1. GOOD NEIGHBOR GOOD CULTURE
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2024-02-29 46:21

#16「パーマカルチャーと農的な暮らしの実践」

花巻市東和町で「ふるまつ自然農園」を営む双子・古松義彬さんと信彬さん。生まれ育った東京での生活から、オーストラリアやアジアへの旅を経て、農業に関心を持ったふたりは、東和町にある「自然農園ウレシパモシリ」での研修を経て、パーマカルチャーと農的な暮らしを自分たちで実践するように。その経緯やふたりが考えるこれからの東和での暮らしについて話を聞いた。【ゲスト】
 ・古松義彬・信彬(ふるまつ自然農園)
【制作】
プロデューサー・司会進行・編集:宮本拓海
企画:遠野市・花巻市 

00:03
岩手県花巻市と東野市からお送りするポッドキャスト、GOOD NEIGHBOR GOOD CULTURE。
花巻と東野、2つの土地で生まれる文化を探るため、この場所で生きる人たちに暮らし方や働き方をお聞きします。
今回のゲストは、花巻市東亜町でパーマカルチャーや農的な暮らしを実践している、
古松自然農園の古松信明さん、吉明さん。
東京出身の双子で、それぞれ海外での旅をきっかけに農業に興味を持ち、
東亜町にある農園、嬉芝もしりでの研修を経て、現在は2人で農園を営んでいます。
今回は、東亜町のお2人のご自宅に伺って、花巻に移住するまでの経緯とお2人が実践するパーマカルチャーや農的な暮らしへの思いをお聞きしました。
司会進行は、東野市で編集者、ディレクターとして活動する宮本が務めます。
今回のグッドネイバー、グッドカルチャーは、花巻市東亜町にいらっしゃる古松農園のお2人、古松さんご兄弟に出ていただいています。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まずはですね、2人それぞれに自己紹介をしていただけたらと思うので、お願いしてもいいですか。
古松 吉明です。
僕は双子の弟で、今古松自然農園を営んでいます。
東京菅も出身で、花巻東亜町に魅力に魅せられて、今こちらに移住して農業をやっています。
司会 ありがとうございます。吉明さんよろしくお願いします。
古松 よろしくお願いします。
古松 古松信明です。
同じく東京菅も出身で、花巻には自然農園売れしぱもしりの農業研修で来たのがきっかけです。よろしくお願いします。
僕も古松さんたちとは、たぶん今回のが3、4回目ぐらいで、僕はやっぱり普段ライティングとかの仕事をしているので、
それを取材でお伺いさせていただいたのと、あとイベントのときにお米を買わせていただいたりとかしたのが1回あってみたいな形で、
結構取材とかをさせていただいているので、お話ししているようなつもりではあるんですけど、
でもやっぱり基本取材って出る媒体に合わせてお話を聞くとかお話ししていただくみたいな感じなので、
今回はどちらかというとポッドキャストだから結構会話のベースでお話ができるかなと思って、すごい楽しみにしていました。
吉明 そうですね。
司会 よろしくお願いします。
吉明 よろしくお願いします。
司会 信明さん、吉明さんですけど、皆さんから、友達とかからなんて呼ばれているんですか?
吉明 僕はやっぱりよしって呼ばれることが多いですね。
司会 よしさん、信さんって感じが多いですかね。
吉明 基本はやっぱりよし信だよね。
司会 なるほど。じゃあ今回僕もよしさん信さんでいきたいと思います。
03:01
吉明 よろしくお願いします。
司会 あとこれお二人で声似てるって言われますか?
