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生まれた時からこの団地に住んでいるのです。
一番最初の思い浮かぶ景色が、オレンジ色の夕日かな、夕焼けかな。
窓に一面オレンジ色になっている風景というか、
カーテンの模様がオレンジ色に透けていて綺麗だなって感じている視覚的な。
一番最初なんですよ。窓の向こう側はもう空の景色。
団地の5階だったんで。
窓を見たら空しかないっていう感じ。
覗き込んだら初めて地べたっていう感じの。
空しかないっていう感じの団地の5階の景色だったんで。
窓の外は空。
僕がよく反芻する景色が、オレンジ色の窓開くカーテンを
ストライプラーにすったての、そういう景色です。
この団地は、その団地で現存していますか?
現存しています。
変わりとかありますか?
あのね、
その植樹の木がむやみやたらにでかくなっていますね。
樹齢50年以上あっているので、
やたらでかくなっているというのが変わったところかな。
入居率は僕らのベビーブームのときはほぼ満足だったけど、
今は4割ぐらいしか入っていない。
その頃よく遊んでいた遊びとか?
木登りとか、団地の下に行けば
子供が誰か絶対いたので、
そこで馬飛びをしたり、ビー玉したり、花掘ってというのとかですかね。
団地が広い敷地だったので、
そこから外に出れるようになったのは中学校以降だったので。
団地でも関係として?
そうです。商店もあったし、近く。
中学になって外に出ると言っても、
遊びというか、あれですかね、
部活していたりとか、
池にザリカニ釣り行ったりとかしてたんですけど、
あんまり覚えてないですね、遊びとかはね。
こういうモチーフを決める、
どういうタイミングで決めるとか、
ずっとこういうところとか、
それとも適当に、
どういう感じで決めるんですかね、描くものとか。
2021年に会社を辞めたときには、
油絵具を練って絵を描くこと、
行為だけが楽しかったので、
本屋さんに文庫本を探しに行くみたいに、
この小説が読み終わったら何を読もうかみたいな、
漢字の選択みたいな感じで、
歴史物を見てるから、読んでたから、
いい歴史物があるかなとか、
恋愛物があったから恋愛物があるかなとか、
そういう流れというか、
明日何食べようみたいな感じで、
気軽にモチーフを選んでました。
でもそれが1年目、2年目、
じゃあターゲットを決めようって言って、
樹木っていうモチーフを決めて、
スマホで気になる町の木を撮影したり、
その辺の木の写真がスマホのフォルダーに
ドーンと増えていったんですけど、
それを作品にしようと思ったりもして、
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油絵で50号でその木を描いたら、
原点で賞を取ったので、
そこで僕も一回終わりになって、
樹木の時代が終わって、
次に油絵具にこだわらずに、
木炭とか紙を貼ったりとかして、
ミクストメディアと呼ばれる手法なんですけど、
いろんな素材を使って絵を描くっていうことを
去年やりましたね。
一番最初にアプローチする下書きの木炭の線と、
最終的に油絵具で仕上げていくアプローチが、
もう画面に同じように存在するような画面が
作りたくて。
今年になって、ただ見る、ただ描くっていう行為、
何かモチーフを選ぶっていうよりも、
ただ描くっていう行為だけが残ればいいのになとか、
ただ見るっていう行為が残ればいいのにな
っていうようなことを考え出して、
今取り組んでいるのは、
見る行為、描く行為っていうのが絵になるっていう、
ブラインドドローイングっていって、
画面を見ずに行為だけを残していくっていうような
作品だったりとかっていうのに
チャレンジしようとはしています。
モチーフがあるので、
簡単なモチーフを組んで、それを見ながら、
右手で描くので、左側に設置して、
右手でモチーフと絵の具とだけを見ながら、
ここの線だけで見ないで、行為だけを繰り返すっていうのを
ちょっとやって、
2割ぐらい絶対見るんですけど、最後にして、
だけどそこに残っているのは、
偶然性であったりとか、
画面を見ずに付いちゃった絵の具であったりとか、
っていうのに自分がどんだけ責任を持てるかっていうような
作品になってくるかなと思っています。
そうですね、コーヒーは、
もともとコーヒー屋に就職してたっていう経験もあって、
コーヒーというものというよりも、
コーヒーを値段にして人が集まってきたりとか、
コーヒーを淹れる人がいたり、
収穫する人がいたり、
人間がコーヒーに酔って、
人が強調されていくというか、
そういう部分が好きで、
人間を描きたくてコーヒーを選んだ、
みたいなところもあります。
そういう生物も、
ちょっと人間というか、
人間味というか、
ただそこにあるんじゃなくて、
人間が使い終わった後とか、
そういう道具を。
あとこの前、デビッド・ボーイが入った。
あれはバッと残ってたんですか?
