第三百八十一話『道を切り開く最初のひとになる』-【愛知篇】作家 坪内逍遥-
2022-12-17 12:49

第三百八十一話『道を切り開く最初のひとになる』-【愛知篇】作家 坪内逍遥-

愛知県で多感な幼少期を過ごした、近代文学の先駆者がいます。
坪内逍遥(つぼうち・しょうよう)。
岐阜で生まれた坪内は、10歳で引っ越し、18歳まで、現在の名古屋駅近くに住みました。
少年時代の住居跡には、記念碑が建っています。
明治18年、1885年に坪内が発表した『小説神髄』は、それまでの勧善懲悪な物語を真っ向から否定し、小説の概念を芸術の域にまで高めるきっかけになりました。
「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」
そう『小説神髄』に書いた坪内逍遥。
ここでいう人情とは、人間の情欲、百八つの煩悩のこと。
世態とは、日常のさまざまな出来事。
それがどんなにささやかでも、大げさでありえない展開より、現実の描写を丁寧にすること。
それまでの文学は文学にあらずと、今なら炎上必至な発言に、世間はざわつきました。
江戸時代の小説は、物語の面白さだけを追求するがあまり、登場人物の心、心情に寄り添うことは稀でした。
さらに、現実を忘れたいひとたちが、リアルな日常の描写を好まず、それゆえ、小説は、奇想天外なひとたちが荒唐無稽な話の中で動き、善が悪を駆逐する、お決まりの展開。
でも、海外に目を向ければ、すでに小説は芸術でした。
坪内は、シェイクスピアの翻訳を手掛けることで、演劇にも目覚めていきます。
小説、演劇、さらには早稲田大学創設にも関わった坪内は、常にパイオニア精神を持った、開拓者でした。
誰もやっていないから辞めておくのではなく、誰もやっていないから、あえて挑戦する。
こんな坪内の心意気が、世の中を変え、芸術の幅を広げていったのです。
彼は、叩かれました。
エリートでありながら破天荒。
常にまわりをざわめかせる。
坪内は、まわりの目を気にして、本来の自分から遠ざかっていく若者を憂いて、こう鼓舞しました。
「やりたいと思ったら、常に開拓者であれ!」
現在の日本文学の礎を築いたレジェンド・坪内逍遥が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?

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