1. 1000人の声あつめ
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2025-10-27 10:47

#2-191 2025年4月18日/十三/海月文庫/4

#2-191 2025年4月18日/十三/海月文庫/4

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昔、うちの家は、実家は庭がありまして、結構後ろにそれなりに大きい感じの庭があって、その庭で、何だろう、吹きの塔とかを積んだり、それから池があって、池の中で金魚を、池の中に僕が入って追いかけたりとか、
なんかそういう、庭が原風景の中で一番古いと僕は思いますね。僕は、多分今、面積としたらそんなに広くなかったんだと思うんですけど、その頃、自分にとったら本当に大きな庭で、柿の木とか、いろんな木が松とか、何だろうな、木が10本かそれくらいは植わってて、妙に昔の庭だから、銅線が作られているんですよね。
ああ、よくある、日本庭園。
いやいや、そんなに立派なものではないんですけど、なんか勝手にそこに池作ったりとか、何だろう、資材置き場みたいな小屋を建ててあったりとかで、銅線があって、その銅線を子供ながらに辿っていくうちに、なんかいろんな遊びが見つかって、あれは楽しかったですね、なんかね。
もうちょっと大きくなって、小学校とか。
あの、基地を作るというのをみんなやったことがあると思うんですけど、その頃やっぱり子供で、基地って言ってもすごくはないんですよ。ただなんか、うちの近くに土手がありまして、土手に広大な広場があったんですよね。
もう誰も手をつけてない、赤土だけの。そこにいろんな廃材とかをみんなで子供が運んでって、小屋を建てるんですよね。
で、ポツンと小屋が建てる感じになるんですけど、それを朝からやって、本当に夕暮れまでみんなやって。
で、結局、次の日見に行ったら、建ってたはずの小屋がポシャンと潰れててっていうのは、なんかあの、基地作りっていうのは結構、その頃の子供の男の子はもう、みんななんか、熱狂してましたね、なんかね。
うーん、そうだなあ。教科書。教科書ではないんですけどね。夜、ほら、寝る前に本を読んだり読んでもらったりっていうのをよくしてて。
で、よく覚えているのはあれなんですよね。悲しいお話ってあるじゃないですか。フランダースの犬とか泣いた赤鬼とか。
ああいうのを夜の暗い時間に布団の中で自分で読んで、ちょっとこうしんみりしますやろ。しんみりしたまま寝るんですよね。
そういう夜読むのには、パーッと冒険談とか、ハッピーエンドじゃなくて、やっぱり暗い話がなんか、僕は好きでしたけどね。
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それ今でもそうなんですよ。気質っていうか、夜にあんまりドキドキさせてほしくないっていうか、眠れなくなりますんでね。やっぱり沈んで寝るっていうのは。
なんか沈むためのものだと僕は思ってましたから、読書いうもんが。そうやないで知ったのって結構後々なんですよ。
結構なんか暗い感じの本ばっかりを読むのがいいもんだと思って。
僕なんかは逆に冒険のとこが好き。真ん中が冒険の話を眠るっていう。
それも確かにここではないどこかへ連れていかれる感じがあって、それもすごくいいなと思うようになったんですけど、秘獣がなんかそうではなかったですね。
どっちか言うたら地味な。これ俺だけか。
今一番関心あることですか。今というわけじゃないんですけど、絵を描くことはやっぱり僕は好きで、音楽も非常に好きで、音楽と絵を描くっていうのは別なことだと思うんですね。
音を生み出すときに絵と音楽っていうのは全然同じじゃないです。
12年ほど前からライブハウスへ行って、知り合いとかが出てるわけですよ。
それをその場でクロッキーをするっていうのをちょっとひょんなことから始めまして、作品が300枚くらい溜まっちゃって。
どうもありがとうございました。
家で絵を描くときは音楽は聴いてるんですか。
聴きます。聴きますけど、観音のされ方っていうんですかね。
やっぱりライブハウスってクロッキーだから目の前に描く対象があるわけじゃないですか。
それがじっとしてない。動きません。
それを言ったらその人らのステージの間中で全部出てる人たちは多いときなんで13人14人出てるわけですよ。
