1. GOOD NEIGHBOR GOOD CULTURE
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2023-12-01 41:16

#13 「文化の美しさを受けて形づくる。衣服と生活」菊地央樹

今回のゲストは、株式会社VISION OF FASHIONの菊地央樹さん。VISION OF FASHIONは、京都、東京にショップを構え、衣服を販売する会社です。2023年4月には、花巻に新たな店舗「kune」をオープンしました。


釜石出身で、これまで大阪や京都、東京で衣服の仕事に携わってきた菊地さんがなぜ花巻にお店を構え、生活の拠点を移すことにしたのか。菊地さんの仕事や暮らしについてお聞きしました。


【ゲスト】

 ・菊地央樹(株式会社VISION OF FASHION)


【制作】 

プロデューサー・司会進行・編集:宮本拓海 

企画:遠野市・花巻市


<SNS> 

・Instagram https://www.instagram.com/goodneighbor_goodculture ・Facebook https://www.facebook.com/goodneighborgoodculture

サマリー

岩手県花巻市と東野市からお送りするポッドキャスト、GOOD NEIGHBOR GOOD CULTUREでは、花巻と東野という2つの土地で生まれる文化を探るため、この場所で生活している人々に、暮らし方や働き方についてお聞きしています。菊地央樹氏は、大阪、東京、京都での展開を経て、東北の布地文化に触発されて花巻に店舗をオープンしました。彼の店舗は古民家をリノベーションしており、彼と家族は移住し、自身のブランドを立ち上げています。現在はまだオープンして4ヶ月程度ですが、菊地氏は店舗での経験を楽しんでおり、たくさんの温かいお客さんに訪れていただいています。田舎の素敵な地域で暮らす菊地央樹さんは、地元の人々との出会いや温かさに感謝しています。彼は洋服を販売するお店を経営しており、地元の方々とのつながりを大切にしています。彼のビジョンオブファッションでは、完璧に合う服を手に入れるという想いから草木染めの工房も始め、自身も実験をしながら取り組んでいます。また、着ていただいた方が一緒に染め物をしたり、地元の方とリペアなどを行い、洋服を大切にする文化をアップデートして伝えたいと考えています。

ポッドキャストの紹介
岩手県花巻市と東野市からお送りするポッドキャスト、GOOD NEIGHBOR GOOD CULTURE、花巻と東野、2つの土地で生まれる文化を探るため、この場所で生きる人たちに、暮らし方や働き方をお聞きします。
今回のゲストは、株式会社ビジョン・オブ・ファッションの菊地裕樹さん。
ビジョン・オブ・ファッションは、京都・東京にショップを構え、衣服を販売する会社です。
2023年4月には、花巻に新たな店舗、KUNEをオープンしました。
釜石出身で、これまで大阪や京都・東京で衣服の仕事に携わってきた菊地さんが、なぜ花巻にお店を構え、生活の拠点を移すことにしたのか、菊地さんの仕事や暮らしについてお聞きしました。
司会進行は、東野市で、編集者・ディレクターとして活動する宮本が務めます。
はい、では今回は株式会社VOF、花巻市にあるKUNEを運営されている菊地裕樹さんにお越しいただいています。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
菊地さん自身は、こういった、例えばメディアに出るとか取材されるみたいな機会とかってある?これまでありますか?
初めてかもしれないです。
本当ですか?すごい嬉しいです。
ありがとうございます。
なかなかじゃあ、そうですよね、僕自身はKUNEさんって、今この収録自体もKUNEのお店で配させていただいてますけど、
もともとはお店から知って、一度来させていただいて、菊地さんとお話しして、すごくその時に聞いたお話とかもすごく印象強かったのと、
よりお話を聞きたいなというので、今回ご依頼をさせていただいたんですが、確かにいろいろ勝手に調べてたんですけど、なかなか菊地さんの情報が出てこないっていうのもあったので、
ぜひここでいろいろお話を聞きできればと思います。
はい、お願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
最初に菊地さんが普段どんなことしてるか、簡単な自己紹介からお願いしていいですか?
ゲストの紹介
福屋を運営してまして、東京の表参道と京都の河原町にも店舗があるんですけども、そこはうちのチームが店長として運営していて、
私自身は普段自分の花巻のお店の商品を買い付けに行ったりとか、商品の企画とかをしながら、週末お店を開けてお客さんとお話ししてるって感じですかね。
分かりました。ありがとうございます。
株式会社VOFがそういった店舗を運営してる会社っていうことになると思うんですけど、その中での菊地さんの立ち位置というか役職的には。
一応僕がお店を始めたのは12、3年ほど前で、そこから始めて店舗展開したので、役職的には代表取締役っていうので受け入れている形になります。
なるほど。ありがとうございます。
もともと東京と京都にお店があるってことでしたけど、出身はどちらなんですか?
