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スピーカー 2
この本ね、なんで紹介したいのかって思ってきっかけから話すと、自分が大学院に行って社会学、社会の研究したいなってきっかけになった本なんですよね。
スピーカー 1
へー、そうなんですね。
スピーカー 2
それと同時に、今回読み直して紹介するからさ、もう一回ちゃんと読み直さないといけないなと思ったことは、
やっぱこの本を読んだおかげで、社会の見方も変わったけど、他人に対して優しくなれるなって思った本なんです。
スピーカー 1
これは学問的な意義みたいな話もあるし、普段の13歳からの子たちでも使えるみたいなことが書いてある。
スピーカー 2
そう、そういう考え方ができてたら、もうちょっと心に余裕を持って過ごせるんじゃないかなって思ったので、おすすめしたいと思ってて、
そういった意味では、この本を書かれた人っていうのは社会学者なんですけども、社会学入門じゃなくて、社会入門の本とも書いてるんですね。
だから、なんだろうな、結構だけど、中学生とかになってきたら、なんとなくだけど社会の仕組みってどうなってるんだろうって興味を持ったりだとか、
今後自分がどうやって生きていくんだろう、どういうふうな仕組みのもとで生活していくんだろうって、なんとなく気になりだすと思うんですよ。
スピーカー 1
そうですね、だいたいこの辺りから、私の場合はインターネットとかがやり始めてた頃だったので、SNSとか人付き合いとか、そういったところにすごく関心が向くようになるのはだいたいこの頃なのかなっていうイメージはありますね。
スピーカー 2
そうだよね、そういうふうに気になって情報収集したりだとか、例えばだけど、中学生になりました、この後高校生になって、
人によっては就職するだろうし、大学生になった後就職するってなったとしても、高校生はどうやって過ごして、就職するにしても大学に行くにしてもどうやって試験を受けて、
社会人になるんだったらどうやって社会人になるんだろう、社会人になった後ってどんな生活をするんだろうみたいな、膨大なというか漠然とした、なんだっけ社会ってみたいな、こういう、これから生きていくのは知ってるんだけども、そもそも社会って何?っていうふうなところに対しての問いを答えてくれてる一冊なのかなというふうに思います。
なのでもったいぶらずにこの本の一番伝えたいメッセージっていうのを先に言っちゃうと、私たち人間っていうのは自分たちが作ったよくわからない社会の中で動いているということ。
スピーカー 1
で、よくわかんないですよ、社会って実は。実はよ、社会って。結論はそれなんだ、結論はそれなんだ。
スピーカー 2
社会って何ですか、よくわかんないですっていうのが回答なんですよ。
これはだから例えばですけど、なんとなくイメージとして、例えば研究者、例えば政治家とかがむちゃくちゃ社会のことを詳しくてむちゃくちゃ知ってて、で、その上でむちゃくちゃ考えて適切な政策だったりだとか、そういう法律とかを実案してるってなんとなく漠然として思うじゃないですか。
でも実はそうじゃないんだよっていうふうなことなんですね。
もちろんね、法律を作ったりとかするときにも、みんなむちゃくちゃ頭悩ませてるはそうだそうなんですけど、実はみんなよく社会ってじゃあ何なのって言われたときにも、よくわかってないんですよ。
スピーカー 1
だからプロフェッショナルっていうふうに言われてる人たちでもまだよくわかってないっていうこと。
スピーカー 2
よくわかってないんです。
だから例えばですけども、法律の話したから言うと、じゃあなんでこの法律未だに残ってんだろうとか、探したら結構あるんですよ。
こんな法律ってなんで今令和の時代にも残ってるの?みたいなとか、なんでこんな複雑な取り決めになってんの?っていうふうな法律とか結構あるんですけど、
これはなんでかっていうと、昔からそうだったからっていう。そう、慣例じゃないけど。だから言ってしまえば、そんな感じで意外と緩く決まってたりするんですよ。社会の決まりごとって。
スピーカー 1
へー。
スピーカー 2
そう。なので伝えたいメッセージ2つ目としては、じゃあなんで私たちが作ってるこの社会ってよくわかんないの?っていうと、
なんでかっていうと、社会が、もっと言うと人々が緩い繋がりで繋がってるからなんです。
スピーカー 1
ちょっとごめんなさい、法律のところで思ってたんですけど、学校の拘束とかもなんで未だにそういうのあるんだろうっていうのって結構ありますよね。
スピーカー 2
ありますよね。
スピーカー 1
あれとかって、だからそれも関係してくるみたいな意味合いで考えてもらえたらいいかなって思ってたんですかね。
スピーカー 2
もちろん法律っていう国レベルのことじゃなくてもなんでもいいんですよ。例えば会社の決まりごととか、学校の決まりごとだとか、委員会の決まりごととか、部活動の決まりごととか。
スピーカー 1
家の決まりごととかもそうかもしれない。
スピーカー 2
そうそうそうそう。なんでそうなってんのっていうふうになったときに、もちろんむちゃくちゃ考えてこれに決めましたってパターンもあるけど、意外と今までどおりそうだったんでみたいな。
前の責任者がそうしたんでみたいなことも結構あったりする。ってなると、あれなんか世の中ってきっちり繋がってるわけじゃないんだなみたいな。
なんかゆるく繋がってるんだなってなんとなく思えてくると思うんですよ。
スピーカー 1
そうです。
スピーカー 2
そういうふうに考えてくると、なんか社会って実はすごい頭のいい人たちがむちゃくちゃ考えて、むちゃくちゃすごい完璧な決まりごとを決めて動かしてるんだじゃないってことなんですね。
みんながよくわかんないけど、なんとなく決めてたりだとか、時々頑張ったりだとかして、この社会っていったものを動かしてるっていう、言ってしまえば気持ちが悪いというか変な動かし方をしてるんですよね。
だからそう言ってみると、プロフェッショナルも決まりごととかも実は完璧じゃないんだよってことなんです。
スピーカー 2
なぜならゆるいから。でも、ゆるくていいのって思いません?
