山伏修行の体験
五感でつながる開運ラジオはじまりはじまり このラジオは聞くだけで運が開けていく
今そこにあるものに気づいていく 人生の可能性を開くコミュニティ
Vision Quest主催のココノ アキラ そしてその仲間たちが気づきや学びをシェアするラジオです
ということで今回はアキラの体験を アキラのシェア。何体験ですか
先週では散々のね
小山での修行から帰ってまいりまして アキラといえば山伏、山伏といえばアキラ
いやいやそこまでは言わない 7日間のね、秋の峰っていう
行がありまして、7日間毎日お祈り三昧で 憧れの
やっと抽選に当たりまして 山伏のおっさん120人で
220人
お祈りをされてまいりましたけども この体験のどんな体験だったかっていうその具体的な話はできないですね
これは
親 兄弟
においても 明かす、でからずって言ってるの
鉄板? 暴飲で反抗してきたから
ラジオで言うなんてもってのほかだね
詳細は一切語れないんですが
何をそこで感じたのか まあ五感でつながる会員だからね
何を感じて
どんな作用がみたいな
お祈りしたらこう叶いましたとかっていう そういう単純な話はもちろんないんですけど
ちょっと話せることを話したいなと
楽しみ 私も本舗初公開じゃないですかそれ そうですね
そうあんまりまだ語ってるんですけどね
そうだから
120人で祈る まあその声合わせて祈るっていうのもあるし
でもその 一人一人の行でもあるわけですね
一人一人の祈り 一人一人の修行があって
それこそ前回の話のように 協力して何かをやるとか成し遂げるとかっていうのじゃなくて
祈りの意味
一人一人が祈ってるんだけどみんなで祈ってる 祈り合わせる
そうそれを山を歩きながら
同じ場所で祈ったりはするんですけど
だから一人でいながら
みんなでもいるみたいな
助けたり助け合ったりってことは知らないんだけど
120人のお年たちの存在をすごい感じるわけ
そこに自分もいる
自分につながるいろんな人を思い浮かべながら
その一人一人の健康をお祈りするっていうね
家族もそうだし 拡大家族もそうだし
仕事の仲間もそうだし
引いては世界平和みたいなところもね
国土安納みたいなね
それは日本の国だけじゃなくて世界の国だけ
そういう大きいお祈りから目の前の
私につながるだから全て
友人たちが健やかで
その人の命を生きられますようにみたいなね
お祈りも自分でもしつつ
でも周りでいる
これがね
なかなか説明できづらい感覚なんだけど
自分自身であることと
人と共にいることっていうのが
なんとなくはこういうことなんかなっていうのを
感じる
自分自身でいることと
人と共にいること
それが
同時に存在してるんだけど
例えば
自分でどうしようかなどうしようかなとか
難しいなとかどうやらとかって考えてるときって
自分の世界にギューって入るじゃないですか
自分の世界にギューって入ってると
人とか周りのことがあんまり見えなくなる
そこの世界に集中します
集中すると別に悪くない
逆に言うとその人のこととか
周りのことが気になるっていうと
自分がそれこそ何を今感じてるのかっていうのを
感じられなくなって
周りの人が気になりますみたいな
これどっちかになるんだよね
確かに
なんだけどそれが同時に感じられるみたいな
自分のことというかね
自分がこうありたいとか
自分につながる人のことを
祈っているっていうのと
共にそこにいる山の人たちの存在も
一方で感じ取って
すごいその感覚
いやそうなの
それはもうちょっと広げると
結局その山の中
自然の中で祈る
お堂の中で祈ることもあるんですけど
自然の中で祈ります基本ね
そうすると
自分が感じている
自分の中の世界があり
一方で共にいる山の人たちの存在があり
そしてそれが
自然の中にいるんです
風が吹く雨が降る太陽が射してくる
何か香りがある
鳥の声がするセミの声がする
っていう
中に包まれてるっていうのも
同時に感じる
これがセミの音なんでさ
自然とのつながり
自分のことを考えてたら
聞こえへんわけですよ
でも日常生活で
ふとした瞬間には
なんかすごい鳥の声が
急に聞こえるようになったとか
セミの声が聞こえるとかね
ふとこう
自然のこの何かにさ
意識が向く時があんねんけど
そうすると
そこに集中してるから
自分のことはね
あんまり感じとれへんとか
結局行ったり来たりするんだけど
それが自分も人も自然も
同時に存在
同時に全部
感じている自分が
いるというのかな
感じている感じ
説明しづらいねんけど
それはね
すごい
至福やな
そうだろうね
世界はこんなに素晴らしい
それを感じたのは
今回初めてだったの?