出身は釜石市です。岩手県の釜石市です。
なるほど。釜石から東京とか京都とかの方に出るタイミングもあってっていうことなんですかね。
そうですね。高校を出てすぐ千ヶ崎に住んでいたんですけど、その後大阪に渡って15年ぐらいですかね、大阪で住んでました。
そのあたりをもう少し詳しく聞けたらいいなと思うんですけど、その高校、高校は釜石の地元の。
釜石の最初は学校に入ったんですけど、いろんなことがあって退学して洋華の方の学校に転入してですね、そこでちょっと親元離れたので、
そのあたりから自立して洋服のビジネスみたいなのもちょっとずつ始めたのが高校1年生という感じですね。
すごいですね。高校1年生の頃から服に関わる事業とかそういったことをしてた。
そうですね。リメイクして、家の台所の鍋でシリコンとかをいわいて、デニムに塗ってとか。
そうやってするとどうなるんですかね。ツヤ出しみたいな。
そうですね。レザーのパンツみたいなのがあるんですけど、ディオールウォームっていうディオールのレンズのブランドがそういうデニムを出していて、
十何万で買えなかったんで、うちおじいちゃんは漁師なんですけど、いろいろ道具がたくさんあったんで、
それでシリコンっていう言葉を見つけて、塗ったらできるんですかって。
すごい自分でもう服を加工してみたいなことを。
そういったこともしてました。
高校生の頃からしてた。じゃあ元々服が好きみたいなルーツとかで言うと結構学生時代から。
そうですね。中学校からですかね。
それ元々どういうきっかけで服を好きになっていくんですか。
自分自身が小学1年生ぐらいから不登校してたぐらいあまり社会向きじゃなかったというか、
集団行動がとりあえずダメで、自分の興味っていうのがだいたい映画だったりとか音楽だったので、
地元の釜石のゲオに週3回通って、洋画だったりとか海外の音楽を聞いて、そこから洋服好きになって、
でも地元では買えなかったんで、森岡まで行かなきゃいけなくて、旅のしおりみたいなの作って、
同級生に渡して、くどいて連れて行ってました。
一人で行くの嫌だったんで。
森岡のこことここに行くみたいなのを友達にプレゼントを頂きながら。
こういう店があって、こういう服が手に入るよみたいな。
一緒に行こうみたいな感じで行くっていう。
そうやってました。
なるほど。
そうですよね。すごく偏見かもしれないですけど、僕自身も岩手の、僕は出身は欧州なんですけど、
やっぱりなかなかいわゆる例えば地方って言われるような場所にいると、
あんまりそういう音楽とか映画とか服とか、
なかなか新しい文化的なものに触れる機会みたいなのがすごく限られているようなイメージになってしまいますけど、
だからむしろどうやって興味を広げるんだろうっていうのがすごく気になっているところではあったんですけど、
岩に行って、本当自分から収集しに行くっていう感じですよね。
高校生ぐらいはずっとそんな生活をしてたので、
映画見まくって、音楽聴きまくってって感じでした。
そっか、じゃあその後高校卒業してからの企業に入るのか、その後の仕事の仕方みたいなのをどうやって選択していく?
高校の時に一応専門学校に、ファッションの専門学校に行くか悩んだんですけど、
実際なんかそのインターンシップで調べたりとかしていく上で、
なんか実際それで自分の夢本当に叶うのかなとふと思って、
だったら自分でまず資金をつけて好きなものを作るとか、
自分らしいやり方でファッションの自営業っていうんですかね、できるようになりたいと思って、
とりあえず一番給料のいいところに入れてくれって言ったら、
千ヶ崎の工場でした。
そっか、学校に。
給料に高いところって言ったら、それがその千ヶ崎の工場だった。
そうです、でも迷わずそこに行きました。
そこはどれくらい働く?
最初は結構つまずいてというか大変だったので、仕事その大変だなと思ったんですけど、
ただ楽しくなってきたあたりに、自分の先輩というか憧れてる大阪のファッション関連の人が、
自分で会社立ち上げるからっていう誘いがあって、
1年ぐらいで結局辞めて、その人の指示をこいに大阪に引っ越したのが、19歳ぐらいの時でした。
もうその方とは既にお店に例えば通ってたとか接点があったんですか?
