1. そろそろ美術の話を...
  2. #106 アーティスト・学芸員・..
2024-05-04 59:34

#106 アーティスト・学芸員・美術界のコロナ禍を振り返る(国立新美術館 尹志慧、アーティスト地主麻衣子)

国立新美術館  特定研究員の尹志慧(ゆん・じへ) さんとアーティストの地主麻衣子さんをゲストに遠距離現在 Universal / Remote展についてお聞きしました。 ⁠⁠⁠https://sorosoro-art.vercel.app/ep/106 番組の感想は、⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#そろそろ美術の話を⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ でお願いいたします。

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Guest Profile

尹志慧(ゆん・じへ)

  • 国立新美術館 特定研究員

地主麻衣子(じぬし まいこ)

  • アーティスト。多摩美術大学大学院絵画専攻修了。2019年〜2020年にヤン・ファン・エイク・アカデミー(オランダ、マーストリヒト)のレジデンスプログラムに参加。個人的な物語をテーマとしたドローイングや小説の制作から発展し、映像、インスタレーション、パフォーマンスなどを総合的に組み合わせた「新しいかたちの文学的体験」を創作する。

Show Notes 国立新美術館について

いつから美術に興味をもっていたかについて

コロナ禍の話題

美術以外の趣味の話題

告知

サマリー

国立新美術館では、尹志慧さんと地主麻衣子さんがゲストとして登場し、アーティストや学芸員、美術界が直面しているコロナ禍の課題や変化について話しています。作品はスピリチュアルな話や怖い話をテーマにしており、アーティストたちは制作活動に苦労しながらも、工夫しながら作品を制作しています。美術館でのイベントや映画鑑賞を楽しむアーティストや学芸員がコロナ禍の影響を振り返りながら対話しています。さらに、国立新美術館での展覧会やアーティスト・学芸員の活動についても話し合われています。地主麻衣子さんと尹志慧さんがコロナ禍における美術界の現状や課題について語っています。

