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五感でつながる開運ラジオ
始まり
このラジオは、聞くだけで運が開けていく。
今、そこにあるものに気づいていく。
人生の可能性を開くコミュニティVision Quest主催の川本孝子の
川本昭
そして、その仲間たちが気づきや学びをシェアするラジオです。
ということで
vol.04です。
はい、なってきました。
今回は
五感と開運シリーズ始めていこう
っていうところなんだよね。
そうね、五感つってもいろいろあるので
一つずつちょっと
フォーカスして
これからやっていこうかなということで
一番最初はまず、視覚から
入りますかと。
見る。
見るとこね。
前回ね、五感と開運っていうのはどういう関係なの?みたいな話を
してて、その時にも
音の話も出たり、視覚の話も出たりしてましたけども
今回はあえてね、視覚に
絞ってちょっといろいろ話をしていこうかと。
視覚、目で見るものっていう感じだよね。
目で見えるもの、目で見るもの。
ビジュアルとして
捉えるとかね。
まあね、全員が
目が
視力の問題もあるし、それこそ
特性もあるから
視覚っていうのも、もしかしたら当たり前のことじゃないのかもしれないんだけど
まあ、そうやな、心眼で見るっていう話もあるからな。
ちょっと面白い
なーって思って、これちょっと話したいなって思ったことができることがあったんだけどさ
そう
母の思い出話
私、母が92になる
母がいるんだけど
介護というか、お世話をしているわけですよ。
その中で
母の思い出話を最近ちょっと意識して聞こうとしているのね。
要は
どんな人生を送ってきたのかなっていうことを改めてなんか聞けたら
聞ける間に聞いておきたいなってちょっと思ったからなんだけどさ
その時に聞いた話、話を聞いててなんか面白い体験をしたっていうかさ
何を聞いたかっていうと
母はマサヨって言うんだけど、マサヨさんがね、6歳ぐらいの時の話らしいんだけどさ
近所のテッチャンっていう男の子と、2つぐらい人だったらしいんだけど
テッチャンって男の子と
学校が終わってからなのか、なんかわからないけど
過ごしてた話が面白くてさ
なんかすごい天気のいい日にテッチャンと遊んでたらしいんだよね
で、それが近所の
歯医者さんのお家の縁側に2人で座ってたらしいんだよね
なんかそれがさ、人のお家も全部あの当時開放的だったっていうことだと思うんだけど
2人で並んでお腹が空いたねーなんて話をしながら
結局それはね、近所の駄菓子屋さんに行って
ハマフリの貝に当時は黒砂糖を詰めて
それを新聞紙で包んで、ザルの上にたくさん持って
何円だかちょっとよくわからないけど売ってるっていうことをやってたらしい
お店があったらしい、駄菓子屋さんが
お腹が空いたし、すごく気持ちがいいから
岡田さんっていう駄菓子屋さんに
ハマフリのやつをもらいに行こうみたいなことになったらしいんだよ、テッチャンと話をしててさ
もらいに行って
またその歯医者さんの縁側に
もらってきたのを2人でおいしいねおいしいねって言って
食べてたらしいの
実はそれはお金を払わないでもらってきちゃったってらしくて
当時子供だから
お金を払わないとならないとか
払わないでもらってきちゃうことを盗みというか万引きになっちゃうとかって
その辺が分かってたことがちょっとよく不明なんだけども
話の流れからどうやらお金を払わないに勝手に持ってきたらしい
みたいなことがその歯医者さんの奥さんっていうのかな
2人が縁側で並んでいながら
食べてる様子を聞いて
それをマサヨさんのお母さんに
歯医者さんの奥さんが告げ口して
告げ口っていうかこういうことをしちゃってるみたいなことになって
マサヨさんとてっちゃんはコピドコ怒られたっていう話なんだけど
そのことについてお母さんに
マサヨさんに私が話を聞いてた時に
悪いことだと思ってたのみたいなことを言ったら
子供の幸せな風景
悪いも何もただただ幸せだったんだみたいなことを言ったんだよね
それがその
盗んだかどうかとかっていうことは
今となってもよく覚えてないんだけれども
ぽかぽかした暖かい日で
気持ちいい風が吹いていて
てっちゃんと2人で縁側に座って
足をプラプラさせながら
何もない話をしながらお腹が空いたねって言って
お腹が空いたねって言って
