信濃追分には、分去れの碑があります。
分岐点の分に、去っていくと書いて、分去れ。
言葉どおり、越後へ通じる北国街道と京都に向かう中仙道の分かれ道です。
江戸時代から旅人たちは、ここで別れを惜しみ、たもとを分けて、それぞれの道を目指しました。
この追分の分去れを、詩に詠んだ作家がいます。
立原道造。彼が詠んだ詩は、こうです。
「咲いているのは みやこぐさと
指につまんで 光にすかして教えてくれた
右は越後へ行く北の道
左は木曽へ行く中仙道
私たちは綺麗な雨上がりの夕方に
ぼんやり空を眺めてたたずんでいた
そうして夕焼けを背にしてまっすぐ行けば
私のみすぼらしいふるさとの町
馬頭観世音の草むらに
私たちは生まれてはじめて言葉をなくして立っていた」
立原道造は、帝国大学に入学した20歳の夏に、軽井沢を訪れました。
以来、24歳で亡くなるまで、この地を愛し、たくさんの詩にしました。
14行のいわゆるソネット形式の詩を、まるで音楽を奏でるように詠んだ抒情派詩人。
そんな彼は、建築の分野でも才能を開花させていました。
文学に傾倒しつつ、建築家としての道も歩んでいた、立原道造。
彼が分岐点で選んだyesとは?
分岐点の分に、去っていくと書いて、分去れ。
言葉どおり、越後へ通じる北国街道と京都に向かう中仙道の分かれ道です。
江戸時代から旅人たちは、ここで別れを惜しみ、たもとを分けて、それぞれの道を目指しました。
この追分の分去れを、詩に詠んだ作家がいます。
立原道造。彼が詠んだ詩は、こうです。
「咲いているのは みやこぐさと
指につまんで 光にすかして教えてくれた
右は越後へ行く北の道
左は木曽へ行く中仙道
私たちは綺麗な雨上がりの夕方に
ぼんやり空を眺めてたたずんでいた
そうして夕焼けを背にしてまっすぐ行けば
私のみすぼらしいふるさとの町
馬頭観世音の草むらに
私たちは生まれてはじめて言葉をなくして立っていた」
立原道造は、帝国大学に入学した20歳の夏に、軽井沢を訪れました。
以来、24歳で亡くなるまで、この地を愛し、たくさんの詩にしました。
14行のいわゆるソネット形式の詩を、まるで音楽を奏でるように詠んだ抒情派詩人。
そんな彼は、建築の分野でも才能を開花させていました。
文学に傾倒しつつ、建築家としての道も歩んでいた、立原道造。
彼が分岐点で選んだyesとは?
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