尹志慧さんと地主麻衣子さんの美術興味の始まり
はい、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前後に引き続き、国立新美術館特定研究員の尹志慧さんと、アーティストの地主麻衣子さんをゲストに、美術についての話を続けていきたいと思います。
ということで、後半もよろしくお願いいたします。 お二人にそれぞれ聞いていきたいと思うんですけど、これ毎回皆さんに聞いている質問なので、いつから美術に興味を持っていましたかということで。
尹志慧さんから。そんなに難しい質問はしてないと思う。
結構難しいですね。
本当ですか?
これが。
気軽に聞いてしまいましたけれども、すみません。
そうですね。とにさんのポッドキャストは何個か聞いたことがあって、
前回の新藤さんの西洋美術館の新藤さんの回とか、少年時代から広島資源大学に通ってきてたって話を聞いてて、
いや、いいなって。
そういうエピソードがある人は。
聞きながらって思ってたんですけど、私もう大人になるまで展覧会に行ったことがなくて。
大人になるまで学生を越えてってことですか?
大学、学部生までも多分見に行ったことが、気がします。
でも僕もそうなんですよ。
大学4年まで見なかったので。
本当そんな感じですか?
そんな感じです。
きっかけは何だったんですか?
学部も経営学だったんですね。ソウルで。ソウルにある大学で。
で、トイックの勉強とかしたりしてたんですけど、就職活動する。
その後、それを活かしてちょうどサラリーマンOLの生活を何年かやったんですよ。
それは全然美術系じゃないってことですか?
全然美術系じゃなくて、本当に経営学を活かして中小企業をサポートする、
制作を実施する国の会社みたいな。
そんなところで。
絶対そっちの方が給料いいじゃないですか?イメージですけど。
だと思います。
なんで美術の道に来ちゃったかも言っちゃいけないけど。
何があったんですか?それは。
でも本を読むのは好きだったので、その時たまたま美学の本とかを読んでたんですけど、
すごい面白くて、読書会とかがあったら参加してみたいなと思って、
美術学を勉強している友達がやっている読書会に参加したんですね。
参加したら5年経って、5年間ずっとやったんです。
これは本当に本格的に学んでみたいなと思って、院に進学しようと思って。
それで日本にある大学に。
その美術は最初から現代学だったんですか?
いやいや、何も考えてなくて。
全般的に好きだったの?西洋美術とか、当然韓国の美術も。
美学の方が面白かったです。
最初に行った展覧会とかも行ったの覚えてますか?
覚えてます。なぜなら最近のことだからです。
何行ったんですか?それは。覚えてるんですよ。
アンニカルティーブレッソンの写真展とかだったと思います。
写真展ですか最初が。それはソウル?
ソウルにある、そうですね。
そこから美術の道に行こうと思って。
それはでも日本に行こうにはならなかった?
そうですね。
最初は韓国で美術館で働けたらいい。
いわゆる日本で学芸資格みたいなものがあるんですか?
尹志慧さんの美術道への転身
韓国にもあるんですけど。
こういう美術史、美学、芸術学を
仮定を持っている大学の数は日本の方が多くて。
日本で学んでってことですね。
じぬしさんの。
美術のきっかけですか。
私は絵を描くことが
子供の時から好きだったんですけど。
ずっと美術が好きだったかと言うと想像もなくて。
小さい時は好きで好きに描いてたんですけど。
学校とかになると図工の
クラスとかで三作みたいなのがあって。
こういう風に描くといい絵みたいなのが
胸形志向みたいな力強い子供の絵みたいなのが
すごい推奨されてて。
教科書とかにも載ってて。
でも私、こういうの全然描きたくない。
それが嫌いになっちゃったんですよ、美術が。
なるほど。好きにやってただけで楽しかったけど。
私は勝手にイラストみたいなのを描いて。
中高でも美術は取らず、音楽を取ってたんですよ。
選択科目では。
でも高校3年生の時に
ずっと絵描いてたから
美大予備校とかに通って
美大に行きたい子とかは周りにいて
美大来たらいいじゃんみたいな
そういうのがあって
流れで美大予備校とかに行き始めたりして
でもそんなにすごいずっと
美術館に行ってみたいな方ではなかったんですけど
ある時、ICCっていう
オペラシティのところにあるやつですね。
NTTがやってるやつ。
そこでダムタイプっていうグループの
大開講展があって
その時、新作公演があって
合わせて過去の全作品が上映されてるみたいなタイミングに
行ったんですよ。
すごい衝撃を受けて
やばいみたいな
こんなものが
あったんだよお腹には
みたいな感じで
人生が価値観がぐっちゃぐちゃになって
そこから
こういうの作りたいみたいな
同じです
ダムタイプの作品が
本当ですか?
天才に大きな影響を
洋さんはどこで見たんですか?
初ダムタイプは
初ダムタイプは
前の前の職場が
大阪にある国立国際美術館なんですけれども
そこが今収蔵している
ラバーズっていう作品があるんですよ。
ダムタイプのフロアステージさんの
名前で作られている
ラバーズっていうインスタレーション作品があって
それで
結構
なんか
その作品を基準に前後で
人生が変わっている
洋さんもそうだったんですね
そんな繋がりがあるんですね
ダムタイプすごいですよ
本当に人生変えられましたダムタイプに
色んな作品があるけど
どの作品が一番印象的だったんですか?
やっぱりSNとPHですね
どういう作品でした?
タイミング的に
入った順序的に
先にPHを見たんですよ
PHは
3人のパフォーマーの人がいるところに
コピー機みたいな感じで
人間3人がいて
それよりもっと大きい
人間がコピー機の上にいる
みたいな感じで
バーがずっと前後に動いていて
その3人が椅子を持っていて
倒されるんじゃないか
みたいなヒヤヒヤの中で
バーがずっと動いている中で
動いたりパフォーマンスする
っていう作品で
SNは
古橋さんが
HIVポジティブである
っていうことを
パフォーマンスの中で
表明する作品なんですけど
それは
レイヤーがあって