吉明 言われますね。
司会 聞いてる人がちょっとどう判別がつくか分からない。
吉明 確かに声はもしかしたら似てるのかもしれないですね。
吉明 なんか全然見た目っていうかお会いしてるとどっちかがごっちゃになってみたいことあんまりないですけど、確かに声聞いてるとすごいなんか面白いかもしれないですね。
吉明 そうかもしれないかもしれないですね。
司会 そこを含めて。ちょっと今回お二人にいろいろお話を聞けたらと思うんですが、まずなんでお二人が穴巻きに来てっていうところを先ほどちょっと自己紹介のところでちょこちょこっと話が出たりもしましたけど、そのあたりを聞けたらと思っています。
吉明 まず穴巻きにやっぱり一番最初に来たきっかけっていうのは、僕も野部も自然農園嬉し葉もしりさんに訪れたことが一番最初のきっかけだった。
そこで訪れて、その後に農業研修っていう形で2年間戸場町に住みながら農業の研修をしてたことが一番初めのきっかけではあります。
ありがとう。嬉し葉もしりさんは、聞いてる方でまだ知らない方もいるかもしれないですけど、同じく戸場町にあるパーマカルチャーとかを実践してるような農園って言い方であってるんですかね。
吉明 そうですね。農園ですね。パーマカルチャーと自然栽培をやられている、有畜複合でやられている農園ですね。
ここで定期的に研修生の方を受け入れられていて、今も多分何名かいらっしゃると思うんですけど、吉田信さんお二人とも研修生として嬉し葉もしりに入ったのがきっかけということですね。
吉田 そうですね。
なるほど。分かりました。そもそもその研修をする前までってお二人がどんなことをしてたのかみたいなのも聞けたらと思うんですけど、東京で何をしてたかみたいなことか。
吉田 そうですね。学生終わってからは数年僕は会社勤めしたんですけど、その後にオーストラリアに2年間行く機会があって、そこでもともと東京で生まれ育ったので都会での暮らししか全然したことがなかったんですけど、
アジアに旅をするきっかけがあって、そこで自然の豊かさとか農村の面白さとかそういったところに少しずつ興味が芽生えてきて、
オーストラリアに2年間いたときにパーマカルチャーっていう考え方だったり、実践されている方々に出会って、そこで農に触れたっていうのが今自分が農に携わっている一番大きな出会いだったかなと思いますね。
おだしょー もともとでも海外を旅してとかアジアの農村に行ってみたいなこととかは、単純に行ってみたいみたいな、興味があってみたいな、なんかあったんですか?
06:03
おだしょー 確かに そうですね、好奇心みたいなのあったんです。東京で暮らしていく中で、ある意味物質的には便利だし、友達家族も住んでいるので、
満足はしてた部分もあるんですけど、どこか心に引っかかるような生活の中でいろんなことを考える部分があって、一番最初に大きく影響があったのは、やっぱり3.11で災害が起きた後に自分の暮らし方とか、東京で住んでいた中で思うことっていうのをもう一度考えたいというか、
そういった思いがあって、会社を辞めてアジアとオーストラリアに行くっていう、長い期間に行くっていうふうに心に決めたのは、それが大きかったかもしれないですね。
なるほど。ありがとうございます。最初にでも、僕話聞いてるからですけど、吉さんが東京から海外を旅して、いろいろ農村地帯とかを見て、それがきっかけで農業とかに興味を持つようになったって感じなんですよね。
吉田 そうですね。
なるほど。ありがとう。その時はお一人で行ってたんですよね。
吉田 そうですね。基本的には一人旅っていう感じで、でもタイにいるときに、のぶが遊びに来てくれたりとか。
へえ〜。
吉田 あったね。
そういう現地でちょっとこう、見たいのはあったんですけど、基本的には自分は長い期間の4年間っていうのは一人で旅をするような時間だったんですけど。
吉田 はいはい。なるほど。わかりました。ありがとうございます。その頃はのぶさんは何をしてたんですか?
僕はもう大学卒業して、すぐに就職して、社会人で東京で暮らしてました。だからその当時、吉が海外に目が向いてるときとか、実際行ってるときとかっていうのは、
自分自身旅とか、もちろん農とかに目が全く向いてなくて、どちらかというと経済活動を東京でしていくというか、そういう形でしたね。
吉田 はいはい。そっか。なるほど。だからそういった話を聞いてると、今はお二人とも一緒に農業しながら花巻で住んでるんですけど、どうやってそこは合流していくというか。
いや、ほんとそうですよね。
吉田 確かに。それも周りの仲いい友達とか、きっと家族も不思議に思ってるところだと思っていて。
家族も結構びっくりなんですね。
09:00
吉田 そうだと思いますね。やっぱり20代前半ぐらいまでは、やっぱりそんなに一緒にいる時間っていうのは多くはなかったんですよ。一緒に住んでるけど、別々に日々過ごすっていうことが多かったので。
そうか。友達とかも別々だったり、学校とかも結構別々だったんですか。
吉田 中学校まで一緒だよね。
地元の友達は一緒だけど、各々高校だったり大学は友達それぞれですし、地元の友達と一緒にいるときは結構一緒のことが多かったですね。
なるほど。それこそ全然関係、ちょっと話がいろいろ飛びすぎたんですけど、高校時代の記事みたいなのをよくグルマツさんたちのこと調べてたら出てくるんですけど、2人とも高校9時で甲子園を2人で争ったみたいな記事とかが出てきてて。
吉田 そうですね。野球はずっと高校まではやっていて、実際野球小僧っていう感じで。
ほんともう小学校1年生から高校3年生まで野球尽くしというか、もう野球しかやってこなかったみたいなところはあったよね。
あれ2人が対戦してたのはもうほんと高校3年生。
そうですね。最後の夏の大会。
最後の夏の大会の東東京大会。
そうですね。
で、何回戦だったんですか?
