00:00
♪~
岩手県花巻市と東野市からお送りするポッドキャスト
「Good Neighbor, Good Culture」花巻と東野
2つの土地で生まれる文化を探るため
この場所で生きる人たちに
暮らし方や働き方を聞きします
司会進行は東野市で編集者、ディレクターとして活動する
宮本が務めます
ということで後編になりますが
はい、よろしくお願いします皆さん
はい、よろしくお願いします
今回も福田恵さんと上山美里さんと
ピッコログランデさんにお越しいただいています
はい、お招きありがとうございます
いやいや、ありがとうございます
たくさん収録中もたくさんお話ができています
その合間合間もたくさんお話ができて
すごい楽しいです
ちょっと後半はですね
前半、皆さんにそれぞれお話をお聞きしたんですが
もっと三里さんの紹介ができたらいいな
というふうに思ってましたので
というのと、あともう少し皆さんの働き方的なところも
後半ではお聞きできたらいいな
というふうに思っています
なのでまずじゃあ三里さんの話を
今回聞きましょうということで
僕、三里ファンなので
ちょっと三里さんのすごいファンになったポイント
ぜひ、確かに
短くお願いします
大丈夫です、しっかり
前半ちょっと僕と
そうですよ、ピッコロさんも喋りすぎて
我々ちょっと後半おさえめで
だけどまあちょっと言わせてほしいので
今日撮っているこの場所でね
前に三里さんがお食事会みたいなのをされたんですよ
それが僕すごい良くて
その時はテーマがあって
レモンだったと思うんだけど
で、お菓子を焼く人と
三里さんと
お二人でしたっけ?
二人でやりました
っていうふうになってて
なんかその食堂みたいな感じで来たんですけど
来たらなんか展覧会みたいな雰囲気があったの
僕は美大を卒業してるんですけど
美大の子たちって
結構自分の描きためた絵とかね
そういうのをグループ展とか行って
画廊を借りてね
一週間みんなに見てもらったりするんですよ
感想もらったり
中には絵が売れる子とかもいるんだけど
その雰囲気すごい近くて
あ、これは作品の展覧会なんだって思ったのね
で、その時に
いや、それを思ったのは何かというとね
お菓子が何種類もあったわけ
はい、ありましたね
そこにお食事に来てると思うとさ
どれにしようかなっていう気分になるじゃない
でも作品展だと思ったら
03:00
全部触れなきゃと思って
全部お菓子食べた
けんさん全部食べてくれました
しかも俺結構一個ずつ量が
量がっていうかこう
こっちもなんていう本気ですか
もう体の限界に挑戦しながら
もう全部作品を満喫して帰りたいみたいな
こういう作品展っていいなって思って
で、結構前に
あの三沢さんが
あのご自分のことを旅しする料理人
みたいな感じのことをおっしゃってたのね
で、あ、こうやっていろんなところで作品展をして
旅芸人みたいですけどして回って
でもお家があるところは唐野なんだ
っていう風な感じがすごいいいなと思って
僕すごい影響を受けたんですよ
そんな三沢さん
嬉しいです
っていう話でした
めっちゃほね言葉や
そうですねすごい
ありがとうございます
いやでも三沢さんの料理
一応型書きとかみたいなのは料理人
なんかよくわからないけど
型書きにすると何なのか
料理人っていう風に一応言ってる
だけどまあ
やっぱり普段普通一般的に料理する人で多いのは
やっぱりお店を持っていたりだとかするけど
三沢さんの場合はお店
自分のお店を持っているわけではなくて
どういうところで料理を
普段はどういうところで
定期的ではないし不定期ですけど
さっきケイさんが言ってあったみたいな
レモンの貝ですよね
その旬のものを使って
料理ができる場所があれば
そこを借りて
なんかこう
改正みたいな
改正?
なんていうの?