元々ブログとかで知って、当時のアメーバブログとかで見て、すごいかっこいい人いるなと思ってたら、
東北の出張の時とかに会いに来てくれて、
やっぱり自分は都会のそういうファッションの仕事をしてる人とちゃんと触れたのはその時初めてで、
そこですごく影響を受けて、その人の仕事に興味があって、迷わず飛び乗ったって感じです。
なるほど、じゃあ1年で本当にそれこそお金を稼ぎに行くみたいな仕事を。
稼ぎみたいな。
1年でその工場で働いて、その後からはその方と一緒に行けばよかったんですけど、
その方は自分の仕事うまくいかずで、結局自分へは仕事が供給されなくて、
なんならちょっと詐欺みたいなのにあって、200万ぐらい失ったんです、その時に。
家も仕事もなかったんで、それが大阪の19歳の始まりでした。
200万を失ったのは会社が失ったんじゃなくて、
自分の個人のお金がもうそこで失われてしまった。
自分の資材というかお金も含めて洋服とか持ってたもの全部なくなっちゃって、
それでちょっと悔しくてというか、っていうのが自分のバイタリティーになって、
かなり昼も夜も働いたりして、そこから3年ぐらい洋服の会社で、
結構大きい量販店みたいなところで働いたんですよ。
震災橋で働いて、そこで同い年の友達が増えて、
彼らと何かしたいなってところから、3年後ぐらいすぐに自分でお店を始めて、
23歳ぐらいからは自営業でやってますね。
そっか、じゃあ19歳ですごく壮絶な小場面というか、
そうですよね、1年間手稼ぎのような形で働いてたけど、
全てを失ってしまって、そこから3年、4年ぐらいとかで自分のお店を作るところまで。
それこそ最初高校卒業するときに専門学校とかに入って、
自分の夢が叶うのかどうかみたいなのも迷われてたってことでしたけど、
元々その段階でも描いてた夢とか考えてたこととかっていうのは具体的にどういうことなんですか?
最初はデザインをする方に興味があって、
中学校とか高校のテストの裏にそういうデッサンを描いたりとかしてたんですけど、
どちらかというと自分でリメイクしてたのが、何というか向いてるなっていう形があって、
それで何かしらでも自由になれたら、ファッションの仕事で自由になれるんだったら何でもいいかなって思ってたら、
結局はお店を始めるっていうスタートになりましたね。
なるほど、そうですよね。服に関する仕事とかもきっと、もちろん販売もあるでしょうし、
作ることとか、それこそ古着とかになるとバイヤーみたいなこととかもあるんでしょうけど、
お店になったのはどういう経緯で?
最初はなろうとしてなったわけではなくて、先ほど言った新西橋のお店で出会った仲間と、
当時ファッションスナップっていう街中の人をおしゃれな人と話しかけて写真を撮るっていうのが流行していて、
本当に雑誌とかのページにあるような。
そうですそうです。ああいう活動をちょっと周りの仲間とやってみたら、思いのほか人気が出て、
多分西日本で一番大きいぐらい当時スナップのサイトになって、
20人ぐらいですかね、ボランティアで手伝ってくれる子が増えて、
そこに恩返しというか、何かこう返したいなと思って、でもお金がなかったので、
時間が共有できたら何か生まれるかなと思って、
継続的に場所を確保して人を集めようと思うと、
自分の場合はカフェとかではなくて、洋服を通した空間だったので、
家賃3万6千ぐらいでお店借りて始めました。
天才橋にそんな物件があるんですよ。
かなりボロボロでしたね。
なるほど。
それがもう23歳の頃ぐらいで、
そのお店は今の会社の原型というかルーツみたいなものになるんですかね。
そうですね。一番最初の、最初は買い取り行ってリサイクルみたいな媒体のお店から始めて、
そしたらスナップをしてくれている友人、友達たちがおしゃれな人どんどん連れてきてくれて、
そしたら普通のリサイクルっていろんなものが入ってくるじゃないですか。
じゃなくてすごいニッチなというか、かなりファッションフリークな商品が集まって、
それですごく忙しくなって、
で、大きいお店に憧れていた大阪のファッションストリートの大きい店舗を見つけて、
そこに出したかったので出して、
そしたら別に売上が上がらなかったんですけど、
地域展開から東北の布地文化への触発
そこが本当に会社として始めた場所に、今はもうないんですけど。
最初は本当に大阪の店舗からスタートして、
その後、東京、京都とかの展開は徐々にそれこそ段々と売上というか事業として戻ってきて。
でも売上を伸ばしたくて出したというよりかは、
偶然同い年だったんですけど、紹介された人たちがお店を出したいということを考えていて、
彼らと会ったら面白いことが、自分よりも変なファッションに詳しいというか、
ファッションオタクな人たちで一緒にやりたいと思って、
自分が経営するから、バイヤーとセールスって2人だったので、
店準備して、東京でやるなら表参道でしょうと当時思い。
聞いてるとミーハーティー方が、かなり分かりやすいと思うんですけど。