そうですよね。
スピーカー 2
だってじゃあ、例えばですけど、そういった決まりごとの穴をついて勝手に悪いことする人とか出てくるんじゃないのとか。あるじゃないですか。
そういうルールの隙をつくみたいなこととか、勝手に一人だけ何か物事を独占したりだとかしてみたいなふうに、そういうふうなことが出てきちゃうんじゃないかっていうと、出てきちゃうんですよ、やっぱり。
スピーカー 1
ですよね、まあまあ人間だもんっていう。
スピーカー 2
人間だもん、出るんですよ。なので、それをこの本の中では意図せざる結果っていうふうに言ってるんですね。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
意図せざる結果っていうのは、そういうふうにルールの穴があるからずるする人が出てきたりだとかっていうふうなこともそうだし、もっとわかりやすく言うかもしれないんですけど、もっとわかりやすく言うと、何か問題が起きてそれに対処しようと思って対策を打ちましたと。
もともと問題じゃなかったところが問題になりましたみたいなこと。これも意図せざる結果なんですよ。
スピーカー 1
確かにね。
スピーカー 2
そう。だから、Aという問題に対策したくて、じゃあAダッシュっていう作戦を立案しました。
Aダッシュ作戦うまくいきました。だったら、Aダッシュ作戦のせいで今度はBという問題が発生しましたみたいなことが起こるんですよ。
スピーカー 1
まあまあ往々にしてありますね、そういう。
スピーカー 2
だからそれこそよく言う話で、パソコンとかプログラミングのコードでよくわかんないけど動いてるから、下手に触らんほうがいいみたいな話あったりしません?
スピーカー 1
ああ、確かに。いじくりたくないですね。
スピーカー 2
そうそうそう。どういう原理で動いてるかわかんないけど、まあでもうまく動いてるからとりあえず触らんとこうみたいな。
そういったことがプログラミングとかね、機械を動かす上でもあったり、ゲーム機とかもあったりするんでしょうけど、社会も往々にしてそういうことがあり得るってことですよね。
なのでそういった意味で、社会って緩いし、意図せずある結果が出てきちゃったりとかするっていうふうなところで、
だからやっぱりイメージとしては、さっきも言ったとおり、プロフェッショナルたちが社会っていうものがあって、そこを外から見てるみたいな。
車でいうと、例えばじゃあ車を1回止めて、車屋さんに持ってって、車屋さんがクレーンとかでブイーンって持ち上げて、隅々を点検してるみたいなイメージ。
社会を捉えるときのイメージってそうかもしれないんですけど、実はそうじゃなくて、私たちはそういう社会っていうよくわかんない車に乗りながら止まることもできず、
でもとりあえず、例えばメーターが壊れたから走りながらメーターを直すみたいな。自転車創業じゃないけど、わりとそんな感じであたふたしながら社会ってものを動かしてるんだよっていうのが、
この社会を知るためにはっていう本が言っている社会の形なんですね。
スピーカー 1
なるほどっすね。
スピーカー 2
それでこそ思うかもしれないけど、僕とか坂木ばるこの大学院行ってて思いますけど、学問って別にそこまで万能じゃなくないですか。
スピーカー 1
まあそうですね。できることは頑張ってはいつつ、めちゃくちゃ全部万能かって言われたらそうではないし、
昔やってた研究だったり、これが正しいと思われてたことが全然違ったり、みたいなのがよくある話だと思ってます。ってなると、なんだっけ、天動説、地動説と天動説たまに混ざるんですけど。
スピーカー 2
地球の周りを動いてるのか地球が回ってるのかみたいな話ね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。あれとかも今まで思い込んでたものみたいなのがそうではなかったっていうことのずれみたいなのとか。
万能感があるかって言われたら、万能っぽく思われてるかもしれないけど完璧ではないなっていうのは感じますね。
スピーカー 2
はい、その感覚なんです。だからなんとなくそういうプロフェッショナルとか研究とか政治家の人たちが万能な知識を持ってるっていうよりかは、
車検をしてるというよりかは本当に運転しながら治してるって感覚のほうが近いんですよね。
スピーカー 2
じゃあその結果として、じゃあどうしようもないじゃんみたいな考え方も出てくると思うんですよ。
なんか問題が出てきたときにその問題に対処しようとしたら別の問題が出てきてつったらもういたちごっこじゃんみたいな。
スピーカー 1
まあそうですね。
スピーカー 2
そういった意味でやっぱり、だからといって無気力になる必要はないんですよ。
本当に無気力になっちゃうんだったらだって人類の学問ってここまで発達してないというか。
それはちゃんと考えればある程度は動かすこともできるから、それはそれとしてしっかりと勉強であったりだとか研究を重ねて適切な対策を取ることは、
それはそれでちゃんと意味があることなんだよっていうふうなところは注意しなきゃいけないとこなんですね。
そうしないと研究者の人たちとか国の政治とか経済回してる人たちが頑張ってることが全然意味なくなっちゃいますからね。
そういうわけで意味がないと言ってるわけじゃないよってことですね。
といったわけで結構なんか社会の形じゃないけども、社会ってどんな形をしてるのかとかそれに関わる人たち、
動かしてる側の人たちが何をしてるのかっていうと、改めて一言でまとめるとよくわかってないんですよ。
だから多分ですけど、皆さんがこれからさっきも言ったように中学生になって、今度高校とかに進学して、
