第三百二十三話『変化の中に変わらないものを見る』-【三重篇】俳諧師 松尾芭蕉-
2021-11-06 12:37

第三百二十三話『変化の中に変わらないものを見る』-【三重篇】俳諧師 松尾芭蕉-

三重県伊賀市出身の、俳句の神様がいます。
松尾芭蕉(まつお・ばしょう)。
『おくのほそ道』で知られる流浪の俳聖は、西行、宗祇と並んで、3大放浪詩人と呼ばれています。
三重県伊賀市には、芭蕉ゆかりの場所が点在し、国内はもとより、海外からも多くのひとが、類まれな芸術家の聖地を訪れています。
伊賀上野城の城内にある、「芭蕉翁記念館」。
芭蕉直筆の巻物や掛け軸、特に遺言状は必見です。
また、芭蕉五庵のひとつ、「蓑虫庵」や、旅する芭蕉の姿をモチーフにした「俳聖殿」は、趣のある木造建築で、当時の暮らしや在りし日の姿を想像することができます。
幼くして父を亡くした芭蕉は、伊賀上野の侍大将に仕えることになりました。
貧しく、みじめな生活。
でも、そこで彼は多くの蔵書に囲まれ、芸術の世界に触れたのです。
伊賀の郷には、句を詠む、京の文化が浸透していました。
和歌や俳句をたしなむことを覚えた彼は、あっという間に頭角を現します。
30歳を過ぎて、江戸に下った彼は、いかにして自分らしい俳句を作り上げるかに心を砕きます。
当時の俳句は、短歌に比べ、文学というより、どこか笑いと享楽の空気をまとっていました。
俳句で、世界のしくみを解き明かしたい。
俳句で、自然を写し出し、生きるとは何かという問いに答えを出したい。
そう願った彼が、選んだ修行の形。
それが、旅だったのです。
旅立ったのは、46歳。
およそ150日間かけた放浪の日々でした。
歌枕の聖地を辿り、日本中をめぐる旅の道中で、句を詠み、自然と対話しました。
そうして出来上がった『おくのほそ道』。
この不朽の名作誕生に至るまでには、あるいは、この日本文学史上、最も有名な旅に出るためには、いくつかの扉を開ける必要がありました。
その扉を開けることで、彼は「不易流行」という思想に到達できたのです。
現代にも通じるこの思想を、芭蕉は、いかにして獲得できたのでしょうか。
江戸時代の俳諧師・松尾芭蕉が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?

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