それともたまたま?
デビッド・ボーイが入ったのは、
僕は部屋の絵を描いて、
そこの人の部屋に、
人を配置したくて、
たまたま。
多分あれはね、
ザ・マン風ソウルトゥ・ド・ワールドの
アルバムの中に入っている写真を
コピー機でコピーして、
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拡大コピーして、ペタッと貼って。
そういうシルエットが、
かっこいいというのがあるんですよね。
あのデビッド・ボーイはね、
12弦ギターはアグラを描いて、
アグラを描いて、
大口を開いて、
何か食べるように、
噛みつくように歌っている姿が
ものすごく面白いなと思っていて、
あれをなぞって絵を描くのではなくて、
あれはパピエコレという、
紙を貼ってコラージュしている作品なので、
もうせっかくだから、
それを切り抜きでペタッと貼っただけ。
あれは1997年、
20歳ぐらいの時に描いたやつです。
デビッド・ボーイの心の師匠。
アウトサイドツアーの時に初めて、
生を見たことがないですね。
やっぱりね、かっこいいですね。
すごいですよね。
あの時代に、
YouTubeで個人的に、
みんな配信する時代になるとか、
というインタビューが残っていますよね。
戦犬は時代を先取りするんですよね。
その後何年か後に、
同じようなボーイアートが起きて、
ここは預言者的な、
ブラックスターの、
なんて呼べるんですかね。
でも、スペースオディティに行って、
一番最初にデビッド・ボーイが来て、
スペースオディティが来て、
アシストでアシストで、
あれは全部嘘でしたっていうのを作ったのが、
めっちゃ衝撃で、おもろいと思って。
全部嘘って言うべき?
あれは嘘だったんだって、スペースオディティで。
ここで言うのみたいな。
同じアルバムに、
MARSみたいなのがありましたっけ?
そういうのはずっと、
全部繋がっていました。
テーマはずっと一緒だったから。
そのテーマをちょっと変えてるけど、
根本的なテーマって、
最初の頃の戦犬と変わってるんですよ。
シーンは通ってるけど、
僕が狂ってるんじゃなくて、
世の中が狂ってるんだって言い切ったりね。
僕は世界を歌うところが結構好きで。
あれいいですよね。
木の上からヘビーが湧くように。
ああいうのも最初の頃から
同じようなことをずっと言ってる。
最近は、
有名になる前の
デッカレコードって
あんまり売れなかったんだけど、
あれの歌詞を見たら、
もともと今、
ずっと言ってたことは、
ずっとその当時に言ってるし、
曲中もデッカレコードの頃は、
別の人はずっと
曲の構成とか頑張ったりやってたし、
それが来る前だったから、
特徴が変なんだと。
陽気に出たらメロディとか、
展開とか、
最初の頃から全部変わってないと。
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確実して。
防衛武士みたいな。
でもそれを思うと、
それは変わってなくても、
そういう有能な右腕、
当職的なことをやってくれる人を、
身に付けたことによって、
仲間に入れたことによって、
彼は有名になったし、
その仲間を入れなかったら、
売れないまま。
グラムロックというか化粧して、
演劇というか。
ロッキーホラーショーみたいなのが
流行ってた時ですよね。
その時の流行りも取り入れて。
ジニス・サジャストは、
そういう流行りに迎合した感じを、
結構感じるのは感じない。
金儲けであったんやろうな、
みたいな感じはしたけど、
結構人の言うことじゃんやるんですよ。
悪いところがあるらしいですよ。
そうなんや。
最近の、
後期三部作って言われてる。
持ってたんですか?
