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こんにちは、にじシバラジオ第13回です。
にじシバは、川口市・芝で定期的に開催しているおしゃべり会です。
にじシバラジオは、にじシバで話題になったことや、ならなかったことについて、
にじシバ座長・ともぞーとぶなのもりの小倉さんとで語り合う番組です。
毎週水曜日配信です。
今回は、7月に行ったにじシバの振り返りの第1回目ということになりまして、
7月に行ったにじシバは、第1金曜日の19時からやっているということで、
都知事選挙の前々日が、7月の第1回の日でした。
急に思い出したわ。
ということで、やったのは7月5日の金曜日19時から行ったんですが、
その時は、あまりにじシバに通常来ているメンバーは、そんなに多くなくて、
急にゲストがね。
ゲストの方が。
3人ほど?
そうですね。
最終的に4人か。
4人ですね。
たまたまこちらを見学したいと言って、社会福祉協議会の人がいらっしゃっていた。
あと、そうでない人もいた。
そうですね。
こうしたテーマも、わりと平場になりましたよね。
そうですね。
なので、普段当事者だったりとか、常連の方が来ているところだと、
結構ディープな話をしたりすることがあるんですけど、
その時は、よそからって言い方があれなんですけども、
よそ行きモードだった?
よそ行きモード。若干よそ行きモードだった感じがあります。
そうですか。
なので、あまりディープな話というよりかは、入門的な感じで話を運ぼうかなと思って、
いろいろやっていましたね。
ということで、来ていただいた方は基本的にはあらいの方?
そう考えれば、絶対別にカミングアウトしたわけじゃないから、あるかもしれないけど、
基本的にはそういうパテ付けで暮らしてはいないという人たちです。
そうですね。ということで、今回はあらいとは何かということを考えたいなと。
そうですね。
ちょっと喋っていきたい。
あらいとは何かを語るとうるさいよ。
あらいの方ですか?とかよく聞かれたりするけど、
あらいってなんすかね?みたいな。
もともとあらいという言葉が、僕が初めて聞いたのは、たぶん2010年前後くらいかなと思っていて、
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それまであらいという言葉はあまり使われてなかった。
なんて言い方してたっけ?
私、今思い出そうとしてるんだけど思い出せないや。
それまでは、たとえばおこげだったりとか。
あー、そっちか。
そういう言い方がされていたような。
いや、別にそれまでも支援してくれる人はいたんで、
普通に支援者であったりとか、そういう言い方をしてたような気はします。
でもそこに支援者っていうことじゃなくて、もっと強固な立ち位置?
そういうのがあるものだよね。
支援者ってさ、支援する人がいたりいなかったりする話じゃなくて。
だけどあらいっていうのは、そういうものも当然あるよねっていう、
私たちのイメージの中の一セット。
当事者とあらい、みたいな。
なんかそういうものだよねっていうところにはなったわけだ。
ある意味ね。
さっき言ったおこげっていうのは、お釜につくからおこげと言われていて、
何かっていうと、昔、ゲイバーっていうのは基本ゲイしか入れないみたいな。
会員制の札を掲げていて、ゲイしか入れなかったりするんですけど、
中にはミックスバーって呼ばれる、女性も入れるゲイバーみたいなのがあったりとかして。
ミックスバーって言い方も最近っぽくない?
そうかな。でも結構前から、20年くらい前からあったような気がする。
観光バーとか言ってなかった?
観光バーは観光バー、別のジャンルなんで。
観光バーっていうのはショーを行うところですね、基本はね。
確かに。
で、そのコーテーションマーク付きのお釜ショーっていうようなものを観光として訪れた、
農家男性、農家女性向けに披露をするっていうような、
そういうところがいわゆる観光バー。
そうですね、結構お値段も高めで。
でもね、たぶん昔ミックスって言い方よりも、
ゲイバーがあって、あそこは男の人だってとか、
女の人も入れるよみたいな、まだ不分立みたいな感じだった気がする。
1990年代くらいは。
すいません、話すぐそういうところですね。
それでミックスバーとか、要するにゲイの友達を作りたい、
というかゲイの友達屋にいてそこのゲイバーに通うようになった女性の方とかを、
おこげって呼んだりした時代が昔あった。
これはやっぱ眉を潜めながら言う名前だったよね。
おこげがねっていう、ちょっとやゆしてバカにした感じのネーミングよ。
その一方で支援者っていう立場はどちらかというと活動家より、
だからその前にも出てきた赤とかそういう活動のところで、
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ゲイやレズビアの活動している人たちを脇から支援するみたいな。
伊藤文学さんとか?
