要視する文章、LINEなんていうのかね。
だってさ、今時さ、ほんとさ、LINEの文章も3行以上長いですって言われるから、長文大津とか言われちゃう世界だけど、まあ十分にエッセイはもうすでに長文大津の世界になっていくわけだけど、そういうもう、だらだらとした人の思考のぐるぐる回る感じというか。
だからなんかその、ひろゆきのネットミームで、それはあなたの感想ですよねって言ったじゃないですか。いや、あなたの感想だからいいんですよっていうところが大事かなと思っていて、それはあなたの感想ですよねって言われたときに、感想だけど、でもそれ言ったらみんな感想じゃないですか。
だからその感想の中でも、よりぐっとくる感想と、より自分の感想に近い感想とか。響く感想とかね。響く感想とかね。で、自分は言語化できてなかったけれども、この人はちゃんと自分の気持ちを言語化してくれてるとか、そういうところが多分あったりとか。
だからエッセイっていうのはすごい法常な世界だなと受信していて、単純にその感想を書くだけじゃないと。別に感想だけじゃなくて、その情景でもいいですし、どこそこに散歩に行ったと。でもそれがすごく言葉によって法常な形で書かれていれば、そこから行間から伝わるものがあるとか、季節の変化だったり、人生の哀愁みたいなのが伝わってくるものもあったりするっていう。
だからやっぱり作家の書くエッセイっていうのの面白さっていうのはそういうところ。作品を書くために蓄積している言葉が別の言葉の繋がりをもって、この世界を表現するみたいな。そうしたところの面白さっていうのはあるのかなっていうような感じはありますね。
ブログとSNSの影響
だからやっぱり言葉で表現するっていうことの大切さっていうか、単純にそのXに投稿する短い文章だけじゃなくて。あんなのもう本当にクソみたいな言葉で。
好きだけどね。私もね。X辞めらんないけどね。
だから一時期のブログ、2000年代前半ぐらいのブログ文化は割とそういう傾向があったのかな。
そうですね。
でもブログの世界もなんだかんだ言って、ページビュー数とかインプレッション数とかの数値換算されて評価されちゃうから、そうすると受けのいい言葉とか、そういう方にみんな流れていってしまい、現状ブログっていうのは著名人ブログしか儲からないっていう感じが。
で、さらにその儲かる儲からないっていう点で言うと、やっぱマネタイズ、ブログで金稼ごうみたいな。そういう動きがあったりとかした中で。
したですね。かかってですね。もうすでに。
どんどんどんどん個人の感想を述べたりとか、エッセイを書いたりとかっていう場ではなくなっていったのかな。
そういう点で言うと、昔の、それこそ大昔のテキストサイトとか、いわゆる個人ホームページっていうインターネット上だと、やっぱりそういうエッセイとかっていうのは残しやすかったのかもしれないなと思いますけどね。
要は誰が知らない人のエッセイを読みたいと思うのかっていう問題ってあるじゃない。
ありますね。
で、この人のエッセイを読みたいと思う言葉を持っている人のノートを見に行くとかっていうことを、Xってフックみたいな感じでね。
単文でバンバン投げられてるものの中で、興味関心が近いなとか、この人の言葉遣い好きだなとかっていうのをフックにしてその人のノートを見に行く。
ブログのときも多分そうだったんでしょうけど、そういうショーウィンドウみたいな意味で、Xは本当に価値があるなというふうに今も思うんだけれども。
結構そういう探し方して、お金投げ銭してまでその人の文章最後まで読んだとかはやりますけど。
今もこれだけ、例えば文振りってあれだけ本を買っていく人がいて、長文を読んでいく人がいるっていうこと自体は、まだ本当に死なないな文字はとか文章は死なないんだなって思ったりしますね。
すごいことですよね。
だから、さっきの一番最初に紹介していただいた小田急市長事件の話に戻ると、自分は氷河期世代なので、ことわしほどに氷河期世代だからとかっていう、ロスティーネだからみたいなね。
ジンの新たな展開
そういうフレーズっていうのは、いろいろ耳にするっていうか。