就職とか大学進学とかを経て社会に出ていくってなったときに、どういうふうに生きていくんだろうっていうのはぶっちゃけよくわからんっていうのが
回答になっちゃうっていう、最初言ったことに対する回答になっちゃうんですけども、
でも全くわかんないんじゃなくて、なんとなくならわかりそうっていう感覚で持っておいてもらえると嬉しいかなっていうふうな感じになります。
ここからは別にここに書かれた話じゃないんですけども、ある種そういうきっちり決まってないこととか、
もしかしたらそうかもしれないけどそうじゃないかもしれないみたいなそういうあやふやな回答みたいなものに対する体制として、
最近よくネガティブケイパビリティって言ったりするじゃないですか。
スピーカー 1
初めて聞きましたよ、私今。
スピーカー 2
本当ですか。
でもざっくり言うと、情報が不確かなときにすぐに答えを求めようとするんじゃなくて、しっかりとどこまでがその情報の妥当性であったりだとか、すぐに正解に飛びつかないようにしようみたいな話なんですよ。
スピーカー 1
ファクトチェックってすぐやんないみたいなそんな感じですよね。
スピーカー 2
特定のSNSだとよく見られますけど、そういうのじゃなくて、自分で調べてみようとか、わかんない状態に耐えようみたいな、そういうふうなネガティブケイパビリティって言ったりしてて、
それはやっぱりさっきも言ってくれたようにSNSがいっぱい増えてきたからよく言われるようになったみたいなところもあると思うんですけども、
この本が言ってることって割とそこにもつながってくるかなっていうふうには思うんですよね。
ファクトチェックみたいにね、今ならAIとかがすぐそれっぽいことを答えてはくれますけども、そうじゃなくて、
これこれの原因は何なんだっていうふうに言ったときに、すぐにAIとかが要約してくれて、
原因はこれですとか、誰誰が悪いですっていうふうに答えさせることはできるかもしれないんですけども、
本当にそうなのかとか、それ以外の原因もあり得たんじゃないかとかっていうふうに、
いちいち考える癖じゃないけどもね、なんかそういうふうな意識みたいなものが大切だなって言われてるし、
それと同じようなことを結構この本からも読み取れるんじゃないかなっていうふうにはちょっと余談になっちゃうんですけど思いました。
結構坂木バラ君的にそういうふうな最近の、すぐ答えが出るっていうこの状態に対して感じてることとかありますか。
スピーカー 1
坂木 俺、今日ちょっと意地悪な立ち回りしていいですか、まず。
僕は全然それ分かんないのだったら分かればいいじゃんって思う派なんですけど。
スピーカー 2
おだしょー 分かんなければ分かればいいじゃんって。
スピーカー 1
坂木 もう分かんないだったら分かった方が正解らしいものがあるんだったら別にそれはそれでもうなんかは、
それで幸せだったらそれでいいじゃんって思う派なんですよ。
おだしょー はいはいはいはい。
スピーカー 1
坂木 まあ何でしょう、志が高い、つまりまあ意識高い系って言われてる人たちだったらそういうふうにやりゃいいじゃんって感じで、
別になんか僕ら普通の13歳してから攻めるの、別に答え分かんないんだったら答え知りたいじゃんってなるのは自然なのに、
それを分かりませんって言うと突き出されてみたって、何の魅力も感じないかなって思ったんですけど、その点はどう見てます?
スピーカー 1
ごめんなさい、すごいちょっと、すごい広域みたいな感じになっちゃった。
スピーカー 2
おだしょー そうですよね、分かります。
なんかこう、分かんないことに対してすぐこう答えを知りたくなるのが人間の差がでしょうというか、
なんか気持ち悪いじゃないですか、体感として。
まあでもやっぱり一番こういうふうなことが言われてる上での問題点っていうのは、
そういうふうに分かんない状態に対する耐性がないっていうか、分かんない状態に耐えられないと、
お前それほんまか?みたいな情報にも飛びつきやすくなっちゃうところだと思うんですよね。
スピーカー 1
あー、なるほどっすね。
私のちょっと研究の中で関わるテーマでもあって、トランプさんの支持してる人たちとか、バイデンサー支持してる人たちそれぞれいるんだけども、
自分が信じたいものをそのまま鵜呑みにして信じてしまうみたいな現象があるよっていうのを、
よくある話だなっていう、研究でもやってるし、よくある話だし、
世の中的にもなんとなくそんな感じかなっていうのが過去にあったっていう話がありました。
日本に、日本でもなんかそんな現象っていうのがちょこちょこ出始めてるというか、
自分が最もらしく信じたいものに対してそれは本当なのかっていうのを、
それ本当にあってるのかなーみたいなのをあんまり考えない状態で、
こいつは悪だとか、こいつが世の中を悪くしてるんだっていう、本当はそうじゃないかもしれないような話とかを信じちゃって、
自分でそれを本当に信じ込んで攻撃したりとかするみたいな現象とかがよくあるっていう話なんですよね。
いわゆるそれを批判的に見るとか、社会っていうのがよくわかんない中でも、
その中での回答として自分が信じたいものに飛びついちゃって、
本当に正しいのかどうかもわからず、社会に対して悪い影響を与えたり、人を既存したり、
そういうふうなことが起こっていくのは、確かにまずいかもって思ってる部分もありますね。
スピーカー 2
あの、むっちゃわかりやすかったですね。ありがとうございます。
ありがとうございます。本当におっしゃる通りで、やっぱりそういうふうに自分が信じたいと思う情報をつかむってこと自体は、
