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2024-08-28 27:19

にじシバラジオ#012 『94歳のゲイ』~孤独をマネジメントする方法とは?

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にじシバラジオ第12回

今回は座長・ともぞーのお薦めコンテンツ回。ドキュメンタリー映画『94歳のゲイ』を題材に、孤独をマネジメントする方法を模索します!

MC:にじシバ座長・ともぞー、ぶなのもり・小倉

毎週水曜 午前5時配信予定


にじシバラジオ#012 概要

  • 極道モノにエモさを感じる理由/疑似家族的関係を求めてしまう
  • 『94歳のゲイ』というドキュメンタリー映画/9月7日~横浜シネマリンで上映
  • ゲイが感じる孤独/家族・友人に打ち明けられない/家族の中でも孤独を感じる
  • 長谷さんをめぐる、お互いの孤独を支え合う関係性
  • 一人であることで心配される/自分の中の孤独を飼いならす
  • 孤独に慣れる人と濃密な人間関係を求める人
  • 不条理さが降りかかってこないと本当の人間関係じゃないと思ってしまう人もいる
  • テキヤ商品の魅力と寅さん的生き方・「こち亀」の魅力
  • 気分によって摂取コンテンツを変えよう/疑似家族的関係の究極的詰め合わせ映画『孤狼の血 LEVEL2』
  • 機まつりのテキヤの爺ちゃん・婆ちゃんとの妙な連帯感

註1)映画『94歳のゲイ』公式サイト

註2)第72回 わらび機まつり

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◆にじシバは、川口市芝にあるシェアスペース「スペースとプラン」で開催している、ジェンダーやセクシュアリティ不問のおしゃべり会です。月2回開催。

