味覚と開運の関係性
五感でつながる開運ラジオ はじまり!はじまり!
このラジオは、聞くだけで運が開けていく。 今、そこにあるものに気づいていく。
人生の可能性を開くコミュニティ、Vision Quest主催のココ・オノ・アッキー・ラ、 そしてその仲間たちが気づきや学びをシェアするラジオです。
今回のテーマは、味覚です。 五感シリーズの味覚。味覚をテーマに。
と、開運。どんなつながりがあるのか。 味覚と開運はどうつながっていくか、ということなんですね。
今日は、ココ・オノさんが話したいことがあると聞いておりますけど。
話したいことがあるかどうかは別なんですけど、 味覚っていろいろ思い出されるエピソードがあるなって、ちょっと思ったっていう話なんだけどね。
なんか、一番最初に味覚と開運がどうつながるか、ちょっと今さておき、
味っていうふうに思ったときにね。 私、名前言っちゃってもいいのかな。きっといいだろうな。
あの辻町、辻調理専門学校ですかね。
辻さんがお友達でご飯を食べに行ったときに、やっぱり数多くの
レストランを立ち上げる生徒さんを作られる学校の会長、校長先生だから、どんなにか美食で、どんなにか美味しいものをたくさん食べていらっしゃるかなと思って、今まで食事をした中で、何が一番美味しいですかっていう部分を発したわけですよ。
そしたら、ここのジャンって言って、食事っていうのは、どこで誰とどういうふうに食べるかってことによって、すごく変わってくるんだって言われたの。
その通りです。
本当にその通りだなと思ってですね。
改めてさ、いろんな美味しいものってあるんだけど、接待と結びつけるのはあんまりよろしくないのかもしれないけど、よく言われるじゃない、すごい美味しいお寿司屋さんに行ったとしても、その一緒に行く人がすごいやっぱり緊張する人だったから、全然味わからなかったとかさ、
変化してたから全然楽しくなかったとかあるわけで、それを考えたらやっぱり味覚ほど、味覚ほどっていうかどうかは別として、味覚っていうのも、その時で開かれるかどうかって全然違ってくんだなってちょっと思ったんだよね。
本当にそう思います。
もっと何回言ってよ。
ちょっと重ねると、だから誰と一緒に食べるかっていうのもそうだし、作ってくれてる人のことがわかってるっていうのもすごい大事やん。
今日もさ、昼ご飯作ってくれたやろ。あれはやっぱり作ってくれてるなというところから、作ってくれてる様子とかもさ、見ながら仕事はしてたけど、感じながら作ってくれましたっていうのだと、やっぱりその味も違う感じがするんだよね。
かしがりね。そうだよね。
俺はこの間のね、モピラっていうこの仲間の集いでもさ、去年までは俺、調理担当じゃなかったから、そのリアリティが、今年は調理担当だったので、一段と感じられるんだよね。作ってる人たちの動きとか。
ちょっとリスナーの皆さんにこのモピラっていうか、ご飯を作った、ご飯を一緒に食べるっていう機会があったんだよね。
食べるっていう機会で、調理担当に入って、50人分の料理を作るのってすごい大仕事なんやけど、去年は出てきたものを美味しくいただきました。
今年は一緒に作って、ということを出す、準備から後片付けまで、みたいなことを分かりながら食べる、このありがたさ、味だけじゃない。
重なってくるね、確かにね。
そういうのは、やっぱり心が満たされるというか、ありがたいなとしみじみ思う。
それはだいぶ、モードが、前進のモードがある種、気が整ってる感じもするんだよね。
なんか、味見をたくさんするじゃない?作ってる過程で。
だんだん味見ずっとしてると分かんなくなっちゃうからさ。
私なんか、洗い物とかで入ってると、ちょっと見てみて、みたいな感じになって。