それ自体はそんなに悪くないというか、それは自分が信じたいものを信じてくださいって話だから、
他人とはよく言われる話じゃないと思うんですけども、今の時代ってそれが往々にして、
自分とは違う意見を持つ人に対する攻撃に直結しやすくなってはいるじゃないですか。
スピーカー 1
うん、それはすごくね。
スピーカー 2
技術的にね、レスバスしたりだとかって簡単になっちゃってきてるから、
割と問題なのはそっちのほうなのかな、
暗義に自分と違う意見の人に対して何か暴力的になってしまうリスクが昔よりかは高くなってきてる部分があると思うし、
それを考えればひるがえて、自分が信じたいと思ってる情報は本当に妥当なのかっていう風に見極める力が大事だよねって話に戻ってくると思うんですよね。
スピーカー 1
そうですね、はい。
スピーカー 2
なので、おっしゃる通り、自分が信じたい情報を信じたいって思うのは人として当然のことというか、
それ自体は悪いことじゃないと思う。
一方で、やっぱりじゃあそこが、じゃあそれを誰かと共有したいだとか、
もしくは違う意見を持つ人と相対した時にどういう態度を取るのかみたいなそういったところ。
まあ、好きなみな言葉で言うとモラルみたいなところが問われるようになってきてるのかなっていう風には思いますね。
スピーカー 1
修理の仕方じゃないですか、車に乗ってる時の。
それがどんどん効率的になってきて、逆にメーター壊れてますってさっき言ってたと思うんですけど、
車乗りながらメーターの修理をするところ、メーターの修理の仕方をいろいろ工具とか使ってやるのが、
なんか直れ直れって叩いて直すみたいな感じになっちゃってる。
スピーカー 2
そうそうそう、だからちゃんとした知識であったりだとか、じゃあ違う意見を言ってる人の背景みたいなものを理解した上で、
話を進めるんだったらそういうふうにしっかりと適切な工具を使ってメーターを直すっていう風な工程になるかもしれないけども、
こいつは俺と反対のことを言っている、だから敵だっていう風に言ってるのは、
ちょっと車に対して叩いて直れ直れ直れっていう風に言ってるようなものと、確かに変わらないのかもしれないね。
スピーカー 1
そうです。よくわからないものに対しての向き合い方っていう部分が、僕は今聞いてる感じでそこは大事なのかなと思いましたってところです。
スピーカー 2
はい、そうですね。
スピーカー 1
その他で田中くんがこの本から学んだこととか、なんかありますかね。
スピーカー 2
そうですね、ここまでがいわゆる1個テーマとして、じゃあ今私たちが住んでる社会って何?よくわかんないっていう回答だったんですけども、
もう1個として、じゃあそういうふうによくわかんない社会を生きていく上だからこそ言えることがあるよねっていうアドバイス的なこともこの本には書かれています。
2つあるんですけども、1個は惰性とバランスをとって生きるということ。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
2個目はミスは複合的な要因で生じるからこそミスをした人を容易に責めないってことなんですね。
1個目の惰性と反省。惰性っていうのは要は言い換えれば安定とかサボりとかっていうふうに言ってもいいかもしれない。
頑張んないってことですよね。
もう1個反省っていうのは自分のことを顧みたりだとか、自分のことを顧みるってことは何かしら次何かにチャレンジするために顧みるわけだから、
そういった意味では挑戦っていうふうに言い換えてもいいかもしれません。
そういうふうに言い換えてみると、生きるタイミングと頑張るタイミングのバランスをとって生きようねって言ってますね。
スピーカー 1
はい。大事にはありますね。
スピーカー 2
はい。これ何でかっていうと、やっぱり分かるとは思うんですけども、何でこういうふうに言われてるのかっていうと、
ちょっとだけ歴史の話をするとね、日本だけじゃなくて世界って大体19世紀だから今から何年前、200年前ぐらいかに産業革命っていうふうに言ったりとか、
いろんな革命が起きて、世の中のルールがガッと変わっちゃったんですよね。
それまでは簡単に言うと宗教がすごい強い時代だったんですけど、今から200年前ぐらいに経済とかそっちが強くなる時代になりましたと。
それ当たり前じゃんって思うと思うんですけど、今私たちはそういう200年前の転換から、
自続で生きてるんでそっちが当たり前なんですけど、昔はそうじゃなかった。それ前じゃなかったんですね。
宗教が支配とかルール、あと普通に人々が簡単に行き来できなかったので、狭いところで住んでた、狭いコミュニティの中で生活をしてたんですけども、
そういったことって息苦しそうだなって今住んでる私たち、生きてる私たち思うかもしれないですけど、一方で安定はしてますよね。
自分の人生が大きく変わることもなければ、自分の住むところが急に変わったりするわけでもないので、そういった意味では安定はしてたんですよね。
でもそれが200年前の革命とかでガラッと変わっちゃって、いきなり住む人々が今までのルール全部なくなりましたってなって、不安定な中に放り出されたんですよね。
そういった中でそこから200年ぐらい人間っていうのは頑張ってそういった不安定な世の中になんとか適応しようとしながら生きてきたっていう歴史がざっくりあるんですけども、
そういった中でやっぱりあるのは、しっかりと不安定な世の中に対応するために挑戦であったりだとか反省を繰り返さなきゃいけないよねっていうのが大事だし、
一方でそれだけしてたら心削れるじゃないですか。