会話劇みたいなところもあれば
パフォーマーの
すごいかっこいいパフォーマンスのところもあれば
古橋さんがサラリーマンの格好から
ドラッグクイーンに
舞台の上で
化粧して着替えて
やっていくみたいな
いろんなのがあるんですけど
それを高田時期に見て
高田時期に見て
1週間くらい
口聞けなくなりました
そんなに親びっくりですよね
帰ってきたら
あまりに衝撃的すぎて
衝撃的すぎて
言ってもそれだって
今高校生って考えたら
15、20年くらい前
20年も経ちますよね
そうですね
世の中にはいっぱい面白いものがあるじゃないですか
テレビもあるし
そこではあまり衝撃を受けなかった
ダムタイプは
でも
文化的なものは
好きだったので
本も読んでたし
映画もいっぱい見てたし
好きだったんですけど
その当時は
寺山周二が好きで
そういう
地主麻衣子さんの美術道への転身
遺曲とか評論とかエッセイとかも読んでたんですけど
ダムタイプは
なんて言うんですかね
その
全部含まれてる
って感じがしたんですよね
言ってもどれも
ある
形式の中で
なんて言うんですかね
実践だったんだけど
ダムタイプは
本当に人生
特にSMは
人生を賭けた
賭けた何かで
定義不能というか
こんなものが
芸術でありえるんだ
と思って
それに衝撃を受けました
そっちの道に行きたいとなった時に
パフォーマーとか
絵画でもないってことですか
その時点で絵画は
捨てたというか
そこからアーティスト人生は
でも
かといって
そういうわけもなく
まあまあ
結局
油絵家に進学するんですけど
でも
絵も描いてたんですけど
そこからは色々模索しながら
でしたね
本当に好きなのが
そういうものだけど
とてもそれは
すぐにできない
できないじゃないですか
どうやったら
あれに近い何かができるんだろう
って色々
実験しながらって感じです
でも頭の中ではずっと
目標としては
そういうことやってみたいのは
ずっとあった?
目標といっても
目標といっても
ちょっと難しいんですけど
なんか原体験みたいな
そういうものとしてあって
自分がそれをできるとは
とても拝ましすぎて思えないけど
やっぱり
あの感じは
思考の体験みたいなのがあって
ああいうのがいつか
作れたらいいな
ぐらいな感じですけど
油彩家に入ったら
卒業制作とかも
その時はまだ画家だったんですか?
油彩だったんですか?
油彩は描いてなかったんですけど
色々
その時も
どっかのタイミングで
絵だけだと
自分がすごい興味があるのは
実感性を持った
ものだなってことに気がついて
実感に伴って
その感情が
動いていくような
何かで
多分絵でできる人もいるんですけど
自分はそれはできない
自分の才能では無理だって分かって
絵だけじゃ無理だってなって
そこから色々絵を使いつつ
ちょっと揺さぶったり
色々やってきたので
もう一回やっぱり
実は中大の時に
文章は書いたことあるんですけど
一回挫折してたんですけど
もう一回文章を書いてみよう
みたいなタイミングがあって
それを朗読してみよう
それを映像で
撮ってみようみたいな
自然に流れで映像に行った
って感じです
人生作品って前半にも出てきたけど
朗読が結構
ポイントだなと思うんですけど
朗読は結構早い段階からやってたの?
映像作るより前です
朗読からって感じです
朗読に
こだわりとかは
自分なりにこうしたいとかはあったりするんですか?
こだわりはなくて
元々は
文章を書いても
誰も読んでくれないし
賞に応募しても全然引っかからないから
あとその
美大で自分で書いた
作品を発表しなきゃいけないんですよ
好評とかで
で、文章を
空間に展示するのって
すごく難しいから
パフォーマンスで読めばいいやっていう
それぐらいから始まったんですけど
読んでいくうちに
なんかいろいろしたらいいかな
みたいなのがあるんですけど
元々の時はそれぐらいです
僕は
今こうやってラジオやらせてもらったりしてるんですけど
結構僕自分の声
コンプレックスだったんですよ
コロナ禍における美術界の課題と変化
本当に好きじゃなくて
自分の声が
番組に出るようになって皆さんに
褒められるから
折り合いがついてきたんですけど
だから自分の声を
自分で編集するなんて今でも嫌なぐらい
でもどうですか?
私もコンプレックスです
本当ですか?
すごい嫌です
だから私も編集してる時
でも分かります分かります
すごいイライラします
ここもう少しこうしろよっていう
声質だけじゃなくて
イライラする時もあります
これ
じゃあそうなんですか
リュウスさんも嫌々やってるんですか
編集の時は
嫌々というか
苦痛ですね
自分では自分の声あんま好きじゃないですか?
今は
もうやりすぎて
ちょっと離れたんですけど
ちょっと別物というか
結構ネタにされてきました
ちっちゃい頃から
声とか喋り方を
本当ですか?
真似とか
リュウスさんの真似をする友達が
声いいなと思いますし
聞き取りやすいから
なんか透き通った感じ
どう真似されるんですか?
それはもう
できないですけど
周りの友達から
多分結構特徴的だから
真似されてて
結構コンプレックスなのは
すぐ分かります
逆に僕は武器にしてるのかと思ってた
自分の得意分野として
朗読があって
それで作品にしてるかと思ったら
そうじゃないんですよね
作品にしてからは
まあ半々というか
別に
今は結構そんなに
コンプレックスでとかはないですけど
ちょっと離れてますね
自分からは
普通だった時
コロナ禍で編集とかも頼まれて
自分で美術家に頼まれて
自分が出て自分で編集しなきゃいけない時とか
もう嫌なんですよ
自分の声聞くのが
なるべく自分を使わないという方向に
行くわけですよ
ナレーションも誰か別の人にやってほしいし
別の人にやってもらおうはなかったんですか?
その普通だった時代に朗読を
友達とか何ならお金払って
プロの方に頼むとか
選択肢はあるじゃないですか
それはなかったんですか?
でも朗読は私以外の人が話してる作品も
結構ありますよ
それはじゃあ嫌でというのはあれだけど
嫌でというか
自分が絶対話さなきゃいけないとは
全然思ってないです
それに合ってるものであれば
