1. ハートに火をつけろ by ANRI
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2025-02-04 27:45

#021 コーポレートガバナンスの変化と多様性への認識の変化。キャシーさんがウーマノミクスを提唱するに至るまで【ゲスト:MPower Partners ゼネラルパートナー - キャシー松井さん】

今回のゲストは、MPower Partners ゼネラルパートナーのキャシー松井さん。

キャシー松井さんの波瀾万丈な生い立ちから、ウーマノミクスを提唱するまでの道のりを詳しくお話しいただきました。

※本編内で、Mpower Partnersの「代表」とご紹介しましたが、正しくは「ゼネラルパートナー」となります。


●エピソード詳細

・オープニング

・波瀾万丈!キャシーさんのこれまでの人生

・英語話せずツテもなく、0からのアメリカ挑戦を決意した父親

・幼少期から、働いて稼ぐ感覚は身についていた

・ハーバード大学に受からなければ畑を継いでいた?

・奨学金を得て初の来日

・2度目の来日で感じた"金融の面白さ"

・ゴールドマンサックスからの誘いを受けた理由

・ウーマノミクスの出発点となる原体験

・日本の未来が明るくなる為には女性人材の活用が必須

・アベノミクスで初めて政府が言及した多様性

・政府が多様性を平等性の観点だけでなくビジネスの観点からも言及するようになった

・日本のコーポレートガバナンスの改革と多様性への認識の変化

・エンディングトーク


●ゲスト紹介

キャシー松井

アメリカ カリフォルニア州生まれ。日本人の両親の元で育ち、ハーバード大学を卒業、ジョンズ・ホプキンズ大学の修士号を取得後は、日本でバークレイズ証券に就職。4年後、ゴールドマン・サックスからヘッドハンティングされたことをきっかけに転職し、そこで日本初の女性パートナーまで昇格。現在は、2021年に村上由美子、関美和と共同で設立したMPower Partners Fund L.P.でゼネラルパートナーを務める。