そうですよね。ずーっと24時間戦いますかじゃないけども、世の中どうなるかわかりませんって言われて、
じゃあ明日学校が閉鎖されますとか、もしくは明日キャラクター会社が潰れますとかっていうふうな世の中を毎日ぐるぐる過ごしててもいけないですから。
人間としては安定も大事だよねっていうふうなところがあると思います。
なので安定と変化の両立が大事だよねってよくいろんな人が言うと思うんですけど、これは何でかっていうと、
今まで200年ぐらい人間がそうやって生きてきたから、それが今の時代の生き方だよねみたいなことなんですよ。
それがまず一つ目としての安定と変化を両立しようねっていうふうな話。
スピーカー 1
安定と変化っていうところの200年の歴史っていうのを、たとえば13歳の子たちに戻してくると、
今までその小学校とかで思ってたルールみたいなのが中学生になって変わることもあるじゃないですか。
スピーカー 2
大抵ありますよね。
スピーカー 1
大抵あって、そこに対していろいろ頑張ってどういうふうに対応していくかっていうのをたぶんこれから頑張ると思うんですよ。
ただそこでその中でも頑張りすぎないっていうのはまさにそうだなっていうふうに聞いてて思ってて、
なんて言うんでしょうね、たとえば厳しい部活とか入っちゃった時とか、
その顧問とかの言うことが結構絶対みたいな感じで、それに逆らっちゃいけなくて必死に毎晩勉強役を追いついてみたいなのとかってあるじゃないですか。
それでいわゆるそこは反省って言ってたら頑張る部分かなというふうに思ってます。
ただその中で、ちゃんと力抜くとこ抜くっていうところは大事だなっていうふうに思ってて、
そこで厳しい部活とか入っちゃった時とかに、もっとそれが全てだというか先輩の言ってることとか、
なんとかしなきゃみたいなので追い詰められちゃうっていう状況は結構なることはあるなっていうふうに思ってて、
そこに対してもその先輩方も分かんない中で決めてる部分もあるから、
それ分かんないとこも含めて、今そういうふうにやってるのであって、
一個ちょっと俯瞰してじゃないけれど、冷静な目で見たところもありつつ、そうじゃないところもあるなと思いながら、
ちょっと力抜いて、俯瞰抜いて、ちょっと惰性じゃないけれども、そうだよなーくらいの感じで受け止めていくっていうのも大事になってくるかなっていうふうに思いました。
スピーカー 2
そうですよね。やっぱそういうふうに、なんていうか、これも今部活動の話をしてくれたと思うんですけども、
別に入部したあなたのことをいじめたくて、そういうふうに特定の誰かがあなたのことをいじめたくてそういうふうなルール、厳しいルールを決めているというよりかは、
さっきも言ったように、なんとなく月が荒れてるからそれが続いてるだけみたいなこともあり得るんですよね。
だから明確な敵がいるというよりかは、今までの人たちが引き継いできたシステムとか仕組み自体がそうなってるみたいな、
だから攻めようにも攻められるみたいなところがあると思うんですよね。
そういった意味で、そんなもんかっていうふうに肩の力を抜くっていうふうな意味での惰性っていうのもあると思うし、
あとありますけど、手を抜けるとかは練習中も抜けそうだったら抜いといたほうがいいよっていうことでもあるかなっていうふうには思いますね。
スピーカー 1
はい、ありがとうございます。
スピーカー 2
そういった意味で、惰性と反性のバランス、安定と変化っていう二つ、どっちかに偏りすぎないことが大事だよっていうところは、
いろんな人から言われてると思うんですけども、歴史上もそうやって人は生きてきたんだよっていうふうに思ってもらえればいいかなっていうふうに思いますね。
スピーカー 2
もう一個、ミスは複合的な要因だからミスした人は安易に攻めないっていうふうなこと。
これはすごい、さっきのネットバッシングの話にも通じる部分だなっていうふうに思ったんですけども、
別にもっと神くだいっていうと、ミスを犯した人が置かれていた状況をできるだけ理解しようとしてから攻めなきゃだよねみたいな。
攻めるにしてもみたいなっていう話です。
当然、攻めんなって言ってるわけじゃなくて、間違いを犯しちゃった人に対してちゃんと責任を取ってもらうっていうふうなことはあるわけですから。
それはそれとして大事な肯定だけども、安易に攻めんなってことなんですよね。
これはさっきの許さってところにも関係するし、意図しない結果ってところにも関係するんですけども、
例えば何か間違いを犯したりとかミスを犯しましたっていうふうな人がいて、その結果チームとか組織とか団体が不利益をこむった際に、
その人個人の責任に押し付けちゃうと、また別の人が同じようなミスを起こし得る可能性があるんですよ。
さっきも言ったように、たまたまその人だったって可能性もあるわけですよね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
例えばコピー機詰まらせましたって言って、お前今日納品なのにどうすんだよみたいなこと言われたとしても、
それは定期的にコピー機をちゃんと確認していなかったみんなのせいであって、
たまたまコピー機が壊れるタイミングで使ってた人が攻められるってなったら、
それってコピー機壊したときに使ってた人のせいですかって言われたら、ちょっとそれはなんか違うかもってなりますよね。
スピーカー 1
そうですね。ただ、結構そういう現象ありますよね。
スピーカー 2
ありますよね。お前が使ったから壊したんだろうみたいな感じで、ミスの原因を俗人化しちゃうのってやっちゃいがちだなっていうふうに思っちゃうんですよね。