小さかすぎて、かなり困ったんですけど、それで何とか出して、
今もうでも4年か5年ぐらいですかね、お店を続けているので。
京都は自分の高校の時代に通っていた洋服屋のオーナーと一緒にお店をやろうって話になって、
僕の師匠みたいにあたる方なんですけど、それでやりたかったイメージが一致して、
ちょっとプリミティブで民芸的な洋服屋をやりたいというところが、
今のVOF、かなり民芸的なブランドを扱ってるんですけど、
そこで会社の骨ができたというか、会社としてのブランドイメージがそこでできたのが京都店なんですよ。
本当に会社の展開みたいなのは仲のいい人たちとか友人たちと一緒にやっていこうみたいなところを、
本当にホッキニンガキクシさんみたいな形になって、経営はするから一緒にやっていこうみたいな形で店舗が増えていってるんですね。
そんな中で、大阪、東京、京都に店舗があって、
今現状を運営している3店舗のうちの1つがこのKUNEさんですもんね。
花巻にあるっていう、並んだときに東京、京都、花巻っていうのがすごく、
最初知ったときはなんで花巻なんだろうってすごく気になったんですけど、
花巻に店舗を持った理由みたいなところも教えていただいていいですか。
自分自身がコロナ禍になったときにすごい考えたんですよ。
自分が何をすべきなのか。洋服屋としてこんなにものが多くて、
でも時代的に皆さん生きることをもっと考えるときにファッションを売るっていうことですごい考えたんです。
で、ふと東北の先織りだったりとか差子だったりとか、
その少ない布地を大切にする文化とか、やっぱ自分の地元の文化の美しさみたいなことに気づいて、
それを他の人に任せても説得力がなくて、やっぱり自分自身がそこの地に戻って、
その文化に触れて形作りしていかないと、これは何か意味がないと思って。
で、ちょっと都会から逃げるように家を探して。
で、釜石を選ばなかった理由としては、釜石はもちろんすごく好きな大切な場所なんですけど、
花巻きとか童話だったりとか、そういう山の方にある布の文化に興味があったので、
それで花巻きで探してここにたどり着いたって形です。
ちょっと僕があんまり勉強不足であれですが、花巻きにある布の文化にどういうのがある?
そうですね。いくつかあるんですが、ホームスパンで童話にある日本ホームスパンさんは今もお取引させてもらってるんですけど、
そこも元々は羊を育てて、家で当時ウールが取れなかったというか、輸入に頼ってた時に始まった文化で、
手編み、手織りの布地の文化だったり、あとは差子だったり、つくろいというか美しいそういうつくろいだったり、
あとは先織りは花巻きというか、東北地方、差子もそうですけど、
不要になった布だったりを裂いて、それを織り直して生地にするっていうところで、
すごくなんていうんですかね、東北の香りというかする素晴らしい文化だと思います。
東北に行くなら自分自身が行くっていうのもそうですけど、いつかは地元の方というか、
花巻への移住と古民家のリノベーション
もともと出身の東北とか岩手とかに戻りたいみたいな考えがあったんですか?
そういうわけではなかったんですけど、
本当に一つきっかけとしてはパリコレクションというかに買い付けに渡った時に、
一番自分がお話ししたかったデザイナーというか、すごく好きなブランドのデザイナーの地元のアントワープっていう
ファッションの聖地みたいな場所があるんですけど、そこの彼のアトリエだったり、文化を実際に行って紹介してもらった時に、
彼はすごい日本の文化が好きで、日本の記事をアントワープで作ってる服も使ってたりするんですけど、
いまいち自分が日本の文化ってものを分かっていなくて、すごく会話にできなかったというか、
それこそアントワープの方は地元の方ってことはフランスの方?
ベルギーなんですけど、フランスに店舗というかアトリエを持っている。
普段はアントワープで生産、製作をしてお店もあるんですけど、やっぱりこれの時期にみんな地方から出てきて、
展示会みたいな形で街に連なるんですけど、そこをワイヤーが回っていくみたいなのが僕らの仕事であって、
その彼の地元のアントワープにもお店があるので、そこに訪ねて日常を過ごした時に。
その方の方が日本の記事のこととかについて詳しい。
こんなに逆に言うと日本の畑屋さんとか記事産業って素晴らしい財産なんだなって気づいて、
ただ日本でもそういう活動されてる方たくさんいて、自分がそこと比較してやりたくはなくて、
自分自身っていうものに向き合うのであれば、やはり自分のルーツであるところに帰りたいってところでした。
なるほど、そっか。
その中でより布の文化があったりだとか、少し景観的な山に近いようなところがあって、
花巻に行ったんだ。
お店の場所で言うと、花巻市の鉛地区にあって、
花巻温泉郷の、花巻温泉いくつかあるうちの富士山旅館さんとか都府県内ぐらいで。
一番奥の方ですね。
そうですよね、確かに。
もうあとは藍林館とかぐらいしかないぐらいの、結構本当に奥の方ですもんね。
オープンしたのはいつ?