あそこの岡田さんのところにはザルに乗った
ハマグリの黒砂糖の美味しいものがたくさんあるっていうことが分かってて
じゃあ取りに行こうって言って取りに行って
美味しいね美味しいねって言いながらすごく幸せな気持ちで食べてて
それはもう本当に
気持ちの時間だったから
ああいうことをもし誰か子供がそういうことをしてたとしたら
私は怒る気にはならないわっていうことを言ってて
言ってたんだけど私にはその6歳ぐらいの
まさよちゃんが近所のてっちゃんと
幸せそうな風景がものすごい米に浮かんで
それをこうそれはだから
目に浮かぶっていうことなんだよねだから母の話を聞きながらも
自分もそこにいるような景色を見ていて
で
こう
なんかいろんなこう庭に木が生えてる様子とかも勝手に私の妄想なんだけどもとか
なんか椿なのか何なのかお花も咲いてるようなソース様子とかポカポカポカポカしてるような感じでこう
本当にこれイマジネーションの世界なんだけどこう
おかっぱのまさよさんが
当時はもう着物を着てなかったかもしれないけどこうねブラウスとスカートとつっかけみたいなのを履きながら
幸せそうにしている様子
目に浮かんでるんだけど同時にそこにはもうあったかい日差しとか
あと風が吹いてくる様子とか
ちょっとこう
縁側の
木のあったかさとかそういうのもすごい一緒に感じられるなぁみたいなところがあって
なんか目に浮かんでるんだけど
視覚以外のものを感じられるようななんかそこに自分がいるような
あたかも自分がまさよになったような
そういうすごい私も幸せな感じになったんだよね
なんか今の話俺も目をつぶって聞いてたんやけど
このちゃんが思い浮かべた情景とはちょっと違うと思うものの同じような
共感する大野ちゃん
情景をなんか感じ
られた気がして
そうねなんかあったかくて
おいしいねおいしいねって友達とね一緒に
座って過ごしたその感覚
は
話してるお母さんの中にも蘇ってただろうし一緒に聞いてる
大野ちゃんの中にも浮かび
それを話している今
再びそれを感じつつ
俺も一緒に感じてるみたいね
なんか
昭和のなんだ
1930年とかなわけそれって計算すると
そんな時のそんな情景なんて私はもちろん体験してないわけでさ
なんだけどそのリアリティ
を伝えてくれ
そんなになんか細かく躍動感を持って話したわけじゃないんだけど
すごい伝わるものがあってさ
やっぱりこう
そんなお腹の空いた感じも
なんていうのかな多分他に
当時のことだからそんなはまぐりに黒砂糖を詰めた
それで新聞紙なんて
今には本当にないようなお菓子なわけなんだけどさ
まさにそれも体験したような気持ちになったりとかしてね
そうかそれあれやねおばあちゃんをその話しながらその瞬間その当時のそのことを感じたよね
感じてたと思うね
今
ちょっとでもね後日談として面白いのは
なんか母も認知症ってわけじゃないんだけど
その結構
昔の話を聞こうとしても
思い出しづらいんだよね
いろいろ今の話も丁寧に丁寧に聞いていくとようやく出てくるみたいな感じだったりとかするんだけど
この間朝に行った時に全然違うんだけど
あの朝行くと寝てるからさ
何気なく
昨日いい夢見ましたかとかって聞いたら夢なんか全然見ないとかって言うから
そんなたくさん寝てるのに夢見ないのとかって言ってたら夢なんか一つも見ないって言いながら
そういえばこの間てっちゃんと
黒砂糖の飴黒砂糖のそのお菓子を一緒に食べて縁側で食べた夢は見たわとかって言ってたから
私的にはいやいやそれあの夢っていうよりもあの私に話してくれた話じゃないですかねみたいなことをちょっと思ったりしたんだけど
なんか
年取ると子供に帰っていく
夢の世界とうつつがいい意味でこうなってるから
境界線のない感じになってるんだなっていうのも
ちょっと面白いっていうんじゃないんだけど
なんていうのかななんかそういう世界に今母はいるんだなーってちょっと思ったっていうのがあるけどね
年取ると
ある種子供に帰っていくみたいなあるけど
子供もねこの
思考が発達しないかゆえにその感じる世界にね感覚の世界に
いてるからその
現実として感じ取っていることと
空想とか想像とか夢の中で感じ取ってることって
境目ないみたいなね
言われるから近い状態
そんな感じなのかもしれないなぁと思って
なんだけどねでもなんか
ああいう話が聞けたのはすごい
良かったなーって思ってるんだよね