だし、なおでも言ってますけども、たまたま、社会ってゆるいし、意図しない結果起こりまくるんで、たまたまが重なってそうなっちゃうんですよ。
だからコピー機をその人が壊し得る可能性もあったし、壊さないこともあり得たし、別にその人じゃない人が壊した可能性もあるっていうふうに、
いろんな別の可能性っていうこともあり得るってことなんですよね。
そういった中で、じゃあなんでそういうふうなミスが起こったのかっていったところを突き詰めていったときに、いきなりその人のせいだっていうふうにするんじゃなくて、
しっかりとその状況を把握するということ、なんでそういうふうな結果が起きたのかっていうふうなところで、
じゃあその対策のためにはどういうふうな仕組みが必要なのかっていうふうなところをしっかりと検討していくってことができてやっと次のミスが起こりづらくなるっていうふうなことなんですね。
だから、ミスした人を容易に責めるんじゃなくて、人が置かれた状況をできるだけ理解してから、まず最初にそっちをやろうねっていうふうな話だと思い、
これはだから本当にネットの話にも通ずるというかね、最近よくSNSの暴力戦みたいな話はちょっとしましたけども、
誰々がとか特定の誰々がとかっていうふうになりがちじゃないかなって僕は感じるんですけど、どうですか、佐紀原さん的には。
スピーカー 1
佐紀原 サッカーは僕よく好きで見るんですけど、選手に対するバッシングみたいなのは昔よりはだいぶきつくなってんのかなっていうのは思ってました。
例えば試合に負けたときに、ディフェンスのこの選手がポカってちゃって、それがきっかけでゴールされました。
なったときにあの選手の守備が悪かったって言って、追い出せ追い出せって、この選手もういらねえんだよって怒る人とかいるんですよ。
でもその守備のミスって実は、さっき言ってた組織的なところが元々の原因だったみたいな複雑な原因だったと思ったりとかしてて、
それは例えば本当にその選手がもしかしたら足も上手いことボールを捌けなかったっていう個人的な話もあるし、
スピーカー 1
あとはその監督の指示として、こういうちょっとボール、あんまり得意じゃないのにもかかわらず、でもボールをしっかり回すようにしてって言って、たまたまそれでミスが出てみたいなこともあったりとか。
もしくはそれはあの経営者っていうかこのチームのオーナーの人がこういうサッカーをしてほしいから、そういうサッカーしてほしいからそれを監督に伝えて、それが結果的にミスにつながっちゃったみたいなこととかもあったりして。
スピーカー 1
これいろいろ考えてみると、その選手単体がやらかしたっていうことじゃなくて、実はその大元の選手は実はしょうがない部分があるから、その経営者的オーナーがやってるサッカーが今のスタイルと合ってなくないみたいなことを言ってた方が本質的かなみたいな時はたまにあったりするなっていう。
そんなこと思ってました。よく子供の時とかよく選手ばっか見ちゃってるから、選手のことをいいように言ったりとか悪く言ったりとかしちゃいがちなんですよ。そこに対してのちょっとそういうことではないかもね、みたいな思ってたとこですね。
スピーカー 2
やっぱり実際それが楽しいんですよね。カリスマ性であったりだとか、そういう見せるプレーとか、インフルエンサーもそうかもしれないけど、そういったところに憧れてSNSを追っかけたりだとか、何か意見交流したくなるって気持ちはわかる。一方で、今言ってくれたように、じゃあその選手がディフェンスのミスをしなかった可能性もあるかもしれないし、
もっと言うと監督がその選手に得意じゃないプレーを指示しなかった可能性もあるし、もっと言うとオーナーがこういうふうなプレーをチームの方針としてくださいって監督に言わなかったかもしれなかったりするじゃないですか。
って考えると、今の3つだけども、3つたまたまが重なった結果、そのプレーがミスが起きたってことなんですよ。そういうふうに、今目の前に見えている何かの間違いやミスっていうのは起こるべきして起きたというよりかは、いろんな要因が重なってたまたま起きたって見たほうが、特にSNSとかやってるときには気持ちも楽になるんじゃないかなって思うんですよね。
スピーカー 1
たしかにね。
スピーカー 2
必然的にそのミスが起きたとか、必然的にそいつが悪いことをしたっていうふうに考えちゃうと、世の中は悪人だらけなんだっていうふうに思っちゃうかもしれないけど、そうじゃなくてやっぱ誰かがミスを犯した、誰かが失態を犯した、誰かが悪いことをしたってこともあるけど、そういったことっていうのを決して擁護したいわけじゃないけども、
その度に毎回毎回、世の中は悪い奴らばかり、だからこいつらをバッシングしなきゃっていうふうに考えるよりかは、いろんなたまたまが重なって起こっちゃったんだろうなって思ったほうが気が楽じゃないですか。僕はそっちのほうが楽だなと思うんですけど、っていう話でもあると思うんですよね。
そういった意味で、なんでも言いますけど、この社会っていうのはよくわかんない力学で動いてるせいなので、なんでもかんでも必然性とか、なんでもかんでも主役の根源がいてって考えるよりかは、そっちのほうに、社会ってよくわかんないからそういうことも起こり得るよね、くらいの気持ちでいたほうが、いろいろと自分が中学生のときも楽だったんじゃないかなって思うんです。
スピーカー 1
ごめんなさい、ちょっと飛ぶかもしんないんですけど、でもその傾向はすごく僕自身を見て取れるなって思ってて、なんて言えばいいんでしょうね、この人仲いいとか、ふなかとかっていうのとかって昔からずっと言ってたりするじゃないですか。実はこの人とこの人ふなかなんじゃないみたいな。