いや
あの
初めて
思い返す初めて
行った修行は
星野仙達っていうね
2003日のやつ
だけど2017年やから
その時にね
ふとそういう感じ
感覚を感じた
のが一瞬あったんです
一瞬?
一瞬
その体験がなんなんやろ
っていうのが残ってて
またもう一回行きたいみたいになった
そうなんだ
思い返すのね
へぇ
今回は?
今回もそうで
だからこの
7日間の業に初めて入ったのは
2010年
7年の後
18年に
7日間の業にも
入りたいと
そこで山節の
万業者の山節の名前を頂ける
と聞いた
2年目ね
2回目
1年目
7日間の山節の1年
星野仙達の2003日
の翌年に
申し込んだ
あの時
あの時も
ずっとそういうのを感じたんじゃなくて
7日目の一番最後の業で
小さい滝なんやけど
滝まで行って
滝でお祈りして帰ってくる
っていう
YouTubeにある
ある場所があるんですけど
そこで
滝まで行って
滝に向かってお祈りしてる時に
滝から
ものすごい風が
自分に
そう
これはね
明らかに
俺に
メッセージを
送ってくれる感じがして
ちょっとしたしぶきと風が
来たのは
完全に言葉じゃなくて
また来いよって言われたの
また来いよってくれたの
言葉じゃなくて
受け取ったんだね
すごいね
受け入れられた感じ
小山に
あの
7日間の業は
まずは参加したいというだけで
その後も続けて参加しようと
もちろん思ってなかったんだけど
まず参加したい
最終日に
その風の
ものを受け取って
また来ていいんや
また来たい
そんな感じが
って翌年も
今回は
コロナ
6年空いた
19年が2回目だった
今回3回目
3回目もね
そう
さっき話したような
感覚は今回は
7日間を通して
なんかあったんやけど
今回も最終日
来るね
滝のとこに
同じ滝?
今年は水が少なくて
チョロチョロ
水少ないなと思って
してたんやけど
そこで
なんやろな
いいんですか?
俺が感じたことやから
滝に行くこと言っていいんですか?
さっきからずっと気になってたんだけど
滝はもういろいろあるから
滝行をするわけじゃない
滝に行ってお祈りする
お祈りしたときに
水がすごいチョロチョロ
すごいチョロチョロ
すごく
川の始まり
というか山
川の始まり
こんな感じ
チョロチョロやけど
それが繋がって大きな川に
繋がっていくわけで
始まりの元がここにあるんやな
と思って
川元ってそういうことや
おーすごー
大きい川の元
そう思ったの
そうかと
俺の苗字は
こういう感じか
山伏修行の体験
すごい
思いながら
織りながら
その滝の上が
木で追われてるんだけど
木の隙間から
急に太陽がピカッと
飛んでんじゃん
大陽の光
木漏れ日的にね
玉英じゃない?