あ、改なんとか改っていうシステム
改正みたいにして
その時に人に集まってもらうみたいな
企画、本当にでも企画店みたいな人の呼び方ですよ
確かに
っていう感じとか
さっき少し前半で少し話が出た
馬がいて宿泊ができる場所で
ちょっとゲストが来られた時に
スポットで入って料理をするっていう感じです
はい、そうですよね
だからもうそういうのをしてる中での
そのレモンの貝とかが
あれは本当に
この今収録をしてる場所が
Common's Spaceっていう都の市にある
まあコワッキングスペースとか
レンタルスペースとして使える場所なんですけど
ここでこの間巣立ちの会も
そう、秋名尾巣立ちの会っていうのもやったんですけど
それこそ本当に招待性というか
招待
知ってる人に声をかけて
とか、SNSとかでココツをしてるとかかな
うん、です
06:00
その前に徳島にいたっていう話を知ってたんですけど
そこで縁ができた友人とかが
作ってる巣立ちとか
あとまあ、愛媛のレモンを使ったりとか
だから自分が今までこう
踏み入れてきた土地で
仲良くなる人たちのものを
またここでも使ってやる
感じなことがすごく多いです
そのアートの話にまたなっちゃうんだけど
レジデンシャルアーティストみたいな話って聞いたことあります?
レジデンシャルアーティスト?
アーティストインレジデンス
そういう感じ
作家が作品を直接持ってくんじゃなくて
ちょっと滞在するんです
滞在先でその街の出来事とか
食べてるものとかテーマを発見して
そこで作品を作るっていうスタイルの領域があって
すごくそれっぽいし
その中でも最近ご飯作るアーティスト多いんですよ
へぇ~
僕すごい好きな島袋さんっていうアーティストがいるんだけど
その人なんかは
多分Googleとかでね
島袋タコって言うと出ると思うんですけど
その人はポルトガルだったかな
まあ外国、ヨーロッパにそういう
ミエンナレ、トリエンナレみたいなお祭りがあって
そこに行ってプラプラしてるんですよ
そのうち海岸でタコを釣っているおじさんに会って
日本と一緒でタコ食べるんだって言って
そうだよこの国はタコ食べるよと
お前もタコ食うのかって言われて
うちはタコと食うし
おじいちゃんはタコ漁師だった
日本じゃタコどうやって取るの
ツボで取るって言って
ツボを沈めてそこにタコが入るっていう話をしたら
何言ってたの入らないよって
現地の人に言われて
思い出!
じゃあそれやろうみたいな感じで
街にある焼き物の文化で
みんなで焼き物のタコ
タコツボ作るんですよ
これでずっと作って
最終日かなんかにみんなでタコツボ沈めて
次の日にワーって上がってきたので
もうワーって入ってる!って
タコ料理めっちゃして
それをビデオとか写真とか
あとテキストに起こして
一つの作品でして巡回させるっていうような
アートをやってる人がいて
いいですね
その人々と関わるっていう部分も作品なんだよね
ミササさんの仕事を見てると
そういう部分
その分量の多さを感じる
そういう領域の
なんかその移住とかいう概念が
自分にはあんまりなくて
確かに前にいた京都とか徳島からは
離れてるけど
気持ち的にはあんまり離れてなくて
ただいまと大野に住んでるみたいな
09:00
だけどやってることは
大野にそぐことっていうよりも
なんか今まで溜め込んできたものを
踏まえてやってる感じ
っていう感覚ですね
あんまりそう
土地の移動に関しての感覚がちょっと
ずれてるのかな
あんまりないんですよね
距離とかあんまり気にならないし
今ここにいるから
ここでやってるって感じですね
あとはやっぱお店を持たずに
やってるのは
なんやろ
この土地で自分が暮らしてるから
体験していろんなことを感じて
でそれがたぶんその時の料理なんか
自然に出ちゃうんですよ
ここで感じることが
別にそうしようと意図してるわけじゃないけど
あんまりその区別して考えられない人間みたいで
全部そこに注がれるんですよね
だからやっぱり自分がどこにいるのかっていうのも
まあ大事
大事その心地よく過ごせてるのかどうかっていう指標で
自分は住むとこを選んでいる
はある気がします
それは頭脳はすごい心地がいいなと思って
自分の体にも心にも合ってるかなっていう感じはします