たまたま1回戦だったんです。
すごい。一番最初がそうだったんですね。
そうなんです。もう負けたらどちらかが引退というか、高校野球は終わりという裁判大会で。
結構東東京って当時はすごい、今もだと思うんですけど、高校の数が多くて。
それこそ170分のぐらいの確率で、僕たちの高校が1回戦で止まったという流れではありました。
そうっすよね。まだちょっと今のお話につながってないからですけど、2人が高校球児だった頃、今の2人を見ててあんまり想像がつかない。
そうかもしれないですね。本当にそうだと思います。
なんかガツガツしてるイメージがありますけど。
そうですね。結構もうほんと当時の高校野球っていう感じの日々を過ごしてましたね。
毎日練習、朝から晩までして、休みもあまりなくて、結構根性野球みたいなところも当時はあったかもしれないですね。
そうか。それと2人それぞれが本当に高校から別々で、社会人、大学行ったりとかみたいなところも別々だったけど、
そうですね。
今本当に一緒になって生活しているっていうところとか、やっぱり周りから見ても結構びっくりというか、意外な感じなんですね。
そうですね。いろいろ回って巡って、今こう寄ってきたというか、本当お互い多分パーソナリティは全然違うと思うんですけど、性格とかは。
12:07
ちょっと大事にしたい部分が共有できているので、そういうのも話せるようになったのは、それこそ本当大人になってからかなと思いますね。
なるほど。具体的にそのどのタイミングで2人が一緒に、同じように価値観がだんだんあってきた、同じものを目指し始めたタイミングとかってどこなんですかね。
自分が思うのは、よしがそれこそオーストラリア行って、その後東南アジアとかアジアか、旅して、本当いきなり突然帰国してきた時。
そのタイミングが自分の中で結構スイッチが入ったきっかけというか、それはこの時多分何年前だろうね。
26、27ぐらいの時だから、8年とか9年ぐらいの時かな。
そうだと思いますね。
それぐらい前によしが海外から戻ってきて、僕はその時も社会人として働いていて、ただちょっとなんとなく東京での暮らしとか仕事とかちょっときついなというかやめたいなという気持ちが結構強くなってきたタイミングでよしがたまたま帰国して、
その時によしの姿を見て、ちょっとやっぱり自分が知ってるよしじゃないっていう。
そうか帰ってきたら全然違う。
すごい変化してて、いい意味で。その時に何がそうさせたのかなっていうふうに疑問に思ったのが、自分が外に目が向いたきっかけだったのかなって今思うと。
アジアとかを旅して帰ってきたよしさんを見て、いい意味での変化みたいなものの理由が自分も知りたいというか。
そうなんですよ。
それはやっぱり自分自身も何かを変えたいと思ってたタイミングだったからみたいなのもあるんですかね。
まさにそうかもしれないです。それまでは全く海外とか旅とか外に目は向いてなかったけれども、そこで初めてちょっと海外行ってみたいなとか旅してみたいなって思ったきっかけがそのタイミングで。
でもすぐに仕事を辞めるわけでもいかないし、行きたいなってその時強く思って、徐々に徐々に行きたいなっていうのを自分の中で少しずつ計画していって、自分も29歳のタイミングで仕事を辞めて旅を始めたっていうような流れですかね。
15:19
そっかそっか。もうその頃吉さんはもう帰ってきて。
そうですね。一回その4年ぐらい出てた旅からは帰ってきて、東京の飲食店で働いてたんですけど、そこでも農と少し繋がる出会いとかがあって、そこが千葉県の有機農産物を使った野菜だったりとか、ちくさんっていうのも使ったレストランだったんですね。
そういう生産者さんを訪ねたりとか、日々自分たちが使う食材の美味しさとか、そういったものも感じられたのは、脳にグッときっかけになったし、食ってすごい大事だなっていうのを意識させられた経験でもありました。
なるほど。そっか。だから海外に行ったタイミングも別々で、だから吉さん帰ってきた後にのぶさんが行った。その行った後は何年ぐらい?