いやいや、あきらがある
あきらね、火の光ね
川元、あきらーって聞いて
おー
おめでとう
俺の山伏名もね
あきらから多分持ってきて
朝日の玉英でね
玉英か
朝日の玉英で
栄える玉英っていう山伏名をね
叩いたんですけど
この元のあきらっぽ
みたいな
みたいな
へー
祝福されてる
うん
俺の
俺を
象徴する場所
みたいな
大事な場所かもね
もう一回
山伏7日間だけど
山伏7日間だけど3回入ったら
ふとだすきというですね
うん、もらってましたね
なんか
オレンジだろ、みぞりだろ
締めて
自分を守る結界の
役割
それがね
ちょっとええやつをもらいましたね
良かった
それ嬉しいです
その伏名の時に
そういうことか
みんなそれぞれの名前も
もらってるじゃないですか
名前って大事だよね
生まれて
親がね、いろんな思いを
埋めてつけてくれた
名称をあらすというけどさ
その名前って
なんやろな
それこそその
自分がどうありたいっていうのもあれば
人との関わりでっていうのもあれば
あれはその自然の恵みを
っていう関わりもあるしさ
自分と人と
自然っていうのを
多分
なんやろな
合わさって
多分親が考えてつけてるんだけど
親も多分ね
何かにつけさせられてるような
ものもあるような気もするんだよ
子供がそれを望んでくるとも
言われる一説にはね
何しかそんな
そうつける
流れに
親がさせてるような気もする
それはだからやっぱり
この
世に
この時代にこの国に
このタイミングで
命を授かったというか
命として生まれてきた
自分の意思でね
生まれてくるとも言われるし
命をねいただいて
その意味が
多分
一人一人にある
なかなか
おおそうか
感じるタイミングってそろそろないねんね
でも多分
そう
一人一人の命はそういう
何か
意味を持って
生きてるようになってくるね
名前にねつながるってすごい
大きなことだね
でもね
自分という存在と
つながり直すというかね
自分を自覚するというかね
結構こういう自分はいまいちやな
とかね
いまいちな自分を見せたくないとか
ええかっこしたいとかね
やっぱりこうあるわけですよ
けど
そういうのも
ないことにしないで
あることにした時に
こうしちゃいけないって
ビビってるほど
なんていうかな
狭くない
丸ごと受け入れられてる感じ
そうそうそう
何が起こっても
そう
受け止もうっていうのは
しんどいことが起こっても
それを受け止めるんだとか
っていう思考的なことというよりは
そうでしかない
そうなんだ
受け止もうってね
山節の
場というかさ
だけど
どんなことも
受け止めなきゃならないみたいな感じ
よりはもっとそういう
大きい意味だろうなと思ってたけど
ただ
ただというか
命がそうある
っていうことを
そのままそうとして
認知するみたいな
自覚するみたいな
それはね
後付けでその体験をちょっと
説明はしてるけど
結構
震えるね
何かが
震えてるのは
命だよね
いやほんまね
だから
その命をね
死んだら体験できへんから
って死なないように
リスクエッチしたりする
そういう働きも命の働きとしてあるから
それはダメじゃないんだけど
それを
自覚
そういうのもあるなって自覚してると
そういうのもあるって自覚してないで
同じパターンに知らんまに入ってる
みたいに
ならないように
みたいになっちゃってることって
私もあるわけですけど
ああいうの
そうかこれが
俺の元はここか
これかみたいに
体験が体にあると
多分なんかちょっとこう
あり方というかね
佇まいが変わるような
もうすでに変化してるような
気持ち
別に悟りを得ないだというわけではないんだけど
なんかちょっと感じが違う気がする
本当に体験した瞬間に
何か変わっていくよね
世界が変わっていく
って言うと
ねえなんか
というですね
詳細はしゃべれませんけど
体験はしゃべれたという
体験はしゃべれた
すごい体験
持ってきましたね
ラジオのために撮っといたそれ
初めて聞いたけど
初めてだった
バタバタしてて
話すあれがなかった
ちょうどよかった
初見で聞きましたけど
ゆきちゃんのおかげで
こういう話もね
いいタイミング
グッドタイミングでした
名前の
名前と
自分が
大自然の中で
めっちゃ一致するって
すごいね
名前と自分が一致したね確かに
すごい
ありがたい
お祈りですよ毎日
お祈りしましょう
お祈りね我々
お祈り週間がね
毎朝ね
朝できへん時は
移動中とかね
やっぱりお祈りするって
すごく大事やね
なんかうまく言えないけどね
うまく言えないけどね
お祈りってこの
自分がなんとかできますように
繋がるね一人一人の
人の健康を
祈るっていうね
その人がその人でありますようにって
祈るっていうね
それは多分自分にも結果的には返ってくる
同じことなんやろうけどね
その人がその人でありますように
っていうのって
本当にまさに
自分はこういうことかっていう
のにちょっとずつでも
繋がり続けるっていう
こと
だよね
山節修行よろしくございました
お祈りの重要性
ありがとうございました
今回も聞いていただいて
ありがとうございました
それじゃあね
うち