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そう言われる前に今、目を見てて思ってたのは、
僕の中で、たぶんこれは親に聞かされた記憶のはずなのに、鮮明にイメージに残っているのがあって、
昔の車って、昔って僕、昭和57年生まれだから、2、3歳だから昭和60年とか、1985年とかそれぐらいだよね。
その当時って車って、まだドアの鍵がオートじゃなくて、ノブを引いたり。
だから子供が中に入ってインロックしちゃう。子供が中に入って自分で鍵を閉めちゃう。
偶発的に閉めちゃうっていうのが、起こりうるような装置というか車の設備だったんだけどさ。
その時に僕はやっぱり車の中で、今だったら問題になるかもしれないけど、親がちょっと待たせていた時に、
僕は車の鍵を全部、一個閉めたらこれ閉まるんだって思ったらしくて、全部閉めちゃったみたいで。
子供がインロックしちゃって、親が外から開けられないで困っているけど、僕はめっちゃ楽しんでいるみたいな絵を、
僕は鮮明にイメージできている。それはおばあちゃんの家なんだけどさ。
でもそれをよく考えたら、親に聞かされた記憶のはずだけど、イメージはものすごく残っているから、何なんだろうなって。
親はめっちゃ困ったと言うけど、多分僕はすごく楽しかったというか、何かをやり遂げた感があったんだよね。
だからそういう意味では、古い記憶だと思う。多分何かを達成したと思う。
多分何か仕組みを発見した。これってカチャンってなるんだ。別に鍵を閉めるとかそういう概念はきっとなかったと思うけど、
この出ている杭みたいなやつは押せるんだみたいな。こっちにもあるんだみたいな。
2ドアだからさ。2個押したらコンプリートになる。4ドアじゃないんだから。
赤い車だったんだよ。めっちゃイメージができていて。
記憶はね、僕はイメージで記憶ができる方。
何か暗記をするのも、やっぱり暗記カードのカードそのものの写真を覚えているイメージだね。
夢中になったら遊びに行ったと思います。
そう言われると、僕はガンダムのプラモデルなんだけど、超成功なガンダムじゃなくて、
3頭身2頭身みたいなデフォルメしたガンダムのプラモデルを作るのが好きで、
当時はコロコロコミックというのがガンダムとコラボしていたのが不審だったんだけど、
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来月の何日に出るプラモデルの最新はこれですみたいなのをちゃんとチェックしていて、
お小遣いをもって500円とかそれぐらいで買えたから、ちゃんとおもちゃ屋さんで買って作って、
それをもう一度箱に入れてちゃんと箱ごと取っておくみたいなのを、
すっごい、リビングの一角はガンダムの作ったけど箱に入れてあるやつが綺麗に並んでいるみたいな。
コレクション的な感じがある。
時々こう出して、2体こうやって、こうやってって言っても弟だとわからないけど、
2体こう、こいつとこいつの持っている武器で対戦みたいな、でも壊れないように対戦するみたいな、
一人遊びはしてたんだよ、そうやって。
もうちょっと大きくなって、ハマってて遊んでた。
でもその後記憶にあるのは、僕はもうずっとバスケットボールをやってたから、
覚えてるのは、ガンダムはもう小学生で終わりだなって僕の中で決めて、
当時いとこじゃないな、あれはお母さんの友達の息子さんが多分、
小学校入りたてぐらいの時でガンダムみたいなのに興味があったから、
もうほんと一式もう僕これあげていいよって言って、スパンって手放した記憶があって。
そこからは本当に僕はバスケットボールしかやってないな。
遊びって言ったらバスケットボール、部活って言ったらバスケットボール、
基本バスケットボールで過ごしてた。
そういう意味ではそうだよね、本当にこだわったら徹底的にプラモデル、
でもさ、きっちり販売日をチェックして買いに行くし、
バスケットボールもそうだったな、きっちりやっぱり決めた練習は全部やってた。
まだ理解できないような趣味体験とか。
そういうのはね、僕はわりと信じない方なんだけど体験はある方で、
僕2回死にそうになってんだよね、海で。
でも2回やっぱり活かされてる。
僕、波乗りサーフィンを大学時代にしてた。
サーフィンって波がないと乗れないスポーツだから、
波を求めて、できれば大きい波を求めて車で移動するんだけど、
でも実に上手くはなかったから、あれは冬だったんだよね。
1月とか寒い時から1人なんだよね、朝日の出くらいだから、
6時とか冬だからさ、その時間で、
これ乗れるって思ったやつが、サーフィン横でダンパーっていって、
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波って順番に右から左になり、左から右になり、順番に崩れていって、
斜面がちょっとずつずれていくから斜面も滑れるんだけど、
一気に壁みたいにドーンと落ちるみたいな、そういう波がダンパーって言うんだけどさ、
それをまだ見極められなくて、ダンパーの波をつかんじゃって、
その時は冬の仙台だったから、冬の仙台って南米とかで起こった大きなうねりが直に来るから、
超爆弾的圧みたいなやつがあったりするんだけど、
