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大体、幼稚園の風景が浮かぶのですが、それはなぜかというと、
幼稚園の校庭というか庭にある新幹線型の遊具で遊んだというのが、
確か幼稚園に行った最後の1年だけ新しく作られた遊具で、
遊び足りなかったという思いがあるのかないのか、楽しかったという思い出があるのかないのか、
そののぼり棒と一体化した新幹線の遊具の風景が、
自分の心の中の一番深い底にぼんやりといつも浮かんでいるのです。
しばらくは、幼稚園は通えるぐらい近い場所だったので、前を通ったりすることもあるのですが、
何か後ろ髪引かれるように新幹線型の遊具をチラッと見て、
まだ元気であるか、みたいな感じの気持ちで、
わりと中学校を終わって、その地域を離れる、通う場所が変わるぐらいまでは、
そんなような関係の記憶があります。
今、好きな遊びで言ったら、やっぱりこんな場所にも来るぐらいだから、
いろんな人のパーソナルヒストリーを、
画の自分が体験することではないけれど、
自分に置き換えたらどう感じるだろうかというのを、
こういうところの手作りの個人的な本とか、
いろんな作家さんが残した生活の記録とか、日記みたいなものを、
この中を得て、やっぱり自分との対比というか、
比べてどう生きればいいのかな、
みんなどう生きてるんだろう、みたいな興味が今は強くあって、
その考えが遊びみたいなことかなと思いますね。
子供の頃はそういうのはしてましたか?
してたみたいです。
一時期の仕事は、そういう当てはめとか妄想とか、
もし何々だったらどうなるかみたいなのを、
種にして膨らましてみたいな仕事もしてましたし、
それは今離れてしまったので、
今それをやっているってことはリハビリ的なことなのかも分からないですけど、
一時期やっていて、今復活したって感じですよね。
何か人間のこととか、
怖くて、すごい怖いものがあるとか?
それが一切なくて、
むしろ人が喋っていても、
人間の心の動きって面白いなっていう、
その人の内面の問題が現れているんだろうなっていうふうにしか考えられないんだよね。
子供の頃は怖いとかじゃないじゃないですか、怖くなかった?
怖かったですね。
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お化けは信じてはいなかったですよね、
サンタクロースと同じような感じで。
みんながそういうことで遊んでいるっていうのは分かるけども、
親が飼ってきてるんだろう。
トンネルの湿ったところに垂れてくるピチャンっていうのが背中に当たったんだろうとか、
なんかこしゃまってくれたっていうか、
大人びた考えっていうか、
物事にはそういう、
からくりじゃないけども、
答え合わせがあるのかなみたいな、
考えてましたね。
面白くない子供だったかも。
夢ってあまり見ないんですよね、昔から。
たまにいい話がある、気持ちいい目覚めがあった、
続き見たいなっていう夢が見れたとしても、
その続きが見れた試しは全くなくて、
試しに枕元にね、なんかこう、
ねんじるじゃないけど、
その文字列を見て寝たら、
その文字列に関係することが夢見るのかなとか、
やってみたことは子供自分にはあったけど、
全然なんかそういうのとは縁がないような。
むしろ夢見てる時期、
例えば体が寝ていて脳が起きているみたいなのを、
脳の活発な活動の現れだとすると、
自分は老化しつつあるのかなみたいな、
夢を見なかったっていうことは、
そうなのかなって寂しく思ったりしましたね。
なんか昔から紙物は好きだったかもしれませんね。
本が身近にね、ありますし、
子供の頃なんか、
ゲームの貸し借りとかもあったけども、
基本的にジャンプを回し読みしたりとか、
そういう文化の中で育ったので、
何か人とのコミュニケーションのツールとしての紙?
みたいなところに何か思いがあるみたいで、
気がついたらコレクションというか、
道具がたくさん増えているっていう、
止めどなく増えているっていう感じですね。
どうなんでしょうね、
一つってなかなか浮かばないんですよね。
この質問に限らず、
一番好きなものって何ですかとか、
一番を結構聞きたがるじゃないですか、皆さん。
一つに決められる人ってそんなにいるのかなって、
僕はダメだからって思っちゃうね。
でも会えてあげるとすると、
やっぱり誰かの痕跡が残っているもの?
今会えない人の何か、
お守り代わりに持っていたいっていう意味で、
手放せないっていうのかなっていうのはありますよね。
例えばやっぱり手紙とかですよね。
誰かが書いた、肉質じゃなくても、
その人の人格が出ているようなものであったら、
何でもいいんですけど、
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活字であっても多分ね、
言い回しとか含めてその人が浮かび上がる、
みたいなのもあるだろうから。
ないですね。
文学にあんまり興味なかったのかもしれない。
国語はあんまり得意じゃないですか?
国語はね、何だろう、なめてました。
っていうのも、
勉強しらで取れる教科みたいなのって、
誰しもあるじゃないですか。
スポーツ得意だったら体育とか、
手先野球だったら相棒とか。
僕の場合は国語ってそういう教科で、
思い入れなくできちゃうみたいなところがあって、
得意の範囲だったかもしれないけど、
それが故にないがしろにされているみたいな。
そんな存在で印象に残っている文房の作品とかはないですね。
きっと今読んだら、
今の年齢なりに思うところは多分強いと思うんですけど、
10代の子って今が全てじゃないですか。
過去なんか全部古くせえなんて思っちゃうときもあるじゃないですか。
そんな気持ちだったかも。