だからいるんだと思います
確かにまあ結構一見矛盾すると矛盾というか
別の感覚なんでしょうね
そのなんてかあんまりこう徳島とか京都とかから
離れてるっていう感覚がないから
移動に対してのハードルがないから
なんとかこうむしろじゃあこう
なんていうんですか
どこかの場所にいるってことが
こうあんまりミサスさんの中には
そんなに重要じゃないのかなとも思うけど
でも二つ目にした話の方だと
自分がどこにいるかすごい重要っていう
自分がどういう感じでいるのかっていう
自分がどういれるのか
で2年前にここに来た時には
ここがいいなってそう
私の中のセンサーみたいなものが
働いたから今もここにいるんですけど
どうですかピッコロさん
すいません意図的に話さないようにしていただいてるから
どうですかピッコロさんを
移住って言うとなんかすごく重い感じが
今聞いてるんですよなと思って
私も割と旅をするのがすごく好きで
12:00
若い頃から日本以外
いろんなところを海外に住んだことがありますし
あの旅をしたりとかしていたので
なんとかな移動することが
そんなにくにはならない
だからちょっと私こっちに来て思ったんですけれども
ここがもし違えばまた別に
また他を探せばいいかなって思っているし
なんかここが人生の行き止まりの場所でもないわけだし
なんかそれはそれぞれみんなが一度体験して
自分の本当に心地いい場所を探す
多分この先そういうシステムに家を借りるとか
なっていくのではないのかなって思いますけどね
これだけ日本全国どこでも空き家だらけになってくるし
みんなが日本中のみんなが
飼育魚のようにぐるぐる飼い出す感じのシステムを
なんか国とか県とか町レベルで作っていってもらうと
我々ももっと移動しやすくなるし
でこれだけ今コロナっていう中で
みんな意外と会社に行かなくても
仕事ができるってことが
なんかこう実質できることが分かったわけだから
なんかこう仕事の仕方も変わるし
ミサトちゃんみたいに本当に旅をしながら
いろんなところでいろんな野菜を使って
いろんな人と関わりながら
さまざまな料理を作るっていうのは本当に素晴らしいし
それが料理だけじゃなくて
いろんな場面でできるなっていうのは思いますね
そうですね確かに
ミサトさんの仕事もそれこそこう
仕事というか自分の感覚的なところで
どこにいるかがすごい大事みたいな話もありましたけど
ケイさんとかピッコロさんの
例えば今東京のとかと関わる仕事もしながら
今ここにいてここにいることで
むしろ何か影響仕事に対してとか
働き方に対しての何か影響みたいなことってあったりするんですか
東京との仕事に対しての影響は特に私自身はなくて
どちらかというと
その東京の仕事もやめたいなっていう方が
どんどん大きくなってきて
こちらでのいろんな関わり合いができてくる人たちの間での
なんかこう楽しい仕事をもっとたくさん増やしたい
でそこの中で自分がうまくここの土地の中の人たちに
15:00
還元できる形のものができてくるといいなって思ってるんですよ
はいはいそこじゃむしろ今は今近くにいる人たちと
何か仕事をしていろんなことを立ち上げていけたら楽しいかなって思いますね
だからそれがどういう形になるか別にして
じゃあそれをうまく東京に持って行くとか
世界にもっと配信していくとか
なんかそういうことができたりするんではないのかな
っていう感じはしますね
それこそ今まさにやってるわらづくりサークル
そうなんですよ
もうそれをこのSDGsに乗っけて世界に
わらづくりサークルは言葉として前半でも出てきましたけど
具体的にどういうことやっててどういう人たちと一緒にやってるとか
それはたくみさんもご存知のここで株式会社とみかわやさんっていう
会社を立ち上げた彼が作る大学っていうのをされていて
そこの中の一環でわらを使った一番最初はノーマンを作りましょうという形で
それはこの春に終わってしまって
その後今度わら地を作るっていうのをこの夏ぐらいからずっとやってまして
わら地をもっときちんと作って
それをいろんな人たちに履いてもらいたいっていうのがありまして
93歳になるしゅんいちさんっていうおじいちゃまから習ってるんですけれども
全然すごいもっと世界に売りたいって