なんかテレビで共演しないとかって話ですね。そうですそうです。あれとかも最近そういうので議論してるみたいなのとか結構見るなって思ってて。
IMとかを、ふなか説とかっていうのって、本当の事実の一部だけを切り取っていって、それを自分なりにつなげていった結果、ふなかなんじゃないみたいな考え方をするんですよね。
で、それって実は、自分その人たちの関係性っていうのに自分で解釈を与えたいからそういうことをするんですよ。もしかしたらいい仲いいのかもしれないし悪いかもしれない、あるとこは知らないとこはあるかもしれないっていう中で、それにいちいち根拠を求めるようになってきてんかもなーっていうのはあなたかもしれないですよね。
という風になってくると、それって別に本当は別、いろんな関係性があって曖昧なものでっていうものを自分の中で定義したいから、いろいろ自分で考えて、そのふなかじゃないとかって。で、なんかそう見てくると、そういうのをすぐに求めたがってしまってるんだろうなーっていうのに気をつけないとって一瞬思ったりはしましたね。
これ、ふなかもそうですし、カップリングとかわかります?たなとき。
スピーカー 2
あー、はいはいはい。カップリングね。
スピーカー 1
押しカップとかいって。
スピーカー 2
いいよね、最近。
スピーカー 1
男の子とかが戦ってる漫画とかアニメとかで、この子とこの子って別にただ戦ってる同じチームだけなのに、その2人がめちゃくちゃ仲良くて実はプライベートではみたいなことって考えたりして、それを作品にしたりとか二次創作とかするじゃないですか。
あれとかも、関係性がわからないものをわからないままで留めておきたくないから、そういうふうに定義してやっちゃってるっていうのは実はそこにも出てくるんじゃないかなって。
これは完全にホワッとした考え方なんですけど、思った部分でありましたね。
スピーカー 2
面白いですよね。こうだったらいいなって思うことや、そうであってほしいっていう願いや願望を形にするっていうふうなことも、それ自体は別に悪いことじゃないとは。
もちろん思いますけども。なんかでもあるのかもしれませんね。それもあるし、自分の中でモヤモヤしたままにしたくないから、何かしら目に見える形としてアウトプットすることで安心感を得るってことなのかもしれないのかな。
それは面白い考察だなっていうふうに思いました。
そういうふうにおっしゃる通りで、さっきのふなか説みたいな。例えば、このYouTuberとこのYouTuber最近コラボしてなくない?仲悪いのかな?みたいな。
いや、そんなことないですよってYouTuberとかインクルエンサーの方から訂正が入ったりするやりとり、たまに見たりします。
そういうのもやっぱり、さっきも言ったように、たまたまそのスケジュールが被れなかっただけかもしれないし、予定場してたんだけど、たまたまそれが何かの要因で流れてしまっただけかもしれないし、
だから目に見えない部分でたくさんのたまたまが重なって目に見える状態にあるって思ってるだけでも、やっぱりだいぶそういうふうなところで精神をすり減らさなくても済むんじゃないかなっていうふうには思いますよね。
それはでも自分も押し勝つとかをしていく中で、あんまりとらわれすぎんようにしようって今思いました。
でもそういうふうに、ゆるさってあるからって話をしましたけど、ゆるいつながりとか意図せざる結果とか、ゆるさっていったものがさっきからネガティブじゃないかっていうふうに思われるかもしれませんけど、
そうじゃなくて、やっぱり世の中ってゆるいからこそそれだけ改善の余地があるってことなんですね。だからゆるさっていうのは想像力であったりとか、発明の源でもやっぱあるんですよ。
すでにきっちりと決まったルールだけが理路整然とつながってるんじゃなくて、なんかこことここつながりそうだなっていうふうに誰かが思って、そういうふうにつなごうとする取り組みをすることによって、
新しい発明であったりだとか、新しいビジネスであったりだとか、それはいい意味で意図せざる結果としてすごいお金が儲かったりとかするかもしれないし、
そういうふうに、なんていうんですかね、そういうインテリジェンス的な、横文字使ってみようとしたりしたけど、そういうふうな発明であったりだとか新しい発想っていうのは、
さっき言った創作活動とかもそうかもしれないけども、そういうふうな世の中がゆるくつながってるからこそ、ああだったらいいな、こうだったらいいなっていうのができて、その人の希望であったりだとか、
社会の明るい未来につながる部分もありますから、決してそのゆるさが、ゆるいからこそよくわかんない部分もあれば、ゆるいからこそもっともっとよくできる部分もあるよっていうふうに前向きなメッセージとして持っておいてほしいなっていうふうに思います。
スピーカー 1
そこは別にポジティブに捉えてもいいわけですよね。
スピーカー 2
だからやっぱ、改めてこの社会を常に、社会っていうもの自体はよくわかんない、でもよくわかんないからこそ常に動かす余地があるし、なおかつよくわかんないからこそ社会の理解の仕方っていうのは対応でいいんだよっていうふうなところですよね。
だからそこをしっかりというふうなところを心に留めておけば、なんとなくですけど、自分以外の人に対しても少し寛容的な見方ができるんじゃないかなって思ったのは、社会の理解の仕方が対応であり得るって言葉からすごい自分は感じたんです。
スピーカー 1
なるほどですね。
スピーカー 2
