こんにちは。にじシバラジオ第70回です。MCのともぞーです。
小倉です。
にじシバラジオは、LGBTQ系サブカル・社会ネタを主に取り上げるポッドキャストです。
ということで、今回は小倉さんから相談を受けていただくことになります。
悩んでたんですけど、最近つんぞくチャンネルのね。
またつんぞくチャンネル。
そうそう。ヒカルの碁を見て、昔のコンテンツを紹介してもいいんだ、語ってもいいんだというふうに思って。
で、じゃあ私もヒカルの碁やる。
でも、あんなに面白く喋れる自信がないから、あれほどの熱はないので。
でも、ともぞーさんも読んだ。
読んでますね。
リアルタイム?
リアルタイムよりちょっと遅れた感じかな。
ヒカルの碁が本市連載をしていて、それですごい子供たち意向が流行ったっていうニュースになってから、
それをちょっと追っかけて読んだ。
大人で読んだんですよね。
大人で。
そうなんですよ。私、自分の姪っ子と老いっ子がリアルタイムの世代なんですよ。
だから彼らの世代と近くて、30前後なんですね。
で、イホ版のさ、キュウロ版とか出てきて、やってるとか見ていたので、流行ってんのは知ってたの。
でも、あんときは、私はそれこそヒカルの碁って、知ってる人は知ってると思うんですけども、
憑依者じゃないですか。
そうですね。
昔、平安の時代に天皇の囲碁指南者として存在していたサイ、
チバランのサイという人間が権力闘争に反復して、自分で命を絶ってしまうという経緯があって、
で、その人が憑依して、ヒカルというね、小学生の男の子に憑依すると。
で、ヒカル自体は別に囲碁に関心なんか全然なくて、という話だから、
私、憑依で強いなんてズルだぜって思ってたっけ。
まあまあ、そうですね。序盤の方はそういう感じですね。
そうなんですよ。で、今時のね、少年したらっていう思いがあって、
そうやって本人が努力して強くなるんじゃない話なんて、ダメだわっていうふうに、
当時のちょうどその最中の私は思ってたわけですよ。
で、ずっとそこを回避して生きてきたの。見てない。全く。
それが何の因果か、今年見たの。全部アニメを。
そう、漫画は読んでないんだけど、アニメを全部見通しまして、
で、その後しばらくヒカルの子いいっていうのを、ずっと多くの人に喋りまくるという異常な時期を過ごして。
だから、あれですよね。ヒカルの場合だと、序盤はサイがね、憑依して、
で、ヒカルが、なんていうんですかね、サイの力を借りて、気力をつけていくっていう。
でも、途中からヒカル自身が強くなっていく話になっていくんですね。
そう、だから、全くの、もちろん判例なし戦ではないんだけど、
本人のもともとの才能と努力とが両方重なって、しかも意思がいて、で、強くなっていく話なんだよね。
あと、ライバルだよね。強いライバルに出会う、そういう環境に。
たまたま、彼の、そういう意味では、かわいそうだからEGOを打たせてやろうとかいう、ちょっとした前世がね、そのバックボーンにあって、
そのEGOを、自分も全然打たせてやらないとかになったら、また全然違う話になって、ヒカルの子は出来上がらないんだけど、
結構いい子で、やんちゃだけどいい子で、ぜひ語会所に行こうかとか、午後の教室に行ってみようかとかっていう風にして、
ちょっとずつ、なんかこの自分に憑依した人間に、ちょっといい思いさせてやろうと思って努力する中で、どんどん自分で打ちたくなる。
で、それはやっぱりその、本当にやっぱり少年漫画の王道の、努力の路線に乗っけていく話だったんだなと思って、
あーもう、食わずが嫌いってこんなに良くなかったんだと思って、今めっちゃそうなんだろうな、
いや、いい作品でした。破綻がないんだよね、話に破綻がなくて、
どこまでこう最初から設定されたかっていう時に、
あーこれはちゃんと、もう全然普通にもう古い話なんで、全然ネタバレとか問題ないと思うんですけど、
サイがいなくなるっていうね、憑依してたものは、もうこれ以上やったら多分、話の都合上も多分強さの問題で、