なんか毎日町電話がかかってて
毎日感じなのでなんかもうそのおじいちゃんの夢も叶えてあげたい
いやだからこうサントマニカの海岸をB3ではなくてわら地みたいな
とか夏に本当に家の中で履いてると気持ちがいいですし
なんか使い勝手もいいですし
東野さんの無農薬のわらを使ったわら地とか
もっと他にいろいろあるじゃないですか
わらを使った子供用のあれなんて言うんですか
大きなバスケットみたいな
ゆりかごじゃないけど
そういうのとかあとは鍋式とか
なんかそういういろんなことが我々の手でできて
それがうまくあの皆さんに使えるようになってもらうまでいけたらいいかなって思ってますけど
東野に来たことによって近くにいる人たちの
影響なのかわからないんですけど
みたいなのが変化しつつあるみたいな
18:02
そうですね
だからなんかこうもともとは私あの陶芸をちょっとやっていたので
あの仕事がうまく片付いたら
それをやりたいなと思っていたんです
だからまあそういうなんか工芸品みたいなものがすごく大好きなので
それを実際に自分で作りたいっていうのもある場所として
すごくここはいいなっていう形もありますし
だからまあそれをなんか一人でやるんではなくて
ここに住んでいるいろんな人たちと
あのいろんなサークルみたいなのを作っていきながら
やれたら楽しいかなと思ってますけどね
だからさっき言ったみたいに
まあだからそれを持って
じゃあ全国巡業の展示会をやるとか
まあそんなんネットでいくらでもできる
でもだからそういう作ったものと
じゃあ例えばこう知り合っているミサトちゃんの料理とかね
なんかこういろいろなことがたくさんできるじゃないですか
なんかそういうことができる場でもあればいいなって思いますけどね
そうですよね近くにいる人たちと
そういうことができたりしたらいいですよね
だからできる限りここに住んでる方たちとうまく
そういうことをしていきたいなって思いますね
ありがとうございます
Kさんはどうですか
僕東野に来てからちょっと嬉しかった仕事が2つあって
一つはやっぱり一つ手で東野テレビの東野タイムっていう番組があるんですけど
この番組のオープニングのアニメーションみたいな短いロゴデザインが入っている
そのロゴデザインを10年ごとに更新してるんです
今回その時期にあったので
地元の前はどこか別のところ遠くのデザイン会社に頼んだらしいですけど
今回は地元でやりたいというふうに思って
でも地元でアフターフェクツっていう特殊なソフトがあるんで
テレビ局の方がそれを使ってオープニングを半分くらい作ってて
そこにはめ込むロゴデザインを探してる
じゃあ引っ越してきたばっかだけどお手伝いできるかもって話をしてたら
僕もアフターフェクツ好きで
じゃあアニメーションも付け加えて混ぜ混ぜして新しいのできたらいいですねって
色が変わったらいいよねって話をしながら作れたんですよ
今流れて今多分冬バージョンも流れてますけど
その仕事すごい嬉しくって
それって地元でそれをやりたいと思ってる人がいるけれども
21:03
それを一緒にできる仲間が見つからなかった
そこにたまたま来た僕が手伝えたっていう出会いがあって
それはすごい嬉しかったんですよね
僕自身は今までのいろんな仕事でデザインツールとかを使ってきたけれども
それを一生やりたいと思ってるわけではないんです
でもツールは使えるので
また別のお弁当屋さんをこれから始めるんだっておっしゃってる女性がいて
その人がやっぱりロゴデザインを必要としていて
じゃあお手伝いできます
今度は別のイラストレーターとかねポートショップとか
なんやかんやっていうのを使いながらデータを作って
そのロゴデザインをさせてもらえて
それでただロゴって使ってみないとわかんないんですよ
なので使ってみて何ヶ月か使って気になったらまた直しましょう
僕が気に入ってるのはそれのギャランティーがね
お弁当50個だったんですよ
それがすごい良くて
いやこれだよなと思って
このお絵かきでお弁当50個分は俺が生き延びるんだって思ったのに
感動してこういうのはいいなと思いました
他に忙しくしてる仕事っていうのがあるんですけど
それは簡単に言いたいんだけど