自分が話す必然性がある時は
自分が話すし
そうじゃなければ
別に自分じゃなくてもいい
って感じ
まさかコンプレックスを持ってらっしゃる
こんなに可愛い声
でもやっぱり嫌ですよね
自分が聞いてる声と違うから
アウトプットされてる声って
僕もだいぶコンプレックスだったんですよ
2人とも別にですね
僕の場合は
何が一番嫌だったかって
弟と同じ声なんですよ
弟のことを下に見てるから
あいつと同じ声なんだなって
なる感じです
逆に弟さんが
お兄ちゃんと同じ声ってことじゃないですか
同じ
でも僕はそんなこと思ってないと思います
僕が多分
勝手に思ってる
自分が喋ってる声と全然違うから
例えばそれこそ
ポッドキャストとかでも
今日は手応えあったなぐらいに思って
聞くと
声が
全然いいですけど
高いんですよ男なのに
声が高いので
それが低い声になりたかったなって思います
僕の場合は
高さはありますよね
私も高さが恥ずかしい
なんかすごい裏返ってる
この番組の月一の
低い声のことをすごいコンプレックスに思ってるから
あるんですね
アーティストのコンプレックスと制作活動
不容赦はないですか声コンプレックス
あんまり
声というよりは
日本語が
全然
です
自分の中で作品
話戻しちゃいますけど
絵を描いててって話してる
自分の中でつかんだなじゃないけど
ターニングポイントだったな
みたいな時ってあったりしますか
今振り返って
それはどこになる
それは
大学院の卒業制作で
初めて
映像作品ができたって感じた
のがあって
それもそのまま声っていう作品なんですけど
それを作った時に
あ映像面白いと思って
そこから作ってます
それはどういった作品なんですか
それは
私が描いた
友人からパフォーマンスフェスティバルに出ない
みたいな誘われて
パフォーマンス作品としてやったんですけど
それはバーの中で
男性が
バーの片隅にずっと座ってて
あるタイミングで
みんな喋ってるし
照明もあるし
うるさいとこが
照明が消えて
音楽も消えて
男性が桃村に立ち上がって
個人的なものを
朗読する
っていうパフォーマンスだったんです
その文章を私が書いたんですけど
それを記録として
私が映像で撮ってて
ただ
映像をほとんど
撮ったことがなかったから
ピンマイクつけたり
外付けマイクつけるとかしてなくて
声が全然撮れてなかった
大事な部分が
空調のブーン
全然聞こえて
ダメじゃんってなったんですけど
撮ってた時に
男性が立って
読み始める前に
ズームインした時に
すごいなんかが
起こったって感じて
自分としてはすごくいいパフォーマンスができた
と思ったから
これを何とかして残したい
声が撮れてなかったことで
無理だって思った時に
すごいショックで
これ何とか復活できないかなって
すごい考えた逆
私の声で
アフレコすればいいんだって思ったんですよ
その時に
男性にもう一回
ボイスオーバーしてもらうと
それはこう
フェイクっていうか
リアルじゃなくなっちゃうんですけど
だからダメかと思ったんだけど
自分の声でやったらって
ふと思いついて
それいいじゃんってなって
すごい興奮して
その時マイクとかもなかったんで
昔の小さいコンパクトデジタルカメラ
こういうやつに
小さいマイクがついてて
それで
おしりの中でボソボソ録音した
それをアテレコして
やったら
いいじゃんってなって
それが終了制作だったんですけど
それ以来です
でもそれがうまく撮れてたら
その道になってなかったかもしれないですね
なってなかったと思います
ひょうたんからコマじゃないけど
そう思います
たぶんそのまま普通に撮れてたら
記録映像だったんですけど
それが撮れてなかったことで
作品になったっていう実感があって
今作品になったっていう
その感じが
結構自分の中で大きくて
それが大事ですね
その作品の反応はどうだったんですか?
よかったです
手応えも
自分にもあるし
反響もあるし
それは
アートセンターオンゴーイングってところで
二人展をやらせてもらった時に
展示したんですけど
それを見てくれて
仲良くなった人が
すごく多くて
今でも友達で
すごい大変な作品です
それはヨロさんはご覧
本当に
まさに男性が
おもむろに立ち上がって
朗読をするっていう
設定なんですけど
トニーさんに似てない
似てない
似てないですよね
なんか
残念な気持ちになります
なんですか
勝手に持ち上げられて
勝手に
僕みたいなヘアスタイル
立ち上がって
いいですよ
立ち上がって
あの人は何をするんだ
いきなり
その男性から
立ち上がって
その瞬間に
作品になったっていう
その気持ちが
あと聞いてみたいのが
例えば画家の方とか
彫刻家の方とか知り合いが結構いて
いろんな話をすると
常に動いてるじゃないですか
毎日制作時間があって
この実際のこのスタイルの場合って
どうやって
制作するんですか
それは本当に
恨ましいんですけど
常に手動かせてる人が
私は結構
待ってる時間が多い
常にとかじゃないです
なので
ふとした時に
アイディアが浮かぶと
メモをするって感じで
でも例えば
締め切り的なものがあったりするパターンもあるわけですか
作品制作と新作展示の過程
それはもちろんそうですね
何か展示の予定があって
この時まで新作作らなきゃいけないってなったら
それに合わせてやるんですけど
それ以外の
自らみたいな時は
出てきたら描くみたいな感じ
じゃあ全然制作次第だって
日もある
でもなんか
全部
制作だと思ってるから
自分にとっては
ぼんやりしてることが
制作というか
なので
いつも制作
今も新作
作ってるのもあったりするんですか
今は作ってないです
この間
森美術館で
新作を作って
それが自分にとっては
すごい
ある種
自分の今までの
姿勢というか
やりきれた感があるというか
ようやく
自分がやりたかったことを
従前にやりきれた感があって
燃え尽き症候群になっちゃって
ちょっと今もう空っぽで
しばらくインプットしないと
何も出来てこないなって感じです
なるほど
でもまあ
めっちゃタイミングが合わせないですね
ここで来てっていう
あの新作
僕も見させてもらいましたけど
3回ぐらい