開催日程の詳細はにじシバHPでご確認ください!→ ⁠https://www.2ji48.com/⁠

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こんにちは、にじシバラジオ第12回です。にじシバは、川口市・芝で定期的に開催しているおしゃべり会です。
にじシバラジオは、にじシバで話題になったことやならなかったことについて、にじシバ座長・ともぞーとぶなのもりの小倉さんとで語り合う番組です。毎週水曜日配信です。
よろしくお願いします。
前回ニート極童の話題を取り上げまして、なんでそのニート極童というか極童者にみんなエモさを感じるのかという話をしたんですね。
で、その一つの理由として、疑似家族的なもの。姉貴分とかね、弟分とか親分、子分というその関係性の中で、情緒的な強い結びつきっていうのがその中で。
強いってとこは多分、普通に友達関係とかの域を超えて過剰なと言ってもいいようなものがあると、何かこうそのエモさみたいなのが滲むってことだと思うんだよね。
本当の家族っていうのがみなさんある、あったりなかったりすると思うんですけど、家族愛とかね、言われたりするわけですよ。ドラマとか映画とかでも、ファミリーの愛の結びつきみたいな。
やっぱそういう映画とかコンテンツっていうのは人気があるし、っていうのはあるんだけれども、実際にそこまで深い家族愛っていうのが。
体感的にみんながあることになってるやつだけど、例えばね、子供のために親が死ぬとかさ、親のために子供が死ぬとかさ、死ななくてもいいんだけど、何かその過剰なものっていうのはリアルでは往々にして、そんなもちろんね、いろいろそうじゃない都合もあるじゃないですか。
そこまで求められても困るし、で、私たちは多分そういうことを忌避する方向で、今まで世の中の歩みを進めてきたと思うんだよね。
それで良しとしてきたと思うんだよね。
なので、実際には親子ってそんな仲がいいわけではなかったりとか。
最悪ひどかったりすることもあるからね。
目も当てられないっていうのもあるから。
家族関係があったりとか、ということもある中で、自分で作り直せる親子関係みたいなものがやっぱり求めてしまうというか。
だから実際の親とのつながりっていうのは、もうすごい疎遠だったりとか、あるいは憎たらしい存在だったりとかっていうこともあるかもしれないんだけど。
その中で、そういう極童もので描かれるような偽実家族関係っていうのは、より強い結びつき、自分でその親を選んだんだとか。
その古文であれば、自ら古文になりたいと思ってきたやつだから、より可愛いみたいな感じになってくるのかな。
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多分、不条理さみたいなものがさ、本来家族にある不条理さみたいなものを兼ね備えてないと、多分そういう、何ていうのかな、疑似っていう名前をつけられないと思うんだ。
疑似兄弟でも、疑似家族でも。
こっちの話に入って大事です。
だから、そういう疑似家族的なつながりを求めると、みんな極童になるしかないのかって。
それはないよねってね。
いやいや、あるよ。他にもね。
そういうところから、前回の引きで、94歳のゲイにつなげられるんじゃないのって話がありまして。
その説明が前回一切なかったので、なんじゃそりゃって思われる方もいらっしゃるかと思いますが、
94歳のゲイというのは、
ドキュメンタリー映画ですね。
名前の通りですよね。
監督がですね、吉川本元輝さんかな。吉川監督。
多分吉川本輝さんでいいのかな。
監督はですね、吉川本輝さんという方でございまして、
基本的に全国のロードショーはしてるんですが、いわゆるミニシアター系の映画ということになってまして、
関東だとポレポレ東中野という東中野にあるミニシアターですね。
元気でしたよ。
元気さん。
吉川元気さん。
吉川元気さんですね。
吉川元気監督が撮られている映画で、
ポレポレ東中野の方の上映はもう終わってしまっているんですが、
9月7日から、9月7日土曜日から横浜にある横浜シネマリという映画館で、
それが最寄り。
それが最寄りです。
で、上映するということになってますので、まだ見てない方はですね、横浜まで出かけていただいて、足を伸ばしていただいて、見ていただけるといいのかなと思います。
どういう映画かというと、
94歳のゲイという映画タイトルそのもので、
加瀬さんという94歳のゲイの方がいらっしゃいまして、