文学さんは支援者ではない。
だから多分文学さんいなかったら、もしかしたらアライナンって言葉まだなかったかも。
違うけど、その辺がはっきり、かつてはLGBTっていう言葉もなかったし、
ゲイコミュニティに支援がいるとは思ってなかったから、
それこそ支援者って言葉も本当に赤の裁判以降みたいな、
そうです。
ごく限定的な感じではあって、
そこからアメリカのリブが入ってきて、その段階で入ってきてるんだけど、
赤が昔90年代後半にやった府中青年の裁判というので、
担当弁護士だった中川弁護士とか、支援者っていうようなところに当たっていくかなと思うんですけど、
なのでその2カテゴリーぐらいしか昔はなかったなっていうのは。
その2カテゴリーの中場っていうか、それらも含んで今は全体的にアラインっていう言葉で言い渡すようになってきたのかなという。
ようやく本題入ってきましたよ。すみません。
もうカットするとか増えちゃった。大変。ごめんね。
アラインっていう言葉は同盟オイミスアライアンスであったりとか、
そういう言葉の略語だというふうに呼ばれておりまして、
要するにLGBTQっていう同事者に対して同盟者的なポジションって言ってもよくわからない。
支持者みたいな感じですね。支援者というよりは支持者。
そうですね。LGBTQの立場を尊重して、理解を示して、一緒に共にやっていくような感じの人と。
多分支援者っていうにはこがましいっていうような文脈が出てきて、別に解除するわけでもないし、別にね。
とかになると、共にあなたたちの価値観とか、あなたたちを含む世界の価値観に私たちもそこに寄り添って立ち会っていますよっていうぐらいの感じかしらね。
そうですね。っていうところなんですけれども、結構アラインっていう言葉を拭ってはいろいろ誤解が生じているのではないかっていうようなことを思うときがあって、
僕が考えているその誤解とは何かっていうと、別にゲイだからゲイのことがすべてわかるわけではないし、あるいはLGBTっていう括りがありますが、
そうするとゲイ、レジビアン、バイセクシャル、トランスチェンダーっていうのは、もうそれぞれ全部わかるみたいな。
よく笑い話みたいに、あなたたちLGBTQは?ってゲイの人を指すみたいな。そういうときに、全部背負っちゃったぜっていう。
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そういう話がね、よくやゆる的に日本語の使い方、新聞記事とかもね、なんかゲイって書くの嫌なのかなってときにLGBTQは?みたいな書き方をするときがあって、
書きたくなくない?本当はレジビアンって書くのが嫌で書いてない?みたいに感じてしまうような固めのメディア。
だから本体、それっていうのは実はゲイフォビアだったりとかレジフォビアの表れだったりもするかもしれないですよね。
そのゲイフォビア、ホモフォビア的なものとかレジビアフォビア的なものっていうのを定欲隠すためのラベルとしてLGBTって言葉が機能している。
良い意味も悪い意味もやっぱり言葉をまとめたのは両方あると思うから慎重に使いたいなと思うが、
さらにそのアライという人たちをそこと退治させて別のものとしてくくると、でもゲイがゲイをわかるわけじゃないよねっていう話を。
だからLGBTとアライがありますよってことになると、アライ側ってすごいざっくりしたまたくくりでいると、からするとLGBTっていう大きなカテゴリーがあって、
そこにいる人に聞けばいろいろ情報が得られるはずだみたいな。そういうふうに捉えられがちなんですが、
LとGとBとDで、みんなそれぞれのことをお互いのことわかっているかというと、そんなことはないと思います。
もちろんなくて、それこそ昔はゲイのレジビアンサービスみたいなことをよく言ったりもしたし、
今でもトランスとトランスジェンダーの問題を他のレジビアンとかゲイとかバイセクシャルの人がわかるかというと、そんなことは当然ないし、
アライの人もそれこそおこげ的な感覚で言えば、レジビアンの気持ちはわかんないけどゲイはいいわよねみたいなことがあるかもしれないし、わかんないけどね。
そういうのがあったり。普通にまだね、ミソジニっていうか、女性意見を感情を持っているゲイっていうのもいっぱいいるし、
ゲイ、レジビアン、バイセクシャルの人たちもシスジェンダーだと思って、自分もシスジェンダーですけど、
私もシスジェンダーですけど、
シスジェンダーからするとトランスジェンダーの人たちの気持ちとか思いっていうのはなかなか、
代弁してはいけないような部分もあるし、代弁しづらい部分もある。わかりきるわけでもないしね。
それはたぶん丸々括ったことで、メリットもありました。
つまり何か社会的なインパクトを与えるには、ゲイ単体、レジビアン単体とかっていうよりは、トランスジェンダー単体っていうよりは、