3回見に行ったんですけど
展覧会を
本当に素晴らしい学校でした
パイプみたいなのが
出てきてて
声が聞こえて
モニターはずっと回転しててみたいな
あれはどこから閃いた作品だったの?
発想とか
そうですね
分析して考えるのが
難しいんですけど
まず1個は
2020年に
動くモニターの作品を
1回作ってるんですよ
モニターが動くっていうのは
すごい面白いなって
自分で思ってて
あれはまた何か機械があったらやりたい
と思ってたんですけど
結構お金がないと出来ないんで
機械というか機材
モニターを回すって結構難しいんですよ
なので
新作作れる機械いただいて
ある程度予算もあるから
じゃあモニターは動かそう
モニターは動かそうっていうのは
最初から目論んでて
あとはその
テーマというか
何するか
とかは
いろいろ考えて
ひねり出した
って感じ
ちなみにあの時のテーマは何でした?
テーマ
テーマという
そうですね
そのままの内容なんですけど
祖父の法事に
参加した時に
不思議な音を聞いた
経験がありまして
作品のテーマと制作活動の苦労
あの不思議な音は
何だったんだろうっていうことについての
作品なんですけど
なんか
そういうちょっと
スピリチュアルだったり
ちょっと変わった出来事って
人に
例えば何々があってさ
みたいに話したら
そうなんだとしか言えない話じゃないですか
例えば私が
すっごい変な音聞いて
みたいな
でも何だったのかな
とか言ってもトニーさんも
ふーんとしか言えない
それは確かに
そうなんですねってなる
じゃないですかそれを
確かにこういうのを聞いたし
なんなら自分も聞いたかもしれない
みたいに思うのって
かなり難しいじゃないですか
そんなにみんなのあるあるじゃないから
そうですね
そういうのを
そういう体験を
人と共有することはできるのかな
みたいなチャレンジでした
実際
作品見た人から私もありました
みたいな報告とかはあったんですか
それはありました
なんかツイッターで
この作品
はすごい旋律して
なぜかというと
自分もああいう体験があったから
みたいに書いてありました
共感できる人も
いるんですね
だから
いろんな楽しみ方ができる作品で
その中身の
スピリチュアルな
面白い話
の層もあれば
でもその中で
怖い話をする
発話者が
出てくるんですけど
二人とも地主さんで
地主さんが同じ人間になったり
二人に別れたり
二人が微妙な
関係性を持って
シフトしながら
しゃべるんですけど
それを二人の話者の
キャプションの色で使い分けたり
それがミックスしたりする
瞬間があって
そういう映像作品としての楽しみ方もあれば
動くモニター
それが
作品全体の
ビジュアルな伏線になっているんですよね
それが最後に
アーって映像になる
それがしかし
物理的に動いている
そしてビジュアル的な
伏線でもなるっていう
面白い装置があると
最後にサウンドインスタレーションとして
ブレーキから音も出てくる
本当にいろんな要素が
組み合わさった
面白い作品です
今日の話を聞くと
ダムタイプから繋がってますよね
コロナ禍での制作の工夫
やりたかったことが
一つだから結実した感じですね
そうなんです
だから燃え尽きでしょう
まずいですね
新しいものを見つけなきゃいけないですね
ちょっとしばらく静かにしておきます
インプットはどういうところからするんですか
普段は
今は本を読んでます
それは何でも読むんですか
ジャンル
そうですね
小説とかが多いですかね
エッセイとか
それはたまに使えるなって
ピンとくる時があるんですね
そうですね
使えるというよりは
必要に迫られて読んでるというか
ボラーニャの時もそうでしたけど
集中して読める時は
ほんとにほしてて
食べるみたいに読みます
必要だから読むみたいな
お腹空いてるみたいな
そんな感じです
お腹いっぱいの時は
逆に入ってこない
なるほど
ここで話が全然変わっちゃうんですけど
展覧会のテーマがコロナ禍ということだったので
皆さんにコロナ禍は何してましたか
聞いてみようという
実はこの番組が始まったきっかけも
コロナのパンデミックの期間で
何かしたいというのを
プロデューサーに言われて
始まったんですが
お二人はどうでしたか
コロナになった時に
オランダにいたんですけど
それはレジデンスで行ってて
本当はもうちょっと
オランダにいる
予定だったんですけど
もうちょっと
コロナになって
EUの中で
EUの中で国境が
どんどん閉じていたりしている時で
もうちょっと
帰らないといけないってなって
日本に帰ってきて
そこからは
自宅に
ちょうどロックダウンが始まった頃だったので
しばらく
家にいてって感じ
その時は制作はできたの
むしろ
家でしてました
それはコロナの
テーマにした作品にしようとか
じゃなくて
特に関係なかったですか
その時に
横浜市民ギャラリー
7月
夏頃から
展示が予定されていたので
作んなきゃいけなかったんですよ
作品を
自分のそれまでの
制作スタイルだと
いろんな人と会ったり
さっきも話したように
自分がある状況に身を置いて
転がっていくように
作ってたんですけど
コロナ禍になってそれが一切できなくなっちゃって
その当時は
コロナが終わるかどうかも
わからなかったので
自分この先制作できるのかな
みたいに
制作のやり方を考え直さなくちゃいけなくなって
結果的にその時は
じゃあ
今まで取りためた
もので
なんか面白いと思ってたけど
作品になりきれなかった
取りためたやつを使って
それだけでやろうって思って
家で
ここでできる
パソコンでできることだけでやるっていうのを
テーマにやってました
でもまた逆転の発想じゃないけれども
それはそれで
そういうことないと作れないですもんね
作品には
ユウンさんはどうでした?
当然美術館も当時縛りましたもんね
2020年当時は
2020年は
関西に行って
関西全職の
アシア市立美術博物館
っていうところの学院だったんですけど
そこの担当の展覧会が
2020年4月7日だったのかな
その日から
緊急事態宣言があって
緊急事態宣言があって
緊急事態宣言があって
緊急事態宣言があって
初日とともに