で、初めて食べると、薄いのか、ちょうどいいのかとかっていうのが分かったりとかして、なんか安心したりとか。
やっぱりそうやねんな、みたいな感じで、また何か足したりとかして、やるのがあるよね。
でもなんか、面白いなって、今ちょっと思ったのは、味作ってる側としては、やっぱり美味しく食べてもらいたいっていうのがあるから。
やっぱり、ずっとそこはどうかなって、気がかりというかね。
だから、50人分作って、私は去年、調理担当に入ってたけど、
お腹がいっぱいになっちゃうとか、いろんな状況があるにも関わらずあるんだけど、
食が進んでるからとか、もっとたくさんちゃんと食べてほしいな、みたいな気持ちに、ちゃんとっていうか、たくさんパクパク食べてもらうと、やっぱり嬉しいな、みたいな気持ちになったりとかね。
幸せとすごくつながるね、そこはね。
そこは反応というかね、作る、食べる、食べて、どんな気持ちになったのかとか、
食事の楽しみと味わい
食べた感想とかね、反応が返ってくると、そこでね、なんか、なんていうか、お互いに気持ちも満たされるというかね、そういう交流が生まれる元になるよね、結構。
同時に、そういう時って、なんていうかな、一方で味わってなかったりする瞬間もあるじゃん、っていうこと。
だから、要は、おいしいね、おいしいねって言って、味わう時って、結構やっぱり、味を味わう時って、深く入るみたいな時があるから、
時が止まるって言ったら変だけど、じっくり味わうみたいな感じなのじゃない?
一方で、おいしいね、おいしいねって言ってる時っていうのは、さほどそういう味わい方をしなかったりするよね。
おしゃべりの方が楽しかったりするから。
そうそう、で、何を食べたかわからなくなっちゃうみたいな。
おいしいのはおいしいけど、おいしいってなった後、おしゃべりの方に夢中になる。
そう、何がそんなにおいしかったかっていうと、全部おいしかったみたいな、ざっぱなくぶりになったりとかもするんだよね。
それはちょっと寂しいってこと?
いや、寂しいってか、面白いなって思ったってこと。
どの辺が面白いの?
だから、味わうっていう中での幸せ感もあったりするし、不思議さがあると思うんだよね。
味覚って体調によっても変わるし、薄味に慣れてる人は濃い味食べたらびっくりするし、濃い味に慣れてる人は薄味食べると物足りなくなったりするわけで、
変化がわかるようなものにもかかわらず、その味覚ってすごく鋭敏な舌とかがあるにもかかわらず、
そうじゃない中持ちのわーっていう時にも幸せになったりとかさ、するのは何言いたいのかよくわからないんだけど、何か言いたいんだと思う?
不思議だなーって感じだよね。
そうそう。
その不思議さは何なんやろ、確かにその味を、味わいを深く感じるっていう時もあれば、その味わいが舌がさえとなって脇役なんだけど、楽しいおしゃべりのベースになってるみたいなね、音もあって、
その味わいが美味しいっていうんじゃな、もしなかったとすると、楽しいおしゃべりの舌がさえならないっていうこともあったりもするし、
確かにね。
だから、味っていうのは深く入る、味わう時もあるし、深く味わうじゃないんだけど、ないわけじゃなくて何か、ひょっとしたら影響してるのかもしれへんなみたいな、
音だったりするのかね。
食事の場所と相手との関係性
そうだね。
誰とどう食べるかっていうのも、最初の話に戻るけど、やっぱりすごく大事だね。
なんか、すごいまずい、まずいって言ったらちょっと語弊があるかもしれないけども、ものすごい辛いとかものすごいしょっぱいとかなんか、
やっちゃった、みたいな料理が出てきたとしても、それが笑いになることもあるんじゃない?
