一番最初は母が英語の教師というのがグローバルへの第一歩で、
次は高校の時に1年間だけアメリカのミズリ州に留学しまして、
そこでぐっとアメリカと距離が縮まって、いつかアメリカで何かやりたいなって思いは常にありました。
インターネットは?
インターネットは、もともと大学入った時は弁護士になりたくて法学部に行ったんですけど、
そこら辺でミクシーがパッと流行って、インターネットすごいなってなって、
アメリカで挑戦っていうのは一つのテーマだったんで、
弁護士で挑戦するよりもインターネットで挑戦のほうが距離が近いんじゃないかってことで、
インターネットを選んだのが大学3年ぐらいですね。
そこでアメリカかけるインターネットみたいなのが出てきたってことか。
そうですね。
なるほどね。
それで、ある程度いろいろやりつつ起業しようってなったっていう。
それが2011の夏ぐらいですね。
確かに。結構前なんだね。
はい。13年前とかですかね。
私が言うのもなんですけど、お互い別に若手でもなんでもない年齢になってきましたね。
そうですね。
確かに今は、一番最初に、それこそ今のメルカリの山田慎太郎さんと出会った時に、
すごい貫禄があって、すごい先輩がいるなと思ったら、
今、その当時の慎太郎さんと同い年だと思うと、なんか結構愕然としますね。
こういうと、自分も松山大賀さんって師匠に初めて会った時に、
たぶん23歳ぐらいで、当時33歳の人があって、おじさんだなと思ってたんで、
遥かに超えた年齢になったなっていう。
確かに。オフィスを使わせてもらった時のあの時の大賀さんは、今の我々よりも年下だったってこと?
そうなんですよ。
あの頃が、僕がだから26、7だったんですよね。
26、7なんで、本田さんと大賀さんが36、7だったんですよ。
あの人たちだからすごくない?と思って。
10個下の人と真顔で一緒に働いてるって、当時のあの人たち。
あの人たち結構成功してた人たちなのに、我々を引き連れてよく真面目な仕事をしたなと思って。
確かに。それで人生変わった我々を含めて人多いですからね。
ちょっとすいません、これだいぶ昔話から入っちゃって伏線を引くとですね、
私がもともとイース・ベンチャーズにいた時に、フリーカウトって会社の立ち上げをやらせていただいていて、
それでフリーカウトの本田さんや、イース・ベンチャーズの松山大賀さんと一緒にシェアオフィスをやっていた時に、
当時だからエニーパーク。
そうですね。最初ミープルという社名で。
ミープルだ。前身やる時の福山さんがオフィス一緒にいたので、その時だから結構一緒にいた時ですね。
そうですね。土日もなく朝から晩まで。交通費もなかったので自転車で高円寺から帰ってたのを覚えてます。
一般的には日本でやった方がいいんじゃないかなと思うんですけれど、
唯一お勧めというか僕も頑張った方がいいんじゃないっていう時は、確率とかじゃなくて人生一回だからもうアメリカでやるんだみたいな人はやっぱりもうどっちがいいっていう次元の話じゃなくなってくるので、
そういう人たち、僕もそうでしたし、そういう人たちがいたら全力で応援したいなと思うので、
合理的な奥にあるロマンというか感情というかそこでもう人生一回だからアメリカだって人はアメリカがいいんじゃないかなって。
コスパ論的な質問してくる人には勧めないってことですね。
どっちか悩んでる方は日本がいいんじゃないかなというか。
なるほどね。やってみて結局何が一番大変なんですか?
それこそネイティブな人が挑戦していくのもあるし、僕らの投資させてもらっている会社だと、
それこそジョーシスとかテイラーとか我々ね、それこそやっぱりベイエリアで頑張るとかをいろいろ考えながら、
全然そっちを遠回りして福山さんから送れること10年。
10年遅れて3年ぐらい前からみんなでやっぱりベイエリアなんじゃないかってやってるんですけど。
かっこよく言うと競争戦略とかそういう回答もあるんですけど、一番はちょっと寂しいというか。
さっきの話じゃないですけど、企業化ってやっぱり孤独なんで。
やっぱり日中頑張った後にちょっと同じステージの企業化とこんな辛いことあったっていうのを、
社内で言えないことをポロッと言って、お互い俺もそうだったよみたいな言うっていうのは結構原動力になるし、
その中で成功する人が出てくると自分もいけるんじゃないかと思って頑張るってところがあると思うんですけど、
異国の地に行くともちろんYコンビネーターとか同じステージの企業化とかそういう仲間がいるものの、
やっぱり心の底から本当に悩みをトロできる関係を築くのって結構大変なんで、
そういった意味では特に当時あんまり日本人も多くなかったので、そこは結構寂しかったし辛かったなっていうのは私はありますね。
なるほど。
当時日本人でやっていく人って本当に、今も別にそんなに多くないけれど、それ少なかった?