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お互い強いとこ弱いとこを補いながら、政治的な側面とか法律的な側面に関してアプローチするのはすごい便利だったし、
コミュニティーも少し広がりが出て、ちょっと豊かになったよね。
パレードとか見てはね。
そうですね。
ああいうことが延々とできるようになったのは、それはもう本当例えばゲイだけだったらできなかったと思う。続かない。絶対聞かせてもらう。
あ、違う。そこじゃない。
やっぱりシステマティックに進めていかなくちゃいけないなって。
社会としてのカラーがより強くなったと思う。
でもまあ逆にされてまとめたことで、それとシスジェンダーでヘトロセクシャルの人たちはそうではない人たち。
その人たちを支持する人と、支持するアライみたいな人と、そうじゃない敵がいるみたいなね。
そのたぶん線引きみたいになっちゃったけど、世の中そんなに簡単じゃないからね。
LGBTっていう言葉が出てきたおかげで、レズビアンとゲイとバイセクシャルとグラステンダーっていうのはこういうラベリングで一緒に活動できるものなんだっていう気づきがね、当時社会にもあったっていう。
仲良くできた。意外と仲良くできたのでびっくり。
それまでなんか割と罵り合いしか見てないぞみたいな感じだった。
いやいや、罵り合いしか見てなかったわけじゃなくて。
偏見だな。年上の偏見だな。
ゲイはゲイで活動していたし、レズビアンはレズビアンでそういうグループを使ったり活動したりしたんだけども、
それを一つのまとまりとして表していく。
すでに認知してなかったかもしれないね、仲間としてね。
例えばレズビアンとゲイであれば同性愛者として何かできることはないかなみたいな形でいろいろ取り組みは行われていたと思うけども、
ちょっと緩い感じでざっくりとまとめるようなカテゴリーとしてLGBTっていう言葉が出てきた感じがありますね。
そういう中でアライっていうポジションっていうのが生まれていったんだけれども、
結果としてそれが若干このLGBTって言葉が日本で使われるようになって十数年経つ中で、
やっぱり雑に使われすぎちゃった部分があるのかなっていう感じが。
難しいね、ほんとね。良かったなと思う部分と、これは弊害も大きいよねと思う部分と。
だから一つには今すごいやっぱりLGBTQの、例えばSDGsを推し進めましょうみたいな国も含めて、
その中にうまく便乗しながらLGBTQの生きやすい社会もっていうところを入れていこうっていうふうに多様性で入れていこうってことになるんだけど、
そういうインパクトはあったんだけど、逆に敵として大きく見えるみたいなことが例えばあって、
やっぱりバッシングのレベルをあの大きい敵には遠慮なく殴りかかって良心みたいになってるじゃん。
だからそういうここからここまでですってくくったことで、そういう良い面も悪い面もあったけど、
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じゃあさて、じゃあ本当にLGBTQっていうまとまりがあるかって言ったらば、もちろんそんな大きな生き物はいないわけだし、
実際にじゃあそうじゃない人たちって言われてる人たちって本当に関係ない話なのかって言ったら、
逆にそこの名前によくあげられなかった、セクシャルマイノリティ性みたいなことをいろいろ言うときがあるけど、
そういうふうにさ、やゆうで使われてるけど、実際名前がついてるからやゆうだけであって、
自分のこの性癖は普通じゃないかもとか、この性思考はちょっと前はこうだったけど、
今はこう、例えば昔はゲイだなと思ってたけど、今となってはゲイじゃねえなとかってことは当然あるはずなんだけど、
なんかそうやってかっちり分けちゃうと、なんかそこらへんの行き来とかギラシさとかも含めてなんか許さない厳密な感じになっちゃったよな。
次回話す予定のトランスフォービア問題というかね、っていうところもあるんですが、結局そのLGBTっていう言葉で括っている割に相互理解がきちんと進んでない感じがあって、
だからLの人たちはLの人たち、Dの人たちはDの人たち、Bの人たちはBの人たち、Dの人たちはDの人たちでそれぞれ思いがある中で、
なんかざっくりしたLGBT、あるいはLGBTQっていう括りができたんだけれども、
それで片付けられちゃった結果、それぞれのことをそれぞれがちゃんと勉強をしてしなくなっちゃってるのかもしれないなっていうのは。
あるいは情報の伝達をね、なんかほら説明簡単にするためにさ、ゼロたちもこう丁寧にこういう人がゲイで背負ったりするとか、
例えば川口でパートナーシップ条例の話を進めていきましょうみたいな話をしたときに、
一回クレームが来たというか、お手紙が来たじゃないですか。
自分たちもゲイだけど、そんなあんたたちみたいな活動をする人たちがいるから川口ではそういったことが進まないであると。