今年の4月の15日なので、まだ4ヶ月経たないぐらいですかね。
そうですよね、すごい素敵な場所ですよね。
ありがとうございます。
このお店になってる場所、古民家ですか?
約100年ぐらいの、この辺りの本家にあたる古いお家みたいです。
本家さんのお家を今、これ一応回収もして。
そうですね、入口の辺りとかを元の形に戻したっていう感じですかね。
リフォームされてたのを、かえって取っ払って。
なるほど、はいはい。
景色がよく見えるように、元の昔の古民家形に戻したみたいな工事をしました。
店舗もあって、後この裏の方とか住居スペースみたいな形になるんですかね。
北側は居住空間で、昔の晴れと景の考え方がすごい好きで、
景の間というか、日常の間は自分たちのスペースで、
週末だけ晴れの間として南側を開放してる感じです。
ここどうやって見つけたんですか、この物件。
ここはwebでひたすら東北古民家って調べましたから、
それこそ欧州の方はいくつか見つけたりしたんですけど、
花巻のあたりでほとんど見つけれなくて、
ずっとないなと思っていたら、ふとアキアバンクですかね、見れてたので、
それで問い合わせして見に来たのが冬ぐらいで、
一目ぼれって感じでした。
冬ってまだ1年経ってないってことですか、じゃあ見つけてから。
見つけて、今はすんで2年ぐらい経つんですけど、
その時は冬の釜石と森岡の経験しかないので、
こんなに雪降って寒いと正直思ってなかったので、
スキー場があるぐらいですね。
1年ぐらいは慣れるのに必死って感じでしたね。
そっかじゃあ最初はもう本当に冬に見つけて、
一目ぼれしてもうすぐじゃあここにしようっていうのを決めて。
そうですね。
僕は一度お店にも伺ってるからですが、ご家族も奥さんもいらっしゃって、
お子さんもお二人一緒にいたから、家族での移住ですね。
もう結構即決だったので、反対されました。
実家の母にも反対されました。
そっか釜石にいらっしゃると。
寒いし、寒いし、寒い時。
そっかそうですよね、帰ってくるとは言ったけど、
菊地氏のブランドと店舗の経験
なんでそこにみたいなこと言われて。
そうですね。
ちょっと遠いので。
でもそれでもやっぱりこの場所が良かった。
そうですね。
物作りも兼ねながらやりたかったので、
そういう広いスペースというか、
区分けしてやりたかったので、ここでしたね。
なるほど。
そっかじゃあ実際住んで2年で、
その改修とかでも本当にプロの方達というか、
お願いしながら。
そうですね、公務店さんに入ってもらって、
説明回りとか大工さん仕事はお願いして、
あとは自分もずっと工事の横にいさせてもらって、
小材を横の川で洗って、
大工さんにこれに足つけてベンチにしてくださいとか、
さかん。
ディレクション。
色々アドバイス聞きながら、
自分で土壁とかはさかんしたりして、
木にも全部天乳とかをよじ登って塗りまくったので、
半分DIYって感じですね。
なんかすごい、もちろんご民家なんですけど、
すごい手が行き届いてる感じというか、
なんかすごくシュッとしてる。
もっとうまく言葉で説明しないと皆さんが想像できない。
なぁと思うんですけど、すごい本当に素敵な空間ですよね。
毎週雑巾がけしたりとか、
そういう古いものを大切にしたいって思ってるので、
あんまり装飾的にするとか、
トレンドの家具入れたいとかではなくて、
うちにあるのは大体60年代とかの家具が多いんですけど、
長く大切にするっていうので、
家自体も豆に掃除したり、
なんかやっぱり昔の人がやってたことだと思うんですけど、
手入れしてるって感じですね。
なるほど。ありがとうございます。
クーネさんで販売されてるものだと、
先ほど言ったように他のブランドの商品とかを、
他の方が作ってるものを販売もされてますけど、
ご自身でも服を作ってるブランドのものも出されてます。
企画も最初は僕の師匠というかと一緒にやり始めたんですけど、
途中で自分の方がそこを担当するって話になって、
今今年の秋冬もホームスパンのオリジナルの記事というか、
追っていただいていて、
自分なりにホームスパンも研究して、
博物館に問い合わせして、
100年前の記事見本を今見させてもらうところまで行ったんですけど、
そういうちょっと源流をたどって、
より現代に必要とされるようなものづくりができたらなと思って、
東北の文化を取り入れてやっていこうと思ってます。
そっか、じゃあそのブランドの方にも結構花巻に拠点を持った影響というか、
徐々にそれが出始めてる。
ですね、ようやくやりたかったことを少しずつできてきてるかなって感じですね。
ありがとうございます。
あと実際どうですか、ここ住んで2年でお店がオープンして、
まだ本当に4ヶ月ぐらいです。
今収録してるのが8月頭なので4ヶ月ぐらいですけど、
どうですか?