簡単に言うと荒れてしまった生態系を構築し直す技術があって
それはソニーCSLという研究所で研究されたものなんです
それをただ研究結果としてあるだけだとしょうがないので
実際にそれをやっていきましょうっていう活動をしているので
それでその難しい理論を簡単な察知に直して
パブリックドメインにして配っているんですけど
それを読んだ人が実際に来て作ってみせてもらえませんかって
声をかけてくれるんですよ
でじゃあ行きますみたいな感じで
僕も味方さん憧れの味方さんみたいに
旅芸人みたいに自分の芸を持ってその場所に行って
その土地とその植物で小さいものを一緒に作って
また後日お話しかかしてくださいって言って帰ってくるっていう感じなので
僕は仕事はしてるんだけど
なんかよく職場みたいな概念なんですよ
そういうので言うと全国いろんなところに職場がある感じなんです
でも帰ってくる場所は東野なのか
東京って東京に職場があるから
東京に人が集まったりするんだけど
別に僕の仕事って東京でやる必要はないんです
東京でももちろんできるんだけど
24:01
でも東京でやる必要がなくて東野の方が気持ちいいし
むしろ東京だと馬育てたりとか
地面に好きなものを植えたりとか
焚火も消防署に電話しないとできないので
そういう意味ではここの方がすごくいいんですよ
あとは生態系構築技術が温かい方で開発されたものなので
寒い方でも実践がないんだよね
だから自分の庭で寒いところでの実践を少しずつして
少しずつ改良もできるので
そんな感じです 僕は今そういうふうに仕事していて
ただそれをやりながら思うのはお家ってやっぱ大事で
帰るところがあるっていうのはすごい大事だなと思っていて
すごい目を大きくしてる
ずっとさっきも話したけど
尺屋だったんで東京で職場に近いから
なるべく職場に近くでも払えるだけの家賃で
じゃあちょっと離れてるけどみたいなことをして
でもそこが本当に自分の家なのかっていうのは
なんかずっと疑問があって
でも奥さんがいたり子供がいたりっていうのはまず大事で
じゃあどこ住むのって言った時に
僕は東野の
ああ帰ってきたっていう感じがする
この場所はすごい今気に入っていて
JRも僕のために新幹線運行してくれてるし
全国いろんなところで仕事をさせてもらっています
ミサスさんも家って感覚はもう東野今住んでる家は
貸し屋で
私はまだその貸し屋と持ち家っていう感覚の違いが
あんまりないんですけど
まあずっと旅するやったら
例えばバックパッカーみたいに行くせよって
どこでもOKみたいな感じも
スタイルとしてはあると思うんですけど
やっぱり帰ってこれる家があって
土地があるっていうのはすごい大きいなって思うし
だからこそまた出ていけるみたいな感覚にはなる
だからこそ出ていける
そうそうだから出ていける感じはあるから
確かにコロナウイルス感染症が
わーっと広がったタイミングの時に
オンラインとかリモートで
仕事をするみたいなのが
より一般化していきそうな動きが出始めた時に
どこでもできる仕事だから
どこに行っていてもいいとか
例えばワーケーションみたいな形で
1週間とかどこかの土地に滞在するみたいな
仕事の仕方もあったりして
27:00
その時何て言うんですかね
どこでもできる仕事みたいな
言葉とかがよく効くなと思っていたんですけど
本当に仕事ってどこでもできるのかなみたいな
個人的な疑問はあったりもしていて
まあ皆さんの仕事とかも何て言うんですかね
もしかしたらそういう場所は
東野以外のところでもできる仕事なのかもしれないけど
東野に来てその仕事をする時は
今直接やってる仕事かわからないですけど
でも東野じゃないとできないようなことをされている
なぁと思って聞いていて
やっぱりそういうのは
いいなぁと感じましたね
人のつながりとかから生まれてるからってこと?
でもそういうことだと思います
最初のピッコロさんの話にもあったように
この近くの人たちが
こういう人たちだからこういうことができる
みたいなことなのか
ちょっとわからないですけど
だからそれを東京からの仕事だけをね
ここでしていたら
また違う感情になるかなっていう気はすごい
じゃあここじゃなくても
もっともうちょっと便利なところでもいいんじゃないの?
