エネルギーの歴史と発展
絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが、日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は紫外線です。 さて今回はですね、エネルギーをめぐる旅という本についてお話していきたいと思います。
実はこのエネルギーをめぐる旅、今日放送されるブック沼ラジオで、小川さんと一緒にお話をしているんですよね。
まあそれでブック沼ラジオ、実は放送形式が変わりまして、1人が1冊の本を紹介する、そしてもう1人かもう2人がそのお話を聞きながら質問していく、という形式に変えたんですが、
僕自身が今回そのエネルギーをめぐる旅をプレゼンする回だったんですが、まあ聞き直したところ、ちょっと言葉足らずだなと思ったところがありましたので、ちょっと法則的な放送としてこの本を紹介していきたいと思います。
さてこのエネルギーをめぐる旅、古田地耕介さんが書かれた本なんですが、ブック沼ラジオの中では過去から未来にかけていろんなエネルギーを人類は使ってきて発展をしてきた、
そういう視点を提供してくれる本なんだ、ということを僕がプレゼンをしていったんですよね。
例えば人類が最初にエネルギーを使ったのは火だったんですよね。火を使うことで調理が可能になったことで食料を保存することができた。
夜の活動時間が増えたことで農が発達していった。その他、例えば農耕においても人類は太陽のエネルギーをうまく利用して作物を育ててあるいは家畜を飼育するようになった。
こういう自然現象を利用したということもそうですし、産業革命においては人類が化石燃料を本格的に利用して、
蒸気機関だったり、石炭だったり石油だったり、そういった発電所を作ることができてエネルギーの消費量が飛躍的に増加した。
そんなお話をしていきました。 そうやってエネルギーを使用することによって人類というのは
大きく発展してきた、そういうことが書かれている本なんだということを僕がお話していきました。
あるいはもっと言うなら未来に向けて核融合という技術をどういうふうに使われていくのか、そんなお話もこの本の中では書かれています。
つまり過去、現在、未来と我々がどういうエネルギーの使い方、技術の発展をしてきたか、
ということがこの本の中では描かれていて、それがまさしく旅をするように、エネルギーの旅をするように我々は発展してきている、
その途中にあるということがこの本の中でわかるよね、そんなニュアンスで僕はお話をしていったんですよね。
エネルギーと経済の関係
だけどまだまだこの本の魅力を伝えきれてなかったなと僕自身は思っていまして。
この放送では2つの点を補足するような形で付け加えることで、この本の魅力をもう少しリスナーの方にお伝えしたいなというふうに思っております。
さてでは2つの点がどういうものかというと、エネルギーと経済という点とエネルギーと人間の心という点ですね。
それについてお話していきたいと思います。
皆さんはエネルギーと経済と聞いてどういうイメージを持たれるでしょうか。
経済が発展することによってエネルギーを使いすぎて環境が悪化した、気候変動を引き起こした、あるいは地球温暖化を引き起こした、
そんなイメージを持たれる方多いんじゃないかなと思います。
ただですね、フルタッチさんはですね、まあそういう単純な因果で結ぶこともなかなか難しいというふうにもおっしゃっているんですよね。
で、そこの部分が非常に小さに飛んでいるし、ある種多角的な視点を持つことの重要性みたいなことを言っているわけです。
つまりどういうことかというとですね、確かに人類は経済を発展するためにエネルギーを使用してきたというふうに言うのは間違いがないんですけれども、
例えばその経済を発展させるイコールエネルギーを利用するイコール環境破壊ということでもなかなか言えないんじゃないかなというふうにも言っています。
本の中で引用されるのはですね、経済学でよく出てくる環境屈捻曲線と呼ばれるものなんですよね。
縦軸に環境負荷、横軸に経済発展というグラフを描いたときに逆U字型の曲線を描くというふうに言われています。
つまり最初の方は経済発展しようとしたときに環境負荷がかなり悪くなると。
ただし経済発展が後半にかけてかなり発展していくとですね、環境負荷というのは逆Uの字なので
どんどん少なくなっていくというふうにも言われているんですよね。
