1947年、昭和22年。
戦争が終わり、統治下にあった日本において、国民を元気づけるニュースが舞い込みました。
湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞!
日本人初めてのノーベル賞でした。
湯川秀樹は、1907年、東京に生まれましたが、地質学者だった父が京都帝国大学の教授に就任したので、1歳で京都に移り住みます。
「私の記憶は京都に移った後から始まる。やはり京都が私の故郷ということになるのかもしれない」
そう書いています。
父方の祖母は、彼を「ひーちゃん」と言って可愛がりました。
『絵合わせ』という玩具があります。
絵が画かれた幾つかの正六面体を並べて、一枚の絵を完成させるというものです。
湯川少年は、六面体の上の絵の配置を記憶しました。
そして裏側のほうで絵が続くように並べるのが得意でした。
祖母はそんな彼を、誉めました。
「ひーちゃんはすごい!ひーちゃんは、かしこい!」
のちに、父親にあまり評価されなかった時期も、幼い頃、祖母が誉めてくれた声が、いつも彼の心に響いていました。
「ひーちゃんは、かしこい!」
彼は物心ついたときから、「目に見えないもの」の存在に興味を持っていました。
それはときに、恐怖であり、それはときに、やすらぎでした。
ノーベル物理学賞を受賞するまでに、湯川秀樹が見つめた「目にみえないもの」とは?
そこに隠された明日へのyesとは?
戦争が終わり、統治下にあった日本において、国民を元気づけるニュースが舞い込みました。
湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞!
日本人初めてのノーベル賞でした。
湯川秀樹は、1907年、東京に生まれましたが、地質学者だった父が京都帝国大学の教授に就任したので、1歳で京都に移り住みます。
「私の記憶は京都に移った後から始まる。やはり京都が私の故郷ということになるのかもしれない」
そう書いています。
父方の祖母は、彼を「ひーちゃん」と言って可愛がりました。
『絵合わせ』という玩具があります。
絵が画かれた幾つかの正六面体を並べて、一枚の絵を完成させるというものです。
湯川少年は、六面体の上の絵の配置を記憶しました。
そして裏側のほうで絵が続くように並べるのが得意でした。
祖母はそんな彼を、誉めました。
「ひーちゃんはすごい!ひーちゃんは、かしこい!」
のちに、父親にあまり評価されなかった時期も、幼い頃、祖母が誉めてくれた声が、いつも彼の心に響いていました。
「ひーちゃんは、かしこい!」
彼は物心ついたときから、「目に見えないもの」の存在に興味を持っていました。
それはときに、恐怖であり、それはときに、やすらぎでした。
ノーベル物理学賞を受賞するまでに、湯川秀樹が見つめた「目にみえないもの」とは?
そこに隠された明日へのyesとは?
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