それを30分40分で描くっていうのは骨は折れますけど、ただやっぱりそのときしか出てこない線とか消しゴムを使う間なんてないから
引いた線塗った色っていうのは全て正しい前提で絵を描かないと終わらないんですよ。
それをやってるとすごく仕事用の絵を描いてるときと、そういうライブハウス行って制約が多い。
ライブハウスだから真っ暗なところもいっぱいあるわけですよ。
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色なんかわからないですよね全然。
そういうところで描く場所でもないから立ったまま終わらすときもあるし。
全然違うことなんですけど、自分の中でそういうバランスができちゃってどっちか描けるとバランス悪いんですよね。
定期的にですけど月2回ぐらいは行ってライブハウス行って絵を描くっていうのを今やってて、それがもうなんか体の一部になったのが楽しいですね。
いいですね。音楽もずっと聞きながら。
不思議なことに音楽だけ聞いてるときよりも絵描きながらそのライブ状態の音を聞いてたときの方が各楽器のパートはよく入ってくるんですよ耳に。
不思議ですよ。
わからないですよ。
四角っていうものがなんか違うものに取られてて耳だけ動いてるような感じ。
例えば昔の黒電話あったじゃないですか。黒電話で電話しながら目の前で一枚の絵を見てるというのに近いんですよ。
あれって結局耳と脳みそは会話に取られてるじゃないですか。ところが目はそういうところで分離して絵だけ見てるんですよ。
そしたら終わったときにその絵の見え方が変わってることがよくあって、あれに近いなと。
みんな似合ったらってよく言うんですけど、やってくれる人が誰もいないので。
楽しそうですね。
楽しいですよ。本当に知り合いも増えるし、最初はみんな何やってるのよこいつって見てあったけど、今はなんか変えてんのよね、はいはいっていう感じで認知が一つ一つできちゃって。
思い出の一冊とか思い出の一枚とか。
それはいっぱいあるんで、いっぱいあります。
いっぱいありすぎて。
僕絵本も書いておるんですけど、絵本だったら僕はプンクマインチャっていう、もう1969年に出た絵本なんですけど、
ネパール民話を再若化してそれに絵を付け張って一つの作品されてるんですけど、
なんだろう、もう僕のバイブルみたいな本で、
今誰が書かれてるんですか。
秋野勲さんっていう方、もう亡くなられたんですけど。
漫画っぽい感じの。
そうですね。
なんか墨を使ったりとかですかね。
墨も使うし、岩絵の具が重いなんですけど。
あの人は絵本作家というか画家の有名な人ですね。大画ですよね。
大画。
お母さんが秋野福さんっていう日本画の大画さんで、お母さんの影響もあったりですけど、
秋野勲さんという人が放浪するような人生を送りながらずっと絵を描いて、
そのなんていうんだろうな、ニュートラルなんですよ。
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なんかもう無理がそこになくて、インドへ行くことになったのもちゃんと必然みたいな本人の中であって、
ネパール行くことになったのもそうで、
それから北米のいわゆるインディアン、ネイティブの人らと住むようになったのも本当普通にそこにナチュラルな理由があって、
そういうところがなんか僕は好きで、長いこと会わなかったんですよ。
会える機会があったんですけど、好きな人に会って幻滅したくなくて、
個展とかされてても本人いるときはいかなくて、いないときにさっと行ってさっと帰るみたいなことをしてたんですけど、
あるときに会わずに俺ん状況になっちゃって、会ったときにもうなんだろうな、涙が出て涙が出て、
そっからなんか会えるようになって。
幻滅するんじゃなくて、むしろイメージのままだったって裏切られることはなかったんですか?
裏切られることはなくて、例えば話し声とか聞いたことがなかったんですよ。
初めて聞いたときに、なんと良い声してるんだろうなと。
その話を聞きながらヒサムさんの絵を見てたら、これが正しい味わい方なんやなっていうのを感じるわけですよ。
あれは感激したなあ。
ヒサムさんが描いた最初の本がプンプマインチャーっていう本で、
いろんなとこ行って紹介したり、ぜひぜひ読んでくださいようなことをよく言ってますね。
ありがとうございます。
10:47

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