この方はずっとゲイという自覚はあったものの、
特に恋人とかパートナーとかを作らずに暮らしてきて、
今は大阪の西成区にあるアイリンチ区と呼ばれる土屋街ですね。
土屋街の簡易宿泊所で暮らしていると。
簡易宿泊所というのは3畳1間くらいの本当に簡易的な宿泊施設となっていて、
格安で利用することができるというような場所ですが、
そこに暮らしていて、ただ94歳という高齢なこともあるので、介護サービスを受けながら暮らしていると。
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その映画の展開としては、
加瀬さんの日常生活やかよいの看護師の方との交流という、
介護師ですね。
かよいの介護師の方との交流を中心に描いていくというような映画の展開となっています。
これがさっきの話とどう結びつくのかというと、
昔橋本さんがどこかで書いていたことですが、
ゲイというのは孤独を感じるものだと。
今でこそアプリとかがあるので、仲間というかを見つけるのが比較的容易くなっている時代ではあるのですが、
そういうアプリがない時代とか、あるいはスマホとかを持たなくて、
そういうアプリを使えない中高生は、
お仲間を見つけるのに非常に苦労するというか。
まずはですね。
でもそれより大きい孤独は、
知っている人に自分のぶち開けた話ができないということの方が大きいのではないかと思います。
家族にもなかなか打ち明けられないということ、
カミングアウトできないということがあって、
あるいは親友であるとか友達であるとかという中でも、
自分が同性が好きなんだということを言ったら、
そこで関係性が壊れちゃうとか、
家族からも気持ち悪いとか言われるんじゃないかとか、
そういうことをいろいろ気にあってしまって、
やっぱり家族の中でも孤独を感じてしまう。
そういう背景がある中で、
長谷さんのこの94歳のゲイの映画の中だと、
その長谷さんが、
介護士に出てくる介護士の方もゲイの介護士の方ですね。
結局三条ひと間に介護士と長谷さんのコミュニティが一瞬できあがるわけじゃん。
簡単に言えばね。
これも何か一つ疑似家族的な、
それはどうなんだろうね。
実際彼の特別な状況が、
藍林地区で本当に単身で家族も全然いなくてという状況と、
一般的な介護サービスのほうと違うと思うけど。
疑似家族というのは、
もうちょっと別のあり方かなというふうに、
映画を見てて思いました。
介護士の方は、
LGBTのサポート・オーカストみたいなのをしていて、
当事者なんですか?
当事者ですね。
ゲイ当事者です。
地域のLGBTQの人たちが集まるコミュニティ活動をしていて、
その介護士の方を通じて、
長谷さんもLGBTQのコミュニティ活動に参加するようになっていくんですね。
そこでLGBTQの知り合いというか仲間と出会って、
09:06
慕われるような感じになるというのが物語の前半で、
後半は大きな展開がありまして、
これは何とも言えない展開で、
映画化がざわつくという展開がありまして、
後半は東京で福祉旅行をやっている、
これもゲイの方がいらっしゃるんですが、
その方が長谷さんが出ているドキュメンタリーテレビ番組を見て、
長谷さんに興味を持って会いに行くという展開があるんですね。
これは直接的に映画の中で描かれているわけではないんですけど、
長谷さんは東京から来た福祉職のゲイの方のことを気に入って、
近づきたいなと思って、
恋文的なものを手紙で送ったりみたいなことで、
映画はクローズしていくというような感じなんですよ。
文字通り裸の付け、銭湯に二人で行くみたいな。
そういう映画も描かれる。
94歳で銭湯に行くんだ。大変だね、体の動きもね。
その銭湯に行くまで長谷さんは銭湯に行ったことがない。
そういうエピソードも出てきます。
ここでこの映画で描かれている長谷さんを中心とした関係性っていうのは、
別に疑似家族、要するに疑兄弟であったりとか、
親分子分の関係ではまずないんですよね。
ただ、お互いが持っている孤独をみんな分かり合えるというか、
分かり合えるので、お互い支えていこうという意識がやっぱりあるというか。
それはそれこそ、それぞれがゲイであるからというところを前提として、
この人90までずっと一人で孤独だったろうなというふうに予想するとか、
そういったことをそれぞれの人がしているという感じ。
だから多分、介護士のゲイの方も福祉職のゲイの方も、
お互いの未来を長谷さんに見ている部分というのはあったんだろうなというのはあって、