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00:05
ハートに火をつけろ。
こんにちは。創業期のスタートアップ投資に特化したベンチャーキャピタル、ANRIの代表、佐又安里です。
この番組では、毎回様々な企業家精神を持った方をゲストに呼びし、企業背景や目指す未来など、その人を突き動かす熱について深く掘り下げていきます。
今回のゲストは、MPower Partners代表のキャシー松井様にお越しいただきました。キャシー、今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まずは、キャシーのこれまでの経歴について簡単に自己紹介いただいてもいいですか?
はい、もちろんです。私は日系2世アメリカ人ですが、両親は奈良県出身で、60年代の初期の頃に10日間の船乗って奈良県から、本当は横浜港からカリフォルニア州に渡り、その翌年に私が生まれました。
今のシルコンバレーのマウンテンビューで生まれました。
そっか、マウンテンビュー生まれ。
当時は全然シルコンバレーではなかったですよ。
確かに。
同田舎のところで、ただなぜその辺に着いたかと言いますと、父が農家でしたんですけれども、そのマウンテンビューの中にいた菊の農家に会ってですね、その方の下で働くようになりました。
で、私がマウンテンビュー生まれでしたんですけれども、数年後、父がなぜアメリカに行きたいということですけれども、彼もね、奈良県のどいなかの家族に生まれ、5人兄弟の長男でしたんですから、おそらく日本に残れば、パパのご家族が持ってた、小規模の畑ですね。
それを継ぐっていうことも目に見えてたわけじゃないですか。
で、実は母とパパがこの旅に移るというか、永住する前に、実はその前の前の年に父が農業実習生として、アグリカルチャートレーニーとして1年間、アメリカの同じカリフォルニア州で農業実習生という経験をしたんですよ。
その時は初めてアメリカを発見しですね、やっぱり戦後の日本とアメリカじゃないですか、あまりにも規模の違い、広さ、圧倒され、もう絶対僕が、やっぱり奈良県の田舎よりもアメリカのビッグマーケットに挑戦したいということで移ったんですよ。
パスポート1万円札1枚、英語なしで行って、なんとかなる。
その時ね、私のおばあさん、パパのママが横浜港でバイバイするでしょ。
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バイバイした時にどういう言葉を言われたかと言いますと、パパにこの国出たらもう2度も戻らないよと、っていう冷たい言葉で送り出しました。
すなわちパパにとってはアメリカに行くこと、挑戦していくことは成功するオプションしかなかった。
失敗したらもう2度も実家に帰れないというプレッシャーもあってですね。
それはパパの、思って言えばもう清香精神満載の父でしたので、当時もちろんお金も何もなくて、私が生まれたのが、もうトレーダーハウスに住んでたんですよ。
で、姉もすでにいまして、私はおそらく4,5歳の時に父が、やっぱり自分、よその畑で働くよりも自分のナーセリを持ちたいということで、
で、めっちゃある銀行に紙に書いた、一枚の紙に書いた事業計画を出してですね、10年後、これぐらい大きい規模のお花の畑を作りますと、保証しますということで、ものすごい大規模のローンを成立でき、そこから松井ナーセリの誕生でした。
50数年前ですね。
で、当時は菊の花、その後バラに切り替えて、いまはランのアメリカの最大手の生産者になっています。
アメリカ市場の2割占めています。
お父さんは本当にまさに企業家的な方だったってことですよね。
大変でしたよ。
特に英語できず、何のコネクションもなく、ただアメリカって、そういう人でもチャンスを与える国じゃないですか。
だからそういう意味で、もちろん父の前に、前の世代もいましたんですよ。
日系の方で、たとえばほとんど鹿児島県から来ましたけれども、
そういう人たちすでに、私ども今のナーセリがあるところに住んでいましたので、ある程度の日系コミュニティーが存在していましたから、
割と居心地のいい場所を見つけてできたんですね。
ただ、私たち4人兄弟を含めて、そのエリアに住んでいる日系ファーマーの子どもたち、私の友達、全員児童労働。
当然ながら、子どもをとにかく週末、夏休み、バレンタインデー、母の日の前でしたら、必ずお手伝い。