のぶ さん 行った後は、自分は29から、それこそコロナの時期、3年ぐらい。2年ぐらいか。
そっか、じゃあ本当に2人が一緒に花巻に来てみたい。うれしぱもしりさんでの研修は一緒のタイミングですか?
のぶ それも違うんですか?
それも別々。
のぶ 1年間は一緒にやってたんですけど、合計2年間のうち、僕が先に1年入っていて、僕の2年目にのぶの1年目が被っていて、で、僕が終わった次の年がのぶの2年目っていう。
なるほど。そもそもうれしぱもしりさんにたどり着いたのはどういう経緯があって?
のぶ そうですね。やっぱりオーストラリアでパーマカルチャーっていうのを学んだり、パーマカルチャーを実践されてる方と出会った中で、自然と調和する暮らしとか、自然が近くにある暮らしっていうのに、本当にいいなっていう、実際自分もしてみて思った部分があって。
そこでやっぱり、いろいろこう日本に帰ってからも、自分が農だったり自然と近い暮らしをしたいなっていうふうに考えになったんです。
そこで調べていった中で、自然農園うれしぱもしりっていうのを見つけて、祖母がたまたま実家で自然栽培っていう農法の作物を、宅配野菜だったりお米とかを取ってくれている。
そこの冊子にも、自然農園うれしぱもしりの坂原さんが載っていて、ほんとその記事を読んで、素晴らしいなって。
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ぜひ一回、まずは農業研修っていうのも、少しは思ってたんですけど、まずは行ってみたいっていう思いが強くなって、訪ねたっていうのがきっかけですね。
なるほど。そこで実際に行ってみると、やっぱりすごく良かった。
オーストラリアで自分が出会った方々たちがやられてたようなこともそうだし、やっぱり日本の里山だからこそできるような、循環した自然と共に豊かになるような暮らしっていうのが、農だけではなくて暮らしの部分でも実践されていて、
本当に坂原さんは何があっても大丈夫だっていうような、すごく空気感があってですね、そういう本当にかっこいいなっていう、純粋に人としても尊敬できるし、
この人のもとで、まずいろんな農だけじゃなくて、そういった暮らしに関しての知識だったりとか、関係の深さっていうのを学びたいなっていうのを思いました。
なるほど、そっか。じゃあそういった経緯もあって、最初によしさんが研修を始めて、その頃に野村さん帰って、みたいな感じなんですか?
そうですね、よしの研修の1年目は自分はオーストラリアにいて、それこそファームカルチャーっていうのをやっぱりよしから聞いていたし、実際オーストラリアで見てみたいなと思って、その1年目はオーストラリアにいて、
ビザが切れるタイミングだったので、その後アジアも農村地域とか見てみたいなと思って旅してたんですけど、そのタイミングでコロナの時期にあたって、いろんな動きが制限されてしまって、僕もどうしたらいいかわからなくなって、
ちょっとすごく迷っていたタイミングで、よしから帰国して、レジパンにちょっと来てみないかって、それはもう研修とかじゃなくて、日本でもちょっと体験してみないっていう風に連絡をもらって、帰国したのがきっかけですね。
そっかそっか。本当にそれこそ農士さんもだから1回見に行って、やっぱりいいとなって研修が始まっていく。
その時はもう始めは農業ボランティアで1ヶ月間、稲刈りの時期に行かせてもらったんですけど、実際自分もオーストラリアやアジアでは農に携わる暮らしっていうのはしていたけれども、実際日本でそういうの初めてだったし、
21:07
そこでもう楽しさというか、暮らしもそうだし、農もそうだし、それが一体となっている部分を見せていただいて、やっぱりここで学んだら自分の人生にとってすごく大きなきっかけになったと思うんですよね。
自分自身も思えたので、その後に研修を受け入れてもらって。
なるほど。僕も嬉しぱもしりさんには伺ったことがあるんですけど、本当にこれ言葉ではパーマカルチャーとかキーワードとして説明ができたりとかどういうことをされているかみたいなことを話せるけど、
なんかその、あれをこう実践しているとか暮らしをされているのって、やっぱりあの場に行かないと結構感じられないんですよね。
まさにそうだと思いますよね。
結構難しい。どう説明していいか結構難しいけど、なんかでも確かにすごい世界観というか、あの方たちがすごい実践されていることが本当にあの場に農地とか家とか、
すごいそこにこうすごい現れている、あの里山の中にすごく表現されているような気がして、すごくいいですよね。そう思います。
だからまあでもそこの中で多分こう研修をされて、でその後も今まさに花巻とはお二人で農園をやられているわけですけど、
なんかそれでもこう、研修終わった後ってきっと、あの皆さん残るわけじゃないですよね。
そうですね。やはり各々地元だったり、自分たちの思う場所に行くっていう形にはなるので、花巻だけっていうわけではないと思いますね。
お二人がその花巻を選んだのは何か理由があるんですか?