ヒカルに下手すると、もう勝ち負けが出るぐらいの勢いになってきたから、多分この以上残ってもしょうがなかったんだと思うんだけど、
いなくなると、つまり成仏しちゃうと。
神の一定。
そうそうそうそう。神の一定を見極めたというふうに言い切れない状況で、残念な感じなんだけど、ちょっと心残りはあるんだけど、成仏してしまう。
っていうことがあって、離れちゃって、彼はすごくその孤独というかさ、そのいなくなった不在に耐えられなくなるっていうところが、多分そこからがミソなんだよね。
取り出しするところあたりから、その本来の人間関係の中で、まあそれまでもいろんな異語仲間とかとのコミュニケーションついては散々描かれてるんだけど、
あそこはいなくなるところがミソなんだっていうふうに思うんだよね。
で、アニメ見てないと思うので、アニメの最終回を言うんですけど、
アニメの最終回って、サイが夢の中に出てくるんですよ。
なるほど。
これ多分オリジナルでのなのね。で、漫画にはなかったシーンだと思うので、誰も漫画のこと語り合ってるときはこれを話題にしないので、私はこれを話題にしないとこっちつかないと思ってるけど。
遠谷アキラと初めて対戦した、遠谷君ってのもね、もともとお父さんがよっぽど強くて、もう発感とか持ってるような人でしょ。
で、そのサラブレッドみたいな男の子で、その彼と最初に対戦した日の夜疲れ果ててお家に帰ってきた後、家に寝てたらば、夢を見るのよ。
で、私あのシーンすごい好きなんだけど、何が好きかっていうと、あれ?なんだろう?お、靴履いてる?とか言うわけよ。
これ夢だなって。あれ?よくこういうことあるんだっていうふうに、夢の中で本当のことみたいに感じられる夢ってあるんだって、ちゃんと彼は夢だって認識してんの。
なるほど。
で、サイが出てきて、でもサイは何にも喋らないんだけど、今日はね遠谷と対戦したんだよとかっていうふうに、いっぱい話すことあるよとかって言って、なんでいなくなっちゃったんだよとかっていうシーンがある。
で、それで戦争を最後、別れるときにってかさ、サイがまたいなくなるときに、戦争を夢の中で手渡して、もちろん夢だから、戦争はもちろん起きてもないんだけど、戦争を手渡して、それで終わるっていうのが最初回なんですよ、アニメの。
私なんかね、あ、夢だってわかってるけど、夢でわかってて彼がずっと喋るっていうのは、この漫画全体も生かしてさ、そういうスタンスじゃないですか、なんていうのかな。
なんか多分、ヒカルは今起こっていることが夢だって認識していても、それこそ一生懸命サイっていうさ、自分を導いた存在に一生懸命語りかけて、それを最後のシーンに持ってくるっていうアニメの落とし方は、この漫画のすごい象徴してるなっていうふうに、私はなんとなくそのときに思ったのね。
なんかいい落とし方だな、途中でしかないんだけど、あの話自体はもっと続くから、漫画のほうはね。
ある意味ジャンプ漫画らしい展開なのかなっていう気はして、昔の江川達也、マジカルタルルートくん、ジャンプで連載してたんですけど、
藤子役先生が亡くなったときに、自分がまだね、そのとき小学6年か中学1年だったんですけど、コロコロコミックに江川達也のコメントを寄せたんです。
で、藤子役先生追悼号みたいなのがあって、そこで江川達也がどういうコメントを寄せたかっていうと、自分はそのドラえもんが嫌いだったと。
なんで嫌いだったかっていうと、そんなね、小学生にドラえもんみたいなのが未来からやってきて、手取り足取りなんていうのはお助け道具を渡してあげて、こんなんじゃ伸びたら成長しない。
ほんとだよ。
いつか少年っていうのは成長して大人にならないといけないのに、ドラえもんみたいなのがいたら、いつまで経っても子供は子供のままになっちゃう。
そういう物語を自分は否定したいんだ、江川達也が昔言ってた。
で、それをジャンプで描くためにマジカルタルルートくんを自分は描いてみたみたいなことを。