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そうか、確かに。花の需要があるってことは、イベントがあるときの前だから。
それだけではなく、夏休みとかね。
かなり小さい時から、お小遣いという概念が全くなく、働けば少しお金をあげるよっていうような感覚で。
だから、私は当時、みんなも、私の友達、兄弟を含めて、嫌でしたんですね。
なんで私たちだけが、こういうね、結構温室の中で暑いし、こういうふうに腰を痛むような仕事でしたんですけれども。
なんでこういうことをやらせるのかって、ずっと思ってたんですね。
そうか。
ただ、もう一つ、ちょっとこれ長い話で、長すぎるんですけれども。
私、姉がハーバード大学を合格したんですね。
受かって、私が次なんですよ。
で、父が私に、私、そんな姉ほど成績良くなかったので、ケッシー、もしハーバードを受からなかったら、この畑を育ないといけない。
ちょっと反情だったんです。
すごい。
あの強烈なプレッシャーをですね、もう地獄のようなプレッシャーでしたので、とにかく何でもやるから、一生懸命、必死に勉強して。
で、実は4人兄弟、みんなハーバードに行けてきました。
そういうことね。ハーバードに行けば、津がなくていいっていうルールで、すごいプレッシャー。
もちろん、半分冗談ですけど、半分リアルですね。
面白い。
僕がケッシーをすごい興味深いなと思っているのは、僕もともとやっぱりケッシーって、なんか本で読む人だったのね。
金融エグゼクティブっていうイメージだったけど、初めて仕事の場で一緒になって、すごいパッションがあるアントレプラなっぽい人だなって思ったのが1回目。
あとは、その後に日経新聞かなんかで、ご家族の話を見させてもらって、いわゆる僕がイメージしている金融エグゼクティブの人生とすごい違ったの。
で、すごいいろんな人生のストーリーを聞いて、あ、こういうふうに起業家的に生きてきたんだなって。
変なバックグラウンドね。
でもなんかその、やっぱり意思決定の軸とか、その人のバックグラウンドを知るって、僕はすごい大事だと思っているし、起業家もそういうのは大事だと思うし。
っていうので、キャッシーにすごく興味が出てきて、やっぱりその時何考えたんだろうって聞きたくて、聞くのに一番いいのはポッドキャストに呼ぶっていう。
すみません。
それでハーバード行って、そっからすぐにゴールドマン?
いえ、ハーバード卒業した直後に、私もともと当時すぐ大学院に進む予定だったんですよ。
ただ、たまたま私の地元のロータリークラブから海外留学の奨学期もらったんですよ。
その奨学期のきっかけに、初めて日本に来る機会を得ました。
それまでは、私一度も日本に来たことなかったんですよ。
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そうか。
すごいレアじゃないですか、2世でも。
で、初めて日本に行けるぞっていう、それおまけに1年の奨学期が普通ですけど、
2年ももらえたんですよ。
1年目は、集中日本語勉強。
で、2年目は、私たち14名、世界中からのグループだったんですけど、
2年目は、どっかの日本の大学院ですね、研究とか勉強できる機会をいただきました。
これは、ですから、1986年から88年でしたので、
本当に日本はワイワイっていう、バブルのことでしたので、
超楽しかったんですよ。
我々が王様、女王みたいな扱いで、
ロータリー、世界のロータリー、小学生、日本に参りました、
いろんなパーティーとかね、いろんなリセプションとかね、
すごい楽しかったんですよ。
ですから、あの2年間がなければ、おそらく私今日日本にいない。
その経験から、日本に興味を持つようになって、
その経験から初めて、私、それまで会ったことなかった親戚、
例えば、おじさん、いとこたち、もちろん何人、アメリカに遊びに来たことあったんですが、
正直、私の日本語が今でも下手ですけど、当時はものすごい下手なんですよ。
あまりコミュニケーションできなかったんですね。
おはようございますとか、それ以外は。
ですから、初めてフルな会話ができたのが、すごい嬉しくて、
両親が、例えば戦争のとき、全然話がしてくれなかったんですよ。
まあ、おそらくすごい忘れたい時代だったんですから、かもしれないけど、
私の父のお父さん、私のじいさんが、ものすごいしゃべる人なんですよ。
少しウィスキー入ったら、もう3時間話せる人で、