迷惑じゃないですけど
休館してしまって
ぼーっとして
1年
過ぎてしまい
担当した展覧会が
結局開かなかった?その後
そうです
でも最後の何日かちょっと
開かれたんですけど
その後にこっちに行った?
新美術館って
大変な時期だったんですね
これは僕も話したほうがいいの?
はい
僕何やってたかな
でも俺一回アートテレは
辞めると思いましたよ
4月の段階で
それまでちょっとずつ
キャリアがステップアップしてきて
仕事が結構増えてきてた
トークイベントとかも
入ってきてて
3月の段階で5、6月、7月に
それぞれ1個ずつぐらい入ってたんですよ
今年は最先いいなと思ってたけど
全部もうなくなってたんで
もう終わったなと思います
雑誌で連載やってたけど
雑誌が出なくなってファッション誌が
からでかかってきて来月出しませんみたいな
だから連載も書かなくて大丈夫です
とか
アーティストの経験と感想
美術館もなければ書く場所もなくなったし
もう終わったなと思ってて
一番一緒に残っているのは
ロンドンナショナラギャラリー展が
国立西洋美術館で始まって
あれ一緒に内覧会だけやったけど
開かないでやったんですよ
プレスバー行ったんですよ内覧会
こんなに来てるのにやらないんだと思って
なんかできないかな
応援してあげたいなと思って
暇だったんで
午後のひまわり
軸層パズルをアマゾンで取り寄せたんです
2000ピースみたいな
そんなちゃんとやったことなかったけど
調べたら2000ピースはだいたい
28時間から48時間
かかりますみたいな
じゃあ暇だし
午後のひまわりを
応援するの24時間テレビのように
マラソンのようにやりますみたいな
だから1時間ごとにツイッターで
発表しますみたいなことを言ったんですよ
誰かが引っかかってくれればいいなみたいな
いつも読んでるブログの
読者担当が読んでくれればいいなと思ったら
それを公式が見つけてくれて
なんとトニーさんが
頑張ってくれてますみたいな感じで
めちゃめちゃリツイートされたんですよ
やってたんですけど
24時間でまず終わらず
48時間経っても終わらなかったんですよ
もうやめたい
なぜなら全部黄色なんですよ
あの絵は
普通のやつより相当難易度高いんですね
これはひまわりの黄色なのか
花瓶の黄色なのか
床の黄色なのか
頭おかしくなりそうになったんだけど
やめたいのにトニーさんが
頑張ってくれてますってみんな見てるから
結果俺10日間やりましたから
強制ステイホームですよ
朝起きたらずっと
ひたすらジグザグパズルを作りつつ
1枚しか残ってるのは
色でやるしかないんですよ
絵柄でやれないから
みんなほぼ同じ形じゃないですか
何通りとやるんですよねくっつけて
くっついた時に
喋る相手もいないから
擬人化してて
君と君がペアだったんだって
よかったみたいな
出会えたねみたいな感じでやってるんですけど
その3日後ぐらいに
全部が組み合わなくなったんです
多分どっかで間違えて組み合わせてるのがあって
またやり直してたら
ついに出会ったあの2人が
別れたんですね
3日前に感動した2人が
こうやって10年離婚ってあるんだな
合ってたと思って
それが分かった時点で
どこまで巻き戻せばいいのか
分からないから
1から全部にはめていったら
こっちの方がぴったりくるかも
この2人はもう別れた
ちょっとうるうるして
あんな経験は後にも先にも
あの時だけです
おかしくなってましたね
結局できそうですか
10日間かけて
本当に感動しました
壊すのは一瞬でした
壊したんですか
1回全部ノリで張ってやろうと思ったけど
僕はだいぶ不器用で
ノリをベチャーってなっちゃって
ああってなって
もう見たくない
それもあったし
そうなる前に
さすがに4日後
5日ぐらいはこういったままにしてたんです
1部屋で
ある時に
朝起きて
お手洗い行こうと思ったら
寝ぼけやすいからその上取って
ぐちゃってなって
ああってなって
結局それをまた
1日くらいかけて直したんです
直して
ノリやってぐちゃってなって
もういい
ああってなった時に
その時に思ったのは
その時にちょうど
内々の岡村さんが
ゼッカ事件を起こしてるんですよ
オールナイトニッポンで
それがちょうど壊した日だったんですけど
岡村さんですらいろいろと
積み上げてきたものが1日でなくなるから
まさにそれを見てる感じ
この積み上げた
アーティスト地主麻衣子のコロナ禍での挑戦
200ピース、2000ピースも
バラバラってやったら
一瞬でなくなるんだなと思って
切なさと共に
社会を見てるような感じだった
軸層バズル一つで
なんか
それがもう僕の中のコロナ禍の
一番の事件というか
イメージですね
だからその後展覧会が開いて
見に行ったんですけど
ひまわりの前でなんか異常に涙が出てる
あんなに感動
別にごっこのひまわり
ごっこに感動してるわけじゃないんだけど
たぶんみなさん周りの人は
とにさんごっこのひまわりすごい感じすると思うけど
そうそう
それはすごく印象的でしたね
すごい良い話ですね
良い話?
どこでもしたことない話ですね
でもそういうチャレンジ企画はやってました
だからその後も
ヤマタネ美術館さんが
応援し
ちょうどヤマタネ美術館が
塗り絵を作ったんですよ
その作品、展示作
田野村作品だったかな
それをとにさんもよかったら
やってほしいって言われて
せっかくやるならこの前みたいな感じで
24時間企画の方が面白いと思う
って話をして打ち合わせて
電話とかで打ち合わせだったんです
一番大きくして送ってくれるって言って
A0ってサイズ
あれが送られてきたんですよ
ロールで
それを24時間かけて
塗り続けて
ライブ配信するって企画もやりました
今だから言えますけど
一応完成もして
その後美術館にも飾ってくれてたんですよロビン
謎の
ヤマタネ美術館の支援活動
経練が
1ヶ月止まらなかった
お呼びがおかしくなってて
ヤマタネさんにも悪いから言えないし
なんかもう
みんなも楽しい感じでね
とにさんやってよかったねって言ってくれたから
俺もそういう感じしてたけど
ボタンが止められなかった
その1ヶ月
いよいよちゃんと形勢美術館に行って
広告小売りで言ってたら