でもすごい楽しいですね。
楽しい。
かなり遠くて分かりづらい場所なんで、
お客さんも来るのは大変だと思うんですけど、
皆さん温かい方が多くて、
地元の人々とのつながり
こんな素敵な思いの人とか活動されてる方がいわていらっしゃるなと思って、
そういう出会いに感謝なのと、
あとは地元の方々がすごく温かくて、
子供も運動会とかも僕らも参加してあるんですけど、
自分の孫みたいに子供をみんなあやしてくれて。
すごい素敵ですね。
なので子供もかなり甘えてますけど、
なんか地元の人にも育ててもらってるって感じで、
帰って自分らだけじゃなくて、
一緒に育てれてるんで、
子供にもいい影響あるんじゃないかなって感じてます。
なんかこの地域のあたりって本当にそれこそ温泉に行くっていうイメージしかなくて、
むしろそのこの温泉の裏側というか、
にこういうこう集落というか、
住居がいっぱいあるような場所があって、
あることにも結構びっくりしたというか驚いたんですけど、
このあたりの方たちは本当に地元の方が多いですかね。
ですね。
移住者って方はほとんどいないんじゃないですかね。
突入できたとかあると思いますけど。
ですね。
若い方は数人いらっしゃりますけど、
もうじゃあ基本的にはずっとこちらにいらっしゃる方が多い。
洋服屋としての活動
そうですね。
はい。
なんか温泉地とかってあんまり新しいお店ができるような場所でもないようなイメージがあって、
なんかここでクーネさんがあってみたいなこととかって、
地元の方からのその反応みたいなのって最初どうだったんですか。
その移住したすぐとかお店オープンしてとか。
はい。
でも一番最初のお客さんが近所の仲のいいおばあさんとかだったりして、
はいはい。
で来てその昔の、その方も洋服構成とかの裁断するお仕事されていて、
お話聞いて、なんかこの家のこととかも教えてもらって、
皆さん洋服を買うっていう形じゃないんですけど、
はい。
なんかその、なんていうんですかね、ここに多分人が、
すごいこの景色とかこの地域を愛されてる方多いので、
そういう方が来るっていうことは喜んでいただいていて、
たまに不便はないかって感じで聞きに来てくれたり。
はいはい。
そうですね。
でも皆さんにもなんかこの、なんていうんですかね、
いつでも来てもらってゆっくりしてほしくて会話もしたいので、
ちょっとしたらお茶とか出せるような形もしたいなと思ってます。
はいはい。
そっか、いいですね、確かに。
なんかでも菊池さんの人柄もなんかありそうな感じがしますよね。
柔らかいというか、昔はトゲトゲしてたみたいですけど。
はいはい。
はいはい。
そっか、いやすごい良いなと思います。
ありがとうございます。
はい。
なんかあとはこう、実際例えば作っていくのそのホームスパンのところとかも、
これから今から出来始めていくっていうことでしたけど、
はい。
この辺りこの物件って、このお店の住居になってるこの小民家と、
はい。
あとその蔵とかもですよね、隣にある。
そうですね。
石の上に立ってる小屋があるんですかね。
はいはい。
はいはい。
はいはいはい。
はいはいはい。
はいはいはい。
その隣にある、石の上に立ってる小屋があるんですけど。
はいはいはい。
学生の小屋があって、そこもかなり広いので、そこで企画だったりとか、
はい。
飲食住をこう総合して大切に伝えたいと思っているので、洋服屋なんですけど、
なんかその、岩手来てすごく驚いたのが、
はい。
農家さんだったりとか職に対するこう皆さん意識がすごく高いのと、
はい。
生産者の方とすごい近いのが、すごく実でいいなって思っていて、
はい。
何かそういった方はわからないですけど、
マルシェンみたいなとか、何か人が集まって
異色重をお互いシェアして、
あの良くしていくみたいな活動は
ここでできれば、ならないかと思います。
なるほどー そこ。
なんかいいの、異色重というと本当に最初の
本当に衣麿っていうか服みたいなところやっぱりすごくイメージが付きますけど
食自愚みたいなのこれからどういう展開になっていくか凄い楽しみですね
はい
自分も凄い食育って凄く大切にして本読んだり話んでるんですけど
あの自然の松の葉を食べたらカルナリーとか
なんかそういう言われも何か好きで
はいはい
こう現代の栄養学とかばかりにこうとらわれなくて
はいはい
で、しかも草木染めっていううちでちょっとやりたい活動として、草木と限らなくてもいいんですけど
なるべく環境負荷がない形で、うちの洋服買っていただいた方とかも自分で染めたりとかできるような環境を作っているので
そこは植物の皮だったり木の幹だったりとか、そういったものを活用してやりたいので
あまり洋服洋服っていう感じではないじゃないですかね。
なるほど。農地とかもあるんですか?