そうですね。当時は企業化で言うとトレジャーデーターの吉川さんとか、
ただタイミング的にはソーシャルゲームがあった時もあったの。
例えばグリーとかDNAや、それこそ青柳さんとかが当時サンフランスコにいた。
確かにね。でもそれぐらいか。確かに。
僕らもいろんなこと考えてグローバルで戦う。
あとは世代もあると思ってて、僕らの世代ぐらいはやっぱりベイエリアンに対する憧れが結構プリミティブと言いますか、
理由がない。
ロジックじゃなくて、やっぱり自分たちがインターネットとかスタートアップを好きになったタイミングに
Googleがあって、Googleの大体学生時代ぐらいにキャンパスに一度行き、
あれを見てああいうものが作りたいっていうのが最近いろんな企業で話してて面白いなと思うのは、
上が50歳ぐらいから下が35歳ぐらいまでの幅の人が
グリーノ・アラキさんっていう尊敬してる企業家の方がシリコンバレーコンプレックスっていう素晴らしいワードで表現したんですけど、
やっぱりベイエリアンに行ってプロダクトでグローバルに戦いたいのだってところに強烈な欲望がある日本人が多くて、
その下って結構様相が変わってくるなっていうのは最近感じてる。
確かに。それかもしれないですね。
同世代のとかちょっと上の企業家の人たちは大学時代シリコンバレー行ってましたとか、
結構シリコンバレーツアーは大学生向けにあったりしたんで、あの時感度高かった人は結構シリコンバレー行ってた人は多いでしょうね。
ジョージス・マスモットさんも僕も僕の奥さんのナオコさんもパーク社のエネマもみんな学生時代に同じ時期に、
みんなバラバラなんだけどベイエリアン行ってて、やっぱこういうのだよねってなってるんだけど、
実はこれって下の世代共通ではないっぽいっていうのが最近の発見。
下の世代どこ見てるんですか今。
なんかこれも、これはまた別でグリーンの田中さんとかの話だけど、
企業家の質が変容してきたというか、そもそもここの世代より上はどっちかというとテイクアンドギブニーズののじりさんとか、
ビジネス感覚が鋭い人が各産業で戦っていくみたいな人が多くて、今20代の企業がそれがまた増えてきてるなって感じがする。
インターネットプロダクト×ベイエリアンみたいなところからあんま来なくて、
様々な産業でビジネスチャンスがあるのであるっていうのでしっかり稼いでいく。
ある意味地に足がついている。
シリコンバレーに夢見た人たちの側からすると、なんかもうちょっとグローバルとかって言うんだけど、いやそういうんじゃなくて。
例えばSESとか人材紹介とかでしっかりと収益を上げていくのである。
なるほど。
初期から黒字にして、これはマーケットの反動もあって、やっぱりハイグロスで上がっていったら高い株価がつくってものから、
反動でやっぱり収益性がすごい取られた時代に変わってきたのと、この世代論で混ざってくると、やっぱり人材紹介とSESがすごい強いんですよ。
確かに。特にB2Bサーツとかも、僕らは大学卒業してすぐ結果的にB2B行きましたけど、
お客さんの立場になったことがないんで、本来であればインサイトがない状態での企業は、やっぱりベイエリアでも35歳以上で1回どっかの会社に入って、
中のプログラムを見つけて、それをやる人が増えている。確かにその流れがあるかもしれないですね。
そういう意味では、テイラーもジョーシスも2回目の企業で、来せずしてアメリカにおけるサースの企業の年齢に近い年齢になって、
ユーザー感覚を持ってサースを作れる年齢になってきたなっていうのが、僕の世代では起きていて、
若い世代はまた違う企業の情熱ができてきるんだなとか、最近すごい面白い。
VCやられて何年ですか?