で、マジカルタルルートくんも魔法の世界からタルルートくんでやってきて、それでちょっとダメな主人公を魔法の力で助けてあげるみたいなことなんですけど、タルルート自身もそんなに万能じゃなくて、結構アホなんです。
アホで、だから別にタルルートの魔法の能力だけに頼ろうとすると絶対良くない。基本ギャング漫画なのでギャングみたいになっちゃうんですけど。
なのでそこのところは魔法の力だけに頼るんじゃなくて、その主人公のいろいろ思考錯誤をしている必要があるみたいな。
そういうような感じの漫画だったなって印象は。
例えばキカイダとかも、もちろん最初の仮面ライダーから怪しいんだけど、悪の秘密結社に拡張されて、怪人にされるところ両親が残ってて、怪人と戦う話じゃないですか。
だし、キカイダとかも。
半分人間の心が残ってるみたいな。
不思議な展開をしていて、シンプルな悪役とシンプルな善を作らない形をずっと踏襲してるじゃないですか。
もともとやっぱり石森翔太郎がストーリーテリングをしていたっていうところではあるんでしょうけど。
あの時代の巨匠たちが意識あんまりにも高すぎて、そういう遺伝子埋め込んじゃったんだと思うんだよね。
で、その中でヒカルの号にまた話をとりあえず戻すと、ヒカルの号の祭というのはパーフェクト異号打ちなわけじゃないですか。
で、そこのパーフェクトな異号打ちが表位することで異号を始めたヒカルも、異号を打っていくことに結局なって、勝ったり負けたりそんなに100%強いっていう状態ではないんだけど、
こいつはどっかすごいところがあると。そのすごいところは彼のすごいところであって、全然サイのすごいところじゃないわけよね。
で、あれが久しぶりに見たら漫画として、久しぶりじゃない初めて見たらこんなによくできた漫画だったのかってことで、やはり日本の漫画を再認識させられましたって。
でもね、すごいやっぱりヒカルの号ってコミケとかで言っときすごい大人気だったわけよ。
はいはい。
でもなんか切ない顔して、情けない顔してはいはい言ってますけど。
まあそうなりますよね。だからそういうどうしても相棒みたいなのが必要になるじゃん。そういうストーリーってさ。
例えばおそらくサイヒカとかもありそうだし、ヒカサイとかもありそうなんですけど、
まあアキラとの関係もちょっと友情というのとは違うネチャッコさがあるから絶対これもいっぱいあったはずだし、
私だから全然ヒカルの号触ってなかったからコミケのそういうコーナー見に行ってないんですけど、きっとタルルート君とかもいっぱいあったはずですよ。
タルルート君はともかくヒカルの号では富谷アキラが結構キャラが立っていた部分があるので、
クール系天才少年キャラみたいな。
すごい執着でね。
そうそう。
主人公に対する執着がすごすぎるっていう。
やっぱりそういう物っていうのは、DL的な物語を展開させる原動力になる。
なるよね。どうしてもありそうな気がしますね。
ダイアンキングないかなと思って前探したことあるんですけど、なかったです。私の方が早いみたいな。
ヒカルの号に関しては、正直にやっぱりジョジョも第4部くらいなのかな。
スタンドものがあって、サイとヒカルの関係っていうのはなんとなくジョジョとスタンドの関係っぽく見えなくはない。
例的なものっていうかスペシャルな存在と、存在がいろいろ能力を与えてくれるみたいな。
ただヒカルの号とジョジョの違いっていうのは、ジョジョの場合だとスタンドと能力者っていうのは基本的に没交渉っていうか認識ができなくていいんですけど、
サイはコミュニケーションが取れていろいろ教えてくれるみたいな。
そうだよね。
没交渉である分、ジョジョはスタンド能力っていうのはおのぞ限界値があって、平気で負けちゃうみたいなところがあるんだけども、
サイは割となんでも、イゴに関してはめちゃくちゃ有能というか、レベルが高いので、どっかで消えないといけない。
そうですね。成長する。子供にとっては消える。ドライブに帰ったしね。
未来にね。
でもまだ続いてますけどね、本のあたりとしてはね。
まだやってます。
やってるの?
やってますよ。
誰が書いてるの?