そういうののうねりが来るからやっぱり強い波で、
ダンパーの波に僕は飲まれて、どれくらいなんだろうね、
本当に海の中、冷たい海の中に叩き落とされてさ、
そういう時って海水をお腹いっぱい飲んじゃったんだよね、
ああもう呼吸できないなと思って、
でもやっぱり上に行かなきゃ死ぬなと思ってもがいたんだけど、
ああもう無理だって、力入らないみたいになった時があって、
ああでもその時すごく綺麗だったんだよね、海面を上に見てああって、
そっかーってこんなに静かで超静かだったの、
すごく激しい波に飲まれて下にぐわーって巻き込まれたはずなんだけど、
ああ海の中ってこんな静かで海面であんなに綺麗で、
ああそっかーって海って綺麗だなと思って、
ああなんか苦しくなくなった瞬間があったのね、
でよく考えたらやばいと思って、
ああでもどうしようもない、もう息もできないし力も入らないと思って、
ああもうダメだって思って力抜いた瞬間に体が浮いたんだよね、
ふーって浮いていってああいけるって、これならまだいけると思って、
そのまんまもがかないで浮いていった瞬間に水面に出て、
でも水面に出たら現実に戻ってさ、超苦しいんだけどさ、
うーわーって海水飲んでるし超苦しいし、
でもさ、ああすごく死ぬ瞬間って静かだって言うけど、
ああこれかもしれないみたいなのが一回あって、それがもう一回あったんだよ、
でもそこで結局僕は生き延びたんだけど、
ああ生かされてるんだなって思った、
生かされてる理由がきっとあるんだなって思って今を生きてるんだけどさ、
だから不思議な体験といえばそう、ものすごく冬の冷たくて激しい海だったんだけど、
その海底から見た海面はとっても静かでとっても綺麗だった。
ちょっともう臨時体験っぽくなってたみたいだね。
そうかもね。
息もちょっと吸えてなかった。
そうそうそうそう。
たぶん死ぬ時は本当は、
たぶん死ぬっていうのはさ、別に苦しいことじゃないのかもしれないって思った。
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苦しいって思ってるから、生きたいって思ってるから苦しいだけだって、
何かそれを諦めなのか受け入れるなのか分かんないけど、
そういう時はきっと、なんだろうな、
それこそ幸せに次の輪廻に巡っていくのかもしれないなって思うよ。
いっぱいあるんだよね。
いっぱいあるんだよね。
本?
本か、本だと僕は沢木孝太郎の深夜特急なんだよね。
最初知ったのは、あれたぶん小学校6年生だったな。
小学校6年生の時に深夜特急のドラマ化で、
大沢孝太郎が主演で3部作があった時があって、
ユーラシア編とかヨーロッパ編とか、
なんかあれをテレビで見た時に、
何か僕の中で、ヒッチハイクじゃないけどバスで日本から、
あれは確かロンドンだったよね、ロンドンまでバスで行くみたいな。
あの中で、何か予期しないことがあったり、
不思議な体験があったり、みたいな。
なんかそういうのがあるんだと思って。
たまたまそれの、やっぱりテレビでやってるから、
書店とか行くとさ、ドラマ化しましたみたいな。
深夜特急、確か六巻つづりであったんだけど。
僕は小学校6年生で、中学校に上がる前の春休みの時に
全部一気読みした覚えがあって。
アジア情熱編とか、何か覚えてる、ユーラシア編とかあったんだけどさ。
なんかその時に僕の中で、
深夜特急みたいな世界観っていうのに、
めちゃくちゃ多分影響を受けたはずなんだよね。
いまだに大澤敬夫のドラマの表情とか覚えてるからさ。
だからといってすごく放浪の旅をしたわけではないんだけれども、
深夜特急で原作を読んで、
原作とドラマで表現が違うんだとか、
本って何か疑似体験できるとかって言われるけど、
本の豊かさを知ったのもあるし、
それこそ旅というか、何も決めないわけじゃないんだけど、
目的地だけ決めて道中を決めない旅みたいな、
そういうのに多分憧れて、
僕はそれ以降迷ったらやったことがなくて、
別に険しいかどうかは分からないんだけど、
予想できない方にしか僕は人生価値を切ってないなと思うんだよね。
影響を受けたと言えば、もしかしたら本で言えば、
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深夜特急沢木幸太郎だなって思う、今。
音楽か、そうだな。
僕にとっては小沢賢治なんだよね。
小沢賢治って、今でもカバーされてるんだよね。
今というか何度も何度も、
時々で、今夜はブギーバックとか、
アレスチャー・ダラパーとのコラボなんだけど、
ラブリーとか、
時代を越えて色んなアーティストの方にカバーされて、
今もなおも若者というか、
その時代の若者の声を通じて、
そのメロディーと歌詞が続いてるっていうのを今も感じると、
僕はやっぱり小沢賢治のラブリーであり、
今夜はブギーバックだったんだけど、最初の出会いは。
でもそれもやっぱりラジオで聴いた一曲から、
僕はすごい何か衝撃を受けて、
ライフっていうアルバムを買って何十回も聴いて、
何十回とか大学に入ってもずっと聴き続けたから、
もしかしたら何百回も聴いたかもしれないんだけど、
小沢賢治、ラブリー、
小沢賢治、ラナー音楽で言ったら。
この瞬間は?