CDとかダマダマ持ってます。
最後の方もすごくいいんですよ。
ブライアン・イーノとやったやつ。
それは多分アウトサイン。
僕はブライアン・イーノのアルバムが最後に。
アウトサイン?
そうです。
こういうやつ。
その後もいいんですよ。
作品がすごいですよ。
自分と同じくらいの
イメージになったんですよ。
やっと分かったんですよ。
当時はそんなかったんですけど、
今になってみると、
後半の、
もういてからの曲らしい。
ぜひ聴いてみてください。
素晴らしい。
それ後期三部作って言う?
勝手に私が言う。
自分が言う。
ボーイのすごいのが、
10年後とか5年後に、
当時一番人気なかったのが、
最高傑作だって言われてるんですよ。
アウトサインって今になってるけど、
当時のくらいの作品になってる。
逆に時代を越えて、
愛されてるかもしれないね。
その時はもう、
最先端すぎて、
ローグ。
ヒーローさん。
ステーション・トースター。
ヤング・アメリカン。
ヤング・アメリカンもめっちゃ好きだった。
あれだけ、
カラーが違う感じ。
結構ずっと聴いてましたね。
アーティ・デュビット・ボーイ
っていうアルバムかな。
めっちゃ好きでずっと聴いてましたね。
プチプチプチってCDでも、
録音の、
スピーカーの音が
録音に入ってるような、
あの雰囲気が好きで。
絵を描くときは、
音楽だけでするんですか?
描けない。
YouTubeとか聴きながら、
やれることが最近分かりましたね。
作業としてやるっていう。
最近は何かをする?
トラノボンニュースっていうのを聴いてます。
昔は何にも集中するからね。
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ラジオは聴いてましたけど、
コマーシャルはCMが入るじゃないですか。
CMが鬱陶しくて、
CMが、
B型関連のなんとかかんとかとか、
合うような、
早くしてくださいみたいな。
あんなのばっかり。
そういう、
今ですみたいな。
早くしてくださいみたいな。
コマーシャルはすごく嫌で、
ラジオはやめたんです。
最近特にそうですよね。
ドットキャストとかはしてるの?
僕が交流している
画家さんも最近、
本物の画家というか、
自然工事しか描かないという
画家もいたりとか、
無音ですとか、
YouTube劇ながらやってますとか、
ホラー系の
ジャンプとか、
色々なんで、
僕もそんなにストイックに
やっても仕方ないので、
割とやりたいように柔軟に。
僕はそう。
下絵はたくさん描く人とか、
下絵なんか描かない?
下絵とかは描けますか?
一枚ぐらい。
一枚描かない。
道しるべというか、
全然描かなくてもいいんですけど、
描いといたら、
最初の重りみたいなのに
立ち返れるので、
どこ行くかわからずに
描いて本を制作してたら、
面白い面白い。
これ綺麗、これ綺麗、
どんどん違う方向に行っちゃう。
何やったっけ?
戻るために下絵は一つ
用意してます。
日本画家の人たちみたいに
構図がこういうのがバチって
いうのはないんですけど、
雰囲気というか、道しるべ的な。
あんな完全に下絵を
あえてそこでなぞっているだけに
ついているのか、
工芸品みたいな感じで。
日本の美術とかそうですよね。
でも、田中英一本展とか行ったんですけど、
そこの本制作に至るまでの
スケッチというのが
ものすごい柔らかくて、
いろんな画面的なところで
デッサンをしてというのが
ものすごいリアルで、
それをここというところで
キャッと止めて、
それを本制作にそのまま
コラージュするみたいに
描いているんだなと思って。
多分日本人は
その工芸の技術というか
もしかしたら
切な的なこういう
技術よりも
向いている民族なのかもしれない
とは思いました。
江戸時代後期に油絵の具が
入ってきたりとかして、
いろんなリズムだとか
こういう勢い系の
というのが最近なのでね、
日本の美術って言ったらやっぱり
そういう
自然にあっているのかもしれない。
だって浮世絵もね、
宇多川、
広島とか、
それは絵師だけど、
彫る人がいて、
一番
尊敬すべきは
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彫り師かもしれないという
細い線を
木で切らないように
彫っているっていう。
これ描いてるんちゃう?