って思ったりもすると思うし
今ここにいるのは
やはりここで気づいてきた
人間関係だとかその辺の部分が大きいなとは思いますね
で、なんか家って確かに
本当にこう人生の中ですごく
いろいろな意味で重要なのかなっていう感じもするし
もしかしたらそんなに重要じゃないのかもしれないし
っていうところもあるし
私そのバックパックを背負ってね
ずっと世界中を回ってる時に
まあ東京に自分の両親が住んでいるから
最終的にはそこに帰ればいいやっていう形がある
だからそういう旅ができる
でもね途中のいろんなところで
今日の宿も決めてなくて暗くなっていって
で、みんな街に明かりがついていく
どこかに駅降りたらみんな帰っていく場所がある
でも自分はこれからまだどこか
どこに行こうかなとか
ホテル探さなきゃとか
なんかそう思うと
なんかすごい寝なし草にこのままだと
なんかキレたタコみたいになっちゃうな
感じがすごいしてきたら
何やってるんだろうっていう気持ちがすごいふつふつと湧いてきて
これやり続けててはいかん
って思いましたね
それはなんかトルコのもうすごい偏皮な犬だと思いましたね
30:02
暗い雨が降っている
船に降りた時に
私どうしよう
何やってんだろうとか
まあまあ思ったりもしたし
ただだけどそういう帰れる場所があるっていうのは
本当にきっといろんな中で必要なんじゃないのか
でもそれがもしかしたらね
自分の家じゃなくても
この街でもよかったりするわけじゃない
この街の例えばあの片手鍋さんの家とかね
三里ちゃんの家とか
たくみさんの家だとか
あそこに帰っていけば
なんとかなるっていう場所がきっと必要なんじゃないのかな
それが自分の家じゃなくても
あそこ行けばまあなんとかなるそういう場所ね
だからなんかそういう場所に東野がきっとなっていく
だからなんか違う道
私がこのまま東野にいて
東野で家を作るのか
借りたままにするのか別にしても
でもあそこにピコロがいるから
じゃあちょっと寄ってみようかとか
1ヶ月ぐらいでもいいって言うよって
なんかそういう場所が
日本中や世界中にたくさんできるといいかなと思いますけどね
本当に移住で
完全にその人自身が家を置かなくても
そういう場所がここにあるとか
他のところにあるとかみたいな場所があるのがすごいいいですよね
最初の三里さんが言ったような
京都とか上山徳島とか
距離を感じないっていうのは
やっぱりそういう場所とか人の存在もあるかもしれないですよね
そうやってみよう
だからなんかそうやって
いろんな本当に皆さんがそれぞれ
どういうところにいても
生活していけるみたいな方たちなのに
でもその皆さんが今東野に住んでるってことが
すごい楽しいなと思います
たくみさんはどうなんですか?たくみさんの出身は水沢って言うかがありますけど
そして三里ちゃんを追っかけて
え?追っかけてきた?
最初の出会いはどこなんですか?
三里さんに会った時には
宮本さんいなかったもんね
徳島?
三里さんは妻なんです
実はまだこのポッドキャストに入ってない方が妻なんですけど
すごいことが感じされてた
ここに夫婦が一組いるってことですよね
初めて徳島で出会って
その後水沢で一緒に過ごして
で2019年から2人で東野で生活をして
33:03
それは別々の目的で徳島に?
そうですもん別々それぞれ別々の仕事
同じ職場に?
徳島の時は同じ職場にいたんですけど
今も全く別の仕事をしていて
今年が岩手に来た理由も
先に岩手に徳島から帰られたんですけど
別に追っかけてたわけじゃないので
その時はお付き合いしてたけど
追いかけてきたわけじゃなくて
それこそ東野の馬に会いたくて
一人で行ったんです
でまた徳島私だけ帰って
そうだったので
本当別々の感じで今に至ります
そういう理由はねまさに
この東野でお仕事されてるわけじゃないですか
宮本さんは
東野で仕事をする感じどうですか?
東野で仕事をするとか未来
どんなこと考えてるかとか
ちょうどさっき言ったの
このラジオ収録内容に
それこそ皆さんにお話を聞きたいなと思っていたのも
これちょっと自分の個人的な気持ちの中に一つあるのは
今まで住んだことがあるのは
岩手と徳島だけなんですよね
岩手も水沢っていう
大州市は10万人ぐらいの人口の街で
東野は今2万3万人
2万5千人ぐらいの街で
神山はもっと4千人とか
神山は徳島の街ね
徳島の神山って街は4千人5千人ぐらいの
割とほぼなんとなく見たことがある感じの人たち
みんな分かる
運転してあそこいたよねとか
ああみたいな毎日こんな感じ
なんていうんですか
比較的あんまり都市部みたいなところで
生活をしたことがないので
ずっと憧れはあったんですよね
中学生とか高校生の頃からで
大学に行ったことがなかったので
そういう生活をしたことがすごい憧れがあってとか
大都会に?