13年でございます。
VCやってどうですか?面白いですか?
最高に幸せですよ。
本当に?
企業ももちろん楽しかったですし、最高だったなと思ってるんですけど、やっぱり一番大変だったのは人のマネジメントとか採用。
特にベイリアーは当時は1.5年で人が転職するって言われてたんで、採用しても採用しても人辞める。
もちろんうちにも原因があったかもしれないんですけどとか、そこら辺はすごい辛かったんで、今今回ソロGPって私一人でやってるのもあるので、
一切その人のマネジメントとか関係なく、アメリカにいるとき日中はアメリカの会社にバーっとあって、夕方から日本のスタートアップとバーっとあって、
そのまま疲れて寝るみたいな生活なんで、こんな幸せな人生ないんじゃないかって最高に満ち溢れてます。
日本の中ではまだまだ企業化がスタートアップ、ベンチャーキャピタル、支援側に回ってくるの結構少ない流れなんですよね。
それこそ福山さんはYCのコミュニティから起業していってエグジットしていくって言ってるんですけど、結構あるんですか?この投資家になっていくって。
そうですね、結構キャリアとしては一回エグジットした後に投資家になる。
エンジェルを最初やってそのままフルタイムになる人多くて、パターンを周りを見てみると、5年以内に会社を打った人はもう一周してるというか、もう一回起業する人が多いですね。
それなんでなんだと思う?
10年以上やるとVC投資家になる人が多いんですけど、やっぱりやってる間は楽しいしアドレナリンも出るし頑張るんですけど、
いざ一旦休憩モードになるともう見えない傷が体につきまくってるというか、それこそマネジメントでつらかった時があって、いざもう一歩踏み出そうと思っても、
1回目10年以上かけて登った山をまたゼロから行くのかっていうのは結構心理的ハードルが高くて。
なんで投資家に回る人多いんじゃないかなっていう風に思ってますね。
なるほどね。福山さんもその近い心理なんですか?
そうです。やっぱり会社を売って離れて、いざ次やるぞってなった時、最初の選択肢はもう一回起業しようかなと思ったんですけれど、
やっぱり1回イメトレして、もう一回採用面接して、ワンオンして全体会議で頑張ってモチベーション上げてるのに、
次の日辞めるみたいな、あの景色をもう一回やるんだみたいな思うと、ちょっとまだ一歩踏み出せない自分がいるっていうのはありましたね。
僕もちっちゃい会社なんですけど、スタートアップをやってるつもりなんですけど、
なんか自分でやっぱりナオコの企業とか見たりとか、自分でフリーカウトとキャンプファイヤーは本当に創業メンバーとしてやらしてもらってて、
これはこうなんか、魂が尽きるぞというか、これ人生で、あと当時の本当にすっごい覚えてて、人生で打てる回数に限界があるな。
これ寿命論というよりは魂込めて出してるっていう、当時はすごい古い例えなんですけど、
悠々白書の霊願みたいなイメージだと思ってて、これ打てる本数に限界を感じるなみたいな、
そんぐらい何か自分の魂の一部を切り売りしてるというか、別に打っちゃないんだけど、なんか込めてるなって感じがしてて、
自分がもう一回ファンド作れるかというと、これ今13年やってるんですけど、13年、もう一回これ人生込めて、
お金集めて、起業家に投資させてくださいってお願いしに行くのかと思うと、結構大変ね。
10年超えるときついですね。5年とかだと麻痺してるんで、もう一回行けちゃう人が多いんじゃないかな。
日本だと10年やってちゃんと伸びてるとほとんどが上場すると思うので、そうするともちろん上場したらすぐ辞めるとかもないと思いますし、
エンジェル投資される人もいると思いますけど、結局本業やったほうがいいよねってなっちゃうので、
そうするとやっぱりもっと起業家の投資家っていうのは、今あんまり日本いない一つの理由なんじゃないかなと思ってますね。
起業家の新陳代謝がなかなか進まないっていう。
そうですね。今M&Aが少ないとかこの辺の理由としてもあるんじゃないかなと思うんですけど、
そういった意味で10年以上やってM&Aっていうのはなかなかないっていう意味ではいいタイミングだったんじゃないかなと思ってますね。