現実と夢の境界
なんか一緒に
その情景を
見てる感じがある
なんかその言葉だけじゃない
何かが
伝わってきてる
そう
なんかすごい温かい気持ちになったんだよね私が
なんだろうななんか
今
ほんと
人生の最後
最終章っていうかを迎えている
母なんだけど
そういう時もあったっていうのかなぁ
そういう時も
そういう時を含んで今
の正予算になってるん
だなあっていうのかなぁなんか
私もちろん私の知らない
なんていうかな
知らない正予算なんだけど
そういう
あったかさみたいなのはやっぱり私の中にも
分かる分かるっていうよりはなんか感じられるものがあったし
それを
共有できてる感じっていうのかななんか
共に感じるみたいな時間があって
なんか
すごい
貴重な時間を過ごしたなあみたいなのが
ある
ちょっと視覚と
開運にどうつながってたかちょっと今よく分かんないけど
まああれやね
ほんまにその目で
見るっていうその
ものだけじゃない
視覚があるよねそこに
そこに
そう
見る見てる
ものを
共に見ながらなんか
そこからもっと
はいはいそんなもの見てるんですねっていうそういうことじゃない
なんか一緒に見てる感じっていうのの豊かさっていうのかな
豊かさってやっぱめっちゃ
ちょっと今こじつけてるかもしれないけど豊かさって
めちゃめちゃ開運だと思うんだよね
うん
まあそれこそさ出来事だけをその
思考で理解しようとすると
そんなことを
泥棒やとかねあのそんなことをするから
あれやとか
いやこうやったらもうちょっとうまいこといくんちゃうかとか
全然違う話に
なりかねないというかね
そうそうそうそうあとなんかそれはなんかいくつだったのとか何時ぐらい
なんか
あのいくらの何でその後誰が言ったのみたいな感じになってくるとこうね
そうだ状況正しく理解するという
目的でいろいろ聞いていくっていうのはそれはそれであるかもしれ
んけど
なんかそのすごい豊かだったんだよねっていう
体験をお母さんとともにしたっていうのは
一緒にお母さんが今まさに話しながら見ている
世界を一緒に見たからこそ
感じ取れた体験だよね
そうよ
もうそのてっちゃんにお会いする機会なくきっとないと思うけど
てっちゃんっていうおじいさんが出てきたらもう
おじいさんに見えないかもしれないぐらいな感じだも私とってなんか
かわいいかわいい小坊主
がありあいと目に浮かぶっていうか
状態とかねなんかあなたが母と一緒に
あの幸せな時間を作ってた人ですねみたいななんかいろいろな
思いも入ってくるぐらいな感じ
なんかなんかなんか嬉しいし
なんかなんかなんか嬉しいしなんかありがたいなって気もするし
そうそうそうそうなんかこんな体験を
共にしたんですねみたいな
感じ
じわっとくるね
そう
なんかこうねじわっとくる感じとかねちょっとこう
暖かい気持ちになるとか
純粋なものにこう触れたときに
やっぱり自分もちょっと純粋な感じになるというか共鳴するみたいなのってあるじゃないですか
あるある
そういう状態がやっぱり結局その開いてるという状態
なんじゃねえかって気がすんだよね
そうするとねこの間のボリューム2の時の話じゃないけど
こう
風押してくれる風を感じたりとか
あるいは自分の中をこう通り抜ける気の流れを感じたりとか
なんか何か
大きなもの
の存在をこう
なんとなく
感じ取れるというか信じられるというか
一緒にいられるように
結果的になるんちゃうかなって気がするよね
そうね
なんか自分一人で生きてる感じじゃないっていうかいろんないろんないろんな存在と関わり合ってる感じがしてくるよね
ということで
はい
四角というところを見た見た目
見た景色とかじゃない心眼心の上で
見るみたいな話になりましたけども
はい
そういうことですそういうことでいいよな
何か
結論とか何か
本当に
本当に
すごい
情報をお届けするっていう
番組ではなくてですね
響きからね
なんとなく感じ取って
もらえると嬉しいなっていうか
なんとなく感じ取り受け取りましたみたいなのねコメントをいただけてめっちゃ嬉しいないよね話をしてましたけど
ことを感じましたとかね受け取りましたみたいなまとまらない話でもあの フィードバックいただけると
嬉しいのでご連絡皆さんお待ちしております はいではでは
今日も聞いてくれてありがとうございましたございました ではではおやすみなさーん
うち