そうですよね。何でも氷河期のせいにされちゃうんだよね。
そういう大雑把な括り方っていうのは、何の意味もないというか、何の要因も分析してないんですね、最終的には。
なんかまとめて貼ったラベルで、自分は違うということで安心できるっていう、安心材料としての自分と違う人のラベルなんだと思うんですよね。
フェミサイドっていう言葉も、これはもしかすると養護辞典のほうでやったほうがいいのかもしれないですけど。
フェミサイドの事件であることは確かなんだけど、それ以外にも要因はいろいろあって、こういう要因もある、こういう要因もあって。
加害者の心情も理解する部分もあるよねみたいなことを言うと、そうするとお前は加害者に同情するのかみたいな感じの反応になって返ってきちゃう。
っていうのはやっぱり困ったところで、そのXっていうかSNSの一番のやっぱり厄介なところが、言葉の上っ面だけ読んで脊髄反症で劣等してくる、よくわかんないで炎上しちゃうみたいな展開になってしまうのがストレス。
そうした部分はやっぱりジンであったりそのポッドキャストみたいにちょっとタイムラグがおけるメディアのほうがやりやすいんだろうなって思いますけどね。
それではここからクイア養護辞典のコーナーとなります。このコーナーでは我々がクイアだと思う用語について、我々の解釈で説明してみます。
ということで今回取り上げる用語はですね、ジンですね。Z-I-N-E。
横文字になってね、昔は同人誌とかも言ったんですけど、同人誌っていうほうがどっちかっていうと、同じような志を持つ、志の別にどこにも詩が入ってないけど、グループで。
タグってやつですね。
あとは絵が中心みたいなイメージが同人誌ってどうしてもあるけれども、その同人誌の今っぽい言い方。
同人誌の場合はそもそも同人を募るっていうところから始まって、昔の同人誌とかだと同人になりませんかっていうコーナーがついてて、
同人希望の方はどこそこまでお手紙を書いてください、同人誌購入希望の方は何円切ってを。
そう、同封の上、なんとか詩書箱をきっつけでね、ありましたね。
あともともとは多分俳句同人とか単歌同人とか、さすがに俳句とか単歌とか文字数少ないし、一冊のまとまった塊になることもなかったので、
ある程度同じグループを作って読み合ったりとか。
そうですね、そういうのがあったんですが、80年代70年代くらいからファンダムをファンジンとも呼ばれましたが、
西洋的な話だ。
そのいわゆる同人誌、漫画とかの二次創作を発表する場としての同人誌っていうのがだんだん出てきて、それがコミックマーケットに繋がっていくっていうところですね。
で、今その文学フリマの盛り上がりとともに、あるいはノートとかね、そういった自分の考えや自分の意見、考えてること、価値観なんかを綴る場所とともに、やっぱりテキストをまとめて売ろう。
本に一冊にまとめてみんなに届けようっていうのが、ちょっと盛り上がってる感じっていうのが多分あって。
ポッドキャストフェスみたいなのもあるじゃない。あれの文章版です。
まあそうですね、さらに言うとミニコミとかっていう言葉がね、昔もありました。
ミニコミの場合だとどちらかっていうと、マスコミに対するミニコミっていう言い方。
そうですね、アンチがあるからね。
で、マスコミがそういう世間的に字幕を集める、大きいニュースを取り上げるのに対して、ミニコミはそういう活動、市民活動界隈の。
小さな世界の中のね、出来事を。
取り上げたりとか、そういうのの評論を載せたりとか。
そうですね。社会運動界隈よくミニコミって言いましたよね。
っていうのもあって、ジーンというジャンルが高まるにつれて、何らかの意見の発露、構成の発露した人たちが増えているっていうことでもあることを意味してると思うんだけど。
往々にして、編集者が不在っていうところに特徴があり、それがよくもあしくもだよね。
ADP、Amazon Direct Publishingも、自分で書いたものをAmazonの上にアップして、そこからプリントっていうお金を払うと、一冊に出力してまとまった本の形で発送されて、手元に届くっていう。