フジコプロが。
もうすでにそこの憑依されてるフジコプロが書いてるわけだ。
憑依っていうか。
すでにスタンドとしてのフジコフジオが後ろについてて、書かせてるんですかね。やってるんですかね。
やってますね。
すごいな。そういうもんなんですね。
私てっきり未来に帰って終わっちゃったのかと思ってた。
違うんですよね。
違いますね。
まだあるんだ。すごい。
だから劇場版もまだやって、最近リメイクがね、来るような気がしますけど。
そうですね。
なんか最近話題になったの、海底祈願錠がリメイクされるとかね。
はいはいはい。リメイクが出てる。すごい。いくらでも金を積み出せるコンテンツとしてね。
全身を生み出せるコンテンツとしてね、ドラえもんって存在するんで。
ただやっぱりドラえもんがね、まだ江川達也が何と言おうとも、またコンテンツとして需要があるっていうのは、
まあその厳然たる事実であって。
そうですね。
一方でタルルート君とかはもう忘れ去られた。
そうですね。確かに確かに。ちょっと歯がいいかな。ただ江川達也として見ると。
アンパンマンとかもそうですけども、やっぱドラえもんにしてアンパンマンにしても、結局その物語の中では一生伸びたは伸びたのも私、アンパンマンはアンパンマンのままなんだけども、
リアルな人間としては成長するって、どっかでドラえもんを読まなくなるとか、アンパンマン。
卒業するっていう時期が来るってことですよね。
アンパンマンを卒業したり、ドラえもんを卒業したりっていう時期がどっかである。
ずっとそのドラえもんとかアンパンマンは卒業しない人がいないと思うんですよね。
だからドラえもんやアンパンマンの方で、物語として自分は卒業しなよっていうことを設定しなくても、子供はちゃんと成長するから勝手に卒業するよってことなわけ。
そういうことだね。
だからそういうところをひかるのぼっていうのは、うまくストーリーの中に落とし込んでいるのかなっていう気が。
そうですね。
もう威厳の世界に行って、高校に進学しないじゃないですか。
そういう選択肢すら、漫画の中で与えうる。
で、大人の世界に彼はもう入っていくじゃない。
ずっと大人との付き合いだし、子供同級生もいるけど、大人の世界に入っているあの感じっていうのは、子供にとってはやっぱりすごい新鮮で魅力的だったんだろうなと思いますね。
そうですね。
そんな感じかな。
こんな感じです。
それでは、ゆるクイアー用語辞典のコーナーとなります。
このコーナーでは、我々がクイアーだと思う用語について、我々の解釈で説明してみるコーナーとなります。
はい。
ということで、今回取り上げる用語は何でしょう。
成長譚。
成長譚。
はい。っていうの。ビルディングロマンス。
ビルディングロマンス。はい。ですね。
日本の少年漫画、マガジンだろうが、ジャンプだろうが、それこそ少年たちが成長していくストーリーに対しては、いっぱい供給されてた。
そうですね。
はい。で、なんかさっきもちょっと事前にこそこそお二人で調べたとこにあると、芸手が創始者であると。
いろんな出来事の中で、内面が変わっていき、その人の変化と成長を語る物語のことを、要はビルディングロマンスっていうらしいんだけれども、
私はもういい歳なので、私が若い頃には、少女漫画ってそういうもんじゃないじゃんっていう風によく言われてたんですよ。
で、あるいはその少女漫画的に言っても、例えばそれはどうパートナーを見つけるか的なね、その内面の成長と言っても、
それが女性の成長っていうのかな。女性としての幸せを獲得するためのプロセスでしかなくて、少年漫画のような人間的な成長を遂げるっていうことに対しての女性主人公がないっていうのは、散々言われてた時代なのね。
で、2001年に日本のアニメ映画でアリーテ姫っていうのがあって、その前からアリーテ姫の冒険っていう本が翻訳されたりとかして、
ちょうどこれがやっぱ1980年代後半から90年代にかけて、なんか無理無理でも女性が成長していくストーリーっていうのを作っていかなければいけないっていう風にはすごく言われていて、
今の少女漫画は、例えばその内面の成長も含めた、少年漫画に該当するような人間的成長をイメージしたものがごく普通に描かれる社会になって、なかったってことが想像つかないんですけどっていう感じですよね。
もともとのビルドロマンス、ゲーテとかの時代っていうのは、基本男性、若い男性が主人公で、若い男性が人生の悩みとか、恋愛とか異性愛に関する恋愛であるとか、そういう悩みを抱えつつ、
その中で一人前の人間イコール、一人前の男という、そこが目指されていた。もともとその人間イコール男性だという時代があって、その時には理想の男性像っていうのが存在を言い出して、
だからそこにを目指すんだっていろいろ葛藤をしたりとか、悩みを抱えたりとか、それっていうのは教養小説とか成長端っていうもので、
そこのところが女性の場合だと、じゃあ一人前の女性とは何人層やっていうところが、そもそもモデルだ、よくわからなかった時代。