ものすごい学んだ時期でもあったんですよ。
で、その後、アメリカに戻って、大学にちゃんと進学し、
その修士課程の間の夏、再び日本に来る機会を得たんですよ。
そのときは、なんと旧三井銀行の、初めて海外からの研修生でしたんですよ。
制服着て、日比谷本店で、資本市場部のスワップスデスクに配属されました。
で、あの3ヶ月弱ですか、あれもね、めっちゃ貴重な経験でしたね。
そこで学んだのは、まず日本がもっと好きになったこと。
そして金融がすごい面白いこと。
ただ、私にはちょっと日本の、すいませんけど、
日本ドメドメのところでは、ちょっと合わないかもしれないと。
日本の金融はそうね、本当にいわゆるドメスティックな。
ただ当時はね、時価総額、世界の時価総額トップの、入ってたじゃないですか。
だからすごい皆さん、なんか誇りに当然持ってたし、憧れの世界だったじゃないですか。
12:06
で、もう一つ偶然のことが起きたのは、私の主人に会いました。
ドイツ人のイエスパーですけれども、
彼が私の大学院の先輩になるんですが、
すでに日本に住んでて、働いてたので、その夏にお会いしまして、
私、大学院に入学したとき、一度も日本で就職あるいは生活するなんて考えてなかったんですよ。
もちろん、留学したときはすごい楽しかったけれども、
おそらくアメリカに戻って、アメリカで就職するのも、そのルート、そのジャーニーしか考えてなかったのが、
そこで恋に落ちてですね、ガラッとプランチェンジになって、
で、大学院の最後のコマを、最後の試験終わってですね、
卒業式も出なかったと思うんですよ。覚えてない。出なかったと思う。
もうすぐ片道の飛行機切符を買って、彼と一緒にいるために戻ったよ。
彼のせいですよ。
面白い。
本当に人生って、私の場合すべて偶然だらけですね。
キャッシーは結構さ、パッションで生きてる。
そう見えないかもしれないけど。
あまりにもゴールドマンのイメージが強いの。
まあね。
でも、僕は日々いろんなプロジェクトを一緒にやらせてもらうと、全然違う。
パッションとか、社会ってこうなった方がいいよねって動いてるキャッシーを感じるから、
今の話の方が結構納得感ある。
そうか。それでこうめぐりめぐって、日本と金融にたどり着く。
そう。で、もうメールの時代の前ですよ。
あなたが生まれる前だと思うんですよ。
いわゆる、日本に来るでしょ、再び。
で、主人が働いてる。私は就職活動ですよ。
略歴書を一生懸命日本語で書いて、わけわかんない日本語のテンプレートを使って書いたり、
カバレータ書いて、フート入れて、切って貼って、ポストに入れて、待つんですよ。
まだ来ないね、まだ来ないねって。
で、ソニーとかね、コンサル会社とかね、フジゼロックスとかね、
何でもかんでも私、応募したんですよ。
で、金融は正直、私のランクの中で下の方だったんですね。
知らないから、わかってなかったからだと思うんですが、
主人が当時イギリス系の証券会社のエコノミストでしたので、
彼の様子とか、彼の畑ぶり見て、
ああ、そういうことだったら私もできるじゃんって、勝手に思ってて。
で、じゃあ、証券会社のリサーチ部門も応募したら、3社からオファーもらったんですね。
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全然わからなかったから、もう選ぶのがすごい大変だったので、
私勝手に各会社に、すみません、全然ちょっと迷ってるんですけれども、
お願いですから、半日ください。
インタビューって、窓ない部屋で30分30分で、わからないじゃないですか。
でも、半日各会社のオフィスの風土、すっごい良かったですよ。
確かにね。
全然違いました。
オフィスの業務フロアで座らせてもらうってこと?
そうです。今、考えないと思うんですけれども、とても良かった。
そこでバークレーズ証券っていう、一番賑やか楽しそうな職場を選んだのがバークレーズなんです。
モルスターも決定。
ジェームズ・ケイプル、当時存在していたイギリス、また別のイギリスの証券会社も、
すぐもう図書館みたいに静かで、嫌だったので、バークレーズ選びました。
楽しそうだから、すごい超シンプルで。
で、4年後、すでに私は、いわゆるボスがイギリス人の男性で、一言も日本語できない方で、
私が、言語以外のことですごいお世話になりましたので、
彼がリタイアして、卒業して、私が婚姻になったんですよ。
