なんか好きなことを思い出したんだけど、農学ってさ、世界で最も古い芸能なんですよ。
なんでそれが残ってるか。バレエよりなんで長く残ってるかみたいな。
おーいい話。
農学の方々が言うには、全員じゃないけど、全網が言ってるんだけど、そもそも創始者が言ってるんだけど、この話100々年前にしたことある気もするが、結局初心忘れべからずっていう言葉が最も大事。
何かっていうと、始めた頃の気持ちを忘れるっていう話ではなく、始めるという感じの心が大事です。
この話したっけ?
してないしてないしてない。
始めるってさ、衣編に刀って書くじゃない?
衣装を作るには生地を切らなあかんっていうことらしくて、何をするにしても何かを作るには切らないといけないと。
つまり過去は切っていく。何か新しく作る。切っていくんだって。忘れるんだって。
その切る前の形を?
というか、切ったら過去のことは忘れる。やったとかも忘れちゃうんだって、農学の人たちって。
過去に300年前にこういうのがやられた、500年前にこういうのがやられたとかは、基本的にそんなに記録しないから、もう過去のこととして流していく。
どんどん次にやっていくんだって。
でも逆に言えば、彼らは新曲とかって基本的に言わないんだって。
過去にやられたかもしれないから。
覚えてないからね。
覚えてないし。という意味で何が言いたいかって、なんか彼らが残ってる理由はつまり、過去を極端に重用しもしないし、過剰に重用しもしないし、未来もそんな極端に重用しないっていう。
だからそこに新曲とかないからみたいな考え方なんだって。
新作って言わないってめっちゃ重要ですね。
そう、面白いよね。
面白い。
なんかその感覚、過去にこういうことやられたかもしれない。茶道でもちなみに似てるんだけど、そういう。
わー新しいお手前できたーっつっても、いやなんかもう400年前にこれやってたわ実はとか。
まあありますよね。
実際面白かった。ちょっとごめん脱線しちゃうんだけど、コロナの時にさ、コロナで接触できなくなったじゃない。
あの時の茶道って、薄茶、いわゆる抹茶じゃなくて濃い、練った方の濃い茶、抹茶は一つのお椀をみんなで回し飲みするっていうお手前が基本なんだけど、
当時それができないから、新しく考えなあかんって言われたらしいの。
でも結局実は数百年前に、てか明治維新の頃か、近代化の頃にヨーロッパ人が来て、その時にヨーロッパ人にもてなしていたお手前が使えたんだって。
その時に回し飲みするとかっていう文化が西洋にないから、新しく考えなあかんみたいに言ってたやつが使えるとかっていう、なんかその過去も今もあんまないみたいな感じがすごいやっぱり新生の人たちってすごい大事にしてるなと思う。
なんかすごく歴史が長くて、むしろログにも記憶にも残らないぐらい長いとそうなるのかなって感じですよね。
知らないじゃんっていう、なんかその専門家であればあるほど知らないかもしれないから謙虚だったりするじゃないですか。そういうことが。
そうだと思う。僕が言いたかったのは、たぶんその新生のとこもそうだと思うんだけど、これだけは絶対残さなあかんみたいなものはたぶんそんなにないと思う。
うん。 し、逆にこれをもっと作っていかないといけないともあんまり思ってないと思うよね。なんか流れに本当に身を委ねるというか。
うん。 まあ一回捨たれたら捨たれたでしょうがないし、また来る、必要になったらまた出てくるだろうしみたいな。
でも我々は我々のポリシーでちゃんとこだわりは捨てない。ゲイゴーしないみたいな。
大事なのはゲイゴーしない。芸能というのは能楽で言えば、花鳥風血をはじめとするぜやみの考え方は残す。曲は残さない。踊りも型も残さないみたいな。みたいな感じよね。そのマインドすごい大事よな。
スタートアップでそんなんできないんだけど。 できないんだけど、なんかでもそれこそやっぱりもう指標が違いすぎるというか、スタートアップなんてじゃあお金借りてていつまでに返さなきゃいけないとかそのためにはもう高速球投げるしかないとかっていう
自分で因果要因を追い詰めてるんですよね。因果要因で自分を追い詰めてるんですよね。けど真理性はもうその次元にいなかったりとか。だからなんか全然思想も違えば勤務スピードも違えばそれによって採用する人材の人種も違う。
からなんかこう全然違う時間軸が存在してるなっていうのはなんか面白いなって思います。なんかそのそっちへの評価を忘れずにいたいなっていう感じはしませんね。なんかスタートアップって死にせにまだなってないじゃないですか。どこも。最近の単語らしい。
結局その時代の花火って教科書にも残らないと思うんですよね。だからなんていうんだろう。どっちの世界観を目指すかでかなり変わるなっていう感じは。