はい。そんな感じで。なので、私としては研究の入門書として大学院に行くきっかけとしてこの本を読み始めたって話を最初にしたと思うんですけども、もちろんね、社会学の本としていろんな代表的な論者の紹介があったりだとか、その代表的な論者の本の紹介であったりだとか、
そういった意味でもね、研究する入門者としてもすごくわかりやすい本だった一方で、さっき言ったみたいな安定と変化であったりだとか、ミスした人を安易に責めないって言ったことは割と道徳的なとじゃないけども、すごく自分が生きていく上で心に留めといていい言葉だなっていうふうに思ったというか。
それが何というか、面白いのはそれが何というかそういう昔の偉い人がこう言ったんだよじゃなくて、社会の仕組み上それが合理的なんだよ、そういうふうに考えて生きていく方が理屈が通ってるんだよっていうふうな結果として、そういったある種道徳的な答えが導き出されてるところがすごく面白いなと思ったんですよね。
スピーカー 1
なるほど。だから孔子が言ったから正しいみたいなことではないってことです。
スピーカー 2
そうそう。学校の先生がこう言ったからとか偉い人がこう言ったからじゃなくて、社会を生きていくんだったらそれが一番良さそうだよねっていうふうなところで、こういうふうな考え方が出てきてくるっていうふうなところがすごく、それもそれで肩肘張らない感じの考え方かなっていうふうに思いましたね。
スピーカー 1
なるほど。ありがとうございます。生きやすさが上がりそうみたいなところはなんとなくできてると思ってて。
まとめるとなんて言うんでしょうね。わからないものに対しての社会を一つの視点から見て、それが真面目すぎちゃうがゆえに、なんでこれはうまくいかないんだろうとか、なんでうまいこと関係作れないんだろうみたいなところで、真面目になっちゃうと結構苦しんだりする子たちって結構いるなと思ってて。
私もなんかほどほどに悩んでた時期はあったんですけど、なんて言うんでしょうね。人間関係でどうのこうのって絶対、これは多分13歳になってからでも直面するだろうし、大人になってもこの問題って続くんですよね。人間関係って。仕事とかでも人間関係がうまくいかないとか、もしかしたらお父さんお母さんが帰ってきてぼやいてるかもしれない。
ただその中で、それを一つの視点から見ちゃうからそういう苦しさみたいなのがあったりするかもしれなくて、それをちょっと緩く捉えてみるとか、実はその人が悪いと思ってたことって、もしかするとチーム全体がもしかしたら良くなかったからかもしれないみたいな捉え方をしていくっていう風にしていくと、
一個その人間関係とか社会、社会って人間関係の繋がりから生まれてくるようなもんじゃないですか。
そうですね。
とにかくやりてえなあみたいなことを言ってることがあって、結構いたじゃないですか、ほどほど。
スピーカー 2
僕はそのタイプでしたね。
スピーカー 1
そうだよね、そうだよね。
スピーカー 2
そうだよ、そうそうそうそう。
スピーカー 1
なんとなくその生きづらさとかなんか違うなあっていうのに関していることみたいなのを突き詰めていく。で、まさにそれに対してうまいこと、答えじゃないけれど最初のアプローチとして出していく。
まあ分からないもんだよねーっていうのは分かっておきながら、でもそれに対して少しずつどういう風にやったら良くなっていくかなっていうルールだったりっていうのを探していく。
まあそういうと並みなんだなあっていうのを聞きながら感じた部分ですし、私の研究もそれをなんかデータ使ってどういう風になっていくかっていうことをやってたりする部分があるので、まさに通天する部分だなあと思いながら聞いてました。
スピーカー 2
ありがとうございます。そう考えるとね、私たちが結構最初の方に先輩後輩の話とかしたじゃないですか。
スピーカー 1
しましたね。
スピーカー 2
そう、中学生になったタイミングで部活動とか委員会とか入ると明確に先輩後輩関係ができるよねみたいな話をして、
なんかその時にもなんかそういえばあんま肩肘張らなくていいよみたいな話したような気がしたんですけども、改めて振り返ってみると同じこと言ってるなと思いましたね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
そういうふうな意味で肩の力抜いて、頑張るとこは頑張って、ゆるくいくところはゆるくいっていいんじゃないかなっていうふうに思いますし、
それを持ってるだけでも絶対的な答えがあるわけじゃないんだなっていうふうな気持ちがあるだけでもですね、
もっと言うとその絶対的な答えとか絶対的な正義とか悪っていったものを突き詰めようとしようとしなくなるだけでもだいぶ見え方が変わってきたりだとか、
より良い解決法にたどり着いたりすることも往々にしてあるっていうふうに思うので、
自分が中学生の時にも割とそういうふうなきっちり真面目くんタイプの人間だったので、
そういうふうな時にこうじゃなきゃいけないんだってすごい思い込んでて、それはそれで悩んだこととしてはいい経験だったなって思う一方でね、
一応13歳の君たちにハックしてほしいっていう思いでやってるこのラジオでもあるので、
それもそれはとして大事だし人間としてそう思っちゃうところはそうなんだけども、
なんかもっとこう緩く物事を捉えてもちょっと一歩引いたりだとかね、肩の力抜いてから今抱えてる課題とかを見てみると、
意外と答えってのはその辺に転がってるかもよっていうふうな感じで聞いてもらえたらなというふうに思います。
スピーカー 1
はい、ということで今回は田中くんのおすすめの本を紹介しようというテーマでやってきまして、