そうですね。恥ずかしながら、嬉しぽもしりを訪ねるまで、花巻の頃から岩手県に来たことがなかったので、
2年間の研修を通じて暮らしていく中で、岩手の良さですかね、特に花巻、東和町の良さがやっぱり魅力に魅せられたというか、
具体的には自然が豊かというところもそうですし、農に携わる暮らしをしている人が多い。里山の暮らしがまだ残っている部分もあるということと、
あとは、坂川さんだったりとか、移住者の方っていうのも多くて、農に携わっている方々もいらっしゃるっていうのも、
刺激を受けたりとか、そういう人たちとの出会いとか繋がりっていうのは、花巻市、東和町に決めた大きなきっかけだと思います。
24:09
そのあたりも結構2人で相談して決めたというか、もう2人でやるみたいな感じになってたんですか?
坂川 そうですね。実際2人で、僕自身も野部もだとは思うんですけど、2人でやるなら2人でやりたいという思いが結構強くて、
それは実際、自分の研修の時に初めて坂川さんが2人で作業させてくれて、そこでの楽しさとかそういう部分もありますし、
やっぱり1人より2人の方が、特に兄弟でいろんなことを共有しながらやってた方ができることだったりとか、
やっぱり暮らしっていう部分でも、農っていう部分でも楽しさだったり、そういう部分もあるかなという思いはあったので、
こういう、もともとは本当、東京が出身なので、家族も近いし、友達も近くにいる関東圏っていうのを考えてたんですけど、
やっぱり暮らしていく中で、本当に農地は素晴らしいとこだなと。
でもまあ人がこう、やっぱり農村だけど、人が少しずつ減ってきてしまう現状の中で、
比較的若い世代にあたる僕たちが移住することで、何か自然とともに豊かになれるような暮らしができるんじゃないかなっていうのは、
2年間住んだことで感じた部分だと思います。
そっか、どうですか、のぶさん、そんな感じ。
そうですね、自分も農業研修で初めて岩手に来たのが、岩手を知ったきっかけでもあったし、
実際花巻のことを来るまでは知らなかったんですけど、
よしと一緒で、2年間の研修を通じて出会う人たちとか、農もそうだし、職もそうだし、そういったところで関わる人たちと交わることで、
自分がうまく伝えられないんですけど、心地いいというか、なんかすごい住みやすいなというか、感じる心地よさみたいなものがすごくあったので、
いいところだなっていうふうに思ったのが、すごい強かった。
なるほど、僕あんまりまだ東亜町すごいちゃんと詳しく知ってるわけじゃないんですけど、
今この収録は2人のお家に来てやらせてもらってて、単純にここすごいいいっすよね、景色もめちゃくちゃいいし。
うん、本当ですね。
この場所はどうやって選んだんですか、具体的に東亜に住むって決めて、どうやって家を選ぶとか。
27:07
やっぱりまず、役場に行っていろいろ話を聞いてもらって、その中でアキアバンクに登録されている物件っていうのを本件からご紹介してもらって、
10件以上、自分の中では東亜町のこういう里山の中で暮らしたいなっていう思いがあったので、東亜町の中で10件以上いろいろ見せてもらった中で、
ここを見たときに、なんかこう自分がここで暮らしている、脳に携わりながら暮らしているイメージができたというか、
ちょうど山もあって、自分たちが大切にしていきたいなっていう何個かの条件の中の大きな部分がすごく揃っていたので、そこで決めたっていうのがあったかもしれないですね。
なるほど、そっか。本当にここなんて言ったらいいんですかね、東亜町の中で本当に里山ってとこ結構、
谷合いというか、
谷合いそうですよね。
山のもう本当に、家の真裏、そこからもう山というか、
葉を巻き開かれた農業をするために、まず最低限の農地を作られたっていうところだと思うんですけど、
でも確かに北上方面から来ても、花巻方面から来ても、緩やかだけどずっと登ってきてるし、
確かに確かに。
意外と標高も、実は多分ここあると思うかもしれないし、
そっかそっか、そうですよね。
もともとでもこの建物だけじゃなくて、農地とかもついた状態で、
そうですね、実際その前に住まれた方も、もう5年以上農業はやられてない状態で、
自分たちが住む、1年前までは住まれてたんですけど、
農地とか山林とかっていうのは、ほとんど手が入ってないような状態ではありました。
なるほど、そっか、じゃあもうその辺りから自分たちで手を入れながら、
今もやられてるって感じなんですかね。
そうですね。
はいはい、そっか。
もう改めてじゃあ、そしたらお二人が今その東はに住んでから、
どんなことをされてるのかみたいなこともお聞きできればと思うんですけど。
そうですね、やっぱり農業っていうのが基盤になっていて、