木版なんやっていう。
するのもグラデーションを
したりとか。
彫り師とか彫る人って
自分で途中で
描きたくなったりとかしないんですか?
しないじゃないですか。
職人なんで。
これ辞めてもやるみたいな。
僕もね、
バンドとかやってたりする人で、
後ろでベース弾いてる人とか
ピアノ弾いてる人とか
自分で作曲したりとかしたくならへんの。
僕は作曲じゃなくて演奏会。
職人みたいな。
その中で自己表現はあるけど、
職人みたいな。
っていうのも
人の中にはあるんでしょうね。
そういうのは面白いなと思います。
これって個人的に
気になってるのは
こういう自己表現する人って
他人の自己表現が
すごく嫌なときあるじゃないですか。
でも入ってくるじゃないですか。
特にSNS時代で
大量に入ってきて
それをどううまく選択して
これは見るべきじゃないとか
取り入れないみたいな。
取り入れないですね。
見るだけでも見る。
流れてくるやつは
ダーッと見ますけど
インスタグラムで
海外の画家さんとかで
絶対に近くにいないような
感性で描いてる絵とかは
多すぎ絵とか思いながら
いいねとかしてるんですけど
これ言うたら
しょうもないような
でもいいねはしてます。
その画風というか
その絵という絵で
その中に彼らが
どんな思いとか
が入って
その絵なので
表面的なテクニックでやったりとか
は別に
真似しても仕方ないというか
その彼らと
交流してどういう思いなのか
ということを聞けて初めて
真似できるかなと思います。
逆に
特別会った方と
喋ると
作品を見た時に
影響は大きいですね。
影響されますね。
意識が引っ張られるというか
それはもう同時代に生きた
画家同士の切磋琢磨の
結果として
僕はいいことだなと思います。
全国大会だろうと思って
こんなに画壇とか会とか
会友会員審査員とか
そんなんはないと思ってたんで
でも買ったんですよ。
完全に小世界ですよ。
僕は単なる
スポーツでいう
県展は県大会
日本美術展は全国大会
オープンな候補だったと思ったが
全然オープンじゃなかった。
みんな全然知ってるから
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入選したいんだって
言ってくれたけど
僕は自分のために
自分の名誉のために
出したんじゃなくて
自分の絵を買ってくれた
お客さんが来てくれて
自分のことに誇らしいですって
言ってくれると
ちょっと僕はくすぐられたな
僕の作品を見て
ピュアに自分の目で見て
素敵だねって言ってくれてる
反面に誰かに評価されて
やっとすごいねって言ってくれる
人もいるっていうところは
判断しろよとは思います
何百年後までに
残るために
その上積みには入っておかないといけない
一般大衆が描いた絵に
素晴らしいのがあったっていうのは
優先順位が低すぎて発掘されないので
少なくともこの上積みの中から
優れた100年前の
っていうことになってくると思うから
上積みの中には入っておかないといけないなと思って
美術史に名を残すために
とか
せっかく描いてるんだったら
現世で売れるとかよりも
美術このAIとか
生成AIが
これだけある中に
人間どうなるのみたいな
世の中で
美術史の位置付けって
多分そっち側に引っ張られるけど
油絵を描いてる人として
美術史に残る
ってどういう考え
どういう作品なのかって
多分みんな思うと思うけど
その人が多分
どう考えてどう行動するかで
作品が残ってくると思うから
だから作品をどう作るかよりも
どう考えてどうアプローチするか
みたいなところはむっちゃ考えますね
例えば
バイオグラフィーとか
ステートメントとか
AIに描かせられるんで
なんか
僕もよくやるんですけど
僕の友達ちょっとGPTなんで
作品の写真を撮って
日常の
みかんの絵を描きました
これのステートメントを描こうと思うけども
アイディアみたいなのを
箇条書きに入れていったら
まとめてくれるんですよ
これの目の前に日常で
色鉛筆に使った理由はこうで
これを文章にまとめてください
まとめたら
肩こすしはダサいわって言ったら
また書き換えてくれるし
少し柔らかくしてみました
そんな使い方をしている人