そういうサービスがあるんですね。
ZINEの重要性
それはそれで、まだ日本ではそんなに盛り上がってないような気がするんだけど、どうなんだろうと。
私としては、ADPよりは自分なりに小印刷、小さな印刷会社みたいなところでみんな発注して、出てきて10冊とか20冊とか作って売るっていう感じのね。
昔から同人会話があったから、印刷所界隈もあって、どういう意図がその制作者にあろうが、それとは無関係に、最後の言論の砦みたいになってるなっていうのは、やっぱりADPよりはAmazonにね、いろいろ握られてるよりはあるなって感じがしますけどね。
なんとなく安心感がある。いろんなちっちゃな印刷屋が、そういう同人誌印刷の会社ね。
だからそのポッドキャストとジンの、ある意味似てる部分があるって話をさっきしたんですけど、自分がジンというよりはポッドキャストをやっているのは、文字よりも聞くのに時間がかかるんだけれども、肉性っていうのは情報が乗っかりやすい部分が多いので、もうちょっと情報を届けたいなっていう部分があるかなと。
とはいえ、一方ではノートをつけてやってるって。
それもね、一応ジンにしますって言いながら全然作んない私がいて。夏の分振りには間に合わせずに絶対やるから。
友蔵さんのね、二次芝ラジオノート。
保管ノートをですね、つけていますので、ぜひ、二次芝聞くついでにつけていただければ、保管できていいんじゃないかなと思いますね。
たまにすごく保管情報のほうがいい時とかもありますよね。
本当に保管情報だなっていうやっつけの時もありますけど。
でも、それとセットで、Bに入りCに入りじゃないけど、何重にも訴えかけたい内容なんだなっていう時がありますね。
まあね、ポッドキャスト編集するのにだいたい2,3時間かかるんですよ。
まず、どういう作業をしているのかって、あまり時間ないんで話せないんですけど、まず音声データをクリアにするところから始めるんですよね。
ノイズとか乗っかってるんで。クリアにした上で、編集ソフトに突っ込んで、
通しで聞きながら、不要なところをカットしていったりとかしていって、編集していくんですけど、それだいたい2,3時間くらいかかる。
それがだいたい土日にやってるんですけど。
休みないね。
で、それでそれをまずSpotifyに登録するんです。
その登録するときに概要欄を書くっていう作業を作成して、それをだいたい月曜日の夜とかにやってるんです。
それが1時間くらいかかる。
で、その後火曜日の夜にノート書いてる。
タイムスケジュールができてる。すごい。
でも、ノートに書く時間は、だいたい1時間以内には終えたいなと思ってるんで。
そうすると、補完情報的なもので済ませられるとかも補完情報だけが出て。
そうですね。
でね、それにプラスアルファーするとして、でも1時間以上は時間をつけたくないんで、
なるべく1時間以内で完結するような感じにしてるんですけど。
だから、やっつけの時もある。プラスアルファーでちょっと思いを乗せる時もあるということですね。
ぜひそっちも見ていただいてね。時々本当に膝を打つような時もあります。
そんなわけで、二次芝ラジオの陣もですね、いずれ。
必ず出るのでよろしくお願いします。
ということで、以上でございます。
二次芝ラジオの開催
二次芝は、青口芝のシェアスペースプレートプランで2回開催しています。
ジェンダーやセクシュアリティに関わらず、誰でも参加できるおしゃべり会で、
LGBTQに関する様々な話題などについて取り上げています。
2月の二次芝は、2月13日と27日に開催予定です。
各会19時から、JRわらび駅東口徒歩14分の場所にあるシェアスペーススペーストプランで開催しますので、ぜひお越しください。
詳しい開催日時などは、概要欄のホームページをご覧ください。
またチャンネル登録やフォロー、高評価をお願いします。
それではお聞きいただきありがとうございました。また来週お会いしましょう。さようなら。
29:22

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