すでにシニア・ストラテジストというか、役職だった時に、ゴームン・サックスから声をかけられ、来ないかと。
正直最初、全然興味なかったですね。
イギリス系がなんか、よりリラックスというか、すぐ首切らないレビュテーションでしたし。
最初、ゴームン・サックスから声をかけられた時に、私は、すでにシニア・ストラテジストの役職ついてますから、
別に横の移転はあまり理由がないと思って断ったんですが、
再度、GSから声をかけられた時に、
当時、バークレーズ証券にたまたまいらした米国株のストラテジストが、女性の方で、超有名なレジェンドですが、
ウォール・ガイのアビー・ジョセフ・コウェンという方なんですよ。
彼女と私が、米株のストラテジストと私、日本株のストラテジストで、一緒にコンフェンスとかやってたんですよ。
結構接点が多く、ものすごい、私から見ると憧れのアビーだったんですよ。
ただ、彼女は1年未満で辞めて、ゴームン・サックスに移転しましたので、
私、ゴームン・サックスから声をかけられた時に、最初断ったんですが、
再度、アビー・コウェンから電話があったんですよ。
ギャッシー、もう一回、再度考えてくれませんかと。
なぜかというと、イギリス系の証券会社で、もちろんいいんですが、
やっぱり、日本株のストラテジストが成功するために、グローバルフランチャイズが必要じゃないですか。
グローバルプラットフォームの方が必要じゃないですか。
イギリス系の証券会社より、米国の方が大きいですよとか、すごい説得力があって、
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私を持って、何人かインタビューをやっていただきまして、
じゃあ、もしクビになったら、またバックルイスを持てるかなと思っていたので、
とりあえず挑戦してみましょうということで、移りました。
そこに26年間働いて、2020年末に卒業しました。
26年いたんだ。すごい。長い。
最後の役職が副会長?
副会長だけれども、本業は日本株ストラテジストが、もう26年間やってきました。
日本が大変なときがほとんどでしたよ。
今はパーティーですけど、私のキャリアのほとんどは、
本当に弱気相場で、日本株に面と向かわない海外投資家ほとんどだったので、
どういうふうに、この日本の企業、日本経済、日本のマーケットに注目してくれるかっていうのが。
そういう、アゲインストの中で何をプッシュするかっていう戦いなのか。
だから要は、デフレに落ち込む、人口が減っていく、財政赤字が膨らむ一方、
成長が一体どこから来るんですか?松井さんって、毎日のように海外投資家から質問を受けるんですよ。
なるほど。
なかなか、いい答え出しづらいじゃないですか。
確かに。
そこで、ある日、私の最初の子供、息子ですけれども、4ヶ月、育児休暇と。
あとすぐ、復帰したんですよ。フルタイムに。
ただ、周りのママ友を見た場合、一部もちろん専業主婦のルートを得られましたが、結構の数が、私のように復帰したかったけれども、さまざまな理由でできなかった。
事情を見て。とにかく一言で、もったいないと思って、どうやって日本がもっと明るい未来を描けるのか、どこから成長来るのかが、私の職場のプロフェッショナルコンテクスト。
プライベートのコンテクストは、目の前にすごい素晴らしい女性人材があふれている、なのに活用されていない。
この2つのことを、私がアナリストですから、いろんなシナリオ分析とか、数字遊びできるじゃないですか。
その当時に、例えば日本の女性の就業率、見てみましょう、相対的に。めっちゃ低かったんですね、先進国の中で。
これは現状ですと。もし仮に、この水準が上がれば、どのくらいGDP効果、押し上げ効果があるのか、という試算をしたんですよ。
21:07
それが、1999年のイチゴのウマノミクスのリサーチレポートでした。
なるほど。そういうふうに繋がってくるのか。
あくまでも、これは経済合理性に基づく説でしたので。
かつ、私のコンペティターが、野村証券、大和証券、日光証券、中年男性ばかり。
きっとこういうテーマについて誰も書かないと思って、ちょっと書いてみました。
それが出発点でした。
なるほど、面白い。そうやってウマノミクスっていうのの提唱というか。
ただ、当時は正直、私の当時の顧客層が、半分海外半分日本なんですよ、みんな機関同士が。
海外機関同士間の反応が結構良かったんですよ。
これもしかしたら、明るい兆しかもしれないね、松井さん。