だからこそ、自分の未来のことを考えて支え合うような気持ちというのがあったりするのかなという。
そこは大きく違うかもね。
だから、向き合った関係というだけではないんだよね。
歴史の前と後ろみたいな、そういう感じはありましたね、確かに。
たぶんセリフ的にもあったよね、ナレーション的にも。
ナレーションだから、そういうニュアンスの説明とか入っていなかった?
そうですね、入っていなかったかね。
テレビの方かもしれない。
そういうところで、やっぱりきちんと孤独を見つめるというのは大事なことなんじゃないか。
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それはね、だから逆にヘタルセクシャルの、シスジェンダーの、普通って言われている人たちが、
家族はいるけど、よく言われたりするんじゃないの?
一人だけど大丈夫なの?とか、
本当に一人じゃなくたって、家族が子供がいた方がいいんじゃないの?みたいな、
すいません、そこに居合わなくタワーのように浴びてくるわけじゃない。
もう年取ったらさ、寂しいんだからって。
いやいやいや、お互い様だろう。
そういうのを聞きながら思うわけだよ。
私の実家に帰ると、やっぱ父親とかがさ、お前まだ一人なのか?とか言うんだけど、
いやもう今更、一人がいいよ、お父さん。
やっぱり一人じゃないと寂しいに違いない。
一人だと寂しいに違いない。おかしい。
というのをやっぱりシャワーのように浴びるわけだけど、
本来は多分、そこを先に気がついた素晴らしい、得した人たちなんじゃないかと思うんだよね。逆に。
ヘテラセクシャルで、それこそあなたたちは本当にいずれは寂しいことになるわよって言ってた人たちが、覚えてろって思ってないけど。
ちょっとそういうところは若干あるよね。
そうですね。結局自分の中の孤独っていうのを、LGBTQの人たちは割と気がつきやすいのかな。
飼い慣らすのが上手になってると思う。
例えば長谷さんとかもそうなんだけど、最後になってこういう展開がなければ違ったと思うんだけど、
上手にそれこそ何十年間も彼は女性と結婚することを選ばなかった。
そうですね。
だからそれはやっぱり自分の信念に基づいて、自分の孤独を飼い慣らすってことが、
割と上手に、だんだんと年を取っていくという理由があるにしても、できてたんだと思うんだよね。
そうですね。
なので、自分の中の孤独があるなっていうふうに、僕も時たまそこは実感する部分があって、
それこそ普通にパートナーと一緒に暮らしてますけど、
友達付き合いとかっていうのも、やっぱり僕はそれは個人のパーソナリティ的な部分があるかもしれないけど、
必要最低限があればいいかなって。
あまり知り合いを無制限に増やそうとは考えないっていうか。
きちんと必要な時に必要な支えになってくれる友達があれば、それで十分かなっていう部分もあって、
そういうところで孤独のマネージメントができればいいのかな。
そんなに強い情緒的な結びつきを強固なのを求められても。
それは非常に今まで思考してきた。
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たぶん本当にそこら辺のセンシティブさでも、人それぞれ幅があるように。
おそらく孤独ってことに対して、いいです、人間関係うっさらでと思う人と、
やっぱりそれはもっとガッツリした、不条理なまでの何かが欲しいんだよっていう人と、たぶん両方いて。
たまたまコンテンツ紹介とかしてると、コンテンツって自分自身のではないわけじゃない、どう考えるか。
外から来るものだから。
そこをだからコントロールっていうかさ、ちょっとシャワーを浴びておきましょうみたいな感じで、
エモさんのシャワーを浴びるっていうのが、うまいコントロールになってるっていうことなんだと思うんだよ、正直言うと。
そうですね。
だから実際に本当にすごい孤独をかめている人っていうのも世の中にいると思うんで。
だからそういう場合には、安易にそういうヤクザ的な結びつきっていうのを求めないで、
もうちょっとソフトな感じで結びつく方法があるんじゃないかっていうところを模索して。
いや、たぶんそれじゃ足んないね、そういう人たちと。
なんか違うんだよ、もう一気にイヤホン振りかかってこないと、本当の意味での人間関係じゃないような気になっちゃう人って。
あれがなっちゃう時期とかね、人によって。
なんかたぶんそんなに人間はバランスよくできてなくて、