暮らしの中で大きな、いろんな大切にしてることの中の大きな一つが農業っていう形なんですよね。
それはやっぱり自分たちだけじゃなくて、家族だったり繋がりのある方々にとっても、
その職を豊かにさせられることができるのが農業だと思うので、
30:00
まずはこの今の家の周りの農地に、作物が自然栽培で育てられるように、
草を刈ったりとか、耕したりとか、そこに作物を育てたりとか、
種をまくっていう、収穫するっていう、そういう農業の部分も一番大きくやっている部分であったりとか、
あとはこの今、僕たちが来る前からここにあった資源を生かすような暮らし作りっていうのも、
自分たちの中で大きな役割だったり、大切にしていることであるので、
例えば山に少し入って薪を確保するとか、確保することで山に光が入って生態系が豊かになるとか、
そういう自然との繋がりっていうのを意識しながら、ここでできることを少しずつ二人でやっているという現状です。
お二人が話す時の自然栽培って、具体的にどういう栽培の仕方というか。
そうですね。やっぱりその作物だったり植物が持っている本来の力を引き出すような農法だと思うんですけど、
例えばその外から農薬だったり価格比量だったりを入れなくても、その作物が育つ環境を人が携わることで作れるっていう農法が自然栽培だと思っていて、
この農地だったり、この周りにあるもので循環させるっていう持続可能な農法っていう。
ちょっとうまく伝えにくいですね。
具体的に栽培しているものとかって、どういうものを栽培しているか教えてもらってもいいですか。
自分たちはお米、穀類を中心にお米、雑穀、大豆、麦、小豆とか豆類を中心に
あとは季節の野菜を自分たちが食べたいものとか好きなものを中心に育てているっていう基本的なベースですね。
基本的には自分たちで食べるというか、販売とかもされてるんですかね。
そうですね。穀類もそうですし、お野菜に関しても個人のお客さんだったりとか、
あとは飲食店さんに食べていただいたりとか使っていただいたりとかはしてますね。
なるほど。僕もあのイベントの時にお米を買わせていただいて、
ありがとうございます。
今まだちょっと小さい息子も一緒にいるので、全部玄米だとあんまりあれらしくて、
33:02
いいと思いますね。
ちょっとずつ白米と混ぜながら食べてます。
すごいおいしいですよね。いただいてます。
僕たちが住んでる東和町の良さというか、やっぱりすごい水もきれいで、山からの自然な水が土地を生かしたように流れるようになっていて、
作物を育てるのにすごく適した土地だと思うんですよね。
でもやっぱり人が入らないことで少しそういう地形だったりが、いい意味でも自然に戻ろうとしている部分があるので、
そこを僕たちが住むことによって自然とともに豊かになるような、
らし作りっていうのが、その中に農というのは大きな役割になっている部分だと思うので、
自然、ここの土地だったりこの畑がおいしい作物を作ってくれている中で、
何か自分たちが少しでもできることをやっていくっていうのが、自然栽培の大きなポイントかもしれないです。
そうですよね。これぐらい本当に近かったり身近っていうのは、普段からそうやって土を触っていると、
きっとすごいその変化もダイレクトに伝わってくるというか。
そうですね。
今どれぐらいなんですか、この東亜に住んで自分たちでやり始めて。
ここに住み始めたのは、2022年の11月。
違う、違いますね。2021年だから、2年ちょいぐらいですね。
そっかそっか。
2年ちょいぐらいですね。
どうですか、なんか実際そのお二人それぞれ旅したりとか研修したりしながら、
今に行き着いて、まさに自分たちで実践してるっていう状態じゃないですか。
しかも2年になってくると、たぶんだんだん自分たちがやってることとかも、
畑とか田んぼとかにも結構影響が出たり、まさに森とかもそうだと思うんですけど、
実際に今の暮らしをしてみて、どうかみたいなところも教えてほしいです。
初めはもう本当、それこそ1年違いで研修をスタートしてるんで、
自分は研修をしながら、こっちに関わってて、そういう形で、
明らかにやっぱり、初めに来た時よりも土が良くなってるなっていう印象はありますね。
そっか、やっぱり変化するんですね。実際育てたりすると。
たぶん僕とかじゃ全然気付けないようなものなんでしょうけど。
でも本当、もしたくみさんが一番初めにここに訪れていて、
36:05
今見たらあれ違うなっていうふうに、気付けるぐらい、少しずつかもしれないんですけど、
変わってきてる印象がありますね。
あとは、本当自然の状態もあるかもしれないですけど、自分たち的にはどうですか?
