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この番組は、本が好きな人たちが集まり、本から始まる様々な思い、広がりを記録して繋いでいく番組です。
自分自身を手懐けるという発想がよくわかんないんですけど、子供を手懐けるというのは要するに大人の価値観を押し付けるということですよね。
それが正しいというふうに言っちゃうことは、手懐けることになると思うんですけど。
僕は子供はもちろん人間の大人の社会にね、ある程度順応して生きていかなければ大人になれないわけだけど、
それはもうしょうがないから諦めて、できるだけ子供が野生の部分、ほとんど動物みたいな部分というのを抑圧しないでいてほしいなという気がしますね。
それは結構、今の社会では特に難しいと思いますけどね。
誰かと目が合ったら好きって思う。
これで終わりだ。
すごい実感があるように目が合ったら好き。
でも大人になると目が合っただけで好きになったら困るよね。
やっぱり子供だから子供って言うんですよね。
こちらは手がとても短い紙なんですけど、この紙がたくさんあるのが私一番、本当に見た瞬間感動して目が合ったら好きになるんだろうと思いました。
そういう経験があるの?今の奥さんとか。
子供の頃は今はいろいろ考えて、横から斜めから。
考えちゃうんだよね。それも大人は困ったところだよね。
最初の直感を大事にしたいんだよね。
今度誰かと目が合ったらどうする?
好きになろうと思います。
結婚してないの?
私は独自で。
じゃあ大丈夫、大丈夫、好きになっていいよ。
次は、主人党は生まれ持ってのものでしょうか?それとも環境でしょうか?実種の問題でしょうか?
私は何かの滑落や歪さや歪みが大きな要因であるのではないかと思います。
それ言えてますよね。
知人に限らず社会の仕組みや自然物の形、全てに共通する作用が根底にあって、
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その大小のバランスや微妙な力関係によって、人を呼ばれるようなもの、作品を飛べるようなものが現れるのではないかと勝手に妄想しております。
この妄想はほとんど正しいですね。
だけど、生まれ持ったというものも、多分これは本当に測れないものなんだけれども、
何か遺伝子的な、知人的なものってどうもあるような気がするんですよね。
それがはっきり言えたらもう本当に博士になれるんですけども、何かの滑落や歪さや歪みというのは本当にそうで、
知人というのはだいたい人間社会から何となく脱落する人が多いわけよね。
それが逆に言えば社会に対する偉業になるし、そこから社会を遥かに超えた宇宙とかね、
何か歴史の深みとかというものに触れるという感性を持っているんだろうと思うので、
この方は知人については結構よく考えていらっしゃいますね。
こだわりというのはあんまりないけど、嫌いな言葉はやっぱりありますよね。
生きざまなんていうのはやっぱり今ちょっと使いたくないし、
絆という言葉もね、震災以来なんかちょっと過ぎきれちゃっているから、
視覚的なんかそういうのを使うときにはやっぱり前後に文脈をすごいつぶつけますね。
何かマスメディアに反乱しているような意味じゃなく使いたいというふうには思っています。
谷川さんの好きな人、嫌いな人のタイプとは簡単に表すとどのような人になりますか。
好きな人はユーモアの感覚のある人が好きですね。
嫌いな人はいませんね。文脈に嫌いだと思っても嫌いだと思わないようにしています。
感覚的な好き嫌いや相性などは争うためなのでしょうか。
そうでしょうね。みんなそういうところでね、表ってますよね。
トランプさん好きですか。
会ったこともないし、好きか嫌いか言いようもないじゃん。
こういうのがマスメディアの影響の困ったところなんですよね。
みんな会ったことない人がいっぱい来るわけじゃないですか、メディアで。
僕は自分の感覚というのは本当にアナログのできるだけ直接的な感覚に正直で言おうと思っているから、
トランプさんが好きか嫌いかって言われても分かりませんというしかないですよね。
会ったことも話したこともない政治家などに対して平井と大勢の人が口を揃えて言います。
象徴を作り上げたり拝めたり、信仰したりとイメージを共有することは人間の差がなのでしょうか。
そうだと思いますね。人間の差がなんですよ。
言語というものが発生しちゃったせいなんですよね。
言語にそういう性質があるわけだから。
言語を使う条項には避けられないから、言語を持っている一致の欠点ですね。
言語を一般化し合って中小化する欠点をある程度ちゃんと意識していないと困るかなと思いますね。