つまり経済合理性を求めることが環境負荷を大きくすることに必ずしも結びつかない、そういう視点を提供してくれているわけです。
あるいは気候変動問題に対処する取り組みとして単純にCO2の排出量を見ればいいのかと言ったらそうでもないというふうに言われています。
これは有名な話でもありますけれども、太陽光発電パネルを大量に生産して山を切り崩して
だだっぴろい土地にずらーっと並べていく。そうするとCO2排出量は減るというか、電力が供給できますよね。
でもそこへの生態系の影響だったり、太陽の太陽光パネルを生産する資材の量だったり、それに伴う発生するCO2の排出量だったり
はたまた将来的にそのパネルを廃棄する環境への負荷だったり、こういうことでエネルギーに対する問題っていうのは
切っても切り離せないというか、ありとあらゆることがエネルギーに関係してくるということなんですよね。
経済発展しようとしてもエネルギーに関係する。 何か良い取り組みをしようと思ってもそれは悪い取り組みにもつながるかもしれない。
だからいろんな視点を持つことの重要性みたいなことを経済を通して見る。 単純に経済が良ければ環境に良いとかそういう問題でもない。
エネルギーと心の視点
なんかそんな視点を提供してくれてるなというふうにも感じています。 あとはですね、エネルギーと心という問題ですね。
フルタチさんはユダヤ人政治学者であり、ナチスの態度から逃れていったハンナ・アーレントが書かれた人間の条件を引用しています。
アーレントは人間の日常的な活動を3つに分けているんですよね。 その3つというのが労働と仕事と活動。
労働と仕事って一緒じゃないかって思われるかもしれないんですが、 労働というのは
後には何も残らずひたすらに循環と反復の運動を繰り返すもの。 二つ目の仕事というのは耐久性のある工作物を作る営み。
現代の我々からすれば何かを生み出すのが仕事で、不老のように流れていく仕事を労働というのかもしれません。
そしてアーレントが言いたかったのがですね、労働が社会全体を覆い尽くそうとしているという点なんですよね。
これはつまりどういうことかというと、 工業化する以前の社会では肉体がそのリズムを担っていて、労働の負荷というのは少なかった。
つまりその不老として単純作業、循環していくような何も生み出さない労働というものが少なかった。
けれども工業化した社会においては機械がリズムを作るようになった。 故に労働によって我々の脳のエネルギーが大量に消費されていった。
結果、我々の活動というのが、脳、労働に支配されていってしまっているのではないかということなんですよね。
そして古立さんは、これは今現代でも同じような現象が起きているというふうに言っています。
つまり何かっていうと、機械のリズムに合わせて、その機械のリズムっていうのは資本主義、経済みたいなものなのかもしれません。
そういう早いリズムに合わせて、ただただ手を動かしている労働の時間があまりにも多すぎやしないかということを言いたいのかなというふうに僕は解釈をしました。
そうではなくて、体が刻むリズムをもっと聞いた方がいいのではないか、そういう提案が古立さんがされていたんですよね。
それを引いては、エネルギーを大量に消費する、そして時間を早戻しにするためにエネルギーを使う社会、そして僕らの経済性というのをもうちょっとだけ見直した方がいいんじゃないか、
何かそんな提案にも思えてくるんですよね。
ある種その心というところで言うなら、我々の肉体のリズムというところの視点を持つことによってエネルギーの使い方を見直しましょうということなのかなというふうに思いました。
こんなふうに経済の視点から見たエネルギーの見方、そして我々の心、あるいは肉体のリズムから見た時のエネルギーの使い方、それも何が正解ということはないんだと思うんですよね。
ただ、こういういろんな視点をめぐった上でエネルギーについて考えるということが必要なんじゃないか、何かそれがある種いろんな視点をめぐっていく旅になるんじゃないかということが僕にはそういうふうに思えたんですよね。
たしかにそれは人類にとって大事なのかなというふうにも思いますし、
ブック沼ラジオでも話した通り、僕自身のキャリアの方向性というのもそういったエネルギーについてちょっと一旦振って考えていきたいなというふうにも思っています。
もしよかったら皆さんも手に取って読んでみてください。というわけで、今回は以上になります。最後までお聞きくださりありがとうございました。ではまた。