大都会に東京とかニューヨークもそうですし
1970年代とか60年代後半とか
70年代前半の雑誌とか
あと本とかを読んでると
具体的にどんな雑誌を読んでたの?
そのうちの例えば本当にポパイの出立てとか
ヴェルータスとかマガジンハウス系とか
マンガだとガローとか
ガローとか
中央戦前に住んだらいいよ
その辺のこういうやつとか読んでたりする
西扇とかね
当時の日本というか東京が
アメリカのカルチャーみたいなのを追いかけていて
そこに憧れがあるみたいな
片岡義夫さんの本みたいなのを
36:01
読んだりしているとか
村上ハルキーの小説とかを読んでいても
仕事をしているわけじゃないけど
本当に家から歩いていける距離に
バーがあったり本屋さんがあったりして
仕事から帰った時に
通っているバーに
ニコオトダノリさんもいれば
和田さんとかがいてみたいな
みんなそこにいるじゃんみたいな世界に
すごい憧れが多い
であと今の仕事がまあなんですかまあ広告とまでは言わないんですけど
何かこうホームページを制作したり
マフレット制作したりするような
デザインとかコピーとか
文書にかかるような仕事していると
そういう仕事の中心って何かこう東京にあるみたいな
実態は知らないんですけどイメージがあって
なのでなんというかこうもっと
最初それこそ徳島に住んでいたタイミングとかで言ってたのは
もっと自分は追い込まれないといけないと
ずっと思っていたんですよ
あのよく行くその徳島の上山町とか
東野とかもそうですけど
どちらかというと皆さんこう仕事を
ある程度年数経験してある程度
こうガーッと働いていたタイミングがあって
気づいたら上山だったり東野だったりして
って言う来てるっていう人たちがむしろ
自分は働き始めたタイミングそういう人たちが周りにいたので
なんかずっと温かいしずっと心地いいし
なんか自分は何もそんなに嫌だって
何かに対して思ったことがなかったんですよ
それまで生活をしていて
だから皆さんがこう感じて社会課題とかが
言葉としては認識していても実感としてわからないとか
何も不満なく生活してきたので
これでいいのかなと思ったりした時に
もっと鍛えられるべきだとか
もっと追い込まれないといけないっていう感情から
東京に住みたいっていうか
憧れみたいなのは今でもこうなんかずっと持ちながら
東野にいますね
でも憧れやなんか私そのやりたいことがあるなら
やってみればいいんじゃないのって思う
って言うかなんか人生だからさっき言ってたの
ガロだとかポパイだとかその辺の時代って
まさに私とかが東京でちょっとバブルの頃もいたから
もうああまさにその時代そんな感じだったって
なんか過ごしてたなって今すごいなんか思い出して
でも人生って本当に瞬きして
なんかこう目を開けたら
もう違う時代になってるぐらい早いスピードで
なんかこう流れていってる気がしてきて
やりたいことは迷わずやった方がいいですよね
前に東京に住んでた家の3分ぐらいのところに
村上ハルキがやってた店があったんですよ
仙鷹屋のねビルの3階ぐらいのところ
39:01
今でもそこはあってさ
その仙鷹屋の人たちみんな村上好きで
みんなノーベル文学賞の発表の前になると
徹夜で今年どうかなとか食べるっていうのを
毎日やってんですけど
あのであれを見てるとねその時って
まだ小説も書いてないし
村上ハルキは村上ハルキになってないんですよ
はいはい
だからなんか思ったんだけど
東野で村上ハルキになればいいじゃん
ほんとそうでガロとかもそうだし
そういうなんかちょっとアングラみたいな
サブカルで後世有名になったものって
最初誰も仲間いないんですよ
でも誰もいないから自分がやるしかないって言って
あんたがやってんだ俺もやるよって言って
集まってムーブメントになってるので
そのムーブメントは今もあるけど
その片岡芳代とかガロのムーブメントはもうないので
行ってもない
だから今信じてることを宮本さんが
自分の場所でやるってことの方が
近道だと俺は思う
すごい
私は行っておこう
宮本くんっていう人が
いやいや行くのはいいよ
行ってもいいけど行ってもないから
その憧れている東京は何もないよ
今の東京は全然
でもそれは分かっててでもそこに
それを自分で見るのは大事ですよ
絶対にそれは見ないと
分からないことたくさんあるし