あんたたちとは違う、自分たちは運動家ではないゲイであるっていう。運動家のゲイと運動家ではないゲイがいる。
例えばトランスとかでもそうじゃない。明らかにトランス同士の中でも、自分はただの女足であってトランスではない。
あるいは自分はもちろん手術とかもしてるけど、運動をしてトランスの権利を高めてほしいというふうに言ったり、
戸籍を奪われしたりしようとしないトランスであるみたいな言い方で、
今問題になっているトランスとは違うトランスである、あるいはトランスではないっていう言い方で、
なんとか説明をして自分の地位、身の置き場を保っていこうとするっていうのって、
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本当悲しいことだけど、そういうスタンスを取らざるを得ない人たちもいるよねっていうことなんだと思うんだよね。
まあ活動家の原因とはそうじゃないけど。
その辺の話って絶対あって、だからなんでその問題がね、ヘデラセクシャルの問題から切り離されちゃったんだって話でしかないんですよ。
私の中で思うこととしては。
あなたたちの中でもそうじゃない人たちいるじゃんかと。
いやいやもうなんか問題をこっち側によくも押し付けてくれやがったなって気持ちもあるし、
アライなんかも別にそこら辺まで踏まえてアライって言ってないじゃん。
だからアライですらない人たちっていうのは本当に自分とは関係ない話ですなんだけど、
私はあなたたちもちゃんとお互いに変態だよって思ってるので。
ちょっとね僕が言いたいことが若干辛いですね。
だって違うね。そろそろ頑張るからね。
僕が言いたかったのは、ゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランステンダート、LGBTのカテゴリーがある中で、
雑な括りをある意味されちゃってるせいでお互いの相互理解っていうところまで話がちゃんと進んではなくて、
その結果としてそのトランスフォビアの問題が出てきたときに、
ゲイやレズビアンの中からもトランスフォビアに乗っかっちゃったりするような動きがやっぱり見られちゃうっていうのは非常に悲しいことだなというところがあって、
例えばホモフォビアの問題があったときに、トランスの人たちがホモフォビアの動きに乗っかっちゃっていいのかって言ったら乗っかってほしくなるわけじゃないですか。
そこが利益共存っていうか、お互いの利益のためにお互いのことをもっとよく知って共存していきましょうというような方向で戦略的に動いたほうがいいんじゃないのって思うんですけど、
そこのところがLGBTQっていうカテゴリーが楽すぎて、やっぱりみんなおろそかにしちゃう。みんなというか自分も含めておろそかになっちゃっていて、
LGBTQは同一者で、それ以外の人たちがアライダーっていうふうな認識でいるんだけど、
大事なのはLGBTQのカテゴリーそれぞれにとってそれぞれがアライダーで必要が当然あって、
ゲイの中でも、一番最初にゲイですらゲイのことがわかんないと言いましたけど、
容姿差別とかね、年齢差別とか普通にゲイ業界の中でありますか?
すごいバカにされたりとかね、普通にあることなので、
そうするとゲイだから一枚歯なんていうのは口が裂けてくれる人です。
ゲイはこうだから嫌いだよとか言うフェテルセクシャルの人もいたりするけど、
いやいや、そんな一枚歯じゃないからみたいなね。
そういう話にもつながってくるし、
その時にアライってスタンスって一番でも中途半端で、
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どこに寄り添ってるんですか?とか、どこに共存してるんですか?って、
実際にお互いがお互いのアライである必要があるって言われている、
トモゾーさんが言ってくれてるLGBTQの間の話だけではなく、
じゃあ今そこの人たちがアライを名乗るとかあんまりないじゃない。
まあ大概自分はそこではない人だけど、
あなたたちを差別したりしませんよっていう、
そういうことにアライという言葉が使われているとするならば、
いや私たちもアライを引き受けるんで、
あなたたちも当事者を引き受けてくださいっていう気がするよっていうところでの、
そうですね。LGBTQと切り離して、
いわゆるシステンダーヘテロセクシュアルの世界がアライっていうことには、
一応なっているとして、
とはいえシステンダーヘテロセクシュアルとして人くくりにされている中にも、
もちろん多様性はある。
で、やっぱりその他者化っていうか、
あるものは自分とは違う存在としてまるっとこう、
違うものとして認識すると認識的には楽なんだけど、
そうじゃなくて自分たちの中の多様性もちゃんと結べないと、
前回の話じゃないですけど、
強い常識的な結びつきをつい求めちゃったりみたいな。