だからそのバランスよくできてないことを、やっぱり私たちはバランスよくやろうというふうに追ったから、少なめに少なめに。
減らす方には人間ってさ、いくらでもハンドル切れるじゃん。
増やす方はリスクがあるから、命の危険とかも含めてね。
リスクがあるから、なるべく人間関係も減らす方に安定的にしようっていうふうになってるけど、
たぶん人はうっかり死んじゃったところでも、いいからすごく高くなる瞬間が必要な時と必要な人がいるんだよ。
まだ言うか。
役画的コンテンツというか極童コンテンツ的な、義兄弟的コンテンツの需要はね。
たぶんだと思うんだよね。私昨日ちょうどさ、旗祭りだったのよ。
行った?
いや、まだこれからこれ終わったりも。
今日ね。なんと素晴らしい。
昨日実は待ち合わせがあったんだけど、私1時間間違って駅に着いちゃって、
あ、てか私間違ったんだなと思って。
で、もうとりあえずいいもの5分だから。
いや、旗祭りやってるんだったらちょっとここ見てればちょうど時間になんじゃないかと思って見て歩いたんだけど、
もう的屋さんが圧倒的に多いよ、祭りじゃない。
店の人も出してるんだけど、私歩きながら思ったわけよ。
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なんで的屋さんのものってこんなに魅力的に見えんだろうって。
普通の店の人が並べて売ってるシンプルなものとかと比べて、
なんか過剰なさ、チョコバナナとかね。
どうやったらこの過剰な色付けでっていう。
ほんと親から遅いところで屋台で食べちゃいけませんって言われたまんまの、
毒々しいまでのものが売ってたりするわけじゃない。
でもそういう買ってくれ買ってくれってアピールしてくる過剰さみたいなのは、
やっぱりあの的屋さんならではなんだよね。
別に今の話の関連に出してるもんなんだけど。
で、ガタッポで本の紹介とかしててさ、
坂山直美さんの毎日のことことを紹介する文章とか書いてると、
なんていうのかな、丁寧な暮らしとか書いてあるじゃん。
なんか真逆な。
でも多分人はうっかり死んでも、
屋台のなんか怪しいジュースとか飲む必要が時々はあるんだろうなと。
たぶんトラさんがすんごい長い期間ね、
日本人に支持されていた理由はたぶんそこにあるんだよね。
トラさんも孤独な人生なんですよ。
マドンナっていうのがね、毎作毎作出てきますけど、
基本は家族からはぐれて、家族からも変なので見られて、
それで一人で都政的に全国を渡り歩いてるみたいな。
トラさんが柴又に帰ってくると、
家族に対して憎まれ口を叩いた人だからね。
ちょっと恥ずかしがってるのが延長かな、
あるいは分かっててやってないのか分かんないけどね。
でもたぶんああいうトラさん的な全国放浪しながら、
行く先々の人との出会いを繰り返しながら人生を生きていくっていうのを、
結構日本人の、昔のって言うか現代のかもしれないけど、
日本人男性とかはわりと憧れてたのかもしれない。
そうね、本当に縛られずね。
家族も最終的にはいるわけじゃない。
そうですね、帰る頃が。
でもよく頑張ってトラさんを半信のままにしたよね。
そこは山田陽二の腹の座り方にワクチンだよね。
やっぱあんなの途中で一番地でくっつけたらめっちゃ腹立つよ。
そうですね、だからトラさんもね、今の時代だと普通にBLコンテンツの餌になるって話は。
そうなの?誰と?
だってなりそうじゃないですか。
ああ、でも微妙だな。
ならないような気がする。
例えば同じで言ったらば、こちら勝しか亀ある。
りょうさん。
そうそう、発出所のりょうつかん吉じゃないですか。
絶対世の中にはないBLはないから、探せばあるとは本当にそうじゃなくて、
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でもメインにこれが摂取されているかというのはそうではなくて、
やっぱりりょうつかん吉って必要なコンテンツだったんだと思うんだよね。
外下の世代のトラさんの穴埋めすべく、
後で編集が大変だぞって顔してるじゃん、大丈夫?
自由人的な感じっていうかね。
なおかつそれでも公版、発出所の中のまさにコミュニティというか、
人間関係があってどんなに悪さしてさ、
うっかり何か大変なことになっても、
怒ってくれる人とか、慕ってくれる人とか、
呆れてくれる人も含めて存在するっていうコンテンツだけじゃん。
今時あんな警官がいたらね、普通にオンプラ以下なんでクビになってますからね。
いや、昔からあの人がいたらクビです。
そんなことは誰もとってないから。