それがもう、ただただ、残念、ますます残念さを増すこともあるかもしれないけど、でもやっぱり同じ釜の飯を食べるっていうことがすごくやっぱり仲間の、
絆というか仲間のつながりを深めることもやっぱりすごくあるから、味覚とあとまあ、満ちる、お腹が満ちるってことなのかなぁ。
それを満ちてるのが、食べ物を通してっていうことだけじゃなくて、人との関わり、一緒に食べる人もそうだし、作り手ともそうだし、そこに人の関わりがやっぱり掛け合わさるんじゃないかな。
だからこそ、より掛け合わせで豊かになるんちゅうか。
そうだね。お家の味が一番嬉しかったりとかするしね。
一番っていうか、お家の味もやっぱりすごい、すごい一流のっていうか、お店の味も美味しいけど、
お家の味もね。
だから掛ける人で、さっきその緊張しすぎて味がわかんないっていうのも、掛ける人での作用が一つやし、いつも食べてるお母さんの味っていうかね、お家の味っていうのも、その安心感というかね。
そうそう、これこれ、みたいな。
大人かもしれないから、なんか味と人はやっぱり切っても切れへんことなんかなっていう気がするね。
確かに。
さあ、ここで味覚と体運の関係を言うと。
それはね、やっぱりね、作り手に回ることは結構重要なんちゃうかね。
そうだと思う。
結構作る、体験をしてると、食べる、いただくことの幅が広がるというか。
そうだね。
だから、食べてばっかり、作ってもらったものを食べてばっかりの間は、その味の違いが意外とわからない。
それは当たり前になってるっていうかね。
でも作り手に回ると、作り手の何かが一緒に味わえるようになるような気もしていて。
確かにね。
最初、子供はお母さんに作ってもらってばっかりなんだけど、どっかで作るっていうことをすると。
子供でもね、カレーをみんなで作るとかね、そういう体験があったりもするから。
よく食べるもんね。
一緒にみんなで作った料理って、やっぱりおいしいよ、みたいなね。
だから、単に味覚っていう味のことだけじゃない。
やっぱりそこにある人のこと、作り手さんとか、共に食べる人もそうなんだけど。
作り手の幅が広がる味覚の交流
割と作り手さん、作り手の立場なのがやっぱり大事じゃん。
そうだね、そう思った。
今聞きながら、ちょっと自分が結婚して、家を出て作る立場になって、実家に帰った時に、
お母さんが、こんなんしかないけどって言って、本当になんかもうそれこそ漬物とご飯と味噌汁ぐらいな感じだったんだけど、
すっごいありがたい、みたいな感じだったわけですよ。
娘が一人暮らしをしてます。まだ結婚してないけど一人暮らしをしてて、
帰ってきた時に、同じような感じの感謝を感じているのを見た時に、作り手になるっていうか、
独り立ちするというか、やっぱり体験してもらうじゃない体験をするっていうのは、
やっぱり幅が広がるってことなんだろうね。
それで言うと、やっぱりありがたいなって思う気持ちが何かになるよね。
心の底からありがたいなっていうものが溢れている状態って、
すごくやっぱり気が通っているというか、循環しているというか、
それはね、開いていることだと思うね。
ということは、今日の結論は、みんな料理を作ろうって感じ?
せやる。
誰もが一度作ってみようって感じ?
作って、食べてもらう。
自分で作って自分で食べるのももちろんいいんだけど、
作って食べてもらうっていう体験は、
味の交流だけじゃなく、心の交流がそこにのずと生まれる。
それは結構豊かだなと思う。
味覚から始まっていい話に、深い話になりましたね。
ちょうど18分。
18分って言わんでもいい。
言わなくていいんだよ。
それ言わんでもいいからね、最後の最後に。
見ちゃったんだもん、だって。
でもこれぐらいでね、しときましょうね、今回はね。
ということで、五感シリーズ味覚でございました。
作り手になるっていうことが、開運の秘訣だというところで。
そうですね。
では、そういうことで、今日もありがとうございました。
ありがとうございました。また。
おやすみなさい。
おやすみなさい。