自分たちが改めて描いてたことというか、もともとは色々勉強する意味でそれこそ旅に出たりとか、
むしろ影響を受ける側だったと思うんですけど、それを今度は自分たちで実践してる状態じゃないですか、今この動画で。
自分たちの状態として改めて今の暮らしをしててどうか。
そうですね、やっぱり本当に簡単なことではないなっていうのがすごく実感できていて、
自分たちが旅の中だったり、自然の縁うれしばもしりで見てたことっていうのは、
本当に続けることの大切さとか、やはり少しずつ作り上げていっているものがあったのを、
外から見てた時はやっぱりそこまで深く感じられなくて、すごいなっていう印象だったり、
こういうふうにできたらいいなっていう学びだったりはあったんですけど、
実際自分たちがやってみて、本当に難しいなっていう自然と暮らすことっていうのは、
本当に簡単なことじゃないなっていうのが一番大きく感じるんですけど、
それと同時に面白いなっていう、難しいけど面白いなっていう、
なんか本当に相反するようなんですけど、それが結構原動力だったり、
簡単じゃないことに挑戦するというか、
それが自分たちの暮らしだったりとか、あとはなりわいだったりとか、
そういったことに直結している部分だと思うので、
自分たちらしく楽しみたいなっていうのはありますね。
そうですよね、なんかすごい勝手なイメージですけど、
やっぱり脳的に暮らしていくと結構自分たちでいろんなものを作ったりとか、
になっていくっていう状態だと思うので、
それと普段僕だと、やっぱりあんまり畑と接するとか、
自分で何か食料作ってみたいなことって本当にないので、勝手なイメージだけだと、
むしろまあすごいそれでの喜びもありそうだけど、大変そうだなっていう、
すごいそういうイメージもありますけど、やっぱりそれだけじゃなくて、
もちろんそれもあるけど、楽しさとか面白さみたいなのもすごいあるですね。
本当ですね。
それが大きいよね。
それが大きいですね。
暮らしで大変な部分、脳で大変な部分があるけど、
例えばこう、くみさんとマーケットでお会いできた時のように、
こう人との繋がりだったり、自分たちの作物をおいしいよって言ってくださっている人がいるっていうことを、
39:00
自分たちで初めてより実感できたので、
それも本当にすごくここで暮らしていく映画のモチベーションというか楽しみというか、
本当に大きないろんな力をいただいてますね。
そういう意味では結構花巻とか、もう少し広く見て岩手とかでも、
こういう自然栽培とか、そういうのに関心を持ってくださっている方とか、
あと同じようにそうやって農業に取り組まれている方とか、
そういうのをすごくよく見てくださる料理をされている方たちとか結構いますよね。
いらっしゃいますよね。
いらっしゃいますね。
すごいことだなあと思いますね。
それはすごく本当にたくみさんがおっしゃる通りで、それを感じました。
岩手すごいなあって、すごいなんかそういう方たちが、
このコミュニティとかそういう輪が広い範囲であるし、
いろんなところに、まだたくさんそこまで岩手は行けてないけれども、
そこで出会う人たちからそういうのを感じるというか。
そうですよね。すごい良いですよね。
良いですね。
そういう意味でも。
あとお二人の感じはなんか本当にすごいストイックなイメージがあるの的な、
勝手に僕は偏見ですけど、
お二人はストイックさだけじゃなくて、
すごい楽しそうにしている感じが伝わってくるのがすごく良いなあと思って、
何回かお会いさせていただくとかお話を聞いていても、
それがすごい良いなあと思いますね。
ありがとうございます。
前も案内してもらったんですけど、
この家から田んぼの方、山の方を上がっていって、
タメ池、ランボのタメ池があって、
あそこからこの辺りの景色が一望できるみたいな、
この辺とかもすごい良いですよね。
良いですよね。
あそこに仕事中、お二人も行かれて、
結構立ち止まった景色見たりしてるみたいな、
お話を聞いて、すごい良いなあと思って、
すごいあそこの景色が僕もすごい好きなんですね。
ありがとうございます。
良いですよね。
すごい良いよね。
良いですね。
住んでいく中で良い景色の場所だったりとか、
