山中貞雄という映画監督をご存知でしょうか?
黒澤明や小津安二郎、後には、山田洋次や新藤兼人にも影響を与えた映画界の宝。
1909年11月8日生まれですから、1910年3月23日生まれの黒澤明とは、同年代ですが、なぜ彼の作品があまり知られていないのか。
その理由は何より、彼が若くしてこの世を去ったことに起因しています。
1937年、山中が監督した『人情紙風船』の封切り当日に召集令状が届き、彼は中国に出征しました。
中国各地を転戦した、翌1938年9月17日、赤痢のため、野戦病院で息をひきとります。享年28歳。
彼のお墓は、彼が生まれ育った京都にあります。
上京区大雄寺。
ここには、彼の石碑も建てられています。
石碑には、刻まれた文字。
幾多の名作を世に出したこと、その作品の完成度の高さ、絵の美しさ、日本の文化への多大なる貢献が讃えられています。
今から80年近く前に公開された遺作『人情紙風船』。
タイトルとは裏腹に、長屋で暮す庶民の日常と悲哀が綴られています。
冒頭の雨のシーン。誰もいない夜の長屋に打ち付ける雨。
それはまるで、第二次大戦後に一世を風靡したフィルム・ノワールのようなファーストシーンです。
『第三の男』を彷彿とさせる、光と影の使い方。
俯瞰と、細かいカット割り。
常にキネマ旬報のベスト映画に名を連ねていた小津安二郎は、彼の才能に感動して、わざわざ京都に出向きました。
夭折の天才映画監督、山中貞雄。
どんな苦労の中でも映画を撮り続けた、彼が見つけた明日へのyesとは?
黒澤明や小津安二郎、後には、山田洋次や新藤兼人にも影響を与えた映画界の宝。
1909年11月8日生まれですから、1910年3月23日生まれの黒澤明とは、同年代ですが、なぜ彼の作品があまり知られていないのか。
その理由は何より、彼が若くしてこの世を去ったことに起因しています。
1937年、山中が監督した『人情紙風船』の封切り当日に召集令状が届き、彼は中国に出征しました。
中国各地を転戦した、翌1938年9月17日、赤痢のため、野戦病院で息をひきとります。享年28歳。
彼のお墓は、彼が生まれ育った京都にあります。
上京区大雄寺。
ここには、彼の石碑も建てられています。
石碑には、刻まれた文字。
幾多の名作を世に出したこと、その作品の完成度の高さ、絵の美しさ、日本の文化への多大なる貢献が讃えられています。
今から80年近く前に公開された遺作『人情紙風船』。
タイトルとは裏腹に、長屋で暮す庶民の日常と悲哀が綴られています。
冒頭の雨のシーン。誰もいない夜の長屋に打ち付ける雨。
それはまるで、第二次大戦後に一世を風靡したフィルム・ノワールのようなファーストシーンです。
『第三の男』を彷彿とさせる、光と影の使い方。
俯瞰と、細かいカット割り。
常にキネマ旬報のベスト映画に名を連ねていた小津安二郎は、彼の才能に感動して、わざわざ京都に出向きました。
夭折の天才映画監督、山中貞雄。
どんな苦労の中でも映画を撮り続けた、彼が見つけた明日へのyesとは?
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