その原理はどこから、その原理だから言語から生じていると私は思っています。
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一番いけないのはやっぱり学校教育の問題がありますね。
学校教育で資料を読むと解釈とか何とかで結構質問されたりしてめんどくさいじゃないですか。
知ってね、好きにならないとダメなんですよ。
だから初めに詩が好きになるようにいろんな先生が教えてね、
この中のどれが好きとかというところから始めてほしいんだけど、
教科書に載っている詩がもう一番だみたいなことで、
それにすごくこだわって一行一行解釈したり、
学者が何を言いたいんでしょうとかってやるわけじゃない。
あれでみんな詩が嫌いになっちゃうって。
なんか文部科学者になんか文句言ってほしいです。
なんか早々不っていうものなんですよね、私。
早々不ってすごい偉いものだと子供の頃思ってたんだけど、
全然偉くないんだよね。
祖父の時にもね、なんか子供の頃、
祖父っていうとすごくなんか上の人だと思ってたんだけど、
自分がなってみるとね、全然もうちゃんちゃらおかしいような人なんですよね。
困っちゃいますよね。
イメージですけどね、
無能作能っていうことをよく言いますよね。
それと言うと無能ですよね、詩はどうも。
僕はそれよりももっと意識化っていう、
精神分析なんかで無意識とか言いますよね。
なんかその辺にまだ言葉にならないなんかもやもやがあって、
それがなんか言葉になってポコッと出てくると詩が始まるみたいな。
そんな感じで。
だから詩の最初の何行かはそういう風になんか自分でも、
なんでこんな言葉が出てきたの?みたいなものの方が面白いんですよね。
ただ、初めの何行かはそうやって出てきたら、
あとはやっぱり相当作能的につなげていくんですね、
連想したりとか。
でもそうやって連想して書いていく時にも、
必ずしもそういう計算した言葉じゃない、
よくわからない言葉がポコッと出てきて、
それがうまくつながる場合もあるので。
僕、好き好きノートって本出していて、
そこになんか僕もこれが好きとかっていうのをまず載せて、
そこにみんながね、自分の好きなものをずっと書いていく本があるんですけど、
その本知ってる?好き好きノートで。知らない?
知らなかったら買ってちょうだい?
あのね、こっち側からだと子供が書き込めて、
こっち側からだと大人が書き込めるようになってるの。
で、書くとさ、すごいいい記念になるじゃない。
自分がなんか7歳の時に書いたものとか。
だから、そうやって書き込める本ってあんまりないからね。
そういう白い紙がずっと閉じてあるっていうのも面白いから。
目についたツールをなんか買って書き込んでください。
今みたいな紙が書いてあるとすごくいいと思います。
ありがとうございます。
みなさん、好き好きノートですからね。覚えました?
好き好きノートです。
あの、言葉を全部白紙状態にできればするということですね。
自分の中にある。
特に決まり文句的な、マスメディアで使っているような言葉を一旦忘れる。
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自分が白紙状態になって、なんか待ってて、
なんかポコッと出てくる。
さっき言ったように、意識化から生まれてくるものがやっぱり真の始めだから、
なんかあんまりこう、いろいろ読んで死とは何かとかさ、
考えないほうがいいと思うんですよね。
子どもたちの、さっきいろんな短い知識を読んでくれたけど、
あれみんな、本から得た知識で書いているわけじゃないもんね。
対談なので、よくテクニックがあるとおっしゃっておりますが、
そのテクニックというのは、そういった意識のコントロールの仕方も?
ある程度、詩が始まってから、読者のことを考えて、
こういう言い方だったら、読者はちょっとついてこないだろうなとか、
こういう言い方じゃ、なんかすごい平凡でつまらないだろうかなとか、
それから、今までの詩にはないような、なんか言い方みたいなものを考えるとか、
それだから、それはもう、ちょっと、詩のプロっていうのもおかしいんだけど、
詩人のテクニックですよね。
詩をこれから書こうとかっていう、そういう子どもたちなんかには、
テクニックっていうことは言う必要ないと思います。
徹夜とかはされますか?
全然僕ね、夜寝るのが好きでね、徹夜に弱いの。
若い頃から、今はもう徹夜なんて絶対できないですね。
みんなノンセンスの力だと思いますけど。
よく会いた本永さんとは、この本が完成したときにどんな会話をされたのでしょうか?