周りは畑だらけなんですけど、今は田んぼやってるのが一つのうちしかなくて、
ただ自分も田んぼとか、どこまでできるかですけど、興味があって、地元の方が今手伝ってくれて一つ田んぼが蘇るみたいですけど。
すごい。じゃあそこをまた今年だともうあれですけど、来年ぐらいから自分も手伝わせてもらって、
できれば自分の前の土地とか田んぼになれば目の前のスキー場の山が水面に映ったりとか、そういう景色も見たいなと思ってました。
すごい良いですね。
素敵ですね。
確かに。
ありがとうございます。
あとなんかこうすごい余計のせやというかあれなんですけど、
やっぱり例えば東京に店舗があって京都に店舗があってっていう、人が多い場所にお店があることと、
それこそこの花巻の中でも、もちろん駅から全然、車だと花巻駅だったら
30分かかるくらいですかね。
そうですよね。けっこうそんなにすごい悪いわけではないけど、ちょっと来づらいみたいな場所に店舗があると、
仕事とか事業とかビジネスみたいなことで言うと、全然環境が違うと思うんですけど、その辺りってどうなんですか?
出張によく京都だったり、京都も神戸空港まで花巻空港は1本で飛べるのでよく行くんですけど、
東京なんか特にギャップが表参の辺りなので、
そうですよね。
思い立つとあると思うんですけど、実際行くとすぐそっちに馴染んでる自分もいて、
東京に行くと空き時間見つけて美術館回ったりとか人と会いに行くんですけど、
なんて言うんですかね、ただなんかその人とお話ししたり、周りからの影響が強すぎて自分の中身が出てこないというか、
で、花巻にいる時間はすごく自分、下手すれば自分しかいない時もあるので、自分自身のことが空っぽにできるので、
意味は使い分けてます。
そっかそっか、なるほど。
どちらかというとだからこの花巻の拠点は、もちろん人に来てもらいながらですけど、
より多くの人にとか、っていうことよりかは、どちらかというとキクシさんが自分自身のことを見つめ直すとか、
もしくはそれらを受けて物を作るとか、そういった意味合いの方が強いですかね。
両方なんですけど、自分のお店の名前のクーネっていう言葉の意味が、
宮沢賢治も愛してたエスペラント語っていう世界共通言語を目指してた言語で、
一緒にっていう意味を持っていて、自分自身をまず空っぽにして、自分自身なんだろうみたいな企画のところもあるんですけど、
あとやっぱり人から教えていただいたり、人と一緒に手を動かして気づくことだったり、
豊かさがあるので、そういう意味でやっぱり人がいないと自分も作れないというか思うので、
ですね、そういう意味ではわがままですけど、両方欲しいですね。
自然との共存、食育の重要性
両方欲しいですね。
でもなんかすごい一緒にみたいなところが、なんかここに来たことで、その地域の人たちっていうのもそうでしょうし、
あとここのお店を通して会ってる岩手の人たち、すごいその人たちもすごく面白いって感じてらっしゃるとおっしゃってたので、
なんかその人たちとまた作っていくと、また今までとは違うものができていきそうで、それもすごく面白そうですね。
ですね。
同じ古民家でも、京都の方は京町屋なんですけど、光が入りづらい世界で、
その分、暗闇が美しくゴールドだったり漆器だったりが怪しく光るんですけど、
岩手の花巻は南側に大きな窓があって、光が入ってきてすごく健康的な空間なので、
東北の分からないですけど、たぶん農家をしていたお家なので、
なんかそういうところでを整えて綺麗に美しく伝えていって、何か一つのシンボリックなものになればいいなと思ってます。
なるほど。ありがとうございます。
あともう少し生活的な面で言うと、それこそお子さんもいらっしゃって、どうやって過ごしてるんですか?
一応ここバスで迎えが来てくれるので、
今は小学生?
今は保育園です。
保育園のバスが迎えに来てくれて、
そうです。
保育園まではそのバスで通ってる?
そうです。
ちょっとただ県交通みたいなバスに乗らなきゃいけないみたいなので、
最初はちょっと送らなきゃいけないっていうのはあるんですけど、
そこまで不便は今は感じてないですかね。
お店は基本週末開けていて、
あと週末以外の日とかは何をされてるんですか?