それはそれですごいいいと思うし
その間にちゃんと時間も流れるし
都市もというかそういうのを考えと
思うんですけど
でもそうですよね作るっていう
まさにこう今こういう相談とかを
やっぱり相談というか
東京の人とかに話を聞くと
そういう東京もうないって
やっぱりみんなに言われたりとか
でも
すごい前の話してるんだよ
とかあとまあなんていうんですか
でもやっぱり
それこそ自分同級生とかで
やっぱり大学に行って東京に行く人とか
友達とかの中で
やっぱりある程度言ってすぐ
なんか憧れがあっていく
何か分からないけど東京とかに行っていて
行ってみたらって感じていて
戻ってきたいみたいな人がいるかもしれないですけど
それこそこうなんていうんですか
行っても仕事がないみたいなイメージとか
何をしたらいいのかとかみたいなことで
考えている人とかがいると思うんですけど
でも本当に今のケイさんの話みたいなことだと
ある程度やっぱり自分で作っていくみたいな
選択肢というか方法みたいなのも
やっぱりあるよなと思っていて
今お聞きして思いました
でもそれってだから
私たちも一緒だと思うんですよ
それは東京に行って
高見さんが自分で何かを見つけてくるもそうだし
私たちも東京に来て何かを見つけて作る
だからそれは別にどこの場所でも同じで
何をするか何をしたいか
もうそれだけだと思うんだよね
僕は東京も大好きだけど
東京から離れてるのは
東京でできないことが自分が好きなんだ
42:02
っていうことがやっぱり
東京でできないことって
結局罪のこしになっちゃうんですよね
ずっとその部分だけをやらずに
できることを東京でずっとやり続けたんだけど
もうちょっと待って
死ぬ前にやらしてみたいな感じで
やっぱり来てる感じはあるから
それこそおっさんの説教みたいな
いやいや私たち本当にそれ以上
おじいさんおばさんもうさ
死ぬだけじゃんって言われてるじゃん
まさにそういうことが
むしろでも皆さんが来てるっていうのもそうですし
なんかまあトーンの後
やっぱりできそうなポテンシャルというか
なんかポテンシャルって言い方あれですけど
何かこうやれそう
できそうみたいなことも感じたりはしますか
するし例えば20年経ってさ
トーンの宮本さんって人いたんだよね
トーンの憧れるわっていう人が
違う場所にねいるってことは想像できる
本当ですか
できたらいいですね
弱くなっていってる
ピッコロさんもそうですよね
いろいろやってるのもそうだし
なんかだからそういう
そういうだから自分とはその逆とまでは言わないですけど
別に僕はここにそのなんだ
トーンの出身でいやいや住んでいるとかじゃなくて
自分もちゃんとこう
意思を持ってここに来ているのでですけど
でもなんかこうむしろこう
東京とかに憧れ持っているけど
でもむしろ東京から来てるお二人
ケイさんとピッコロさんみたいなこととかもあったりするので
やっぱりこうむしろこっちの街
このトーンのにはトーンので
やっぱりできることがあったり
なんか皆さん感じてらっしゃる
いいことがあったりするんだなっていうのを
すごい改めて認識できました
チェンソーで次の看伐するとか
まず東京時代できないから
そっかそっかそうですよね
ありがとうございますあのはいちょうど
チェンソー最後か
チェンソー最後そういう
本当そういういろんなことができますもんね
いろんなことができる
最後ザクっと終わっちゃいましたけど
みなさん来ていただいて
今日お話ししてもらいましたけど
ちょっとそうですね
東南に興味ある方たちは
ケイさんピッコロさんミサトさんに
会いに来てもらってもいいかもしれない
直接これをすごい受け取ってもらった方がいいなと思いました
この話とかこの空気感とか
夏にはね
ミサトちゃんのおいっこちゃん?
青年が一月半ぐらいお世話になりました
憧れのイソウロウが家にいる
45:02
嬉しかったです
京都から
何のケアもしなくていいのか
いとこやいとこ
確かに
だから体験してすぎてる方は
いまのとこに
そうだね
その間に家に着いて
家に着かないといけない
でも全然あのおじいちゃんに
すごく大きな遺産をもらったから
その場所で使いたいと思うんですよね
全然いいですね
ありがとうございます
今回もここまでにして
今回ありがとうございました
ありがとうございました
♪