それはある。
僕は結構出演回数をいただけた方だから、
日数で言えば12日、
1日2回か3回お話ができるから、東京だからね、
東京スクリーンだから確実にある意味ホワイエとかじゃなくて、
確実にスクリーンで2回か3回だから、
僕にとっては35、6回きっと、
30回くらいは対話の機会があって、
最終の僕、2、3日は最初の一言っていうのは、
その人の顔を見て降りてきた言葉を伝えてた。
でも決めてることがあって、
その人の中にしか答えがないことを聞くなかった。
その日のテーマに丁寧に沿った質問にはするんだけども、
僕、あなたって使わないんだよね。
自分ってさ、諦め悪い方だったりするみたいな。
入った時にその人がグワッて自分の中で
入った瞬間の表情が見えた時に、
僕はもうこの対話いけるって思う時があって。
最初の質問でその人の心の中を、
その人が自分で覗きに行った時に、
僕はその表情を見た時に、
今日この対話いけるって思う。
そういうのがつかめてきたのは後半も後半なんだけど、
それまでそのテーマに沿って色々な想定質問を考えて、
男性だったらこれ、女性だったらこれ、
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自分より年下の学生だったらこれ、みたいなのを
何パターンか用意して、その中で選んでたんだけど。
当然用意はするんだけど、
後ろ姿を見た瞬間、画面が多くなって、
その人の目を見た瞬間に降りてきた言葉で、
今まで用意してたものを全部捨てて、
その時の言葉を伝えることができたのは、
僕は面白かったなって思う。
考えすぎたらそれに引っ張られちゃう。
そっちを話そうってなっちゃう。
知らず知らずに枠を決めちゃう。
それいいね。
降りてこなかった時ってあったんですか?
ない。
逆に降りてこないなんてことはないって確信が持てたからこそ、
そっちに振り切れたんだと思う。
確実に僕は一言の質問だし、
自分の中にしか答えがない質問しか、
そういう質問しか降りてこないんだよね。
なんでだろうって不思議だけど。
そういうのができた時に頑張ったなって。
僕の中で超えたものがあるかもしれないと思った。
東京だと周りにあんまり人がいない。
一人か二人とか。
一人か二人とか。
周りにあんまり人がいない。
一人か二人とか。
スタッフさんはいるけどね。
でも関係ないね。
僕はすごく多くの方が聞いていようと、
誰もいなかろうと、
スクリーンに映った方の裏の観客を見てたから。
見えないけどね、物理的には。
でも一回ね、小学生が多分
遠徳かなんかで割と前の席に
30人か40人くらい座った時があって、
彼らに対話なんてさ、分かんないと
勝手に決めるのはちょっと拒ましいけれども、
でも彼らが大人が何か心を開いて話す中で
彼らの中で響くものがあったらいいなって思って
話してた時もあって。
目の前のホワイエで選ばれた方と
対話してるんだけど、
それを見てる方と僕は
いかにモテてもらえるかみたいなのを
意識したな。
これは最初っからじゃないんだけどね。
ホワイエの担当者の方が
もっとやっぱりシアターだから
観客がいるっていうのを意識してくれるといいな
って言ってくれたのの、僕の答えはそれだと思います。