連絡に取ってくれたけど理由がわかんない
だから結構その1ヶ月は諦めてました
これはもう一生
ボタンが止められない生活
急に治ったから良かったんですけど
急に治った
ある日朝起きたら
あ動くみたいな
パソコンも打ちづらかったんです
その時だから
体張ってましたね
2010年が一番体張った
1年だったかもしれない
そんな話もありつつ
多分みなさんね
それぞれパンデミックで
ステイホームで
いろんな思いがあるからこそ
確かに前半におっしゃってた
もう忘れつつあるじゃないですか
あの時
今改めて思いましたもんね
この話してて
きつかったなって思いますね
自粛警察とか
夜の街とか
そういう単語を
ずっと書き留めたりしてました
こういうキーワードがいつか
思い出したくなりそうだな
確かに
5つの小でしたっけ
なんか言ってましたよね
小池さんがいろんなこと出したけど
3密ではなくて
3密以外に
毎月お題が出てた
みたいな感じだったけど
あれもいつの間にか
なくなりましたしね
3つの子だか
5つの子だか
3つの子だか5つの子だか
小っていう字を使った
気がするな
あーそうそう
なんかありましたよね
ありましたね
確かに
忘れてますね
見直すきっかけにも
この展覧会になりますもんね
ちなみに
いつも聞いてることで
改めてなんですけど
美術以外で好きなものとか趣味はありますかって聞いてるんですが
そういうのどうですかお二人に
えっと
先日映画館で
オープン映画を見ました
おー
3時間ありますもんねあれ
そうですね
とてもどうでした
喋んない
プロデューサーに聞きがちです
誰も見てないから
あの
思ったより反戦映画だし
平和主義の内容で
あの
クリストファノラン監督って
結構人気あるし
結構受賞もたくさんしてるじゃないですか
でも
こう
今までは
毎回毎回
形式的な実験が結構あったと思うんですよ
チャレンジがあった
中身のストーリーだけじゃなくて
形式的なチャレンジがあったと思ったんですけど
今回はその
チャレンジはないんじゃないかな
って思って
でも内容的にはすごく充実してて
あったんですけど
そして
映画の中で
映画鑑賞とぼんやりする時間の重要性
オープンアイマーが
いろんなことを経験して
でも
雰囲気ががらっと変わって
彼を非難するように
社会は彼を非難するように変わり
晩年は静かに
何もなかったからに暮らして
最後の最後に
国がくれる勲章みたいなのを受け取る
そして
そういう勲章を与えるっていう舞台は
あの
アインシュタインが
オープンアイマーに助言をするんですけど
そういう舞台は
君のために
設けた機会じゃなくて
他人
あなた以外の他人たちが
安心するために
他の人のための舞台なんだっていう
そういう瞬間が
きっと訪れるので
それに備えろっていうのが
アインシュタインの
アドバイスだったんですね
この映画を見てから
この映画すごい絶賛されたじゃないですか
アメリカで
カデミー賞も
まあ十分面白いんですけど
この映画は
オープンアイマーのための映画じゃなくて
この歴史的な事実を
忘れられない
アメリカ国民を
納得させるような
オープンアイマー以外の
周りの人のための
なるほど
アメリカ人が
見るのと感覚が違うかもしれないです
僕ら日本人とか韓国人の方が見たら
日本人が見るのと
また違う国の
私が見るのと結構感覚が
違う気がします
映画は結構見られるのか
たまたまオープンアイマーを
頑張って見るようにしています
へえ
インプット的な意味でですか
じゃなくて
そうですね
インプット的に
映画映像作品という
フォーマットが好きかなって
思っています
仕事に通するところもあるんですね
ちなみに
自分は趣味とか好きなものって
趣味は
ぼんやりすることですね
趣味なんですか
僕ができないんですよ
ぼんやりが
一回もしたことないんじゃないか
人生においてですか
できなさすぎて
それこそ去年の年末
大晦日に
毎日ブログを書いたりいろんなことしてるんですけど
大晦日と元旦は休もうと思って
大晦日に
いつも午前中だと
いろんなメールとか返したりして
さあ12時から今日はもう何もしないと思って
お酒も好きだし
お酒とか買って食べ物も用意して
好きなバラエティ番組つけて
のんびりするぞ
と思ったんです
でも食べれる限界ってあるじゃないですか
2時間たらもうお腹もいっぱいだし
食べれない
頑張ってお酒だけ飲み続ける
もう3時の段階でもういよいよすることがない
ってなって
昼寝でもしてみようかなみたいな
普段はしないけど
寝ようとしたけどその感覚が
2時間寝れないんですよ
布団の中で寝れないな
起きようと思って
起きた時に
これが明日まで続くのかってなったら
絶望的な
これがあと24時間以上続くのかと思ったら
もうダメ
すごいですね
なんかしないと気が済まなくて
ぼんやりができないけど
ぼんやりどうしたらいいんですか
私ぼんやりしていいって言われたら
2ヶ月くらいぼんやりして
そんなにできます?ぼんやり
ぼんやりできる
ぼんやりしてる時に考え事はするんですか
考えます
理想のぼんやりはどうやるんですか
理想とかないんですよ
ほうほう
ただ
いろんなものが巨大するに任せて
はーってやって
それはどこでもいいんですか
室内でもできるし
自然
登山とかしていい景色を見て
どこでもいい
部屋でもいいし
その辺歩きながらでもいいし
へー
その辺歩きながらの場合は
一番ベストは
一番贅沢なのは
目的地を決めない
のが一番贅沢で
その曲がり角に来たら
どっち行こうかな
こっちだみたいな
そういう風にやれる
場合が最高に
最高に贅沢
ぼんやりしてるんですか
考え事しません
考え事します
来るがままに考えに吹ける
って感じ
何かを考えなきゃいけないんじゃなくて
自由に
考えられる
みたいな
僕はそれができなくて
確かに
そういうことはしてると
街中歩いてる時にも
朝の段階でスケジュールを決めてるから
この時間はこれしてここに行って
ここ行って
移動中は考え事してるけど
なんかぼんやりする時間を作ろうって
思ったことがない
花からないのかもしれない
でもそういうの作るんですか
意図的に
それが必要なんですけど