会話なんかしないよ。だって本ができれば、飲酒もらうだけだもん。
これは素晴らしい作品ができたとか。
そんななんか自己調整みたいなこと、誰もしないと思うけど、
大体みんなできたときね、すごく自分の作品に疑問があるんですよ。
これでいいのかしらみたいな。これでみんな読んでくれるかしらとかさ。
これも最初全然売れなかったんですよ、この本。
というのはなんかさ、馬鹿馬鹿しいでしょ。
だから親がさ、意味を解説できないわけよ、子どもにあたえるときに。
もちろん学校なんかは特にそうで。
それがだんだんだんだん売り出してね、今100万部超えたんだって。
だからそういうなんかノンセンスってものもだんだん浸透してきてるよね。
それは多分テレビのお笑い番組とかそういうものに影響があると思うの。
あれはほとんど意味がないんじゃないですか、笑うだけで。
だからそういうことに慣れてきてる。
ということは歓迎すべきことであると同時に我々の目から見ると、
ちょっとそのノンセンス、無意味ってものがなんていうのか、つまんなくなっちゃってるというのかな。
なんかショッキングじゃなくなってきてるみたいな感じはありますよね。
この本にはモコとありますが、
ムクやモコなどいくつもの言葉を出して精査してモコになったのか、
それとも第一印象からモコだったんでしょうか。
あらゆる種類のものを精査してモコになりました。
笑
今のお話から皆さんさ、知ってください。
ちなみに絵本など共同作業から得るものはご自身の試作の面でも大きく汚したと以前の対談でおっしゃっておりましたが、
特に印象深い作家、絵本作家に限らずどんな方がいらしたでしょうか。
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後ろにも谷川さんゆかりの方の作品なども。
絵画家は絵本作家だけじゃなくて。
どなたでも。
そういう方はたくさんいるから困っちゃうんですけどね。
絵本作家だけの方がいいんじゃない。
そういうとおかげで本永さんとか和田誠さんとか、もう亡くなっちゃった超進化さんとか、
堀内誠一さんとか、一緒に仕事していてとっても楽しくて、
僕が描いたものが数倍面白くなる作家っていっぱいいましたね。
やはり共同作業ですので、それが必ず衝突するような場面もあるかと思います。
そういったことは。
僕は一人っ子でね、兄弟喧嘩って全然したことなくて、
そういう喧嘩の仕方を全然知らなかったんですよね。
小学校の時にいじめっ子にいきなり大首みたいに張られてさ、
何されたんだか全然わかんないの。
泣きもしないし、ぼく何もなんなくて、呆然としていたのを覚えてるんですけど、
だから喧嘩っていうことが苦手で、こういう絵画家たちとやってても喧嘩になったりなんかすることないんですよ。
それは谷川さんの心の中に出てくる孤独という点と関係しているような。
そうかもしれませんね。
やっぱり兄弟なんかいないと他人と深く付き合うってことがあんまり得意じゃなくて、
僕だったら友達っていうのもすごく少なかったんですね。
友達が必要じゃないような人間だったもんね。
だからこういう本なんか共同で作ってても、
やっぱりなんかこう強作者っていう気持ちは強くて、
相手の想像の仕方も尊重するし、
自分の想像の仕方も守りたいしということで、
こうやって一貫してたから、もし衝突したらすぐに話し合いに入っちゃいますよね。
だから喧嘩にはならないと。
僕の好きなそういう友達ってやっぱりそういうふうに難航になっちゃう人が少なかったってことだろうね。
一人一個がとても多くて、自信がたくさんこれから生まれてくる。
ええ、やめてください。
本そのものについての思いなど。
簡単に言うと本はあんまり好きじゃないんですね。
というのは父は大学の先生だったわけ、評論家でもあったわけ、文芸評論なんかもやってたから、
生まれた時から自分の周りは本だらけ、壁という壁に本が詰まっているので、
本に非常に圧迫感があったんですよね。
簡単に言うと詩に関して言えば、作者がいて、読者がいますよね。
詩というのは作者と読者が間に成立するという考え方ですね。
だから紙の上に詩が印刷されていてもそれだけでは詩ではないと。
読者がいて、ある程度の感動を知ってくれた時に、初めてその詩というものが成立しているんだと。
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だから詩集というのは譜面みたいなものなんですよ。音楽の譜面。
譜面だけだから何も音がしていないわけじゃないですか。
それをピアニストが弾くと、そこで音楽が立ち上がられるわけでしょ。
詩集もそういう風に考えてもらった方がいいなと思っていますね。
声にしないまでも内心に読むだけでもいいんだけれども、
その時にその人と詩人の間に略と詩が成立するんだって。
詩集そのものはもうだんだん本に過ぎないという感じですね。
どうもありがとうございました。