国内はね、また中年男性99.9%なので。
面白いテーマですけど、来週水曜日日経平均はいくらなりますか?とか、そっちのほうがすごい興味持ってて。
あんまりね、トラクションなかったんですよ。
で、時間が経つでしょ。
ちょうど2013年、14年の安倍首相の第二の誕生の時に、初めてアベノミクスが成功するためにウマノミクスが不可欠だと。
えー!私もかけて、えー!
日本政府が女性のこと、ダイバーシティのこと、初めて言及されたと思うんですよ、その時。
まあ、いろいろ批判とかあるかもしれないけれども、私が最も政府ができて良かったなと思いますのは、
この多様性とかダイバーシティの概念を、平等というか人権のコンテクストから、ビジネスあるいは経済合理性のコンテクストにシフトされたと思います。
それまででしたら、人権問題、平等問題、関心ある人しか興味なかったんですけれども、
初めて、より広い、幅広い層に、あ、これはもしかしたら、その当時、本当に日本に明るいものがほとんどなかったので、
その中で、まあ、もちろんこれは人口動態問題の全ての解決には当然ならないんですけれども、
一部の解決策としては、人口の半分、もう少し活用できれば良いかもしれないということにつながったんですね。
なるほど。
だいぶ時間、1999年から2005年かかりましたけど。
24:01
なるほどね。面白い。そうか。
決して私がアナリストでしたので、別に制作提言とか、ああしなさい、こうしなさい、というつもりでは全くなく、
たまたまこれについて書いたレポートがあったので、1999年、たぶん私のレポートしかなかったんですね。
だから、ある意味、あ、これは話題になった時に、みんな調べるじゃないですか。
どういう客観的な、なるべく定量的な分析を出すことが私の戦略でしたので、
定量的な分析、エビデンスに基づくこういう結果になれますよ、ということを出していたんですので、
そこがたまたま注目し始めたかなと思うんですよ。
その前はですね、アナリストさん、たぶんご存じじゃないかもしれない。
私はもっとダイバーシティよりも、日本のコンプリートガバナンスについていっぱい書きました。
昔ね、社外取締役って日本の企業ってほとんどゼロだったじゃないですか。
たしかに、ゼロだった。
あるいは、持ち合いだらけ。
もう不動株比率がものすごい少なく、銀行対事業会社をお互い同士に持ってたじゃないですか。
だから、少数株主の利益をほとんど守れていなかった日本って、私のキャリアの最初の頃だったんですよ。
あまりにもこれは変だな、変だなと言っても、誰もそういうもんでしょうって。
これは日本スタイルのガバナンスですよと何度も言われました。
大手の自動車メーカーの社長が言われたんですよ。
車のこと全然知らない人、社外役入れたら何の価値ですかとか、もうストリートに言われたんですよ、何度も何度も。
なるほど。
だから、このガバナンス改革とダイバーシティの改革まで言えませんけれども、意識変化はすごく大きなビッグチェンジだったかなと思いますね。
今、社会人になる人の当たり前とあまりにも違う。
そうですね。
女性が働くっていう観点から見ても、僕が社会人になったのもそれでももう15年ぐらい前だから、その頃とはもう全然違う。
そうですね。
男性でうちも一休取る、取らないって人の選択肢が全くないから、その時代の変化はすごいなと思う。
ということで、第21回はキャシー松井様にお越しいただきました。
今回はキャシーさんの起業家としての生まれてからゴールドマンスタックスにたどり着いて、ウーマノミクスというものを提唱されるところまでを詳しく伺ってきましたが、
次回はキャシーさんのエンパワーを立ち上げるところとか、あとこれからの野望について伺っていきたいなと思います。
そして番組ではメッセージを募集しています。
ホットキャストの感想や、私、佐又安里への質問、今後の希望ゲストなど何でも寄せてください。
27:04
また、安里では企業相談や資金調達の相談を受け付けています。
どちらも番組概要欄にフォームのリンクがありますので、そちらからお送りください。
それから、XなどSNSでもぜひ感想をつぶやいてください。
ハッシュタグはハッシュハートに火をつけろでお願いします。
それでは次回もお楽しみに。
圧倒的な未来を作るのは君だ。ハートに火をつけろ。
27:45

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