忙しくて
この1年くらいそういう時間を持てなかったら
ちょっと落ち込みが来たんで
なるほど
ぼんやりします
しばらく
やっぱなんかこの
何も方向性を持たない
時間みたいなのが
絶対必要なんだなって
思いました
でも贅沢は贅沢ですよね
贅沢です
ありますかぼんやり
時間が必要だなっていう
ぼんやりしてる
時間があれば
本読んだりとか
映画見たりとか
なんかインプットして
この前それこそ
まるさんと喋ってて
指摘されたけど
会話の中で
僕がお風呂入る時です
タブレットとか持っていかない時が
お風呂入っている時間が一番暇だから
それすごいですよね
タブレット持っていく時
頭濡れなくないですか
それを濡れないところに置いて
でもこうやって見たいじゃないですか
次が気になっちゃって
それはよくできてまして
僕が
ティーバーとか持っていくんですよ
CMの時間になったら
国立新美術館での展覧会
頭洗います
あのティーバーのCMすらもったいない
この時間をうまく使って
頭を洗う
すごいですね
始まったら湯船に戻って見て
CM始まったら
携帯を持ち込んでますから
携帯では別のこともしてます
忙しすぎだよね
忙しい
まるさんがお風呂に1時間2時間入る
みたいな話して
1時間2時間で持っていくの
持っていかないって言われたから
当たり前のように言ったら
変だって指摘されて
初めて気がつきました
普通すぎて僕の中では
でも両方わかります
家族、タイパー、そして公立湯船
自分もそうですし
それがでも
すごい過剰になると
多動っぽくなる
何事にもじっくり
考えたり集中したり
することができなくて
常に何かをチェックしたり
今じゃなくてその次のことを
考える
常に次のことを考えることになるから
今はいつ考えるんだってことになる
そういう自分もいれば
でもジーンさんみたいに
そういう風な時間が
多分必要だなって思う
自分がいつもできてるかというと
できてないんですけど
それが結構ストレスなんですよね
お風呂もどんびりというか
ぼんやりする時間
むしろ子供がいるから
ぼんやりできないんですよ
時間に追われてるんで日々
じゃあここで
次の作品のために
ぼんやり時間を作らなきゃいけない
そうなんです
常に追われてます
そんな中番組に出ていただいて
この2時間ぼんやりできたらローに
みたいな感じです
脳がいい感じで
ほぐされました
あっという間に終わりの時間がやってきてしまった
ということなんですけれども
ご告知とかはありますか?
最後に
展覧会の告知もう一回
もちろん
遠距離現在
ユニバーサルリモート展
国立新美術館で
今年6月3日まで開催
そしてその後に
広島市現代美術館で
6月29日から
9月1日まで開催となります
新美今ちょうど
開幕して
アーティスト地主麻衣子さんと学芸員尹志慧さんの語り合い
1ヶ月ぐらい
経ちましたね
その間
2つぐらいイベントがあったんですけれども
5月もイベントは続いていまして
一番最初のイベントは
5月11日
土曜日の
イベントですが
遠距離現在展のカタログに
実は小説家の
福永慎さんが
書き下ろしの小説作品を
載せているんですが
福永慎さんと
展覧会の英訳者
ズロックの英訳者
クリストファー・スティーブンズさんに
まつわるイベントなんですが
福永慎さんによる
一人対談
クリストファー・スティーブンズとは誰か
福永慎が迫る
アートカタログ翻訳者の人生
っていうパフォーマンスを
福永さんが
朗読のパフォーマンスを
やる予定です
これは申し込み制なんですか?
申し込みではないので
どなたでも
この日にしたらってことですね
5月11日
午後2時から
研修室Aで開催です
次が5月12日
の次の日の
アーティストワークショップは
本店に出品してくださっている
画家の木浦夏子さんの
ドローイングのワークショップなんですけど
でも申し込みはもう締め切りに
なっているので
5月25日に
本店の出品作家
人次谷さんと
トレバパフレンさんの
2人による対談を予定しています
2人が2018年
ポンピッドセンターで
行った
イメージを消費すること
大衆文化
ビジュアルカルチャー
グローバル資本主義
監視社会
いろんな側面テクノロジーと
ビジュアルカルチャーにまつわる
対談を行ったことがあるんですけれども
その続編
それをコロナを経ってから
何がどう変わったのか
そして2人の新作はどういう風に
展開が変わったのか
そういう話が聞ける
貴重な
これも申し込み制なんですか?
お話をくれば見に来れるとですね
ぜひぜひお聞きください
礒主さんは
国知展覧会以外であったりしますか?
6月9日
日曜日まで
横浜で
開催されている
小金町バザールというので展示しています
これはどういう作品を展示しているんですか?
これは
これも過去作なんですけど
テレパシーについてという
作品を展示していて
建物自体
グループ展なんですけど
建物も結構面白い
一見たぶん
ここが展示会場だってわからない
感じかもしれないですけど
マップを頼りにぜひ
たどり着いてください
小金町は元々の場所が面白いところですからね
そうですね
これは6月9日まで
ということでございます
ということでお2人
いよいよ終わりの時間が近づいてまいりましたけど
どうでしたか?
緊張しました
そんな風には全然見えなかったですけど
緊張しています
まだ
気づかなかった
全然大丈夫だった感じでした
私は話しすぎましたついつい
いやいやいや
まだまだ聞きたい
まだまだ聞きたい
ありがとうございます
ぜひ展覧会に
足を運びいただきたいなと思います
お2人の仲が
より深まった感じもありますよね
そうですよね
文通を企画して
企画というか
文通をしようかな
思ってるんですよ
いいじゃないですか
ダムタイプトークで盛り上がりますもんね
急にCM
ただ文通で
ありがとうございます
ありがとうございました
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感想はハッシュタグそろそろ美術の話を
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