なんでこれはスーパーマンソロ飛べるんですかみたいな話をしても無駄。
いや、あれは異性心だからって思うんですけど。
そういうことでですね、孤独感を感じる人が多いので、
そういうものをコンテンツを求める傾向であって、
その中ですごくテンション高めの疑似家族的繋がりを充足させてくれるコンテンツと、
そうではないもうちょっと緩やかな繋がりを与えてくれるコンテンツっていうのは、
今多分両立している要素がない。
やっぱりその時の気分によって、
私は前者の方が好きだわとか後者の方が好きだわを、
多分同じ人が言い換えられるっていうのが、
一番解放された状態っていうのを片隅して、
ニュートラル状態望ましい感じかなっていうふうには思います。
前者というか疑似家族的な繋がりの強烈なやつを詰め込んだコンテンツっていうのが、
コローノチ2で2作目ですね。
2の方が濃いの?
2がめっちゃ濃い。
前回の収録の時にニート国道の話をする前に、
コローノチをちょっと見てきましたって話をしたんですけど、
見ましたね。広げてなかったけど、今広がりそうだなって。
それで終わって、コローノチの2作目の方をですね、
終わった後に見たんですけど、
ギギギギギって詰め込んで濃縮して、
見た後めっちゃ疲れる映画になって。
この人たちはなんでこんなに短期間で親殺しをしたりとか、
要するに自分の親分を殺しをしたりとか、
めちゃめちゃ抗争をしたりとかして、
もうなんかぐちゃぐちゃな感じになって。
アウトレイジーなんかと違ってノリが近い感じなんですけどね。
ある意味破滅していくわけですね、そういう。
ギリ加速的な強力な繋がりの中で、
そこに身を置いてごちゃごちゃやっていく中で、
どんどんどんどん破滅に、破滅の方向に行っていくという。
24:02
それを見てちょっと、なんていうんですかね、
得るものもあるというか。
アーシーさ、だからヤクザとテキ屋違うんだって、
この間話をしたところを踏まえておいて、
だから旗祭りでね、祭りでさ、
焼き氷とかさ、焼きにくくしたら売ってる人たちの顔とかを見て歩いたわけよ。
ほらもうお互い知り合いだったり、知り合いじゃなかったりするわけだけど、
なかなかさ、私の若い頃なんかテキ屋なんてお兄ちゃんがやってたりしてたけど、
もういい感じのおばあちゃんとか、おじいちゃんとか、
あれや、まあ若いお兄ちゃんとかもやってんだけど、
かなり年季が入ってる感じなんだ。
で、顔つきとかさ、あなたの肩着感。
いや、なんかもう、いろんなものを見ながら歩いた。
何を見て歩いてるの?
旗祭りで何も買わずに歩いてきた。
でもやっぱり顔とか見ると、
本当にそこで刻まれた年齢っていうのを感じるし、
お互いに物の貸し借りとかさ、
昔はよくちっちゃい子供とかが、
自分の子供なんか横に連れて行った人とか、
私たちが子供の頃とかいたけど、
もうどっちかっていうと、これで私は一生来たよっていうおばあちゃんとかになっていて、
なんかね、全体的に年齢上がってるなって思うそうだけど、
あ、この時代を生き抜いてきたよね、みたいな。
お互いのなんか全然会話もしてないみたいな。
そういう妙な連帯感。
妙な連帯感が。
で、多分すごくおばあちゃんに見えるけど、
多分同世代なんだろうなと思ったりとかしながら見てました。
ちなみに旗祭りというのが、
わらび市でですね。
ごく特殊にわらび限定。
わらび限定でやってる。
七夕祭りなんですね。
そうですね。
休憩駅でお祝いしたんですよね。
わらび駅の西口を降りると、
駅前から乗りる商店街がありまして、
その商店街でやっている、
主にやっている祭りですので、
その商店街のところに、
いろんなお手製の棚畑飾りがあります。
いろいろ飾られて、
たぶんわらびの人たちはみんな出かけるっていう感じの乗り換え。
すごい人でした。
めちゃくちゃ人出会いのやつですね。
そんなところですね。
話し足りないことがないですか?
大丈夫ですか?
いっぱい喋った。
ということで、
今回はこんなところで終わりにしたいと思います。
二次芝は川口市芝のシェアスペース・スペーストプランで、
月2回開催しています。
ジェンダーやセクシュアリティにかかわらず、
誰でも参加できるおしゃべり会で、
LGBTQに関するさまざまな話題などについて、
おしゃべりしています。
詳しい開催日程などは、
概要欄のホームページをご覧ください。
それではまた来週お会いしましょう。
さようなら。
27:19

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