本読んだり、音楽聴いたりします。
めっちゃいいっすね。
庭整理したりとか、物作ったりとか、
あんまり何もしてないかもしれません。
そっかそっか。
でも家の周りとかも結構草とかもいっぱいいるから確かに、
その管理とかも結構大変そうですね。
なんかでも面白いですね。
整理してると見えてくるものも、
ここにこういうの生えるんだなとか、
この草木でこんなことでかゆみ止めになるんだなとか、
結構面白いです。
むしろ生活自体が仕事のインプットの機会とか、
そういうのにもなってる。
そうですね。
だんだんそういうのが一体になってきてるみたいな形なんですかね。
なんかすごく真実味のある店にしたかったので、
そういう意味でもあんまり飾らず、気貼らず、
リラックスして自分も過ごして、
お客さんもそうじゃないと、
起きて緊張しちゃったり、
なんかご民家っていうと、
行きづらいみたいな話はあると思うんですけど、
かなりほっこりやりたいなっていうのは。
そうですよね、確かに。
勝手なイメージでやっぱ服屋さんとかだったら、
やっぱり自分の世界観をちゃんとお店とかに落とし込んで、
表される方とかも多分いらっしゃると思うので、
そこに馴染めないとやっぱり入りづらいとか、
そうですよね。
っていうのがあったりするけど、
そういうのがない確かに開放感と開けた感じが
すごいここはしますよね。
自分の身近な人に着てもらいたいと、
子供が生まれて余計に思って、
これまではうちで扱ってる洋服って、
デザインが効いてると思われてたり、
自分の身内もあまり興味持ってくれなかったんですけど、
値段のこともしかり、
スタイリング的なところもしかり、
ビジョンオブファッションと草木染めの工房
本当に自分の家族だったりとか、
自分の友人たちが着れるようなものが欲しくて、
企画もそういうイメージで作ってるんですけど、
そう思います。
ありがとうございます。
あとはだんだん最後の方になってくるんですけど、
改めて今後の展望というか、
今住んで2年でお店が始まって本当に4ヶ月ぐらいですけど、
今後こういうことをしていきたいとか、
こうなったらいいなとか、
何か考えてるものがあれば教えてください。
はい、そうですね。
今年の秋冬ぐらいから草木染めの工房も、
自分自身もちょっと実験しながらやりつつ、
あとは着ていただいた方が、
自分一緒に染め物をしてみたりとか、
あとはそういう、何て言うんですかね、
地元の方で昔から縫製されてる方とか、
何かそういう方ともし出会える機会があれば、
うちでそういうリペアだったりとか、
やっぱ洋服を大切に長く着る文化っていうのを、
何か現代にアップデートして伝えていきたいなっていうのと、
洋服を大切にする文化をアップデート
それを東京とか京都の方もそうですけど、
都市に住んでる方にもここに来て体験してほしいというか、
何かすごく都会にいたときは、
何か自分と周りを比較してすごく苦しんだときもあったので、
何かここに来ると解放されて、
何か自分の手とか自分の輪郭みたいなものを、
何て言うんですかね、意識する時間を提供できたら、
というかそこに一緒にいさせてもらえたら自分も嬉しいなと思って、
そういう出会いというか体験ができる場所まで成長させたいなって感じですかね。
ありがとうございます。
実際、例えばお店は週末っていうとどこからになるんですかね。
同日月曜日です。
同日月曜日。
何かぜひ聞いてくださっている皆さんにも来てもらえるといいなというのと、
服はオンラインショップとかでも購入できる?
そうですね。
ビジョンオブファッションっていう名前の市販サイトに、
全店舗、3店舗分の洋服が並んでいるので、
自分が企画しているものもそこにあるので、
ウェブからも見れます。
でも本当にお店に来ても、
何かすごい僕も初めて来たときもすごく菊池さんとゆっくりお話ししながら、
何か一緒に服を説明していただいたり、
それ以外の話もしながらみたいな感じ、
服を買いに来ているっていうよりかは何なんでしょうね。
確かに人の家に遊びに行っているような感覚に見えちゃうし、
近いようなすごい時間の過ごし方ができたので、
本当にいろんな方に知っていただきたいし、来ていただきたいなと、
ビジョンオブファッションの展望
今回お話を聞いても改めて思いました。
ありがとうございます。
あとでもやっぱり楽しみですね。
これからホームスパンの製品とかもそうだし、
草木染めしたものとかもすごいどういうものが出来上がっていくのかすごい気になります。
はい。頑張ります。
ありがとうございます。
じゃあ今日は菊池さんにお越しいただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
41:16

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