そういうのを感じられるっていうのも、
この東和町、花巻市の魅力だと思っていて、
やっぱり山が近くにある暮らしっていうのは、
東京では僕たちが住んでた場所ではなかったことなので、
自然との繋がりを感じるっていうことと、
どっちかというと真逆な暮らしをしてたので、
そういうのももしかしたらあって、
今のこの暮らしに魅力をさらに感じられるように、
そういう自然に目が行くようになったのは、
それもやっぱり自然農園うれしぱもしりで、
坂川さんから学ばせていただいたことの一つで、
やっぱり視線を観察することで、
この良さだったりとか、
自然界が発しているメッセージっていうのを感じ取れるように、
42:03
本当にちょっとずつちょっとずつなってきているとは思うので、
それも楽しみの中に一つ置いておきたいなという風に思っています。
おだしょー ありがとうございます。
そうするとだんだん終わりの方に近づいていったらと思うんですけど、
改めてお二人がこれからこういうことをしていきたいとか、
何か今後について考えていることがあれば聞けたらと思うけど、
野布さんどうですか。
野布 そうですね。
今お話しさせてもらったことっていうのは、
もちろんやっぱり続けていきたいし、
継続することの意味とか楽しさとかっていうのがあるんで、
それはやっていきたいこととしてあるんですけど、
あとはヨシと話しているのは、
少しずつ昨年から、
タクミさんもそうですけど、
人が集まって、人が来てくれるような機会が増えたので、
今年も少しずついろんな人に来てもらいたいなっていうのも含めて、
その方たちが来て居心地いいというか、
ゆっくりできるなとか楽しいなとか、
どんなことでもいいんですけど、
居心地がいいような空間に自分たちがしていきたいなっていうのはありますね。
すごい良いですよね。
本当に毎回来るたびに、
ここはなんて言ったらいいの?
家の前の軒先か。
そうですね。
今もストーブを炊いてもらいながらですけど、
ここに居るって話してるだけですごく心地いいというか、
すごい気持ちいいですよね。
場所の力もすごくあるし。
嬉しいですね。
ありがとうございます。
ヨシさんどうですか?
そうですね。
僕もやっぱりお話ししたことをやり続けることっていうのは大切だと思いますし、
でも僕たちだけじゃなくて、
今たくみさんがおっしゃってくれたように、
ここに来て心地いいなとか楽しいなとか、
いいねって、
あとはもちろん作物のおいしさとか、
そういったここで暮らしてるからこそ伝えられることっていうのは、
たぶんすごいいっぱいあると思っていて、
同じもちろん花巻の人にも来てもらいたいし、
大野だったり北上だったり近隣の人たちにも来ていただきたいし、
自分たちの生まれ育った東京だったりとか、
他の都市に住んでる方々にも来てもらえるような、
おじいちゃんおばあちゃんにも来てほしいし、
お子さんにも来てほしいし、
若い人たちにも、ちょっと上の世代の人たちにも、
いろんな人に来てもらうことで、
作物も育てる多様性っていうのが生まれると思うので、
そこで僕たちもいろいろ学ばせてもらいながら、
45:02
この花巻市の東亜町を一緒に育てていくというか、
どんどん自分たちがいることで、
皆さんと一緒に暮らしが豊かになっていけばいいなと思います。
ありがとうございます。
まさにこれを聞いてくださっている方にも、
ぜひ来る機会があれば、ここに来てほしいなと思うし、
お二人が作っている作物を食べてみるみたいなことは、
お二人がやっていることを感じられることの一つだと思うので、
本当にそういう機会があればぜひ。
今年もイベントに出たりとか、予定としてはあるんですか?
そうですね。
出られるイベントには積極的に参加していきたいなと思っています。
たぶん聞いてくださっている方も気になると思うので、
ぜひ手にしてもらったり食べてもらったりできるといいなと思いました。
ありがとうございます。
今日はこんな形で収録を終わりたいと思います。
お二人ありがとうございました。
ありがとうございました。
46:21

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