そこに関係。
だからYouTubeで見たんだけど、
カンテルナのテレビ放送の話だけど、
そこでLGBTQ関連のビジネスの話をちょうどやったのを見たんだけど、
ゲイ投資者がやっているLGBTQの人たちの結婚相談所。
あえて自分たちでは結婚という言葉を使いましたって言ってたけど、
それが事前にチェックシートがあって、
成婚が入会している人が100億円。
とにかく成婚が10組以上になっているよって話して、
ここで知り合って成婚した、結婚っていうかパートナーになった人の体験だと聞いたんだけど、
すっごい冗長なぐらいのチェックシートを付けさせるの。
つまり性の関心は男に対して女に対しては大体2対8ぐらいですとか、
10ゼロじゃないのよ。
自分のことを女として扱ってほしい、男として扱ってほしい。
それがもう1ゼロではないわけ。
その中の3ぐらいかな4ぐらいかなみたいな、
メモリが付いている状態ですよ。
それを見てて、もうそこまでぐらい細かくするのは大変で、
ますます語れなくなっていって、世の中にはわからなさを撒き散らすことになるんだけど、
人のことはわからなくてもいいから、
自分のことぐらいはそうやって問うてみてもいいよねって思ったりはしたね。
やっぱり自分のことをちゃんとわかるというか、
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自分は何者で、どういう性質で、みたいなことをちゃんとある程度掘り下げてみると、
逆に自分がわかってないものがわかるというかね、という部分もあるので、
そこで初めて男性とつながれる部分も出てくるのかなという感じはありますけど。
あのチェックシートが作れるか作れないかが、
やっぱり今この、自分が書けるか書けないかじゃない、
そういうチェックシートはまずこの可能性もあればこの可能性もあるよねって。
つまり100じゃなくて2の可能性もあるよね、ゼロだったものがっていうふうに。
しかも毎日変わる可能性もあるよね。
あれが作れるようになった段階がやっぱり21世紀の進歩だと思うんだけど、
あるいは進歩という形が正しいかどうかわかんないけど、
やっぱりそのぐらい繊細なものだよねっていう形にはなったよね。
MBTI診断ってご存知ですか?
ユーチューバーの人とかがやっている16性格診断。
元となっているのはユング派の精神分析のビデオで、
すごい、ど真ん中いった。
外交型とか内法型とか直感型とか、4つ軸があって、
それでそれぞれ2極があって、
組み合わせとしては16種類くらいの組み合わせになるっていう、
そういう性格診断があるんですけど、
それがリストが非常に長いんです。
昔のいわゆる占いみたいに、
性はとか、性はかける血液型とかではなくて、
めちゃめちゃ自分でその細かいチェックシートを埋めて、
あなたは何とか型ですみたいなことが出てくる。
そういうふうなツールを使って自己分析をするみたいなのが、
流行にあっている。似たような傾向なのかな。
多分そうすると難しくてよくわからないという人が絶対出てくるし、
だから血液型診断があんなに流行ったと言われてるし、
せめて十二指、あるいはセーザー占い。
セーザー占い。
このぐらいに指してくださいよっていうのが、
複雑なことに対しての危機感みたいなのが多分あって、
別にそれをやらなくてもいいんだよと。
その性格診断やらなくてもいいし、
あるいはセクシャリティーの自分の自己認識を細かくすることはないけど、
決してはっきりしたしろころはつかないけど、
なんか気がつくこともあるんじゃないの?
という指標ができるまでは来たというところだと思うんだよね。
そんなことも一つ大事なんじゃないの?とか、
考えてみてもいいんじゃないの?ぐらいにはなったってことですね。
なので、あらいの話に戻ると、
もうちょっとあらいとLGBTっていう雑な区分けではなくて、
もちろんいろいろLGBTの中のあらい性であったりとか、
そういったものも含めて、
今もうちょっと、
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もうちょい深掘りしてみてもいいんじゃないかなっていう、
段階に来てるんじゃないかなっていう話。
LGBTQの方からまず変わるかって意味で、
LGBTQのあらい性っていうのは、
一つキーワードとして使えるかもしれないですね。
そうですね。
という感じで、今日は終わりにしたいと思います。
二次芝は川口市芝のシェアスペース、スペーストップランで、
月2回開催しています。
ジェンダーやセクシュアリティに関わらず、
誰でも参加できるおしゃべり会で、
LGBTQに関する様々な話題などについておしゃべりしています。
詳しい開催日程などは、概要欄のホームページをご覧ください。
それではまた来週お会いしましょう。さようなら。
さようなら。