確かにね。確かに。
日本もやっと2回目って人がわさわさっと出始めたのが、僕らが今5号目のファンドを運営してるんですけど、
4号目のファンドがスタートした時の2020年ぐらいの時から、
片目打ちで知り合える企業が自分と同世代で、そこテイラー、ジョーシス、ノットワー、ホテルとかを片目打ちでやらせてもらったのは、
初めて日本でそこそこの年数をしっかりやらせてもらって、
フォンドと同じで株主とか従業員とか非買収側とか全体のステークホルダーにちゃんと筋を通して会社をやりきった人がもう1回起業するっていうのが出てきて、
これ日本の中で新しい節目。
ベイユリア見てるとこれが当たり前のエコシステムなんだけど、
日本ってこれがまだないなって時に初めて出るかもって言って、
僕らファンドの予算の実は半分ぐらいをそこに片目打ちでやってて、
結果的にこれは結構面白かったなって。
当時はベンチャーキャプテンの全体からするとバリエーションが高いし、プロダクトがない。
今までのバリエーションの感覚だと投資できませんって全部意思が跳ねてる中に、
うちが全部出しますって言って全部片目打ちで7社か8社ぐらいかな。
さすがです。
それこそさっきレイヤーXの福島さんも含めて、
当時ブロックチェーン事業だったんでブロックチェーン事業で出しますって言って、
半年後ぐらいには違う事業にしますって報告が来てる。
そうですか。
今思えば10年前なんであんな意思決定したんだろうなっていっぱいあるんで、
その経験を経てもう一回挑戦できるってやっぱり強いですよね。
なるほど。でもその時にベンチャーキャプテル以外は考えなかったですか?
その時はマネジメントがちょっと大変だったなっていう結構そのつもりは正直強かったんで、
テーマとしてはスタートアップに関わりたい、世界に挑戦し続けたい、
マネジメントをやりたくないっていう軸でいくとあんまり職業的になくて、
それとソロGPのファンドっていうのが一番3つを兼ねてるんじゃないかってことになりましたね。
マネジメントね、確かに。
今は全然調整的な限りノットアホテルって始め、
従業員9名以下でやるっていうのを目指してた時期があって、
それはやっぱり多分今の話に近くて、
濱川さんってZOZOですさまじい組織を率いてたので、
多分ある意味ちょっともう次はシャープにやりたいみたいので、
創業してから1年半が経った時に諦めましょうって話をしたことがあって。
大きい事業体をやるんだったらそこら辺はもう諦めようって言って、今200人に。
素晴らしいです。
そうですね、事業を大きくしようとするとどうしてもそこの制限はあると思うので。
でも一方確かにマネジメントとかに日々葛藤したりすると、
これ一人で限界までいけると、
自分のソリッドの才能を生かしきるには組織化しない方がいい瞬間もあるなっていうのは。
特に投資家としてはやっぱりチームが大きくなってしまうと、
例えば日米両方に投資していってチームが別々になっちゃうとか、
この人に投資してもらいたかったのに違う担当の人ついちゃったとか多少出てくると思うんで、
そういった意味では最初の送信から意思決定からサポートも全部自分でやるんで、
どこまでいけるかわかんないっていうのは多少ありますけど、
そういった意味では清川のヒカルトから見るともしかしたら、
いいところもあるんじゃないかなと思ってますね。
それはそうだよね。
手、割と大きくなっちゃったんですけど。
いやいや全然。
自分も4年間くらいは完全ソロでやったんで、
ソロの良さってすごいわかるし、
ソロで40社くらい投資したときに、
これどうすんだっけってなって、
だからそれはそれで相方はある。
どっちも大事ですし、エコシステムではもちろん大きいファンドもかなり大事だと思いますし、
ソロでやることも大事だと思うので、
いろんな形が増えていくと日本のエコシステムでいいんじゃないかなと思います。
すごい真面目な人みたいだね。
ありがとうございます。頑張ってます。
ということで第17回目は福山太郎さんにお越しいただきました。
今回は福山さんの起業家としてのお話に向かってきたんですけれど、