多分僕だけじゃないと思うので
でもそれが本人はアイディアを出しているだけで
文章化したのはAIだったりするんですよね
鼻に付く文章を書く人いますからね
海外の文化
特有な
いかになんか
自分は
売れるとか
深い世界に描いてます
インテントがある
ポストカードみたいな
言葉はなんか
僕はこれのために
現地に思い入って
心の知恵
何を言って
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どうしたらそのポストカードみたいにならないか
なんかすごい思ったけど
多分自信ないから
言葉で重みを与えているんですよね
そうなんですよ
言葉の重みと作品の重み
出来上がりの重みと
多分バランスを取ろうとしているんですよね
デビッドボーイ
デビッドボーイ展
行ってないです
京都でやってたやつ
写真の
そこで作曲とか
世界観を作るための
資料とかあるのかなと思って
見に行ったら
そういうものがあんまりないんですよ
ちょっとした歌詞のメモとか
それを見たら
デビッドボーイって
スタジオに入るまで決めない
大まかなイメージは頭の中にあるけど
入ってからが作るんですよ
即興で
明治とかで勝手にやらせて
ダメ出したかもしれない
勝手にやったものを出して
そこで新しく聴いて
取り入れて
歌詞もすごい
考え抜かれてあの歌詞を書いたっぽいじゃないですか
初期の頃は
実は案外そういうのがあって
即興性を大事にして
それを見たら
すごいなと
そういうのを聞くと
方がプロセスを開示するっていう
ゼロから100まで
この絵は
例えばブラインドペインティングで
明らかにしなくても
まず作品があって
すごいなと
実はこういう風に書いたんです
すごいってなると思うので
そういう文章も
まずステードペイントは
なぜその瓶を書いたか
ブラインドペインティングで書いた
もう一個層が
奥でもいいのかなと思います
最近書いてて
これは粉足で書いたからすごいでしょ
ってやると
じゃあそれはすごいやって
言われてしまう
条件付きのすごい
いらないなと思って
こうやって並べても
なんで僕は幼稚内を書いてるんだ
って思うんですよね
みんなそうですよね
幼稚内だな
そう思う
じゃあ高尚な絵ってなんや
全くわかんない
どんな大物もみんなそう言ってます
乱暴とかも
自分の本とか読んで
なんだこれみたいな
画家もみんなそう言ってます
こんなの書いてる
みんなそうなんだ
そうか
正常な感覚なのか
逆に自信満々で
自信満々でどうだみたいな
恥ずかしさ
そもそも絵とか
自分が書いたら恥ずかしいじゃない
全く恥ずかしくない
一枚で歌うほうが恥ずかしい
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でも恥ずかしい絵
出したら恥ずかしい絵は
確かにあるかもしれない
自分が認めてない絵とか
あんましないですね
絵に関しては
慣れなのかな
怪獣とか見られても恥ずかしいと思わない
お子さんこれ
みんなお子さんこれ
可愛いねって言われる人は
恥ずかしいなと思います
なんで恥ずかしいかわからないですけど
可愛いねと言って
大体奥様が
過去を自分と重ねて
思い出しているような雰囲気ですけど
僕はちょっと恥ずかしくなります
絵を見ていない感じもします
可愛いなっていう
話のネタの一つですけど
僕の家もそうですよ
子猫とか全部可愛い
どんなかっこいいものでも可愛い
これ次やろうかなと思っているのは
自分のただ見る
ただ書くという行為を
画面に表現して
それを作品というか
絵に作るというところが
楽しみであることと
今後の展開でいくと
画家というのは
制作することが
仕事だと思うので
イベント参加とか
絵を書くこと以外の
活動みたいなのとかは
あまり考えてない
作品が溜まったら
店に寄せるとか
したいなと思っていて
地元とか
奈良県の各地で
ちょっとずつ
僕がライブペインティングを
してもらうとか
似顔絵イベント来てもらうとか
細々した
誘いがあるので
そういうことに
割と活動の時間を
取られていきそうなので
本制作とか
ただ描くという
今年の軸になってくる
制作みたいなのが本制作は
きちんとやっていきたいなと
思っています